2011年6月8日水曜日

桐野夏生「ダーク」(2002)~腹が鳴った~


 吉沢は闇屋から身を起こした新宿二丁目の有名人だ。

七十歳を幾つか過ぎた老人で、四十代の養子と一緒に暮らしている。

私が訪問した時、彼は晩酌をしていた。

「これはこれは珍しい。どうぞお入りなさい」

 吉沢は私を丁重に中に請じ入れた。彼は父の善三を良く知っており、

私を昔から可愛がってくれた人だった。

「あんたも飲むかい」

私は断った。テーブルの上には胡瓜(きゅうり)ともろみ味噌、

という質素なつまみがある。吉沢は私を正面に座らせて旨そうに

ビールを飲んだ。(*1)


 よく知られた桐野夏生(きりのなつお)さんの、父親の跡を継いで探偵業を営むミロの苦闘を描く連作をようやく読み終えました。発表されて十年ほども経た本の感想を書くなんて、恥の上塗りもいいとこです。けれど、そういうめぐり逢わせなのだから、これはもう仕方ないように思います。


 面倒な諸事に日々追われながら、やがて胸の奥まったところに澱(おり)のようなものが降り積もっていく。その堆積が読書や観劇といったものの触感をすっかり変質させていくことがあり、若い時分とはまるで違った感慨に不意を撃たれてうろたえることがあります。送り手と受け手の間には微妙な“噛み合わせ”があって、これは努力してどうなるものではないということですね。遅れての出逢いは決して無駄でもなければ流行遅れでもない。その時が来た、上下のかたちが整って素敵な歯並びになった証しでしょう。


 大団円となる「ダーク」の主題が主人公ミロの内面と外貌の狂おしい変遷である以上、発端から終幕までを一気呵成に読むことの意義は大きく、遅れて来た読者でかえって良かったようにも感じます。それに僕ほどの歳ともなれば険しい峠道を踏破し関所の幾つかをくぐった友人の背中が散見されるようになり、そんな彼らから“ミロの物語”への共振をそっと囁かれることもあって、二重三重に機は熟したという気持ちが湧くのです。実際読み終えてみれば期待にたがえず頷かされるところが多かった、充実した時間なのでした。



 確か新聞の文芸欄だったと思いますが、最近作「ポリティコン」をめぐるインタビュウに答えて桐野さんは“人間は成長しない”と断じていました。“成長”という語句を使って「ポリティコン」の感想を僕はすでに綴っていたから、ひどい見当違いを世間に晒したことに気付いて赤面したものです。なるほど桐野さんの言わんとするところを、今なら少しは解かるような気がする。変化はすれども人間という奴は成長などしない、波の色が千変万化し、季節が移り変わるように人もまた変わるものだけど、何か一段上の善き存在になったように想うのは思い上がりであり、観方が相当に甘いということでしょう。


 主人公をめぐる男たちが、揃いも揃って終着点(ピリオド)を自ら穿(うが)つのに躍起になるのに対し、おんなたちは境遇をあっさり受容して加速的に化けていく。成長神話を捨ててかかることでずっとたくましく強くなれるのだ、とミロは僕たちに告げているようです。諦観というのとも違う、無軌道への跳舞、とでも言うべき勃(つよ)い次元(*2)が提示されており読んでいて爽快、鼓舞されるものがありました。新刊当時に眺めても、絵空事、他人事、娯楽作という範疇を越えてまで揺さぶられはしなかったはず。恐らく自らの鏡と成すことはなかったでしょう。晩熟(おくて)の僕にはちょうど好かったですね。



 さて、上に引いたのは小編「漂う魂」の真ん中あたりにある場景です。主人公の住まうマンションで幽霊騒ぎが起こり、なりゆきからミロが調査役を引き受けます。目撃者のひとりを部屋に訪ねたくだりで、ほんの一瞬“味噌”が薫っています。もっとも味噌は味噌でも“もろみ味噌”であり、ひとつまみ皿に載っているだけのかぼそい食卓です。総じてミロの周辺には食べものの影が希薄で自己主張をしません。それは彼女に限ったことでなく、この手探偵小説全般の決め事になっている。


 のどかな暮らしや反復される生業(なりわい)から逸脱した行為や思惑をひそかに追尾し、証拠を摑んで白日にさらすのが探偵業なれば、食べものは二の次になって当然だからです。エロスであれタナトスであれ、金銭への執着であれ、突き抜けた果てには思念の全力疾走なった領域があって、健康維持やら栄養補給は結局のところ置いてけぼりを喰らいます。尾行や報告の合間にハンバーガーを頬張るか、喫茶店でスパゲティを掻きこむぐらいが調べる側としても限界となり、ホームドラマ然とした料理は鳴りを潜めていく。


 それではこれは何でしょう。以下は「ダーク」に登場した“醤油”です。珍しくここでは大量のおかずに交ざって、醤油も甘辛い香りを放っています。いるぞ、見ろよ、食べたくないかと盛んに誘ってくる。


 ガサガサと耳障りな紙の音がした。左隣に座っている乗客が

弁当を広げたらしい。冷たい白飯の上の黒ゴマ、揚げ物の油脂、

醤油で煮染めた小芋や柴漬け。無数の食物の匂いが鼻孔に飛び込んで

きた。途端に久恵の腹が鳴った。パブロフの犬だと自身を笑い、

久恵は右隣で眠っている友部の腕に掌を置いた。

「ねえねえ、友部さん」

 友部は邪慳(じゃけん)に久恵の掌から逃れた。久恵は構わず

話しかけた。(*3)


 「ダーク」という物語で作者の桐野さんは主人公ミロに対立する存在として“久恵”という大おんなを創造しています。憤怒に駆られて義父を殺してしまったミロを追跡する立場で、義父の内縁の妻という設定です。ミロは無軌道状態へと大跳躍を遂げた後、やがて新しい男を得て情念の虜となっていく。覚醒剤と妊娠で食を弾き出した毎日となり、嘔吐を重ねてどんどんと痩せていくのに対して、食欲の旺盛な大おんながのっそりと対峙して腹をぐーぐー鳴らしている。


 ここでの料理の羅列とその中の醤油は、だから、ミロという神女の作り上げた祭祀空間を鮮やかに引き立たせる目的があり、“変化しないもの、軌道上にあるもの、情念を封じたもの”を代弁するために登用されている。もちろん、良い心象をあまり残しません。なんだか不当で可哀相な料理と醤油です。


 けれど、食べものひとつにもここまで目を配り、物語世界の多層をもくろみ、緻密化、堅牢性を徹底して図っている桐野さんは深謀に長じた策士だと感心し、またまた惚れ直してしまう訳なのです。


(*1):「漂う魂」 桐野夏生 単行本「ローズガーデン」(講談社 2000)所収。手元にあるのは2003年文庫版で引用箇所は118頁。初出は「小説現代」1995年8月号。
(*2):シリーズのなかに再三あらわれる“勃い”という言葉。他では目にしたことはなかったのですが、見た瞬間に元気がもらえる素敵な顔をしてますね。
(*3):「ダーク」 桐野夏生 講談社 2002。手元にあるのは2006年の文庫版で、引用はその下巻51頁より

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