2011年4月20日水曜日

池田敏春「人魚伝説」(1984)~成仏出来んなぁ~



のぶの家・台所
  のぶに続いて、みぎわが入って来る。
のぶ さーさ、坐って食べた食べた。
  食卓の上には、御飯と味噌汁、干物と漬物が並べられている──
  みぎわ、箸を取るが、ぼんやり食欲無げに見返しているのみ。(中略
)


のぶ ちゃんと食べんと……

辰雄 かまわんかまわん。
のぶ かまわん事あるかいな。そのオカズ嫌やったら、昨日の残りで
   済まんけど……
  と、バタバタと立ち上がり冷蔵庫の中を探し始める。
辰雄 もう終いやから……。御馳走さん。
  と、立ち上がり
辰雄 ちょっとブラついて来るわ。(みぎわに)ごゆっくり……
  と、出て行く。
のぶ もう、ほんまにしょうの無い人やで。(中略)
  みぎわ、のぶをみつめ返して、残った飯に味噌汁を掛けて、
  流し込むように食べ始める──(*1)

 
 上に引いたのは池田敏春(いけだとしはる)さんの映画「人魚伝説」のシナリオの一節です。池田さんを偲ぶ追悼上映があると知り、二十数年ぶりに押入れの奥からパンフレットを取り出して再読しました。完成された映画からはカットされた食事の風景です。

 「人魚伝説」は一種のおとぎ話です。風習、土俗信仰の要素を注入して非現実感を大胆に地平に拓き直し、みぎわという主人公のおんなの爆発していく観念を観客のこころにぶつけて来ます。劇の中盤でおんなが緊急避難した小島ではおじいさん(宮口精二)とおばあさん(関弘子)が待ち受けるあたりも昔話のみたいですね。竜宮城の豪華な歓待というわけにはいきませんが、朝夕の食事の世話になり、愛らしいふたりの口喧嘩を見つめながら身体とこころの痛手を静かに癒していく。味噌汁はそこに登場していました。

 こころ許す仲となったみぎわと老夫婦だったのですが、みぎわが厄介なトラブルを抱えた身と知って夫婦は島をどうか去って欲しいと切々と願い出るのでした。味噌汁を含むほのぼのとした描写の数々が上映時間の関係か割愛されてしまったのは残念ですが、この竜宮城を追い立てられていく人魚の悲しみを了解すれば物語の奏でる哀切もより増して、幕引きを飾る大殺戮の寂寂(さびさび)としてどうしようもない感じが鮮明になるように思えます。「人魚伝説」に惹かれて止まない人は多いようですが、機会あればこのシナリオも一読してもらいたい気がいたします。

 さて、脱線を覚悟で話をそらします。よく知られた話ではありますが、サスペンス映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコック監督は自作の中にマクガフィンと呼ばれるものを多用しました。たとえばイングリッド・バーグマンを主演に迎えた「汚名 Notorious(*2)という作品のなかで、怪しげな砂利の詰まったワインの壜が登場しています。それを闇から闇に秘蔵し、大量破壊兵器を開発しようと目論む悪の組織があるのです。

 国の情報機関に協力して潜入捜査をしていたバーグマンに危機が迫るという筋書きなのですが、観終わってみればこの怪しげなものが兵器原料である必要は全くなく、麻薬であっても病原菌であっても、はたまた政治家の醜聞(スキャンダル)だって構わないのでした。要するにバーグマンが怖い目に遭えばいいのです。これがマクガフィンってやつ。以来、この手の最後まで実態の見えない小道具で、雰囲気を後押しするために盛り込まれるものをマクガフィンと映画界では呼びならわしているのです。

 「汚名」でのワイン壜の中身は何だったかと言えば、粉末のウラニウムなんですね。振り返れば僕が観て育った映画や小説、漫画ではウランや放射能が随分と小道具に使われていました。例えば「ゴジラ」(*3)にしてもその発生は原水爆実験による環境破壊に原因すると設定されていた。大きなスクリーンに映る怪物の姿とその吐き散らす青白く発光する息、たちまち爆発していくビルディングの様子に震え上がった覚えがあります。ぼうっと背びれなんかも光って薄気味悪かったですが、あれのお陰で人知をはるかに越えた存在だと納得させられましたね。

 戦争の傷痕が十分に癒えない日本において、放射能は恐怖の象徴として十分に機能していたのです。身体に悪いもの、猛毒であるもの、得体の知れぬ秘密めいたものという認識を無理なく広め、劇場に集う観客なりブラウン管に群がる家族を同じうねりで包(くる)むことが出来た。作劇上、とても重宝なマクガフィンとなって、とことん使い回されていた訳なのでした。

 他にも発電所が大爆発して死の灰が撒かれたり、放射性物質をめぐって狂信的なグループや宇宙人が暗躍したり、人間の身体や精神に影響をおよぼして超人的な能力を発現させたりとなんとも騒々しかった。多くは娯楽作品であったから科学的な考証がないがしろにされ、描写も乱暴だったりしました。確かに無茶苦茶なお話もありましたね。批判を浴びて製作者サイドが急遽謝罪する、そんな展開もありました。

 公開当時に僕は観ているのですが、27年程前に作られた映画「人魚伝説」も似た色調に染まっていました。小さな漁村を舞台に原子力発電所建設のための策謀が渦巻き、反対する若い夫婦が厄介者として葬られそうになります。夫を殺されたおんなは復讐の鬼と化して首謀者に襲い掛かり、終幕をほとばしる鮮血で真っ赤に染めていくのです。

 開発の誘致をめぐる村内の対立がメインであって、原子力発電そのものに対して声高に意見するのではない。廃棄物処分場でも大型量販店でも、ダムでも空港でも何でも良かったように思えます。元々は観光レジャーランドを建てるか否かで衝突していた村人同士だったのですが、躍起になっていた土木業者の社長がすり寄ってきた電気会社に取得済みの土地を丸々提供したあたりから話が錯綜していくのであって、なんとなく唐突な感じが付き纏う。レジャーランドを巡っての紛争で押し通しても一切差し支えなかったわけですから、放射能マクガフィン映画の典型だな、と思ったものでした。

 ところが監督の池田さんの追悼上映にあわせて再読したパンフレットのそこかしこからは、当時の作り手の思いは存外に熱いものだったと知れるのです。娯楽作品の皮をかぶっていながら、内奥では拡大する原子力政策に対し盛んに警鐘を鳴らしている。例えば「太陽を盗んだ男」(*4)とかもそうだったけれど、この「人魚伝説」にしても生真面目過ぎる武骨さが雑じっており、どっしりとした重石と挑戦的なまなざしが添えられている。先行きがまるで視通せぬ暗澹たる状況にある今の僕たちからすれば、なおさらに胸にびんびんと響いて来るものがあるのです。

 特に原作者の宮谷一彦(みややかずひこ)さんの寄稿には故郷を喪失していくことの苦悩がにじみ、また過疎地にその手の施設が林立するメカニズムも吐露してあって実に痛々しい印象を受けます。煩悶する内実を発言や作品というかたちにすれば、それ以来地元のメディアからの声掛けが皆無と化したという冷徹な現実にも触れてあって、今この時も多発して表現者や記者を苦しめていく舌禍(正統な意見や情報発信だと僕は思うけれど)がいかに根深く強大かが分かります。

 そのような予備知識を得て再度向き合った「人魚伝説」は放射能マクガフィン娯楽活劇ではなくなっていました。追悼上映会は八割ほども席が埋まって盛況だったのですが、誰の胸にも明確なメッセージがどんどん雪崩れ込んできて揺れ動かされるものが確かにあったのです。

 上映後にはこの映画の製作を務めた方が池田さんを悼むトークを行なってくれて、話の流れはどうしても発電所事故に触れざるを得なかったのですが、その語句のひとつひとつに僕は頷くばかりでいました。宮谷さんの原作にはなかった「原発」を主人公と対峙する巨悪に据えたのは池田さんの直感に縁(よ)るものであったのだけど、ロケ地の海で昨年暮れに池田さんが生命を絶って以来、現実が物語通りに展開しているように思えてならないこと、膨大な利潤を手にほくそ笑んでいる会社なり機関に深くいきどおっていること──。本当にそうですよね。僕だけでなく耳を傾けた多くのひとも実際そのように感じていたと信じます。

 池田さんの造形したみぎわ(白都真理)というおんなの憤怒や苛立ちや脱力感が隙間なくシンクロして、物語空間に呑み込まれてしまった感じがします。「立派な映画です」と評する関係者の言葉には身びいきは露ほども含まれていませんでした。「それがこういう形(事故)で立証されてしまったことは悔しいが」と小さな言葉で関係者は継がれましたが、ほんとうにそう思います。立派で、そして悔しい映画ですね。

 さらに胸に沁みたのは、次のようなお話でした。何をやっているのだと怒りが湧く一方で、竣工して40年も経って耐用年数もとっくに過ぎた施設があのような状態になったことに色々な感慨を抱く。自分は東京に生まれ東京で育って今は六十歳だけれど、これまで四十年の月日をあの発電所の送る電気の下で過ごして様々なものを享受してきてしまった。それを思えば一方的に原発反対と声を荒げることが出来ない。自分のはね返ってくるものが随分とある──

 確かに僕だってそうでした。暮らしたり遊んだり、泣いたり愛したりしたあの時、あの場面の光の数々は確かに今や瓦礫と化したあの場処から送られた電気によるものだった。関東以外の場所に足を運んだとき、その地でも同じようにして原子力発電プラントの力に僕は知らず知らずの内に頼っていたはずです。敵対者ではなく身内としてよくよく内省し、今後どうあるべきかを一緒に模索するのが正しい姿勢かもしれません。

 創造する者は世相をよく読み取り、受け手を絶えず揺れ動かしていくのが役目である、池田はそういう作り手だった、という主旨のお話も壇上から出されました。

 放射能という響きが使い古され、もはや新鮮味を欠いてマクガフィンに適さなくなった事、メディアミックスを戦術の根幹に置くようになってから表現上の制約が進んでいること、さらに差別表現を回避して訴訟トラブルを未然に防ぐこと、クライアントに睨まれず、仕事を干されず日々の糧を必死で守らねばならぬこと。そのような諸条件が何重にも縛ってか、いつしか娯楽の世界からすっかり原子力放射能は影を潜めてしまいましたが、消えてなくなっては良いもの、では決してなかった。玉石混淆であっても構わないから、漫画家、小説家、劇作家の皆さんには次の世代、その次の世代、百年後、二百年後の世代に向けて既成概念を揺れ動していく「考え続けるための種」を勇気持って蒔いてもらいたいと心から願います。

 ウェブを介して色々な意見が飛び交っていますが、大事なのはいつまでも語り続けることであり、そういった意味合いでは朽ち果てることなく時折再生されていく映画という媒体は貴重な発言者なのだと思わせる濃密な夜でした。電車を乗り継いで苦労して行った甲斐がありました。

(*1):「人魚伝説」 監督 池田敏春 脚本 西岡琢也 1984  引用は劇場版パンフレット「アートシアター157号」より
(*2): Notorious 1946
(*3):「ゴジラ」 監督 本多猪四郎 1954(第五福竜丸の被爆事件の年)
(*4):「太陽を盗んだ男」 監督 長谷川和彦 1979

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