同僚の女性が泣きそうな顔で訴えるのです。トイレの排水が上手くいかない、屋外に位置するマンホールが詰まって溢れて大変なことになっている…。大騒ぎされても困ります、状況が状況なので誰も来ないようにお願いしてから長靴を履き、軍手をかけて単身現場に向かいました。ひゃあ!確かにこれは大変な事態。
新潟三条で堤防が決壊して、大量の川の水が住宅や事業所に押し寄せてしまったことが以前ありましたね。下水も当然ながら逆流してきてとんでもない状況に陥ったことを、あの時あの場所におられた取引先の担当の方が真剣な目つきと声で語ってくれたものでした。言葉を選んで静かに、けれど諭すようにして話してくれた彼の面影がふと蘇えりました。ああそうか、こんな具合だったのか。そりゃ、だよね…
業者を呼んで対応しても良いのですが、早々に来てくれるとは限らない。来てくれたにしても、その人がやる事と僕がやる事に違いはないでしょう。いつか起こるだろう災害時の予行練習と思えば、ちょっとは背中を押されるところもあるのでした。なんちゃって、無理してらあ…
孤軍奮闘の末、障害になっていた物体がいよいよ姿を現しました。いや~驚きましたね。
写真家ダイアン・アーバスさんの人生の転機を題材にした幻想的な映画(*1)がありましたが、あのとき彼女が詰まった配水管を清掃して見つけたものはおびただしい量の体毛でした。アパートメントの上の部屋に越してきた男が多毛症という設定で、浴室の排水溝から流れ行った長い体毛が何らかの拍子に途中で次々と溜まっていったのです。あの時の二コール・キッドマンの唖然とした表情と僕の顔付きは多分同じだったはず。
それは植物の“根”でした。小学校の時分に球根の水耕栽培ってやりますよね、ヒヤシンスとかクロッカスの。あんな感じの細く長い根がびっしりと束になって育ち、配管の幅いっぱい一杯に茂っていたのです。下水道内部に侵入した根自体はか細い針金みたいなものでしかなく、それは塀越しに隣地からヨタヨタと地中を進んで延び入ったらしいのも凄いのだけど、そんな一本の細い根の先っちょに習字の筆を何百倍にしたような毛細状の根を貯えていく植物のしたたかさ、粘り強さが驚異としか言いようがない。
ウェブで検索するとこの手のトラブルは割合多いようです。5年に一度くらいは意を決してマンホールを覗き、紛れ込んだ根っこを取り除いてしまうことをお奨めします。
散々厭なイメージを植え付けてしまいましたから、それらを払拭(忘却)するためにも別な話題を。先日ドライブして古い洋風建築を観てきたところです。二箇所に足を運んだのでしたが、いずれも内部は歴史資料館になっていました。オルガンや鉱山用ヘルメットなどの無駄に凝った意匠が楽しかったですね。物のありがたみが滲(にじ)み出てくるような感じで、きっと大事に大事に使ったのでしょうね。
防寒具を重ねまとった人形も淋しげだけど幸せそうです。無人のフロアにはどこからか迷い込んだ一匹のスズメバチが飛び、出口を探しあぐねてコツコツと天井に当たっていく、その微かな音がするだけ。
時間が止まったような光と匂いが、日頃のせわしなさや“こもごも”を忘れさせてくれます。
(*1):Fur: An Imaginary Portrait of Diane Arbus 2006
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