随分と仕事でお世話になったところが廃業され、今日はお別れのご挨拶に行ってきました。大型の重機が幾台も敷地を行き来し、目に馴染んだ建屋にするどい爪を突き立てている真っ最中です。感慨深いものが胸中に去来しました。
僕たちの生きた痕跡は残念ながら次々と消滅していき、やがてどこかに見えなくなってしまいます。帰路ハンドルを握りながら、つくづく不思議だと首を傾げます。こうして瞳を通じて焼き付いていく緑鮮やかな田園風景も、また、たくさんの嬉しかった思い出も、そして哀しい想いも、その全てを僕は自分だけで抱えたままにいずれ焼かれていく。人生はたった一度だけ上映される長編映画みたいだと思います。リバイバルはない。
けれど、きっと無駄ではない。なにかしらのものが継承されてきっと次の世代に手渡されていく、そう思いたいですね。たいへんお世話になりました、ありがとうございました。
そうか、もうこの道を往復することも、これからはそうそう無いことに気が付きます。いつもは時間に追われて、横目で通り過ぎるばかりだった寺社にちょっと寄り道しました。驚いたことに藤(ふじ)、銀杏(いちょう)、欅(けやき)の巨木を境内に抱えていて、なかなかの風格なのでした。
特に“蛇藤”と称される老木には驚かされました。大蛇に変身して軍隊を震え上がらせたという伝説も納得の太さ、長さ、雄々しさに満ち溢れています。携帯電話で撮影を試みたけれど、とても収まるものではない。
背後に人の気配がして振り向くと、年輩の男性が参道を歩いてきます。挨拶して話を聞けば、この町で高校まで育ったひとでした。今でこそ勢いは衰えたけれども、七十年ほど前には盛んにムラサキの花を付けて怖ろしいぐらいだった、とのこと。今でも祭事に使われている神輿(みこし)の絢爛豪華さなど、色々とお話しを聞かせてもらえて愉しかった。
本殿の地面両脇には風雨に洗われて優しい顔になった狛犬が置かれています。バカボンみたいな柔和なその顔に見上げられながら、とても気持ちが和みました。何百年も生きて、その下を潜っただろう何千組の男女、何万組の親子の苦難を静かに見守ってきた“蛇藤”をはじめとする樹々。そして、角がとれて今は笑顔に染まって愛嬌たっぷりの守護獣。見つめる時間の単位を少し伸ばしてごらん、ゆったり構えなさい、そう言われているような気がします。
人生という映画はハプニングの連続。時にはフィルムが切れたり、発熱して焼けたり、はたまた急に停電して真っ暗になるときもありますが、いつしか映写技士により上手に復旧されて、リールがカタカタと回りだします。
観客は自分ひとりかもしれないけれど、ちょっとは素敵な映画を創りたい、そう願いますね。
いい夏をお迎えください。僕もいい夏になるよう、空を見上げて歩こうと思います。
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