2010年3月28日日曜日

上村一夫「同棲時代」(1972) その1 ~上村一夫作品における味噌汁(12)~


今日子「次郎……  次郎…あたし……

    あたし…戻れるかもしれない……」

次郎 「…(内ポケットから煙草を出しくわえ、今日子にもすすめる)」

今日子「ありがとう……(火をもらい)」

次郎 「…(瞬間視線が交差する)」

今日子「次郎……」

次郎 「ん?」

今日子「夜明けね……」

次郎 「うん……」

今日子「いつかもこんな朝があったわ……」

次郎 「…」

今日子「ねぇ 次郎 熱い味噌汁が飲みたくない?」

次郎 「熱い味噌汁か… そうだな 身体が暖まるだろうな」

今日子「ねぇ うちへ来ない?ごちそうするわよ」

次郎 「きみんちへ?どうして?そんなことできるわけないだろう」

今日子「いいえ かまわないわ 行きましょうよ」

次郎 「しかし………」

今日子「父と母のことなら心配しないで あたしの覚悟はできているの」

次郎 「熱いみそ汁…… 行くか!」

今日子「そうよ 行きましょう(ベンチから歩き出す)」

次郎 「(きびすを返して)いや……」

今日子「どうしたの?」

次郎 「やめとこう」

今日子「なぜ?」

次郎 「きみが作ってくれる味噌汁のことを思うと ぼくはたまらない……

    それを飲んだら ぼくはどんなにか身体も心も暖まるだろう……

    だけど こいつをよく覚えとこう この感じを……」

今日子「……」

次郎 「この寒さをよく覚えとこう…… 今 この寒さとひもじさに

    耐えられたら このさき何にだって耐えられるかもしれない……

    そんな気がするんだ」

今日子「次郎……」

次郎 「いい天気だ」

ト書き(一晩のうちに苦しみがすっかり薄らいでいるのを次郎は感じた

    しかしそれは また今朝だけのことで長い年月のうちには

    傷がどす黒い血を噴き出すのかもしれないと 次郎は思っていた──)(*1) 




黒い表紙の本(*2)を台所まで持っていき、ガタゴト食器棚から“はかり”を出します。試しにどのくらい目方があるかと量ってみたところ、針は330グラムを指しました。そんなものかと驚きました。僕にはとても重く感じられますから。ずんと胸に響いてしまい頁をめくるのが苦しい、しんしんと肌寒いものがこの本にはあります。



上村一夫(かみむらかずお)さんの「同棲時代」は1972年の3月から翌年11月にかけて連載された劇画で、氏の代表作とされています。映画やテレビ(*3)にもなり、上村さんが作詞し大信田礼子さんが歌ったレコードもヒットしました。



“同棲”という言葉を猥(みだ)りがわしいものから身綺麗な感じに変え、多層なイメージを世間に流布する役割を果たしました。しかし、映画であれドラマであれ、原作劇画の外貌をなぞったに過ぎない甘い内容となってしまい、ほとんどの人は主人公今日子と次郎の旅の完結がいかに凄惨なものであったかを知りません。原作の抱える硬さ、険しさは十分には知られていない。 (*4)





 まして、その幕引きの瞬間、男と女の会話に“味噌汁”が顔を出していたことを、まず十人にひとりが憶えていないか、まったく知らないのじゃないかな。


僕がその“味噌汁”に惹かれてずっと来たことは先に書いた通りです。最後に「同棲時代」をいま一度だけ読み返しながら、今日子と次郎、ふたりの会話の深層に触れて行こうと思います。と言うよりも、これまで上村さんの作品を読み進めた内容を薄絹のベールのようにそっと上に引いた会話に重ねてみれば、ごくごく自然に、無理なく何がひと組の男女に起きていたのか、分かっていくように思われますね。


ちなみに「同棲時代」の年代順の立ち位置はこんなところに在ります。

1971 マリア

1972 同棲時代

1973 狂人関係 
1974 離婚倶楽部 
1975 サチコの幸 
1976 すみれ白書 
1976 関東平野 
1976 津軽惨絃歌
1977 春の雪
1977 60センチの女 
1978 星をまちがえた女 


上村さんが“食(べもの)”を作劇に果敢に取り入れ、感情の“木霊(こだま)”にしようと模索した時期ですね。



さて、話替わって、あっと言う間に3月が幕を降ろそうとしていますね。いよいよ新しい季節のスタートが目前です。新しい環境、新しい仕事、新しい生活が次々と駆け出していく眩しい端境(はざかい)の週です。


 のろまな僕は結局のところ周回遅れですね。いい加減、あと数回でしっかり区切りを付けないといけません。前を向いて歩かないと!


(*1):「同棲時代」 上村一夫 1972-1973 初出は「漫画アクション」 最上段に引いたのは「VOL.69 終章」より
(*2):手持ちの僕の本は双葉社のアクションコミックス、全6巻で、計ってみたのは最終巻です。
(*3):「同棲時代─今日子と次郎─」 監督 山根成之 1973
「同棲時代」 脚本 山田太一 主演 梶芽衣子 沢田研二 1973 TBS
http://www.youtube.com/watch?v=46roDK-sNWs
(*4):うーん、そうでもないのかな。案外皆知っているのかな。

2010年3月27日土曜日

群島を俯瞰して~上村一夫作品における味噌汁(11)~

1971 マリア
1973 狂人関係 
1974 離婚倶楽部 
1975 サチコの幸 
1976 すみれ白書 
1976 関東平野 
1976 津軽惨絃歌
1977 春の雪
1977 60センチの女 
1978 星をまちがえた女 


上村一夫(かみむらかずお)さんのある時期の作品を、ほぼ発表順に読み進めてきました。今度は簡単な図に起こしてそれ等を並べながら、いったい“食(べもの)”の登用で何が起きていたかを整理してみます。






「マリア」では家庭から離脱して“食事”を回避し、蜜柑、干し柿、猪鍋といった顔かたちの分かる“食べもの”に固執していきます。けれどもマリアはそれすら満足に口に運ばず、長い放浪を続けていくのでした。想いの深さや昂揚が“食事”という状景を劇から追いやってしまう気配が読み取れました。











「狂人関係」では人参を齧る行為と狂恋が並行して描かれ、“食べもの”と“観念”との二人三脚が露わになりました。“生活”とはかけ離れた孤絶した世界でふたりの魂は爆発的に燃焼を繰り返しています。そこに至る直前には家庭を懐旧する視線が在り、“蕗味噌(ふきみそ)”が脈絡なく浮上して主人公の青年捨八(すてはち)の気持ちを攪乱しました。











「離婚倶楽部」では “食事”を通じて“家庭”が象徴的に描かれましたが、料理は具材が認められないあやふやな“のっぺらぼう”になっていました。それは真情をともなわない“まねごと”であったからでしょう。“食べもの”が具体的な名前とかたちを与えられた場景には、まねごとではない激情や切望なりが吐露なっている瞬間と捉えて良いことが読み取れます。また、“家庭”の奥に潜む暗い闇を覗くような、なんとも不穏な感じを与えるエピソードでした。








「サチコの幸」では“味噌汁”が象徴的に登場しました。情念の虜になった外界のおんながサチコたちの“生活”に侵入しました。その際、店の入口に置かれた“味噌汁”は鍋ごと引っくり返っています。また、外界で新たな“生活”を始めたサチコは調理にいそしみますが、まるで“味噌汁”にて禊(みそぎ)をするような具合でした。










「すみれ白書」の長い道程を通じて、最も幸せな空間は“世帯”という名の非日常のものであり、それは生活臭のしない遠い北国の温泉宿に灯っています。そこでの“食事”は上村劇画では稀有な、何とも言えぬ安らぎと喜悦に満ちていました。












「関東平野」でも味噌汁が現れています。血の通わないおんなと少年が味噌汁碗を交わして急接近していく、厳かで意味ありげな場景がありました。また、視力を失った画家が“食事”を投げ捨てて生命を削っていく姿も丹念に描かれました。上村さんの劇画に縊首、自傷、入水、投身といった死の選択が多く、このような“食事”を投げ捨てる行為には作者の強い思い入れを感じます。









「津軽惨絃歌」では寒村を飢餓寸前までに追い込む妖女が登場しました。愛憎入り混じった想いを村長に抱くこのおんなは、村人の生きる糧である“魚”を海に追いやる毎日でした。「春の雪」では、この時期の上村さんが“食べもの”で情念を描写することに執着している様子が窺えました。












「60センチの女」では向き合う男女に両極端な“食べる行為”を割り振り、愛の不在を強い調子で謳い上げています。たった60センチに過ぎない両者間の距離は、無限の広がりと薄い空気を感じさせて恐ろしいほどでした。「星をまちがえた女」では女性ばかりで劇が構成されて恋情が影を潜め、その途端に食卓は彩りを豊かにしています。ただし調理はロボットにより為されていて、もはや何事かのメッセージも食事には託されてはいませんでした。







もちろん作図の工程では僕なりの主観が挟まっています。多作であられた上村さんを論ずるにはサンプルもいささか足りないかもしれないけれど、こうして眺めるとしっくりと寄り添い見えてくるものがあります。


ひとつは気球や飛行船が上昇する際に砂袋やタンクのバラストウォーターを放出するように、上村さんの創った人物は“食”を上手く使っていること。捨てること、捨てさせることで高揚を図っている。


またひとつには、家庭や生活から離脱する際にはまるで重用されないのだけれど、逆に新たな生活、世帯、家庭の門を叩く際には「関守」のようにして“味噌汁”やそれに付随したものが置かれていることです。「境界標」のようにして外界からの入口に“味噌汁”が忽然と現れている面白さです。


2010年3月23日火曜日

上村一夫「60センチの女」(1977)~上村一夫作品における味噌汁(10)~



健二「おばさん………」

大家「(テレビに釘付け)クキキキッ!」

健二「おばさん!」

大家「何か用かい?」

健二「お味噌いりませんか?」

大家「いるいる さっきあんたのところへ送られてきたやつだね」

健二「全部あげます……俺は味噌は使いませんから……」

大家「そうかい そうかい じゃあ遠慮なくちょうだいしますよ」

健二「あの……そのかわり………」

大家「かわり!?」

健二「今月の家賃…少し 待ってもらえないでしょうか?」(*1)


 世間では上村一夫(かみむらかずお)さんを、首尾一貫した単色の作家と捉えがちです。四十代半ばでの夭逝が理由としてまず大きいですし、歳月は記憶の枝葉を伐(き)り揃えていき、いつしか故人の印象を整理してしまいます。亡くなったのが1986年でしたから、もう24年も経っている。どうしてもイメージを括(くく)りたくなる気持ちもよく分かるのです。


 けれども、最近出された単行本には、当時の連載に携わった原作者や編集者の親情溢れる文章が寄せられていて、そこでは世相や時流を敏感に察知する能力に上村さんが長けており、技法なり題材なりを難なく替えていくありし日の姿が懐旧されているのです。首尾一貫どころか、どんどん変わっていったということですね。実際一歩、二歩と作品に顔を寄せて観るならば、幹を伸ばす方角を訪れる節目ごとにぐいぐいっと曲げていったのがなるほど分かります。


 例えば──1974年にユリ・ゲラー Uri Gellerさんが来日しました。ブラウン管の前で親も子もスプーンの柄(え)をしきりに撫ぜてみたり、壊れた時計が今にも動き出しやしないかドキドキと見守ったりと大騒ぎでしたね。南山宏(みなみやまひろし)さんの空飛ぶ円盤、中岡俊哉(なかおかとしや)さんの幽霊をテーマとするミステリー本が売れに売れた頃でもあります。上村さんはそんな奇怪な流行りものを果敢に取り込んで、ぐいぐいっと方向を曲げた作品をこの頃に編んでいるのです。「60センチの女」(*1)と「星をまちがった女」(*2)と題された連作です。



 どちらの主人公も宇宙から来訪したおんなで、はた目には人間とあまり変わりません。「60センチの女」が移り住んだ金星荘は今ではあまり見られなくなった古い木造のアパートで、隣接した貸家には漫画家志望の健二が暮らしていました。ふたりの部屋はそろって二階にあって隙間は60センチメートル程度しかなく、双方の窓を開くと伸ばした手と手が届く、いや、それどころか部屋から部屋への往来すら可能という舞台設定でした。奇妙なタイトルはこの舞台設定に由来しています。(*3) 


 自然に言葉を交わし始めた男女は、やがて生活物資の貸し借りや散歩などの日常行動を共にしていきます。高橋留美子さんの「うる星やつら」(*4)とちょっと似た感じだけれど、それより先行していた点からは上村さんの器用さ、商業デザイナーとしての攻めの姿勢や職人らしいさらさらした血流が窺えます。


 “根暗”とか“ネアカ”という形容が娯楽媒体を席巻し始めた時期とも、調度その頃は重なっていますね。どおくまんさんの「嗚呼!!花の応援団」(1975)、江口寿史さんの「すすめパイレーツ」(1977)、鳥山明さんの「Drスランプ」(1980)といった作品に宿る、乾いた描線と明るいお話が読者に好まれました。上村さんはそんな世情もよく汲んで、絵柄はいつにも増して淡々としたものになっていく。



  胸底にゆらゆら灯(とも)る情炎と葛藤をひたすら内観する時間が影を潜めています。これまでの定石だった、立ち止まって手探りするような余白や間合いがずいぶんと減じられているのです。弾みが付いて転がるボールみたいです。幼く甲高い嬌声をきゃあきゃあ上げながら、ポンポンころころと転がっていく感じ。


 “奇怪な流行りもの”にひたすらおもねった“ネアカ”の“乾いた”作品として二作は見えなくもなく、ファンの間でも熱心には語られることがない半ば忘れられた作品となっている訳です。けれど、僕の観方は逆なんですね。上村さんらしい内実を満々と湛(たた)えていて、むしろ集大成に近しい重要な位置にこの連作は在る。




 「うる星やつら」や「Drスランプ」の根幹とは起承転結を区切らずに延々と繰り返されるドタバタ、なんて書くとファンの方から謗(そし)りを免れないだろうけれど、あの時代をあまねく覆い尽くしたスラップスティック‐コメディ群の、それこそ何でもありのハチャメチャな状況が上村さんと「60センチの女」に跳躍の自在を与えたのは違いなく、結果としてそれが作者の抱く哲学、人生観を最短距離でかたちに成すことに繋がっている。


 つまり、リアルでありたい、映画的でありたい、息継ぎやまなざしを生きた人間に重ねたいと腐心した“劇画”の自縄自縛から脱しているのです。天空より舞い降りたふたりの別世界のおんなは思うがままに行動し、歯に衣着せぬ言葉を周囲に投じて一歩も引かぬ構えです。そんな彼女たちの言動からは、上村さんの生々しくも毅然とした想いが透けて見えてくる。



 “食(べもの)”の不自然な登用とさりげない胸中の吐露、その独特の手法も「60センチの女」ではより突き抜けたものになりました。皆に“ムー”とあだ名されたおんなは、ラーメンだろうとフランス料理だろうと何でもござれの消化機能を持っているのですが、原則的には異世界から持ち込んだキャベツ(によく似た植物)を裏の空き地で育ててはこっそり収穫し、その葉をぴりぴりと千切っては口に運んで暮らしている。「かぼそき“食”」もいよいよ此処に極まれり、といったところです。



 これに対しておんなに懸想する青年健二に、どんな“食(べもの)”が寄り添ったものか。身体ひとつで越して来ては炊事も何もないだろうと朝食を勧めると、ムーは臆することなく健二の部屋にやって来ます
。「パンとコーヒーとミルクか──日本では 朝食にお味噌汁がつくんじゃないの?」 そんな質問をムーは(意味ありげに)投げ掛けるのでした。健二は答えを濁しています。


 礼を述べて去ったおんなと入れ替わるようにして男のもとに郵便小包が届くのですが、それは故郷の母親が送って来たもので、がさごそ包装を解いてみれば中身はでんと箱に詰まった“味噌”の固まりなのでした。「
味噌か……こんなものより 金が先だってのに…」健二はそれを階下の大家へ献上して、代わりに家賃の延滞を申し出るのです。



 外宇宙から来たおんながキャベツの葉ばかりをがりがり齧るのも、田舎から上京した漫画青年が母親の差し入れを煙たがるのもありふれた話に見えます、が、はたして易々(やすやす)と受け流して構わないものかどうか。どう考えたって可笑しいですよね、かなり作為的で不自然な事象です。このようにして上村さんは「かぼそき“食”」、「遠ざけられる“食事”」という作劇上の“決めごと”をより極端な顔付きで、これまで以上に断固たる風貌にて物語に挿し込んでいる。


 いつもの流れならおんなと男の気持ちは共振を始める道理ですが、これまでのルーティンは起動しない。「情念の高潮を惹き起こし、胸の奥の洞窟に潜むものを覚醒」させることはない。まるで回路が破断したかのような感じで、一向に熱情がたぎって来ない。これは一体全体どういう事なのか。


 先に引いた「すみれ白書」において、“家庭的でない時空”においてのみ、そして、“生活の場を遠く離れた”そのような場処においてのみ愛というものが極限まで開花し、本当の意味での“食”の充足もあると明言してみせた上村さんでしたが、その流れを踏まえての“愛の不在”を真正面から訴えて僕には見えます。


 “愛の不在”は、これまでも遠回しに述べられてきた上村恋愛劇の“結論”であったのだけれど、それを直球勝負で具象化する舞台やキャストに恵まれて来なかった。家庭を知らず、生活を憎む“すみれ”という突飛な造形が先にあったことは有ったけれど、それを遥かに上回る強い存在を創出しなければ想うところを描き切れない。そこで、はたと上村さんは気付いたのではないか、そうか“宇宙人”という手が今なら許される、そんな時代じゃないかと。まあ、僕なりの推論に過ぎないのだけれど、そのように考えると潮目は明瞭になって滔々(とうとう)と眼前を流れ始めるのです。


 「日本では 朝食にお味噌汁がつくんじゃないの?」と問われた矢先に土着的で生活臭の沁み付いた山盛りの“味噌”が郷里から届けられたことも象徴的だったのだけど、その後で金策に走り回ったものの成果まるでなく、空腹で舞い戻った健二が「(大家に味噌を)やるんじゃなかった……パンに味噌塗れば……味噌パンか………」と天を仰いで嘆息するのも、思えば異様にしつこい台詞の畳み掛けでした。青年健二には“味噌”が寄り添っていて、こってり包み込むようにしてここで描かれているのは「家庭」「日常」「生活」にまみれ、郷里を引きずり翻弄されるままの不甲斐ない男の姿です。“食事”を決然と「遠ざける」ことの出来ぬ、生活者の本音です。


 男自らの手で味噌をどっち付かずの場処に葬(ほう)むってしまったことで、当然おんなは味噌汁を口にすることはなかった、と共にキャベツをふたりして食(は)んで暮らしていくでもない。実に意味深な“すれちがい”が描かれ、上村さんらしい“食”の光景になっています。(*5)


 男(生活者)のおんなへの必死の懇願や愛の囁きに対して上村さんは、「非家庭、非日常」の化身たる“ムー”という宇宙人という絵柄のカードを切って断固「拒絶」している。そして、かえし返しおんなの口を借りるかたちで、男やその家族に向けて「愛はいけない」誤った現象なのだ、男女間の狭苦しい“愛”は人類皆が自覚すべき病魔だと説き続けるのです。


 喜劇のふりをしているけれど、もはや笑っているどころの騒ぎではなくなった。延々とおんなと男の宿命的なすれ違い、違和感、そして孤独が謳われるばかりです。くちづけを交わし、音楽を奏でて共有し、時に声がけして励まして笑顔を贈り合った仲のおんなと男でしたが、わずか空隙を遂に埋めることが出来ません。それが「60センチの女」と「星をまちがった女」に託された作者の宣言であり、上村さんが描き続けた数々の恋愛劇の頂(いただき)なのです。


「情念の高潮や心境の錯綜が“食事”を遠ざけて、かぼそくする」(マリア)

「かぼそき“食”が情念の高潮を惹き起こし、胸の奥の洞窟に潜むものを
覚醒させていく」(狂人関係、関東平野)

「家庭的でない時空においてのみ、情念の高潮や心境の錯綜は手を携えて
新たな次元に踏み出すことが可能となり、その時“食事”もまた喜悦に
加担する」(すみれ白書)
 
「しかし、おんなと男の関係の帰結は家庭である以上、情念の持続は終息
へ向かう。そこでは“食”の効力はまるで薄れて、埋没するか孤絶する
ばかりで記号としてもはや共振することはない。与えるべきものが奪い
合うものへと変質し、互いを憎しみと哀しみに染めていく。男女間の
“愛”は過ちに満ちたもので、忌避すべきか乗り越えていくべきものだ。」
(60センチの女)


 ──上村さんの道程をじっくり辿って来るならば、このような“決めごと”が綺麗に順序良く並んでいく。マリア、捨八、お七、金太、大雲、すみれ、ムー……。姿かたちや性別を変えながら与えられた試練に立ち向かい、その都度生まれ出る“句読点”にて少しずつ少しずつ岩肌を穿(うが)って彫り進めたその末に、上村世界の核心たるものの輪郭が露わになっていく。あくまでひとりの作家の創造し得た虚構を土台として成り立ってはいるのだけれど、幾度となく入念にシミュレートを重ねて到達したものだけに相応の説得力に満ちていて、今の僕をしずかに頷かせるものがあります。




(*1): 「60センチの女」上村一夫 1977-1978 連載は漫画アクション 最上段で紹介したのは「VOL.2盗人の種子(たね)は…?」より
(*2):「星をまちがえた女」上村一夫 1978-1979
(*3): そうそう、僕の青春時代は確かにこんな貸し家が当たり前のように有りました。なんか懐かしいですね。窓越しに恋愛劇が巻き起こるスタイルは、みやわき心太郎さんの作品にもあります。1975年春に「平凡パンチ増刊号」に掲載なった「窓」を起点とする「捜愛記」という連作です。翌年76年にかけて4回に渡って描かれ、朝日ソノラマから出された単行本「あたたかい朝」に所載されています。「60センチの女」の発想と関わりがあるのかどうかは不明だけど、みやわきさんの「窓」の方が発表時期は先行していますね。けれど状況の相似は認められても、内容の段差がすこぶる大きい。竹取物語や鶴女房のバリエーションとはいえ、ずいぶんと淋しくきびしいお話です。
(*4): 「うる星やつら」 高橋留美子 1978-1987 宇宙人の娘が現代社会に降り立つ話自体にはそんなに奇抜さはありません。「コメットさん」(1967-1968)もありますしね。



(*5):「星をまちがった女」では“隠喩”を盛り込む手法は世相に馴染まないと判断されたものでしょうか、“食(べもの)”は光を放つこともなくなり、生活の断片としてすっかり埋没しています。空飛ぶ円盤から連れてこられた卵形の万能ロボットが洗濯や掃除を行ない、味噌汁も器用に作って皆に振る舞う始末です。(VOL.25生活の意味) ひとの気持ちとは乖離した、ありきたりのものに“食(べもの)”は堕して見えます。続けて1979年に発表された「やっちゃれトマト」では、“隠喩”の回避はさらに顕著に行なわれました。



 「星をまちがった女」は「60センチの女」と設定そのものが似ています。漫画家のところに異星人が飛び込んで来るという状況もそっくり受け継がれていて、セルフリメイクの様相を呈している。けれど、それゆえに興味深いのは、「60センチの女」では健二という男のもとを訪れたものが、「星をまちがった女」でのコンマというおんなは女流作家の松井スマ子を急襲していることですね。おんなと男の間にだけ恋が萌え起つとは思いませんが、異性を実質的に排除して生活喜劇に努めようとしています。“愛の不在”の徹底振りに拍車がかかっており、“終着駅”に降り立って以降の上村さんの作劇に対する決定的な姿勢が窺えるわけです。

 上村さんにとっても、日本の「劇画界」にとっても、ひとつの時代が終息したことが如実に示されているように思いますね。線路の終わりでレールがぐにゃっと曲げられ立ち上がり、空を虚しく切り裂いているのがありますよね。あれと感じはどこか似ています。ちょっとさびしい、ぼんやりしたそんな感慨に囚われているところです。

2010年3月6日土曜日

上村一夫「すみれ白書」(1976)~上村一夫作品における味噌汁(9)~


 どうです、この笑顔。上村一夫(かみむらかずお)さんの「すみれ白書」(*1)の主人公で、タイトルにも冠されている“林すみれ”という二十歳の娘です。


 媚びず浮かれず、典雅で真っ直ぐな表情が僕たちの胸に飛び込んできます。この瞬間、すみれと相手とは“食事”の只中にありました。もっとも食卓における破顔や歓声は付きものです。微笑んでいる女性”が“食事”の場景に描き込まれることは至極自然な話で、取り立てて語るまでもない風景と言えます。


 だけど、ここまで順を追って読み進んでくれば、読み手の皮膚内へとじわり滲(にじ)んで迫るかのようなこの“笑顔”こそが上村世界ではたいへん奇異な現象であり、いかに非日常の光彩を放っているかが分かってしまう。


 「狂人関係」(*2)のお七と捨八、「離婚倶楽部」(*3)の夕子と真田に見られたように、“食事どき”の堅苦しさ、緊張や不自由さこそが上村さんの劇の基本でした。表情はどうにも冴えず、麻痺しているような、乾いたような面持ちになっていく。口元は横一文字に閉じられ、ごくごく浅いながらも眉根あたりに縦皺がぼんやり浮かんで見えてしまう、それが常でした。(*4)


 
 仏頂面から微笑みへ。すみれという娘に与えられた面貌(おもて)の変化は、目を留めてしばし対峙するに値する珍しいものなのです。どのような経緯でこの微笑みが生まれたのか、どんな“食事”をどんな相手と為したのかを見取る価値があります。(*5) 


 私生児として生まれ「家庭」を知らずにすみれは育ちました。母は精神を病んで長く入院もしています。デパートの店員としてたくましく働き、客や同僚といった外側へ向けての快活さが点描されていくのだけれど、その裏地には深く暗い、言いようのない色調の布が縫い付けられている、そんな風合のお話です。


 いくつもの大事な局面を経て自律の道へと至る展開なのですが、お話の真正面に山となって聳(そび)えていたのは津軽三味線奏者の高田松山(“しょうざん”と読むのかな──)との出逢いと別れでした。一方的に恋焦がれて付きまとう青年に誘われ、あまり気乗りしないまま演奏会に足を向けたすみれだったのだけれど、そこで松山のばち捌(さば)きにすっかり魅せられてしまいます。


 親と子供ほども年齢の違う初老の男の朴訥(ぼくとつ)で衒(てら)いのない空気にさっそく共振を開始した娘は、ある日の午後に夜汽車に飛び乗るや、一路雪深い北の地、松山の生まれ故郷の青森を目指すのでした。特にそれ以上に明確な行き先も目的も持たない感傷旅行に過ぎなかったのだけど、宿と決めた旅館の大浴場にて湯に当たって意識を失い、唸り倒れたそんな娘を見つけ快方したのが偶然にも同宿していた松山だったのです。


 「偶然すぎる偶然は 偶然じゃない 互いの心の糸がたぐり寄せられた 宿命なのかもしれない──」(*6)とおんなは信じ、男の胸に飛び込んでいきます。部屋にこもってそうして二人は果てのない魂の交感を続けていくことになります。つまり、おんなの面(おもて)に宿った微笑みはこの松山という男との邂逅の直後に発せられたものなのです。何がすみれをして“食事どき”に微笑ませたものか、“食”と“観念”の連携を例によって丹念に追ってみます。劇中に潜む“不自然”を探る作業でもそれはありますね。


 ゆらり浴場で記憶を途切らせて後、娘は自室に敷かれた布団のなかで目を覚まします。窓を開けると青い月が天空に浮かんでいます。面前に広がった湖にその光が落ちてきらきらと反射してとても美しい。どれくらい気を失っていたものか、あたりを静寂が真綿のように包み込んでいますから夜も相当に更けたに違いありません。


 湖面に突き出すように組まれた幅の狭い桟橋があり、その先にはこちらに背を向けてしゃがむ人の姿が見とめられます。目を凝らせば宿の仲居で、バケツに両の腕を差し込んでは熱心に何か洗っている。ザッザッザッと、大量のしじみを洗っていたのでした。迷惑をかけたのじゃなかったかとすみれが詫びますと、それは何のことか、宿の者は何も知らないと返します
。可笑しいのは、唐突に連なる次の言葉です。


仲居「この湖でとれるしじみはとても美味しいんですよ

    明日の朝はしじみのお味噌汁をお出ししますから…」(*6)


 実に“不自然”です。気絶した娘の身体を運んだのは誰なのかを順序立てて探っていく、確かにその筋道に沿ってはいるけれど、かなり強引に挿入された感が否めません。廊下での立ち話でも良かったし、様子を見に来た仲居とお茶でも飲みながら交わす言葉でも良かったのに、作者はざっと見て10メートル程も離れた場所に背を向ける仲居と娘に無理矢理に会話を強いています。“しじみ”の“お味噌汁”をどうあっても僕たち読者に想起させ、何事かを喚起させようとする企みがここにははっきりと読み取れます。


 その後再会をはたしたおんなと男は共に夜をまたいで朝を迎えるのでしたが、ふたりは仲居の運ぶ朝食の膳、昼食の膳を廊下に留め置き、一切の飲食をせぬまま続けざまに愛し合うのでした。どうやら前夜もお茶漬け程度しか口にしていないらしいのです。「堰がきれたよう」に、また、「飼育されつづけ」の「猛獣」になって互いを貪るふたりには、上村さんの“決めごと”である「情念の高潮や心境の錯綜が“食事”を遠ざけて、かぼそくする」という方程式がしっくりと絡み合っています。


 ふたつ身に隔てられていた魂が寄り添い、熱く溶解し、ひとつにじんじんと融合していく烈しい姿態の数々は、僕たちに「狂人関係」でのお七と捨八をたちまち思い返させます。たった三本の人参をモグモグカリと噛み砕いて咀嚼する時間を時折挿入しながら、いつまでも果てなく求め合った恋人たちの姿です。すみれと松山も夕飯どきから深夜、早朝、真昼を経て次の夕食時に至るまでの丸々一日を繰り返し抱擁して過ごしています。


 「すみれ白書」はここから「狂人関係」より分岐して、新たな様相を呈していくのです。不可思議な偶然の起点となった大浴場にて身体を清めるうちに、おんなの腹は空腹に耐えかねて大きな音をグ~ゴロゴロと立て始める。男の部屋に戻ったおんなの前に二人分の夕食が並びます。焼き魚をメインに煮物、漬け物、味噌汁にご飯も詳細に大きくコマに描かれて差し示される。このような“食事”の描写は上村さんのお話では極めて珍しい。ふたりはそれを実に美味しそうに、幸せに満ち満ちた風情で残らず食していくのでした。


 締め括りには急須からお茶を碗に注ぎ入れ、箸で摘んだ漬け物のひと切れで内側を丁寧にさらって、男はそれをすっかり飲み干してしまいます。老いて十分に仕上がった男の、米の一粒すら食べ散らさない繊細で堂々たる食べっぷりにおんなは感嘆し、じわり滲(にじ)んで来るような笑顔とまなざしを面(おもて)に湛えたのです。(*6)


 畳の上に大の字になって横臥するほどにも胃を充たしたおんなだったのですが、男に微笑み向ける瞳にはしっとりと愛が宿っていました。「情念の高潮や心境の錯綜が“食事”を遠ざけて、かぼそくする」、「かぼそき“食”が情念の高潮を惹き起こし、胸の奥の洞窟に潜むものを覚醒させていく」。この“決めごと”は瓦解して露と消えたものでしょうか。何だなんだ、屁理屈を並べてみても実際は雰囲気作りにすべてが過ぎない、いい加減で出鱈目なメロドラマじゃないか。人気漫画家のやっつけ仕事だったんじゃないの。そんな意見が出ても可笑しくない徹底した“食事”への転進でありました。



 上村さんの“決めごと”は原則的に変わらず「すみれ白書」でも適用なっていると僕は考えています。



 そこが“旅館”の一室であり、すみれの“住まう”都会でもなければ松山の“自宅”でもないこと。最初の情交のあとにふたりで為された会話を着火点として一気に燃焼が拡大していること。この二点と従来の“決めごと”を結び付けることにより、上村さんのドラマで為された次の歩みが見えてくる。創作世界の基軸となるふたつの力の対立がより一層浮き彫りになるのです。




松山「世帯をもつか……」

すみれ「え?」

松山「ふたりして世帯をもとうか……」

すみれ「世帯か……「家庭」よりいいかもしれないね」(*7)


 「家庭」的でない時空においてのみ、“食事”は「情念の高潮や心境の錯綜」と手を携えて新たな次元に踏み出すのだという上村さんの恋愛哲学が透けて見えます。「生活」の場を遠く離れたそのような場処においては“しじみのお味噌汁”も内観の鏡とならず、愛を祝福して一向に邪魔立てしようとしないのです。


 日々の“食事”や“生活”、“日常”といった事々のいかに大切で得難いものであるかを戦後の貧窮を通じて上村さんはひと一倍実感してもいた。一方で「情念の高潮や心境の錯綜が“食事”を遠ざけて、かぼそくする」、「かぼそき“食”が情念の高潮を惹き起こし、胸の奥の洞窟に潜むものを覚醒させていく」というアンビバレントな想いも明解なリズムとして内部に培われたことでしょう。


 そのような狭間にあって、いよいよ上村さんが至った結論が「すみれ白書」の“食事”であったのです。「家庭」という枠に翻弄され続けたすみれというおんなを突破口と為し、徹底して「家庭」を否定し「世帯」という曖昧な境界に佇むとき、ようやく初めて“食べる”場処に笑顔がぽっと灯る。上げ膳据え膳の旅館に逗留したという単純な理由ではなくって、もっともっと怖ろしい突き詰めたものがおんなの笑顔という形を借りて世界を覆い尽くそうとしています。上村さんの想い描く幸福の在り処、愛の景色というのは、極めて厳しい瀬戸際に立っているように思われますね。


 高度成長を遂げ、さらに飽食の時代を越え、バブル崩壊に大不況。社会の諸相は変転を重ねましたが、上村さんの佇んでいたあの瀬戸際はそんな時代を超えて今、この時を生きる僕たちにも時折見えてしまう断崖絶壁でしょう。そこに立ち、身動きできずに白い波を見下ろしている人というのは存外多いのではないのかな。そんな想像を廻らしながら、僕なりのあれこれを静かに思い返しているところです。


(*1):「すみれ白書」 上村一夫 1976-1977 初出は「漫画アクション」(双葉社)
(*2): http://miso-mythology.blogspot.com/2010/02/19733.html
(*3): http://miso-mythology.blogspot.com/2010/02/19744.html
(*4):もちろん内実は違います。「情念の高潮や心境の錯綜」するあまり整理が付かなくなり、混沌した状態に置かれているのです。折々の懐に歓びが内在するのか当惑が同居するのかはバラバラなれど、いずれの気持ちも活発に波飛沫(しぶき)をあげていました。そんな胸中の温度や照度はさておくにして、ただ外観上のみを追うならば、おんなであれ男であれ手放しの幸福に浸っているようには決して見えないのが上村さんの“食事どき”でありました。
(*5):先述の「春の雪」の恍惚は“食事”における“笑顔”と呼べるものかどうか、これは悩むところです。“すみれ”の笑顔の落ち着きと比べたら実に不安定な喘ぎの域であって、なんとも得体の知れない表現ですよね。心(しん)からの幸せという感じじゃないです。狂った“食(べもの)”がおんなの狂気を演出していた、あれは普通の笑顔じゃないと受け取っていいんでしょう。ほっぺが落ちそう、と瞬時に頬に寄せられた両の手のひらはどうもムンクの絵みたいだし(笑)上村先生の描くところの“食事”にしても“食(べもの)”にしても、すべからく心象風景の一部なのだと理解すべきでしょうから、脳味噌を喰っちゃったおんなのそれは“悲鳴”に近いと解釈していいのかな、なんちゃって。しばし反芻してみよう、締め切りがある訳でもないしね。
(*6): VOL.20 闇三味線
(*7): VOL.21 部屋の中