2010年6月7日月曜日
石切り場~日常のこと~
雲のほとんどない快晴のもと、車を思い切り飛ばして“石切り場”を目指します。職人さんが独り頑張って切り出しを続けており、かろうじて現役を保っている場処です。目覚めて点けた枕もとのテレビに偶然映し出されたその作業風景には、どこか非日常の香りがして何とも蠱惑的。思い立ったら吉日です。ベッドから跳ね起きて、三十分後にはハンドルを握っていました。カーナビゲーションが選んでくれた脇道には信号はほとんどなくって、とてものんびりした峠道。快適なドライヴです。
道端のところどころに低木が茂り、枝葉の先端にはうす紫の花が鈴なりです。ライラック、リラ──で名前はいいのかな。自信はありません。とても穏やかな顔付きの木です。バルカン地方を原産とし、明治中期に渡来したものと言われています。それが野生化してこんな山奥に健気に生きている。頭が下がります。
ほどなく到着した“石切り場”は細い脇道より少し奥まったところにあって、ぼうぼうの雑草に取り囲まれていました。なんとなく犯罪の現場、禁断の場処に足を踏み入れているような隠微な気分。驚いたことに先客がいます。黒いワンボックスカーがぽつねんと停まっていて、その奥の石切り場へ入口となっている暗いトンネルの奥からはドンドコドンドコと太鼓の音が轟いて来る。時折かん高い鳥の叫びのようなものが混じります。よくよく聞けばそれはまぎれもなく女の唄声なのです。
諸星大二郎の描くマッドメンや古代アステカ文明の生け贄の儀式を連想して、おしっこをちびりそうになります。怪しげな新興宗教が悪魔招聘の最中だったらどうしよう。捕まってロープで巻かれ、大きな包丁で手首をボンと切断されたり映画「食人族」みたいに串刺しにされたりしないものか。お尻から丸太棒を刺されて口から尖った先端をびょんと突き立てられている自分を想像して、いつしか腋下は汗でぐっしょり濡れるのです。
洞窟然とした通路を抜け切った其処は、まるで聖堂のような厳かで且つ温かみのある空間でありました。わあ、素敵。太鼓を叩く三人の男女もいたって陽気なミュージシャンと直ぐに見て取れ、硬直した気持ちはすっかり氷解してて馴染んでいく。
怖いどころか、むしろ彼らの叩く太鼓の音が四方の壁に反響して霖雨のように降りそそぎ、何かこころが洗われるような嬉しさです。演奏がひと段落した後に声を掛けてみれば、いつかここでコンサートをしたいのだ、という返事。彼らの瞳のひかりにちょっと感動も覚えました。自分が自分の主(あるじ)となって、純粋な歓びと楽しさの為に演奏している。それもこんな素敵過ぎる空間に太鼓を持ち込んで、こんな澄んだ空気を胸いっぱいに吸いながら。人生かくあるべきかな。
到底フレーム一枚では収まらないその光景を、ぐるり360度独楽のように回転して撮ったのが下の画像です。う~ん、写真じゃ駄目だなあ。写真や映像では持ち帰れない光景ってやはりあります。いや、むしろそんな光景こそが眼福であり、それが生きている醍醐味、なんだけどね。
ぎょうかいがん【凝灰岩】 堆積岩の一。直径四ミリ以下の火山灰が固まってできた岩石。もろいが加工しやすく、建築・土木用石材とする。(「大辞泉」小学館より)
辞書にはこんな風に書かれています。石切り場の四方の壁は、つまりは火山灰の堆積したなれの果てというわけですね。これだけの厚みで降り積もった火山灰を想像すると、自然の脅威の前では人間などちっぽけで無力だという敬虔な気持ちにさせられます。
生きている時間は、生かされている時間なのだということが分かります。
太鼓ミュージシャンのカッコイイ三人とお別れし、その後は近くのお寺に仏像見学。そして人工湖を眺めて帰路に着きました。
楽しい休日になりましたよ。
みなさんも素敵な風景を探して、過ごしやすい初夏を楽しんでくださいね。
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