2010年6月12日土曜日
山崎ハコ「おらだのふるさと」(2010)~かあちゃん それ~
東京さ出る朝 かあちゃんが
荷物の隅に味噌詰める
かいずつけっと、
おかずなど何もいらね
かあちゃん それ手前味噌だべ
わらびの味噌汁 母の味
おらだのふるさと おらだのふるさと(*1)
いい天気です。まだ陽が高いというのにもうひと風呂を浴び終えて、腰にバスタオルをちょっと巻いたぐらいの格好でテーブルに座りこれを書いています。時おり風が吹き込んで白い薄手のカーテンをふわり躍らせたり、はたまた背後の窓にかかったブラインドをカシカシと鳴らしている。なんて贅沢な休日──。
素肌を渡っていく風はあたかも誰かの指先がそっと触れ、こころ煽る目的で妖しく撫でさするみたい。なんとも心地良くって、もうタオルも何もかも放り投げてベランダに飛び出し、わーっと大声で叫ぶか体操でもしちゃいたい気分です。耳に飛び込む音は鳥のさえずり、遠くより幽かに響くバイパスの車の往来、庭木の枝葉の風で揺れてさわさわ言うぐらいであって、田舎の落ち着いた時間を満喫しているところ。
山崎ハコさんの唄「おらだのふるさと」は、僕が住まうこんな田舎から大都会に進学か就職で移り住んだ直後の若者、おそらく母親へのタメ口、父親の一言多い助言からすれば女の子なのじゃないかと勝手に想像をめぐらすのだけど、そんな彼女の懐郷の念を切々と訴える内容になっています。
自分の(おらの)と言い表さずに“私たちの(おらだの)”と唄うことで聞き手の多くを柔軟に囲い込み、各人各様の故郷を想起させていて見事です。また、「ふるさと」を否定も肯定もせず、物語を構成する家族たちへの目線も見上げるでも蔑むでもなくどこまでもフラット。意見の衝突を上手く回避していますね。揚げ足をとるような合いの手を娘はちょっと挿し入れるのだけど、邪気は一切感じられずに両者はすっきり対等です。
子どもが自立していく行程では、往々にして反発、憎悪を跳躍のバネに利用することがあります。けれど、本来の“自律”とはかくあるべきかもしれませんね。なかなかそうならないけどね。実態はひどく苦しいものです。
母親や故郷と“味噌”を結びつける展開は安直で新鮮味がなく感動を覚えませんし、現実世界を生きている娘の都会暮らしには“味噌汁”が不在となっているイメージが連鎖して湧き出します。“味噌汁”が喪われつつあるような気配で、それを思うと応援団としては心中複雑です。
最後の最後で具体的な地名を羅列して空間を限られた地方都市に収束させてしまう辺りにも感心はしませんでしたから、余程無視しちゃおう、忘れちゃおうかなとも思ったのだけど、それを引き止めてメモをこうして書かせているのはひとえに歌手山崎ハコさんの力量によるものです。
僕は山崎さんをよく知るものではなく、唯一リフレーンして脳裏に響くのは彼女の「心だけ愛して」ぐらいなので何も言えた義理ではないのです。しかし、よくここまで地平を拡げることが出来るものだと感心することしきりでいます。ものを創り、魂を吹き込む不思議、魔術を目の当たりにした感じです。歌というのは凄いものがあると、しかと悟らせる仕組みがこの「おらだのふるさと」にはありますね。
さてさて、散歩がてら理容店に行こうかな。さっぱりと刈り込んでこよう。
お仕事や雑務で多忙極めるひともいるでしょうが、梅雨空を目前としたこの晴れ間、
どうぞ愉しんでお過ごしください。
(*1):「山形・白鷹 おらだのふるさと」 唄 山崎ハコ 2010
作詞 田勢康弘 作曲 山崎ハコ 編曲 安田裕美
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