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2012年4月24日火曜日

沖浦啓之「ももへの手紙」(2012)~わざと音を立てて~


  止まった掛け時計の部屋で、ふたりは夕飯を食べ始めた。 
おみそ汁とご飯。漬物と、おひたしと煮魚。ちゃぶ台の上の 
夕飯は質素だ。お父さんがいたときは、もう一品か二品、 
手をかけた料理が並んでいた。でもふたりになってからは 
ぐっと品数が減った。お父さんが亡くなってからは、お母さんも、 
ももも、しばらく食欲がなかったこともあって、自然とそうなった。 
この島の買い物事情を考えると、この先もずっと食卓はこんな 
感じなんだろうな。(中略) 


「絶対なんかいるんだって」 
「いません」 
「いるよ!」 
「いないのっ、もう、いいかげんにしなさい」  
お母さんは食事の続きに戻った。ご飯をひと口食べ、 
もうこの話は終わり、とばかりに、わざと音を立てて 
みそ汁をすする。(*1) 



(*1):「ももへの手紙」 原案/沖浦啓之 著/百瀬しのぶ 角川文庫 2012 67-68頁

2012年3月20日火曜日

三浦友和「相性」(2011)~そうやって徐々に~



 家事全般の比率からしたら、もちろん妻が9割以上です。

でも残りの1割で、自分ができることならするよ、というだけです。

料理を手伝うのだって、自分が好きだから。約束や決まり事もあり

ません。遊びの計画でもなんでも。だから、家族サービスじゃあり

ません。

 感想は言いますよ。例えば、妻の料理を口にして、「今日はちょっと

塩が強かったね」とか。「あら、そう?」と、妻が次からちょっと工夫を

してくれる。こういうことはお互い様で、味噌汁の好みが中間点に落ち

着いていくように、そうやって徐々に、二人の関係もいい具合になって

いくんだと思います。(*1)

(*1):「相性」 三浦友和 2011 小学館 181-182頁

2012年1月25日水曜日

楳図かずお「恐怖への招待」(1988)~まっきっき~


 断わる勇気がなかったのと、気が弱いものだから、くたびれて

いるし、押しきるパワーが足りなくて、とうとう、やるしかないと

いう気になっちゃった。やったんだけど、案の定、次の日、

朝起きると、普段だと前の日くたびれていても、とりあえず朝に

なるとくたびれが抜けているんだけど、朝起きると顔がまっきっきに

なっていて、全然くたびれが取れてないんだよね。それからずっと、

そんな状態が四年間ぐらい続いちゃった。

 ちょうど、『おろち』をかきかけの頃だったんだけれど、担当の

臼井さんという方が、毎日せっせとシジミのお味噌汁をこしらえて

くれて、それを飲んでいたけれど、お医者さんに診てもらったら、

やっぱり肝臓を悪くする手前という感じのところまでいっていて、

それがなかなか治らなくて、たとえば一日のスケジュールなんかでも、

ご飯を食べるのに時間を取ろうか、それとも寝るのに取ろうか、

どっちに時間を取ろうかと、こういう感じだったんだから。(*1)


 “恐怖マンガ”の第一人者である楳図(うめず)かずおさんが、誰しもが抱えている怖れや惑いに想いを馳せ、それを普通の言葉で表わしてみせた“語りおろし”の一部です。どこでどんな事をきっかけと為して、こころの奥底に恐怖が生じていくのか。幼少年のころに自分を取り巻いていた野や川といった自然やその土地に息づく因習、おとなたちの奇妙な言動をひもとき、また、長じて後は博物館に自ら足を運び、科学者と対談して突きつめていく。四十年という画業を通じてひとつの事にとことんこだわった人の言葉だけに、いくつも頷かされる箇所がありました。

 それと同時に(上に引いたような)現実世界での戦いぶりも語られていて、僕としては一層興味を引かれました。十代にデビューした同業者を強く意識し、出遅れたことを何とか取り戻したいと粉骨砕身努力していった楳図さんが、その言葉通りにボロボロの態となっていく。

 「週刊少年サンデー」での『おろち』連載は、1969年から翌年にかけてのようですから、楳図さんはその頃まだ32、3歳といったところです。そんな若さで働き詰めに働いて“まっきっき”というのですから、漫画家という仕事は壮絶です。

 編集者はあの手この手でもって、人気作家を盛り立てます。仕事場に差し入れをする、賄いの手伝いをするのもその一つかもしれませんが、黄疸(おうだん)の症状が誰の目にも明らかな作家に、“シジミのお味噌汁”を飲ませて執筆を後押ししなければならないというのも、なんともやるせない因果な商売ですね。

 漫画家とアシスタントがそれぞれ葛藤を抱えながら机に向かい、ペンをかりかりと走らせている。一方では流し台に立つ編集者がおり、ガス台の青白い光と熱を受けてぼんやりと佇んでいる。当時の仕事場の様子を想像すると、随分と切ない感じを受けます。仕事というものには、どうしてもそういった“泣き笑い”の瞬間が付きもの。生きることの本質を歪めてしまうような、どうにも腑に落ちぬ瞬間に見てみぬ振りをしたり、疑念をぐいと呑み込んで踏ん張っていく、そんな時間ってかならずやって来るものです。

 “断る勇気がなかったのと、気が弱いものだから”次々と編集者の声を受け止めてしまう徹底した“寛容のひと”であったことも知れて、ほのぼのと温かい気持ちになります。傍目(はため)にはファッションの奇抜さから唯我独尊の精神を表象して見え、何ら悩みを持たずに暮らして見える楳図さんなのですが、実際の創作現場は苦闘に次ぐ苦闘だったのだし、懊悩(おうのう)を余儀なくされた。

 また、“まっきっき”の時期を経て仕事を連載物一本だけに絞り、自分のリズムはもうこれしかない、ほかに刻みようがない、そう自分に説き聞かせるようにして執筆活動の方針を大きく転回させていく辺りは胸に迫るものがありました。

 時流に背いて独りで歩むことは勇気もいりますし、気負った肩のちからを弛(ゆる)めていくことは相当の覚悟もいります。「きちんと自分の順番が来た時に、それに合わせて頑張ったほうが、より無駄がない」という楳図さんから僕たちへ向けての吐露には、冴え冴えとした硬度と嘘のない重さをはっきりと感じます。

 ひとりの才人のターニングポイントに忽然と現われたこの“シジミのお味噌汁”には、だから和やかさや笑いは映し込まれない。消えゆく白い湯気の裏から、今まさに壁に向き合っている人間の、その瞳の奥をそっと覗いているように見えます。こういう峻烈な装いの味噌汁も中にはあるのだと、しみじみと感心させられました。

 さてさて、季節は再度めぐって氷の季節。足を滑らせ、怪我するひとが続出とか。いつもの歩調を少しだけゆるめて、硬度と重みのある確かな一歩をお続けください。怪我をするだけ損ですからね。

(*1):「恐怖への招待 世界の神秘と交信するホラー・オデッセイ」 楳図かずお 河出書房 1988 手元にあるのは加筆、訂正のなった河出文庫(初版1996)で引用箇所はその218頁。表題には最初に世に出された1988年を併記したが、味噌汁のくだりが最初から記載なっていたものか、それとも文庫版で加筆なったものかは未確認。

2011年10月13日木曜日

リシャール・コラス「紗綾 SAYA」(2011)~あれば十分です~



 リシャール・コラスさんの新刊「紗綾 SAYA」(*1)を読みました。湿り気をうしなって砂交じりの仲になった夫婦が登場します。寝室も別にしてしまい、実のある会話も成立せず、もはや難しい局面に入りつつある。寝たきりとなった家族も抱え、青息吐息の毎日です。そのような膠着した局面で男は運命的な出会いをしてしまうのでした。ぼんやりした雨雲がすべてを覆っていく、そんな筋立てです。


 夫婦の危機や嫁姑の確執は物語の題材として真新しいものではなく、むしろ陳腐なものです。わざわざ抜き書きして記録するに値する文章、作品とは誰も思わないかもしれないですね。人によっては途中で放り投げてしまうかもしれない。 


 けれど、この物語をつらぬく視座が、実は前作「遙かなる航跡」(*4)に引き続いて登場したある人物に置かれたものであり、新旧ふたつの物語がこの人物を間に挟んで秘かに連結し、最終的に螺旋を描き天空に向かって飛翔を開始しているのだと巻末で知れると、僕の胸には言いようのないおごそかな想いが湧きました。一見ステレオタイプの不倫劇に見えるけれども、かなり緻密にふたつの物語は構築されて世に送り届けられている。


 ウェブを検索すると作者のインタビュウ(*5)が見つかります。震災と発電所事故という巨大な壁がたくさんのひとの行く手を阻(はば)んで、航路を揺るがし、ひどく狂わしてしまった。このような時に求められるのは人とひとの心を繋ぐ“絆(きずな)”であり、その確認が大切と思う。そんな啓発の念をこめて上梓したことが静かな口調で語られています。


 物語のなかの男女とそこに関わる若い娘は、最後散り散りとなって自壊していくのでしたが、作者は前作の主人公だった人物(作者の分身)の視線を“絆”と為して離散を食い止め、忘却の淵に追い払われるところを寸でのところで回避しているように見えます。救われない話に見えて、ぎりぎりのところで救われているのですね。


 誰もが同じようなものを抱えて人生という演目をこなしている。“ばみり”が見当たらずに途方に暮れたときには自分の物語を隣人に預けてみてはどうか。そうして気持ちを整理し、呼吸を整えてみてはどうか。家族の絆だけでは何ともならぬ凄惨な現状にたじろぎ、自棄的な行動に走らず、思い切って“他人との絆”に賭けてみてはどうか───そのようにコラスさんは言いたいのでしょうね。


 本国フランスで二年も前に出版され、こんどは作者自身の翻訳で世に送り出された日本語版「紗綾 SAYA」は、作者の言う通り“震災後の物語”として記憶に刻まれていい、こころざしのともなった一冊のように受け止めています。


 さて、味噌汁の記述を並べてみましょう。

 夫との関係は、すっかり冷えてしまいました。毎日夕食まで

帰るかどうかもわかりませんから、夫のためにわざわざ食事を

用意しません。炊いたご飯と残り物のおかず、それに味噌汁が

あれば十分です。

 ビールを冷やし、簡単なつまみを用意するだけのこともあります。

夫はきちんとした食事がなくても、冷えたビールとつまみがあれば、

それで満足なのです。(*1)

 “習慣化”したり“義務”を感じ始めると、どのような崇高な行為であっても生彩をたちまち喪っていく。先日読んだ本(*2) にそんな記述がありました。そうですね、たしかにそういう時期って在るもの、起こるものです。仕事だってそうだし、遊びだってそう。食事はその典型です。“日常のかなめ”となるのはリズムの持続であったり程度の保持であったりする訳で、どうしてもループを作って“習慣化”させていく流れです。


 祭事であったり記念日だったり、それは人それぞれではあるけれど、特別な日に特別なものを存分に食べて“習慣”を押し崩す。難しい言葉を持ち出せば“蕩尽(とうじん)”して疲れたこころを洗濯する。そんな工夫を僕たちはします。けれど、それすらも“義務”的な色彩を帯びてくると気持ちはやや乖離してしまうし、解放感どころか窮屈を覚えたりもします。シンプルなのだけど、シンプルでいられない。歯痒い“難しさ”があります。


 上に引いたのは「紗綾 SAYA」の最初の方に登場する場面です。習慣として義務として食事は作られ列をなしていく。“炊いたご飯、残り物、簡単なつまみ”といった表情に乏しい字面(じづら)が蛇のようにとぐろを巻くばかりで、そこには共振を誘うものはありません。


 “それに味噌汁があれば十分”という言い回しはそれにしても強烈です。願いや祈り、気づかいは微塵もこめられていないし、健康にも寄与しない、具のほとんど入っていない生しょっぱい液体が目に浮かんできます。肘鉄を喰らったような気分です。


 “味噌汁”はさらに続いて次のような、どんよりと曇った風情で再度振る舞われています。


 朝、夫と子どもたちの食事はトーストにヨーグルトと簡単に済む

のですが、義母だけはそうはいかないのです。彼女にはきちんとした

和食を出さなければなりません。味噌汁に魚沼産の炊きたてのごはん、

旬の魚、お新香と梅干。それらをきちんと用意させる上に、毎朝違った

食事でないと許してはくれません。私にとって義母の要求は、大きな

負担です。

 それでも毎朝きちんと準備をし、今日もお盆にお絞りと箸をのせ、

味噌汁にごはん、お新香と梅干、のりが入った箱をきれいにセット

しました。お皿にほんの少し醤油をかけた大根おろしを置いて、焼き

たての鮭をつけて、お膳は整います。

 小さなお盆にティーポットと茶碗、茶筒を揃え、台所に誰も入って

こないことを確認してから、私はエプロンのポケットからスポイトを

出しました。(*3)


 年老いていよいよ介護の手を要するようになった姑なのですが、プライドが高く、意地だけは堅牢を保ち、他者への高圧的な態度を崩そうとしません。世話するおんなの内面では堆積するものがいっぱい一杯になっていく。極限に至った憤懣は“スポイト”から零れる水滴という形でついに顕現し、ちょろちょろと洩れ始めてしまいます。


 ここで食事はまさに“義務”となり“習慣化”しています。弱い立場のおんなにとって、それがどれ程ひどく内面を荒廃させるかを、写実的に、けれど、やや誇張して作者は書いていく。漬け物と共に味噌汁が執拗に、印象深く顔を覗かせていますね。


 コラスさんは前作で外から見た日本を描き、“非凡なもの、例外的なもの、普通でないもの”の一翼に和食を置きました。味噌汁も驚きと憧憬の視線をまとって陸続と登場し、読み手の僕を大いに悦ばせたのでしたが、今作では一転して暗い様相を呈して並んでいる。コントラストが鮮烈です。


 絆によって結ばれていく人生という名の永久螺旋──。その両側面、日なたと日かげのいずれにも“味噌汁”があって僕たちをそっと見守っている。“習慣”の中で埋没してウヤムヤに見えるけれど、思えばなかなかの存在感ある脇役だったりする。境界線にたたずむ仏蘭西生まれのひとりの男が注ぐまなざしの、堅さ、純度を感じます。


(*1):「紗綾 SAYA」 リシャール・コラス 2011 ポプラ社 引用は14頁
(*2):EMMANUELLE,New Version エマニエル・アルサン 安倍達文訳 1988 二見書房 「もしそれが習慣的なよろこびであるとすれば、そのよろこびは、芸術的な性質を持つことをやめてしまう。非凡なもの、例外的なもの、普通でないものだけが価値を持つのです。つまり『決して二度と見ることができないもの』にこそ、価値があるのです。」(237頁)
(*3):引用は16-17頁
(*4):「遥かなる航跡 La Trance」 リシャール・コラス 堀内ゆかり訳 集英社インターナショナル 2006  
http://miso-mythology.blogspot.com/2010/11/la-trance2006.html
(*5): http://www.sankeibiz.jp/econome/news/110917/ecf1109170501000-n2.htm

2011年7月26日火曜日

吉村龍一「焰火(ほむらび)」(抄録)(2011)~かさぶたのように~



枝を拾って火をおこす。鉄鍋に湯を沸かし、ぶつ切りにし

た身欠き鰊と、ささがきにしたウドをほうりこんだ。湯だっ

てきたよころで味噌を溶いた。

「たんと食え」

椀に山盛りだ。一口啜ったおれはうなってしまった。鰊の

ダシが味噌となじんでいる。どっしりと腹わたに沁みる。(*5)


 カナカナと哀しく唄う蜩(ひぐらし)の合唱に続き、盛夏の訪れに狂喜するかのような油蝉が鳴き出しました。事故の影響で何百万、何千万、いや、もしかしたら何億もの蝉の幼虫が暗い地中で息絶えたのではないか、目がただれ、身体を焼かれし、きゅうきゅうと悲鳴をあげながら苦しんでいたのではなかろうか、と怖い想像をしておりましたので、いつにも増してこころに迫る声となって聞えます。生きていてくれて、ほんとうに有り難うね。



 さて、上に引いたのは、吉村龍一(よしむらりゅういち)さんの小説「焰火(ほむらび)」からの一節です。第6回「小説現代」長編新人賞の受賞作として、同誌8月号に断片のみになりますが掲載されています。以下、幾らか内容に触れますのでご用心。年末には単行本化されるとの話です。一気呵成に物語に身を投じたい人は、それまでひたすら耳をふさいでお待ちください。


 集落から代々疎外されてきた家筋(獣を狩り、皮と肉をさばく家系)に育った若者が、村の男たちからの悪辣な私刑に反撃して死闘を繰りひろげます。ぞっとする描写の連続なのですが、つよく惹き付けられる瞬発力、豊かな“しなり”のようなものに溢れていてとても面白く読みました。


 その後、旅の途中の親切な船人にからくも救われ、若者はまさに九死に一生を得るのですが、ひと息ついてから振る舞われた食事が上のような“味噌鍋”だったのです。干し魚と山菜の具体名が素朴な味わいや匂い、質感をありありと夢想させ、そこに“なじんだ”味噌の厚みのある香りが加わって鼻先に立ちあがる。適確で無駄のない描写となっていました。


 若者にとって味噌はご馳走であり、それを口にするのは歓喜の瞬間だとわかります。選考委員のお一人の言葉によれば、時代設定は昭和初期とのことであり、その頃の味噌の存在感が再現されているだけでも紹介に値すると思われたのですが、僕にとってもっと驚きであり、大いに楽しくもあったのは以下に並べた“味噌地蔵”のくだりなのです。


 古代信仰の現場においては“聖域”と呼ばれる場処に死骸や汚物を放り入れたり、タブー視されがちな行為(例えば男女の交接)をあえて持ち込むことで聖性をより高める、そんな意識の大跳躍が図られたと聞いています。また、今でこそ整然として美しいお坊さんの袈裟(けさ)ですが、少し前までは図柄など混沌とした“つぎはぎ”然としていましたね。あれなども遥か昔にお坊さんが供養と修行のため、埋葬間際の死者を覆っていた布を譲り受けて我が身に纏(まと)っていたことに由来していると聞きます。これはよく知られた話ですね。


 聖性をより高めるために穢(けが)していく。醜悪な外貌を強いて力を数段高めていく。一見真逆なマイナスとも思える行為をもって、信仰の対象となるものがいかに寛容であるかを広く知らしめ、精神世界の奥行きをぐんと延ばし、結果として内在する輝きを増強する。洋の東西を越えて共通する宗教の暗い一面です。


 毎年仕上がった味噌を祠(ほこら)に献上し、そこに祀(まつ)られた地蔵像の顔や頭にすり付けるという風習は、日本のあちこちにひっそりと根付いたものとしてこれまで見聞きはしていましたが、ここまで明瞭に小説世界で取り上げられたのは初めてのように思います。


 汚さ、醜さ、臭さを端整な優しい顔立ち、柔らかなそうな丸まっちい肢体にごわごわと付着させ、常人の意識や感覚をはるかに凌駕した強靭な息吹を石の身体に宿らしめる。物語の重要な支柱のひとつとして採用されて、繰り返し何度も若者の意識に立ち昇ってくるこの味噌地蔵の面影は、実に味わい深いものがあります。


 食べものが仲立ちしていく魂の世界。味噌と日本人との結びつきの深さと長さ。僕たちが味噌に対して抱く両極端の想い、憧憬と侮蔑。それがない交ぜになって風となり、時代をこえて吹き抜けていく。──そんな事を考えるきっかけとなってくれて、実に刺激的でした。


 年末に明らかにされるだろう吉村さんの物語世界と再度まみえるのが、今からとても楽しみです。生きていれば必ず手にするでしょうね。


 お堂の床板はひんやり湿っていた。

 背中が心地よい。

 味噌まみれの石仏がこちらを見下ろしている。かさぶたの

ようにただれた味噌はすっかり水気をとばし、表情をあいま

いにかえていた。

 脱ぎ散らかされた衣服が蛇のようにからんでいた。おミツ

の着物の赤がひときわ目についた。(*1)




 地蔵さまは汚かった。かびがはえていた。顔にぬりたくら

れた味噌はひびわれている。表情もわからないほどだった。(*2)



 味噌は酸っぱくなっていた。鼠のかじったあともある。そ

れをみかねたお父が顔を洗ったことがあった。きれいにして

やろうとの一心だった。しかしその晩から原因不明の高熱

にうなされてしまった。(中略)味噌が落とされた地蔵さまが

怒っている。それがお告げのこたえだった。翌日お母が味噌を

塗りなおしたとたん父はけろりと起き上がった。(*3)



 とぎれとぎれに言葉を叫ぶ。着物をはだけたまま繋がりあ

う。うめきがお堂にこだまする。よごれきった味噌地蔵が、

錫杖(しゃくじょう)を手にこちらを見据えている。地蔵さまぁ。

おらだをお救いください。おれとおミツをあったけぇ場所さ

連れてっておごやい。(*4)


(*1):「焰火(ほむらび)」(抄録) 吉村龍一 「小説現代」 講談社 2011年8月号所載  240頁
(*2):同248頁
(*3):同248頁
(*4):同253頁
(*5):同260頁

2011年6月8日水曜日

桐野夏生「ダーク」(2002)~腹が鳴った~


 吉沢は闇屋から身を起こした新宿二丁目の有名人だ。

七十歳を幾つか過ぎた老人で、四十代の養子と一緒に暮らしている。

私が訪問した時、彼は晩酌をしていた。

「これはこれは珍しい。どうぞお入りなさい」

 吉沢は私を丁重に中に請じ入れた。彼は父の善三を良く知っており、

私を昔から可愛がってくれた人だった。

「あんたも飲むかい」

私は断った。テーブルの上には胡瓜(きゅうり)ともろみ味噌、

という質素なつまみがある。吉沢は私を正面に座らせて旨そうに

ビールを飲んだ。(*1)


 よく知られた桐野夏生(きりのなつお)さんの、父親の跡を継いで探偵業を営むミロの苦闘を描く連作をようやく読み終えました。発表されて十年ほども経た本の感想を書くなんて、恥の上塗りもいいとこです。けれど、そういうめぐり逢わせなのだから、これはもう仕方ないように思います。


 面倒な諸事に日々追われながら、やがて胸の奥まったところに澱(おり)のようなものが降り積もっていく。その堆積が読書や観劇といったものの触感をすっかり変質させていくことがあり、若い時分とはまるで違った感慨に不意を撃たれてうろたえることがあります。送り手と受け手の間には微妙な“噛み合わせ”があって、これは努力してどうなるものではないということですね。遅れての出逢いは決して無駄でもなければ流行遅れでもない。その時が来た、上下のかたちが整って素敵な歯並びになった証しでしょう。


 大団円となる「ダーク」の主題が主人公ミロの内面と外貌の狂おしい変遷である以上、発端から終幕までを一気呵成に読むことの意義は大きく、遅れて来た読者でかえって良かったようにも感じます。それに僕ほどの歳ともなれば険しい峠道を踏破し関所の幾つかをくぐった友人の背中が散見されるようになり、そんな彼らから“ミロの物語”への共振をそっと囁かれることもあって、二重三重に機は熟したという気持ちが湧くのです。実際読み終えてみれば期待にたがえず頷かされるところが多かった、充実した時間なのでした。



 確か新聞の文芸欄だったと思いますが、最近作「ポリティコン」をめぐるインタビュウに答えて桐野さんは“人間は成長しない”と断じていました。“成長”という語句を使って「ポリティコン」の感想を僕はすでに綴っていたから、ひどい見当違いを世間に晒したことに気付いて赤面したものです。なるほど桐野さんの言わんとするところを、今なら少しは解かるような気がする。変化はすれども人間という奴は成長などしない、波の色が千変万化し、季節が移り変わるように人もまた変わるものだけど、何か一段上の善き存在になったように想うのは思い上がりであり、観方が相当に甘いということでしょう。


 主人公をめぐる男たちが、揃いも揃って終着点(ピリオド)を自ら穿(うが)つのに躍起になるのに対し、おんなたちは境遇をあっさり受容して加速的に化けていく。成長神話を捨ててかかることでずっとたくましく強くなれるのだ、とミロは僕たちに告げているようです。諦観というのとも違う、無軌道への跳舞、とでも言うべき勃(つよ)い次元(*2)が提示されており読んでいて爽快、鼓舞されるものがありました。新刊当時に眺めても、絵空事、他人事、娯楽作という範疇を越えてまで揺さぶられはしなかったはず。恐らく自らの鏡と成すことはなかったでしょう。晩熟(おくて)の僕にはちょうど好かったですね。



 さて、上に引いたのは小編「漂う魂」の真ん中あたりにある場景です。主人公の住まうマンションで幽霊騒ぎが起こり、なりゆきからミロが調査役を引き受けます。目撃者のひとりを部屋に訪ねたくだりで、ほんの一瞬“味噌”が薫っています。もっとも味噌は味噌でも“もろみ味噌”であり、ひとつまみ皿に載っているだけのかぼそい食卓です。総じてミロの周辺には食べものの影が希薄で自己主張をしません。それは彼女に限ったことでなく、この手探偵小説全般の決め事になっている。


 のどかな暮らしや反復される生業(なりわい)から逸脱した行為や思惑をひそかに追尾し、証拠を摑んで白日にさらすのが探偵業なれば、食べものは二の次になって当然だからです。エロスであれタナトスであれ、金銭への執着であれ、突き抜けた果てには思念の全力疾走なった領域があって、健康維持やら栄養補給は結局のところ置いてけぼりを喰らいます。尾行や報告の合間にハンバーガーを頬張るか、喫茶店でスパゲティを掻きこむぐらいが調べる側としても限界となり、ホームドラマ然とした料理は鳴りを潜めていく。


 それではこれは何でしょう。以下は「ダーク」に登場した“醤油”です。珍しくここでは大量のおかずに交ざって、醤油も甘辛い香りを放っています。いるぞ、見ろよ、食べたくないかと盛んに誘ってくる。


 ガサガサと耳障りな紙の音がした。左隣に座っている乗客が

弁当を広げたらしい。冷たい白飯の上の黒ゴマ、揚げ物の油脂、

醤油で煮染めた小芋や柴漬け。無数の食物の匂いが鼻孔に飛び込んで

きた。途端に久恵の腹が鳴った。パブロフの犬だと自身を笑い、

久恵は右隣で眠っている友部の腕に掌を置いた。

「ねえねえ、友部さん」

 友部は邪慳(じゃけん)に久恵の掌から逃れた。久恵は構わず

話しかけた。(*3)


 「ダーク」という物語で作者の桐野さんは主人公ミロに対立する存在として“久恵”という大おんなを創造しています。憤怒に駆られて義父を殺してしまったミロを追跡する立場で、義父の内縁の妻という設定です。ミロは無軌道状態へと大跳躍を遂げた後、やがて新しい男を得て情念の虜となっていく。覚醒剤と妊娠で食を弾き出した毎日となり、嘔吐を重ねてどんどんと痩せていくのに対して、食欲の旺盛な大おんながのっそりと対峙して腹をぐーぐー鳴らしている。


 ここでの料理の羅列とその中の醤油は、だから、ミロという神女の作り上げた祭祀空間を鮮やかに引き立たせる目的があり、“変化しないもの、軌道上にあるもの、情念を封じたもの”を代弁するために登用されている。もちろん、良い心象をあまり残しません。なんだか不当で可哀相な料理と醤油です。


 けれど、食べものひとつにもここまで目を配り、物語世界の多層をもくろみ、緻密化、堅牢性を徹底して図っている桐野さんは深謀に長じた策士だと感心し、またまた惚れ直してしまう訳なのです。


(*1):「漂う魂」 桐野夏生 単行本「ローズガーデン」(講談社 2000)所収。手元にあるのは2003年文庫版で引用箇所は118頁。初出は「小説現代」1995年8月号。
(*2):シリーズのなかに再三あらわれる“勃い”という言葉。他では目にしたことはなかったのですが、見た瞬間に元気がもらえる素敵な顔をしてますね。
(*3):「ダーク」 桐野夏生 講談社 2002。手元にあるのは2006年の文庫版で、引用はその下巻51頁より

2011年6月5日日曜日

高野文子「マヨネーズ」(1996)~好きですよー~


  「生ゴミ」と貼られたゴミ箱にかがんでいる“たきちゃん”

  急須を逆さにして茶葉を棄てていたその手が、止まっている

  傍らには同じ職場の男(須根内)の立ち姿

  パタパタと近付いてきた同僚シノダ、横の冷蔵庫を開けて

シノダ「だはは 忘れるところだったわー」

須根内「だはははは」

たきちゃん「だはははは やーだ せっかくのステーキ肉」

シノダ「へへへ お昼休みに苦労して買ったんですものね

    うちじゃこれ味噌に漬けるのよ たきちゃんは

    どうするの? お肉」

たきちゃん「味噌汁ですか いいですねー 好きですよー」

シノダ「まぁ味噌汁? そうか田舎じゃ牛は豊富よねー」

たきちゃん「ああ トウフもいいですねー」(*1)


 再び高野文子(たかのふみこ)さんの短編集「黄色い本 ジャック・チボーという名の友人」から引いています。「マヨネーズ」という作品の冒頭部分です。


 身近に味噌や醤油が空気のように溢れているから、自ずと小説や映画、漫画といった創作世界の心象風景にも味噌、醤油が点在すると考えがちですが、実際はそうじゃありません。例えば桐野夏生(きりのなつお)さんのミロ(探偵の名)シリーズ四作品を今読んでいるのだけど、頁をいくらめくれども味噌や醤油はほとんど顔を覗かせない。取捨選択は厳密になされてミロの世界から巧妙に排除されている感じを受けます。


 創作とはそこまで緻密な構造体なのだということでしょう。時計職人のような仕事ですね。高野さんの本から4箇所もの味噌と醤油を絡めた記述を見出すということは、それ自体、だから驚くべきこと、不自然で興味深いことだと感じます。作家とは、作品とは何かを考えさせられますね。


 “たきちゃん”は地方から出てきて、アパートに独り住まいをしている女性です。とある会社の事務職でせわしない毎日を過ごしております。ゴミ箱に向かって中腰となり手足が固まっている状態が、同僚の接近と声掛けにより一気に氷解していく。けれど、続く会話はちぐはぐでまるで噛み合わないのでした。元々がそそっかしい“たきちゃん”なのだけど、それにしても可笑しな返答です。


 ややあって理由が明かされます。あのとき、“たきちゃん”の傍らに立っていた須根内(スネウチ)が「このさわやかな五月の夕暮れに ホテル行こうかと言ったの」です。露骨で唐突な誘いかけにおんなは硬直し、思考回路がパンクしてしまったのでした。ここでの味噌汁の登用は典型的な役割を果たして見えます。情念にフタをするものであり、表情を隠すものであり、境界杭となって“内側”を意識させる道具となって出現している。


 無垢な妹分、何でも話せちゃう姉貴分として皆から“ちゃん”付けされるおんなながら、決して朴念仁ではない証拠に、物語の最後になって“たきちゃん”は誘いをかけてきた男と結婚してしまうのであって、内実は相当に多情なものが流れる人間な訳です。こころが豊かであり、煩悩多く、襞(ひだ)が細やかで敏感である人間なればこそ、味噌汁は身近な海底より砂を蹴って浮上し、そっと寄り添って心象風景を際立たせていく、ということでしょう。


 もしかしたら味噌汁に限らない。内奥の充実したひとにとって、世界のあらゆるものは輪郭を明瞭にして確かに息づき、そのひとを柔らかく包み込むように感じます。特別なブランド品や高級車、一流の保養地である必要はなく、他愛のないものたちが味方になって声援してくれる、そのように信じます。


 今朝は6時前に起きて町内会の清掃作業。雑草を抜いた後の湿って黒い土の匂いが気持ち良かった。これから散髪に行ってすっきりするつもりです。こっちは快晴です。皆さんのところはどんな空模様ですか。


 しばらく雨の日が続きますが、気持ち次第でどんな風景もどんな状況も、滋養となり、蔵書となり、胸のうちを潤(うるお)す良酒となる。どうか元気に、口角をあげてお過しください。


(*1):「マヨネーズ」 高野文子 「黄色い本 ジャック・チボーという名の友人」 講談社 2002 所収。初出は「コミック・アレ 臨時増刊号」1996年5月

2011年1月8日土曜日

楊逸「獅子頭(シーズトウ)」(2010)~むやみに箸でかき混ぜた~



「ママと、あの、あの田所さんと、食事するのか?」(中略)

「するよ。よく一緒に食べに行こうよって誘われるけど。

僕も祖母(ばあ)ちゃんも断ってるの」

「へえ、すると、ママと田所さん、二人で食事?」

「そうだな。二人で行ってるんじゃない?」

鶏肉を頬張っている口から、若干曖昧になった言葉を出した。

 二順は顔を強張らせた。味噌汁のお椀を持ち上げ、むやみに

箸でかき混ぜた。白い豆腐が幾つも、平たく漂うわかめをかき分け、

わきあがった。それを唇も舌も経由させず、まっすぐ喉に注ぎこんだ。(*1)


楊逸(ヤンイー)さんの「獅子頭(シーズトウ)」からの一節です。2010年の2月より朝日新聞で連載されている小説ですが、ごめんなさい、僕はあまり熱心な読者ではありませんでした。ですから、この物語がどのような輪郭を持っているか、語る資格を全く持ちません。話せるのはこの回、それだけです。


中央にぽんと置かれた挿画に朱塗りの椀があり、白と深いみどり色の平行四辺形が薄茶の汁に浮いています。幕を下ろした後の舞台に落ちたまま捨て置かれた紙製の雪みたいに見えて、やや淋しげな風情です。ああ、豆腐の味噌汁だ。磁石に引き寄せられる砂鉄のようになって文字を追いました。実に細やかな描写がそこにあって、思わず溜め息が出ました。


二順(アーシュンと読むようです)という名の父親が、泊まりに来た息子の涼太のために夕食をこしらえます。めったに作らない純和風の献立です。涼太は喜んで箸を伸ばしていく。まだまだ子どもなのです。父親は息子の母親、どうやら別れた妻のことが気になり、口にしづらい質問をおずおずと切り出していくのでした。上ずる声の感じから父親の気持ちを酌み、息子は曖昧ながらも返答していく、そんな情景です。


焦り、震える胸中を代弁するように味噌汁の椀のなかで小型の嵐が突如発生し、具材がぐるぐる逆巻いています。味わい噛み締める余裕をもはや失くし、ぬるい液体がむなしく喉を駆け下っていく。その感じを僕たちはすっかり幻視、幻覚して、一瞬でこの男のやるせなさ、寂しさ、いくらかの嫉妬を自分のものとして深く共振するに至ります。


「やきもちを焼いているんでしょう?」

「やきもち?」

 慌てた二順は、手元にあった雑巾で鼻を拭いた。

「祖母ちゃんが言ってたよ。田所の話をしたら、

パパがやきもちを焼くかもよ、ってさ」

 涼太は得意げな表情で、両手で味噌汁のお椀を持ち上げ

ながらも、食べる素振りもなく、目をじっと二順の顔に据える。

 全くワンパクで賢くて困った子だ。二順は味噌汁のお椀で

顔を隠し、息子の視線から逃げた。(*1)


顔の前まで掲げ持たれる味噌汁の椀。具材を箸で口腔内へ導く間、口もとから鼻、目元までの表情を覆い、向き合う家族、恋人からの視線を避けて、魂の個室を一瞬だけ創出していく。その特質を見事にとらえ切った描写です。これは素敵過ぎます、唸るしかない。楊逸さん、おそれいりました。


ものを食べるという行為のいちいちでここまで踏み込んだものがあっては、きっと疲労困憊しちゃって料理の半分も喉を通らないでしょう。


けど、ときにはこういう時間、魂と料理が肌寄せ合うような得難い時間が人生にはめぐって来てもらいたい、そう心から願います。



どうか素晴らしい夕食を、そして、幸せな朝食を。

いい一日を、やさしい一瞬を。


(*1): 「獅子頭(シーズトウ)」 楊逸 2010 第254回より 私が読んだのは2010年12月29日の朝刊18面でしたが、大都市圏では夕刊に載っているようです。もしかしたら掲載日もずれている可能性があります。イラストは挿画を担当しておられる佐々木悟郎さんのもので、この回を飾っていたものです。旨味の利いた、美味しい絵ですね。ごちそうさまでした!

2009年8月8日土曜日

大原麗子「雑居時代」(1973-74)~花散りぬ~


 新聞(*1)の生活面の記事に目が留まりました。“インビジブルファミリー(見えざる家族)”“「集食」家族”──なんだそりゃ。見慣れぬ言葉が並んでいます。親世帯の近隣に子世帯が転居し、夕食などを共にする姿を指すらしい。不況下にあっての生活防衛が根底にあり、「一種の『シェルター』のように受け止められている」という博報堂の研究員の言葉で記事の最後はまとまっています。う~ん、またそんなヒネッタ言葉で煽っちゃって、なんか厭だなあ。


 いまの僕たちの生活は加速度をつけて分裂しています。ひとり一人が別々なものに気持ちを寄せていく時代となり、見るもの、聞くものはいよいよバラバラです。これに対してマスコミは、数個の言葉で無理に集束させようとする傾向があります。“大衆化”させることに心血を注いで見えますが、その方が自身にとっても広告クライアントの企業としても都合がいいからでしょう。百人百様の製品を送り出すより十人十色の型にはめた方が生産効率はずっと良いに決まっているからです。


 食の嗜好や衣装の流行に飽き足らずに、家族の生い立ちや在り様までも言葉で囲い、さも時代の先端で格好が良いように思わせていくのが彼らの術策です。なにも最近始まったことではなく、メディアが生まれて以来なだらかに生活を誘導し、薄い雨雲のように社会を覆ってきたように思います。(*2)



 家族の在り様を方向付ける、ということで言えば、例えばの話として常日頃思っているものがあります。僕は日曜の夕方の「ちびまる子ちゃん」(*3)と「サザエさん」(*4)がどうしても好きになれない。思春期もすれ違いもなく、大病や入院もなく、いじめも登校拒否もなく、成長も老いもない家族像を押し付けてくる姿勢には反撥が湧いてどうにも仕方がないのです。(*5)


 ちなみに長谷川町子さんの原作を読んでみると、テレビジョン上の様相とは趣きが随分と違うことに気付かされます。四コマという限られた空間特性がすべてを縛っている。限られた人数と限られたアクションを描くので手一杯な訳ですね。だから、いわゆる団欒と呼ばれる風景は原作にはほとんど見られない。家族が一同に会して座卓を囲み、ディスカッションドラマを為すのは構造上最初から無理があり、各人各様にバラバラに動き、バラバラな起承転結を生きている。読後の印象は極めて散文的なものでした。


 描かれていない言動が余白の前後左右に透けてありました。四コマという限られた空間特性はスタイルを縛っていたばかりでなく、逆に彼らに伸び伸びとした自由を約束していたのです。家族にあえて語らぬ嬉しき秘め事があり、打ち明けられぬ物狂おしい悩みがある。それが本来の大家族磯野家の在り様であったはずです。


 独立したエピソードを必ず家族に「と、いうわけなのよ」「そうだったんだよ」と“報告する”“告白させる”アニメーションの糊付け構成は、家族の総体と構成するひとり一人の人生を単調にし、想像力の翼を引きむしって捨てたように思います。


 うがった意見と笑われるかもしれないけれど、東芝という家電メーカーを長らく後ろ盾として放映されていったアニメーション「サザエさん」の世界は、家屋を絶対的な安息の地、それこそシェルターとして位置付け、白物家電で埋め尽くすに価する場所と夢を導いていったように見えます。家族が茶の間に群がり、ブラウン管を鏡面として群がる家族像を眺めて安心する。そのように日曜の夕方を演出して家族と家屋の圧倒的なモデル化が計られていったのではないかしらん。 静かに、何気ない態を装って、一部の企業にとって都合のいい形を、僕たちは押し付けられていたのではないか。


 日頃のそんな気持ちもあるから、類型化したホームドラマをここでは避けているところがあります。座卓があり、味噌汁があり、しょうゆ差しが確かに垣間見える。されど、そこに確固たるドラマがあって、味噌汁なり醤油の登用が何かしらの役割を担っているわけではない。僕は精神風土や心理描写と直結した味噌汁や醤油を探したい、そんな気分でいます。




 さて、ウェブ上でも熱心なファンページが見つかりますから、魅力に富んだ内容だったのかもしれませんけれど、今回取り上げる「雑居時代」(*6)を僕は一度も見ておりません。脚本は松木ひろしさん。彼の作品をろくに観たことがないのです。「おひかえあそばせ」「気になる嫁さん」「パパと呼ばないで」「気まぐれ天使」「気まぐれ本格派」「池中玄太80キロ」「結婚物語」──。ごめんなさい、どれも観ていません。「水もれ甲介」と「俺はご先祖様」が少し記憶にある程度だから、僕は語る資格が本当はない。


 劇中で見られる味噌汁に何かしら託されたものがあったのかどうか、それもわかりません。(正直に言えば、こういう絵に描いたような団欒は本当に苦手です。)


 ここで取り上げるのは、ひとえに大原麗子さん追悼の気持ちからです。



 
こうして椀を傾げて味噌汁を口にする彼女の姿を見ながら、日本女性の見目かたちがいかに小振りの漆椀に似合っているか分かります。眼差しをそっと相手から外して息を整え、ゆるやかに傾けていく所作は美しい。素晴らしい、と思うのです。

 西洋でも、海をちょっと跨いだ韓国であっても、こうして椀を口もとまで持ち上げる行為は奨励されずに来ました。軽い漆器の普及がこれを許し、独特の慣習に育っていったのでしょう。熱伝導を緩和する材質も幸いして、女性の白く細い指先でも容易に扱える食文化が花を開いていきました。

 当時二十代後半で花と咲いた女性が、千年を刻む食文化の花とまみえて像を結んでいます。世界の事象のすべては花、僕たちは誰もが花、懸命に生きる花なのだと感じます。


 大きな屋敷に独り亡くなった彼女を哀れむ声は多い。
ですが、二度の結婚を経ての選択があったのだし、不幸であったとは言い切れない。


 “見えざる家族”に翻弄されたり、翼もがれた団欒に埋没するのでなく、花として生き、花として散ったのは、渾身の、そして、なよやかな四季ではなかったかと想い、彼女の放ち続けた艶やかな香りを幻嗅として脳裏に呼び覚ましながら、静かに冥福を祈ってあげるのが同時代を生きた者としての最後の手向けだろうと思っています。


(*1):日本経済新聞 2009年8月3日 26面
(*2):例えば“婚活”なんて最たるもの。おいおい、そんな口車に乗っちゃ駄目だよ、と老婆心が
むらむら湧いて来ます。生きるということの最大のキモである男女の出逢いを、つまらない仕組みに委ねてしまうといずれ取り返しがつかないしっぺ返しを受けちゃうよ。
(*3):「ちびまる子ちゃん」フジテレビ系列にて放送 1990-1992、1995-放映中
(*4):「サザエさん」   フジテレビ系列にて放送 1969-放映中
(*5):子供向けの作品が嫌いというのではないのです。むしろどんなものを見せたい、体験させたい
と思いは膨らみます。想像をこえた事が起きるし、悩み傷つくことばかり、それが人間の暮らし。そんなとき「サザエさん」は味方になってくれはしないよ。もっともっと真摯な物語を友として、涙する自分を支えてくれる分身を作りなよ。そう伝えてあげたいですね。
(*6):「雑居時代」 ユニオン映画 日本テレビにて放送 1973-1974