2009年9月21日月曜日

寺山修司「田園に死す」(1965)~鍋の中なる濁流~ 

味噌汁の鍋の中なる濁流に一匹の蠅とぢこめて 餐 (*1)


 恐山は本来切実な場処であり、その本質は崩れていません。8時、9時ともなると訪れるひとも増えていき、観光地にお馴染みの乾いた喧騒に染まってしまうけれど、僕のような誤った旅程で訪れてみるとかえって生々しい観念の渦が露わになるような、実に胸に迫るものはあるのです。


 菩提寺に納骨したり、神社にて祈願したり、ひとは逝ってしまった家族、愛する人の安息をさまざまな形で祈るわけですが、大概の場合にはそのアクションで目的はひとまず成就して気持ちは整理なるものでしょう。皆が亡者と生者の悔恨の思いを“静止”するべく努めています。


 ところが恐山はシュウシュウと硫黄煙を吹き上げている“動き続ける地獄”であって、死者が今まさにここにいるかと思えば遺族の哀しみは増大し、なんとか救ってやりたいという想いが湧出して胸を掻きむしられてしまう。実際そこかしこに行年(ぎょうねん)一歳とか三歳とか、十歳、十九歳といった幼くして亡くなった方の名を刻んだ慰霊の石が置かれ、なかには色褪せた写真が添えられていたりするのを見詰めていると、家族係累の“必死”が感じられて涙を誘います。


 死者を葬る場処でなく、死者と会話し救おうともがく聖地として立派に機能しており、こういう形骸化していない宗教の地がこの日本にまだ残っていたのだな、と感慨を深めた次第です。たいへん恐い思いは確かにしましたが、やはり行って正解だったと思います。


 さて、恐山といえば寺山修司さんの「田園に死す」を思い出さずにはいられません。映画をご覧になられ、その強烈な映像を脳裏に刻んでいる人も多いでしょう。




 上記の短歌は映画のなかでは取り上げられてはおりませんが、歌集「田園に死す」のなかに収められたものです。味噌汁に迷い込んだ蝿を呑んでしまう、黒い笑いを誘うその行為や背景に郷里や幼年期の実体験を遠目に見る詩人の複雑な想いが透けています。



 この歌がどのような出来事から発したものであるのか、寺山さんは次のようなエッセイで打ち明けています。十歳の頃に小学校の便所で用を足したところ、便器に残るおのれのモノの中に黒い蝿の死骸を見止めてしまったことに端を発し、ドタバタした騒動が勃発する。


 それから、手拭いを暗い土間に敷いてそれを跨いで、

異物のまじった大便を排泄しようとしていると、心配

して起き出してきた母が、私が寝ぼけているのだと

思って、むりやりに私を便所に連れこんでしまった。
 
 私は、便所の中で、「蠅の話」をしてじぶんの体の

中味を知りたいのだ、と言った。すると母は「蠅は

味噌汁にでも溺れていたのを、まちがって飲んだのだ」

と言った。
 
 異物は、いつでも外界から「入ってくる」ものだと

いうのである。それは不法な侵入なのであり、体の中で

育って「出てゆく」のではない、と言った。後年になって

から、異物は「入ってくる」のか「出てゆく」のかについて

の母と私の認識の差は、男と女の違いから来るものだと

いうことを──フロイトの「夢診断」によって知らされたが、

その夜はとうとう、私の負けで大便を搾取することができぬ

まま寝ることになってしまった。(*2)

 大便と蝿の話がいつの間にか男女の性差へと脱線し、幾らか言葉じりには母親への入り乱れた思いが光って見えなくもありません。行軍先で亡くなった父親に代わり、母親が彼女自身と幼い寺山さんを食わせていかねばならない。当時三十を越えたばかりの母親は米軍基地で昼夜を問わずに働く日々に突入し、多感な年齢であった寺山さんに大きな影響を及ぼします。錯綜していく想いが創作活動へと直結し華開かせていくのは承知の通りでありますが、そういった作家論については寺山研究家の膨大な書籍を読み解いてもらうとして、問題はこの異物混入の様相です。


 味噌の製造過程で飛来した蝿がはたして原形を止めていくかどうか。さらには、味噌汁として作られた中に混入した生々しいものが約八時間の消化活動を経て後、ひと目で蝿と視認し得る形状を呈するや否や。原形をそのままにとどめた小海老の佃煮や、物珍しさや勇気試しも手伝って食する田舎料理のイナゴの煮付けなどを食べても、用を足した後におもむろに下を見定めて悲鳴を上げたことはありません。どこかに無理のある話です。いったい寺山少年は何をどのような感じで見たのだろう。消化の良くない昆布や繊維質の根幹類、豆の皮などを誤認したのじゃあるまいか。たとえばヒジキや昆布などには僕も時折驚かされたりします。



 もはやその事実関係は誰も確認出来はしないのですが、このような事件の中途半端な決着が寺山の胸中に落とした影はどのようなものであったものか、それを少しばかり思わない訳にはいかないのです。例えば寺山さんにはこんな文章もあります。


 
ただ食べるだけなら、「あんた」と二人で近くの食堂へ行けばいいし、

「あんた」のものを洗うのが面倒くさかったら、洗濯屋へもっていけ

ばいいのです。家事の代行は、だれにでもできるのであり、マイホーム

のテレビを見ながら、二人でミソ汁をすすりあうことに幻想をもっている

のでなかったら、こうした家の中での仕事を家の外へ持ち出してしまった

方がいいのではないか、と思われます。(*3)



 
寺山さんだけの宿痾とは言い切れない、それこそ多くの日本在住の創作者を混迷させる手枷な訳ですが、“家庭”や“家”を代弁させられる破目にミソは陥っています。ですが、何と言うか、かなりドライな印象をこの文章には抱きます。ここでの“ミソ汁”は随分と見下されてしまっていて、そこに精神世界を担わせる役割さえ振り当てられてはいません。母親という存在、母と子という関係、内側と外側といった諸相に固着した作家がその作品において“ミソ汁”を象徴的に扱った形跡がないのは、存外この大便事件がトラウマとして彼を縛ってしまったのではないか、と僕はこっそり思っているところなのです。


(*1)【×餐】 [音]サン《「ざん」とも》飲み食いする。食事。ごちそう。「午餐・正餐・粗餐・晩餐」http://kotobank.jp/word/%E9%A4%90
「田園に死す」より「子守唄」 寺山修司 白玉書房刊 1965 
「寺山修司青春歌集 角川文庫所載
(*2)「誰か故郷を想わざる」第1章より「排泄」 寺山修司 角川書店 1973 
(*3)「さかさま恋愛講座 青女論」寺山修司 角川書店 1981 


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