2011年6月18日土曜日
向田邦子「母の贈物」(1976)~ますます耐えられない~
伸江「お名前──」
正明「正明です」
伸江「正明さん──」
正明「和歌森正明」
伸江「ワカは若いっていう」
正明「いや、和歌──ミソヒト文字のほうの──」
伸江「ああ──ミソヒト文字──」
伸江、急にけたたましく笑い出す。あっけにとられる正明に、
伸江「ごめんなさいねえ。あたし子供ンとき、ミソヒト文字って
聞いた時、オ味噌、オミオツケの──あれ、考えちゃった
のよねえ。それだもんで、ミソヒト文字って聞くと、
どうしても笑っちゃうんですよ。いい年して本当に
ごめんなさい……」
伸江、楽天的な「たち」らしく、馴れ馴れしく正明の肩を叩いて
笑う。秋子、ますます耐えられない。(*1)
身よりなく独り暮らしを続けてきた年ごろのむすめが快活な若い男と出会い、見初められて結婚する運びとなりました。母子家庭で育った相手の男はむすめの境遇に自らを重ねるのでしょう、しっくりと歩調が合い、はた目にも似合いの仲です。男の母にとっても異存のあるはずはなく、引越しやら結婚式の衣装支度で浮き浮きとした時間が過ぎていくのでした。そこに頼んでもいない大量の花嫁道具が届いてしまい、皆を唖然とさせてしまいます。
家具屋といっしょに現われたのは華やいだ着物をまとったおんなで、五年前に死んでいるはずのむすめの実の母親なのでした。本当は高校生の我が子を捨て置いて、恋仲となった男と出奔していたのです。打ち明けるには決まりが悪く、また実際のところ気持ちの上で踏ん切りも付いていたものだから、職場でも私生活でも母とは死に別れたことにしていたのです。今さら何の用かと憤然として食って掛かるむすめでしたが、苦労して浮き世を渡ってきた母親は図太く、勃(つよ)く、また恋情の波に大いに磨かれている。艶然と微笑み、高く色めく声で周囲を圧倒していきます。
作者の向田邦子(むこうだくにこ)さんは不自然な会話をここで挿し入れている。数年ぶりの再会を果たした子どもに歓迎されていないのを背中で察知しつつ、この伸江というおんなは親の務めとばかりに相手の男、和歌森正明(わかもりまさあき)に視線を注ぎ、職業や性格を旺盛に探っていくのです。その際、(なにせ初対面ですから)男の名前を尋ねたその流れから、一人勝手に笑いの“つぼ”にはまり、けらけらと声を立てて皆をびっくりさせるのでした。
“和歌森”という珍しい苗字に関して説明するのは毎度の事なのでしょう、男は三十一文字で成立する和歌をさらりと引き合いに出して決着を付けようとするのですが、“ミソ”という響きに伸江はひどく反応し、身をよじって哄笑するのです。
向田さんお得意のカンフル剤ですね。“聞き違い”“記憶違い”が場を和ませ、子ども時代の記憶がすっと寄り添う気配がある。ほろ苦さ、温かさに空間は染まり、やんわりした後悔や感謝の念がやがて連結して今ここにある自分を励ましていく。伸江という情熱的なおんな(1976年の放送では小暮美千代さん、2009年のリメイクでは萬田久子さん、同年の舞台では長山藍子さんが演じている)を支える快活な部分が無理なく気持ちよく表現されて見事なのだけど、ここではもう少し巧妙な仕掛けが施されていたように僕は感じます。
題名が物語るように物語の主題は子ども側ではなく母親側にあります。若さや健康、出逢いや家庭の構築といったものが隠し持つ圧倒的な非遡及性、人生の一筆書きの怖さを訴えたいわけです。子供たちの門出に際してふたりのおんなが自らの航跡を確認する時間になっている。
配偶者に先立たれたふたりの“母”を対照的に描くことでそんな人生の苛酷な真実をあぶり出そうとする向田さんは、つまり突如出現した“おばけ”のようなおんなに母たる象徴である味噌汁を小馬鹿にさせている。母たることを捨てた“おんな”に“母”が笑われる展開を間接的に仕組んでいるのです。
向田さんはさらにひねりを効かせて物語を終着させていくのであって、上に引いた笑いはいつしか希釈され結果的に意味を失うのだけど、僕たちのこころの奥、味噌汁にほのかに抱く想いを見透かして技を掛けてくる辺り、やはり凄い創り手であったように想い、三十年も前の夏の事など振り返ったりするのです。
(*1):「母の贈物」 向田邦子 TBS 1976年2月20日放送のドラマ用台本。「向田邦子シナリオ集Ⅵ 一話完結傑作選」 岩波原題文庫 2009 所載。
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