2011年1月12日水曜日

林芙美子「放浪記 第三部」(1947)~何処からか味噌汁の匂いが~



(七月×日)(中略)
 台所で一人で食事。来る日も来る日も、なまぬるい味噌汁と御飯。
ぬか漬の胡瓜を一本出してそっと食べる。ああ、たまにはジャムつきの
パンが食べたい。
 奥さんが、小さい声で叱っている声がする。恩を仇で返されたような
ものよと云う声がする。学者の家と云えどもいろいろな事あり。(中略)
女の泣き声が美しいのに心が波立つ。やぶれかぶれで、またぬか漬けの
茄子を出して食べる。
 酸っぱい汁が舌にあふれる。(*17)


 林芙美子(はやしふみこ)さんが1947(昭和22)年に「日本小説」という雑誌に連載を始めた「放浪記 第三部」は、やはり若かった折りに書き綴ってきた五年分の日記が土台になっています。二十年も前の文章を開陳しなければならないのは、いくら文筆家といえども大変な話です。林さんは当然のこととして加筆をされている。僕みたいな素人目にも随分と手が加えられているのが分かって、それが読んでいて興味惹かれるところでした。

 
 たとえば上に引いたところなどは直往邁進(ちょくおうまいしん)だった一部、二部の気ままな記述と比べてすこぶる技巧的で読みやすく、また楽しい感じに演出されています。林さんが女中として住み込んだ学者さんの家での情景です。台所で朝食を取っていると壁越しに館の主とその夫人との修羅場が演じられる。林さんは男女の悲鳴や囁きを漬け物をもそもそ食べる行為でサンドイッチして見せて、交互して読者の眼前に広がる光景がまるで映画のカットバックです。


さらに味覚や嗅覚を味方につけて、女の泣き声、涙、胃の腑から苦しく込み上げるものと「舌にあふれる酸っぱい汁」を上手く交じり合わせてもいる。哀しさを倍化することに成功しています。ここには明らかに文筆家としての成長が認められますし、既にこれは日記ではなく練り上げられた小説の域に突入してもいる。


 「みんな本当の、はらわたをつかみ出しそうな事を書いている」(*15)と言う林さんの言に嘘はないのですが、“本当”を伝える術の巧みさがぐっと増している。読む方もそれだけ共振していき、他人事として静観することがいよいよ難しい。ふと我が身を振り返って内省を迫られるような部分とも多く出会ってしまう。驚くほど震幅が増しているのです。

 
「いったい、どこに行ったら平和に飯が食えるのだ。飢えていては何を愛する気にもなれない」(*12)と叫ぶ林さんの、けれど誰かを一心に愛さずにはいられない魂が「飢餓感」とみるみる結合して、実に稀有な協和音を奏でていく。愛憎と食べものが連結して魂を謳い、而して“味噌汁”もまた見事な光を放っていくのでした。


以下は熱情のおもむくまま後先無しに同棲をはじめてみたものの、結局は袋小路に行き果てた林さんと若い詩人との間に立て続けに現われ、強い印象を刻んでいく味噌汁の記述を抜き書きしたものです。このような哀しい味噌汁は他であまり見られないような気がします。


(十二月×日)(中略)

 どうにも空腹にたえられないので、私はまた冷い着物に手を通して、

七輪に火を熾(おこ)す。湯をわかして、竹の皮についたひとなめの

味噌を湯にといて飲む。シナそばが食べたくて仕方ない。十銭の金も

ないと云う事は奈落の底につきおちたも同じことだ。

トントン葺きの屋根の上を、小石のようなものがぱらぱらと降っている。

ここは丘の上の一軒家。変化(へんげ)が出ようともかまわぬ。

鏡花もどきに池の鯉がさかんにはねている。味噌湯をすする私の頭には、

さだめし大きな耳でも生えていよう……。狂人になりそうだ。

どうにもならぬと思いながら、夜更けの道を、あのひとがあんぱんを

いっぱいかかえてかえりそうな気がして来る。かすかにあしおとが

するので、私ははだしで外へ出て見る。

雪かと思うほど、四囲は月の光りで明るい。関節が痛いほど寒い。

ばったりと戸口で二人で逢えばどんなに嬉しかろう……。(*13)


(十二月×日)(中略)

 さて、私もいよいよ昇天しなければならぬ。駅の近くの荒物屋へ行って、

米を一升買う。雨戸がまだ一枚しか開いていない。暗い土間にはいって行くと、

台所の方で賑やかな子供達のさわぐ声がして、味噌汁の香りが匂う。人々の

だんらんとはかくも温く愉しそうなものかと羨ましい気持ちなり。

男の為にバットを二箱買う。(*14)


(二月×日)

 朝、まだ雨が降っている。みぞれのような雨。酒でも飲みたい日だ。

寝床のなかで、いつまでもあれこれ考えている。野村さんは紅い唇をして

眠っている。肺病やみの唇だ。(中略)
 
もう、これが最後で、本当にお別れだと思う。

何処からか味噌汁の匂いがする。むらさきのさむるも夢のゆくえかな。

誰かの句をふっと思い出した。(*16)



 恋情の終着点でふと何処からか匂ってくる味噌汁。化け物の吐息でしょうか、それとも粉微塵になった淡い団欒の夢の残り香でしょうか。人がひとを愛した果てに訪れる真空の朝に、幻の味噌汁が湯気をそっと放っています。 


 関節が痛いほど寒い、そんな凍える日々に僕たちも入りましたね。

 元気に温かくしてお過しください。


(*12):第三部 421頁
(*13):第三部 438頁
(*14):第三部 448頁
(*15):第三部 450頁
(*16):第三部 470頁
(*17):第三部 498頁

「放浪記 第三部」は上に書いた通り、その原型を1922(大正11)年まで遡ります。けれどここでは加筆され完成されて雑誌に連載なされた時期、1947年を以って一応の区分けとしました。
最上段の写真は映画「放浪記」監督 成瀬巳喜男 1962 

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