なんとなく腹の収まりが悪い。
二谷英明演ずる石塚という元同僚は悪い奴で、裕次郎を罠にかけた上に密かに恋焦がれているルリ子と結婚までしてしまいます。淡い夢を粉微塵にされた裕次郎が憤懣やるかたないのは当然と言えば当然なので、復讐の刃(やいば)を研ぐのは理に適っているけれど、どうしても気になるのは“4年後の現在”の二谷の職業が“スーパーマーケットの経営”と設定されていることです。これは一体全体どうしたことだろう。
僕はスーパーマーケットに直接関わる人間じゃないけれど、身近にたずさわる人を数多く知っています。とても地味な職業で満足に休日も取れませんし、根気と体力が必要です。ですから、そこで働く人たちを悪く見ることが出来ない。懸命に小売業に邁進して見える二谷という男に不器用さ、実直さ、コンプレックスを読み取り、シンパシーを感じてしまう。ルリ子を愛し抜いている、彼女の為に王国を少しずつ築こうとしている、その熱い恋情が時折言動にあふれ輝いて何度かほろりとさせられもします。
闇の世界に通じ、自分の暗い過去を探ろうとする人間を保身の為に殺していく罪は確かに重いのですが、それでも勧善懲悪的な結末には首をひねってしまいました。どうして二谷がヤクザの親分とか悪徳不動産王でなく、スーパーマーケットの社長であるのか。
先日、とある会合で、関東で店舗展開する「サミット」の元社長さん、荒井信也氏の講演を拝聴することが出来ました。荒井さんは作家でもあり、伊丹十三監督が「スーパーの女」(1996)を製作するきっかけとなった本(*1)を執筆しておられます。1934年生まれですから石原裕次郎の三つ下で、完全に彼と同世代であったわけですね。お話は日本におけるスーパーマーケットの生い立ちと将来についてでしたが、「赤いハンカチ」の背景がよく分かり疑問がみるみる氷解していきました。
ルリ子と裕次郎を奥に配して、二谷の亡き骸が眠る墓がラストシーンで映されます。そこに突き立った白く真新しい卒塔婆に書かれた墨文字からも判りますが、映画は昭和38年(1963)を舞台としています。裕次郎が事件の参考人(ルリ子の父親)を誤って射殺してしまった“4年前”の事件とは、だから1959年に起きた計算になりますね。荒井氏のお話によるとさらに遡って3年前の昭和31年(1956)に“百貨店規制法”、正確には“第二次百貨店法”が制定されたそうです。中小商業者の保護のために新規出店や増床を禁じたと捉えられがちですが、業界をよく知り、同時代に生きた荒井氏の見方はもっと多層を含みます。
中学、高校の卒業式で先生に言われた言葉を、荒井氏は鮮明に思い出すそうです。資源のない日本は働いて働いて、どんどん輸出して外貨を稼がないと駄目になってしまう。だから君たちもしっかり働くひとになってください──。こればっかりだったんですよ。
そんな空気の中でこの規制は施行された。一般庶民の“ぜいたくを抑止する”ための政策だったのです。消費に耽溺して労働を厭えば、たちまち製造効率は落ちて外貨獲得の勢いも衰えてしまう。まだまだ外貨を蓄積しなければならぬ。享楽に身をゆだねてはならない、もっともっと働きなさい、と、国は大衆を押さえ込もうとして百貨店を忌み嫌った、というのが荒井氏の分析です。
そう言えば劇中、身も心もすべてを捧げようとベッドで横たわるルリ子に対し裕次郎は、「今はその時ではない」と怖い目をして呟きました。ふたりは遂に身体を重ねることなく、異様なストイックさを保持したままホテルの部屋を後にしますが、この辺りの頑固なまでの自律、自戒の面影は“百貨店規制法”が施行された時代背景と無関係ではないわけです。
しかし、もはや戦後ではないと考える“労働者”は、“消費者”たることを到底我慢し得ない、もう限界だったのです。それに応えたのがスーパーマーケットだった。「売り場を各系列企業のテナントが運営する形で規制を逃れ、大規模な店舗面積で出店するケースが増えた。これもデパートと呼ばれる場合もあり(その場合、あまり百貨店とは呼ばれない)、デパートとスーパーという用語の境界が不明確となった」(*2)
その代表が中内功氏を統帥とするダイエーであり、1961年に日本最大の売り場面積1000坪を擁する三宮店を作り上げました。(この2階建ての店舗が今日のGMSのルーツだったわけね。) 本来は日常品、主に食品ばかりを取り扱う“市場”であったはずなのに、百貨店法の裏を潜って大衆の希望に応えていった“スーパーマーケット”は“非日常”を演出する衣料品、化粧品もふんだんに陳列していく。
1959年に北海道のダム建築現場や漁港へと自罰の行脚(あんぎゃ)に旅立って、1963年に横浜に浦島太郎となって裕次郎は戻って来た訳ですが、そこで1961年頃から続々と建設された(デパートの形をした)スーパーマーケットを知り、群がる“消費者”を目の当たりにする。なるほど、そう言われてみれば、映画の中で二谷の店が画面に映し出されたとき、そこは食品ではなく婦人服の売り場でした。コートを品定めする御婦人たちで混雑した風景は、当時は奇異に映ったのですね。あたかも蜜の滴る花弁に群れ狂える蝶々に見えた。
「しっかり働くひとになってください」と教えられ、それを信じて来た裕次郎の目にはどうしても“堕落や油断”に見えたことでしょう。ミンクのコートを着て歩き、高級車で走り回るルミ子を「違う、違う」と複雑な想いで見つめ、「今はその時ではない」と自制を促がす。そうして、消費文化の源泉であるスーパーマーケットと、その総帥である二谷に憎悪の念をたぎらせていく。
つまり「赤いハンカチ」とは、時代の変革が教育にどれだけ影響を及ぼすか、そして教育が教え子にどのような変質を与え、苦悩をもたらすかを透かし彫りした社会的な作品だったわけです。敗戦による国家的損失を挽回するべく我慢に我慢を重ねることを学校で教わり、オリンピックと万博を目前にすると“消費は美徳”とがらり変質していく日本に対しての“戸惑い”が、映画の暗いトーンを決定付けています。
だからこそ、裕次郎は“早朝”ルリ子に鉢合わせしなければならなかったのです。“豆腐屋の自転車”は偶然ではなく、呼び止める「おトウフ屋さぁん!」という涼しげなルリ子の声も必要不可欠だった。対面商売、それも客の元に自転車を駆って巡回する「おトウフ屋さぁん!」がセルフサービスを原則とするスーパーマーケットと対置されている。
時代の狭間に立って大いに動揺し、自問自答する日本人を代表して裕次郎が描かれている。極めて庶民的、かつ国家的な問題を「赤いハンカチ」は根幹に据えて物語を編んでいたのですね。
問題は「おトウフ屋さぁん!」に続いての“私のおみおつけ”です。おトウフだろうとお味噌だろうと、当初からスーパーマーケットでも陳列されています。にもかかわらず、「赤いハンカチ」では裕次郎が憎悪するスーパーマーケットに組みしない側、つまり、「今はその時ではない」と“労働にいそしむ側”に取り込まれてしまったように見えます。“労働、生産、倹約”といったものの象徴にされてしまっている。
さらに言えば、裕次郎は再会したルリ子に対し、そのコートを脱げとか、その化粧を落せといった野暮なことは強いませんでした。今の美しく化身したルリ子を内心好ましく思っているからです。混乱を抱えたまま魂の決着が付かず、逃げるようにして彼女に背を向け“労働と生産、倹約”の大地に戻っていく裕次郎によって、今や“ぜいたく”を享受し得る体質となったルリ子がぽつねんと取り残されてしまう。この終幕の意味することは、作り手も飲み手もいなくなり、この「赤いハンカチ」(=日本人の思い描くドラマ)の世界から忽然と“おみおつけ”が失われたことを指し示しています。
情念、恋慕の世界から味噌汁が遠く離れていったのは、日本人の多くが上記のような中途半端な空隙に“おみおつけ”を追い落としたせいでしょう。消費文化への転換に当たり、もしかしたら人身御供(ひとみごくう)が必要だったのかもしれませんね。
以来今日まで映画、小説、漫画に“おみおつけ”の影はことさら薄く、時折現われても安定を欠いているように僕は感じています。
(*1): 安土敏著『小説スーパーマーケット』(講談社 1984)
(*2): ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%99%BE%E8%B2%A8%E5%BA%97#.E5.87.BA.E5.BA.97.E8.A6.8F.E5.88.B6