2010年9月23日木曜日

将口真明「マナをめぐる冒険」(2010)~2101年~


「もしもコストを度外視して、安全でよいものだけを集めると

いうのであれば、現在でもできます。試算ですが、お手元の

資料にもありますように、玄米一膳に五〇円、ブリの切り身に

二〇〇円、味噌汁の味噌に二〇円、里芋と大根の煮物一人前に

一三〇円をかければなんとか供給できます。」(*1)


 昨晩からずっと雨がしとしと降っています。雨自体は嫌いじゃありませんから、ベッドでごろごろしながら買い溜めていた単行本や雑誌をひも解いたり、見ないでいた映画などを眺めてゆったりと過ごしています。先程読み終えたのは三百頁ほどの小説。帯に“「食」は魂を救えるか?”とあり、その言い回しが気になって買い求めたものでした。

 2081年に始まり2101年に幕を閉じる“食”にまつわる冒険譚です。作者の将口真明(しょうぐちまさあき)さんより贈られる70年以上先の僕たちの未来がどのような波乱を含むものか、あまり詳細を説明してしまうとこれから読もうとする人の邪魔になるので止めておきますが、基本的には明るいものになっていますね。


 電子制御された快適この上ない交通手段が街を縦横無尽に貫き、立体映像を介して人と人との交流が各家庭のリビングで花咲いている。大きな地震が襲ったりするけれども、致死的な謎のウィルスで人類が絶滅するでもなく、戦争で新型爆弾が落とされるでもない。凶悪なロボットが叛乱を起こすこともありません。


 けれども、繁栄の影で日常に無制限に浸透してしまった電子ツールが子ども達や独身者を終日鎖に繋ぐこととなり、次第に身体をむしばんで奇妙な“免疫不全”へと追い込んでいくのです。死に至らしめるという最悪の現象が次々に発生して、政府も対応に悩みます。そうこうするうち、身近な人がひとりふたりと死んでいく。主人公の女性は“魂のエイズ”と称されるこの奇病の蔓延に抗うべく、パートナーのイタリア人シェフと組んで旧約聖書に描かれている“マナ”という神の恵みを探していくのでした。トム・クルーズが未来都市で殺人者の汚名を着せられて逃避行を演じる、そんな映画が以前にありましたけど、ちょっと雰囲気は似てますね。



 上に引いたのは劇中の会議で話される未来の食のコストです。食以外の価格がどうなっているのか、人々の収入の増減が一体どうなっているのか判然としませんので、ここに並んだ金額がどの程度“度外視”されて並んだものか僕には見当がつかない。 けれど70年後の世界で“味噌汁”が出現しているのは、くすぐったいような感じで読んでいて愉しかったですね。


 ちなみに椀一杯に使用される分量は15gから20gといったところでしょうから、「味噌汁の味噌に二〇円」というのは1kg換算で今の価格にして千円から千三百円ぐらいになりますね。うむ、確かに高いかも──。

 この表記以外にも“たまり醤油”が小皿に用意されますし、金目鯛やゴボウ、山芋は“醤油”をベースにして煮込まれて供されています。値段はさて置き、僕がこの世から跡形もなく消え去っているだろう70年後から90年後の世界で“味噌”と“醤油”が精神的な食べものとして多用されている、それは面白いし、この小説を読む人の誰もがそれを素直に受け止められるとするならば興味深い事実ではないかと感じるわけです。


 僕たちの深層に両者がどれだけ注がれ、どれだけ染め上げているのか、その事実がそれとなく裏打ちされていく。なかなかの予言書でありカルテであると思いました。


(*1): 「マナをめぐる冒険 魂を潤す究極のレシピ」 将口真明 講談社 2010 126頁

2010年9月21日火曜日

山本むつみ「ゲゲゲの女房」(2010)~ごちそうさまでした!~



 翌日の昼、布美枝は味噌汁を用意した。歓声をあげたアシスタント三人に、

いずみが笑顔でいった。

「姉がお昼はみなさんお弁当持参だけん、味噌汁くらい出そうかって」

 しかし、倉田は不意に笑顔を閉じた。そして食後に鍋や食器を下げに

布美枝の元へ来た。

「思い過ごしやったら、すまんのですけど。先生にもさっき仕送りのこと

聞かれたんで。もしボクに気ぃつこて味噌汁作ってくれてはるんやったら、

そんなん、もうええですから。生意気いうようですけど、人の好意に甘え

とった、あかん思てるんです」

 布美枝は首を横に振った。

「気に障ったのならすいません。けど、ちょっと違うんですよ。

私、うちの人のためにやっとるんです。今はアシスタントさんが三人も

おられて、私の出番はないでしょう。何かできることないかなあって考えて、

思いついたのが味噌汁なんです。倉田さんたちが健康で元気でがんばって

くれることが、何よりもうちの人の助けになりますから」
 
 倉田はじっと布美枝を見つめた。それから「ごちそうさまでした!」と、

頭を下げた。

 その数日後、うれしい知らせを豊川と船山が持ってきた。

「悪魔くん」のテレビ放送が決まったのだ。(*1)



 連続ドラマの「ゲゲゲの女房」が幕を降ろします。“生き甲斐”とまで書くと言い過ぎだろうけど、毎日たのしく拝見させてもらいました。


 昨年の今頃になるのですが、このドラマのモデルとなった実際の漫画製作現場に当時おられた方と縁あってお話しする機会に恵まれました。随分可笑しなエピソードを伺ったものでした。そんなことも重なって、個人的に当初から関心がたいへん高かったのです。現実とフィクションを混同してはいけないでしょうが、気軽に見ることは根本的に難しかった。


 独りの闘いがやがてふたりの闘いとなり、耐え切れずに他人を雇い入れてしまって転回を余儀なくされる、空気が変質する。僕たち受け手の目には決して見せないそんな“作り手たち”の苦労の数々を幻視するような得難い会話であったから、悪戯に懐旧するだけの中途半端な描写はきっと哀しいと思って警戒もしていました。自然と目線は厳しくなったと思うのですが、険しい感情は終ぞ起きることなく今日まで至っています。良かった、良かった。




 上の描写は少し前にあった“味噌汁”の情景です。実に象徴的で興味深い登用でしたね。

 家庭のなかに仕事場を持ち込むことで、境界線が失われて表裏(おもてうら)が判然としなくなる。日本のほとんどの会社が、そんな曖昧さを多かれ少なかれ抱いています。厳しさと受容の振り子が絶えず行きつ戻りつして、使う立場の者も使われる身も疲弊させることがしばしばです。“境界の食べもの”であり、「ゲゲゲの女房」においては貧富のバロメーターとして機能もしていた“味噌汁”が、ここに至って大量に作られ振舞われました。内なる結束を促し、気合いを入れていく。唐突ながらも筋のピンと通った“味噌汁”の使われ方はなかなか味わい深いものがありました。


 仕事であれ何であれ特効薬は見当たらない。ささやかな行ないではあるけれども、何もしないよりは良い──そんな地道な“やれる範囲の毎日”を無駄とは思わず、無意味と決め付けず、しかと重ねていくしかない。たかが“味噌汁”、されど“味噌汁”。実際のプロダクションでの慣習であったのか、それとも脚本家の山本むつみさんの創造なのかは分かりませんが、なかなか嬉しい味噌汁の起用でありました。「ごちそうさまでした!」(と、深く頭を下げる)



 書き留めておきたいことがもうひとつ。素晴らしい照明でしたね。スタッフの皆さんのクレジットをいちいち確認はしないでゆるりと過ごす毎日でしたが、時にハッとさせられるような“陽射し”が在りました。久慈和好さんとか竹内信博さん、といったお名前が検索すると出てきました。なんと鮮烈でさわやかな夏の光と影であったか! 生きた木立の影が色濃く人物に落ちて、とても屋内とは思えない光景が幾度もありました。職人技とはこういう一瞬を指すんですねえ。堪能しました。


(*1):「NHK連続テレビ小説 ゲゲゲの女房 下」 第18章 悪魔くん復活 121-122頁原案 武良布枝 脚本 山本むつみ ノベライズ 五十嵐佳子 発行 日本放送出版協会(NHK出版) 写真はNHKのホームページからお借りしました。

2010年9月18日土曜日

“主人公”

 ひとと話すのは楽しいものです。いや、苦痛を覚える会話も残念ながら中にはあって、機械のように応対マニュアルを読み上げる電話によるセールスなんかがその典型だけど、人生の機微や知恵に溢れたもの、よくよく見知った人との肝胆相照らす静かな空間は実に嬉しいものです。充実します。得難い宝石箱のような感じがします。

 先日、とある婦人と話していて、こんな事を言われました。


  さしあたりの車、さしあたりの家、さしあたりの暮らしをしていると、
  

  結局、“さしあたりの人生”になってしまうよ


 白い閃光を放って、胸にすとんと飛び込みました。う~ん、心臓に突き立ってずいぶんと痛い。同年輩や僕より若いひとから言われたら反撥するものも沸くところでしょうが、ふた回りも年数を重ねてきた彼女の言葉はとても重くて打ち返せない。う~ん。



 いや、実際のところ、とても笑ってなどおれない。
 

 本当に痛い


 そのような境地は婦人の内部から派生したものではなくって、よく知るご友人から彼女に告げられたもの──とのこと。詳細を書き連ねるのは控えるけれど、なるほど豪語されても仕方がない。日常を謳歌されていて言葉遊びに終わっていない。例えば足腰が弱ってきたからと蟄居することを潔(いさぎよ)しとせず、絶景を愛(め)で、清澄な大気に直に触れようと熱心に画策する。仲間を募ってヘリコプターをチャーターまでして、堂々と実現に導いていく。経済的な基盤が後押しするにしても、自らの人生のまさに“主人公”として登壇し続けている、その現役であろうとする気概がうかがえて、実際にお目にかかったわけでもないけれど、やたらと眩しい。 天空を高く飛ぶ鳥を仰ぎ見るような感じ。


 お茶をご馳走になりつつ、顔は笑顔を保つけれど、かなり身に応(こた)えた。


 今もぐるぐると言葉は渦巻いて、洗濯機にでもなった気分だ。

2010年9月17日金曜日

米林宏昌「借りぐらしのアリエッティ」(2010)~ビスケット~



 この年齢でそれはないよ、と恥らいつつ、時折、劇場に足を運んではのんびりと極彩色のマンガ映画を楽しんでいます。極端な絵空事にはもはや付いていけなくって、現実に深く拮抗しているものか、発達し続けるテクノロジーが社会や家庭をどう変えていくかをシミュレートする、そんな指先が届きそうな“近しい物語”に限られるのですけどね──。この夏は『借りぐらしのアリエッティ』(*1)と『カラフル』(*2)を観ました。(*3)

 いとけない少年少女のお話で、いずれも身近な日本の風景を舞台に選んでいます。あれこれ語るのは年輩者の役割ではないでしょうから、例によって話題を絞ります。『借りぐらしのアリエッティ』は古い西洋風の家屋の床下に小人の家族がこっそり住み着いていて、夜になると忍び出ては食品や雑貨を盗んでいく、そんな一種のおとぎ話、妖精譚です。

 原作はイギリスの児童文学らしく、Youtubeには海外でドラマ化されたものの一部が載せられていますね。上で“妖精”と書いたのは原作の持つイメージがきっとこの映像に近しいと思うからです。赤毛のちんちくりんな頭とずんぐりした体躯、甲高い声とバタバタした動きは人間ばなれして見える。コロボックル、座敷童(わらし)、キジムナー、そんな感じです。




 映画はそんな奇矯なキャラクターをきれいに捨て去って、寡黙で知的な家長を主軸と為して懸命に団結し、生き残りをかけて手堅い日常を送っている“人間たち”が描かれる。“人間”であれば出逢いもあり、胸の奥につかえて鈍痛を覚える悩みの思いがけぬ吐露だって起きてしまうものだし、密やかな感情の交錯もそっと生じていく流れ。

 重い病気をかかえた少年とそわそわして自立を模索する少女が出逢って、雲母のような薄く儚(はかな)い“きらめき”を反射していきます。大胆この上ない換骨奪胎の演出が面白かったですね。


 悪い意味ではなくって“可笑しさ”のひとつとして脳裏を駆け巡ったのは、彼ら床下の小人たちの“食生活”についてでした。階上のテーブルでは茶碗にごはんが盛られ、また、味噌汁椀も見受けられます。箸を使ってのささやかな食事が淡々と描かれている。

 そのような日本的な食事の“おこぼれ”にあずかっているはずの小人たちの栄養補給の仕方は、どう見ても頑固な洋食主体であって、その段差が僕には相当に意図的に見えたのです。彼らはビスケットを台所からくすねると、それを持ち帰っては苦労してゴツゴツと細かく砕き、ようやっと粉にしてから、どうやらそれをさらに加工してパンか何かに仕上げて主食とするらしい。どうしてまた、そんな回りくどいことを!

 海外の原作を採用したことの歪みにも見えますが、それだけでなくって、わたしたちを取り巻く日本食がにちゃにちゃと粘性が高く、扱いにくいという点もあるやもしれません。実際、日本語のなかの食感に関わる形容で、ベタつく感じを表現するものの数は世界でも稀な多さらしい。(*5)


 ごはん粒など拾おうものなら、カーマインの素敵なワンピースは澱粉でごわごわとなってしまうでしょう。床下の多湿な空間に濡れたものを持ち込みたくない、というのも理に適っている。思考の末に小人達はビスケットに狙いを定め、カサカサと袋をまさぐる階上の物音に耳をそばだてていくのでしょう。

  加えて、いや、実はこっちの方がたぶん本筋なんでしょうけど、納豆や味噌臭い風体で少女が徘徊しては百年の恋も覚めるということじゃあないか。恋情と和食文化とのすれ違いが、意図的にか偶然かは知りませんが二重三重に、けれど、実にさりげなく劇中に起こっているようで、僕は少し面白く思ったのでした。僕たちの胸奥に巣食ったこころの化身のようにアリエッティは見えるのです。



(*1):「借りぐらしのアリエッティ」 監督 米林宏昌 2010  原作はメアリー・ノートン「床下の小人たち」The Borrowers 
(*2):「カラフル」 監督 原恵一 2010 
こちらの映画では「丸大豆しょうゆ」の容器が幾度か目に飛び込んできます。家族の再生を描く物語の常套として台所脇の食卓が登場するのだけど、彼らの背後にある流しの上のちょっとしたスペースに「丸大豆しょうゆ」がふんぞり返って僕たちを睨んでいます。演出の意図は何か、各人各様に受け止めるしかありませんが、のびのびとした風景とはなっていませんね。“しょうゆ”というのはなかなかに重苦しいもので、現実世界の覚醒を後押しするような役回りが多いのですが、ここの“しょうゆ”もそんな負の気配を纏(まと)って見えます。

(*3):マンガという世界は、思えば瑣末な背景描写のいちいちにさえも取捨選択を迫られる、言わば無制限に“決断”を迫られる場であって、作り手の意識や認識がべろりとさらけ出されてしまう仕組みです。カメラでもって現実の空間を掠(かす)め取る、いわゆる通常の映画と比べて随分と“批評的”に成らざるを得ない。(*4)

現在作られているマンガ映画であるならば、それは間違いなくこの時代を僕たちと共に生きている人間の、リアルこの上ない個人的な“世界観”がスクリーンにつぶさに塗布されていくわけで、観客の抱える“世界観”と衝突したり交合(まぐ)わったり、実は相当に激しい時間になっていく。もしも嘲り笑われるとしたら、その対象は表現手段にとどまらず、いきなり作り手の観察眼や見識といった真髄、真価に向けられる。逃げの利かない勝負を迫られているように見えますね。そんな独特の緊迫感が僕を捉えている、そんなところはアリマスね。

(*4):劇画出身の石井隆さんのように全方位的に目線がゆきとどいて統一した世界観を構築できる実写の監督さんもおられるけれど、そういう人はごくごく稀であるように思われます。

(*5):最終的に445語から成るテクスチャー用語リストを得ました。(中略)日本語のテクスチャー表現の最大の特徴は、数が多いことです。海外の同じような研究例では、英語で77語、フランス語で227語、中国語で144語、ドイツ語で105語となっています。これらの研究は、それぞれ調査の時期や方法が異なるので、単純に比較することはできませんが、それにしても、日本語に食感表現が多いということは間違いなさそうです。(中略)日本語のテクスチャー表現には粘りの表現が多くみられます。「にちゃにちゃ」、「ねばねば」、「ねっとり」等、「に」や「ね」で始まる粘りの表現、「ぶるん」、「ぷりぷり」、「ぷるぷる」等、「ぶ」「ぷ」で始まる弾力の表現、また、ぬめりを表現する「つるつる」、「ぬるぬる」等、が多くみられました。これらは他の言語ではあまり数多くみられません。ここには、日本で食べられている食材や、日本人のテクスチャー嗜好が背景にあるのではないかと推測されます。古来、日本人は、もちなど粘りのある食品を好んで食べてきました。納豆、里芋、こんにゃく等、粘り、ぬめり、弾力が特徴の食品も日本人の食卓には数多くあります。

早川文代 (独)農研機構 食品総合研究所 食品機能研究領域 主任研究員 博士(学術) 「日本語のテクスチャー表現から見えてくること」 東洋クリエート株式会社発行「創造 №36」平成22年8月1日発行

2010年9月12日日曜日

“再生力”


 
  自分の“限界”を破るというか、なにか凄く──
 
  なにかが“破壊”されると

 “再生力”ってもの凄いものじゃないですか──


  佐藤寛子-メタモルフォーゼ
  -映画「ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う」より

晩夏

 若くして逝った家族を供養するものとして、僕の住まう地方には神社へ“絵馬”を奉納する慣習があります。


 いや、慣習と呼べるほど根付いてはいないのだけど、そういった切実なこころを受け止める装置と成っている社(やしろ)が幾つか点在している。昨日訪れたところはその代表格のような場処でした。車一台がやっと通れる細い道を辿った先の、山ふところに抱かれて小さな堂が佇んでいます。


 黄泉の世界で佳き人とめぐり逢って祝言をあげ、子宝にも恵まれることを遺された家族が祈ります。そのイメージを板絵にしたり紙に描いて寺社の天井や壁に掲げていく。ひとつひとつを眺めていくと、此岸(しがん)と彼岸という境界を越えたささやかな日常や苦闘が透けて見える。共棲した短かった時間、こころの往来が伝わってくるようです。厳かでありながら微笑ましい空間が在ります。


 お社を独り守っている老婦人にご挨拶し、小雨を避けた軒下にて少しの間だけですが立ち話をさせてもらいました。濡れて濃くなった緑の中に、水子供養の地蔵が巻いた赤い前掛けだけが鮮やかに目を射るように浮かんでいます。穏やかな夕刻で嬉しい時間になりました。

 
 寺院であるならば“坊守(ぼうもり)”にあたる方なわけですが、正式には何とお呼びするか分かりません。気さくでおられながらも長い歳月をひとつの事に奉じてこられただけあって、凛とした気配を秘めておられる。どういう訳でこうなったか分からないが、与えられた宿命(さだめ)なのであろう。ここに来て数年で夫を亡くし、ずっと独りでこうしてここを守っている。こんな事は“おんな”であったら出来はしない、気違いか何かでなければ続けられないよ──。


 お堂よりも遙かに高く育って花を幾らかまだ残す百日紅(さるすべり)、正式な名前は知らぬまま自分なりに“昇り露草”と名付けて丹念に植え替え一群と為して今は紫色に広く美しく染まった花壇を話題とし、また、雪の季節の苦労などを尋ねてみたり──。雨の匂いを肺腑に充たしながら静かに過ごしました。ああ、あまり自分のことを話し過ぎてしまいましたね、と微笑む婦人の、けれどまばたきせずに僕を見つめる瞳にも日常のささやかさと苦闘が宿っているように見えて、僕なりに強く反響するものがありました。



 謝して敷石を踏みながら参道をゆっくりと戻りました。紫陽花の葉や苔土の上を僕の大きな影に驚き避けてぴょんぴょん跳ねていく小さな小さな雨蛙たちを見ながら、婦人の言葉を反芻しました。ほんの少しの勇気をもらったように感じました。



 下に並べたのは最近観た映画です。備忘録を兼ねて貼ってみました。

 季節は夏から秋へ── これを読む誰もがお元気で、素敵な時間を重ねられますように。

 ささやかな日常を共に越えていきましょう。












Il papà di Giovanna
Molière
Bright Star
BROTHERS
Synecdoche,New York

2010年9月10日金曜日

“この私はなんだ?”



肉体がその力の頂点に達して衰え始める中年期の問題は、

自己を、衰えかけている肉体と同一視するのでなく、

意識と同一視することです。肉体はその意識を運ぶ道具に

過ぎないのですから。私は神話からそういうことを学びました。



この私はなんだ?私は光を運ぶ電球なのか、それとも、

電球を単なる道具として使っている光そのものか。(*1)



(*1):「神話の力」THE POWER OF MYTH ジョーゼフ・キャンベル&ビル・モイヤーズ共著 飛田茂雄訳 1992 早川書房 手元にあるのはハヤカワ文庫版