「……上旅籠(じょうはたご)の湊屋で泊めてくれそうな御人品なら、
御当家へ、一夜の御無心申したいね、どんなもんです、女房(おかみ)さん」
「こんなでよくば、泊めますわ」
と身軽に銚子を運んで寄る。と亭主驚いた眉を動かし、「滅相な」と帳場を
背負(しょ)って、立塞(たちふさ)がる体(てい)に腰を掛けた。
いや、この時まで、紺の鯉口(こいぐち)に手首を縮(すく)めて、
案山子(かかし)の如(ごと)く立ったりける。
「はははは、お言葉には及びません、饂飩(うどん)屋さんで泊めるものは、
醤油(おしたじ)の雨宿りか、鰹節の行者だろう」
呵々(からから)と一人で笑った。(*1)
「高野聖(こうやひじり)」といっしょに本(*2)に収まっていた泉鏡花(いずみきょうか)さんの「歌行燈(うたあんどん)」。その中から序盤の一節です。三味線片手に家々を門付けして歩く男が、宿場町の一角の夫婦ふたりで細々と商っている饂飩屋で暖を取っています。手持ち無沙汰のままに夫婦をからかったりしますが、実は内心穏やかではありません。直前にすれ違った人力車の客にはっと驚き、気持ちは過去へ過去へと溯っている最中。
愁いを帯びた声とどこか陰影を含んだ男の面立ちに店の女房はすっかりのぼせてしまい、冗談を真に受けて一夜の宿を提供しようとする始末。夫は気が気でありません。懸命に断りを入れる慌てた様子に男は笑い、饂飩屋に出入りして雨風をしのぐのは食材の一部である醤油と鰹節が関の山であり、人間の自分は泊まるつもりなど毛頭ないのだと打ち明けている。
ほどなく“醤油”は再登場。次の箇所。
「そないに急に気に成るなら、良人(あんた)、ちゃと行って取って来(き)い」
と下唇の刎調子(はねぢょうし)。亭主ぎゃふんと参った体で、
「二進が一進、二進が一進、二一天作の五、五一三六(ごいちさぶろく)
七八九(ななやあここの)」と、饂飩の帳(ちょう)の伸縮みは、加減
(さしひき)だけで済むものを、醤油(したじ)に水を割三段。(*3)
日もとっぷり暮れて宿場町のあちらこちらでは芸者をあげての宴がたけなわ、呑めや唄えの喧騒のなかで饂飩屋へも出前の注文がぼちぼちと入って来る。色男と女房を二人きりにして店を開けるのが心配で心配でしょうがない夫は、売掛金の確認をそわそわと始めたりして女房の気持ちを離そうと必死です。うるさいわね、と一喝されると、醤油の薄め方は水一に対して幾らだったかしらんと脇でごにょごにょつぶやき、火照るおんなのこころに水を注そうと涙ぐましい振る舞いです。
鏡花さんの文章がなかなかの味、いい調子。それに意地悪でない。愚直な店主を笑い者にしているけれど、人気ある喜劇役者をうまく盛り立てる風で腹黒さが臭って来ない。だから気の利いた小道具然として醤油も明快なままあって、きれいに劇中で踊って見えます。
こころの芯にちろちろ這い出す恋情の焔(ほむら)をパタパタとはたき消していく、そんな役割を醤油は担っているようにも見えます。欲望や観念からの覚醒を押し進める役回りは他の小説にも散見できること。時代を越えて似た趣きは偶然のようでもあり、必然のようでもあり──。少なくとも恋の成就に手を貸す者ではないけれど、ちょっと小粋な客演でした。
物語の顛末はと言うと、これは典型的な運命悲劇。各人各様に背負っている過去が哀しい調べを奏で始めます。飄々とした幕開けでしたがあれは全く違う作品ではなかったかと思わせるほど内容は一変し、急に険しさを増していく。死人が出、凄惨な苦界が眼前に広がり、冷たい風と波が人を弄んで止みません。昏い情景を幾幕か挟んだ後、符号が次々と照らし合い重なって、やがてうねるようにして感涙むせぶ大団円が訪れる。
感謝に打ち震え手に手を託して輪となっていく屋内のまばゆさから、そっと外れて路傍に横臥し生命燃え尽く者もいる。残光がうすく尾を引くような余韻もまた見事で、まるで上質の映画か劇画を目撃しているような読後感がありました。
さてさて、いよいよ歳末となり平成の二十二年も終わろうとしています。代を継ぎ、舞台をかえて、実際の僕たちの暮らしには容易に幕は下りません。生命ある限りはいやおうなしに続いてしまう。小説のような大団円は夢のまた夢。
しみじみと想い馳せれば、僕の周りのあの人もこの人も実に色彩豊かで得難い才能と気性、心根の持ち主だと感心します。そのような人たちと知り合えて本当に良かったと思っています。どうか皆さん、怪我なく元気にこの年末をお過ごしください。
僕は脇役で皆さんは主役、立ち位置や照度は違うかもしれませんけど、同じ舞台で共演し続けられることを心から喜び、願ってもいます。幕下りるまで一緒に過ごしていきましょう。温かくしてお過ごしください。
(*1):「歌行燈」 泉鏡花 1910 (下記文庫)194頁
(*2):「歌行燈・高野聖」 新潮文庫 僕の手元にあるのは2009年の77刷
(*3):同196頁
最上段の画像は1960年の映画より。監督 衣笠貞之助 市川雷蔵 山本富士子
観たことはありませんが、人工的で華美な配色に惹かれます。
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