2011年4月13日水曜日

森瑤子「男殺しの一皿」(1991)~最後におしょう油をじゅっと~


 渦中の発電所に程近い街、と言っても○○kmも離れた場処を“近い”と表現していいのか微妙ですが、所要があって先日訪ねました。地震の爪痕が生々しくって息を呑みました。遊技場や車の展示販売店の大きなガラス窓が割れ落ち、安全のために出入りが禁じられて人影がありません。茫漠としてひどく寒々しい風景です。住宅の屋根瓦はざくざくに崩れて用を成さないように目に映ります。何とか梅雨の前までには修繕しないといけないでしょうが、これだけの戸数ともなると間に合いそうにない。


 道路は何箇所も波打ち、修復の舗装工事で流れが堰き止められてしまいます。予定していた時間に随分食い込んでしまったけれど、埃や外気にまみれながら淡々と作業にいそしむ男たちの姿を見ると頭が下がるばかり。この程度の遅れで済むなら御の字です。ただ、このまま走れば相手先に着くのは正午間近が確実だから、どうにかして時間をつぶし食事の時間を越してから門を叩く必要があります。


 スーパーマーケットを覗いてみると商品陳列は平時に戻った風であり、買い物客の姿が溢れています。豆腐を吟味している老夫婦、納豆を幾つもまとめ買いする婦人、ちょこちょこと母親に付き従うマスク姿の小学生の姉妹。ベーカリーコーナーにも売り子さんが立ち、懸命に客寄せしている様子に心打たれます。僕の住まう場処と比べれば放射線測定値は実に35倍以上ともなるこの地で、国と県の発表や見解をひたすら信じながら生活と家族を守り闘っている市井の人たちがたくさんいるのです。


 時間がありますから幹線道路から少し入った場所にある中古書店に立ち寄って、書棚のなかを回遊して過ごそうと腹を決めます。フランチャイズの飲食店のどこかに入ってしまえば運転の疲れもほぐせて一石二鳥に違いないのだけれど、正直に打ち明けてしまうとこの地で食べものや飲み水を摂るだけの勇気や割り切りが僕にはなかった。風評に踊らされた軽率で恥ずべき態度と批判する人もいるでしょうが、僕はとても不安で怖かった。訪問すること自体にすら、随分と逡巡する時間があったのです。


 一方で過酷なこの状況から逃げず戦っている人に敬意を示したい気持ちも嘘でなく、先程のお店で瞳に焼き付いた従業員の皆さんの必死な笑顔もちらちら明滅して、気持ちは引き裂かれて居心地は最悪でした。実際に足を踏み入れてみて幾らか肥大していた僕の漫画じみた空想は肩透かしを喰い、なるほど恥じるものもあったのは確かです。後方支援の役回りとして大いに飲食してお金をこの地に落とすことの意義もよくよく踏まえてもいる。けれど、植え付けられた“恐怖”というものは生半可な理屈ではそう易々とは押さえ込めないものです。


 理詰めで屈服させるには相応のきっちりした弁舌が不可欠であるのだし、何につけ折伏(しゃくぶく)には時間を要するものです。国には言葉をもっと尽くして不安を抱える僕たちを完膚なきまでやり込め説得してもらいたい、そう本気で思っているのだけど難しそうですね。


 パラパラと手元で頁を繰りながら、それとなく目のふちで店内の様子を窺(うかが)っています。内心を垣間見たい、その一念です。この地に暮らす人たちを知ることで、我が身に巣食う恐怖を半減出来たら嬉しいと思うのです。


 若い父親に連れられた男の子が目に留まります。自由に歩いて物色しても構わないと優しく父親は促がすのだけれど、男の子は決して側を離れようとしない。文庫本の棚の前でほんの少しだけ距離を空け、所在ないというより明らかに不安気な面持ちで寄り添っているのでした。小さなその身体でどんな光景と音を見聞きしたものだろう。神経質な物腰と目付きがとても寂しく胸に迫って、言いようのない疼きと憤懣を覚えました。


 客の出入りのたびに繰り返される店員さんの声が、まるで悲鳴か溜め息のようにか細く裏返ってしまって、これも随分と痛々しく響きます。あの瞬間をどんな気持ちで向かえ、今までどんなに心細く感じたことだろう。気丈を装っているけれど、とことん打ちひしがれた内奥を誰もが抱えており、かろうじて歩んでいるように僕は見て取りました。


 手に持った森瑤子(もりようこ)さんの文庫本をめくりながら、僕は例によって醤油や味噌の記述を探したりしています。森さんの作品と出逢った幸せを熱っぽく語る女性がたまにいますよね。これまで僕は森さんの本を開いたことがありませんでしたが、なるほど文章の端々には凝縮なった重力というか独特の濃度を感じさせて、すっと胸に沈んでいき心地好いものがある。


 三十代の真ん中と文壇デビューは遅かった森さんです。それまでの間に生活や文化と真摯に向き合い、想いと体験を厚く堆積させた末にようよう訪れた“発言の場”にすっきりと佇立して見えます。多層で奥行きがある。暗い内奥に潜んで、ときに抑制の利かなくなる人の情動の諸相についても容赦なく切り結び存分にさらけ出し、それを決して醜いとは思っていない。人生に関する堂々たる提言、完成されたおんなの覚悟にぼうっと抱擁されて見えて確かに美しい。熱くなるひとが出て当然です。


 新刊ばかりを扱う書店では、森さんの本を探すことが難しくなっています。こうして何か縁あって飛び込んだ古書店に森さんの文庫本がまとまって並んでいるのを喜び、一冊一冊を手にとり眺め、表紙や中身の日焼け具合を確かめるうち、どうやらこれ等が一人の持ち主の手より離されここに肩寄せているように思えて来ました。


 頁をめくっていたその刹那、暖色系の幻視をともなう花の薫りの、それは僅かに立ち昇って胸あたりで直ぐに霧散してしまった実にあえかな一瞬の感覚であったのだけど、紙と紙との間から不意を打って鮮やかに押し寄せるものが在ったのでした。この闘いの地にまだ残って踏ん張っているかもしれぬ、懸命に生きて暮らしているひとりの確かな人間の願いや祈りや、嬉しさや涙を想起させるに十分な匂い、残り香だったのです。


 実際にはもうこの地に彼の人はいないかもしれない。けれど、ここが人間の住まう大地であり、ささやかな幸せを求めて築いてきたささやかな街であることは身に染みて分かりました。人の想いなど一向に意に介さない無機物の放射能物質とは本来「闘い」は成立しません。互角に闘えると思うことが思い上がったことであって、避けるか、逃げるか、落とすか、それしかないと思うのだけれど、僕はこころから応援したい気持ちになっています。今この時もそこで暮らし、両足で地を蹴って見えざる津波を押し返そうと闘っている男たち、おんなたち、すべての人たち、どうか頑張ってください。


 誰もが誰かを気に留め、思いをそっと馳せながら、また気に留められながら生きている。その見えないこころの傾斜は確かに無力で役立たないのだけれど、その無色の想いを受け止めることから微かに前進するものはきっとある。そのように信じます。


 そうして僕は森瑤子さんの、“サーディンどんぶり”と言う彼女の得意料理(醤油を使う)を紹介したエッセイを収めた文庫本一冊(*1)と、川上弘美さんの原作を忠実に絵に起こした谷口ジローさんの「センセイの鞄」の上下巻を手に携えレジで清算し、やはり悲鳴と吐息の少し交ざったような“またお越しください”の二重唱に送られて店を後にしました。


(*1):森瑤子「男殺しの一皿」 手元にあるのは1995年初版の角川文庫「非常識の美学」で、全部で56篇のエッセイが所載されている。奥付によれば初出は「アンアン」(マガジンハウス)での1990年から翌年にかけての連載らしい。「男殺しの一皿」の具体的な掲載号は把握していないが、後半に座を占めているので91年ととりあえず表題には記した。間違っていたらごめんなさい。缶詰のオイルサーディンをフライパンでさっと炒め、醤油で締めてほかほかのご飯に乗せる、最後に薬味を一振り。たったそれだけの料理であるのだけれど評判はすこぶる良かったらしい。晩年になって構成に関わった「森瑤子の料理手帖」(講談社 1994)では“ヨロンどんぶり”と呼称を変えている。

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