2011年9月22日木曜日

“planet Earth”




 食べ物とは無関係なんだけど、

 あまりに綺麗なんで貼りたくなりました

 こんな素敵な場処に、不粋なものを撒いてはいけない

 罪つくりなこと、と思いますね



 宇宙とはあまり関係ないのだけれど、思いつくまま続けます。
(台風のせいかもしれません。気圧の変化で頭がぼうっとしているところがあります。)


 日々の諸相を言葉に変えて綴ること、すなわち“日記”がかくも人気を博し、大量に生い茂ったことは過去なかったように思います。ウェブ上には赤なり蒼なり色とりどりに今日も乱れ咲いて、僕たちの目を和ませていく。


 こんな言葉を贈られたよ、偶然電車で乗り合わせた人が面白かったよ、満開の花がきれいだったよ、さびしげな湖にひとりで佇んでみたよ、エトセトラエトセトラ──。


 書き手の人柄、世界観、嗜好が透けて見えてくる。両の掌にすくった感動や惑いといった五感の記憶が、指の隙間からさらさらと洩れて消えていくのを必死で堰き止めているようにも見えて、健気だな、頑張ってるな、それに時間は残酷だな、とも思います。


 他人の目を意識する以上、話のネタは自ずと絞られてしまう。表向きは無難なものになるのが普通だけど、反面、ウェブ独自の匿名性にすがり内奥をそっと吐露する頁もあったりして、そんな文章に突き当たると実にうれしい。


(身勝手と承知しながらも)行間に隠された書き手の想いを手探ったりする時間は、何と言おうか、さながらマッサージ師になって指先に神経を集中し、肌の奥に潜むコリを見据えていくような感覚がある。それに、単調過ぎる日常によって胸奥で生じてしまいどうにも埋まらなくなった暗い裂け目が、透明な熱い接着剤を流し込まれふさがれていくみたいな、そんな不思議と慰撫される気分もあって悪くないのです。面白いですよね。

 
 先日、ある女性の日記(*1)を読みました。生涯を通じて綴った膨大な量の、それはほんのほんの一部に過ぎなかったのですが、圧倒され、呼吸が止まるような言葉や場面の連続でした。鮮やかで烈しい感情の起伏が眼前に迫って蘇えり、八十年程も前に起きたこととは到底思えない。


 ささやかな毎日を点描する僕たちのものと、全霊を傾けて刻んでいった彼女の日記とでは比ぶべくもないのだけれど、何事につけそうでしょうが月を跨ぎ年を跨ぎ、長く細く続けていくのも悪くない、きっと意味あること、大切なことなんだと鼓舞されるところがありました。



 季節は秋──同じ時代を偶然に歩む多くの善き人たち

 これからも堅実に、ささやかに歩んでいきましょう

 そうして、日々芽生える思いを綴っていきましょう


(*1):「インセスト―アナイス・ニンの愛の日記 無削除版 1932~1934」 アナイス・ニン 杉崎和子訳 彩流社 2008

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