2011年7月21日木曜日

和田竜「醤油 北条氏康に無茶苦茶怒られる」(2011)~そんな予測もできないで~



 しょっぱいものが大好きで、何でもかんでも醤油をぶっかけては

口に入れるので、一緒に食事をしている人を唖然とさせることも

しばしばである。(中略)従って、刺身を食い終えた後も、醤油は

皿の上にたっぷりと残っている。

「リョウ。昔の侍はな、食べ終わると同時に醤油もなくなるように

考えて注いだもんだ。そんな予測もできないでどうすんだ、お前」

 そんな僕の食癖に怒った父は、こういうイイ話をして、小学生の

僕を叱ったことがある。(*1)


 上に引いたのは和田竜(わだりょう)さんのエッセイの一部です。五ヶ月ほど前の新聞に載っていました。我が子の食卓での所作に目くじらを立てる、頑固っぽい父親が登場しています。小皿に注がれるわずかの醤油が気になって気になって仕方ないのです。同様の風景をどこかで目にした覚えがあるのですが──、そうだ、亡き父親を述懐する向田邦子(むこうだくにこ)さんの文章にもこれとそっくりの場面がありました。


 子供のころ、小皿に醤油を残すとひどく叱られた。

 叱言(こごと)を言うのはたいてい父であったから、父と一緒の食事で

醤油を注ぐときは、子供心にも緊張した。(中略)

「お前は自分の食べる刺し身の分量もわからないのか。そんなにたくさん

醤油をつけて食べるのか」

 早速に父の叱言がとんでくるのである。(中略)

 豊かではなかったが、暮しに事欠く貧しさではなかった。昔の人は

物を大切にしたのであろう。今でも私は客が小皿に残した醤油を捨てる

とき、胸の奥で少し痛むものがある。(*2)


 1969(昭和44)年生まれの和田さんのお父様と、向田さんの厳父とでは世代がまるで違います。育った環境も世相も当然異なっているのですが、顎のしっかりした面貌やらんらんと光って怖い眼(まなこ)が両者共に想像されて、僕にはまるで生き写しみたいに感じられるのです。


 和田さんの見立てによれば、お父様は戦国武将“北条氏康”の逸話に影響を受けていた気配なのだけど、同じことが向田さん側にも起こっていたかどうかは全くもって分からない。(*3) もしかしたら教科書のたぐいに長らく紹介されていて、ある年齢以上の人には耳にタコが出来るぐらい聞かされた説話なのかもしれない。調べれば調べられなくもないけど、正直言えばあまり触手が動かないですね、探る気力はありません。


 追跡不能の領域として謎は謎として残し、手をつけずにそっと箱に小田原北条氏は仕舞うこととして、けれど、およそ三十二年という長い歳月を越えて和田さん、向田さんお二人の“父親の記憶”が輪郭をするり重ねていく現象はとても興味深いことであり、気ままな想いをふわふわと馳せてしまう訳なのです。


 醤油の価格はピンきりです。1リットル換算で500円を越える、そんな高級品を使っている家庭は少ないでしょう。仮にそんな値段の品を使っていたとして、山葵(わさび)や脂(あぶら)にうすく濁って小皿に取り残されるのは多くて20ミリリットルでしょうから、やがて流しに捨てられる宿命の醤油はどんなに高く見積もっても、せいぜい10円程度にしかならない計算です。世の中には桁外れの吝嗇家もいてヒステリックに叫びまくる場面も確かにあるのでしょうが、ここでは単に金銭のことではない、もう少し別の湿った想いが宿っている。


 むらさきの液面の奥に潜んでいる仕事人の苦労──土を耕し、種をまき、雨に濡れ風に吹かれしながら、夏にはぎらぎらした直射日光に肌を焼きつつ穀物を育て上げ、重たい思いをして醸造家にようやっと手渡した後には、今度は蒸気や熱水と闘う汗と涙の仕込み現場に委ねられ、別の者が手塩をかけて醤油作りに励んでいく。一次産業であれ二次産業であれ、ものを創るという行為の蔭には想像を絶する対流や淀みがある。たくさんの人手と時間が費やされていく。


 そんな苦労の堆積を透かし見れずに、茫茫と背丈だけは育っていく子供の将来にいたたまれなくなり、彼らの“想像力の欠如”を補うべくしてついつい口が滑るのでしょう。眉寄せて浪費を叱っているのではない、いずれの日にか我が子が“食べ切ることの美しさ”、“始末のすがすがしさ”を体得してくれることを願っている。


 醤油の使い方をきっかけと為して人生や仕事への洞察力に磨きを掛けていく、その親から子への“直伝の時空間”がとても好ましく目に映ります。その役割がしっくりと男側、父親たちに結像していくのも大変興味引かれるところ。味噌(汁)に母性を思い、醤油に父性を覚える、そんなイメージの住み分けがあって面白いですね。


 紙面から切り取り、手元にずっと保管しながらも取り上げずに来たのは、もちろん大震災のためです。向き合うにはやや風情が硬く窮屈だった。それに、僕の惹かれて止まない艶やかな領域、つまりは恋慕や性愛、霊肉の一致する段階と食物との関わり方とはやや乖離したものにも思えて、どうにも弾みがつかなかった、萎えてしまった。


 ところがここに来て事情が変わりました。“節電の夏”の到来です。ご承知の通り、大口需要家の皆さんの創意工夫により計画停電の実施はこれまでありませんが、家庭に職場に節電に努め、僕たちもまたこの特別な夏に立ち向かっています。そこでふと和田さんのエッセイが思い返された次第なのです。


 余分なものを溝(どぶ)に捨てることのないよう“予測”をしながら物を選び、電気を上手に使い、身の丈に応じた暮らしをする。“昔の侍”のように“美しく使い切る”、そんな暮らしぶりを僕たち3.11以降の列島居住者は求められている。


 「繁栄」という言葉には、無駄や不明瞭さを帯びる「繁雑」にどこか通底する感じがあります。得体の知れぬぐにゃぐにゃの尾ひれが付き纏っていく。そのようなわけの判らないものでなく、努めてシンプルに、所作ひとつひとつに“美しさ”を宿しながら、この不安な時期を乗り越えていけたらいいと願います。

 花を愛で、着実に学び、そうして堅実にこの夏を暮していきたいものです。


(*1):和田竜 「醤油 北条氏康に無茶苦茶怒られる」 朝日新聞 2011年2月19日 持ち回り連載「作家の口福」欄に寄稿されたもの 
(*2):向田邦子 「残った醤油」 初出は「新潟日報」1979 エッセイ集「夜中の薔薇」(講談社1981)所載 僕の手元にあるのは後年出された文庫版 上記画像も
(*3):和田さんのエッセイでは、北条家の食事で問題視されたのはご飯にかけられた“汁”の量であったと紹介されています。家督を譲り隠居の身となった氏康が息子の氏政と食事をしていたところ、汁がけを二度所望した様子を見て目先が利かぬ男と判断、北条家の行く末を深く案じた、という内容です。“汁”と醤油ではずいぶん趣きが違うが、この話をかつてインプットされたお父様が和田さんの癖を正すために引き合いに出したのらしい。蛇足ついでに書けば、この北条家の逸話に関しては本によって細部がまちまちであり、たとえば青木重數(あおきしげかず)さんの著した「北条氏康」(新人物往来社 1994)においては“汁”ですらなく湯漬け用の“湯”となっています。いずれにしても“昔の侍”が醤油の使い方で揉めて場が騒然となった訳ではないみたい。なんだか拍子抜けだなあ。安堵と物足りなさが交ざった気持ちです。

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