2011年7月27日水曜日

斎藤澪「この子の七つのお祝いに」(1982)~よく見るとそれは~


でも、私がいくら詫びても、説明しても、真弓の心は

もとには戻りませんでした。まったく口をきかず、蒲団に

潜ったままなのです。私が新聞を読んでいる。部屋がひっそり

静まっている。寝ているのかなと思って、そっとうかがうと、

蒲団の端から二つの目がじっとこっちを睨んでいる。

その目の冷たさ。不気味さ。

 その頃からです、真弓の異常さを知ったのは。

真夜中に、ふっと目が覚めると、枕元に真弓が坐っている。

味噌汁を作ろうと甕(かめ)の蓋(ふた)を取ったら、

白いカビが生えている。しかしよく見るとそれはカビでなく、

縫い針なんです。気をつけて周囲を見まわしたところ、大根

にも豆腐にも、無数の針が刺してある。こんなこともありま

した。私が可愛がっていた犬が、ある日消えていました。

餌入れをみると、猫いらずが湿った残飯が入っていました。(*1)


 いとしい男がこころ離れしていく、気持ちはもう此処にはないのだ。横顔を見やりながら、おんなが徐々に狂っていきます。やがて病床からずるり這い出していき、周辺のありとあらゆるモノを変質させることに残った力を注いでいく。


 斎藤澪(さいとうみお)さんの「この子の七つのお祝いに」の終盤に描かれた光景です。中でも秀抜なのは、ぬめぬめと銀に光る縫い針を、取り置いていた“食べもの”に突き刺すくだりでした。ひゃあ、これは怖い。


 縫い針であれ釘(くぎ)であれ、細くとがったものを人形や写真のなかの人物に突き立てる行為は作劇における常套手段になっていて、もう誰ひとり驚かない訳ですが、斎藤さんのこの“食べもの突き刺し”描写は意表をまったく突いてきて心底慄然といたしました。


 映画(*2)では、この真弓というおんなを岸田今日子さんが演じていましたね。背をまるめて座卓に向かい、呪詛の文句をもわもわと小声で放ちながら、大根の生白い腹めがけて針をぶち、ぶち、ぶちりと刺し続ける岸田さんの様子は恐怖を超えて思わず笑ってしまう域に達しており、観ていてとても楽しかったのでしたが、こちらの原作は到底笑えない、真に迫った怖さとそこはかとない哀しみが霧のように重く漂って、追い払いたくともねばねば纏わり付いて消えてくれない感じです。凄まじい一瞬でしたね。


 むしゃくしゃした気分を打破するために、僕たちは集中して何事かにのめり込むことが往往にしてあります。歌ったり、身体を鍛えたり、車で走ったり、旅行したり、愛し合ったり──それはとても自然なことだし、人間らしい花火みたいな一瞬だと思うのです。コップや携帯電話といった物に八つ当たりしたり、酒に呑まれたり、そんな事したくないのに恋人を邪けんに扱ったりするのだって、やや暴発気味ですが生きた花火の時間に違いない。


 映画での岸田さんには大根や豆腐を男の代用品として捉えている気配が濃厚で、ぶすりぶすりと刺す行為でもって鬱積を晴らして見えました。どれだけ目を剥こうが、どれだけ陰惨な言葉を吐こうが、どこか健常者の面持ちを含んでいたのです。蒼白く、細く流れる花火を間近で観るようで、ああ、人間だったらそんな気分にもなるだろうな、と共振する余地がまだあったのです。ところが齋藤さんの書いたものは全く違う、安っぽい同情を拒絶している。


 幼い娘を亡くしたばかりで、火の消えたようになった一間限りの安アパートです。病弱のおんなのために簡単な食事を作ってやっていたに違いない男が、再び味噌汁を食べてもらおうと思い立ち、流しの下にでも置かれていた小さな甕(かめ)を覗いた末に奇妙な光景を見止めてしまう。


 カビかと思えば無数の針がてらてら反射し、まるで味噌の表面に菌糸が蠢いて見える。これはもう花火とか鬱憤晴らしだとか、そんな呑気な事を言っていられる次元ではない。その時の男の驚きやおののきはいか程であったものか。想像すると、指先から肩や胸へとたちまち鳥肌が立って胸が悪くなる感じです。


 傍らにはこんもりと盛り上がった蒲団があり、おんなが息をころして男の動静をうかがっている。男の依代(よりしろ)として“食べもの”を選び、当り散らしたのではなかったのです。男に針を千本喰わせ、自らも針を千本呑んですべてを崩し去ろうとおんなは決めている。家庭や家族の幸福の代弁者となる味噌を破壊し、これまでの航跡を破壊し、男とのなれそめも必死の逃避行も、充実した懐胎と温かい乳児の匂いと、笑顔やささやきや抱擁や、あの頃の暖色に霞んで見えた未来も何もかも、宇宙のすべての一切合切を灰燼(かいじん)に帰す覚悟におんなは至ったということなのでしょうね。


 映画を楽しめた人には、機会を見つけて齋藤さんの文章をさらりと一読されることをお薦めします。岸田さんだけでなく、岩下志麻さん、杉浦直樹さん他の熱演をさらに補強し、群れ集う孤高の魂たちをおごそかな昇天へと導いてくれます。





(*1):「この子の七つのお祝いに」 斎藤澪 1982 角川書店 カドカワノベルズ
(*2):「この子の七つのお祝いに」 監督 増村保造 1982

0 件のコメント:

コメントを投稿