2010年6月2日水曜日

村上春樹「1Q84 BOOK3〈10月-12月〉」(2010)~なぜかいつもうまかった~




 そのようにして海辺の「猫の町」での天吾の日々が始まった。

朝早く起きて海岸を散歩し、漁港で漁船の出入りを眺め、それ

から旅館に戻って朝食をとった。出てくるものは毎日判で押した

ように同じ、鯵の干物と卵焼きと、四つ切りにしたトマト、

味付けのり、シジミの味噌汁とご飯だったが、なぜかいつも

うまかった。朝食のあとで小さな机に向かって原稿を書いた。

久しぶりに万年筆を使って文章を書くのは楽しかった。(*1)


 実を言うなら、読み始めた当初は困惑するものがありました。行を目で追いながらもあれこれ思い返すものがあって、集中するのを妨げてしまうのです。

  僕には若い時分からすこぶる敬愛し、丹念に読み続けていたひとりの作家がありました。けれど“最後の小説”と冠した物語を上梓してしばらく後に、臆面も無く再度執筆活動に入ったことから気持ちがどうにも乖離してしまって、以来新聞紙面に寄稿する小文を眺める程度に興味はとどまっています。また、故郷の蒼い星を守るために捨て身の突撃を為し、無惨に息絶えていく宇宙飛行士を主人公とする漫画がかつて在ったのだけど、これも劇場大ヒットに乗じる形にて数ヵ月後にはブラウン管で“生き返って”しまったものでした。 「1Q84 BOOK3」は一度区切られてしまった想いをなし崩しにして始まる点で、それ等ととても似ているのです。


 小説であれ映画であれ、根幹にあって無視出来ないのは売上げです。ファンの一部を犠牲にしても部数を伸ばし、興収を上げてようやく一人前。器用に、そして逞しく泳いでいく商売上手のそんなしたり顔を、僕ほどにも年齢を経てしまった大人が疎(うと)んじ、ぼやくのは子供じみていることは百も承知なのだけど、当時の苦さ、渋さを口腔に再現してしまって落ち着かなかった。


 けれども、ようよう読み通して静かに頁を閉じてみるならば、顛末は十分納得されるものだったし、提示される情景のいちいちは気高く爽やかなものがあって、決して不快な澱(おり)が胸底に沈み込んではいかない。まあ、好いように作者に弄ばれている気もしないではないけれど、幕引きの直前に融合を目指すふたつの魂の描写には、気持ちを捕らえられて胸踊り、また、素直に胸に来て、随分と嬉しかった。


 僕の人生を左右する決定的な何かを含んでいた──なんていうロマンチックな言いぐさは、年齢的にもはや似合わないけれど、この年齢なればこそ解かるところもあったし、実生活のあれこれのモノの見方に陰影が少し増したような清清しく澄んだ感覚があって、読後感は上々でしたね。 二つ三つ若返ったみたいです。




 さて、以前もこの場にメモした訳だけれど、このBOOK3においても相変わらず“味噌汁”が顔を覗かしてくれるのです。これまではアパート等でこつこつ自炊する際の献立にまぎれていたものが、いずれも戸外で供されていることがちょっと興味深いですね。“境界”に立ち現われるのが“味噌汁”とするならば、天吾という青年の抱える境界線が大いに揺らいでいた証拠かもしれない。



 階段を降りて食堂に行くと、そこには安達クミがいた。田村

看護婦の姿はなかった。天吾は安達クミと大村看護婦と同じ

テーブルで食事をした。天吾はサラダと野菜の煮物を少し食べ、

アサリとねぎの味噌汁を飲んだ。それから熱いほうじ茶を飲んだ。

「火葬はいつになるか?」と安達クミは天吾に尋ねた。(*2)


 実際の僕たちの食卓においては味噌汁の出現回数は徐々に減っている感じが明瞭なのだけれど、若者がこぞって読み進めるこの話題のベストセラー本に、その香りと旨味がしかと送り込まれている。それも否定的にではなく“うまかった”と評され、また、とても意味深く精神的な場面にも座がそっと設けられている。有ってもなくてもどうでもよいモノではなくって、物語の構築に不可欠な情景として明確な意図のもとで味噌汁の椀が顕われている(ように思う)。


 “シャルル・ジョルダンのハイヒール”なんかと一緒にシジミやアサリの味噌汁が組み上げている“1Q84”の作品世界がいじらしくって、素敵なバランスだな、と思うんです。他愛のない事なのでしょうけれど、なんか嬉しいから書き残しておきます。



(*1):「1Q84 BOOK3〈10月-12月〉」村上春樹 新潮社 2010
   第3章(天吾)みんな獣が洋服を着て 57頁
(*2):第21章(天吾)頭の中にあるどこかの場所で 447頁

2010年6月1日火曜日

花めぐり~日常のこと~




 山桜もすっかり散り逝きて、こんどは色とりどりの花が我先にと咲き乱れる、そんな季節になりました。


 隣りに住まう老婦人は生け花の師範です。だから、この時期のお庭は植物園とも見まがうばかりの艶やかさで、僕のような無粋な男でもついつい心奪われて歩みを止めてしまうほどです。先日の訪問の際にもずいぶんと目の保養をさせてもらいました。


 強烈な色彩を矢のように放って寄越す鉄線(てっせんclematis)や都忘れ(China aster)に交じって、奇妙なかたちの花があちらこちらに立ち上がって見えます。これは何という花なのかと問うと、婦人はそんなことも知らないのかと幾らか呆れた顔ながら熱心に説明をして下さいました。日本名では“苧環(オダマキ)”と呼ばれているそうな。


 帰ってから調べてみれば、“苧環(オダマキ)”とは“麻糸を空洞の玉のように巻いたもの。おだま”とあります。機織(はたおり)の道具に糸を巻きつける四角もしくは六角形のものがありますが、その器具の名前でもあるらしい。また学名の方、Aquilegia(読み方はアクイレギア、アクレギアなど)の由来は漏斗(じょうご)や鳥の嘴(くちばし)から来ているようです。そのような多彩な連想を誘うような不可思議なかたちをこの花はまとっている。


 ウェブで見つけた説明文を引用します。──「姿・形  花は5枚の萼(がく)と筒状の花びらからなっており、がくの後ろ側には距(きょ)が角のように突き出ています。」(*1)


 大きな“がく”がぶわっと大きく開き、内側の花とで折り重なって満面の笑みを浮かべている。その笑顔の裏側には“きょ”が吹流しのようにシュルシュルと突き立っているのです。極めて立体的な構造になっていて、そのパーツのいちいちに隙間が生じているために華奢で不確かな感じも受けますし、また、本来バラバラにあるものが何か見えない磁力のようなもので、シュッ、と引き寄せられたような奇妙な錯覚ももたらされます。庭木や花に詳しいひとには何ら珍しいものではないのでしょうが、僕にはひどく新鮮でした。


 正直に書き記してしまえば、(もともと華にはそんな性質があるのだけれど)密やかな男女の房事を障子の隙間から覗いてしまったような、そんな妖しい発光が目の奥に宿りました。二重になった“がく”と“花”が積極的にあるイメージを招き寄せるわけですが、加えて宙空にすらりと伸びた“きょ”が寝台にて入り違いに重なる二対の脚に見えてしまい、気持ちを揺さぶる訳です。きわめてエロティックな形を具えています。


 僕のそんなハシタナイ妄想は、婦人の説明を背中に受けてさらに勢いを得ます。このオダマキは繁殖力が旺盛なのよ。こちらの塀沿いに赤、こちら側に白とこんなにも離して植えておいたのに、ほら、ここに生えているでしょう、赤と白と色を交えたのが。どんどん交雑して増えていくのよ。


 惑ってばかりの僕のような人間は、現実を忘れてふわり浮遊を始めてしまうのでした。白い陽光を全身に浴び、また蒼い月の光に染まりしながら、あの異様な肢体を具えた花が盛んに交雑を繰り返していくことを想うと、素直に驚嘆し、胸打たれるものがあるのです。


 生きるということの根幹にあることは、そんな原初的な勢いなのでしょう。遮二無二生きていく。こころと身体を深く重ねて子孫を産み育てていくことの、オダマキのほとばしるような “生きていく勢い”に圧倒されてしまうのです。


 花の名前とその由来、花言葉、花弁の色かたち、甘ずっぱい匂い──。そんなことにはこれまで一切執着しなかったのに、最近は立ち止まって凝視する時間が増えています。加齢や生活の諸相の変化が、これまでとは違った切り口で世界を捉え直させようとしている。十年周期で細胞は入れ替わると言われますが、僕がもう一人別な僕になろうとしている、そんな感触が少しありますね。

 物言わぬ植物や花に共振し、そこに人生を重ねようとする。動物の時間から植物の時間へと針が進んだのかもしれません。







 例えばこの前の日曜日だったのだけれど、友人の薦める山奥の湖に独り車を駆って遊びに行ったのですが、そこでも植物はこれまで以上に雄弁となって僕に囁くものがありました。頭上に浮かんだ雲が落とした影によって少しずつ変幻する湖面の、静謐で繊細な色合いにうっとりしつつ、また、カーステレオから悠々と流れるエリック・サティに全身を包まれての、誰にも気がねしなくていい小旅行は生きる歓びを強く認識させてくれたのだけれど、ハンドルを操作しながら気になって気になって仕方ない「色」が時折視界に飛び込んでくる。




 劇場の緞帳のように四方を遮る緑色の木立のなかに、ぽつりぽつりと野生の藤(フジ)が咲き誇っているのです。その紫の色がしきりに僕を手招きする。ゆらゆらと車を路肩にとめて、僕は野原を踏み分けて近づくことになります。小川沿いの、幾らか陽射しの強い場処でした。細い枝を左右に広げた藤が一本佇んでいて、数珠繋ぎになった紫の花弁をたくさん頭上から落としている。

 それは森の奥の小川で水浴する美女に出逢った旅人のような塩梅であって、夢のなかをさ迷う心地なのでした。 こういう非日常の一刻は嬉しいですね。








 しかし、それ以上に面白いと感じたのは藤の生き方の別な局面です。杉なのか檜なのか、天を衝いて伸びる巨木に藤が寄り添い、蔦を絡めて一心同体となっている。藤の花びらの紫は雄々しい緑の枝葉をくまなく飾り付け、まるで一本の木がすべて紫に染まったようなものさえ在る。

 まったく異種の、男とおんな以上にも違ったもの同士が絡み合い、風雪を耐え抜き、同じ雨に打たれ、同じ虹を見上げ、同じ鳥のさえずりを聞きながら、大いなる何かに与えられた宿命を懸命に明日へと繋いでいます。






  土底から吸われて上へ上へと駆け上っていく樹液のあえかな流動音を、彼らはひっそりと感じ合っているものだろうか。運命共同体となりながらも自律した仲なのか、それとも依存する依存された間柄なのか。互いを重たく感じるものだろうか。その重みは歓びだろうか、それとも苦しみが伴なうものだろうか。



  人とひとが出逢い、会話し、同じ歳月を過ごしていくことの不思議をその巨木と藤の、肌と肌を重ねる様子に二重写ししながら、感慨深くしばし見上げてまいりました。





  いい休日でしたよ。


  下の写真はトコロ変わって、現在改修中の東京駅です。屋根が完全にスケルトン。鉄骨を組み変えての大仕事ですね。第二東京タワーもいいけれど、これって実は凄いもの、百年に一度の光景を目撃してるのかも。こちらも有意義で忘れられない生きた時間でしたよ。




(*1): http://www.yasashi.info/o_00001.htm

2010年5月19日水曜日

山本むつみ「ゲゲゲの女房」(2010)~なんもないなあ~



「なんもないなあ」

 台所の棚を開いても、食材はおろか、鍋や食器もろくにそろっていない。

いつでも山のように食材が積まれ、鍋が温かさそうな湯気を立ち上げていた

飯田家の台所とは比べるべくもなかった。(中略)

「男の人の一人住まいって、こげなもんなのかなあ」

布美枝が台所で味噌壷を開けて中を確かめていると、玄関戸をノックする音と

ともに、「おーい、おるか」と男の声が聞こえてきた。(*1) 
             


 「ゲゲゲの女房」(*2)の視聴率が悪くないらしい。放送時間が15分間繰り上がったことが功を奏したという意見もあるけれど、多くの出来事の勝因や敗因というのは様々なことが複雑に絡み合ったもの。漫画に関心を寄せる層の取り込みが数字に繋がったのかもしれないし、それより何より、景気の足踏み感がドラマ注目の背景として大きいように感じられます。


 水木しげるさんは誰もが認める漫画界の覇者です。この連続ドラマは彼の半生を主軸にしていますから、僕たちは物語の幕が“勝ち戦”で終わることを既に知ってしまっている。いくら暗雲が行く手を遮ってゴロゴロと雷鳴が轟いても、怖いものは一切ありません。この安定感が、先ずもって視聴率に貢献しているのは違いないのです。


 リアルな成功譚をがっしり据えながらも、祝杯に至るまでの赤貧の諸相をオモシロ可笑しく綴ってみせる懐旧型の構成は、大財閥を築いた男が新聞記者相手に回想談義してみせる日曜夜の大河ドラマとも近似しているし、かつて大ブームを巻き起こした「おしん」(*3)にも通底するものがあります。


 一から十までフィクションで構築されたサクセスストーリーに対しては、ふん、そんな夢みたいなこと起きゃしないよ、寝むたいコト言うんじゃないと嫌悪をもよおし、しかし失敗談はと言えば観ていてどうにも息苦しい、とてもじゃないが居たたまれない。そんな苛立ちと焦りを懐胎した僕たち視聴者がぞろりモニターの前に陣取っている。ちょっとでも反発を覚えたら即座に、容赦なくチャンネルを回さんと決め込んで、リモコンのボタンに載せられた人差し指はピクピクと痙攣すらしている。そんな手厳しい取捨選択の網を「ゲゲゲの女房」は、まんまとすり抜けて見えます。


 また、昭和30年代後半の生活事情をうまく醸し出そうと奮闘する衣裳担当者によって、人物の羽織るセーターやシャツはモノトーンにいずれも染まっていて、これが昨今の安売り衣料量販店の送り出す原色を主体とする服と重なって見えなくもない。


 かくして、僕たち平成のサバイバーたちは主人公夫婦にすんなり気持ちを託していくのです。いつかは脱却されるはずの、爪に火を点すが如き極貧の生活へと舞い戻ることに苦痛を覚えずに済む訳ですね。送り手と受け手のコンビネーションはだから抜群、とてもうまく出来ている。企画の勝利といったところです。


 事実を根底とする以上は、悪戯にお話を拡げる余白はそう残されていない。観ていて驚きはあまりないのだけれど、角か取れて至極まろやかなノド越しなのです。新しいふりして実は古酒並みに熟成している。老いた職人の手わざを横でのんびり見学しているような、くすぐったいような愉しさが何処からともなく湧いてくる。そんな感じの15分間になっています。




 さて、僕が個人的に関心を寄せているのが、脚本家山本むつみさん(単身によるのか、制作者、原作者が総出で知恵を寄せているのか定かでないのだけれど)──が送り出す生活臭の強さと、いくらか誇張気味に描かれる“味噌”なのです。


 上に引いた場面は調布の水木さん(向井理)の家に新妻の布美枝(松下奈緒)が引っ越して来た初日の光景だけれど、ここでは底を突きかけて、内側に黄金色の味噌がぺたぺたとこびり付いた“味噌壷”がクローズアップされていました。


 この場面と対峙する光景が放送初回には描かれていますね。同じく台本をノベライズしたものから書き写してみましょう。まだ幼い時分の布美枝が祖母に命じられて自宅奥の蔵に足を踏み入れる場面です。


 登志から味噌蔵に味噌を取りにいってくるようにいわれて布美枝は肩を落とした。

(中略)漬物樽などが並ぶ味噌蔵はシンとして薄暗く、空気はひんやりと湿っていて

少しばかりカビくさかった。ドズンドスン!不意に天井から音が聞こえ、一瞬にして

布美枝の体がこわばった。続いて……バラバラバラと怪しげな音がした。

何かおるん?薄闇の中を見回した。目には見えない何かが闇の中でふくふくと息づき、

布美枝を見つめている気がした。(*4 )



 谷崎潤一郎の「少年」(*5)と似たシチュエーションがここでは組み立てられています。醤油や味噌の振りまく芳香と物置独特の湿度と暗がりが密接に連なって僕たちに提示され、非日常の空間に手を引き誘(いざな)っていく。それと同時に布美枝の育った家の、金銭的、物質的な充足、生活基盤の安定が重量感を具えた大きな味噌樽によって明確に謳われていました。


 貧富のバロメーターとして味噌の量目が採用されていて、山本むつみさんはそれを露骨に増減して見せるのだけど、味噌自体への眼差しにはフラットなものが感じ取れる。そこがなかなか面白いと僕は思うのです。


 例えば石原裕次郎と浅丘ルリ子の「赤いハンカチ」(*6)は昭和39年(1964)公開の映画であって、「ゲゲゲの女房」と描かれる時代はピタリ重なっているのですが、「赤いハンカチ」での“味噌汁”にはいくらか時代遅れのもの、無垢なもの、困窮のイメージといった複雑な光が賦与されていました。どちらかと言えば負の視線が突き刺さっていたのです。対して「ゲゲゲの女房」の“味噌”は堅実と安息の目盛りとして素直に活かされており、随分と良い席におさまって見えます。


 ひとつの事象でも百人百様の捉えかたがあるのは当然のことですが、僕は単に脚本家の生理がぼんやりと形を成したとは思えないのです。


 物事のいちいちの色彩は、その折々に住まう人間の精神状態に大きく影響され変化し、身に纏う明度はまったく異なってしまう。時にはみすぼらしく、時には晴れがましく描かれ、物語で割り当てられる“意味”がまるで違っていく。東京オリンピック開催を目前とする成長期とリーマンショックの痛手から回復出来ぬままに下降を続ける今では、世界の見え方がこうまで違う、ということではないかしらん。

 “味噌”は大衆の心理に即応して明瞭に担う役割を変えていく、そんな極めて心理的食物であることを山本さんの台本が証し立てている。


 今後、水木家で味噌がどのような役割を果たすものか、しばらく目が離せそうにありません。僕たちが僕たちの今の暮らし向きをどう捉えているか、それが確実に反射して来るでしょう。何気なく流されるドラマもそうして観れば、なかなか奥深いものです。


(*1):「ゲゲゲの女房」(上) 原案 武良布枝 脚本 山本むつみ ノベライズ 五十嵐佳子
NHK出版  第2章 さよなら故郷 
(*2):NHK連続テレビ小説 朝8時より放送中 挿入した画像はホームページから引用
http://www9.nhk.or.jp/gegege/
(*3):「おしん」 NHK 1983-1984
(*4):「ゲゲゲの女房」(上) NHK出版 第1章 ふるさとは安来
(*5):「少年」 谷崎潤一郎 1911
http://miso-mythology.blogspot.com/2009/05/1911_23.html
(*6):「赤いハンカチ」 監督 舛田利雄 1964
http://miso-mythology.blogspot.com/2009/05/1964.html
http://miso-mythology.blogspot.com/2009/05/1964_25.html
http://miso-mythology.blogspot.com/2009/05/1964_30.html

2010年5月3日月曜日

上村一夫「同棲時代」(1972)その3~上村一夫作品における味噌汁(14)~

 このような景気です。仕事のあることは嬉しくありがたい事なのだけれど、やはりこの時期、世に大型連休と呼ばれる期間に入ると気持ちがぷくぷく泡立ちます。解放されないままに半端な仕事に当たる毎日はどうにも悔しい気分。「聞け万国の労働者」でも歌いましょうかね。ショウガナイ、何を馬鹿なことを──。


 「同棲時代」を中心となして広がる上村一夫(かみむらかずお)さんの創造の平野を、これまで13回に渡って歩いてみました。そこには意味ありげに“味噌”が顔を覗かせていて、人物の内面をそっと代弁している様子が認められました。


 “味噌”がぽんっと視野に飛び込んだり、はたまた「みそ」という響きが耳朶を打った際に避け難く生じる微弱な“震え”のようなものを上村さんは畳み掛けるように登用し、独特の震幅を物語に与えることに成功しています。いつまでも後引く余震が見事ですね。


 恋愛劇には不向きと想われた“味噌(汁)” はしっかり男とおんなの魂に流れ込んだ後に、ごつごつした樹根のように固形化して読者を待ち受けている。蹴躓(つまず)かせて足をさらい、来た道を見失わせて僕たちを精神の迷路に誘(いざな)おうと、今でも息を殺して待ち続けているのです。うわべだけを紙芝居のように並べた安直なドラマがずいぶんと幅を利かせていますが、本来人間は複雑で多層な内面を抱えている厄介な生きものです。たくさんの若い人に、こういった奥の深いお話を読んで学んでもらいたい、ほんとうにそう思いますね。


 上村さんについては、今日でひとまずお仕舞いです。最後にもう一箇所だけ、“味噌汁”に関する奇妙な描写を「同棲時代」(*1)に見ることが出来るのですが、それを取り上げて筆を休めましょう。不自然なその物言いには、作者の“文法”がやはり感じ取れるのです。


 今日子の退院によりふたりの暮らしは再開されたのですが、無理を続けている空気にじわじわと侵食されています。当初のみずみずしい会話は何処へやら、いまでは息を潜めるように過ごす毎日なのでした。重苦しい沈黙が続いていきます。

 突然扉を「トントン」とノックする音。隣りの部屋に住まう同世代の娘が“醤油”を借りに来たのでした。(*2)

弓子「ねぇ 今日子さん お醤油貸してくれる?」

今日子「いいわよ」

弓子「うち きらしちゃってるの 気がつかなくて 

   あら!まだお休み?ごめんなさい」

今日子「ええ あの人 ゆうべ遅くまで仕事してたものだから」

弓子「ほんとに大変ね イラストレーターっていうのも

   あ いけない 授業に遅刻しちゃうわ じゃお借りするわね!」


 この娘も目下“青田”という男と同棲中なのです。背格好や容貌にはあざとい造り込みが為されていて、今日子と次郎とはあまりにも対照的です。どうやら前触れなく突然物語に招聘されたこの隣家の男女は、今日子と次郎の内面を浮き彫りにするための補色の役割を担っているようです。夕方にも再度扉はノックされます。「トントン





今日子「はァい」

弓子「今日子さん ごめんなさい お味噌を少し借りたいの」

今日子「いいわよ」

弓子「あの人がね どうしても味噌汁がのみたいっていうもんだから

   あ それからね もし残りものがあったら言ってちょうだい

   うちの猫に食べさしちゃうから (高笑いして)ころころころ」


 なんという天真爛漫さ。行動のいちいちに陽性が溢れています。この後、飼い猫について苦言を呈されたことから大家と激しい口論に至って、田舎に帰って農家をしながら悠々と暮らす、子どもも沢山作って元気に育てるつもりだと啖呵を切って、実際にさっさと引っ越してしまうのでした。リアカーを引いて小さくなっていく彼らの背中に対し、物語は重い沈黙をもって答えています。


 上村さんの作品にて“味噌汁”が境界標として機能することを思い返せば、ここで太々と描かれた境界線の向こう側には疑念や不安、戸惑いといったものが微塵もない“生活”が意図的に描かれています。シンプルで純粋な、笑顔に満ち溢れたそれを今日子と次郎は羨望、侮蔑、悔恨、同情といった綯(な)い交ぜとなった想いで見送るのでした。(*3)




 青田という名の若い男女への輻輳(ふくそう)する上村さんの眼差しは“生活”という区画と“観念”の飛翔する空域とを穿つ境界標たる“味噌汁”にも同等に注がれている感じがします。


 生活を長年こなすうちに生じてくる粘っこい澱(おり)が次第に足首に纏(まと)わり付き、気力体力を徐々に奪い去っていきます。諍(いさか)いを起こしてしまい疑念が鎌首を一度もたげてしまえば、“無私”で居ることには限界が自ずと訪れて、ふたつの心は分裂を始めてしまう。決壊してしまった魂の貯水池はなかなか元に戻せません。透明感のある澄んだ笑いで暮らしを満たし続けることは出来ない相談なのです。


 ぶわぶわと輪郭を崩し始めた空間でもひとは物を食べ続け、生きていかねばならない。今日子と次郎の部屋の夕餉に供される“味噌汁”は、だからとてつもなく哀しい。何のための境界票なのか、一体何から何を守っているつもりなのか。何を外に追いやり、何を内側に創ろうとしているのか。


 
こんなにも淋しく儚げに見える“食(べもの)”は他の創作世界には無いような気がします。そして、僕たちの身近に転がる“味噌汁”をこんなにも哀しく見える“食(べもの)”にしてみせた創り手は、上村さん以外には今のところ見当たらないのです。



(*1):「同棲時代」 上村一夫 1972-1973
(*2): VOL.57「夏のとなり」
 
(*3):ここで繰り広げられた騒動は国境線を主張するために誇示される軍事訓練か挑発行為のようなものに見えてきます。例えはいささか乱暴ではありますが、今日子と次郎が二筋の境界線を持って曖昧に重なり合う多民族国家とするなら、隣家のふたりの快活な笑いに満ちた生活はイデオロギーを隙間なく集束させた独裁制国家の趣きです。境界紛争が脆弱な連邦国家を震撼させ、異分子たる互いを強く意識させてしまった。この後、まっしぐらに今日子と次郎は分裂へと歩を進めて行くのです。

2010年4月25日日曜日

「愛の狩人」(1971)~二十年という歳月~


 劇画家の上村一夫(かみむらかずお)さんの生誕70周年を記念して、列島を巡回するかたちにてブックフェアが始まったようです。(*1) 身近に住まう七十代の人たちと、著作を通じて日々体感する上村作品の若々しさが反発して妙な具合です。没後25年と言った方がしっくり来るものがありますね。売り場には原画をコピーしたものも展示されるようなので、近くに来たら足を運んでみようと思います。

 上村さんは作品集をたくさん遺していますが、文字ばかりの評論やエッセイといったものが本の体裁にまとまったものはほとんでなくって、わずかに広論社より昭和48年(1973)に上梓された「同棲時代と僕」があるだけです。オークションなどを通じて週刊誌や月刊誌に掲載された特集記事や寄稿されたものを探してみても、何となくはぐらかされている感じの文言が並んでいるばかり。そんなこともあって、あまり作品論、作家論を喚起しないで今に至っているところがありますね。まあ、そんな黙して語らずのミステリアスなところが魅力のひとつでもあるのだけれど──。

 さて、「同棲時代と僕」の中で上村さんは「同棲時代」の誕生秘話をちょっとだけ吐露していて、「ある日の銀座でなにげなく映画館に入っ」て観た「愛の狩人」(*2)に「深く感銘を受け、これを基本線にして漫画を書いてみようと思った」と書いています。「同棲時代の原因」と明確に告げられたこの映画を僕はずっと未見でいたのですが、本日ようやく観ることが出来ました。


 あらすじやスタッフ、キャストの詳細は検索して読んでもらえば良いので書き並べませんが、僕たち男にとっては後味のすこぶる悪い、質(たち)の悪いと評しても過言ではない映画です。口惜しいかな的を得たものとなっている。

 話を端折りに端折って書けば、大学時代にルームメイトになったジャック・ニコルソンとアート・ガーファンクルが二十年の歳月を経て気が付いたことは何か、ということがねちっこく描かれているのですが、こちらは二十年、「同棲時代」は数年の歳月です。上村作品に時おり感じ取れる“老成”は、中年の男女の長い歳月を若い肉体に無理矢理に移植しているせいかもしれませんね。

 上村一夫さんの「同棲時代」の核心に揺るぎなく在る作品にして、また、「同棲時代」以降の上村作品に木霊(こだま)するものとして、上村ファンを自認する人は一度は観ておいて悪くないように思いますね。ああ、なるほど、と頷かされる場面が幾つか見つかりますよ。


 それにしてミモフタモナイ……。いささか気が滅入りましたので、散歩に出かけようかと思います。陽が傾いて街路はだいだい色に染まって静かです。夕焼けと春の花の取り合わせを愉しみながら、ぐるりと小さなこの街を歩いてみようかと思います。





(*1):http://www.kamimurakazuo.com/news/post_30.html
(*2): Carnal Knowledge 1971 ひゃあ、なんて原題! 監督マイク・ニコルズ

2010年4月24日土曜日

塔の在るべき姿~日常のこと~



 最近休日の使い方のコツをようやく摑みました。しっかり朝から出かけ、昼過ぎに帰ってから一風呂浴びて、それから何かまたムズムズ動き出すやり方です。それも午前中は出来るだけ車に頼らず歩き回ると好いみたい。


 Julia Childという実在の料理研究家を描いた映画を10時前の回で観た後、近くの美術館に移動。旧ソビエトで興った芸術運動を紹介する展示と、常設展示をじっくり愉しんできたところです。

 特別展示については政府主導のプロパガンダがやはり淋しく感じ、なかには目を瞠るものも在りはしましたが全体としてはこじんまりとした印象でした。でも、東京では「未建設展」で上映され来館者の度肝を抜いたらしいCG作品が、こちらでも会場の一角で流されていて、これは素晴らしかったですね。

 ウラジーミル・タトリン Владимир Евграфович Татлин (Vladimir Tathlin)という建築家の構想である「第三インターナショナル記念塔」を 長倉威彦さんという人が再現したもので、現在世間を騒がすスカイタワーの特徴のない趣きと比較したりしてあれこれ考えさせられました。

 YOUTUBEでもその一部が観れますね。DVDになったら買ってもいいなあ。


 いちばん惚れ惚れとさせられたのはドガ(常設展示)の踊り子でした。チュチュの下の太腿に影が落とされて幾らか白い肌が翳るのだけれど、そこが面でなく線でもって明度がそっと落とされている──う~ん、何て言ったらいいのか言葉が見つからないけれど、その発想が素晴らしい。 驚きました。
 

 街中に咲き誇る花々を目で追いながら、靴屋さんにより春用を購入して戻ったところです。さあ、熱いお風呂に入って休日の後半を愉しもう。なんてささやかな、けれど嬉しい贅沢!


2010年4月22日木曜日

上村一夫「同棲時代」(1972)その2~上村一夫作品における味噌汁(13)~



今日子「ねぇ 次郎 熱い味噌汁が飲みたくない?」

次郎 「熱い味噌汁か… そうだな 身体が暖まるだろうな」

今日子「ねぇ うちへ来ない?ごちそうするわよ」

次郎 「きみんちへ?どうして?そんなことできるわけないだろう」

今日子「いいえ かまわないわ 行きましょうよ」

次郎 「しかし………」

今日子「父と母のことなら心配しないで あたしの覚悟はできているの」

次郎 「熱いみそ汁…… 」


 上村一夫(かみむらかずお)さんの「同棲時代」(*1)に話を戻します。


“同棲”は暮らし振りの一形態です。その顛末を描く上で、“食事”の場面はどうしたって避けようがありません。実際、朝食、夕食、外食とずいぶん沢山の料理が劇中には挿入されておりました。当然のことながら、そのいちいちに作者は“木霊(こだま)するもの”を組み込んではいない。そんなことをしたらお話はたちまち渋滞を来たして、やがてボロボロに壊れてしまいます。僕たちの日常そのままに、特別の感慨のないものとして水か空気のように過ぎていく、それが「同棲時代」の“食事の光景”でした。


 でも、今日子と次郎、ふたりの岐路を描く重大な局面においてはどうでしょう。“食(べもの)”はこれまでの無表情を一転し、じんわりと発光を開始するのです。俄然色彩を増していき、登場人物の秘めた内面を代弁していく。そんな重要な役割を果たして見えるのです。



 例えば茫洋として連なるふたりの日々に対し、天空を裂いて降る雹(ひょう)のごとく突如もたらされて暗い影を落としたのは、ひと山の“花梨(かりん)”でした。



郷里の母親から送られてきたものですが、ふるさとの匂いを帯びたあれこれ、例えば菓子、米、缶詰、ちょっとした衣類といった雑多な詰め合わせではなくって、単体の“食(べもの)”である花梨がごそり山となって届けられる辺りが、いかにも上村さんらしい表現です。今日子の神経はこれを境に変調し、狂気との壮絶な闘いに入っていきます。(*2) 





 また、行き詰まったふたりが食事どきに激しく言い争い、せっかくのぶ厚いステーキ肉をゴミ箱にぼとぼと捨ててしまうくだり(*3)や、精神を病んで長く入院をしている今日子から現世への帰還を宣言する手紙を送られた次郎が、読み終えた刹那に思い立って台所に向かうや黙々とソーセージと野菜の炒めものを作って食していく場面などは、静謐でありながらも輻湊(ふくそう)する情念に満ち溢れていて、読んでたじたじとなったものでした。



深く記憶に刻まれて留まり続ける、ほんとうに素晴らしい“食べもの”の情景です。(*4)





 このように観念と“食”との阿吽(あうん)の呼吸は、「同棲時代」においても健在なのです。


 上村さんの“食(べもの)”は胃の腑の空隙を単に埋めるものではなく、むしろ胃やら肺やら心臓といった身体の内側がべろりと裏返されて露出し、そこに巣食う情念が大気に剥き出しにされた挙句に変幻したもの、と言える気がします。“食(べもの)”という形貌(なりかたち)をしていても、ひとの魂そのものなのでしょう。「同棲時代」には空気のように取り巻いて無味乾燥の体で列を為す“日常の食事”に挟まって、そんな思慮に溢れた“食(べもの)”が素知らぬ顔で割り込んでは読者のこころをワッと揺さぶらんと待ち構えている。


 さて、物語の終焉において今日子と次郎とで交わされた会話に“味噌汁”うんぬんがあり、年数をいくら経てもうまく嚥下(えんげ)することが僕は出来ず、悶々として今に至った事は以前この場に書いた通りです。違和感をつよく抱き、ずっと気になっていたのは“きみ”という表現でした。「きみが作ってくれる味噌汁のことを思うと」という蛇のずるずる這い回るような言い振りには作者の執着がべったり張り付いて聞こえます。なぜ単に「朝ごはん」を今日子は誘わないのか。どうして「きみが作ってくれる」という不自然な言い回しになるのか、だいたいナゼ急に「味噌汁」がここで口から飛び出したのか。




次郎 「きみが作ってくれる味噌汁のことを思うと ぼくはたまらない……

    それを飲んだら ぼくはどんなにか身体も心も暖まるだろう……

    だけど こいつをよく覚えとこう この感じを……」

今日子「……」

次郎 「この寒さをよく覚えとこう…… 今 この寒さとひもじさに

    耐えられたら このさき何にだって耐えられるかもしれない……

    そんな気がするんだ」

今日子「次郎……」



 先に引いた野菜炒めの手際の良さが語るように、次郎という男は料理をとても得意としています。ある時など酒場で酔って意気投合したシルバーマンという名の外人をアパートに連れ帰り、翌朝、今日子が仕事に出てしまってから幾皿かの料理を自分一人でしつらえ、手際よく供して大いに驚かれてもいます。その中には味噌汁も含まれておりました。


つまり次郎は“僕の味噌汁”を朝飯前に作る男なのです。(*5)“きみの味噌汁”という言い回しは“僕の味噌汁”があればこそ成り立つ表現だった、というのが分かります。


 ここで上村さんの“味噌汁”が、観念の飛翔を存分に許す空域と日常という内界との間に穿(うが)たれた“境界標”として立ち現れることを思い返すなら、たちまちにして物語の構図が見えてくる。「同棲時代」の幕を降ろすにあたって、今日子と次郎の人生の有りようをすっかり俯瞰して見せようと作者はしている、そのための不自然な台詞であったに違いありません。


 きみのものと僕のもの、ふたつの味噌汁椀が男女間にふわり浮かんで見える劇の状況は、二本の明確な境界線を露わにします。ふたつの精神が一切重なることなく対峙したままの姿となって提示されるのです。完全に孤絶し切って並び置かれたふたつの魂の、凝っと向き合い見つめ合う様子は、自律してしまった者同士だけが発する厳しくもすがすがしい大気にすっかり洗われて見える。読者のあらゆる視線をもはや受け止めてはくれない。干渉を、そして感傷をも拒絶するのです。それ程にも決定的、最終的な構図が呈示されている。







 もちろん“味噌汁”以外の言葉や風景、朝焼け、朝露、金木犀の薫り、砂丘、陽炎(かげろう)、足跡──を上村さんは次々と紙面に投じて、吐息に満ちた今日子と次郎の暮らしの終幕とこれからの門出を演出しています。“味噌汁”はそんな風景のほんの一部分に過ぎませんが、その“一部分”を他のどんな作家が気付き登用出来たものか。僕の知る限りにおいてはここまで演出が及ぶ作家はそう見当たらない。(*6)天才という言葉を強く想います。



 愛憎で綾織られた短いような長いようなふたりの旅路を眩しく振り返りながら、描かれた男とおんなはずいぶんと幸せであったな、生命を吹き込まれて存分に生きたよな、と深々と頷いていく、そんな厳かな気持ちに今、ゆったりと包まれているところです。




(*1): 「同棲時代」 上村一夫 1972-1973 最上段および中段に引いた頁は VOL.69「終章」より
(*2): VOL.30「花梨怨歌」
(*3): VOL.60「土曜の夜から土曜の夜まで」
(*4): VOL.48「手紙」  この(*3)と(*4)のコマ割りが似ていますが、これは偶然ではないと僕は想っています。“食事”を作って“生活”を目指そうとする次郎に対して、“食を遠ざけること”で情念の持続を図る今日子のすれ違いが時をまたいで対照的に描かれています。上村さんの作為がいかに持続する性質であるかを、いかに計算に基づいたものかをこの二つのコマが教えてくれます。
(*5): VOL.15「小さな指輪」
(*6):ここで言う演出とは、世に溢れる事象、天候、水、雨、階段、花の色、花言葉、靴の色、傘の色、寝具、書棚に並ぶ本の背表紙、そんなすべてを味方にして人物の造型に傾注する才能のことです。映画監督では石井隆さんもそうです。アンドレイ・タルコフスキーさんにも近しいものを感じますね。