「映画作りにはこれがないとダメだろう」。2005年夏、沖縄・宮古島を
舞台にした映画「太陽(てぃだ)」の製作が決まると、峰岸さんは
そう言って、プロデューサーの西初恵さんに手渡した。紅白のペンキで
塗られた手作りのカチンコ。驚く西さんを尻目に本人は、「おめでたい
じゃないか」と目を細めた。(中略)峰岸さんはこの映画に主演したほか、
照明助手を務めたり、ロケ先でスタッフにみそ汁を振舞って現場を
盛り上げた。(*1)
峰岸徹(みねぎしとおる)さんを追弔する小文からの抜粋です。一周忌のちょっと後に新聞に掲載されたものですね。
大ぶりのお鼻が特徴的でした。リノ・ヴァンチュラLino Venturaやジャン=ポール・ベルモンドJean-Paul Belmondoにも似た、あくの強い、こってりとした甘い表情が思い出されます。整った顔立ちから役柄は絞り込まれがちで、スクリーンやブラウン管の中で窮屈そうに見える時もありましたね。
記事に取り上げられていた「太陽(てぃだ)」の予告編がウェブ上に見つかりました。世代的にいくらか気持ちが重なる部分があります。
今にして振り返れば、おっとりした色彩や音色を提供してくれた得難い個性だったと分かります。こんなにも人は群れ集っているのに、代わりになれるひとは誰もいない。一人一人が島宇宙。思想、風貌、性格、記憶の組み合わせは宇宙でたったひとつです。大事にしないといけませんね。
映画の撮影風景が当然ながら顔を覗かせます。体験したり何時間も見学させてもらってようやく合点がいくのだけど、映画作りとは忍耐がひたすら求められる場処であって、決して華やいだものとは言えません。長時間に渡って集中力を維持していくことは、なかなか容易なことではない。慣れないひとはいら立ちを隠せないで、次第に仏頂面になっていったりします。
出番のない峰岸さんが少し離れた場所で“みそ汁”を作っていく。味噌と具材の香りが鼻腔を満たし、咽喉を駆け下って胃膜をやさしく覆っていきます。暖色の明かりが身体の中心に灯って、じわりじわりと四肢の末端へと伝播していく、その嬉しさ、その温かさ── 。
そう言えば、バレーボールのプロチームを陰で支える管理栄養士の方の講演を拝聴する機会に先日恵まれましたが、単に栄養価という面のみならず、選手たちのメンタル面を整理し鼓舞していく上でも食事はとても大事だと力説されていました。
根幹類、海藻類を多く含んだ“みそ汁”は、イライラする気持ちを抑えるには有効だとか。へぇ、そうなんだ。過酷な仕事の現場で振る舞われる“みそ汁”には、単なる腹の足し以上の役回りがどうやら期されている。
“みそ汁”程度のものに何をまた驚いているの、と怪訝に思われそうだけど、実際のところ「そんな程度のもの」であることが“みそ汁”の露出をひどく抑制してもいるのであって、めくれどめくれど新聞紙面に載ることはあまりない。(料理レシピは別だよ) だから、かえって今のご時世では“みそ汁”の登用には意味深いものが感じ取れるし、送り手の作為や深意が読み取れたりするのです。
「ロケ先でスタッフに“食事”を振舞って現場を盛り上げた」とは書かずに、「みそ汁を振舞って」と書いた執筆担当の石間さんの視線には“語り部”たらんとする傾きがあります。そして、記事を目にした読者の多くには峰岸さんの心の奥底にそっと触れさせてもらったような特別な感慨が宿るのだけど、そういった様々な反応も含めてこの小文は興味引かれるものでした。
“みそ汁”とは精神の荒野に隣接した食べものであって、地味な存在ながらも同時に多数のひとの琴線に触れていく大したバイプレーヤー、つまりは得難い“性格俳優”であると感じるのです。紙面に載ったのは昨年の10月でかなり時間が経ってしまったのだけど、“みそ汁”への言及に不思議をふと感じてしまい、処分出来ずに机のうえに置かれたままだった、そんな切り抜きです。
うん、捨てないで良かった。
(*1):讀賣新聞 2009年10月19日 追悼抄 下段
「遺品の思い出 峰岸徹さんの手作りカチンコ」東京本社社会部 石間俊充
最上段の峰岸さんの写真も。
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