2011年2月17日木曜日

Gravy~何もかもが、その一分一秒にいたるまでが~


No other word will do. For that's what it was.Gravy.

Gravy, these past ten years.

Alive, sober, working, loving, and

being loved by a good woman. Eleven years

ago he was told he had six months to live

at the rate he was going. And he was going

nowhere but down. So he changed his ways

somehow. He quit drinking! And the rest?

After that it was all gravy, every minute

of it, up to and including when he was told about,

well, some things that were breaking down and

building up inside his head. "Don't weep for me,"

he said to his friends. "I'm a lucky man.

I've had ten years longer than I or anyone

expected. Pure Gravy. And don't forget it."(*1)


友人に薦められて以来(眠りに就くまでのほんのわずかな時間ではあるのだけれど、)読み進めている村上春樹さん訳のレイモンド・カーヴァー作品群。その中に「GRAVY」という題名の詩を見つけました。


訳者の解説にもありますが、この“GRAVY”というのは「肉を煮焼きするときに出る汁」のことです。「多くは漉して塩・胡椒で調味し、小麦粉や澱粉で濃度をつけて肉料理のソースとして用いる」ものなのだけど、これが本来の“美味い汁”から転じて怪しげな気配を発する「甘い汁」になり、「あぶく銭」「思いがけない利得物」を表わす隠語になりました。


口腔に渦巻くように広がっていく旨味や甘味。肉だの香辛料だのといったちりちりの砕片が丸みを帯びて感じ取れる油脂の隙間から不意を衝いて跳び出し、口蓋をれろれろ撫で回し、舌を弄(もてあそ)び、唇を赤く火照らせ、いつしか随喜の涙まで溢れて視界がおぼろに曇っていく。複雑に絡み合う味覚と嗅覚の饗宴は原初的な喜びへとイメージを連ねてしまい、このGravy、「欧米では“快楽”の象徴」という大それた役目さえ担っている。強烈で奥深い単語ですね。(*2)


アルコールに深く依存し、家族を破壊と離散へ追い込んでしまった長く苦しく時期を、そう遠くない過去にカーヴァーさんは抱え込んでいます。辛くもその地獄から脱却して、最大の理解者にしてまがいなき同伴者たるテス・ギャラガーというひとりの女性と出会い、まさに生まれ変わるようになって、穏やかで、けれど精力的な時間を共に過ごしていく。彼の軌跡を追うようにして
全集を読み進めてきた僕の中にも、なんとなく一皮剥けた感じが宿っています。


大病を抱えて死を意識することが多くなった晩年に書かれ、終には墓碑銘ともなったこの“GRAVY”には、そんな彼個人の人生観、世界観が示されると同時に僕たちに向けても烈しく照射されるものがあります。日ごろ漫然と凝視めるだけの身近な風景を明るく鮮やかに活き返らせる力を含んでいる。そのように読みました。


人生は“GRAVY(肉汁)”だよな、と心でつぶやくだけで、世界は(もしかしたらそれは汚れていても、崩れていても、錯綜していても)ふっと明度を上げていくのです。そうだよ素敵だろ、奇蹟の連続だろ、生きているって良いだろ、これからもきっと楽しいぜ、と微笑んで肩を叩いてくれる。


「人生は“味噌汁”だ」と言われたって、なかなかそこまで気持ちは和まない。計算され尽くした和食の世界観はごった煮の寛容、清濁合わせ呑む余裕を秘めていない。受け皿がとっても小さくって、笑顔を返してくれそうにないなあ。悔しいけど、それは正直な実感だよ。


実は先日、二十数年ぶりにスノーモービルにまたがり雪野を走りました。勘を取り戻すまでちょっと時間がかかりましたが、冷気を貫き、瘤に跳び、思い切り煙をたなびかせて白い地平を切り拓いていく感じは嬉しく有り難いものがありました。 無駄以外のなんでもないけど、でも、こころから笑える瞬間。


確かに人生は苦味も塩味も当然に含んだ“GRAVY(肉汁)”だなあ。
多層なこころは整頓ならぬそのままに、けれど萎縮することなく、活発に、様ざまに彩られても一向に構わない、ごった煮であっても善いんだ。 そんな風に、自分自身に言い聞かせているところです。



考えてみれば、これ以上に相応しい言葉はどこにもない。この

十年の歳月、それはまさにGRAVYそのものだった。

生きていて、しらふで、働いて、愛して、そして

素敵な女に愛されること。十一年

前に彼はこう言われた。この調子で進んだら

せいぜいあと半年の命ですよと。進む先には

破滅あるのみ。それで彼はなんとか

生き方を変えた。酒を断ったのだ!そしてどうなったか?

そのあとは何もかもが、その一分一秒にいたるまでが、GRAVY

だった。彼のからだのどこかがまずくなって、頭の中に何かが

生じていると告げられたその瞬間をも、そう、それも

含めてだ。「僕のために泣いたりしないでくれよ」

と彼は友人たちに言った。「僕は幸運な男だ。

まわりのみんなが、あるいは自分が予想してたよりも十年も長く

生きたんだもの。実にGRAVYじゃないか。そのこと、覚えておいてくれよな」(*3)




(*1): Gravy  Raymond Carver 引用は下記の頁より
http://agenbiteofinwit.com/gravy.html
(*2): http://dic.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=GRAVY
(*3): 「THE COMPLETE WORKS OF RAYMOND CARVER 6 象/滝への新しい小路」 レイモンド・カーヴァー 村上春樹訳 中央公論新社 1994
GRAVY は1989年の「滝への新しい小路」A New Path To The Waterfallに所収されたもの。直接味噌とは交錯しないので、目次には載せません。

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