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2012年2月12日日曜日

夏目漱石「草枕」(1906)~通じねえ、味噌擂(みそすり)だ~


「痛いがな。そう無茶をしては」

「このくらいな辛抱が出来なくって坊主になれるもんか」

「坊主にはもうなっとるがな」

「まだ一人前じゃねえ。――時にあの泰安さんは、どうして死んだっけな、御小僧さん」

「泰安さんは死にはせんがな」

「死なねえ? はてな。死んだはずだが」

「泰安さんは、その後(のち)発憤して、陸前の大梅寺へ行って、修業三昧じゃ。

 今に智識(ちしき)になられよう。結構な事よ」

「何が結構だい。いくら坊主だって、夜逃をして結構な法はあるめえ。御前なんざ、

 よく気をつけなくっちゃいけねえぜ。とかく、しくじるなあ女だから――

 女ってえば、あの狂印(きじるし)はやっぱり和尚さんの所へ行くかい」

「狂印と云う女は聞いた事がない」

「通じねえ、味噌擂(みそすり)だ。行くのか、行かねえのか」

「狂印は来んが、志保田の娘さんなら来る」

「いくら、和尚さんの御祈祷(ごきとう)でもあればかりゃ、癒(なお)るめえ。

 全く先の旦那が祟ってるんだ」

「あの娘さんはえらい女だ。老師がよう褒めておられる」

「石段をあがると、何でも逆様だから叶(かな)わねえ。和尚さんが、

 何て云ったって、気狂(きちげえ)は気狂だろう。――さあ剃れたよ。

 早く行って和尚さんに叱られて来めえ」

「いやもう少し遊んで行って賞(ほ)められよう」

「勝手にしろ、口の減らねえ餓鬼だ」

「咄(とつ)この乾屎(かんし)けつ」

「何だと?」

 青い頭はすでに暖簾(のれん)をくぐって、春風(しゅんぷう)に吹かれている。(*1)


 ハードディスクプレイヤーに録り溜めした長編映画(*2)を昨日一気に観たおかげで、頭の芯が痺れたようになっています。昨年の春の震災とそれに続く事故は、ひとの生命や生活を粉微塵にし、見通しの利かない借り住まいを余儀なくされている人も大勢います。どうしてもそんな状況と物語を重ね観てしまうものだから、気持ちが入ってしまって仕方ありませんでした。計7時間という長編ということもあるけれど、あれこれ考えながらの時間となったのが痺れをもたらした原因でしょう。


 戦禍が日常に及び、暮らしの趣きをことごとく変えていく、そのような激動の時代に生れずに済んだことを感謝していた僕でしたが、この度の震災は世に例外はなく、遅かれ早かれ誰も彼もが艱難辛苦との対峙を迫られることをはっきりと諭されたように感じます。テレビジョンや雑誌の送り出すものが精彩を失い、替わってこれまでは絵空事にしか見えなかった物語世界が我が身の未来を予見するやもしれぬ黙示録にも見えてくる。古い小説が新訳されたり、色の褪せた映画が丹念にリストアされてスクリーンに蘇えり、濃淡ありありと眼前に広がるようにして、急速に息吹を増してくる。世界がはげしく伸縮して感じられる。


 先日観たグレン・グールドのドキュメンタリー(*3)に触発され、年甲斐もなく手に取ったのが「草枕」でした。百年以上も前に書かれた話ですが、やはりこちらも胸に響いた。こんな年齢で漱石(そうせき)作品に触れるのは滑稽を越えて哀れな感じがして、とても恥ずかしく、余程書き留めるのをためらったのだけど、生きて暮らしていることの記録として残しておこうと思います。グールドが関心を寄せただろう芸術論も面白く読みましたが、当時の世間をくまなく覆っていた戦争の暗い影(日露戦争)とこれが狂わす人間の運命が切実で、厳粛な気持ちで頁を繰りました。


 上に引いた箇所は物語の中段に登場する床屋の様子です。山奥のひなびた宿に逗留している主人公が、村の理容店を訪れて頭を刈ってもらいます。後から入って来た寺の小僧と店主との間で交わされるのがこんなやり取りなのでした。話題の主は主人公の泊まる宿の出戻り娘で“那美(なみ)”というおんなであり、また、かつて彼女に懸想した挙句に行方をくらました若い僧“泰安”のことです。謎めいた面持ちの那美に深い関心をよせる主人公は、横でそのやりとりにそっと耳を澄ましている。


 麹(こうじ)や大豆の硬い粒が残る味噌をすり鉢に入れてはごりごりと擂(す)って、舌触りをなめらかにしてから利用することが往時の家庭では当たり前だったのでしょう。今では想像しにくい家事のひとつですが、寺社にあってはそのような調理前の下ごしらえを目下の者が行なうのが常でした。これが転じて半人前の僧を“味噌擂り(小僧)”と称するらしい。“みそっかす”とも通じる風合(身近から追い出さない、逃げ道が設けられた柔らかな印象)があります。


 会話の最後に登場する“咄(とつ)”とは舌打ちした時の音「ちぇっ」とか「ちっ」の意味であり、“乾屎(かんし)けつ”とは、厠(かわや)に備えられた木のへらの事です。専用の紙が無かった時代に各人が各人のしりの汚れをそれを使ってぬぐっておりました。“味噌擂(みそすり)”という蔑称に対する少年側からの逆襲なわけで、ここで両者は対となって一種の“クソミソ”的表現になっている。「ちぇっ、クソ取りべらめ」という意味ですからね、それにしても随分な悪態です。


 “乾屎(かんし)けつ”について気になって調べてみれば、禅話によく登場するものらしく、小僧の口から飛び出したのも日頃和尚から聞かされている法話が影響しているのでしょう。ウェブのあちこちにある解説を読めば分かりますが、決して悪い言葉ではないのが分かります。狭くて娯楽もない小さな山の村にあって、寺の小僧と店主はそんな“邪気のない悪口”をたたきながら日々の溜飲をさげているわけです。


 抗い難い世の流れにあって、想いを交わす人はちりぢりになり、時にはどちらかの生命が無情にも奪われさえします。例外のない一生はない。それと静かに向き合いながら、諦観を湛えながら人は言葉を探し、互いを鼓舞していくものなのでしょう。詮無いことと決めつけず、今後もあれこれと他愛もないお喋りをして行きたいものです。時には“邪気のない悪口”を言い合って、肩を叩き春風に吹かれたいものです。


(*1):「草枕」 夏目漱石 初出「新小説」1906(明治39)年9月 手元にあるのは新潮文庫138刷 引用は74‐75頁
(*2): ВОЙНА И МИР 監督 セルゲイ・ボンダルチュク1965-67
(*3):Genius within: The Inner Life of Glenn Gould 2009 監督ミシェル・オゼ、ピーター・ レイモント



2011年5月27日金曜日

江國香織「「おみそ」の矜持」(2010)~じっと、ちゃんと、~


 「おみそ」でいることは、私の性に合っていた。それはおそらく、

私にとって、周囲となんとか折り合いをつける術だった。

以来、いまに至るまでずっと「おみそ」だ。(中略)

 こうなったら「おみそ」の矜持を持ち、それを貫くほかにない。

「おみそ」の矜持とは何かといえば、それは「最後まで観察者たること」

だと私は思う。ときどき参加させてもらえるとしても、それはほんとうの

ことじゃない(子供の遊びで言うところのノー・カウント)。「おみそ」は

そこにいるのにいない者であり、その本分は、あくまでも世界の観察に

あるのだ。じっと、ちゃんと、観察し続けることに。

 小説家は、だから「おみそ」向きの職業である。(*1)


 会合が7時過ぎに終わり、予定していた映画のレイトショーまでちょっと時間が出来ました。幹線道路沿いの書店に飛び込み、ふわふわ回遊して過ごします。新刊コーナーで後ろ髪引かれる題名の本を手に取って覗いているうちに、江國香織(えくにかおり)さんのエッセイ集と出会いました。食べものをめぐっての小文を一冊にまとめたものです。


 料理レシピ本や食べ歩きのリポートを否定するのではありません。写真にときめき、涎(よだれ)を誘い、胃袋を刺激して楽しいのだけれど、こっそりと下意識に左右したり、魂を官能から情動へと橋渡しする、そんなやや奥まった食物(味噌、醤油)の役割を僕は追い求めてしまっている。だから、この手の食べもの系エッセイは自然と避けているのだったし、普段は買い求めてまで読むことはありません。


 目次のなかに「おみそ」とあって、そんな訳であまり期待せずに頁を開くとなかなかどうして悪くない内容だったのです。味噌を引き合いに出しながら江國さん自身の記憶や哲学が述べられていて、これは名文ではないかと思いました。


 「注文したお味噌がきょう届いた」。江國さんはこんな言葉で口火を切ったのでした。気に入りの味噌が無くなると困るから、時折取り寄せなければならないが、この取り寄せがなかなか難しい。そんな不器用な自分を振り返り、「子供同士で遊ぶとき、年下で、みんなと完全におなじことができず、いろいろと大目にみてやる必要のある子のことを、「おみそ」と呼んだ」ことを唐突に思い出します。支離滅裂なんて書くと叱られそうですが、イメージが横すべりして次々と発光していく感じがちょっと可笑しい。


 どんどん連想は膨らみます。「おみそ」が「みそっかす」の短縮形と知らぬうちは意味がまるで分からなかったと振り返り、いつしか当時の味噌屋の店頭風景が頭に浮かび、「おみそ」という言葉が身近にあったがゆえに味噌自体が好きで、なにかしら親近感を抱いていたと懐旧します。


 そうして江國さんは今の自分は「おみそ」ではないか、友人知人より許されて共に居させてもらう、そんな一歩半程度距離を置いた自分の性分は「おみそ」になっていると考え、けれど、それを爽やかに肯定してみせるのでした。引用したのは締めの部分ですが、「おみそ」を語ってここまで凛とし、誇らしげなものを僕はこれまで読んだ記憶がない。


 もちろん、ここでの「おみそ」は味噌でも味噌汁ではない。「みそっかす」という愛称と蔑称の中間にある愛らしく、妙にこころに響く呼び名なのだけど、僕にはそれ以上のイメージが湧いて止まらないのです。“味噌”という地味で目立たない存在が、料理においても、さらには日本という国にあっても確かに「そこにいるのにいない者であり」、その本分は、「最後まで観察者たること」ではないか。世界を食卓や台所からそっと観察して、尽きぬ想いを見えない言葉に綴って届けている「小説家」ではなかろうか。


 辞書で“矜持(きょうじ)”を引くと「自負、プライド」とあります。まなざしに強さと厚みをもたらす素晴らしいタイトルですね。元気をもらえた気がします。


(*1):「「おみそ」の矜持」」 江國香織 初出は「週刊文春」号数は把握していません 「やわらかなレシピ」 文藝春秋 2011所収 引用は115-116頁

2010年7月26日月曜日

松原岩五郎「最暗黒の東京」 (1893)~人に向ッて食(くわ)すべき物にあらぬ~



しかれども予は空(むな)しく帰らざりし、予は些(わず)かの食物を

争うべく賄方(まかないかた)に向ッて嘆願を始めし。(中略)「もしも

汝(なんじ)がさほどに乞うならば、そこに豕(ぶた)の食うべき餡殻

(あんがら)と畠を肥(こや)すべく適当なる馬鈴薯(じゃがたらいも)の

屑が後刻に来るべく塵芥屋(ごみや)を待ちつつある」と。予がそれを

見し時に、それは薯(いも)類を以て製せられたる餡のやや腐敗して

酸味を帯びたるものと、洗いたる釜底の飯とおよび窄(しぼ)りたる

味噌汁(みそしる)の滓(かす)にてありき。たとえこれが人に向ッて

食(くわ)すべき物にあらぬとはいえ、数日間の飢に向ッては、これが

多少の饗応(きょうおう)となるべく注意を以てそこにありし総(すべ)てを

運び去りし。(中略) ああ、いかにこれが話説(はなし)すべく奇態の

事実でありしよ。予は予が心において残飯を売る事のそれが慥(たし)かに

人命救助の一つであるべく、予をして小さき慈善家と思わせし。しかるに、

これが時としては腐れたる飯、饐(あざ)れたる味噌、即ち豕(ぶた)の

食物および畠の食物を以て銭を取るべく不応為(ふおうい)を犯すの余儀なき

場合に陥入(おちい)らしめたり。(*1)


 雑賀恵子(さいがけいこ)さんの書かれた「空腹について」(*2)という本を読んでいたら“味噌”が顔を覗かせました。松原岩五郎というひとが執筆し、明治26年(1893)に上梓された「最暗黒の東京」からの引用なのでした。早速文庫本(*1)を取り寄せて読み進めました。有りました。それが上に写した文章です。


 今とは違って生活物資が潤沢でなかった頃に、さらに目を覆わんばかりの艱難辛苦(かんなんしんく)を舐めさせられた“貧民窟”での生業(なりわい)に松原さんは単身飛び込みます。後段にはやや勢いが衰えて失速する感は否めませんが、前半から中盤にかけての食糧事情の件(くだり)は圧倒されるものがあります。渾身のルポルタージュです。


 寝具にも事欠く窮状に置かれた者にとって、炊事に使う薪(まき)や炭は到底手の届かぬ貴重品です。火を熾(おこ)す必要のない手っ取り早い栄養摂取の手段として、だから重宝されていたのが、軍隊の宿舎や学校の裏口から排出される“残飯”を貰い受け、手間賃を上乗せして売るという驚くべき稼業と彼らがさばく「残飯」なのでした。筆者は界隈を司る紹介屋の勧めに応じてそんな“残飯屋”に人足のひとりとなって潜り込み、兵舎の厨房と貧民窟を日毎夜毎に桶(おけ)を担ぎ、車を引いて往復します。空き腹を抱えた人々は手に手に椀だの鍋だのを抱えて到着を待ち、筆者に群がり寄って、我先にと“食べもの”を買い求めるのです。


 綱渡りをするようにして生命を繋いでいる、けれど逞しく、必死に生きていく人間の姿を活写していて、ありありと光景が浮かんできます。最下層の人々の日々を体感するままに誇張加えず割愛をせずに淡々と記していくその文章には、感嘆やら憐憫やらの複合した思いが時折交錯してほとばしり、現世の僕たちの生活の在り様について熟考を誘うものがありました。


 厨房より送り出される多種多様のもの、魚や獣の内臓、漬物の切れ端、野菜の切片、釜底に黒くこびりついた焦げ飯、腐敗しつつあり酸っぱい臭いを放出する米やら餡やら──に交じって“味噌汁の滓”すなわち“みそっかす”が描写されていました。“畑の肥やしか家畜の餌”と明確に書かれてしまっており、ここでの“みそっかす”は著しく低い地位のものとして扱われています。


 ここだけでなく、次のような形容も別の箇所では為されています。懐に小銭の入った庶民が気晴らしを得ようと足を運ぶ行きつけの、ひどく衛生状態が悪い小料理屋に関しての記述の中でした。


およそ世に不潔といえるほどの不潔は悉皆(しっかい)玆(ここ)に

集めたるが如く、(中略) 海布(あらめ)のごとき着物被(き)たる下男、

味噌桶(みそおけ)より這い出したるが如き給仕女(以下略)(*3)(*4)


 この時期の多くの人々にとっての“味噌”および“みそっかす”への視線が、不衛生で生理的に受け付けないものとして定着していたことの証左を示して見えます。工業レベルで確立される遥か以前の“味噌作り”は、暗く不潔な土間の片隅で各集団ごとに為されていくのが通常でしたから、発酵途上で失敗したり虫が混入したりして異臭を放つ出来損ないも多かったことでしょう。十二分に洗浄と乾燥を施さずに無神経に再使用された仕込み用の木樽は、何やら分からぬ雑菌に汚染されて何処もかしこもべとべと、ぐちゅぐちゅと気味悪かったかもしれません。


 僕は過日、幸田文さんやちばてつやさんの作品を取り上げて好意的に“みそっかす”という奇妙な蔑称を解読してきましたが、こうして明治期まで深く遡ってみれば、もはや逃げおおせぬ最低ランクの喩(たと)えとしてその言葉が当時のひとの口より放たれていたことは想像されてしまう訳なのです。ちょっと考えが甘かったかもしれない。


 言葉やそれに付随する人の想いは時代と共に容易に変質していく、ということですね。形容、呼称というものはなかなかに奥深く、繊細なものを含んでいる。気を付けないといけませんね。こんな年齢になりましたが、ちょっとだけ利口になれた気がしています。





 話は変わりますが、そうそう、こんな発見も。例によってベランダでの読書兼日光浴の最中でした。下着一枚のお気楽ないつものスタイルです。直射日光に照らされた文庫本「最暗黒の東京」は、真っ白くがんがんに輝いて目が眩むばかりです。僕は近視なものだから眼鏡を外してかたわらに置き、ページをぐっと顔に近づけて、あれ、そうだったのかと気が付いた訳なのでした。


 考えてみればインクは石油の産物でありますから、何ら不思議はないのです。強烈な陽光をまともに受けて、文字のひとつひとつが炎に焼かれて身悶えするようにして見えるのだけど、そのひとつひとつがよくよく見れば虹色に反射しているのでした。赤だの青だの、紫だの鮮やかな光をてらてら放っている。


 僕はこれまで白い紙に黒い文字が並ぶイメージに囚われていたのだけど、実は文字のひとつひとつは多彩な個性を放って光を返しているんですね。余程の強い光に照らされないと、そうして余程顔を近寄せないと解からないのだけど、活字のいちいちが色とりどりに反射する様子はすこぶる幻想的で嬉しく感じました。


    蝙蝠傘 ── 傀儡遣い(にんぎょうつかい) ──

    覗き機関(からくり) ── 燐寸(マッチ) ── 鼻緒縫い


 そんな単語がちかりちかりと虹のひかりを放っていく。本好きにはたまらない光景じゃないですか。未見の方は今度お昼休みにでもお試しください。


 素晴らしい、かけがいのない、人生一度きりの夏を──。
水分をたくさん補給しながら、どうか元気にお過ごしください。


(*1): 「最暗黒の東京」 松原岩五郎 1893 初版は民友社より 上記引用はすべて岩波文庫版による 手元にあるのは1988年の第1刷 「8、貧民と食物」頁47-48
(*2): 「空腹について」 雑賀恵子 2008 青土社
(*3):「22、飲食店の内訳」 頁112-113

(*4):“醤油”についても散見出来ますが、味噌のようなマイナスの描写は見当たりませんね。車夫、人足で賑わう小さな店先の場景などに登場している。「
片手に布団と煙草袋を提(さげ)て醤油樽(だる)に腰を掛けぬ。」とか「数多(あまた)の醤油樽を積み重ねたる小暗(こぐら)き片蔭に赤毛布(あかけっと)の破布(ぼろ)を纏(まと)いて狗(いぬ)の如くに踞(うず)くまり孤鼠(こそ)々々と食する老爺(ろうや)あり。」(「30、下等飲食店第一の顧客」頁148-149)──といった表現であって、目線が対等かそれ以上になっている。味噌と違って“商品”、それも高値の工業製品として確立していた為かもしれません。この段差はちょっと面白いなあ。

2009年12月31日木曜日

角田光代「夜をゆく飛行機」(2004)~廊下に漂っていた~



お店から戻ってきた母は切れ目なくしゃべりながら食堂を横切り、

台所にいく。素子(もとこ)が人数分の味噌汁を運び、大皿に

のった海草サラダを運んでくる。

「おとうさん今日会合でしょ?あんまり飲まないほうがいいよ、

どうせあっちでもお酒出るんだから」(*1)


 夜空に月を見上げるのが柄にもなく好きです。見詰めながらあれこれ想いを巡らす、小さな隙間の時間をとても大事にして暮らしています。三々五々同僚が帰ってしまい、独り残された仕事納めの昨日夕刻、外に出て、涼しく澄んだ空気を胸の奥まで吸ってみました。締め括りのこの一瞬に肺腑を満たした夜気はひりひりと凍みて、目尻に熱いものが湧きました。天頂近くに月は丸くあり、その形を、その白さを、その光を僕はただただ嬉しく愛しく感じました。


  月齢カレンダー(*2)によれば30日は十五夜、元日の夜が満月とのこと。新しい年が満月に照らされて始まるなんて、ちょっと素敵ですよね。これを読むすべての人にとって、暗き夜道にも月光が指し届く、そんな足元の明るい一年となりますように心から祈っています。


  月のわずか下を銀色に雲を引きずりながら、赤い灯火をにじませた米粒のような飛行機が右から左へ飛んでいくのを見送りました。そうそう、二階から屋根に突き出た物干し台から夜毎に空を眺め、飛行機を探し見つめる女の子を主人公にした小説を調度読み終えたばかりです。


  角田光代(かくたみつよ)さんのこの「夜をゆく飛行機」ほど、味噌と醤油が意識的に散りばめられた小説は無いように思われます。さりげなく随所随所に味噌と醤油を登用することで物語の湿度や香りを上手く調節していますね。僕はこれまで角田さんの作品を丹念に読み込んだことはなかったのですが、物語を理詰めで構築する人だということを窺わせる緻密なバラマキが為されていて、とても楽しく読了した次第です。


  昔ながらの商店街に創業当時からの顔付きのままで収まっていた個人経営の酒店が舞台です。両親と年頃の四姉妹が肩を寄せ合い暮らしていたのですが、近くに巨大なショッピングセンターが建設され開店間際となり、一点にわかに掻き曇り、といった感じの緊迫した大気を冒頭から孕んでいます。これを案ずる父親はもう気が気ではなくなり町内会の会合に毎夜足を運んだりするのですが、そんな事をしたってどうしようもないことは本人も家族も百も承知です。また、子供たちは各々変革の時期に差し掛かりもしていて、出たり入ったりの動きが活発になっていく。末っ子の視線を通じてひとつの家族と家屋の変貌していく様子が紹介されていきます。


  2004年から書き始められたこの小説の時空は、1999年から翌年2000年をまたぐ“近過去”に設定されています。その事からも端的に分かるように物語の肝となっているのは、遡及し得ない一度限りの浮世の苦しさです。後戻りの利かない人生の哀しさを見据えた上での、記憶の嬉しさ、温かさを静かに顕現してみせて、僕たち読者ひとりひとりにおのれの過去を“振り返らせる”ことを角田さんは目論んでおられる。


  主人公の記憶や感情に味噌や醤油がまとわり付きます。姉のひとりが泣き出した様子を見て「私はなんだか、この廊下がタイムマシンで、十五年前に戻ってしまったような気がした」のですが、その過去と現代を橋渡しする情景として味噌汁がふわりと浮上いたします。



朝の光が廊下に延び、味噌汁のにおいが廊下に漂っていた。(*1)


  と、こんな具合です。物語の最後のあたりにはこんな記述も見つかります。


谷島酒店で働く、まだおばあちゃんにはなっていない祖母が、

知っている光景みたいに思い浮かんだ。味噌の樽や駄菓子の

入ったガラスケースが並んだちいさなお店、割烹着を着た祖母、

前の道を走る古めかしい自動車と舞い上がる土埃。ちいさい

子どもだった父や祥一おじさんが、あわただしく店から飛び出し

てくる様まで、昨日見たように思い浮かんだ。(*1)



  “味噌の樽”というのはどうです、珍しいでしょう。小道具としてかなり特殊ですよね。映画「赤いハンカチ」では新しい流通システムが根こそぎ古い商業形態を駆逐し、そこに寄り添っていた人情や絆を破断させていくという時代の転換点が舞台になっていました。失われていくものを代表するイメージとして、自転車の豆腐売りと味噌汁がセットになって象徴的に取り上げられていた(*3)のでしたが、あれに似た状況設定と手法が「夜をゆく飛行機」には確かに認められます。取り返しのつかない過去に味噌汁は連結させられていくのです。


  劇中天寿を全うする祖母の存在は、懐かしくも喪われていく風景と同じ立ち位置に在るのですが、そんな老女を描く際にも角田さんはこっそり味噌を挿し入れてみせる手堅さを見せています。



「あの子は一番下な上、女の子でみそっかすだったから、

あんたたちを見ると、長女気分になれるんだろ。ねえ、

あんたたち、お願いがあんのさ」祖母は袂に手を突っ込んで、

ごそごそしている。(*1)



  “みそっかす”という耳にしなくなって久しい形容が突如ここ、2004年の作品で顔を覗かせるのは、僕には到底偶然とは思えません。


  このような味噌や醤油から記憶の共有や共感を導く手法は幼少の頃に外国暮らしをした人や海外のひとには通じない、僕たちここに産まれここに住む者の深層にのみ訴える、ある意味偏狭な日本固有の小説技巧だと思われます。海外での翻訳を見据える村上春樹さんや大江健三郎さんは避ける泥臭いやり方なのでしょうけれど、僕たちが僕たちのこころと向き合い、僕たちの社会とは何かを考えるときにはとても有効であるし、実に奥深くて面白い顕現だと思えるのです。


  失われるものと寄り添い、共に失われていく宿命を帯びた味噌汁。そんな切実なイメージを作家は投げ掛けてくるのですが、そのような食べ物は他には見当たらないように思えます。これに対して違和感なく眼差しを注ぎ続ける僕たち日本人のこころの傾き具合も、奇妙で不思議なものに思えます。永別を果てしなく意識しながら、大豆や小麦を醗酵させたスープを呑む民族、それが僕たちなんですねえ。可笑しいよねえ。


(*1):「夜をゆく飛行機」 角田光代 初出は「婦人公論」2004年8月より連載、

翌年2005年11月まで。 現在、中公文庫で入手可。
(*2): http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/moonage.htm
(*3): http://miso-mythology.blogspot.com/2009/05/1964_30.html

2009年8月29日土曜日

望月三起也「ワイルド7」(1969-79)~みそっかすのユキ~


 当然のことながら“みそっかす”は末尾の“かす”に重心が置かれています。再び「大辞泉」(小学館)をここで引き寄せて“かす”について調べてみれば、③、役に立たないつまらないもの。最も下等なもの。くず。「人間の─」──とありました。やっぱり良い感じはしません。言われた当人は少なからず傷付くに違いなく、どのように声色を変えてみたって嫌な響きであることは避けられない。


 しかしながら、犬や家畜、唐変木に代表されるような“人に非ざるもの”に例えて相手を侮蔑するときとは若干趣きが異なるように感じます。おまえは負け犬だ、と蔑むとき、オレは勝ち犬だぜ、とは思っていないでしょう。あいつは豚よ、とあざけるとき、わたしは麒麟なのよ、とは思わない。言った側はすべからく自分を“人間さま”と思っているものです。貴様のような奴とは質も階層も違うのだと突き放した表現、人間という舞台からの抹殺が図られている。


 対して“みそっかす”は“味噌汁にならざるもの”の意です。“みそっかす”が半人前を指す蔑称ならば一人前に仕上がった者は“みそ”となる。口にする人間は己を“みそ”または“味噌汁”と同一視しており、“みそっかす”と呼んだ者とは似た者どうしになる理屈です。両者は階層を連ねて並んでいる。そこには多少の疎外感は生じても、拒絶反応じみた違和感はないのです。(ここでも日本人が“味噌(汁)”に自身を重ねていますね。とても興味深い形容です!)


 また、酒粕(さけかす)、粕漬(かすづ)けといった日本酒の生産工程で派生する残滓を上手く活用した調味料や料理法もある訳です。カスという言葉には徹底して忌み嫌う風の烈しい感情は付随しない、そんな生活面での寄り添いも見て取れます。英語の卑語で盛んに用いられる尾篭(びろう)な単語とは一線を画するものでしょう。


 ちばてつやさんの描く少女、茜(あかね)はタイトルをもって、幸田文さん自身は具体的に親戚からの声をもって“みそっかす”という響きに打ちのめされはしたけれど、彼女たちの表情が総じて明るく、劇の終幕では大きな仕事を成し遂げて晴れがましさに包まれます。そして、ここが重要なのですが、大いに傷付きはしたけれど自分が“みそっかす”であったことを彼女たちは否定していないように見えます。つまり“みそっかす”とは成長にともなう局面に過ぎないわけです。ひとは誰でも一度は“みそっかす”であらねばならぬ、ということなのでしょう。


 このように全否定ではなくって一部否定、もしくは一部肯定のニュアンスを帯びた柔らかさを内包する表現ゆえに、「わたしはみそっかすだから」と自分から笑顔で名乗ってしまう者すら出て来てしまうのです。たとえば──



 少年漫画誌に連載された望月三起也さんの「ワイルド7(セブン)」(*1)は、僕の世代の、特に男子にとっては欠くことの出来ない漫画でありました。小学校、中学校時分、教室にひそかに持ち込まれた単行本はとても人気があり、「アストロ球団」(*2)と共によく回し読みされましたね。


 選び抜かれた数名の元死刑囚が白バイチームを組まされます。続発する凶悪事件、組織犯罪と対抗するために編制された超法規集団です。捨て身の潜入捜査に端を発し、血ふぶき、粉塵、黒い煙にまみれた壮烈な闘いが延々と続きます。僕たちは完全に捕り込まれてしまい、固唾を呑んで頁をめくったものでした。


  息を呑んだ理由にはもう一つあって、望月さんの描く人物が独特の色気を放って目を射抜いたせいもあるでしょう。チームリーダーは二十歳そこそこの飛葉(ひば)という若者であって、いま読み返せば随分と青臭い会話が続くのですが、その当時は彼らの伸びやかな四肢や諦観を湛えた眼差しに大人の薫りを感じて恍惚となったものです。



 家族を殺された恨みを晴らすために単身オートバイを駆り、ショットガンを放って復讐の殺戮を繰り返していたユキという娘が「コンクリート・ゲリラ」という物語で捕まり、その度胸を買われて途中からチームに参入することになるのですが、彼女は自分で自分のことを“みそっかす”と称しています。



みそっかすでもワイルド7

みそこなっちゃ いやだわよ(*3)



 見損なったりしませんよ。八面六臂の働きに多くの少年がめろめろでした。ユキの気風、容貌、ファッションにうっとりと見惚れたものでした。


 十年間に渡った連載は、実にそんなユキの遠く去っていく姿で閉じられます。愛するひとの生還を願い、百にひとつの奇蹟を信じて天空に身を躍らせる。蒼い海原に身を投げて消えていくラストカットは胸に刻まれて、いまだに鮮烈です。


 もはやそこには“みそっかす”の片鱗は見当たりません。成長し切った人間、成熟したおんなとして大長編の物語を完結に導いたのでした。僕たちはただただ陶然として目を潤ませるばかりでした。そんな最終回が載った雑誌は黙々と休み時間に回し読まれ、誰もが感想を口にせず、ぶっきらぼうに、ほらよ、と隣りの机へ手渡されました。


 何につけても、どう足掻いても、誰もが最初は“みそっかす”。でも、大丈夫。羨望にまばゆく見える先輩諸氏は神さまでも偉人でもない、“味噌汁”に過ぎません。
 いつか自分も“味噌汁”になれれば、それで十分、それで上等。

 
 季節はいよいよ夏から秋へ。共に挫けず、騒がず、四季を駆けていきましょう。


(*1): 「ワイルド7」 望月三起也 「週刊少年キング」連載 1969-79
(*2):「アストロ球団」原作遠崎史朗 作画中島徳博 「週刊少年ジャンプ」連載 1972-76
(*3):第15話「運命の七星」より
最上段の見開きは第9話「緑の墓」、カラーイラストは第4話「コンクリート・ゲリラ」より。

2009年8月28日金曜日

幸田文「みそっかす」(1948-49)~棄てがたい~


 
 とうとう或る朝、正直にいやだといって廊下へとことこ逃げだした。

虫のいどころが悪かったのか父はおこって迫って来る始末に、家内中が

総(そう)に立って遂に便所の前でつかまえられた。(中略)


 強情っ張りのみそっかすは、この事件からオバ公さんによって文子の

冠詞として定着された。(*1)



 ちばてつやさんの漫画に先行すること十五年、別の「みそっかす」が上梓されています。明治から大正にかけて活躍した小説家幸田露伴の娘、文(あや)さんにより描かれたのは、ちばてつやさんの世界とどこか通底するひとつの家族の生々しい実相でありました。


 胸を病んで早世する母、河の氾濫により泥に浸かる住宅、祖母や叔母への愛着と重圧、美しかった姉の病死、継母との同居で一気に緊迫していく日常、いがみ合う父と母、火鉢から投げ付けられる鉄瓶、かかる熱湯、白く蒸気をあげる着物、露に濡れ茂る庭に独りきりで横たわる夜──。



 選び抜かれた言い回しがうつくしく、胸に迫る内容となっています。武家の末裔、文人の家といった特殊性はもちろんありますが、おとなたちの都合で翻弄され続ける子どもの苦痛や哀しみ、男女が一つ家に寝起きすることの難しさなど人生の普遍が切々と詠われていて、あれこれと考えさせられることしきりでした。


 幸田さんのこの本が、ちば漫画の原動力のひとつとして恐らくは機能したのでしょう。上条茜(あかね)という少女と幼い日々の文さんの姿が随分と重なって見えます。
もっとも、こちらの少女は叔母さんから“みそっかす”と具体的に呼ばわれる日々です。活きた言葉として“みそっかす”は頑然として在って、それが叔母さんの喉もとから発せられる度に少女はひどく萎縮し、かなしみの絵具で胸中を暗く染めていきます。



 アメリカの映画を観ていると卑語を随分と耳にしますよね。会話に抑揚を付けることが目的のように狂ったように連射されることもあり、意味らしい意味をすっかり失って聞こえます。大概の場合、字幕だって直訳を避けます。何てこった、ふざけんな、馬鹿やろう──と文字は並びますが、実際はとんでもない言葉が舞い踊っている訳です。例えば、そうですね───いや、止めておきましょう。まあ、ご承知の通りです。


 そのようにして卑語、蔑称は本来の意味合いを徐々に薄めていくものかもしれません。生き残っていくうちに叱責や侮辱、嘲笑する際の記号や刻印に化けてしまい、口にする方も聞かされる方も字面にいちいち左右されなくなる。

 ですからこの日本独特の“みそっかす”という蔑称を四角四面に受け止め、その意味や生い立ちを探ることは滑稽なことかもしれません。ほとんどの人は気にも留めないものでしょう。“馬鹿”と言われて馬と鹿はどっちがより馬鹿なんだろ、その頭や脚力の順列にうんうん頭を悩ます人はいません。


 ですが、幸田さんは血の所以なのか、当時も、そして、長じてからも大切にこれを自問し続けたのですね。連載されたものを単行本としてまとめる際に書かれた文章でしょうか。題名の由来に触れて幸田さんは、かなり実直な表現で“みそっかす”という言葉への印象を語っています。書き写してみます。


 『大言海(だいげんかい)』をあけて見た。そこにはみそっかすという

ことばは載っていなかった。そうか、無いのか、──重いその本をもとの

棚へかえして、なお余情がたゆたい纏(まと)わり、鐘の尾に聞きいると

きに似ていた。(中略)



 みそっかすなんていうことばは、もう無い方がいい。辞引(じびき)に

もない方がいいし、なくしてしまいたい。ほんとうに私はそう願う。現在

すでにこのことばは消えている。(*2)


 記憶を辿り、辞書を繰ってまで何かを掴もうとするなんて──。ちいさな胸をどれだけ痛め、どれほど悶々と苦しんだかがうかがい知れる何気なくも厚味のある所作です。口にした叔母さんにしても、まさかここまで姪っ子が思い悩んでいくとは想像もつかなかったでしょう。


 言葉はとてつもなく重たいものです。未来は幾らかなりとも変えられるかもしれませんが、過ぎ去りし過去は訂正がきかない。後悔先に立たず。心して暮らしたいものです。


 さて、それでは幸田文さんは怨嗟と苦渋に満ちた回想を繰り返すばかりだったものでしょうか。“みそっかす”は忌まわしき濁点となって彼女の記憶に残り、僕たち読者の気持ちも暗く捕えていくものでしょうか。呪われた言葉として文学史を汚したものでしょうか。


 とはいえ、──と暗く考える。そういう扱われかたでいじける児が一人

もいなくて済む世の中が、はたしていつ来るものだろうと思うと、私は

みそっかすの響に棄てがたい愛を感じる。はるかに遠く鐘を惜しむ心を

もって、あえてこの題をえらんで送るのである。(*2)



 味噌っかすはかすなりに味噌漉(みそこし)の目に生きのこって、から

くも父をみとり終り、強情っ張りはどうやらこうやら浮世に棹(さお)を

突っ張り通してやって来たとは、われながらめでたいことだったと、

みそっかすの弁である。(*1)



 幸田さんがめくった辞書には見つかりませんでしたが、その代わり見事に僕たちの国で育まれた“みそっかす”という言葉への立ち位置を示してくれている。身をもって証し立ててくれている。


 「落ちこぼれ」といった断定的で冷酷な口調でもなければ、たとえば「負け“犬”」と称して人をひととも思わない差別的で屈辱を上塗りするような響きを含まない。“みそっかす”は存在を真っ向から全否定する表現ではない。


 判官贔屓と笑われそうですが、僕は悪い印象を抱けないのです。慎ましく、独特の眼差しを含んだ言葉が“みそっかす”なのだと幸田さんは教えてくれています。

 
(*1):「みそっかす」 幸田文  単行本は岩波書店から出された 1951 
(*2): 「みそっかすのことば」 幸田文 1951
なお最上段の写真の出自は以下の頁 
http://oak.way-nifty.com/radical_imagination/2005/07/post_3d10.html

2009年8月27日木曜日

ちばてつや「みそっかす」(1966-67)~獣みたいな子~

 「あしたのジョー」(*1)、「のたり松太郎」(*2)等で知られる漫画家ちばてつやさんの作品に「みそっかす」(*3)というのがあります。


 お話はふたつの軸で貫かれています。ひとつは家族の集合離散、のたうつ葛藤の様子です。 病弱に産まれて長期療養を必要とされ、親元から四歳のときに引き離されてしまったひとりの少女、茜(あかね)が主人公です。紀伊半島の海辺の寒村で伯父草介(そうすけ)の手により育てられたのですが、放浪画家である草介の自由奔放な性格が茜に野性味を付与し、天性の利発さ、自由闊達さに磨きがかかっていきます。


 烈しさと慈愛、歓びと淋しさを交互に瞳に宿す少女の表情を作者は丹念に描いており、やはり子どもを描かせると上手いな、と感心させられます。いつしかこちらも気持ちがぐんぐん入って目が離せなくなっていく。


 そんな茜が久しぶりに上条家の大きな屋敷に戻ってきます。誰もが嬉しいはずの帰宅なのですが、実に六年間も音信や往来が満足にありませんでしたからね、茜と両親や姉妹とはいつまでも馴染むことが出来ずに衝突を繰り返してしまうのです。


 そうこうする中で上条家の営む商船業は破綻し、自殺を図って父親は海に飛び込みます。助けようとした育ての親たる草介も溺れた挙句に衰弱死して、残された家族は大混乱のなかで経済的苦境に立たされ解体寸前となるのです。茜はひとり悩み苦しみ、育った海辺を目指して家を出ます─────

 もう一つは茜が通うことになった学校での騒動です。折りしもその白樺学園には経営乗っ取りの陰謀があり、偶然にも謀議を耳にしてしまった茜が孤軍奮闘していくこととなります。



 家族やクラスメイトから煙たがられて孤立しつつも、少女は持ち前の気丈さで窮地を切り抜けていきます。手作りの人形や相手にされない老犬を友とし、泥で作った家族に語り掛け、学校ではやはり嘲笑の的となっているパッとしない男の子を援けながら懸命に考え、必死になって生きていく姿には静かな感動を覚えます。


 ところで面白いのは、タイトルに冠された語句が会話にもト書きにも現われて来ないことです。『大辞泉』(小学館)をあけて見ます。そこにはみそっかすということばが次のように載っていました。

みそっかす【味噌×滓】①すった味噌をこしたかす。②子供の遊びなどで、一人前に扱ってもらえない子供。みそっこ。


 母親の口からは「へんくつな子」「おりからはなたれた獣みたいな子」「敵意にみちた獣」と揶揄されるのですが、“みそっかす”とは呼ばれていません。誰もそのように少女のことを言い表さない。

 ひとつの興味深い現象が確認できます。この作品はアニメーション化されてテレビ放映されたのですが、そのタイトルは『あかねちゃん』(*4)と変えられているのですね。



 当時“みそっかす”という言葉が活きた言葉であったことの“証し”となるのか、それとも世間で通じない死語として却下されたものなのか、僕には正確な判断が付きません。でも恐らくは前者でないのかな。アンダーな印象を避けるために改変されたのじゃないかしらん。この作品が描かれた1966年には、十二分にそのタイトルの意が読者に酌まれていたことが推し量れる訳です。読者の身近にも“みそっかす”がいた、いや読み手自身がそもそも“みそっかす”であった。他人と違う自分、劣等意識にさいなまれる自分自身を田舎育ちの孤独な少女に投影して声援を送ったのでしょう


 思えば60年代後半から1970年代にかけて少年少女誌を彩った漫画作品の多くが、何かしらの黒い影を帯びていたように振り返ります。欠陥、不具、倒錯、精神異常、片親、身体的な傷などなど。実に奇態なデフォルメを定着させられ、世間からそれを包み隠そうと苦悩し、時に露わにされて絶叫し暴走していった主人公たちの姿はさながら百鬼夜行図のようで美しくも妖しい光芒が感じられました。

 読者がすんなりそこに自分を投影し得たことは“時代”なのでしょうか、それとも僕たちが真っ黒な影にまみれた鬼のごときものを抱えていたのでしょうか。振り返れば奇妙で懐かしい思いを抱きます。

 とにかくここでの“みそっかす”という題名には相当にウェットなものが潜んでおり、お世辞にも胸を張れるような言い回しではなかったのです。日陰者の宿命が刷り込まれていたことは違いありません。


 さて、目を現在に転じて僕たちの日常を眺めてみましょう。“みそっかす”という言葉はどうなっているのでしょうか。皆さんの周囲に“みそっかす”はおられますでしょうか。

 茜は四人姉妹の三番目でしたが、現在の家族において兄弟姉妹の数はいよいよ少なく、さまざまな年齢の子供たちが一同に会して遊ぶことは稀有な出来事になってもいます。僕の世代より下の人たちには“みそっかす”のイメージを固めること自体が困難で、首をひねってしまう方も多いでしょうね。

 地表にてパタパタパタと羽ばたくも飛び立つ力がなくなっている、そんな夏の終わりの蝉たちのように、“みそっかす”はもはや何処かに姿を消そうとしているものでしょうか。


 もう少しこの事については考えてみようと思います。


(*1):「あしたのジョー」 ちばてつや  原作 高森朝雄  1968-73
(*2):「のたり松太郎」 ちばてつや  1973-98
(*3):「みそっかす」ちばてつや  1966-67
(*4):「あかねちゃん」 東映動画 1968 フジテレビ系列で放映
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%8B%E3%81%AD%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93