skip to main |
skip to sidebar
「お食事持ってきましたよ」 谷川が窓際にある小さなテーブルの上に盆を載せた。白飯に炒め 物のおかず、小皿に梅干しが添えてある。塗り椀があるのを見ると、 味噌汁が付いているのだろう。(中略) 浪子(なみこ)は谷川が出て行った後、部屋にひとつしかない中国 風の椅子に腰掛けて、光代の手料理を食べた。すっかり冷めていたが、 小さな角切りの豆腐の入った味噌汁は懐かしく、旨かった。梅干しも 日本の白米も、物質のすっかりなくなった広東では手に入れることの できないものばかりだ。 (中略) 「いいよ、それより飯食ったか」 質(ただし)は浪子の方を見ずに尋ねた。浪子は谷川が運んで くれた冷たい夕食のことを告げようかどうしようかと迷ったが、 結局黙っていた。(中略) 「食べてないの?ここの奥さんのご飯は日本食だからね。旨いよ」 空腹ではないかと気遣ってくれないのか、あなたの妻になったのに。 気の回らない質に苛立ち、とうとう浪子は言い放った。 「あなたが帰って来ないから、あなたの分食べちゃったわ。久しぶり にお味噌汁飲んで感激したわよ。おいしゅうございました!」 質はやっと返答を返した浪子の顔を見た。そこに何かを見出した のか、急に痛ましそうな表情をした。自分の顔に何が現れているのだ。 旅の疲れか惨めさか、病の徴(しるし)か。鏡が見たい。浪子は不安 になり、思わず両手に顔を埋めた。(*1) “食べもの”を登場人物のこころと連結させて、物語の色彩と濃淡をコントロールしていく。ときには“色気”と“食い気”を強引にない交ぜにし、個としての人間の輪郭を多角的に照射して浮き上がらせる。それによって読者の感情をも変幻自在に操ってみせる。稀にではありますが、そんな舌を巻く描写にぶち当たるときがあります。凄腕の書き手が日本にはいて、桐野夏生(きりのなつお)さんはそのひとりだと僕は思っています。 十年も前に書かれたものですが「玉蘭(ぎょくらん)」という作品があって、恥ずかしながら今ごろになって手にして読んだのだけど、実に濃厚な味わいで胸に応える読書、硬い芯のある週末となりました。 冒頭から末尾まで貫いている清澄な趣き、真摯な世界観もさることながら、使えるものは何だろうと動員して舞台をくまなく飾ろうとする作者の貪欲なまなじり、狂気にも似た緻密さにすっかり惚れてしまいました。当然“食べもの”も豪奢に、けれど無駄なく配置されている。 たとえば物語の前半、航海の間、極度の緊張を強いられて魂をすり減らした船乗りがようやく陸にあがり、次の出航までに揺らいでしまった自分をどうにかこうにか立て直すために酒に溺れ、破壊的な面持ちで猟色していく夜が描かれるのだけれど、その際に男が歩んでいく場処は“食品市場”なのでした。異国のマーケットですから、甕(かめ)や篭(かご)に入れられた蛇やら犬やら蛙やら、おどろおどろした“食べもの”が列をなして視覚と嗅覚をいたく刺激します。それらは男がこれから挑もうとする官能の闇を、黒々と補強して塗り固めている。(*2) また、回復不能な喪失感を抱えた初老の男が人生に疲れ、自死することをいよいよ望んで、季節外れの雪に染まる別荘地をひとり放浪する場面が後半に訪れるのですが、奇抜な風体の老女が唐突に現われて男に救いの手を差し伸べます。おごそかな幽棲へと男を導いていくこのおんなには、異国帰りの破天荒な性格が割り当てられており、食事の場面では白飯に臆することなく砂糖をまぶし、さらにミルクを注いで食べて見せるのでした。男は唖然として声を失うのですが、その“普通とは違う食べもの”とおんなの堂々たる食べっぷりを好ましく思い、いつしか死の誘惑を断ち切っていくのです。(*3) “食べもの”と情感が編みこまれていて、どちらも実にうつくしい。 僕たちの日常を覆う“食べもの”とこれに寄り添い萌芽していく人情の機微を、桐野さんは透徹した目線ですくい上げていく。そうして、両者の関係を再構築して自らの劇世界に植え替えて行き、リアルな色調で虚構世界を彩って見せるのです。咀嚼と血肉化の連携が見事ですね。 上に引いたのは物語の中段にあって、先の二例にあるような感情の湧昇、凝縮とは真逆の動きが見られる場面です。 不幸な生い立ちのおんなと男が出会い、おんなは未来を託して身ひとつで男のもとに走ります。転がり込んだ住まいは賄いつきの下宿の三階であり、疲れて空腹のおんなに冷めた夕食がひと揃え届けられるのでした。これが“普通の食べもの”それも異国(上海)にあって場違いな感じの「日本食」であるのが興味惹かれるところです。 帰宅した男はどこかで酒をあおってきた様子であり、おんなの同居にどう反応していいのか戸惑いを隠せないでいます。おんなはおんなで疑心暗鬼にとらわれ男に食ってかかるのでしたが、その台詞には“味噌汁”が取り込まれており、きわめて強いスポットライトが浴びせ掛けられている。 虚ろな逡巡やどうしようもない感情の交錯が誘爆して次々と蒼黒く燃え立ち、気持ちをどんどん落ち込ませていく。情愛のあかあかとした焔が鎮火しかけて危機的な状況にあります。「日本食」と“味噌汁”があわせ選ばれ、そのかたわらを占めていく。それは作家の生理というのではなく、長い時間かけて僕たちに刷り込まれた“食べもの”と魂の相関について、桐野さんなりに手づかみし辿り着いた風景、逃れようのない、まさに目前で展開される“僕たちの場景”であるように感じます。 冷めた味噌汁のすっと鼻孔を透きあがる、潮風のような尖った気体の奥で夢の残滓がどこか香るようであり、なんとも切ない微動を引き起こす。味噌汁とは哀しい“食べもの”なのかもしれませんね。 (*1):「玉蘭」 桐野夏生 2001 朝日新聞社 引用は186-192頁 初出「小説トリッパー」1999-2000 (*2):同136-137 (*3):同365頁
“色気より食い気”(“花より団子”も同工異曲かな)といった言い回しが僕たちの暮らしのなかには脈々と活きています。情念や恋慕、性愛といった階層と“食べもの”はシーソーの両端にすっかり分け隔てられてしまい、ぎっこんばったんを繰り返しているみたい。 “食べもの”を介したラヴストーリーがそのためか、なかなか充実しない、育たない。 テレビドラマはそんなのばかりだって。いや、ここで言うのは単純に食堂や酒場を舞台にしているかどうか、ということじゃなく、もう少し粘っこい話です。 現実を見渡しても、仲の良い夫婦や恋人の隙間は定番の欧州料理やエキゾチックな中東料理なんかがかろうじて埋めがちであって、和食の旗色はさらに悪い。掘り進めていけば傑出した表現も見つかってこの頁でもいくつか紹介した通りなのですが、味噌や醤油と限定する以前のずっとずっと前段からしてきびしい戦局な訳です。本当に料理がからむと色っぽくならない。人間の生理なんだと言ってしまえばそれまでだけど──。 “食べもの”を挟んで男女が向き合い魂をせめぎ合っていく、そんな様子を果敢に描いたものとしては、伊丹十三(いたみじゅうぞう)さんの遺した一本の映画(*1)が僕の記憶には鮮やかです。あれは演技者、文筆業ともに伊丹さんという人が独特のポジションを確立していたためでしょうね。日本人という立ち位置を嫌い、常に国際人を意識した結果であったように思えます。日本人が日本人の官能を描くとき、どちらかと言えば料理は邪魔になってしまう。 そのような訳で、いつも不思議を感じながら僕は日本の小説や映画に挿し挟まる“食べもの”を見つめてしまう次第なのですが、先日、栗村実(くりむらみのる)さんという人が監督した「飯(めし)と乙女」という映画(*2)を観ながら、思いはより一層強まるばかりで、まあ、そういう作品、つまり思考や対話を煽るのが当初からの狙いみたいな世界観だったのだけど、それにしても全篇“食べもの”に覆いつくされていながら、かくも大きく“色香”との距離を置いてしまうものかと驚いてしまったのでした。 夜半から明け方まで営業している気の置けないダイニングバーの、狭い調理場で夜毎奮闘する娘(佐久間麻由)や、常連の男女それぞれが抱える“食べもの”への憧憬、(当人にとっては心底重大な、傍目には奇妙な)食べることへの嫌悪感、抵抗感が描かれていきます。魂が決壊して相手をきつく抱き寄せ、暗く冷えた床に熱い身体を転がしていったり、精神世界の融合を果たした男女が互いの裸身を噛み合うという切々とした時間も訪れるのだけれど、にもかかわらずどこか乾いている。何故にこうも醒めた感じになるのか、不思議なんですね。 役者に色香がないというのではなくって、また、画面に力がないというのでもなくって、何というか、やはり「距離」が遠い。“食べもの”のベクトルと情念のベクトルが相互干渉して失速していくように見える。 演出者が虚弱体質であるとか、生に向かう執着の極端な薄さみたいなものが反射したかと疑ったのだけど、一概にそうとは言えないみたい。と言うのは、この「飯と乙女」の末尾には同じ栗村さんが演出した8分間の短編(*3)が付されていて、これもまた“食べもの”を主軸に据えたお話なのだけど、こちらは打って変わって血肉の臭いの生々しく、料理に競うように盛り込まれた男女の情念が室内に揮発し存分に香り立っても来て、僕の五感を大いに震わすところがあったのです。 イタリアを舞台にし、画家の親子が登場し、そこに攻撃的な物腰の大人のおんなが闖入し、原型とどめる兎の肉が包丁で裂かれ押しつぶされして調理されていく、その過程が加わりもするから“非日常”はいよいよ極まっていく。昂奮を誘う罠はふんだんに仕掛けられ、僕たちの足元をすくおうと待ち構えています。なんだ、やれば出来る人なんじゃん。 だったらどうして。男女の吐息の匂い迫ってくるような夜陰(やいん)やねっとりと絡み合う視線なんかと“料理”があまりに似合い過ぎて、先の淡泊な本編(日本篇)との段差は一体全体なんだったのだろうと首をひねり、混乱してしまうのでした。 日本人の抱える穏やかさ、幼さ、歯切れの悪さ、深慮、虚ろさ、空白、息づく種火といったものを“和食(もしくは家庭料理)”のさっぱり感、小分け感、インスタント感を介して捉えようとした、ある意味“確信犯”だったのかと今は勝手に思ったりしています。 どのような映画であれ小説であれ底の浅い予定調和に終わるのでなく、常識を軽々と超えて混迷を誘ったり、逆に収拾のつかぬ内実の整理に役立ったりする、そんな“高ぶったもの”が具わっていてもらいたいものですが、僕にとってこの二篇はいずれも虚を衝かれるところがありましたからね、悪くない時間なのでした。 栗原さん、佐久間さん、そして関わった皆さん、美味しかったですよ、ごちそうさまでした。これからも面白い切り口で世界を料理していってください。 連休をとれないどころか、なにくそ、の勢いで働いている人も多いでしょう。 どんな現場でも、ところどころには得難い瞬間が潜んでいる。 どんなに地味と思える仕事にも探せば色香はあると思うし、 美しい瞬間はきっとあると思います。いい週末を── (*1):「タンポポ」 監督 伊丹十三 1985 (*2):「飯と乙女」 監督 栗村実 2011 (*3): Rabbit for Dinner 監督 栗村実 2011 最上段の絵は劇中に挿入される絵で、Sandro Chiaという人の作品らしいです。気持ちが引きずられ、渦巻きにされちゃうような力がありますねえ。引用は下の頁から http://culturedart.blogspot.com/2010/11/rabbit-for-dinner-chia.html
VIDEO 食べ物とは無関係なんだけど、 あまりに綺麗なんで貼りたくなりました こんな素敵な場処に、不粋なものを撒いてはいけない 罪つくりなこと、と思いますね 宇宙とはあまり関係ないのだけれど、思いつくまま続けます。 (台風のせいかもしれません。気圧の変化で頭がぼうっとしているところがあります。) 日々の諸相を言葉に変えて綴ること、すなわち“日記”がかくも人気を博し、大量に生い茂ったことは過去なかったように思います。ウェブ上には赤なり蒼なり色とりどりに今日も乱れ咲いて、僕たちの目を和ませていく。 こんな言葉を贈られたよ、偶然電車で乗り合わせた人が面白かったよ、満開の花がきれいだったよ、さびしげな湖にひとりで佇んでみたよ、エトセトラエトセトラ──。 書き手の人柄、世界観、嗜好が透けて見えてくる。両の掌にすくった感動や惑いといった五感の記憶が、指の隙間からさらさらと洩れて消えていくのを必死で堰き止めているようにも見えて、健気だな、頑張ってるな、それに時間は残酷だな、とも思います。 他人の目を意識する以上、話のネタは自ずと絞られてしまう。表向きは無難なものになるのが普通だけど、反面、ウェブ独自の匿名性にすがり内奥をそっと吐露する頁もあったりして、そんな文章に突き当たると実にうれしい。 (身勝手と承知しながらも)行間に隠された書き手の想いを手探ったりする時間は、何と言おうか、さながらマッサージ師になって指先に神経を集中し、肌の奥に潜むコリを見据えていくような感覚がある。それに、単調過ぎる日常によって胸奥で生じてしまいどうにも埋まらなくなった暗い裂け目が、透明な熱い接着剤を流し込まれふさがれていくみたいな、そんな不思議と慰撫される気分もあって悪くないのです。面白いですよね。 先日、ある女性の日記(*1)を読みました。生涯を通じて綴った膨大な量の、それはほんのほんの一部に過ぎなかったのですが、圧倒され、呼吸が止まるような言葉や場面の連続でした。鮮やかで烈しい感情の起伏が眼前に迫って蘇えり、八十年程も前に起きたこととは到底思えない。 ささやかな毎日を点描する僕たちのものと、全霊を傾けて刻んでいった彼女の日記とでは比ぶべくもないのだけれど、何事につけそうでしょうが月を跨ぎ年を跨ぎ、長く細く続けていくのも悪くない、きっと意味あること、大切なことなんだと鼓舞されるところがありました。 季節は秋──同じ時代を偶然に歩む多くの善き人たち これからも堅実に、ささやかに歩んでいきましょう そうして、日々芽生える思いを綴っていきましょう (*1):「インセスト―アナイス・ニンの愛の日記 無削除版 1932~1934」 アナイス・ニン 杉崎和子訳 彩流社 2008
“絵”を観に行きました。休みを利用しての日帰り旅行。“たった一枚”の絵を見るためしては目的地が遠過ぎます。往復に時間を食いますし、朝早いうちに出立しなければなりません。「何もそこまでして」──自分でも酔狂と感じます。
ピカソの“ゲルニカ”。小学校や中学校の美術や歴史の教科書にも写真が載るこの絵は、だからほとんどの人にとって既知の、もはや鑑賞に値しないありふれた作品となっていますね。これから見(まみ)えようとするのは、その“ゲルニカ”なのでした。
知識や情報のインプットが背中を押しているのは違いないですね。図書館で評論二冊を借り受け、ざっと目を通してあります。どのような手順で仕上がっていったか、眼前でどんな人間ドラマが繰り広げられたか、その生い立ちはおおよそ理解しています。知れば知るだけ風が吹き抜け、いつの間にか芯に忍ばせた部分にまで炎がおよんでいる。油断大敵、火がぼうぼう。
気持ちにずいぶんと弾みが付いてしまった。“絵”それのみの魅力に煽られほだされる次元から、絵筆を握る創造者の内奥へと興味の幅がずんと広がります。どうしても“実物大”を感じたくなりました。
窓のむこう、車の背後に飛び去っていくのは、青々と茂った田んぼであり、蕎麦(そば)や大豆の植わった緑色の絨毯です。スペインの乾いた白い大地ではもちろんありません。道端には草木塔がたたずみ、そこかしこに小さな祠(ほこら)がちょこんと在って、なかには男性器を模した石など正面に飾られていたりするのです。日本の田舎道以外の何ものでもない場所を駆けていく。つまり“ゲルニカ”は“模写”であって実物ではない。
たかだか“模写”を目指して大の男が突っ走るのは、よほど滑稽に目に映るでしょうね。僕を突き動かしたのはこの“模写”が、小学校や中学校の美術の時間や高等学校の文化祭でよく行なわれる類(たぐ)いのものでなく、ひとりの画家が三ヶ月を費やして本気で取り組んだ結果であるからです。そうでなければ訪れる必要を全く感じない。
伝えるローカル紙の記事と写真から目が離せなかった。ある画家が別の敬愛する画家とすっきり融合する目的として“模写”が行なわれた気配が濃厚であり、黙黙と線を引き、深く頷きながら色をひとつひとつ置いていったであろう崇高な空間と時間が行間から垣間見れて、こころをきつく縛りました。
廃校となった元分校の二階が画家のアトリエに提供されており、そこに隣接する、以前は体育館として使用されていた広い場所で“ゲルニカ”が再現されたのです。僕ひとりのためにわざわざ鍵を開け、にこやかに出迎えてくれた施設の責任者の方から製作の裏話を聞くのは実に刺激的で、静かな興奮をまたまた誘うのでした。
手入れはされているとはいえども廃校は廃校ですからね、淋しげな風情が壁や床板に宿り、子供たちの歓声をかすかに幻聴するような空間なのだけど、其処ここから“ふたりの画家”の気魄と執念があざやかに湧き溢れてくるようで、居るだけで大層愉快なのでした。
今は正面奥の壇上にひろがる壁一面を埋めるように立てかけられた“絵”は、昔々に教科書で眺めたものとはまるで違って見えました。肌色に染まった人物、青が配された足や指、茶色に逆立つ馬の体毛───死者と絶望のうずたかく堆積し、世界が静止して見えた白黒二色の図案(と、勝手に思い込んでいた)ものが、生ける者たちの吐息や叫喚ですみずみまで満たされていき、残酷だけどすこぶる美しいと感じました。こんなにも鮮やかな“精気”に満ちた絵であったか、と強く感嘆させられた次第です。
その場に足を踏みしめ、広さや大きさに真剣に対峙しなければ決して伝わってこないものや場所が確かにありますね。写真や映像では駄目で、自らの眼球で視止める必要がある、そういう空間。五感をフル稼働して吸収する、そんな時間はホント大切だなあ。
また、人がひとに興味なり愛着を覚え、同化をもくろむようにして“後追い”していく行為の、ささやかさ、切なさ、素晴らしさも同時に感じられる時間で実に有意義な小旅行だったのです。
三月以降の鬱屈した思いが断ち切れそうな“錯覚”を、束の間といえども持てたのは嬉しいですね。実際走り出してみれば気分は上々、悪くありませんでしたよ。晩夏のぼうっと軟らかい陽射しに染まった河を渡り、翳(かげ)が増した峠を越え、青い空の下をひたすら突き進むことの爽快さは格別でした。やはり人間は出歩かないと駄目だな、と思いましたね。
仙台市からはざっと三時間ですが、たまには思い切り足を伸ばしてはどうですか。“ゲルニカ”以外は特段めずらしいものは何もない町ですが、とても気持ちのいいところでしたよ。久しぶりに深呼吸ができた感じでいます。
○コクリコ荘・食堂
開いたガラス戸から、降りて来る人の姿が見える。朝の挨拶。
割烹着姿で釜敷におろした釜から、熱い飯をおひつに移して
いる海。牧村が配膳を手伝う。(中略)
味噌汁を椀にすばやく注いでいく海。
牧村がお盆に移し変えてテーブルに運ぶ。納豆に醤油をドボドボ
注ぐ北斗。
牧村「わあ、またそんなに醤油入れて!」
北斗「これがいいんじゃない」
平然とかきまわす北斗。(*1)
暑さの質感が変わり、網戸越しの夜風が乾いてきました。夢にうなされたのか、それとも捕食者の不意の出現に慌てたのか、蝉が、ぎゃっぎゃっぎゃっ、と不意に大声を立てます。もしかしたら天に召される時が来たのかもしれない。秋の虫がもう盛んに鳴いています。少しずつ少しずつ季節は変わっていきますね。皆さんお住まいの町の雰囲気はいかがですか。まだまだ夏は居座っていますか、それとももう引越しを始めていますか。
そろそろ寝なきゃいけないのですが、仕事の関係で連休を謳歌出来ない僕としてはビール片手の夜更かしが気分転換には欠かせないところがあって、たまにはこうしてズルズルとみっともない文章を叩きたくもなるのです。
先日、公開されて間もないアメリカ映画(*2)を観ました。ブラッド・ピットが父親を演じた話題作ですが、遅い時間のレイトショーとは言え、わずか三人しか観客がいないのが不思議でした。まあ、ゆったり出来て嬉しいのだけど。
今では落ち着いた年齢となった“息子”の視線が物語を一直線に貫いているから、僕みたいな中年男としてはそれだけでびんと結線されてじんじんと伝わるものがある。けれど、性差や年齢を越えて共振を誘う仕掛けが盛りだくさんに作り込まれているからね、映像に愉しみや安らぎを感じるひとであれば、誰でもきっと充実した時間を過ごせるのじゃないかな。是非ご覧なさい、これは凄い。
なにもそういう自分を売り込みたいのじゃなく、なんていうか、この映画の突き抜け方をどうにかして伝えたいだけなんだけど、まったく困るぐらいに泣かされました。三人だけで良かったよ、ほんと。恥ずかしくってなかなか席を立てなかったもんね。
食卓の場景が幾度か映し出されます。最近のアメリカの映画は美術や小道具の発言力がほんとうに凄くて、パスタとかケチャップとかいずれもささやかなものなのだけど、人物の感情を左右し、逆に心象を雄弁に語ってみせたりして度肝を抜かれることが度々あります。この作品もきっとそうなんだろうなあ。アメリカに住まう人には劇中出てくる家族のふところ具合が手に取るように分かり、また、堆積した味覚、嗅覚の記憶を総動員して劇世界に溶け込んでいけるのでしょうね。豆料理が印象的でね。あの意味、ずっと考えているところです。
その点、日本の映画は料理を使って人物の造形につなげてみせる辣腕家は何人もいるけど、観客を当てにしないというか、信用しないというか、味の薄い会話で補ってしまう悪い癖があるように思えます。
たとえば上に引いた宮崎駿(みやざきはやお)さんの「コクリコ坂から」なんかも勿体ないというか、一歩出しゃばり過ぎの感じがするよね。北斗(ほくと)という名の研修医が“醤油をドボドボ”と使う。これまで見たようにその行為は男なら“父性”と結びつき、女性の場合(*3)には“男勝り”“ユニ・セックス”へ傾かせる効果があるのだけど、そういった事を思い巡らす受け手側の時間をまるで許さず、間髪入れずに「わあ、またそんなに醤油入れて!」と台詞を詰め込むのは昨今の世界基準からすれば大いに見劣り、聞き劣り(そんな言葉あるのか)するところです。
さてさて、そろそろ寝ましょう。もういい加減酔ってますし。
皆さん、おやすみなさい。楽しい夢を、ゆったりした眠りを。
VIDEO
(*1):「脚本 コクリコ坂から」 宮崎駿 丹羽圭子共著 角川文庫 2011
最上段の画像は映画から 監督 宮崎吾朗 2011
(*2): The Tree of Life 監督テレンス・マリック 2011
(*3):以前こんな作品がありましたね。姉妹のなかでおんなおんなしていない娘が醤油をドバドバ使っていました。
吉田秋生「海街diary」(2006-)
http://miso-mythology.blogspot.com/2009/05/diary2006.html
無想庵は縁側で土びんをかけた七輪をばたばたしぶ団扇で扇(あお)
いでいるところだった。
「おう、どうした」
黙って縁側に立つ辻を見かえって、無想庵はいつもの声で訊いた。
「うん、ちょっと来てみたくなった」
「まあ上り給え、ちょうど飯が出来る。朝昼兼用だ、食っていけよ」
「…………」
辻は縁側から上った。土びんの中が煮立ってくると、無想庵は
そこへ味噌を入れた。
「あっ、茶じゃなかったのか」
「味噌汁さ、昆布でだしをとって、ついでにそいつが実ともなる。
どうだ、頭がいいだろう」
「おれにやらせりゃ、ぬたの一つもつくってみせるのに」
「空想の中ではどんな料理も出来るさ」
無想庵は土びんを七輪から下ろすと、座敷へ持ち込んだ。残り火は
火鉢に移す。すっかり山の生活が身にそったような手つきだった。
「どうした、浮かない顔をしてるぞ」
無想庵は箸をつけない辻にようやく気がついたようにいう。
「酒はないか」
「少しそこに残っている。一合もないね」(中略)
「神近が大杉を刺した。大杉は死ななかったそうだ」
「あっても不思議じゃないことだ」
無想庵はそれで了解したというように、
「酒もいいが飯も喰い給え、うまいぞこの味噌汁」
という。辻は酒の入った湯のみを大切そうに薄い両の掌で
包んでいる。
「ここに来ていてよかったな」
無想庵がいった。
「そういうことさ」
「大杉も悪運の強い奴だね。しかし女は怖いな、のぼせ上ると
何をするかしれやしない」
無想庵は山に入ると何ヵ月でも新聞を見ようとしない。せっかく
山に入って、下界の猥雑なニュースなど一切聞きたくないというのだ。
辻はズボンのポケットに入れてきた新聞の切り抜きを出さなくて
よかったと思った。
無想庵は黙々と食事をつづけた。変な味噌汁もさも美味そうに
ふうふうふきながらすすっている。
辻は一合に満たない酒で全身が暖まってきた。胸につかえていた
ものが、酒にとかされたように軽くなった。(*1)
ふたたび瀬戸内晴美(せとうちはるみ 現在は瀬戸内寂聴(じゃくちょう))さんの「諧調は偽りなり」から引いたものです。
比叡山の宿坊に蟄居(ちっきょ)していた辻潤(つじじゅん)さんのところに下界より手紙が届きます。愛しさゆえに教職まで振り捨てて一緒になり、子供まで生した伊藤野枝(いとうのえ)さんが大杉栄(おおすぎさかえ)さんのもとへと去り、深く傷ついていた辻さんだったのです。平静さと活力を取り戻すためには情報を遮断して翻訳にでもいそしんだ方が良いと考え、親友の武林無想庵(たけばやしむそうあん)さんを頼って緊急避難していたのだけど、自分を捨てたおんなと奪った男の近況を知らせる善意の手紙が追いかけてくる。開封して一瞥した辻さんのこころは瞬時に波立ちじっとしておれなくなって、少し離れて住まう親友を足早に訪ねたところです。
大正時代の突出した思想家大杉栄さんはただ漫然と机上に思索を積み重ねるのでなく、自ら実践する道を模索しました。そのひとつが“フリーラブ”であり、改革と呼ぶよりは“実験”みたいな空気が漂って感じられるのだけど、その後しばらくして訪れた騒動が世に有名な“日蔭の茶屋”事件です。奔放な性格や直線的な物言いをする伊藤野枝さんに惹かれて関係を持った大杉さんを、経済的にも精神的にもずっと支えていた神近市子(かみちかいちこ)さんがいよいよ見過ごせなくなって、懐中に忍ばせていた短刀で刺して深手を負わせ逃走した事件でしたが、それを報じる新聞記事の切り抜きが手紙に挟まっていたのでした。
おどけた風情で出現した“土びん味噌汁”は、蒼ざめ息を乱してやって来た男の硬く尖ったものをうまくかわし、またたく間に緊張をゆるりと解く役割を果たしています。情念とは遠く隔たった場処に住まっていることを認識させ、昂揚や興奮を沈静させていく。そんな味噌汁の特性をうまく捉えて、実に効果的に使われています。親友がお茶をすすりながら執筆に励んでいたらどうだったか、味噌汁でなく手酌で酒をあおっていたらどうだったか。違った風景や展開になっていたのじゃなかろうか。
この「諧調は偽りなり」には、もうひとつ味噌汁へ言及した箇所が見止められます。上に引いたものと合わせ読めば、いかに作者の瀬戸内さんの内部で“味噌汁”を別格視しているかが分かります。それは単に瀬戸内さん個人の妄念ではなくって、僕たち日本人の誰でもが抱え込む巨大な、そして、延々と続いていく夢なんだと思いますね。
宮嶋が山を降りる前、宿院で無想庵と三人、夜を徹して飲んだ
ことがあった。何のために生きるのかと、酔った頭で論じあって
いた。(中略) いつのまにか、愛だの、女だのという話に移っている。
辻も尺八を吹くのをやめて話に加わった。
「何だかだといったところで、心から愛し合う女がいないのは不幸
だ。それを酒でごまかし、更には金で買える女を抱いてごまかす。
ごまかしばかりの生活は絶望的になるのが当然だ」
「全くそうだ」
と辻が口をはさんだ。
「欲しいものは、全身全霊で愛してくれる女の愛だ。全部でなきゃ
意味がない」
「愕いたなあ」
酔っ払った宮嶋が大声でいう。
「無想庵や辻潤がそんな甘いことを考えているとは、この叡山で
それを聞くとは……何がスチルネルだ、何が摩訶止観か、聞いて
あきれらあ」
「手めえなんか、相思相愛の麗子がいるからそんなでかい面を
しているんだよ」
「可愛い女房がいて、子煩悩で、どんなに外ではめを外して遊蕩
したところで、帰ればあたたかい味噌汁と女房のいる寝床の待っ
ている暮らしの中で、小説を書こうなんていう料簡が、そもそも
不埒(ふらち)なのだ」(*2)
なんか変な論法ですねえ。捨てられたり、壊したりで面目を失った男ふたりが家庭を維持し続ける宮島資夫(みやじますけお)さんをやっかんで吠えている。酔った男の会話なんて所詮こんなものですが、愛するおんなと味噌汁が“あたたかい”という形容でしっとり粘着して一体となり、男においでおいでと手招きしているのが見えてしまう。なんとも言えぬ気分です。どう抗っても無駄な話と分かってもいる、僕たち男には所詮負け戦ですからね。そして男たちと対峙するおんなの皆さんも含めて、誰もが味噌汁の重力圏内で遊泳するしかないのでしょう。
無理は禁物、どうぞ、ゆったりとこころ弾む遊泳を。浮き輪を持ったり、共に泳ぐ相手を励みとして長距離遊泳を続けていきましょう。今年も折り返し地点を過ぎましたね。後半戦を頑張りましょう。
(*1):「諧調は偽りなり」 瀬戸内寂聴 初出「文藝春秋」1981年1月号~1983年8月号 手元にあるのは「瀬戸内寂聴全集 第12巻」新潮社 2002 引用箇所はその514-516頁。
(*2): 同535-526頁 ちなみに辻潤さんの“辻”だけど、正しくは「辶」(しんにょう)の点が二つです。最上段の写真は前回でも紹介した映画「エロス+虐殺」の一場面。
人の手に掴まれ宙に浮いた陶製の醤油差し
ドボ ドボ ドボ…と黒い液体が注ぎ口から流れ出る
朝日が射し込むリビングルーム。テーブルを囲む家族
醤油を注ぐ男(大杉)は傍らの新聞を読むのに忙しい
野枝「あなた かけ過ぎですよ」
大杉「ああ スマン スマン」
野枝「最近 なんでも濃い味にしてしまって…
お体にさわりますよ…」
大杉、意に介さずに醤油でべっとりとなった料理、肉か
刺身か分からぬものを箸でひと切れつまみすると、パク…
と口に放り込む
大杉「味気ねぇなぁ…」
パリーンという皿の割れる音!(中略)
向かい側に座った野枝が投げた皿が大杉の額を直撃
野枝「せっかく作ったお食事を 味気ないなどと!!」(*1)
いまから90年ほど前、1923年9月に首都圏を襲い、死者、不明者10万人以上を出した“関東大震災”。その惨状をつぶさにスケッチした絵の展示会が、今月末より墨田区横網町公園にある復興記念館で催されます。描き手は抒情作家としてつとに知られた竹下夢二(たけしたゆめじ)さんです。(*2)
女性の繊細さ、快活さを表現して絶大な人気を得た夢二さんでしたが、震災時には混沌とした街なかに飛び出して現実を活写していたのですね。お近くのひとはどうぞ足をお運びください。僕はなかなか都合が付かずにいますが、ゆったりとそんな夢二さんの絵と向き合えたなら、きっと意味深く濃厚な時間になるでしょう。
上に引いたのはちょうどその頃、つまり震災前後の夢二さんと彼の周辺を題材に選んだ漫画(*1)の一部です。亡き恋人への想い断ちがたい夢二さんは、ずるずると煩悶を重ねたあげくにおんなの面影を追って黄泉の国まで降り下ってしまいます。紆余曲折を経てなんとか生還するのだけど、以来、おぞましい霊能力をそなえてしまうのです。あまりにも荒唐無稽な幕開けです。
死んだはずの夢二さんが舞い戻ったため現世は時間の歩みを止めてしまい、やがて暮らしの諸相はあるべき歴史からふわふわと乖離を始めるのでした。僕たちの見知った記憶や知識と微妙に顔付きを異にしていき、大震災の発生がどんどん“先送り”ともなって、大正はそのまま文化の爛熟を極めていく。
第三の恋人お葉さんや、彼女の胸に抱かれて共に絵のモデルを務めた黒猫といったものにとどまらず、川端康成さんや田川水泡さんといった実在の人物が入れ替わり立ち代りしながら顔を覗かせ、夢うつつの出来事がつづられていく、という、まあ、かなり無茶苦茶なお話なのです。普通なら綺麗さっぱり忘れてしまう類いの絵空事なのですが、最終話に“醤油”を描いた箇所があったものだから急に磁力を増して来ました。
家族の団欒が描かれていますね。屈強そうな男が朝食の席で醤油を大量に使い、妻らしきおんなに叱責されている。読んでいるのはどうやら英字新聞(いや、巴里から持ち帰った仏字新聞かもしれません)で、手元には味噌汁椀も置かれています。これは大杉栄(おおすぎさかえ)さん、なんですね。
僕が抱える大杉さんのイメージはもっと線が細くて、叩(はた)かれて舞うおしろいにぼんやり包まれるような、それとも艶めかしい芳香が首筋あたりにゆらめく風であり、かつて映画(*3)の中で細川俊之(ほそかわとしゆき)さんが演じてみせた際の印象が絶対的に強いのだけど、こっちの腕は馬鹿みたいに太いし、胸板も無駄に厚そうで、なんかチャールズ・ブロンソンかミッキー・ロークを彷彿させます。盛り上がった額、張ったアゴ、険しい目つき。攻撃的な男の体臭がぷんぷんして来ます。
叱られているのが大杉さんなら、テーブルの反対がわで声を張り上げているのは伊藤野枝(いとうのえ)さんとなり、ぐるり囲んでいるのは彼らの子供たちになります。“無政府主義”を唱えて時の権力に監視され続け、大震災のどさくさに紛れて偶然連れ立って歩いていた幼い甥っ子ともども拘禁され、肋骨を何箇所も折る容赦ない拷問に遭い、その果てに絞殺されてしまう大杉さんと伊藤野枝さんなのですが、時空が歪んだしまったこの漫画世界では地震がいつまで経っても起きません。きっかけを失って、彼らはおかしな具合に“生き永らえてしまっている”のです。
崩壊を免れた浅草十二階が夜空にそびえ、満艦飾に彩られた街路に嬌声が飛び交う。“有り得ない繁栄”は大杉さんたちの生活も底上げしているのであって、実際はこんな風ではなかった。あの有名な日蔭の茶屋(ひかげのちゃや)事件以降、評伝を読む限りにおいては彼らの生活の実態は相当にきびしかった。言論を封じられて元々収入が不安定だったのだけど、事件以来愛想を尽かして仲間が次々と離れていったのが何と言っても響いた。
瀬戸内晴美(せとうちはるみ)さんは著書のなかで、当時の彼らの日々を丹念につなぎ直して僕たちに提示しています。史実にのっとり整理された資料的価値の高い労作なのだけど、大杉さんたちを襲った窮乏ぶりがどれほどであったかを次のような逸話でもって簡潔に説いている。
赤ん坊の生れた直後、有楽町の服部浜次の娘の清子が母親に
いいつけられて手伝いに来たことがあった。若いぴちぴちした
娘は、二日もいると、黙って逃げ帰ってしまった。
「まあお清、どうして帰ったの」
「だっておっかさん、あの家ったら、なあんにもないんだもの」
「なあんにもって何が」
「お台所のものよ、お米でしょ、お醤油でしょ、お砂糖でしょ、
なあんにもないの」
清子は訴えながら笑い出してしまった。
「お米がありませんよ、買って下さいっていっても、だあれもおあしを
くれないんだもの、どうやって料理するのよ、あたし困るわ」
母親もそこまで徹底した貧乏だったのかと呆れてしまった。(*4)
ドボ ドボ ドボ…と料理にかける醤油など、どこにも無かったのです。白いテーブルに可愛らしいお揃いの洋服、食べ切れない程の食事、それはすべて夢以外の何ものでもなく、狂って停滞する時間のなかで大杉さん、野枝さんがどれだけリアルな地平から逸脱してしまったかが読者に分かるよう、あえて滑稽と思えるほどの誇張が施されていたのです。何気ない光景で読み流してしまいそうですが、案外に意味深な描写になっている。
この事、つまり“有り得ない繁栄”にどうやら勘付いてしまった大杉さんは、本来の時間へ飛び去る決意を密かに固めるのでした。命運を共にした野枝さんと甥子さんを虚構の世界に残し(そのまま彼らは生き永らえさせて)、ひとりきりで震災のあった時空、すなわち拷問され、絞殺されると決められている無慈悲で残酷な現実へと旅立っていくのです。
苦境を回避させ、絶望を緩和し、奇蹟を連続させる。創作とはまるで魔術です。誰もがそれを望むし、僕だって空想にしばしば耽溺します。この漫画は大杉栄という稀代の思想家が透徹した目線でそんな魔術(“夢”)を打ち砕き、創作による救済を踏みにじり、現実世界に堂々と殉じていく、つまり天命に身を投じていくという点で徹底しており、どこまでもある意味醒めている。醒めていながらも生き生きと昂揚するものがあって、余韻が後を引き、やんわりと鼓舞されるところがあるのです。
フィクションに逃げ込んでいながら、そのフィクションを登場人物が拒絶していく、そんな姿に考えさせれ、勇気付けられもします。切れ味抜群という訳ではないけれど、なかなか考えさせる構造になっておりました。
一瞬顔を覗かせた醤油は典型的なイメージの分担“男らしさ、父性”とここでは結びついており、そこから内奥にそっと息づく家族への深慮を下支えすると共に、ここでは夢からの「覚醒」のきっかけとなって起動している。作者の大塚英志(おおつかえいじ)さんと作画担当のひらりんさんがどこまで意識して“醤油”を登用したのかは分からないけれど、醤油が醤油らしく存在を主張して、物語を補強する柱のひとつになっていたように僕には思えます。ごちそうさまでした。
細川さんの演じた大杉さんも最後に貼っておきましょう。う~ん、やっぱりこっちの方が艶があって、僕は惹かれちゃいますねえ。
VIDEO
(*1):「三ツ目の夢二」 原作大塚英志 作画ひらりん 徳間書店 初出「月刊COMICリュウ」2008年10月号-2010年11月号 引用は単行本2巻最終話「第伍絵 パノラマ」175頁及び185頁 紹介した醤油の描写はしたがって厳密には2010年のようですが、連載物の慣例にしたがい表題には2008年をここでは掲げてあります
(*2): http://www.tokyoireikyoukai.or.jp/event/
(*3):「エロス+虐殺」 監督吉田喜重 1970
(*4):「諧調は偽りなり」 瀬戸内晴美 初出「文藝春秋」1981年1月号~1983年8月号 手元にあるのは「瀬戸内寂聴全集 第12巻」新潮社 2002 引用箇所はその359頁。ちなみに「諧調は偽りなり」の前段にあたる「美は乱調にあり」(1965)では伊藤野枝さんが大杉さんと出会う前の様子がやはりつぶさに書かれていますが、そこでは前夫の辻潤(つじじゅん)さんとの生活を支えるため、野枝さんが隣家から味噌や醤油を借りている様子が挿入されています。「この提案にはらいてうも有難がり、早速、野枝の近所の上駒込の妙義神社の近くへ引越してきた。この頃の辻家の裏隣には垣根ひとつへだてて野上彌生子と豊一郎の家もあり、野枝はへかけこんで野上彌生子の家へかけこんで、醤油をかりたり、味噌をかりたりしながら、休速に親しくなっていた 。」(同全集12巻193頁)