2011年2月10日木曜日

与謝蕪村「新五子稿」(1770)~秘めた願いがあるのか~



味噌汁を食わぬ女の夏着哉   (*1)


「身近な存在で私たちの食生活に欠かせない“みそ”の、再認識のために」編まれた一冊の本(*1)があります。六百頁近くある労作です。その中に「みそを詠んだ俳句・川柳・狂歌」という章がありましたので、先日つらつらと眺めていました。


たとえば正岡子規(まさおかしき)さんの「八重桜咲きけり芋に蜆汁」とか小林一茶(こばやししっさ)さんの「汁鍋にむしり込んだり菊の花」といった句が整然と並んでいます。生活や四季折々の風景をスケッチして爽やかなのだけど、ここで僕が掘り下げている平野とはちょっと違う訳です。



桜や菊の花に代わって恋情や親愛を傾ける対象があり、その横に置かれる一瞬だってきっとあるはずで、その刹那に生じるだろう化学変化を想像しては愉しんでいる。ずいぶんと蒐集出来たものだと感心するものの、手を叩いて身を乗り出すまでには至らない。


ただひとつ、どうにも
曖昧なものが目に留まり、それが上に掲げた与謝蕪村(よさぶそん)さんの句なのでした。“味噌汁”に対置しているのが実に“女”ではありませんか。たちどころに僕の琴線に触れて来て、血が逆流を始めます。でも、これは一体全体どんなものでしょう、いまひとつ蕪村さんの想いが透き通ってきません。


季節は夏の盛り、なのでしょうか、強い陽射しに全世界が発光しています。炎暑を避けて出歩くひともほとんどなく、真綿のような静寂があたりを包み込んでいるのでした。アントニオーニの映画でこんな場面を見たことがある、そう男は思うのです。風が時おり駆け抜けていき、街路樹の緑の葉をさわさわと鳴らしていく。歩道に面した喫茶店のテラスに木陰がやわらかく落ちて、そこだけ雨に濡れたような落ち着きを生んでいる。


他に客はいません。たった一組の男女が世界から隔絶されてテーブルに向き合っているだけです。日焼けて赤らんだ男の腕や太い首筋に、汗の粒が生まれ並んでいく。おんなの纏(まと)う優しいフレアラインのワンピースには部分的に透け感があって、V開きから覗く素肌はそっと乾いて涼しげに見えるのでした。どうして男と女では汗腺の配置がこうも違うのだろう。ハンカチで押さえるようにして額の汗を拭いながら、男はしげしげと相手の様子を窺っているのでした。


だいじょうぶ、ブソンさん、ずいぶんとつらそうじゃない。瞳がサングラス越しに薄っすらと笑っています。カフェラテのカップを細い指先でつまむとふわり口元に持っていく様子は口惜しいかな実に優雅で、ただただ美しく、広がる街のまばゆさを背に受けもして、もはやこの世のものとは思えない。ありのままの今がとっても嬉しい、愛しい。味噌汁を食わぬ女の夏着哉。



馬っ鹿じゃないの、何が“ブソン”よ、どっかで頭でも打ったんじゃない。


情景ににじり寄れないもどかしさをこのまま放置するのは精神衛生上きっと良くありませんから、思い切って図書館に足を運びました。何か糸口がつかめるかもしれない。地下の書庫から出して来てもらったのは蕪村さんの全句集で、生涯を通じて産み落とされた2,870以上の句を総覧するものでした。(*2)


ようやく合点がいったのです。最初に先ず、上に紹介した句自体に間違いがあったのが判りました。蕪村さんの句は正しくは──


味噌汁を喰(くわ)ぬ娘の夏書(げがき)哉


というのが本当。“夏書”は「げがき」と読むのだそうです。そのような言葉を知る人はほとんでいないので、味噌の句や歌を懸命に探した編集者さんか、請け負った印刷所がつい“夏書(げがき)”を“夏着(なつぎ)”と写し違えたわけね。同時に“娘”が“女”に変化しているのが面妖でなんとも艶っぽいのですが、まあ、いろいろあるのでしょう。


なんだよ、それ。いや、きっと僕みたいな阿呆が暴想したんだよ。武士の情けで見逃してあげなよ。──全句集より添えられていた解説を書き写します。


〈夏書(げがき)・夏百日(げひゃくにち)〉

通常四月十六日から九十日間、僧侶が寺院に籠もって、座禅・読経などの

修行する夏安居のこと。その期間に写経するのを夏書という。在家の人も

これに習って行に入ることもある。

秘めた願いがあるのか、若い娘が味噌汁も断って一途に写経に打ち込む気高い姿。

味噌汁の生活臭と夏書の落差が眼目。落日庵269(新選・新五子稿)明和七年か



これはこれで素敵ではないですか。少女のこころに宿るのは何か分かりませんが、蕪村さんが眼を留めたぐらいですから余程真剣な面持ちだったのでしょう。そんな魂の突出した空間に味噌汁が絡んでくるなんて、嬉しく愉しい話です。明和七年頃と書かれていますから、享保元年(1716年)生まれの蕪村さんは54歳あたりですね。写経にいそしむ娘に対して、温かで丸みを帯びたまなざしが感じ取れます。


断食して、というのではないのですが、贅沢や好物を断ち切って御仏にすがらねばならない深い事情があったのです。ここでの味噌汁はですから、「日常」の代名詞であり、「安息」の代名詞となっているのであって、句のなかで姿を消失はしているけれど揺るがぬ存在感を湛え続けて独特の空隙を世界に穿っている。見事なバイプレーヤーとなって少女の静かな孤闘を支えています。




願うだけで叶うことはそう多くはありません。昔日に暮らした人たちだって、内心どこまで本気だったものか分からない。それでも人は、懸命に、心をこめて日々祈りを重ねていくのですね。


これを読むひとの健康と、人生の充実をこころから祈ります。

怪我のないように、大病などを決して背負わぬように。



(*1):「みそ文化誌」 2001
(*2):「蕪村全句集」 藤田真一 清登典子編 おうふう 2000 215頁
解説にあったように書かれた時期は正確には分からないようです。ここではとりあえず明和七年の句として表題に掲げておきます。45歳ころに結婚されて娘を得たとも言いますから、もしかしたら実の娘さんをスケッチしたものかもしれないですね。
最上段の写真は、L'ECLISSE  監督ミケランジェロ・アントニオーニ 1962

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