2011年9月24日土曜日

栗村実「飯と乙女」(2011)~Rabbit for Dinner~



 “色気より食い気”(“花より団子”も同工異曲かな)といった言い回しが僕たちの暮らしのなかには脈々と活きています。情念や恋慕、性愛といった階層と“食べもの”はシーソーの両端にすっかり分け隔てられてしまい、ぎっこんばったんを繰り返しているみたい。 “食べもの”を介したラヴストーリーがそのためか、なかなか充実しない、育たない。


 テレビドラマはそんなのばかりだって。いや、ここで言うのは単純に食堂や酒場を舞台にしているかどうか、ということじゃなく、もう少し粘っこい話です。


 現実を見渡しても、仲の良い夫婦や恋人の隙間は定番の欧州料理やエキゾチックな中東料理なんかがかろうじて埋めがちであって、和食の旗色はさらに悪い。掘り進めていけば傑出した表現も見つかってこの頁でもいくつか紹介した通りなのですが、味噌や醤油と限定する以前のずっとずっと前段からしてきびしい戦局な訳です。本当に料理がからむと色っぽくならない。人間の生理なんだと言ってしまえばそれまでだけど──。


 “食べもの”を挟んで男女が向き合い魂をせめぎ合っていく、そんな様子を果敢に描いたものとしては、伊丹十三(いたみじゅうぞう)さんの遺した一本の映画(*1)が僕の記憶には鮮やかです。あれは演技者、文筆業ともに伊丹さんという人が独特のポジションを確立していたためでしょうね。日本人という立ち位置を嫌い、常に国際人を意識した結果であったように思えます。日本人が日本人の官能を描くとき、どちらかと言えば料理は邪魔になってしまう。


 そのような訳で、いつも不思議を感じながら僕は日本の小説や映画に挿し挟まる“食べもの”を見つめてしまう次第なのですが、先日、栗村実(くりむらみのる)さんという人が監督した「飯(めし)と乙女」という映画(*2)を観ながら、思いはより一層強まるばかりで、まあ、そういう作品、つまり思考や対話を煽るのが当初からの狙いみたいな世界観だったのだけど、それにしても全篇“食べもの”に覆いつくされていながら、かくも大きく“色香”との距離を置いてしまうものかと驚いてしまったのでした。


 夜半から明け方まで営業している気の置けないダイニングバーの、狭い調理場で夜毎奮闘する娘(佐久間麻由)や、常連の男女それぞれが抱える“食べもの”への憧憬、(当人にとっては心底重大な、傍目には奇妙な)食べることへの嫌悪感、抵抗感が描かれていきます。魂が決壊して相手をきつく抱き寄せ、暗く冷えた床に熱い身体を転がしていったり、精神世界の融合を果たした男女が互いの裸身を噛み合うという切々とした時間も訪れるのだけれど、にもかかわらずどこか乾いている。何故にこうも醒めた感じになるのか、不思議なんですね。


 役者に色香がないというのではなくって、また、画面に力がないというのでもなくって、何というか、やはり「距離」が遠い。“食べもの”のベクトルと情念のベクトルが相互干渉して失速していくように見える。


 演出者が虚弱体質であるとか、生に向かう執着の極端な薄さみたいなものが反射したかと疑ったのだけど、一概にそうとは言えないみたい。と言うのは、この「飯と乙女」の末尾には同じ栗村さんが演出した8分間の短編(*3)が付されていて、これもまた“食べもの”を主軸に据えたお話なのだけど、こちらは打って変わって血肉の臭いの生々しく、料理に競うように盛り込まれた男女の情念が室内に揮発し存分に香り立っても来て、僕の五感を大いに震わすところがあったのです。


 イタリアを舞台にし、画家の親子が登場し、そこに攻撃的な物腰の大人のおんなが闖入し、原型とどめる兎の肉が包丁で裂かれ押しつぶされして調理されていく、その過程が加わりもするから“非日常”はいよいよ極まっていく。昂奮を誘う罠はふんだんに仕掛けられ、僕たちの足元をすくおうと待ち構えています。なんだ、やれば出来る人なんじゃん。


 だったらどうして。男女の吐息の匂い迫ってくるような夜陰(やいん)やねっとりと絡み合う視線なんかと“料理”があまりに似合い過ぎて、先の淡泊な本編(日本篇)との段差は一体全体なんだったのだろうと首をひねり、混乱してしまうのでした。


 日本人の抱える穏やかさ、幼さ、歯切れの悪さ、深慮、虚ろさ、空白、息づく種火といったものを“和食(もしくは家庭料理)”のさっぱり感、小分け感、インスタント感を介して捉えようとした、ある意味“確信犯”だったのかと今は勝手に思ったりしています。



 どのような映画であれ小説であれ底の浅い予定調和に終わるのでなく、常識を軽々と超えて混迷を誘ったり、逆に収拾のつかぬ内実の整理に役立ったりする、そんな“高ぶったもの”が具わっていてもらいたいものですが、僕にとってこの二篇はいずれも虚を衝かれるところがありましたからね、悪くない時間なのでした。


 栗原さん、佐久間さん、そして関わった皆さん、美味しかったですよ、ごちそうさまでした。これからも面白い切り口で世界を料理していってください。



 連休をとれないどころか、なにくそ、の勢いで働いている人も多いでしょう。

 どんな現場でも、ところどころには得難い瞬間が潜んでいる。

 どんなに地味と思える仕事にも探せば色香はあると思うし、

 美しい瞬間はきっとあると思います。いい週末を──


(*1):「タンポポ」 監督 伊丹十三 1985
(*2):「飯と乙女」 監督 栗村実 2011
(*3): Rabbit for Dinner 監督 栗村実 2011
最上段の絵は劇中に挿入される絵で、Sandro Chiaという人の作品らしいです。気持ちが引きずられ、渦巻きにされちゃうような力がありますねえ。引用は下の頁から
http://culturedart.blogspot.com/2010/11/rabbit-for-dinner-chia.html

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