2011年7月26日火曜日

吉村龍一「焰火(ほむらび)」(抄録)(2011)~かさぶたのように~



枝を拾って火をおこす。鉄鍋に湯を沸かし、ぶつ切りにし

た身欠き鰊と、ささがきにしたウドをほうりこんだ。湯だっ

てきたよころで味噌を溶いた。

「たんと食え」

椀に山盛りだ。一口啜ったおれはうなってしまった。鰊の

ダシが味噌となじんでいる。どっしりと腹わたに沁みる。(*5)


 カナカナと哀しく唄う蜩(ひぐらし)の合唱に続き、盛夏の訪れに狂喜するかのような油蝉が鳴き出しました。事故の影響で何百万、何千万、いや、もしかしたら何億もの蝉の幼虫が暗い地中で息絶えたのではないか、目がただれ、身体を焼かれし、きゅうきゅうと悲鳴をあげながら苦しんでいたのではなかろうか、と怖い想像をしておりましたので、いつにも増してこころに迫る声となって聞えます。生きていてくれて、ほんとうに有り難うね。



 さて、上に引いたのは、吉村龍一(よしむらりゅういち)さんの小説「焰火(ほむらび)」からの一節です。第6回「小説現代」長編新人賞の受賞作として、同誌8月号に断片のみになりますが掲載されています。以下、幾らか内容に触れますのでご用心。年末には単行本化されるとの話です。一気呵成に物語に身を投じたい人は、それまでひたすら耳をふさいでお待ちください。


 集落から代々疎外されてきた家筋(獣を狩り、皮と肉をさばく家系)に育った若者が、村の男たちからの悪辣な私刑に反撃して死闘を繰りひろげます。ぞっとする描写の連続なのですが、つよく惹き付けられる瞬発力、豊かな“しなり”のようなものに溢れていてとても面白く読みました。


 その後、旅の途中の親切な船人にからくも救われ、若者はまさに九死に一生を得るのですが、ひと息ついてから振る舞われた食事が上のような“味噌鍋”だったのです。干し魚と山菜の具体名が素朴な味わいや匂い、質感をありありと夢想させ、そこに“なじんだ”味噌の厚みのある香りが加わって鼻先に立ちあがる。適確で無駄のない描写となっていました。


 若者にとって味噌はご馳走であり、それを口にするのは歓喜の瞬間だとわかります。選考委員のお一人の言葉によれば、時代設定は昭和初期とのことであり、その頃の味噌の存在感が再現されているだけでも紹介に値すると思われたのですが、僕にとってもっと驚きであり、大いに楽しくもあったのは以下に並べた“味噌地蔵”のくだりなのです。


 古代信仰の現場においては“聖域”と呼ばれる場処に死骸や汚物を放り入れたり、タブー視されがちな行為(例えば男女の交接)をあえて持ち込むことで聖性をより高める、そんな意識の大跳躍が図られたと聞いています。また、今でこそ整然として美しいお坊さんの袈裟(けさ)ですが、少し前までは図柄など混沌とした“つぎはぎ”然としていましたね。あれなども遥か昔にお坊さんが供養と修行のため、埋葬間際の死者を覆っていた布を譲り受けて我が身に纏(まと)っていたことに由来していると聞きます。これはよく知られた話ですね。


 聖性をより高めるために穢(けが)していく。醜悪な外貌を強いて力を数段高めていく。一見真逆なマイナスとも思える行為をもって、信仰の対象となるものがいかに寛容であるかを広く知らしめ、精神世界の奥行きをぐんと延ばし、結果として内在する輝きを増強する。洋の東西を越えて共通する宗教の暗い一面です。


 毎年仕上がった味噌を祠(ほこら)に献上し、そこに祀(まつ)られた地蔵像の顔や頭にすり付けるという風習は、日本のあちこちにひっそりと根付いたものとしてこれまで見聞きはしていましたが、ここまで明瞭に小説世界で取り上げられたのは初めてのように思います。


 汚さ、醜さ、臭さを端整な優しい顔立ち、柔らかなそうな丸まっちい肢体にごわごわと付着させ、常人の意識や感覚をはるかに凌駕した強靭な息吹を石の身体に宿らしめる。物語の重要な支柱のひとつとして採用されて、繰り返し何度も若者の意識に立ち昇ってくるこの味噌地蔵の面影は、実に味わい深いものがあります。


 食べものが仲立ちしていく魂の世界。味噌と日本人との結びつきの深さと長さ。僕たちが味噌に対して抱く両極端の想い、憧憬と侮蔑。それがない交ぜになって風となり、時代をこえて吹き抜けていく。──そんな事を考えるきっかけとなってくれて、実に刺激的でした。


 年末に明らかにされるだろう吉村さんの物語世界と再度まみえるのが、今からとても楽しみです。生きていれば必ず手にするでしょうね。


 お堂の床板はひんやり湿っていた。

 背中が心地よい。

 味噌まみれの石仏がこちらを見下ろしている。かさぶたの

ようにただれた味噌はすっかり水気をとばし、表情をあいま

いにかえていた。

 脱ぎ散らかされた衣服が蛇のようにからんでいた。おミツ

の着物の赤がひときわ目についた。(*1)




 地蔵さまは汚かった。かびがはえていた。顔にぬりたくら

れた味噌はひびわれている。表情もわからないほどだった。(*2)



 味噌は酸っぱくなっていた。鼠のかじったあともある。そ

れをみかねたお父が顔を洗ったことがあった。きれいにして

やろうとの一心だった。しかしその晩から原因不明の高熱

にうなされてしまった。(中略)味噌が落とされた地蔵さまが

怒っている。それがお告げのこたえだった。翌日お母が味噌を

塗りなおしたとたん父はけろりと起き上がった。(*3)



 とぎれとぎれに言葉を叫ぶ。着物をはだけたまま繋がりあ

う。うめきがお堂にこだまする。よごれきった味噌地蔵が、

錫杖(しゃくじょう)を手にこちらを見据えている。地蔵さまぁ。

おらだをお救いください。おれとおミツをあったけぇ場所さ

連れてっておごやい。(*4)


(*1):「焰火(ほむらび)」(抄録) 吉村龍一 「小説現代」 講談社 2011年8月号所載  240頁
(*2):同248頁
(*3):同248頁
(*4):同253頁
(*5):同260頁

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