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2011年6月8日水曜日

桐野夏生「ダーク」(2002)~腹が鳴った~


 吉沢は闇屋から身を起こした新宿二丁目の有名人だ。

七十歳を幾つか過ぎた老人で、四十代の養子と一緒に暮らしている。

私が訪問した時、彼は晩酌をしていた。

「これはこれは珍しい。どうぞお入りなさい」

 吉沢は私を丁重に中に請じ入れた。彼は父の善三を良く知っており、

私を昔から可愛がってくれた人だった。

「あんたも飲むかい」

私は断った。テーブルの上には胡瓜(きゅうり)ともろみ味噌、

という質素なつまみがある。吉沢は私を正面に座らせて旨そうに

ビールを飲んだ。(*1)


 よく知られた桐野夏生(きりのなつお)さんの、父親の跡を継いで探偵業を営むミロの苦闘を描く連作をようやく読み終えました。発表されて十年ほども経た本の感想を書くなんて、恥の上塗りもいいとこです。けれど、そういうめぐり逢わせなのだから、これはもう仕方ないように思います。


 面倒な諸事に日々追われながら、やがて胸の奥まったところに澱(おり)のようなものが降り積もっていく。その堆積が読書や観劇といったものの触感をすっかり変質させていくことがあり、若い時分とはまるで違った感慨に不意を撃たれてうろたえることがあります。送り手と受け手の間には微妙な“噛み合わせ”があって、これは努力してどうなるものではないということですね。遅れての出逢いは決して無駄でもなければ流行遅れでもない。その時が来た、上下のかたちが整って素敵な歯並びになった証しでしょう。


 大団円となる「ダーク」の主題が主人公ミロの内面と外貌の狂おしい変遷である以上、発端から終幕までを一気呵成に読むことの意義は大きく、遅れて来た読者でかえって良かったようにも感じます。それに僕ほどの歳ともなれば険しい峠道を踏破し関所の幾つかをくぐった友人の背中が散見されるようになり、そんな彼らから“ミロの物語”への共振をそっと囁かれることもあって、二重三重に機は熟したという気持ちが湧くのです。実際読み終えてみれば期待にたがえず頷かされるところが多かった、充実した時間なのでした。



 確か新聞の文芸欄だったと思いますが、最近作「ポリティコン」をめぐるインタビュウに答えて桐野さんは“人間は成長しない”と断じていました。“成長”という語句を使って「ポリティコン」の感想を僕はすでに綴っていたから、ひどい見当違いを世間に晒したことに気付いて赤面したものです。なるほど桐野さんの言わんとするところを、今なら少しは解かるような気がする。変化はすれども人間という奴は成長などしない、波の色が千変万化し、季節が移り変わるように人もまた変わるものだけど、何か一段上の善き存在になったように想うのは思い上がりであり、観方が相当に甘いということでしょう。


 主人公をめぐる男たちが、揃いも揃って終着点(ピリオド)を自ら穿(うが)つのに躍起になるのに対し、おんなたちは境遇をあっさり受容して加速的に化けていく。成長神話を捨ててかかることでずっとたくましく強くなれるのだ、とミロは僕たちに告げているようです。諦観というのとも違う、無軌道への跳舞、とでも言うべき勃(つよ)い次元(*2)が提示されており読んでいて爽快、鼓舞されるものがありました。新刊当時に眺めても、絵空事、他人事、娯楽作という範疇を越えてまで揺さぶられはしなかったはず。恐らく自らの鏡と成すことはなかったでしょう。晩熟(おくて)の僕にはちょうど好かったですね。



 さて、上に引いたのは小編「漂う魂」の真ん中あたりにある場景です。主人公の住まうマンションで幽霊騒ぎが起こり、なりゆきからミロが調査役を引き受けます。目撃者のひとりを部屋に訪ねたくだりで、ほんの一瞬“味噌”が薫っています。もっとも味噌は味噌でも“もろみ味噌”であり、ひとつまみ皿に載っているだけのかぼそい食卓です。総じてミロの周辺には食べものの影が希薄で自己主張をしません。それは彼女に限ったことでなく、この手探偵小説全般の決め事になっている。


 のどかな暮らしや反復される生業(なりわい)から逸脱した行為や思惑をひそかに追尾し、証拠を摑んで白日にさらすのが探偵業なれば、食べものは二の次になって当然だからです。エロスであれタナトスであれ、金銭への執着であれ、突き抜けた果てには思念の全力疾走なった領域があって、健康維持やら栄養補給は結局のところ置いてけぼりを喰らいます。尾行や報告の合間にハンバーガーを頬張るか、喫茶店でスパゲティを掻きこむぐらいが調べる側としても限界となり、ホームドラマ然とした料理は鳴りを潜めていく。


 それではこれは何でしょう。以下は「ダーク」に登場した“醤油”です。珍しくここでは大量のおかずに交ざって、醤油も甘辛い香りを放っています。いるぞ、見ろよ、食べたくないかと盛んに誘ってくる。


 ガサガサと耳障りな紙の音がした。左隣に座っている乗客が

弁当を広げたらしい。冷たい白飯の上の黒ゴマ、揚げ物の油脂、

醤油で煮染めた小芋や柴漬け。無数の食物の匂いが鼻孔に飛び込んで

きた。途端に久恵の腹が鳴った。パブロフの犬だと自身を笑い、

久恵は右隣で眠っている友部の腕に掌を置いた。

「ねえねえ、友部さん」

 友部は邪慳(じゃけん)に久恵の掌から逃れた。久恵は構わず

話しかけた。(*3)


 「ダーク」という物語で作者の桐野さんは主人公ミロに対立する存在として“久恵”という大おんなを創造しています。憤怒に駆られて義父を殺してしまったミロを追跡する立場で、義父の内縁の妻という設定です。ミロは無軌道状態へと大跳躍を遂げた後、やがて新しい男を得て情念の虜となっていく。覚醒剤と妊娠で食を弾き出した毎日となり、嘔吐を重ねてどんどんと痩せていくのに対して、食欲の旺盛な大おんながのっそりと対峙して腹をぐーぐー鳴らしている。


 ここでの料理の羅列とその中の醤油は、だから、ミロという神女の作り上げた祭祀空間を鮮やかに引き立たせる目的があり、“変化しないもの、軌道上にあるもの、情念を封じたもの”を代弁するために登用されている。もちろん、良い心象をあまり残しません。なんだか不当で可哀相な料理と醤油です。


 けれど、食べものひとつにもここまで目を配り、物語世界の多層をもくろみ、緻密化、堅牢性を徹底して図っている桐野さんは深謀に長じた策士だと感心し、またまた惚れ直してしまう訳なのです。


(*1):「漂う魂」 桐野夏生 単行本「ローズガーデン」(講談社 2000)所収。手元にあるのは2003年文庫版で引用箇所は118頁。初出は「小説現代」1995年8月号。
(*2):シリーズのなかに再三あらわれる“勃い”という言葉。他では目にしたことはなかったのですが、見た瞬間に元気がもらえる素敵な顔をしてますね。
(*3):「ダーク」 桐野夏生 講談社 2002。手元にあるのは2006年の文庫版で、引用はその下巻51頁より

2011年4月30日土曜日

宮部みゆき「裏切らないで」(1991)~俺たちに背中を向けてる~



 加賀美敦夫(かがみあつお)は、パジャマのままで歯を磨き顔を洗うと、

タオルで手を拭きながら台所へ入った。二口コンロの前では道子が味噌汁を

かきまぜている。彼が口のなかでもごもごと「おはよう」と言うと、

妻は訊(き)いた。

「卵、落とします?」

「うん」

 道子はきびきびと振り向くと、冷蔵庫のドアを開け卵を取り出した。

片手で鍋の縁にぽんとぶつけて割る。ほとんど同時にガスの火を止め、

蓋をする。こうしておいて三、四分待つと、卵が加賀美の好みの固さに

なるのだった。(*1)


 家族の稽古事が郊外の公民館を借りて行なうことになり、車での送迎役を頼まれました。近所の私設図書館で書棚の間を回遊しながら愉しく時間をつぶし、前もって言われていた時間に舞い戻ったのだけど稽古はまだ終わっていない。聞こえてくるざわめきの調子から、まだまだ時間がかかってしまいそうな気配です。世相を反映して玄関ホールは全て消灯され、なんとも物憂い感じです。もちろん空調も止められていますので、花冷えとなった昨日は身体の芯まで凍えていくようで、いつしかお腹がしくしく痛くなってきました。


 これはたまらん、車の中で待つしかないなと判断したのだけど、あいにく手持ちの本もなく暇を持て余してしまうのは確実です。たん、たたた、とトタンを叩く音が頭上でして大粒の雨が落ち始めたのが分かります。近所をのんびり散策して過ごす訳にもいかないのです。見ればホールの片隅に書棚が据えられてあり、そこは小さな図書空間となっているのでした。置かれたノートに名前と書名を記載すれば、誰でも二週間を限って貸し出すと掲示されています。その多くはミステリーやエッセイなど肩の凝らない内容のものでした。


 僕は元々ミステリーを積極的には読まない(それを素材にして人間の情欲や深層に踏み込んだ演出が為された映画は好きです)男ですし、震災後は“死”に関して軽々しく考えられなくなっているので尚更敬遠するところがあったのだけど、仕方なしに二、三を手に取って眺めたなかに上の記述が見つかってしまった訳でした。宮部(みやべ)みゆきさんの短編小説の一節です。


 濡れないように本を小脇に抱えて、雨のぱらつく駐車場を横切り、運転席に滑り込みました。敷地に面した小高い丘には桜の樹が数本並び(この辺りではようやく終わりの時期です)、花びらの雨にぱらぱらと散っていく様子などが濡れたフロントガラス越しに艶(なま)めかしく見えていました。花はいつものように咲き、蜂や蝶を招き寄せ、懸命に愛を交わして散っていく。大津波が襲い、原子力発電所が爆発したっていうのに、自然というのは随分と健気でたくましいものだと不思議な気分で見とれておりました。


 ミステリー小説でありますから殺人事件が当然発生し、所轄の警察が犯人探しに奔走します。主人公の加賀美は刑事のひとりです。幕開けと終幕が自宅の台所に設定されていました。顛末を開陳してしまえば、単調な地方の生活に倦(う)んでしまい、大都会に出てマンションに並び暮らす者同士が事件の当事者なのでした。互いに雑誌やテレビに煽られるままに高価な家具や衣類を買い求め、虚飾に溺れて暮らすうちに激しくライバル視するようになり、最後は罵り合いとなり、激昂して揉み合いとなって歩道橋から相手を突き落としてしまったという、書かれた当時の狂熱した世相(バブル末期)を切り貼りした騒々しい内容でした。


 関東圏に居住していた頃、酒の席でいわゆる“江戸っ子”と呼ばれる先輩から、街の良さを地方出身者が台無しにしている、さっさと田舎に帰ってもらいたい旨の発言がありました。憮然として返す言葉もなく苦い酒をあおった次第でしたが、その事をふと思い出しました。今こうして彼の地を離れ淡々と暮らす身になってみれば、あの時の彼の言わんとした主旨もすとんと胸に落ちるような感じがいたします。何を求めてあんなに集い、右往左往しながら暮らしているのか。苦言を呈されても仕方ない気がいたします。


 綺羅星のごとき才人が寄り集い、競争原理がそこに働き、激烈な研鑽を個々に求められた結果として、世界と肩を並べる仕事が次々と完遂していく。人が一極に集中していればこそ起きる化学反応と言えますね。なるほど都会は国の牽引役となって機能しているのは違いないことですが、この度の震災に端を発する停電による大混乱や今夏予想される電力消費ピークをめぐっての騒動を見ると、都会という幻想を皆で飼い馴らして来たゆえに“とんでもない無理”を助長してきた最終結果と思えてなりません。


 小説の中に描かれた哀れな地方出のおんなたちと、酒の勢いを借りた知人の文句と、こうして豊穣な大地と水を汚し疲弊させていく現実とが繋がって思えてならないのです。徐々に無理が利かなくなって、終にああなってしまった。今回の事故の根底には高度成長からバブルへと至る膨張と無制限の上昇志向があり、こうなることは40年も前から決まっていたのでしょう。


 宮部さんの創造した世界に話を戻しましょう。加賀美という男は捜査が壁にぶち当たると、盃に満たした日本酒を東に面した窓辺に供え、解決の糸口を授かるように祈る習慣を持つと設定されていました。面白い肉付けがされていると感じます。事件は真夜中に解決し、朝帰りした加賀美は盃の中身を台所の流しにさっと捨てるのです。誰がおんなたちを狂わせ、事件を引き起こしたのか。疲れた頭で振り返る男の脳裏に巨大な電波塔がどんと突き立っていく。華々しく輝いて見える暮らしこそが幸せの頂上であると放言し続けたメディア、その象徴、騒動の根幹として、ここでは東京タワーが引き合いに出されていました。


「なあ、道子」

「なあに」

「おまえ、東京タワーの正面がどこか、わかるか?」

 道子は黙っていた。

「俺には、どこから見ても、いつ見ても、東京タワーは俺たちに背中を

向けてるように見えるよ」

 道子が静かに歩いて、コンロにやかんをかけた。

「いいじゃありませんか。どっちにしろ、うちの窓からは東京タワーは

見えませんよ」

 少しして、やっと加賀美はちょっと笑った。まだ、かすかにお神酒の

匂いが残っていたが、道子が味噌汁をつくれば、それもすぐにかき消されて

しまうだろう。(*2)



 いささか唐突な連想でありますが、過度な文明が人を狂わせていく、ということを宮部さんは言いたかったのでしょう。刑事の妻は動揺した男の胸のうちを沈静しようと試みます。日常の象徴である味噌汁を作りにかかるのです。


 料理店のガイドブックにはよく“星”が使われ、ここは四つ星であるとか三つ星であるとか称(たた)えられますが、あれは味の“天”の世界なのでしょう。だから星がちかちか瞬いている。対して星とは無縁の“基礎=地”の味の代表格が醤油、味噌と呼べるかと思います。古来より料理の土台となる基礎調味料で醤油、味噌はありましたからね。どうしたって“地”の味、すなわち「地味」は宿命なんですね、味噌汁ってやつは。(これは友人の話の受け売りです)


 華美を極め麗色を誇る“文明”と対極にある“日常の光景”として味噌汁はあり続ける。大丈夫、あなたは地味に生きている、心配しなくていいのよ、足元は揺らいでいないよ、無理をしなくていいのよ、と語りかける図式です。こういう思考は現実世界でも大切だと思えます。


 なにもフランス料理を禁止しろ、味噌汁を国民食にして摂取を義務づけろと言っているのではありません。「自粛」も程々にしないと総倒れになりかねない。ただ、そろそろ「地味」を旗印と為し、幻影に毅然と対峙しながらゆったりと暮らし始める。そういう見直しの時期に日本人は来ているのじゃないか、そのように僕たちは世の諸相から語り掛けられているのじゃないかと思うのです。


 いま叫ばれている「復興」という言葉には、だから、生活基盤や経済の建て直しに留まらず、都会住まいに夢のような幻想を抱かず努めて堅実に生きていくことを強く意識付ける、そんな使命も帯びているはずなのです。「引き算をはじめる」、「足りるを知る」、「よき貧しさを構築する」──じゅんと胸に沁み込むような警句が、時おり目に飛び込むようにもなりました。有り難く、大事に受け止めないと罰が当たるように思われますが、被災した地方の街づくりを通じてその考え方を灯明として抱き、日本列島全体にゆるやかに拡げていくのが肝心な事、大切なことと信じます。


 明日、沿岸部にあって壊滅的なダメージを受けた町に、生活用品を僕は届けにいく予定なのですが、きっときっとたくさんの勉強をさせられる事でしょう。生きるということの“かたち”について思案をより深める機会を授けられたと、急遽、縁あって赴くこととなった不思議を噛み締めているところです。


(*1):「裏切らないで」 宮部みゆき 単行本「返事はいらない」 実業之日本社1991所収 167頁 奥付によれば初出は「週刊小説」91年3月29日号 
(*2):同203頁

2011年4月11日月曜日

川上弘美「センセイの鞄」(1999)~やっぱり~

 正月の三日、兄一家が年始のあいさつに行った昼に、

母が湯豆腐を作ってくれた。母の作る湯豆腐が、

昔からわたしは好きだった。(中略)

おいしい。わたしは言った。あんたは昔から湯豆腐が

好きだったわね。母も嬉しそうに答えた。どうしても、

自分ではこういうふうに作れないの。そりゃあね、お豆腐が

違うでしょ、こういうお豆腐は月子の住んでいるあっちのほうじゃ

売ってないでしょ。 そのあたりで、母が黙った。わたしも、黙った。

黙ったまま 湯豆腐をくずし、酒で割った醤油にひたし、黙ったまま食べた。

二人とももう、けっして何も言わなかった。話すことが無かったの

だろうか。話すことはあったかもしれない。何を話していいのか、

突然わからなくなった。(*1)


数日前から左目がごろごろしている。瞼はぼんやり熱を帯び、いよいよ薄っすらと赤らんでも来た。強くこすったあの時のせいと思い当たるものがあり、数年前にも似たような事態となって難渋したことを記憶の底から掘り起こす。花粉の舞うこの時期にたまにしくじってしまう。早めに医者に行って抗生物質をもらおうかと思う。


一軒目の入口には“停電につき午前中休診”の貼紙があった。前夜遅くに大きな余震があり、地響きのなか電灯や家電品のモニターの緑や赤い光が数度瞬いてから闇のなかにおもむろに沈んだ。体育の長距離走で軟弱な学生が息切れ眩暈(めまい)しグランドにへたり込む感じにもちょっと似ていて、何となく哀れで淋しかったのだけど、朝の随分遅い時間まで復旧は遅れたから昼近い頃となっても不穏な空気がもわもわ街中に漂っている。


二軒目の受け付けでは“午前11時までで終了”とあしらわれた。なんてこった。そうか、学校の入学式が集中しているせいだ。きっとここの女医さんもお母さんに戻って、今頃は鏡台に向かいお粧(めか)しに懸命なのだろう。


ようやく三軒目の医院で診てもらうことが出来た。待合室で順番を待つ人から発散されるものはいずれも穏やかで、痛みや悪寒に囚われ内に内にときりきり集束していく内科医とは違い、気持ちのベクトルが元気いっぱい外側に向かっている。なんとなく周囲の人に親しげな思いが湧き、下世話な興味が湧いてしまう。妙齢の女性が腰掛けているのが随分と気になったりする。眼科というのは不思議とエロチックな場処だと思う。診察室の妖しげな暗闇に久方ぶりに身を預け、顎を台座に乗せて言われるままに目玉をぐるぐる上下させながら心躍るものが強くあった。


生まれ変わったならばきっと眼科医になりたいものだなどと妄想していると、「おや、何か入っていますね」とホラー映画のドラキュラ役者みたいに髪をぺたりと撫で付けた鷲鼻の医師に高い声で告げられ、平たい器具でぺたりぺたりと眼球を撫でられる。粘膜を弄ばれている感じにちょっとぞくぞくする。照明を点けられ白くまぶしい部屋で見せられたものは1ミリ足らずの細く黒い棘のようなもので、これが炎症の原因であったらしい。


いささかもドラマティックな事など無い半日だけど、充足した気分でそこそこいられるのは丁度読み終えたばかりの川上弘美(かわかみひろみ)さんの「センセイの鞄(かばん)」のせいだ。


七十歳を目前とするかつての老教師との邂逅を通して三十台後半の月子という女性が恋情や人生の意味を問い直していく。足裏や臀部が地面なり座板から片時も離れずにいる感じがあって、恋物語にしては重心がすこぶる低い。それは結局のところ“自分が自分であり続けること”が最も崇高で居心地のよい展開であることを揺るがず騒がず指し示していて、毎日の暮らしを紡ぐ地道な行為から到底免れそうにない、そんな市井に漂う我が身にはなんとも頼もしい声援となって胸に残るのだった。


センセイとの二十年ほど隔てての再会とそこから始まる逢瀬の舞台が、小ぢんまりした居酒屋に設定されていることもあって物語中に料理がめじろ押しなのだけれど、川上さんはかなり意識して筆を尽くし、繊細な官能レベルの構築を試みており面白かった。丹精こめて盛り付けられたいちいちの表現を嗅ぎ、味わい、ゆっくり口腔で反響させた後にゆるゆると嚥下させるうち、大事な“魂のことごと”も共にゆったりと考える時間が生まれ醸成されていく、そんなペース配分が手堅く絶妙である。料理を味蕾(みらい)でとろとろと愉しませるために、醤油や味噌といった脇役もくまなく動員されていくのが心憎い。隙のない差配は見事で申し分なく、素朴な題材を扱いながらも密度は相当に濃く仕上がっている。


冒頭に引いたのは月子と母親との間で交わされる“湯豆腐”の場景なのだけど、豆腐の良し悪しをめぐる会話で親子の距離をそれとなく諭すことが出来るだろうに、川上さんは醤油と酒をそこに投入して鼻腔を貫き天に抜け行く“覚醒される気分”を挿し込んだ。穏やかな午後の母娘の対話はいつしか途絶え、醤油と酒の混じり合うことで生まれる鋭い香気成分が淋しく立ち昇って、娘から母への気持ちをどんと突き放していく。何気に凄い。


下に引いたのは、こんどは味噌の素晴らしい登用場面。センセイの余生と自らの残り少ない開花の時期を重ねることを決意した月子が、馴染みの居酒屋でセンセイをひとり待っている。気の置けない店主はつまみ代わりに麦味噌をひとつまみ皿に盛ると、さっと月子の前に置くのでした。携帯電話での甘く充足した会話を閉じた後、月子は味噌をひと舐めしてみせます。五感と“魂のこと”を連結してみせた極めて官能的な瞬間になっており、作者の恐るべき手並みが伺える描写となっています。指先に盛られて唇に吸われた味噌の舌上で放ったであろう芳香は、ささやかな登攀ながらも頂きに立った者のみが感じ取れる幸福の証しとなって鮮やかに口腔に拡がり、強い印象を刻んでいるのです。


 そのへん、座ってて。三十分くらいしたら店開けるから。

そう言いながらサトルさんは、ビールを一本とコップと栓抜きと

手塩皿にのせた味噌を、わたしの目の前に置いた。(中略)

 ビールが体の中を下りていった。しばらくたつと、下りていった

道すじがほんのりとあたたまる。味噌をひとなめ。麦味噌だ。

 電話使いますね、とことわって、わたしは携帯電話をバッグから出し、

センセイの携帯電話の番号を押した。(中略)

「いらっしゃいますか」

「はい」

「うれしい」

「同じくです」

 ようやく「はい」以外の言葉が出た。サトルさんがにやにやしている。

そのままカウンターから出てきて、サトルさんは暖簾をかけに行った。

わたしは味噌を指ですくって、なめた。おでんを煮返す匂いが、

店の中に満ちていた。(*2)


こんな描写もあります。掛け値なしに幸福な味噌汁です。恋情の境目に味噌汁椀があって、白く儚げな湯気を立てているのでした。ごちそうさまでした、川上さん。


「おいしいですかツキコさん」

 食欲のある孫をいとしむような様子で、センセイは言った。

「おいしいです」

 ぶっきらぼうにわたしは答え、それからもう一度、

「おいしいです」と、さきほどよりも感情をこめて、答えた。

 野菜の煮物とお新香が出てくるころには、わたしもセンセイも

すっかり腹がくちくなっていた。ご飯は断って、味噌汁だけにして

もらった。魚のだしのよくきいた味噌汁を肴に、残った酒を二人で

ゆっくりと飲みほした。

「さてそろそろ行きますか」センセイは部屋の鍵を持って立ち上がった。(*3)


(*1): 「センセイの鞄」 川上弘美 「太陽」(平凡社)に1999年から2000年にかけて連載。手元にあるのは文春文庫 第6刷(2005) ここに引いた湯豆腐のくだりは「お正月」の回87、88頁に記載
(*2):同上「センセイの鞄」256-260頁
(*3):同上「島へ その2」193頁 他にも「キノコ狩 その1」の回(54頁)で醤油が会話に上り、「キノコ狩 その2」では採ったキノコが味噌鍋にされ振舞われ(72頁)、「ラッキーチャンス」ではとび魚がしょうが醤油で食されている(146頁)。月子に好意を寄せる小島という男は彼女を旅行に誘い、その口説き文句はどうだったかと言えば、「近くの畑でつくったものを収穫して、その日のうちに使うんだ。味噌もしょうゆも、やっぱり近くの蔵のものなんだぜ。くいしんぼうの大町にはぴったりだろう」であった。いかにこの物語が“味噌もしょうゆも”意識的に使っていたか判る会話になっていました。

2010年11月4日木曜日

村上春樹(訳)「人の考えつくこと」(1991)~That’s just it~


 “By God,”Vern said.
 “What does she have that other women don’t have?” I said to Vern after a minute. We were hunkered on the floor with just out heads showing over the windowsill and were looking at a man who was standing and looking into his own bedroom window.
 “That’s just it,”Vern said.He cleared his throat right next to my ear.
 We kept watching.
 I could make out someone behind the curtain now.it must have been her undressing.But I couldn’t see any detail. I strained my eyes.(*1)


 友人に薦められて購入したものの、手に取れずにずっと枕元に置かれたままだった本があります。思うところがあって困難だったのですが、その外国の短編集を最近になってようやく読みました。レイモンド・カーヴァーさんの佳作を何篇か束ねたものです。中に「大聖堂」(正確には「大聖堂」という本に所載された短篇)があり、それが実に素晴らしい内容なのだ、きっと貴方も読んだ方が良いと薦められていたのです。翻訳を担った村上春樹さんの技量とセンスについても友人はそのとき褒めちぎったものでした。あのときの和んだ空気や笑顔をとても懐かしく思い返します。


 正月休みに幼なじみが会した酒席においても、村上さん翻訳のカーヴァー作品が話題になったことがあります(手掛けた全集が完結した頃ですね、たぶん)。天邪鬼の僕は流行りものを斜めに見てしまう癖がありますから、気にしつつもあえて距離を置いたところがあったのです。回りまわって遂に読んだ物語たちは予想を越えて胸の奥の奥までに跳び込み、照明弾のように僕の内部を明るくしました。幾らか消沈気味だった気持ちを見透かされて、救いの手を差し出されたような感じでいます。


 カーヴァーさんの描く人物は独特です。根っこから立ち上がっている。さらに言えば枝葉を繁らす前にざっくり剪定されてしまったような酷薄な面持ちを具えています。僕たち読者に対して虚勢を張る仕組み、花なり果実がまるで見当たらない。とことん“素”であり、だから放埓だし、だから軟弱だし、だから身勝手だし、劇中であまり成長しないのです。そして何より真剣です。そのように自然体で迫られてしまうと現実と物語の境界はたちまち消失し、彼ら登場人物の悲観や惑い、昂揚やささやかな願いといったものがあっという間に僕自身が抱えるものと融合していき、言い知れぬ心地よさから本を閉じられなくなってしまう。

 8冊の全集のうち現在4冊目を読み進めています。今度の旅の供もおそらくカーヴァー作品になるのでしょう。(うん、悪くありません。)

 上に取り上げた原文は“The idea”という作品の一節です。若い夫婦の住まう家の隣宅で奇妙なことが毎夜繰り広げられます。その家の主人が夜な夜な屋外にそっと出て来ては自分たちの寝室を覗き込むのです。カーテン越しに見るのはどうやら妻の姿態であって、彼女が着替えているのを見て、また見られることで夫婦は揺れるもの、不思議な高揚を吸収している様子です。若い夫婦はその痴態をあきれ返りながらも目を離すことがならずに、ずっとずっと見守っていくのでした。


 村上さんの訳はこのようなものです。


「まったくもう」とヴァーンは言う。

「あの女のどこがそんなにいいっていうのよ?」と少しあとで私はヴァーンに向かって


言った。私たちは床にうずくまって、頭だけを窓枠の上に出している。そして自分の家の

ベッドルームの窓の前に立って中を覗き込んでいる男の姿を見ていた。

「そこがミソなんだよ」とヴァーンは言った。私のすぐ耳もとで彼は咳払いをした。

我々はそのままじっと見物を続けた。

誰かがカーテンの向こうにいるのがわかった。彼女が服を脱いでいるのに違いない。

でも私には細かいところが見えなかった。私は目を凝らした。(*2)


 “That’s just it,”そこなんだよ、だからこそさ……声に出したは良いけれど、夫は次の語句を継げません。劣情や好奇心ともろに直結する言葉が首をもたげたのでしょう。不用意に口にしては波風の立ちそうな類いのそれを、配偶者の手前なんとか喉元で押し止めることに成功する。わざとらしい男の咳が、灯かりを消した暗い台所にこふこふと響いていく。


 意味深な“That’s just it,”を村上さんは「そこがミソなんだよ」と訳しました。もはや死語の領海、サルガッソかバミューダ・トライアングル(という例えも死語だよねえ)に幽閉されて久しい「そこがミソ」という言葉が、あろうことかアメリカの住宅地に突如出現したのが僕には楽しくてならないのだけど、これは違和感、上ずり感、ヘンテコ感を承知の上で(危険を冒して)採用しているに違いない。


 僕たちの日常の会話で(もしも、万が一)「そこがミソなんだよ」と言われたならどうなってしまうか。きっとくすぐったいような、鼻白むような奇妙な乾いた真空がぽつんと生まれ落ちて、しばしふたりの間に滞空するでしょう。相互作用せず十分機能しない、いわば壊れた表現になっているのが「そこがミソなんだよ」。


 刺激に溢れた今日の食生活において“ミソ”は味覚の奥深さ、嗅覚の深淵を司るキーマンたる位置を確保しにくくなっています。その流れに沿って失活してしまった過去の言葉として「そこがミソなんだよ」がある。村上さんは挿し入れることで生じてしまう“(逆)効果”を狙った上で、あえてこれを登用している。『1Q84』での味噌汁たちともどこか通底する村上さんらしい“ミソ”が湯気を立てて見えます。なかなかの荒技でしたね。恐れ入りました。



(*1):The idea Raymond Carver 1971
(*2):『人の考えつくこと』 レイモンド・カーヴァー 村上春樹訳 中央公論社 レイモンド・カーヴァー全集1「頼むから静かにしてくれ」1991 所載  表題の年数はこの全集発行の年にしてあります。村上さんが訳して最初にどんな雑誌に掲載されたものか分からないので、暫定的なものです。 





2010年1月12日火曜日

矢作俊彦「スズキさんの休息と遍歴」(1990) ~どれも夢の中~



  何一つ、夢は見なかった。眠りはとても深く、目覚めは唐突にはじまった。

ぱちっと目が開くと、もう手が2CVのドアを開けているといった具合だった。

だから、眠ったのではなく目を一回瞬いただけのようにも思えたし、前後の

出来事はどれも夢の中、たったいま、それから目覚めたようにも思えた。

  スズキさんは海に向かって歩いた。

  映画のスタッフは砂浜の焚火にかけた鍋をめぐって思い思いの格好で

寛いでいた。三脚の上で16ミリカメラがうなだれ、砂の上ではレフ版が朝陽を

いきおいよくはねかえしていた。ギャジット・バッグはどれも、即席の椅子や

卓子に変っていた。

  鍋ではミソ汁がぐつぐつ煮えたぎり、魚やエビやカニが、浮かんだり沈んだり

していた。一人の猟師が、近づいていったスズキさんにお椀一杯のミソ汁を

すすめた。一行の半分ほどは地元の猟師だった。見れば、すぐ近くに網が手際

よく干され、小舟が引きずりあげられていた。(*1)


  スズキさんが息子のケンタを脇に乗せ、北海道の留萌までひたすら愛車を駆るお話です。長時間の運転に疲れたスズキさんは運転席でまどろみ、夢かうつつか判然としないままに海岸を歩き始めます。かたわらにはミソ汁が現れます。 


  フェリーニの白黒映画(*2)のラストシーンを下敷きにしながら、旅の終わりを謳い上げています。政治と哲学をかつて夜通し語り明かしたおんな友だちとここで再会し、鳴り止まぬ波の音を背景として、実に穏やか大人の会話がくっきりとした輪郭で描かれています。往年の仏蘭西映画を髣髴させるものがあり、ちょっと素敵でしたね。漁師から差し出されたミソ汁も、思えばタルコフスキーみたいな詩的な波紋と湯気を具えて見えます。


  鍋では魚やエビやカニがぐつぐつ熱く煮えたぎり、浮かんだり沈んだり
していた。一人の猟師が、近づいていったスズキさんに暖をすすめ、
お椀に盛ってよこしてくれた。


  こんな風にせずにミソ汁、ミソ汁と連呼したことに、僕は矢作さんのこだわりを見出します。夢と現実の境界に、また、過去と現在の境界に矢作さんのミソ汁はあって、僕たちの深層に働きかけ、甘く、温かく捕り込もうとするのです。作為は明らかです。失われたものへの憧憬がミソ汁をアンプと為して増幅されています。


 
  映画の砂浜を参考までに貼っておきましょう。




  週末にでも車を飛ばし、日本海を見に行きたくなりました。冬のはげしい波と轟きを想います。


(*1):「スズキさんの休息と遍歴 または かくも誇らかなるドーシーボーの騎行」新潮社1990 初出は「NAVI」連載1988-1990 大幅加筆とあるから分類は1990年とした。(この本、好みが分かれるのでおすすめはしません。僕も最初からの再読はしていませんが、この浜辺のシーンだけは読み返しました。)
(*2): LA DOLCE VITA 監督フェデリコ・フェリーニ 1959

矢作俊彦「ボウル・ゲーム」(1992)~思い出してみろよ~



「どんなものかなあ」
 
  首をひねって、スペイン語に変え、店員に短く訊ねた。

  相手が答えると、また大真面目に頷き返した。

「ジェリーがシェルになるのにエネルギーを使うんだとさ。

くたくたに疲れて、栄養も旨みもあったもんじゃない」

「ミソ・ナベにするなら、かまやしないよ」

「ミソ・ペースト!」

 ムン・タイが、顔を歪めた。それから、教会の壁に殴り書き

 された四文字言葉を読みあげるように、低くゆっくり繰り返した。

「ミソ・ペースト!───キャロラインがどれほど嫌っていたか思い出してみろよ」

「ジョージは大好物だ」

 彼は、うんと狷介な気分に駆られて言った。

「ジョージがミソ・スープを旨そうに啜るところを彼女に見せたら、

 今夜はちょっとした展開になるような気がしないか」

「彼女は、匂いを嗅いだだけで帰っちまうよ。ドアを開けるだけさ。

 玄関にだって上がりゃあしないよ」(*1)


  暑気払いに鍋大会(ボウルパーティ)をしようということになり、主人公とその友人が買い物にいそしんでいます。ふたりが歩く通りや河、公園の名前がところどころで提示されており、どうやらニューヨークのダウンタウンが舞台なのだと分かります。ちょうど鮮魚店の前に来たところです。鍋にぶちこむワタリ蟹を吟味しながら、さらに会話が弾んで行きます。


  ムン・タイという名の友人と連れ立って歩く“彼”は、お喋りの端々から私たちの同胞なのだと知れます。キャロラインという妙齢の婦人に気があるのだけれど、なかなか格好良いところを見せられずにジタバタしている毎日です。そこにジョージという恋敵の出現も重なって、胸中さすがに穏やかではありません。夜毎に眺めては心ひそかに愛でていた白い月影が、黒い雲に遮られ目の前から消えようとしている、どうしよう、どうしよう。


  ジョージの足を引っ張るためにミソ・スープをパーティに用意し、ミソを毛嫌いするキャロラインの目の前でズルズルと呑ませることに成功するならば、きっと彼女も妄執から覚めるに違いない、そんな奸計をめぐらすのです。本当に恋に狂った男ってやつは救いようのない馬鹿ですね。そのくせミソ味こそが鍋の王道とばかりに固執して、歩道を跳ね回っているのは他ならぬ“彼”な訳ですから、奇怪この上ない展開です。


  こころ寄せる異性はどうやら最初から“彼”など眼中にないのですが、外貌やら文化やらの見劣りを勝手に意識しては頭に血が上り、コントロールをすっかり失っている。ちょっと捨て鉢となっている感じもします。世界と対峙した際に急激に膨張していく自意識は、誇りと自嘲で十文字に裁断されて無惨にも分裂していく。自虐趣味がフルスロットルです。


  この「ボウル・ゲーム」においては舞台をわざわざ国際都市に選んだ上で、孤高に埋没する滑稽な男の姿を矢作俊彦(やはぎとしひこ)さんは描いています。自分たちの世代と子供たちとの間に横たわる裂け目に味噌汁を配置し、それを国境線に例えて戯画化したことが別な小編(*2)にてありましたが、“彼”の自意識過剰な内面を如実に引き立てていくミソ・スープは、ここでも色々な境界上に置かれて見えますね。ねちっこい作為を感じ取らないわけにはいきません。


  さて、矢作さんが味噌汁を意識的に登用しているらしいことは分かりましたが、ここで作品から外れてちょっと考えてみましょう。この小編を笑えるひとは、一体どのくらい今の日本にいるものでしょう。


  僕も読んだ当時(18年も前になります!)は、そのくだらない展開、余裕のない“彼”の漫画じみた言動やミソ・スープへの執念を大いに笑ったものですが、それは年齢的に作者と重なる光景を幾つも抱えていたせいでしょう。同じ記憶なり似た食生活を共通項として持つ者として、共振し、揺さぶられるものがあった訳ですが、はたして現在、そして今後は同じような共鳴へと新たな読者を誘うものでしょうか。なかなか難しいような気が僕にはします。


  赤ん坊の時期に食べたものが人間の嗜好を決定付け、生涯に渡って拘束するということは栄養学者も言っています。インプリント(刷込)と呼んでいますね。その観点から言っても味噌汁を日常とらない人が増加していくことは、この飽食の時代においてはごくごく自然な流れです。ほとほと食べ飽いてしまって、というのではなく、幼い時分の暮らしぶりから無理なく味噌汁をとらない人が僕の知るなかにもおられます。多種多様な食事の前にインプリントの濃度は薄まり、自ずと各人を縛る強さは弱まっていくわけです。


  そのような捕縛を逃れて因習から解き放たれた人が、ジャンクフードに囲まれた不健全な食生活を送っているかと言えばそんなことは全然なくって、実際、僕の友人なんかは栄養面での気配りは平均以上だったりします。食べるときは豪快そのもので、バリバリ野菜を口に放り込んでは実に美味しそうなのです。見ていてこちらにも精気が宿ってくる感じなのだけれど、そんな様子を見ていると味噌汁は世界の片隅の偏狭な地域でしか通用しない、それも膨大なメニューのなかの選択肢の一部に過ぎなくって、既にこの列島に集う住民全般の共通項ではない、そんな印象を実感として持ちます。


  であれば、今後味噌汁は“違ったもの、異質のもの”の象徴としてのみ取り上げられていくのが宿命なのかもしれませんね。異国の地でミソ・スープに拘泥して友人をゲンナリさせる「ボウル・ゲーム」の“彼”を理解できなくなった「味噌汁嫌いの読者たち」は、物語に自分たちを投影させて遊ぶ余裕はきっとないでしょう。



  その時は、別な顔付きの別方向からのお話が編まれていくのかもしれませんね。いや、もうそれは始まっている気もします。僕のやっていることは解散が決まった組織の残務整理みたいなものかもしれません。


  今年の成人式の参加者は遂に全員が“平成生まれ”となった由、時代がどんどん移ろい行くことを感じますね。晴れ着で着飾った娘さんたちを運転席から眺めながら、不安と可笑しさのない交ぜになったものを感じます。いつか彼女たちが此処ミソ・ミソを覗いたとき、日々僕の書き連ねている言葉は魔女の呪文のようなものか、古代文明の象形文字に映るのかもしれない。う~ん、まあ、いいさ、それはそれで仕方がない。


  固定概念に縛られず、いたずらに内省的にならず、時流に乗った判断と動作を心掛けないといけませんね。それは確かに思います。思考は思考、日常は日常です。さあ、仕事に戻らないと!日常はどんどん面白く、ちょっとだけでも素敵な方へと変えていこう。そう思います。


(*1):矢作俊彦「ボウル・ゲーム」 初出不明。「東京カウボーイ」新潮社1992所載につき、執筆年を1992年ととりあえずしておきます。
(*2): 矢作俊彦「スズキさんの生活と意見」 1992
http://miso-mythology.blogspot.com/2009/07/1992.html

2009年7月22日水曜日

尾辻克彦「裏道」(1990)~こんなものなのか~




やはり意地もある。その導入に際してあれほど渋い顔をしたのに、

簡単にいい顔はできない。むかしマルクス、レーニンを神様みたい

に崇めていた人が、そう簡単に自民党には投票できない。それにまだ

小さいとはいえ犬であるから、自分の原始からの犬の恐怖も温存して

いる。しかしそんなことも長い時間の間には、少しずつなし崩しに、

角砂糖がコーヒーに溶けていくように、味噌の固まりがお湯に溶けて

味噌汁になっていくように、ちょっと例えは唐突だったが、私も犬を

引いた家人のそばを、ぼんやり駅までついて行ったのである。ああ、

味噌汁として溶けていく味噌の気持ちはこんなものなのかと、私は

裏道から見渡す凸凹(でこぼこ)の大地が、巨大なお椀のように感じられた。(*1)


蒸し暑い夜になってきました。暑気払いに威勢のいい曲でも流しましょう!



よく語られる話のひとつに、血液の塩分濃度と味噌汁のそれがほぼ一致するというのがあります。なるほど血液中の塩分0.9パーセント前後という数値は、味噌汁の塩加減と並んでいるのです。書籍なりインターネットの記述には、体内の浸透圧を保とうとする本能が嗜好を左右して、知らず知らずのうちに調理の塩梅(あんばい)を操作しているのではないか、というまことしやかな理屈も付されたりします。ふ~む、なるほど。言われてみればそういう事があるかもね……。


でもでも、冷静に考えてみればですね、これはずいぶんと極端な言い回しです。人間の好みとする塩加減は、洋の東西を問わずにそんな大差ないはずですよ。何も味噌汁に限ったことではなくって、あちらの○○スープ、こちらの○○汁だって計れば似たような数値が出そうな気がします。それに“本能”なんてコワモテのものを持ち出された日には、あらゆる食品が雪崩打って同じ塩加減へと移行していいはずです。


人間は刺激を求める動物ですから、体温とそっくり同じ温度の飲料や食べ物を嫌うものです。塩加減だって似たものにすべて統一されたら、悲鳴をきっと上げるに違いないのです。しょっぱいカフェオレや塩辛いペプシNEXは開発されることはないし、誰も求めはしない。偶然の一致に過ぎないでしょう。


そのようにあっさり身をかわしておきながら変ですが、血と味噌汁の交差するイメージにはちょっと惹かれるものがあります。袖にすることを許さない“何か”が潜んでいます。味噌汁は血液と同じなんだよ、と告げられたなら、するりと咽喉を取って胃の腑に落ちる。ああ、やっぱりそうよね、その通りよね、と安心してしまう。ふんふんと頷きながら大きな知恵を授かったような気分になる。それって、何故でしょう。よくよく考えれば不思議な話ではありませんか。



先日の文中にて僕は、いくらか隠微なものに触れてしまいました。人格を怪しんだひともきっといたでしょう。もちろん僕を呪縛する煩悩によるところも多分にあった訳ですが、実はそれだけではない。思考の域を侵すに止まらずに皮膚の内側の、より体腔的でより生理的なものに変化やネジレをもたらしているのが“味噌汁”じゃないか、と僕はずっと睨んでいるのです。 綺麗ごとでは済まないのです。


ですから、世間で下劣と嫌われる語句やエロチシズムを臆病に回避しては、存分に味噌汁を語り切ることは出来ないのです。(あれ~、なんか言い訳っぽいぞ~~。)アハハハ、やっぱり苦しいですね、ちょっと(笑)。でもね、味噌汁は確かに僕たちの血と混ざり溶け込んで、胸の奥の洞窟までひたひたと押し寄せているに違いないと思いますよ。


そんなことを喚起させるものが冒頭で引いた小説家、尾辻克彦さんの作品です。ストーリーで惹き付けるというよりも、この人の場合は“調子”で読者を魅了していくところがあります。俗人は絶対に立ち止まらない瑣末なモノや行ないを前にして、あてどなく悶々と思考していく様が可笑しくって、ついつい声に聞き入ってしまうところがあります。 (*2)


裏道脇の斜面の奥にひろがる雑木林に、誰かがいつの間にかダンボール箱を置いていきます。そこには生まれて間もない仔犬が捨てられている。主人公“私”の妻と娘が無断でこっそり仔犬を連れ帰って飼い始め、既成事実がどんどん幅をきかせて、大の犬嫌いの私も散歩の役目を担わされていく。そんな日常の情景が淡々とした調子で写し取られています。


妥協や迎合といった“負”の(言葉を選べば“優しさ”に見合った)心持ちを“お湯に溶けていく味噌”にここでは例えています。さらに作者は踏み込んで“味噌の気持ちはこんなものなのか”といった突飛な表現をして来ます。“私”と“味噌”は同等の位置にあって、一瞬ではあるものの、味噌には生きているかのごとき人格まで付与されてしまう。


このような大胆な表現もまた、僕たちは左程の違和感を持たずにあっさり受け止めてしまえる。それをとても不思議で面白いと僕は感じるのです。やはり僕たちの血には“味噌汁”が混じっている、そんな感じがしてしまうのです。




さてさて現実に戻って。いかがでしたか日食、きれいに見れましたでしょうか。僕のところは曇り空。束の間ではありましたが愉しみましたよ。鋭利な角をふたつ具えた忍者手裏剣のような真白い太陽が、薄くたなびく雲越しに認められました。しばし童心に立ち返れて嬉しかったですね。気のせいかもしれませんけど、しきりにガアガアとカラスが騒いでうるさかったです。


そうそう、原題を「日食」というアラン・ドロンとモニカ・ヴィッティ主演の映画(*3)がありましたが、その主題歌も耳の奥で鳴り続けておりました。(最初に貼り付けたものですね) 



僕のそばにはパニックに陥ったアフォなカラスしかいませんでしたが、こんな太陽を大切な誰かと手を繫いで仰ぎ見れたら、きっと素敵でしたでしょうね。


そういう時間に、どうですか皆さん、なりましたでしょうか?(笑)


(*1):「裏道」 尾辻克彦 初出 「海燕」 1990年5月号 「出口」 講談社 1991 所載
(*2):昔々「闇のヘルペス」というタイトルで単発のラジオドラマが放送されたことがあったのですが、あれも尾辻さんの原作を脚色したものでしたね。僕はその録音テープを随分と繰り返し聞いて愉しみました。主演は岸田森(きしだしん)さんと草野大吾(くさのだいご)さん。ああ、お二人とも亡くなってかなり経ってしまいました。男の色香とペーソスに溢れたほんとうに見事なセッションでした。まさにあの感じが尾辻克彦さんの調子なのですが、何となく分かるひとには分かってもらえるでしょうか。
「闇のヘルペス」 1981年5月9日放送
(*3): L'ECLIPSE 「太陽はひとりぼっち」 1962 監督ミケランジェロ・アントニオーニ

2009年7月18日土曜日

村上龍「イン ザ・ミソスープ」(1997)~まるで人間の汗のよう~



封筒をわたしながら、一つやり残したことがある、とフランクは言った。

「一緒にミソスープを飲みたかったんだが、もう会うことはないから無理だ」

 ミソスープ?

「うん、興味があった。昔、一度、コロラド州の小さな寿司バーでオーダー

したことがあるんだが、変なスープだった、匂いとか、変だった、だから

飲まなかったんだが、でも、興味深いスープだと思った、まず色が奇妙な

ブラウンで、まるで人間の汗のような匂いがするだろう?そのくせこう、

見た感じが、どこか妙に洗練されていて上品なんだ、こういうスープを

日常的に飲んでいるのはどんな人々なんだろうと思ってぼくはこの国に来た、

少し残念だ、一緒に飲みたかったのに」(*1)


今は桐野夏生さんの「優しいおとな」(*2)が気になって目を通しているけれど、ごめんなさい、余程波長が合わない限り連載小説は素通りしています。そんな僕が村上龍さんのこの作品は欠かさず読んでいたのでした。なにより題名が良いでしょう? 「イン ザ・ミソスープ」──耳元に妙に甘くささやいて、暖色系の連想、オレンヂやイエローのほのぼのとした灯かりが脳内にぽっと点った覚えがあります。


連載に先立つ告知には、日本を訪れたフランクという名のアメリカ人をケンジという若者が案内して歩くという簡単な説明が付されてもいました。自由闊達な高校生が来日し、ホームステイ先で騒動を起こす、そんな人情喜劇のイメージが湧きました。それとも初老の外国人と日本の好青年の穏当な小旅行かしらん。夕立が引いたばかりのなよやかな風情の古都や嵐山を回遊しながら、男ふたりが熱心に文化論を交わす、そんな涼しげな光景を思い浮かべたりもしました。“ミソ”という言葉がいかにステレオタイプの反応を喚起するか、その典型ですよね。知らず知らずの内にこころを染めていく“ミソ”の色って、存外濃厚でしつこいものです。


実際に村上さんの小説のなかで描き出された場景の、その常軌を逸したシュールさ、凄惨さと酷悪さについては触れないでおきます。けれど、上に書いたようなヌクイものがことごとく裏返っていくのはかえって愉快でもありました。きっとそれも村上さんの狙いだったのだと思います。既存イメージをいささかの疑いもなく受け入れている頑迷な僕たちの頬を、おい、目を覚ましなよ、と、ぴしゃり平手で張ったのでしょう。


最初に紹介した会話は、本当に最後の最後の幕引きになって交されるものです。年末の喧騒に包まれた新宿の街の、暗く奥まったパブの店内で延々とフランクによって為される快楽殺人の後になって唐突に語られます。それまでは“ミソ”のミの字も現れなかったのに、ようやく出たかと思い、えっ、これだけなのかと拍子抜けもしました。続けてフランクが語ります。



「もう飲む必要はない、ぼくは今ミソスープのど真ん中にいる、コロラドの

寿司バーで見たミソスープには何かわけのわからないものが混じっていた、

野菜の切れ端とかそんなものだ、そのときは小さなゴミのようなものにしか

見えなかったけど、今のぼくは、あのときの小さな野菜の切れ端と同じだ。

巨大なミソスープの中に、今ぼくは混じっている、だから、満足だ」(*1)



物語の主題や書かれた目的は読者それぞれが読み解いて胸に抱けばいいのだし、村上さんらしい相応のメッセージが随所に挿入されてもいます。その各々は傾聴に値するものが確かにあって、面白い小説であることに違いはありません。僕も嫌いではない。それにしても、とやはり思います。やっぱりこれ、この“ミソスープ” はいびつで不思議な登用です。


ここでの“ミソスープ”は日本という国とそこに住まう僕たち「内側」のことを明確に指差しています。「外側」からは色も匂いも異様です。汗を連想させて口を付けるのを躊躇させておきながら、上品で洗練されていると続ける(村上さんの)言葉の背景には分裂した自意識が例によって認められるのですが、結局のところ、ぽんと投げ掛けられるばかりで重い唇は閉じられてしまいます。取って付けたようなモノローグになっているのはそのためですね。除夜の鐘が鳴り渡る寸前の、凍てついた川べりに捨て置かれてしまいます。ケンジと一緒に、僕たちも置いてけぼりにされてしまう。


ブラウン色のレンズを通して日本人が日本人を見通そうとするとき、そのレンズ自体が波立ち変形してしまう感じです。そして、大概はこうじの破片や大豆の細かなコロイドがぶわぶわと浮遊、回流して邪魔をして、視界が利かずに観察を放擲するに至る。そんな読後感が味噌汁の登場シーンにはとても多いです。不思議です。はは、そんなこと思うには僕だけかな
(笑)

阿鼻叫喚の地獄絵や猥雑な描写がもたらすカタルシスだけでなく、僕たちが僕たちを見詰めるときの視線、奇妙で妖しい目付きの確認も「イン ザ・ミソスープ」の読みドコロとして、それでも確かにあるように感じています。

「ベルリン・天使の詩」(*3)などで知られるヴィム・ヴェンダースさんが映画化の最中みたいですね。主演はウィレム デフォーだって! ひゃあ、どうなってしまうのだろう、味噌汁がまるで人間の汗どころか血のような匂いがするなんて噂が立たないかな。とっても僕は心配だよ。


うーん、まあ、そんな事言って心配しても始まらないや(笑)。夏も本番、楽しんで過ごしましょう!

どうか良い休日を!  休日でないひと、どうかケガのないように!


(*1):「イン ザ・ミソスープ」 村上龍 幻冬社文庫 
(*2):「優しいおとな」桐野夏生 讀賣新聞 毎週土曜日掲載 
(*3): Der Himmel über Berlin 1987 監督ヴィム・ヴェンダース




2009年7月4日土曜日

矢作俊彦「スズキさんの生活と意見」(1992)~歴史的な妥協~


「野球でもしようか」彼は言った。

「本当!?」息子が歓声をあげた。

「ほうれん草も食べなさい」妻がパン皿の横に緑色のペーストを押してよこした。

「ぼく、おひたしの方がいいんだよ。ゴマで和えた奴」

「パンって言ったから作ったのよ」

「別にいいじゃないか」とスズキさん。「ペーストでなくてもさ」

「味があわないわ」

「合わないと言えば、味噌汁だってそうじゃないか」

「これは歴史的な妥協よ。サダト的な、ね」

「何を言っているんだ」

「味噌汁とパンよ。あなたとお坊ちゃまのイェルサレムでしょう」

「だから何がサダト的なんだい。キリスト教徒が妥協だなんてよく言うよ」

「あら、俗世の政治については、バチカンも仏教に学ぶところが多いと思うわ」(*1)



矢作俊彦さんは息の長い書き手です。漫画原作、随筆、小説など難なくこなして現在に至っています。ご自分の小説の挿し絵だってお手の物です。別名で漫画を描いていた時期もあるから、もともと器用な人なのです。


彼を語るとき、大友克洋さんが絵を担当した「気分はもう戦争」(*2)を外すことが出来ません。それで分かる通り“時事ネタ”を接ぎ木するのが得意です。面白さもつまらなさもそこに集約されるきらいがあり、散らかった雰囲気が紙面を覆ってしまうことも。好みが別れる作家のひとりではありますね。どうしても読み手の体調や時間を選んでしまう。


「スズキさんの生活と意見」は作者の分身であるらしい“スズキさん”が、とある朝に自宅の食卓についたところから始まります。「たとえようもなく豊か」な朝食で幕が開きます。「味噌汁とベーコン・エッグ、それに御飯かパンがつく」のがスズキ家の慣習となっていて、「今朝の味噌汁は、大根」です。献立内容が少しずつ洋風に変質していくのは、7才の倅にイニシアティブを奪われかけているからです。内心忸怩たるものがあるのですが、奥さんともども息子をも深く愛して止まないスズキさんはあえて守勢に甘んじてやり過ごしています。


さて、奥さんが「サダト的」と口にしたのは何でしょう。僕より上の世代のひとにはありありと映像が浮かぶのでしょうが、エジプト大統領の電撃的なイスラエル訪問とそれを踏まえての一連の出来事を指しています。1977年11月にエルサレムの国会で「平和」を叫ぷ演説をサダト大統領は高らかに行ない、中東情勢の雲行きを見守っていた世界の人々をあっと言わせました。翌1978年9月にはキャンプデービッドで三カ国会談が行なわれます。カーター大統領、サダト大統領、イスラエルのペギン首相の三人が握手し、肩を寄せ合う映像が繰り返しテレビに流されましたね。早いですねえ、あれから30年も経ちました。




紛争当事者であるパレスチナPLO抜きに和平工作が進められたために、世界が待ち望む恒久的な紛争解決はなりませんでした。あれから延々と衝突が引き起こされているのは承知の通りです。雲間を裂いた光明が、ああ、眩しいと思った刹那にざんざんの土砂降りになる、その繰り返しです。

かくてエルサレムは狭い区域内に多様な宗教史蹟をモザイク模様のように抱え、平和の礎とも紛争の火種とも分からぬ繊細で危うい綱渡りを続けています。その地勢的なちぐはぐさを食卓上のパンと味噌汁の組み合わせのちぐはぐさに重ねている訳です。


ですから「スズキさん─」で描かれる食卓は、麗々しく知的な奥さんと利発で素直な息子に囲まれて大層華やいで見えますが、裏側から眺め直せば何やらとりとめのない諦観と疑念に貫かれていることが読み取れます。イスラエルの国際的“孤立”があり、これに対してイスラム世界から突出する形で手を差し出したがためにエジプトもまた“孤立”しました。結局のところは分かり合えない者同士の集団として家族を捉えていて、甘い蜜月はいつしか終わることを予感している、そんな節があります。


また、サダト大統領は1981年10月の屋外での式典のさなか、トラックから駆け寄る男に撃たれて暗殺されています。どれだけの精力を傾けて想いを寄せたところで、世の中は上手く行かない事だらけです。嬉しくそして悲しい記憶の延延の堆積。あれから約4年、全ては無駄なこと、だったのかな。一体全体、何だったんだろう…。銃創から噴き出す己が血にまみれながら彼は何を思ったか、想像するととても切ないですね。


そのようなほの暗い陰影を反映している訳ですから、ここで登用された“味噌汁”には自ずと孤愁の風貌が宿ります。柔軟さを兼ね備えない頑迷さ、勇気の無さ、裏返っての日和見主義などの自嘲的な負の性質が託されて見えます。ちょっと淋しい味噌汁です。


1950年生まれの矢作さんの実年齢をスライドすることが許されれば、分身のスズキさんは当時42歳になります。17年を経た今、彼は59歳、子供は24歳になっているはず。孤独を愛しこそしませんが、孤高をひどく意識して胸中思い屈して止まなかったスズキさんは、今どこでどんな机に坐し、どんな食事をしているものでしょう。


奥さんとは仲良くやっているでしょうか。子供とは意気軒昂な会話を続けているものでしょうか。とても興味をそそられますが、一方で怖くもあります。それはスズキさん同様に不器用で日常を歩むのがヘタクソな、この僕自身の17年後を想うことになるから。美味しく温かい味噌汁の椀に口を付け、こころから愛するひと、ほんとうに愛する家族と視線を交わしてゆったりと和んでもらいたい、そう願って止まないのです。(これがなかなか、ねえ…)


(*1):「東京カウボーイ」1992年 新潮社 所載
(*2):「気分はもう戦争」1981年 双葉社