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2011年8月16日火曜日

宮崎駿「コクリコ坂から」(2011)~ドボドボ注ぐ~


○コクリコ荘・食堂

  開いたガラス戸から、降りて来る人の姿が見える。朝の挨拶。

  割烹着姿で釜敷におろした釜から、熱い飯をおひつに移して

  いる海。牧村が配膳を手伝う。(中略)

  味噌汁を椀にすばやく注いでいく海。

  牧村がお盆に移し変えてテーブルに運ぶ。納豆に醤油をドボドボ

  注ぐ北斗。

牧村「わあ、またそんなに醤油入れて!」

北斗「これがいいんじゃない」

  平然とかきまわす北斗。(*1)


 暑さの質感が変わり、網戸越しの夜風が乾いてきました。夢にうなされたのか、それとも捕食者の不意の出現に慌てたのか、蝉が、ぎゃっぎゃっぎゃっ、と不意に大声を立てます。もしかしたら天に召される時が来たのかもしれない。秋の虫がもう盛んに鳴いています。少しずつ少しずつ季節は変わっていきますね。皆さんお住まいの町の雰囲気はいかがですか。まだまだ夏は居座っていますか、それとももう引越しを始めていますか。


 そろそろ寝なきゃいけないのですが、仕事の関係で連休を謳歌出来ない僕としてはビール片手の夜更かしが気分転換には欠かせないところがあって、たまにはこうしてズルズルとみっともない文章を叩きたくもなるのです。


 先日、公開されて間もないアメリカ映画(*2)を観ました。ブラッド・ピットが父親を演じた話題作ですが、遅い時間のレイトショーとは言え、わずか三人しか観客がいないのが不思議でした。まあ、ゆったり出来て嬉しいのだけど。


 今では落ち着いた年齢となった“息子”の視線が物語を一直線に貫いているから、僕みたいな中年男としてはそれだけでびんと結線されてじんじんと伝わるものがある。けれど、性差や年齢を越えて共振を誘う仕掛けが盛りだくさんに作り込まれているからね、映像に愉しみや安らぎを感じるひとであれば、誰でもきっと充実した時間を過ごせるのじゃないかな。是非ご覧なさい、これは凄い。


 なにもそういう自分を売り込みたいのじゃなく、なんていうか、この映画の突き抜け方をどうにかして伝えたいだけなんだけど、まったく困るぐらいに泣かされました。三人だけで良かったよ、ほんと。恥ずかしくってなかなか席を立てなかったもんね。


 食卓の場景が幾度か映し出されます。最近のアメリカの映画は美術や小道具の発言力がほんとうに凄くて、パスタとかケチャップとかいずれもささやかなものなのだけど、人物の感情を左右し、逆に心象を雄弁に語ってみせたりして度肝を抜かれることが度々あります。この作品もきっとそうなんだろうなあ。アメリカに住まう人には劇中出てくる家族のふところ具合が手に取るように分かり、また、堆積した味覚、嗅覚の記憶を総動員して劇世界に溶け込んでいけるのでしょうね。豆料理が印象的でね。あの意味、ずっと考えているところです。


 その点、日本の映画は料理を使って人物の造形につなげてみせる辣腕家は何人もいるけど、観客を当てにしないというか、信用しないというか、味の薄い会話で補ってしまう悪い癖があるように思えます。


 たとえば上に引いた宮崎駿(みやざきはやお)さんの「コクリコ坂から」なんかも勿体ないというか、一歩出しゃばり過ぎの感じがするよね。北斗(ほくと)という名の研修医が“醤油をドボドボ”と使う。これまで見たようにその行為は男なら“父性”と結びつき、女性の場合(*3)には“男勝り”“ユニ・セックス”へ傾かせる効果があるのだけど、そういった事を思い巡らす受け手側の時間をまるで許さず、間髪入れずに「わあ、またそんなに醤油入れて!」と台詞を詰め込むのは昨今の世界基準からすれば大いに見劣り、聞き劣り(そんな言葉あるのか)するところです。


 さてさて、そろそろ寝ましょう。もういい加減酔ってますし。

 皆さん、おやすみなさい。楽しい夢を、ゆったりした眠りを。



(*1):「脚本 コクリコ坂から」 宮崎駿 丹羽圭子共著 角川文庫 2011
最上段の画像は映画から 監督 宮崎吾朗 2011
(*2): The Tree of Life 監督テレンス・マリック 2011
(*3):以前こんな作品がありましたね。姉妹のなかでおんなおんなしていない娘が醤油をドバドバ使っていました。
吉田秋生「海街diary」(2006-)
http://miso-mythology.blogspot.com/2009/05/diary2006.html

2011年8月15日月曜日

瀬戸内晴美「諧調は偽りなり」(1981)~ここに来ていてよかったな~


 無想庵は縁側で土びんをかけた七輪をばたばたしぶ団扇で扇(あお)

いでいるところだった。

「おう、どうした」

 黙って縁側に立つ辻を見かえって、無想庵はいつもの声で訊いた。
 
「うん、ちょっと来てみたくなった」

「まあ上り給え、ちょうど飯が出来る。朝昼兼用だ、食っていけよ」

「…………」

 辻は縁側から上った。土びんの中が煮立ってくると、無想庵は

そこへ味噌を入れた。

「あっ、茶じゃなかったのか」

「味噌汁さ、昆布でだしをとって、ついでにそいつが実ともなる。

どうだ、頭がいいだろう」

「おれにやらせりゃ、ぬたの一つもつくってみせるのに」

「空想の中ではどんな料理も出来るさ」

 無想庵は土びんを七輪から下ろすと、座敷へ持ち込んだ。残り火は

火鉢に移す。すっかり山の生活が身にそったような手つきだった。

「どうした、浮かない顔をしてるぞ」

 無想庵は箸をつけない辻にようやく気がついたようにいう。

「酒はないか」

「少しそこに残っている。一合もないね」(中略)

「神近が大杉を刺した。大杉は死ななかったそうだ」

「あっても不思議じゃないことだ」

 無想庵はそれで了解したというように、

「酒もいいが飯も喰い給え、うまいぞこの味噌汁」

という。辻は酒の入った湯のみを大切そうに薄い両の掌で

包んでいる。

「ここに来ていてよかったな」

 無想庵がいった。

「そういうことさ」

「大杉も悪運の強い奴だね。しかし女は怖いな、のぼせ上ると

何をするかしれやしない」

 無想庵は山に入ると何ヵ月でも新聞を見ようとしない。せっかく

山に入って、下界の猥雑なニュースなど一切聞きたくないというのだ。

 辻はズボンのポケットに入れてきた新聞の切り抜きを出さなくて

よかったと思った。

 無想庵は黙々と食事をつづけた。変な味噌汁もさも美味そうに

ふうふうふきながらすすっている。

 辻は一合に満たない酒で全身が暖まってきた。胸につかえていた

ものが、酒にとかされたように軽くなった。(*1)


 ふたたび瀬戸内晴美(せとうちはるみ 現在は瀬戸内寂聴(じゃくちょう))さんの「諧調は偽りなり」から引いたものです。


 比叡山の宿坊に蟄居(ちっきょ)していた辻潤(つじじゅん)さんのところに下界より手紙が届きます。愛しさゆえに教職まで振り捨てて一緒になり、子供まで生した伊藤野枝(いとうのえ)さんが大杉栄(おおすぎさかえ)さんのもとへと去り、深く傷ついていた辻さんだったのです。平静さと活力を取り戻すためには情報を遮断して翻訳にでもいそしんだ方が良いと考え、親友の武林無想庵(たけばやしむそうあん)さんを頼って緊急避難していたのだけど、自分を捨てたおんなと奪った男の近況を知らせる善意の手紙が追いかけてくる。開封して一瞥した辻さんのこころは瞬時に波立ちじっとしておれなくなって、少し離れて住まう親友を足早に訪ねたところです。


 大正時代の突出した思想家大杉栄さんはただ漫然と机上に思索を積み重ねるのでなく、自ら実践する道を模索しました。そのひとつが“フリーラブ”であり、改革と呼ぶよりは“実験”みたいな空気が漂って感じられるのだけど、その後しばらくして訪れた騒動が世に有名な“日蔭の茶屋”事件です。奔放な性格や直線的な物言いをする伊藤野枝さんに惹かれて関係を持った大杉さんを、経済的にも精神的にもずっと支えていた神近市子(かみちかいちこ)さんがいよいよ見過ごせなくなって、懐中に忍ばせていた短刀で刺して深手を負わせ逃走した事件でしたが、それを報じる新聞記事の切り抜きが手紙に挟まっていたのでした。


 おどけた風情で出現した“土びん味噌汁”は、蒼ざめ息を乱してやって来た男の硬く尖ったものをうまくかわし、またたく間に緊張をゆるりと解く役割を果たしています。情念とは遠く隔たった場処に住まっていることを認識させ、昂揚や興奮を沈静させていく。そんな味噌汁の特性をうまく捉えて、実に効果的に使われています。親友がお茶をすすりながら執筆に励んでいたらどうだったか、味噌汁でなく手酌で酒をあおっていたらどうだったか。違った風景や展開になっていたのじゃなかろうか。


 この「諧調は偽りなり」には、もうひとつ味噌汁へ言及した箇所が見止められます。上に引いたものと合わせ読めば、いかに作者の瀬戸内さんの内部で“味噌汁”を別格視しているかが分かります。それは単に瀬戸内さん個人の妄念ではなくって、僕たち日本人の誰でもが抱え込む巨大な、そして、延々と続いていく夢なんだと思いますね。

 
 宮嶋が山を降りる前、宿院で無想庵と三人、夜を徹して飲んだ

ことがあった。何のために生きるのかと、酔った頭で論じあって

いた。(中略) いつのまにか、愛だの、女だのという話に移っている。

辻も尺八を吹くのをやめて話に加わった。

「何だかだといったところで、心から愛し合う女がいないのは不幸

だ。それを酒でごまかし、更には金で買える女を抱いてごまかす。

ごまかしばかりの生活は絶望的になるのが当然だ」

「全くそうだ」

と辻が口をはさんだ。

「欲しいものは、全身全霊で愛してくれる女の愛だ。全部でなきゃ

意味がない」

「愕いたなあ」

 酔っ払った宮嶋が大声でいう。

「無想庵や辻潤がそんな甘いことを考えているとは、この叡山で

それを聞くとは……何がスチルネルだ、何が摩訶止観か、聞いて

あきれらあ」

「手めえなんか、相思相愛の麗子がいるからそんなでかい面を

しているんだよ」

「可愛い女房がいて、子煩悩で、どんなに外ではめを外して遊蕩

したところで、帰ればあたたかい味噌汁と女房のいる寝床の待っ

ている暮らしの中で、小説を書こうなんていう料簡が、そもそも

不埒(ふらち)なのだ」(*2)


 なんか変な論法ですねえ。捨てられたり、壊したりで面目を失った男ふたりが家庭を維持し続ける宮島資夫(みやじますけお)さんをやっかんで吠えている。酔った男の会話なんて所詮こんなものですが、愛するおんなと味噌汁が“あたたかい”という形容でしっとり粘着して一体となり、男においでおいでと手招きしているのが見えてしまう。なんとも言えぬ気分です。どう抗っても無駄な話と分かってもいる、僕たち男には所詮負け戦ですからね。そして男たちと対峙するおんなの皆さんも含めて、誰もが味噌汁の重力圏内で遊泳するしかないのでしょう。


 無理は禁物、どうぞ、ゆったりとこころ弾む遊泳を。浮き輪を持ったり、共に泳ぐ相手を励みとして長距離遊泳を続けていきましょう。今年も折り返し地点を過ぎましたね。後半戦を頑張りましょう。


(*1):「諧調は偽りなり」 瀬戸内寂聴 初出「文藝春秋」1981年1月号~1983年8月号 手元にあるのは「瀬戸内寂聴全集 第12巻」新潮社 2002 引用箇所はその514-516頁。
(*2): 同535-526頁 ちなみに辻潤さんの“辻”だけど、正しくは「辶」(しんにょう)の点が二つです。最上段の写真は前回でも紹介した映画「エロス+虐殺」の一場面。

2011年7月21日木曜日

和田竜「醤油 北条氏康に無茶苦茶怒られる」(2011)~そんな予測もできないで~



 しょっぱいものが大好きで、何でもかんでも醤油をぶっかけては

口に入れるので、一緒に食事をしている人を唖然とさせることも

しばしばである。(中略)従って、刺身を食い終えた後も、醤油は

皿の上にたっぷりと残っている。

「リョウ。昔の侍はな、食べ終わると同時に醤油もなくなるように

考えて注いだもんだ。そんな予測もできないでどうすんだ、お前」

 そんな僕の食癖に怒った父は、こういうイイ話をして、小学生の

僕を叱ったことがある。(*1)


 上に引いたのは和田竜(わだりょう)さんのエッセイの一部です。五ヶ月ほど前の新聞に載っていました。我が子の食卓での所作に目くじらを立てる、頑固っぽい父親が登場しています。小皿に注がれるわずかの醤油が気になって気になって仕方ないのです。同様の風景をどこかで目にした覚えがあるのですが──、そうだ、亡き父親を述懐する向田邦子(むこうだくにこ)さんの文章にもこれとそっくりの場面がありました。


 子供のころ、小皿に醤油を残すとひどく叱られた。

 叱言(こごと)を言うのはたいてい父であったから、父と一緒の食事で

醤油を注ぐときは、子供心にも緊張した。(中略)

「お前は自分の食べる刺し身の分量もわからないのか。そんなにたくさん

醤油をつけて食べるのか」

 早速に父の叱言がとんでくるのである。(中略)

 豊かではなかったが、暮しに事欠く貧しさではなかった。昔の人は

物を大切にしたのであろう。今でも私は客が小皿に残した醤油を捨てる

とき、胸の奥で少し痛むものがある。(*2)


 1969(昭和44)年生まれの和田さんのお父様と、向田さんの厳父とでは世代がまるで違います。育った環境も世相も当然異なっているのですが、顎のしっかりした面貌やらんらんと光って怖い眼(まなこ)が両者共に想像されて、僕にはまるで生き写しみたいに感じられるのです。


 和田さんの見立てによれば、お父様は戦国武将“北条氏康”の逸話に影響を受けていた気配なのだけど、同じことが向田さん側にも起こっていたかどうかは全くもって分からない。(*3) もしかしたら教科書のたぐいに長らく紹介されていて、ある年齢以上の人には耳にタコが出来るぐらい聞かされた説話なのかもしれない。調べれば調べられなくもないけど、正直言えばあまり触手が動かないですね、探る気力はありません。


 追跡不能の領域として謎は謎として残し、手をつけずにそっと箱に小田原北条氏は仕舞うこととして、けれど、およそ三十二年という長い歳月を越えて和田さん、向田さんお二人の“父親の記憶”が輪郭をするり重ねていく現象はとても興味深いことであり、気ままな想いをふわふわと馳せてしまう訳なのです。


 醤油の価格はピンきりです。1リットル換算で500円を越える、そんな高級品を使っている家庭は少ないでしょう。仮にそんな値段の品を使っていたとして、山葵(わさび)や脂(あぶら)にうすく濁って小皿に取り残されるのは多くて20ミリリットルでしょうから、やがて流しに捨てられる宿命の醤油はどんなに高く見積もっても、せいぜい10円程度にしかならない計算です。世の中には桁外れの吝嗇家もいてヒステリックに叫びまくる場面も確かにあるのでしょうが、ここでは単に金銭のことではない、もう少し別の湿った想いが宿っている。


 むらさきの液面の奥に潜んでいる仕事人の苦労──土を耕し、種をまき、雨に濡れ風に吹かれしながら、夏にはぎらぎらした直射日光に肌を焼きつつ穀物を育て上げ、重たい思いをして醸造家にようやっと手渡した後には、今度は蒸気や熱水と闘う汗と涙の仕込み現場に委ねられ、別の者が手塩をかけて醤油作りに励んでいく。一次産業であれ二次産業であれ、ものを創るという行為の蔭には想像を絶する対流や淀みがある。たくさんの人手と時間が費やされていく。


 そんな苦労の堆積を透かし見れずに、茫茫と背丈だけは育っていく子供の将来にいたたまれなくなり、彼らの“想像力の欠如”を補うべくしてついつい口が滑るのでしょう。眉寄せて浪費を叱っているのではない、いずれの日にか我が子が“食べ切ることの美しさ”、“始末のすがすがしさ”を体得してくれることを願っている。


 醤油の使い方をきっかけと為して人生や仕事への洞察力に磨きを掛けていく、その親から子への“直伝の時空間”がとても好ましく目に映ります。その役割がしっくりと男側、父親たちに結像していくのも大変興味引かれるところ。味噌(汁)に母性を思い、醤油に父性を覚える、そんなイメージの住み分けがあって面白いですね。


 紙面から切り取り、手元にずっと保管しながらも取り上げずに来たのは、もちろん大震災のためです。向き合うにはやや風情が硬く窮屈だった。それに、僕の惹かれて止まない艶やかな領域、つまりは恋慕や性愛、霊肉の一致する段階と食物との関わり方とはやや乖離したものにも思えて、どうにも弾みがつかなかった、萎えてしまった。


 ところがここに来て事情が変わりました。“節電の夏”の到来です。ご承知の通り、大口需要家の皆さんの創意工夫により計画停電の実施はこれまでありませんが、家庭に職場に節電に努め、僕たちもまたこの特別な夏に立ち向かっています。そこでふと和田さんのエッセイが思い返された次第なのです。


 余分なものを溝(どぶ)に捨てることのないよう“予測”をしながら物を選び、電気を上手に使い、身の丈に応じた暮らしをする。“昔の侍”のように“美しく使い切る”、そんな暮らしぶりを僕たち3.11以降の列島居住者は求められている。


 「繁栄」という言葉には、無駄や不明瞭さを帯びる「繁雑」にどこか通底する感じがあります。得体の知れぬぐにゃぐにゃの尾ひれが付き纏っていく。そのようなわけの判らないものでなく、努めてシンプルに、所作ひとつひとつに“美しさ”を宿しながら、この不安な時期を乗り越えていけたらいいと願います。

 花を愛で、着実に学び、そうして堅実にこの夏を暮していきたいものです。


(*1):和田竜 「醤油 北条氏康に無茶苦茶怒られる」 朝日新聞 2011年2月19日 持ち回り連載「作家の口福」欄に寄稿されたもの 
(*2):向田邦子 「残った醤油」 初出は「新潟日報」1979 エッセイ集「夜中の薔薇」(講談社1981)所載 僕の手元にあるのは後年出された文庫版 上記画像も
(*3):和田さんのエッセイでは、北条家の食事で問題視されたのはご飯にかけられた“汁”の量であったと紹介されています。家督を譲り隠居の身となった氏康が息子の氏政と食事をしていたところ、汁がけを二度所望した様子を見て目先が利かぬ男と判断、北条家の行く末を深く案じた、という内容です。“汁”と醤油ではずいぶん趣きが違うが、この話をかつてインプットされたお父様が和田さんの癖を正すために引き合いに出したのらしい。蛇足ついでに書けば、この北条家の逸話に関しては本によって細部がまちまちであり、たとえば青木重數(あおきしげかず)さんの著した「北条氏康」(新人物往来社 1994)においては“汁”ですらなく湯漬け用の“湯”となっています。いずれにしても“昔の侍”が醤油の使い方で揉めて場が騒然となった訳ではないみたい。なんだか拍子抜けだなあ。安堵と物足りなさが交ざった気持ちです。

2010年12月1日水曜日

平岩弓枝「女と味噌汁」(1965)~忘れられなくってね~



「そんなに亭主をとられるのが怖かったら、とられないように

ダンボール箱にでも入れてしまっといたらいいんだわ。

妻だ、妻だって、えらそうにいうけれど、妻なんてなによ、

ご亭主からしぼれるだけ金をしぼり取って、女であることを

売り物にしてるんなら芸者とどこが違うのよ……。

自分の亭主が他の女のアパートに泊まって、熱い味噌汁を食べて……

こんなうまい味噌汁食ったことがないなんて言わせておいてさ……。

あんた、恥ずかしくないの……。同じ値段のお茶を、熱湯で煮出し

ちまって……うまいものをまずくして飲んでるような、むだだらけの

暮らしをしてさ、それで、なにが主婦よ……なにが妻よ……

馬鹿馬鹿しい……妻なんて女の屑じゃないの……」(*1)


 いやはや……。文庫本の奥付を見ると昭和61年2月の第11刷とありますから、買い求めてから二十年もの間放っておいたことになります。先日劇場で目にした映画(*2)で先入観をすっかり洗われたこともあり、とうとう読了いたしました。


 若かりし日、数頁読んだところで本棚に仕舞ってしまったのはひとえに僕の経験値の低さ(花柳界も男女の秘め事も、夫婦の倦怠も老いに対する不安も、そして仕事に関する鬱積も実感していなかった。まあ今でも知らないことは多いけど──)が原因なのですが、そこかしこに過剰に作り込まれた感じがあって鼻白むというか、何か論点をはぐらかしているような妙な乖離感がぬぐえずに物語に没入出来なかったせいもある。今回はそれを面白がる余裕も育っていました。なんせ二十年、それなりに堆積するものはあった訳だね。


 酒席で接客する女性がいて惚れる男がいる。互いに夢を描くようになりますが、周囲がそれをかたくなに許さない。ありがちな状況の中に作者の平岩弓枝(ひらいわゆみえ)さんは味噌、日本茶、漬物といった“伝統食”や下駄といった“職人文化”へのまなざしを導入するのでした。


 いざなぎ景気で街の様相がどんどん変わっていく。次々と洋風化する中で見捨てられつつあるそれ等を懸命に言葉尽くして擁護する訳なのだけど、もちろん此処での“古き良きもの”は意図的に登用されているのであって、主人公の “芸者”という職業と二重写しになるよう寄り添っている。そのたくらみは分からないでもないし面白いけど、やや空転気味というか、強引な感じを受けます。破綻まではいかないけど、空中分解気味の顛末が多い。


 こんな場景があります。“てまり”こと室戸千佳子が自宅のアパートにいると、茶色のスーツに身を固めたおんなが一人訪ねて来ます。先日泊めてやった男、桐谷の妻なのでした。睨み合いと言葉の応酬(最上段はその一部)の末にどうなったかと言えば、千佳子が苦労人であることが分かり、味噌汁や日本茶をうまく出すコツを伝授されると「あなた、えらいわ」「奥さんていい人ね」と「二人は顔を見合わせ、眼の奥で笑った」後ですっきりとお別れするのでした。う~む、とっても不思議。


 対する男たちも奇妙な言動を繰り返します。「こんなうまい味噌汁ははじめてだ」(*3) 、「死んだ女房も味噌汁のうまい女でね……」(*4)、「姉さんの作った味噌汁の味が忘れられなくってね……」(*5)。無理やりに男とおんなを味噌汁で接着して見えます。探せば世の中にはそういう輩もいるのかもしれないけど、なんかやだなあ、そんな言葉普通は出ないよ。僕個人の目からすればかなり異常な事態です。人間の魅力はさまざまであるから、もしかしたら味噌汁一杯でめろめろに酩酊させ、足元にひれ伏させる魔術を体得したおんなもいうかもしれないけど、ちょっと苦しい展開だよね。


 祖母に教わった「お茶のおいしい入れ方……味噌汁のおいしい作り方」が自身の肌に合い、朝も夜も「おいしいんですもん」と味噌汁を作り続ける千佳子なのだけど、泊めてやる男たちに思いのほか好評なのを自覚していくにつれて勢いづいて行きます。「この男も、やっぱり同じことを言った」(*6)と内心してやったりと思うにとどまれば自然なのだけど、「どこの家でもパン食みたいな簡単な食事するらしくって、男の人、みんな味噌汁やおいしい御飯に飢えてるって感じよ」(*7)と解析を深め、ライトバンを改造した味噌汁屋を遂には始めます。「味噌汁は私のとっときの技術ですもの、生きる砦ですからね」、なんて啖呵も切ってしまう。


 実行力はひたすら眩しいし、このような不景気であれば大いに見習うべき迫力。でも、「私、いま味噌汁屋をやっているんですけど、結構お客さんあるのよ、日本人はやっぱり日本の味が忘れられないんじゃないかしら……」(*9)と、そこまで風呂敷を大きく広げられてしまうと何か薄気味悪くさえなるのです。おんなひとりの外貌以上の大きなものを平岩さんは見極めようとしている。


 足掛け十五年に渡って回を築いた池内淳子さん主演の同名テレビドラマが物語るように、僕たちはこの芸者“てまり”を中心とする人情劇がどうやら大好きです。特定の年齢性別に支持されての結果でなく、家庭全体として好ましく思って次の展開を待ち望んでいた。誰も拒絶しようとは思わない。誰も不思議と思わない。


 その背景に何があるのかを“味噌汁”を軸にして捉え直してみれば、なんとなく輪郭が定まるものがあります。たとえば、家庭という日常を離れてめくるめく情事を夢見ながら、その相手には家庭(母親、祖母)の味をいつか求めてしまう男たち。そういう乳児さながらの思考ゆえに簡単に手玉に取れる存在と男を見取っていくおんなたち。そのように不甲斐無い自らの様子を呆れ顔で受容するおんなたちを、さらに利用しようと増長する男たち。


 たとえば、時代の流れのなかで劣勢に陥ったものを無条件に愛してしまう日本人の判官贔屓の凄まじさとおんなたちの血から血へ滔々と流れ続ける慈愛の能力。味噌汁、日本茶、漬物といった伝統食を愛する人間を単純に好ましい相手と感じる排他的で籠もりがちな思考回路。


 たとえば、外界と家庭との境界杭である味噌汁に飽きてしまった者と夢を抱く者とで綱引きが起こり、結果的にぼやけていく境界線。恋情の根が世界を跨いであちこちに拡がることを断罪できずに受忍に走っていく曖昧な国民性。


 日本人特有のエロスが味噌汁椀のなかでコロイド状となって上になり下になりしながら舞っているような、そんなイメージが湧きます。そんな意味では奇妙で知的、刺激的な官能小説だったと思うのです。


(*1):「女と味噌汁」 平岩弓枝 1965 初出は「別冊小説新潮」 手元にあるのは集英社文庫 1979(第11刷) 最上段の千佳子の言葉は33頁にある。
(*2):「女と味噌汁」 監督 五所平之助 1968 映画版は原作のエピソードをうまく組み上げているだけでなく、交わされる会話もほぼそのままだったことが分かります。上段のスチールも。
(*3):集英社文庫 6頁 以下すべて同じ文庫本より
(*4):96頁
(*5):115頁
(*6):6頁
(*7):37頁
(*8):41頁
(*9):168頁


2010年11月30日火曜日

池内淳子「女と味噌汁」(1968)~ぴんしゃんして~



 池内淳子(いけうちじゅんこ)さんがこの九月の終わりに急逝されました。死を悼む報道の多くで最初に掲げていたのが「女と味噌汁」でしたね。彼女の面影がこの奇妙な題名のテレビドラマ(*1)によって深く刻まれていた(らしい)。


 僕は池内さんをよく存じ上げません。いや、いくらなんでも顔や声はわかります。ご多分に洩れず茶の間でずいぶん刷り込まれた口だけど、遠い存在と思っていたというか、偶然同じ電車に乗り合わせたひとりひとりを記憶しないと同様、ぼんやりした印象を抱いてこれまで来てしまいました。


 男女間のかけ引きが主体となる花柳界のお話です。どうも親に“してやられた”感があります。そっと池内さんを陰で楽しんで、子どもはうまく遠ざけていました。平岩弓枝(ひらいわゆみえ)さんの原作(*2)も肌が合わず、自らの手で片隅に追いやっていたところがあります。そんな訳で池内さんと「女と味噌汁」は僕のなかではまるで結び付かないままだったし、(こんなブログを書いているのに関わらず)足跡の見えない処女雪みたいなもので、むやみに眩しいままにあり続けました。


 銀座の映画館で池内さんの追悼上映が連夜催されていて、丁度うまく具合に時間が取れました。テレビの方でなく“映画版”になりましたが、因縁の作品(*3)を観てまいりました。


 赤ちょうちんひしめく地下街の、やや奥まった場処にある小さな劇場です。傾斜の強い階段を何段も下りていかなければなりません。蛍光灯がぞんざいにコンクリの天井と地面を照らし、妙に切ない気分を煽っています。昭和の薫りが漂う、今となっては貴重な劇場ですね。ちょっと謎めいた感じのする息抜きとなりました。


 劇中“不景気”という言葉が飛び出しはしますが、いざなぎ景気の只中です。夜の飲食街はほろ酔い気分で腕組み歩くアベックで溢れ、陽が昇れば工事現場の建設機械が槌音(つちおと)をがんがん響かせていく。警笛を鳴らす車が行きかい、排気ガスと粉塵で薄っすらと背景は煙っていきます。
勢いのある作品です。

 
 そんな世間の喧騒からはやや隔絶した感じのする男女が幾人か登場し、人生の節目に面して思いあぐねてはついつい歩みを止め、呆然と立ちすくんでいくのでした。池内さん演じる苦労人が彼らを見守ります。そっと唇噛んでその背中を見送りしながら、これからの自らの針路を徐々に固めていく。
 

 なかなかの存在感を池内さんが示して、またこちらの心情もさらりと受け止めて見事です。窓が大きく開け放たれている印象があります。主役を張るだけの清楚な美人ですから、もちろん熱烈なファンも擁していた。例えば作家で批評家でもある虫明亜呂無(むしあけあろむ)さんはこんな狂熱的な賛辞(これは明らかに恋文ですね)を当時贈ってもいます。あれこれ拙い言葉を並べるよりも、その一部を写した方がきっと池内さんも喜ばれるでしょう。


 古風で、ひっそりと息づいて、いつも笑顔で人のいうとおりに

なったようで、根は片意地で、きりりんしゃんと自分を保ち、

それでも結局は、大きな目にみえないものの力に流されてゆく。

そのような典型的な日本女性の雰囲気が、彼女から感じられた。

そうした女の味をだせた──下劣な表現だが、男がどうしても

心を乱さずにはいられなくなるといってもよい──女優は、

戦後の日本映画界をつうじて池内淳子ただひとりしかいなかったと

断言してもよいくらいだ。(中略)


 東京風の和服が似合って、動作がぴんしゃんして、

颯爽(さっそう)とした残り香が襟のあたりから漂ってくる。

いなせな気っぷの持主だと想像させる。乾いて、あかるく、まわりを、

ほのかな女の味で、料理しあげる腕と才と知恵を身につけている。(中略)


 美しいひとであるが、池内さんには女の湿った執拗さは、

ひとかけらもない。むしろ男の無頓着さと共通した「乾き」が、

このひとを一層、美しくしてみせているようである。宿でも,

立居動作が透明で、一層なまめかしく、艶にして、妖であった。(*5)


 劇中の役柄と同一視してはいけないでしょうが、いちいち頷かされるところがあります。「四代にわたる江戸っ子が自慢」という家に生れて自然に身についたものでしょうね。作って作れるものではない。


 僕は友人に生粋の江戸っ子をたくさんは持たないけれど、なるほどさっぱりとした気風や美意識は重なって見えます。乾いていながら虚無というのでなく、叩けばコンコンと軽快な音が帰ってくるような身の詰まった内実の、それでいて浮力具えた容姿やいでたち、えも言われぬ色っぽさ、ハハハ、と声上げて快活に笑う彼ら江戸っ子の折々の姿を懐かしく思い出しながら、いつしかこちらにも伝染して温かいものがふわり灯っていく気分。人がひとに勇気付けられる、その不思議を想います。


 まあこっちはこっちで年季が入って身についちまったものがあり、同じ仕草という訳にはいかない。池内さんや江戸の友人のようにはいかない。うつむいて目を細め、ウフフ、ウフフと笑うしかないのだけど。

 現実味がどこか乏しい惚(とぼ)けた風情なのだけど、いろいろと考えさせられる時間となって僕には悪くありませんでしたよ。




(*1):「女と味噌汁」 TBS系列 東芝日曜劇場枠でシリーズ化 1965─1980 
(*2):「女と味噌汁」 平岩弓枝 1965 初出は「別冊小説新潮」
(*3):「女と味噌汁」 監督 五所平之助 1968 共演は川崎敬三、田中邦衛、佐藤慶、田村正和、長山藍子、山岡久乃ほか。監督の五所さんはインタビュウに次のように答えています。「東京映画から一本やれと言ってきまして。テレビでやっているのを映画にするのはいやなのだけど、映画のほうが面白いということを見せようと思って。これを引きうける理由のひとつとして、池内淳子さんと、いちどやってみたいという気持ちがありました。(中略) ひとつ、やってみようじゃないかと。」(*4) なるほど意気込みが伝わって来ます。緩急自在で軽妙、それでいて湿度もほのかにあります。楽しみました。この映画で「女と味噌汁」に逢えてほんとうに良かったな。
(*4):「お化け煙突の世界 映画監督五所平之助の人と仕事」 佐藤忠男編 ノーベル書房 1977 215頁
(*5):「女が通り過ぎる」 虫明亜呂無 「仮面の女と愛の輪廻」 清流出版 2009 所載。初出は「小説新潮」1969 4月号。 

2010年11月17日水曜日

和泉式部「和泉式部集」(1003)~惜しからぬ~



   花にあへばみぞつゆばかり惜しからぬ

   あかで春にもかはりにしかば


 最終の新幹線に乗りそこねてしまい、とある街で途中下車をいたしました。幸い宿は見つかって温かく一夜を明かしたのでしたが、そのまま帰るのもなんだかツマラナイ、ここで降りた意味もきっとあるだろうと美術館まで足を運んでみました。地方の美術館は広いフロアを独占出来たりするから好いですよね。津田一江さんという作家の構図や色使いなど面白く、他の日本画や洋画も興味深くて悪くない時間でした。


 隣接した図書館内を歩くうちに目に飛び込んだ背表紙があります。立ち読みすると何箇所か惹かれるところがありました。“みそ”の本(*1)にしては人間のこころ模様に踏み込んでいて愉しかったのだけど、それはきっと著者のひとり永山久夫(ながやまひさお)さんが色っぽい人だからでしょうね。だってこんな歌も一緒に添えられているんです。

   あらざらむ此世(このよ)の外(ほか)の思い出に
   

   今ひとたびの逢う事もがな

 “死んでからのあの世の思い出に、あなたともう一度でいいからお逢いしたいものです” ほとばしる熱い想いがしのばれ、体感温度が二度ほど上がったように思えます。そんな恋する歌人和泉式部(いずみしきぶ)が“みそ”の歌を残していた。それが冒頭に書き写したものです。永山さんたちの視線は単なる歴史上の記述を紹介するのでなく、もう少し奥まった部分へ僕たちを誘っている。


 別の本を参照に引けばこの歌は「1003年ごろに成立(*2)」とあります。その頃に味噌の原型となった発酵食品があったことも驚きですが、組み込まれているのがこれもどうやら恋歌らしいのです。嬉しい発見です。


 二月頃、味醤(みそ)を人のもとに贈るときに(二月ばかり みそを人かりやるとて)歌われたもので、永山さんたちは次のように訳してみせます。“あなたのような素敵なお方のためなら、私が大事にしている味醤(現在でいう味噌)を贈っても、少しも惜しくはありませんわ” 素敵です。そして、何という重大な役回りか。現在の味噌では起こりえない、あまり見られないことが記録されています。


 同じものを食べるという行為は恋情や思慕、友愛、慈愛といった“魂のこと”へと連なっていきますよね。古(いにしえ)からの風習はレストランでの会食やバレンタインデイや七五三での菓子の贈答という形で脈々と受け継がれ、千年のときを超えて今も僕たちの文化に健在です。日毎夜毎に“食べること”と“想うこと”を寄り添わせて僕たちは暮らしています。


 そこにかつては“みそ”もあったという事実に驚かされるのです。今そういう事、つまり“みそを贈ること”をやっても冗談と受け取られるだけかもしれない。下手するとあきれ果てられ、絶交されてしまいそう。でも、千年の時空を(気持ちのうえで)ひと跨ぎすれば、みそを食することは愛することと直結している。僕たちはすべからく“みそ”を介して愛し合った者たちのDNAを継いでいるのです。そう想うとちょっと温かい気持ちになります。


 真夜中の淋しい途中下車でしたが、こうして和泉式部に逢えたので良かったように思います。人間、気の持ちようですね。

(*1):「みそ和食」 永山久夫 清水信子共著 社団法人家の光協会 2001
(*2):「みそ文化誌」2001 466頁

(追記)
本日、アンジェラ・カーターさんのエッセイが載った古い雑誌を奥の書庫から持って来てもらう間、図書館のカウンター付近をぶらついていたら「和泉式部─和歌と生活」(伊藤博著 笠間書院 2010)という背表紙が目に止まりました。早速この歌についての解説を探すと、こんな風になっています。

「みぞ」は、「身ぞ」と「味噌」の掛詞。(中略) 花に出会うと、我が身のことなど少しも惜しくありません。満足できずにいるうちに、季節は春に移り変わってしまいましたので─あなたに大切なお味噌をさしあげますが、少しも惜しくはありません、と詠み添えている。「みそ」が詠まれている例を、他に求めることはむずかしい。これも、和泉式部ならではの自在なことばづかいなのであろう。

なんて情熱的な歌か。ここでは自身と味噌が像を重ねているのも素晴らしいこと。こんな想いをこめられた味噌を贈られた相手がうらやましいし、そこまで言わせる“花”と出逢えるのも素敵
。(2011.11.28)




 さて、気の持ちようで
思い出すのだけど、十月の末から十一月の初旬、だいたい日本シリーズとか学園祭の時期なのだけれど、どうやら秋草の花粉が僕を襲っているらしい。飛び回る花粉なんて見えやしないし、医者に行きパッチテストしてもらって確認した訳じゃないけど、多分きっとそう。毎年毎年おなじ具合に、重苦しい時間を半月ほども過ごしてしまうのです。そのときの思考回路はかなり壊れているんですね。

 この頃では受け流す術も体得できた感じでいるけれど、若い頃はひどいものだった。いたずらに天を怨み、休日には家や下宿にジッと籠城し、そんな自分の不甲斐なさを責めては悶々と悩んでおりました。“気の持ちよう”という言葉をもうちょっと腹に据えられたなら、あんなに鬱々と暮らさずに済んだものを。


 今年もそれは来てましたね。ささやかな解放感をいま感じつつ幽囚の日々を振り返って見れば、やはり人間の精神の変調とは“奇妙でおかしなもの”だと映ります。


 先人や作家という存在を含めて誰にでも“心の支え”と頼む人がいると思うのですが、こんな僕にも得難いひとが幾人かいてくれている。とても有り難いことです。ところが、あの猛暑のさなかに手紙の表現をめぐってギクシャクした行き違いが生じてしまい、軽率だった筆の走りを大いに恥じて猛省する夜を堆積させていくうちに例の晩秋が押し寄せてきた。 めげた気分を花粉が襲った。


 仕事を終えて屋外に出たとき、天空に月を探し仰ぐのが僕の楽しみのひとつですが、あの行き違い以来、空はいつも雲に暗く閉ざされて月の姿はどこにもないのです。翌日もその次の日も僕の前に月は現れず、それが一週間二週間と続くうちに、これは“必然”じゃなかろうかと納得してしまった。村上春樹さんの小説「1Q84」みたいだけれど、本当に僕の前から月が消えてなくなったかのように思えました。


 これからの残りの生涯、僕は月を見れないのじゃないか。いや、これまで妖しく変わっていく白い球体を夜毎仰ぎ見ることが出来たこと、そうして(恩人たちとこころの奥で)「こんばんは」と挨拶を交わし無事を祈っていた日々そのものが霊的な作用、神がかりの恩寵に他ならず、もはやそんな奇蹟の時間は僕から未来永劫去っていって、黒雲が空をすっかり閉ざし続けるに違いない! 


 とんでもない間違いを犯した報いだと茫然として佇み、唇を噛みながらのっそりした闇に包まれていた。


 馬鹿じゃないの、ただ天気が悪かっただけじゃん。でもね、本当にそう思った。人間とはそこまで狂ってしまう、思い込んでしまう困ったものなのです。心と身体はふたつの車輪。どちらかが傾げば道を外れてしまう。


 おとといの夜、そして昨夜、さらに今夜と月は浮かんでいます。まばゆいその光を見つめながら、魂の姿勢ひとつで世界は顔をかえていくことを再認識しました。空気は日増しに澄み渡って、樹々たちは葉を落として深く眠ろうとしています。花粉の乱舞も終わりに近付いた。さあ、倦怠はお終い。歯車に油を注してもうひと踏ん張り致しましょう。


 代わって風邪やウイルスが跋扈する時期ではあるけれど、忙しい年末の後にはきっと素敵な新年が待っているはず。どうか皆さんうがい手洗い励行してお元気にお過ごしください。


 こころから無事と活躍を祈っています。

2010年10月19日火曜日

高瀬志帆「恋の秘伝味噌!」(2002)~フザけんなー~

 
 高瀬志帆(たかせしほ)さんの「恋の秘伝味噌!」(*1)は、かいつまんで書けばこんなお話です。

 
 結婚に踏み切れない男の気持ちをおんなが探っていくと、それが実家のホルモン屋の窮状に関わることが分かってきます。狂牛病騒ぎで多額の借金を負った店主(男の父親)が継続を諦めかけており、それを見かねて会社勤めからの転進を図ろうとする。債務を背負っての再出発に愛しいひとを巻き込んでいいのかを思い悩み、打ち明けられぬままに時間が過ぎていく。

 それを知ったおんなは「フザけんなー」と啖呵を切り、店に乗り込んで配膳の手伝いを始めます。焼鳥屋として改装なった狭い店でささやかな結婚披露宴が行なわれ、気のおけない友人たちの祝福を受けて喜色満面のふたりなのでした。



 “結婚”をテーマにした雑誌(*2)に掲載なったものらしく、あとがきに筆者は「ククリに苦しんだ末、イカれた話に」なったと明かしています。単行本には5篇収められていて、どれもこれもがうら若き男女の恋愛譚なのだけど確かにいちばん空転した印象を抱かせます。ほかの収録作の放っている治まらぬ動悸、汗まみれの切実さ、荒々しさと比べていかにも優等生っぽい仕上がりです。


 死に至るまでが旅の途上にあり続ける“魂のこと”を、結婚をゴールと断じて集束していくことに違和感が生じるのだし、土台無理があるのですね。山なり谷なりの起伏が結婚に至るみちすじにはあるものだし、感情の衝突、計算、逡巡もあれば諦観もあって平坦なものでは決してない。“しあわせな”という冠が付いた結婚を描くとすれば、なおさら紙面なり文章をたくさん割いて向き合わないといけない。それを作者の高瀬さん自身が誰よりも先に気付いている、気付いていながらもペンを走らせねばならない。因果な商売です。


 代々受け継がれた“味噌タレ”にしても二つの魂の行方を変針させるには役不足であり、その肝心な部分を共感できない僕のこころは一向に波立たないのでした。ずいぶん前に買い求めた本であったのだけど、これまでこの日記に取り上げなかったのはこの“味噌タレ”がピンと来ないからでした。


 では何を思ってこの場に載せようとするかと言えば、興味深い絵が単行本の表紙を飾っているからなのです。これがなかなかの“みそ汁”で記録に値する怖さ、面白さです。


 華やかな晴れ着に飾られたおんなが小振りのお椀を胸元に掲げている。褐色のどろっとした液体が覗くその中に、白色のキュービックが3個浮き沈みしている。無理をすれば汁粉(しるこ)に見えなくもないけど、桃色に縁取られたタイトル文字との兼ね合いから言って十中八九これは豆腐の“みそ汁”です。そして、今まさにその“みそ汁”の器から汗だくになりながらひとりの男が這い出ようとしているのだったし、悲鳴を上げたり、転倒しながら一目散に逃げ出そうとしている若い男の群れが手前に配されている。


 おんながキングコングほども巨大なのでなく、男たちが矮小化されている。右往左往して逃げ惑う男たちを睥睨するおんなは、間もなく緑色の箸をぞわり動かして男の身体をつかみ上げ、ぶわっと裂け開いた唇の奥の奥へと押し込むに違いない。


 よくよく観察すればこの表紙画は、カバー裏の中央を飾るおんなの横顔と一対になっています。素裸にエプロンを羽織ったおんなが手に持っているのはオタマであって、これはおんなが“みそ汁”調理の只中にあることを示しています。

 金属質の輝きを放つオタマのへりを下唇にじっとり押し当てたおんなは、薬にやられて虚空を睨むベット・ミドラーさながらの洞穴(ほらあな)みたいな眼つきになっており、完全に幻影の虜(とりこ)です。おいおい…



 男とおんなの恋情をめぐる、喰うか喰われるかの駆け引きが象徴的に表されていると共に、女性が内側に潜めている肉欲、支配欲、観察眼、非情さ、たくましさが乱反射しています。“みそ汁”に託されがちな家庭の団欒、おんならしさ、母性を蹴散らす勢い。間違いなく「魂の食べもの」として登用された“みそ汁”が、白い湯気を昇らせながら中空に浮かんでいるのですが、ここまで妖しく色めいて描かれることは稀有なこと。


 怖いですねえ、作者の高瀬さんも、これを当たり前の漫画として頷く女性たちも。
 ほんとうに怖い、怖いけれど愛しい、困ったことながらそう思います。


 所詮、男は食べられる宿命、なのかもしれないですねえ…


(*1):「恋の秘伝味噌!」 高瀬志帆 2002 同題単行本 大都社 2003 所載 
(*2):「結婚しようよ」 ぶんか社 2002 詳細不明 

2010年7月8日木曜日

奥浩哉「め~てるの気持ち」(2006)~からくないですか?~



 奥浩哉(おくひろや)さんは戦術に長けた作家です。ひとの情念が“食べもの”を起点としてはげしく隆起するのを承知し、そっとメニューを変更する。読者にもたらす心理的な効果をさりげなく増幅してみせるのです。それが「GANTZ(ガンツ)」(*1)という作品に垣間見れた訳だけれど、同じ時期に別な雑誌に掲載されていた漫画「め~てるの気持ち」(*2)にも“食べもの”が意識的に登用されていたことが視止められます。


 十五歳の時分から実に十五年間も自宅に引きこもってしまった青年“慎太郎”を主人公とする小品です。父親の小泉安二郎は定年を間近とする会社員で、妻の死後、部屋に篭(こも)り切りになった息子の面倒をずっと看て来ました。開幕してすぐに安二郎は大病を患いあっけなくこの世を去ってしまうのですが、後妻となっていた“吉永はるか”という若干二十三歳の娘が、今度は安二郎に代わり義理の息子の自立を促がすために一念発起いたします。


 若く美しい義母が突如出現し、異性との接触をまだ知らぬ容姿端麗な男子のこころを氷解させて広い世界に導いていくというストーリーラインは取り立てて目新しいものではないのだし、枠にはまって見える娘はるかの言動や物腰を同姓の読者が目にすれば、きっと憤懣やるかたなく、大きくチッと舌打ちするに違いない。まあ、正直言えば読んでいて苛立ちを覚えもする場面が目白押しの困った漫画です。


 けれども、顛末のあちらこちらにさりげなく“食べもの”が顔を覗かせ、僕ら読み手の共振を巧みに誘ってくるところは技術的にとても面白くって、結局最後まで読み切ってしまったのでした。


 例えば、慎太郎より恋慕の念を告白されて動揺したはるかが、衝撃の余りに満足な調理が行なえなくなり、おかずもなく、箸さえも添えられていないご飯と味噌汁だけの奇妙な朝食を配膳してしまう件(くだり)(*3)などは、まさにこの劇が“食べること”と“精神”とを二人三脚と為して歩んでいることを如実に現わしていましたし、劇の終わりにようよう自立を果たした慎太郎が、終に摑み取った職業が食堂(ラーメン店)であったことも意味がある訳です。堂々たる背骨がまっしぐらに物語を貫いている。しっかりと練り込まれ、丁寧に構築されているという感触を抱きます。


 父親が毎日自室に運んでくるコンビニエンスストアの弁当から始まり、さまざまな“たべもの”が列を為して劇中に現れては消えていきますが、「和食全般で、普通に焼魚とかお味噌汁とか納豆とか…」(*4)──が好きなはるかが登場したことも、だから偶然ではないのだし、自室に立てこもった慎太郎と扉越しに食事をしながら、「どうですか?お味噌汁、からくないですか?」とはるかが廊下で声を張り上げる辺りも相当に煽動的。僕たちの懐(ふところ)の奥深くで“共振”を誘発せんと目論む作者の深意がびんびん伝わってきて、妙に可笑しくなってしまうし、また臆面なく仕掛けてくる情熱には感心もさせられる。(*5)


 ここでの味噌汁には明確に“母親”“母性”が重なっており、これもまた定型でありきたりのものなのだけど、同じ旋律を飽くことなく奏で続ける頑固なピアノ弾きか粘り強い歌い手みたいな雰囲気が作者の奥浩哉さんには感じ取れるのです。またかよ、しつこいなあ、と唇の端で笑いながらも、いつしか根負けしてしまう。


 唇をつぐみ頬づえを突きながら耳をそばだて、本気になって聞き入っている自分に気が付き驚かされる、そんな流れなんですね。こういう書き手も出て来てるんだなあ、まったく油断できないし、嬉しいなあ。


(*1): 「GANTZ(ガンツ)」奥浩哉 2000年~ 「週刊ヤングジャンプ」(集英社)連載
(*2): 「め~てるのきもち」奥浩哉 2006‐2007「週刊ヤングジャンプ」(集英社)連載
(*3):第12歩「他人のことも!」 第2巻所載 
(*4):第9歩「言える!」 第2巻所載
僕はここで、石井隆さんの映画のなかに時折顔を覗かせる意味深な“階段”を連想しました。神は細部に宿る。“情念”と“世界”とがニワトリと卵のような関係になっている、要するにそういう造り込まれた世界が好きなんだよね。 
(*5):第8歩「めちゃくちゃ」 第1巻所載 

2010年3月28日日曜日

上村一夫「同棲時代」(1972) その1 ~上村一夫作品における味噌汁(12)~


今日子「次郎……  次郎…あたし……

    あたし…戻れるかもしれない……」

次郎 「…(内ポケットから煙草を出しくわえ、今日子にもすすめる)」

今日子「ありがとう……(火をもらい)」

次郎 「…(瞬間視線が交差する)」

今日子「次郎……」

次郎 「ん?」

今日子「夜明けね……」

次郎 「うん……」

今日子「いつかもこんな朝があったわ……」

次郎 「…」

今日子「ねぇ 次郎 熱い味噌汁が飲みたくない?」

次郎 「熱い味噌汁か… そうだな 身体が暖まるだろうな」

今日子「ねぇ うちへ来ない?ごちそうするわよ」

次郎 「きみんちへ?どうして?そんなことできるわけないだろう」

今日子「いいえ かまわないわ 行きましょうよ」

次郎 「しかし………」

今日子「父と母のことなら心配しないで あたしの覚悟はできているの」

次郎 「熱いみそ汁…… 行くか!」

今日子「そうよ 行きましょう(ベンチから歩き出す)」

次郎 「(きびすを返して)いや……」

今日子「どうしたの?」

次郎 「やめとこう」

今日子「なぜ?」

次郎 「きみが作ってくれる味噌汁のことを思うと ぼくはたまらない……

    それを飲んだら ぼくはどんなにか身体も心も暖まるだろう……

    だけど こいつをよく覚えとこう この感じを……」

今日子「……」

次郎 「この寒さをよく覚えとこう…… 今 この寒さとひもじさに

    耐えられたら このさき何にだって耐えられるかもしれない……

    そんな気がするんだ」

今日子「次郎……」

次郎 「いい天気だ」

ト書き(一晩のうちに苦しみがすっかり薄らいでいるのを次郎は感じた

    しかしそれは また今朝だけのことで長い年月のうちには

    傷がどす黒い血を噴き出すのかもしれないと 次郎は思っていた──)(*1) 




黒い表紙の本(*2)を台所まで持っていき、ガタゴト食器棚から“はかり”を出します。試しにどのくらい目方があるかと量ってみたところ、針は330グラムを指しました。そんなものかと驚きました。僕にはとても重く感じられますから。ずんと胸に響いてしまい頁をめくるのが苦しい、しんしんと肌寒いものがこの本にはあります。



上村一夫(かみむらかずお)さんの「同棲時代」は1972年の3月から翌年11月にかけて連載された劇画で、氏の代表作とされています。映画やテレビ(*3)にもなり、上村さんが作詞し大信田礼子さんが歌ったレコードもヒットしました。



“同棲”という言葉を猥(みだ)りがわしいものから身綺麗な感じに変え、多層なイメージを世間に流布する役割を果たしました。しかし、映画であれドラマであれ、原作劇画の外貌をなぞったに過ぎない甘い内容となってしまい、ほとんどの人は主人公今日子と次郎の旅の完結がいかに凄惨なものであったかを知りません。原作の抱える硬さ、険しさは十分には知られていない。 (*4)





 まして、その幕引きの瞬間、男と女の会話に“味噌汁”が顔を出していたことを、まず十人にひとりが憶えていないか、まったく知らないのじゃないかな。


僕がその“味噌汁”に惹かれてずっと来たことは先に書いた通りです。最後に「同棲時代」をいま一度だけ読み返しながら、今日子と次郎、ふたりの会話の深層に触れて行こうと思います。と言うよりも、これまで上村さんの作品を読み進めた内容を薄絹のベールのようにそっと上に引いた会話に重ねてみれば、ごくごく自然に、無理なく何がひと組の男女に起きていたのか、分かっていくように思われますね。


ちなみに「同棲時代」の年代順の立ち位置はこんなところに在ります。

1971 マリア

1972 同棲時代

1973 狂人関係 
1974 離婚倶楽部 
1975 サチコの幸 
1976 すみれ白書 
1976 関東平野 
1976 津軽惨絃歌
1977 春の雪
1977 60センチの女 
1978 星をまちがえた女 


上村さんが“食(べもの)”を作劇に果敢に取り入れ、感情の“木霊(こだま)”にしようと模索した時期ですね。



さて、話替わって、あっと言う間に3月が幕を降ろそうとしていますね。いよいよ新しい季節のスタートが目前です。新しい環境、新しい仕事、新しい生活が次々と駆け出していく眩しい端境(はざかい)の週です。


 のろまな僕は結局のところ周回遅れですね。いい加減、あと数回でしっかり区切りを付けないといけません。前を向いて歩かないと!


(*1):「同棲時代」 上村一夫 1972-1973 初出は「漫画アクション」 最上段に引いたのは「VOL.69 終章」より
(*2):手持ちの僕の本は双葉社のアクションコミックス、全6巻で、計ってみたのは最終巻です。
(*3):「同棲時代─今日子と次郎─」 監督 山根成之 1973
「同棲時代」 脚本 山田太一 主演 梶芽衣子 沢田研二 1973 TBS
http://www.youtube.com/watch?v=46roDK-sNWs
(*4):うーん、そうでもないのかな。案外皆知っているのかな。

2009年12月31日木曜日

角田光代「夜をゆく飛行機」(2004)~とめどなく~



倒れた醤油瓶から液がとめどなく漏れるように、父はしゃべった。

ミハルちゃんが大学にいきたかったことも結婚したい人がいたこ

とも私は知らなかった。知りたくなかった。父はずるい、と思った。

ここにひとりでくる勇気がなくて、私を連れてきて、思い出話を

勝手に私に聞かせて、それで自分は少し気分が楽になるかもしれない。

けれど私はどうしたらいいのだ。(*1)


  喪われゆく光景への哀惜が味噌、または味噌汁をともなって描かれていく。角田光代(かくたみつよ)さんの「夜をゆく飛行機」のそれぞれの味噌描写を書きとめた次第でしたが、実はより興味を惹かれたのは醤油の登用の仕方でした。味噌汁同様、のどかな郷愁を担って描かれている醤油なのですが、そこには明らかな段差が認められるのです。


  ひとりの作家によって味噌と醤油が並べ描かれることは、有りそうでいて実はなかなか見当たりません。どちらかに固執するのが普通です。以前このブログで取り上げた中で、両刀遣いに数えられるひとは唯一向田邦子(むこうだくにこ)さんだけです。(*2)


  向田さんのエッセイと角田さんのこの小説の共通点は何か、焦点を絞って眺めると面白いものが見えてきます。母親、祖母、姉妹といった“女性の記憶”と味噌汁は連結し、“父親の記憶”とは醤油が連結して見えます。組み合わせがあるのです。 台所で立ち働く女性、卓袱台でふんぞり返っている男性というテリトリーは確かに影響するでしょうけれど、もっと根深く繊細なものが仮託されて見えます。


  例えば上に掲げた角田さんの引用は実に見事で、僕たち読み手の気持ちに波紋を起こしますね。醤油から与えられる様々な心象が重層的に次々連結していきます。覚醒(興ざめ)、汚れ、破壊的、染み、トラウマ。それに父親、男性といったものが直結していき、末っ娘の蒼白いこころ模様を瞬時に伝達することに成功しています。


  こんな記述も劇中に見つかります。


「ほらほらモトちゃん、ブラウスの裾にお醤油がつくわよ、
あーあーおとうさん、グラスを倒さないで」「リリちゃん、
カンパチ好きでしょ、これひとつあげるわよ」「ちょっと
お醤油、お醤油とってったら」「あーもうコトちゃんうるさい、
ガリでも食ってな」「モトちゃん、女の子が食ってなはない
でしょう、食ってなは」「りー坊はいくつになったんだ、
おまえいくつになったら酒飲めるんだ」「もうおとうさん、
高校生にお酒つぐのやめて」(*1)


  醤油が衣服に接触しそうになる危機的なイメージの立ち上げ以降、喧騒はエスカレートして男言葉が飛び交い、女性らしいしなやかさが瓦解していきます。おんなと味噌、男と醤油というイメージの固着がやはり読み取れるのです。


  青息吐息でいる町の酒店の側に巨大なショッピングセンターが遂に開店し、酒店の母親と娘が偵察にいく場面があるのですが、そこでは三千円という法外な値段の醤油とそれに対して嘲弄する会話が取り込まれてもいます。「お尻がむずっとする」と笑うおんなたちは明らかに醤油という存在を軽んじています。(三千円の味噌だったらどうでしょう。案外よくよく手に取り吟味したのじゃないかしら)


  ここで向田さんに続き、山本文緒さんを思い出してもいいですね。衣服に醤油の染みを鏡で見止めた瞬間にパニックに陥った、情事の後の若い女性を描いた「恋愛中毒」。あの情景の深いところにも醤油=男性という連鎖が潜んでいたのかもしれません。(*3)


  “母親”の味という永遠の夢を味噌汁に思い描く男たちと、その反対に汚すもの、単純なもの、破壊者、左程の価値を認め得ないものとして“男たち同様に”醤油を見下すおんなの視線が僕たちの日常ではそれとなく交錯しているということでしょうか。


  夫婦なり同棲中の男女なりが暮らし始める家屋において、醤油と味噌がやがて買い揃えられて調理の根幹におかれ、混然一体となって使われていくわけですが、各々に託された別々な密やかな眼差しを想うと慄然とするものがあり、また、笑ってしまうものがあります。なるほどよく出来ている、そうも思えます。


 僕たちの胸の奥の洞窟は深く、広く、時に真空になり、時に身を切るような風が吹き荒れますよね。持て余すことも間々ありますが、けれど素敵で素晴らしいものだと信じます。すれ違い、反撥、衝突も日常の調味料、匙加減ほどに軽く受け止め、醤油のように舐め干し、味噌のようにしゃかしゃかと“こころの鍋”に溶かしながら暮らしていかないといけませんね。


 さてさて、いよいよ重い雪が降り始めました。庭木にもたちまち白いベールがかかって、重そうな、けれどその重さがちょっと嬉しそうな、そんな顔をして見えます。


 今年はほんとうにありがとう。
 たくさんたくさん助けられた気がしています。


 どうかよい年をお迎えください。

(*1):「夜をゆく飛行機」 角田光代 初出は「婦人公論」2004年8月より連載、翌年2005年11月まで。 現在、中公文庫で入手可。
(*2): http://miso-mythology.blogspot.com/2009/06/1981.html
(*3): http://miso-mythology.blogspot.com/2009/11/1998.html

2009年6月23日火曜日

向田邦子「アマゾン」(1981)~ゆずらずまじらず~


(*1)

アマゾン河は濃いおみおつけ色である。仙台味噌の色である。

そこへ、八丁味噌のリオ・ネグロとよばれる黒い川が流れ込む。

人はアモーレ(愛)があれば、一夜で混血するが、ふたつの河は、

たがいにゆずらずまじらず、数十キロにわたって、河の中央に

二色の帯をつくってせめぎ合う。結局は、仙台味噌のアマゾン河に

合流するわけだが、ボートで二色の流れのまん中に身を置くと、

自然の不思議に息をのむ。

折から夕焼け。血を流したような陽がゆっくりとジャングルの向うに

落ち、抜けるほどの青い空が薄墨に染まっていく。これを見るだけでも、

日本から二十時間の空の旅は惜しくない。(*2)


台湾で飛行機事故に遭い向田邦子さんが亡くなったのは1981年の八月だから、既に27年が経ってしまっている。あれから27年、信じられない。

追いかけた作家のひとりでした。講演を収録したテープを買い求めて“声”を繰り返し聞いたりもしたけれど、今にして振り向けば、淡い恋こころを僕は抱えていたみたいです。向田さんは遙かに年長の当時四十代後半ということもあり、また僕は、田舎に住む単なるガキでしかなく、クラスで一、二を争うオクテでもありましたから“恋”とか“愛”とかいう語句はついぞ意識することはなくって、あくまで劇作家として敬愛、畏怖するばかりでした。けれど、そう自分では思いつつ来たけれど、やっぱりあれは恋。NHKの「阿修羅のごとく」(*3)が代表作として印象深いけれど、彼女自身が何より素敵なドラマで目が離せなかった。





落ち着いた物腰には随分と惹かれるものがあって、週刊朝日のグラビアに載った愛猫を膝に抱き床に座った白黒の写真などは、製本用のステープルを外してそっと抜き取り、左右の頁を丹念に狂いなく糊付けしてから額に入れて飾っていました。あれはどこに仕舞ったものだろう、こちらに投げられた穏やかな微笑みをとても懐かしく思い返します。

俳優や番組制作者、編集者が披露するエピソードのひとつひとつが洒落ていた。例えばこれは有名な話だけれど、彼女が先客になっているカウンターバーでのこと。扉を開けて見知った男が入ってくる。自慢気に真新しいコートをまとっている。それ貸してみなさいよ、と男が脱いだものに手を伸ばして受け取ると、たちまち乱暴に畳んで自分の尻の下にぎゅっと敷いてしまう。唖然として見守るなか、ばらっと広げ、ほら、これで良くなったでしょ、と皺の左右に踊るのをさらりと返して寄越す、そんな内容でした。

衣服に限らない話です。主役である貴方が引き立つようなものを身に付けなさい、本末転倒の滑稽なものを付けなさんな、という平常心に満ちた揺るぎない美学が伺えます。うむむ、絶対に惚れちゃいますね、そんなことされた日にゃ。


さて、向田さんは「残った醤油」という小文において、叱言(こごと)を聞かされ続けた父親を追慕するにあたり“醤油”に焦点を絞って語っています。ご飯のおかずは刺し身です。コワイ父親を前にして緊張のあまり、醤油注ぎから小皿に垂らす量が思わず多くなってしまった。それを見咎めた父親が少女時代の向田さんを早速叱りつけ、母親が間に入ってなだめます。


豊かではなかったが、暮しに事欠く貧しさではなかった。

昔の人は物を大切にしたのであろう。

今でも私は客が小皿に残した醤油を捨てるとき、

胸の奥で少し痛むものがある。(*4)


「刻む音」と題されたものでは、今度は母親を懐旧しています。“音”とは朝食の支度にかかわる包丁の響きです。こちらは“味噌”が選ばれています。


顔を洗っていると、かつお節の匂いがした。

おみおつけのだしを取っているのである。

少したって、プーンと味噌の香りが流れてきた。

このごろの朝の匂いといえば、コーヒー、ベーコン、トーストだが、

私に一番なつかしいのは、あの音とあの匂いなのである。(*5)


こんな文章もあります。


朝起きると、まず歯磨き粉の匂い、新聞のインクの香り──

その次がパンを焼き、或は味噌汁をたてる香ばしい匂い。

思えば、朝起きるから日がな一日、私たちの生活は嗅覚とつながっています。(*6)



書かれた時期に隔たりはありますが、そこに流れる思念にいささかも段差はありません。住まいの中に息づく食事の光景への全面的な肯定が伺えます。醤油や味噌に対しての反撥が感じられず、実にのびのびとして爽やかな眼差しが照射されています。

最初に紹介した「アマゾン」は彼女の死後も南米大陸の紀行文に添えられたりして、時おり目の前に立ち現れたのでしたが、その度に感嘆し唸らざるを得ませんでした。味噌はこれまでの日記に書き連ねたように古き因習めいたもの、もはや存在し得ない遠い記憶のようなもの、といった“負”の扱いを受けることが多く、家庭や住宅、居間や台所の引力に捕らわれ、そこから離脱して描かれることは稀です。

向田邦子さんは地球の反対側のアマゾンまで味噌を連れ出しています。さらに“アモーレ(愛)”や“一夜で混血する”といった連射を行なって、味噌の大河をより濃厚で比重のある官能的なものへと高めています。

ここでもあい変わらず全肯定が為されています。どうしてここまでニュートラル、いや、むしろ肩入れするようにして味噌を捉えられるのか、かえって不思議を覚えてしまいますが、それは向田さんの描く住宅、家族の有り様と通底していそうです。


「阿修羅のごとく」を例に引けば、家族のなかに当初から恋情をめぐり諍いがあります。引き出しの奥には春画が隠されてもいます。それらが暴かれても拒絶されることはなく、混乱は混乱のままに穏やかに収束へ向かっていく。恋も性も自然体で受け止められていて、父親や母親も神格化もされず、聖人君子の夫も、お人形めいた貞淑な妻もおらず、それこそ“たがいにゆずらずまじらず、せめぎ合う”ようにして流れていきます。

近年になって向田さん御本人の秘められた恋がおずおずと紹介され始めていますが、彼女は結婚と家庭という道筋をとらずに作家人生を終えています。実生活上、内と外という分断された世界観が醸成ならず、それゆえに象徴的な負の味噌汁を産み落とさずに済んだのではないでしょうか。世界が分断されなかったからこそ、アマゾンの大河までも同一の視点、価値観で染め上げることが可能だったのではないでしょうか。

より綿密な掘り下げは数多の熱心な向田ファンに任せますが、極めて特殊な味噌の描写が為されている、それは確かなことなのです。


(*1):Amazon River Cruise on the Seven Seas Mariner Cruising on the World's Largest River From Linda Garrison , About.com
http://cruises.about.com/od/southamericacruises/ig/Amazon-River/amazon075.htm
(*2):「ミセス」 1981 10月号初出 「夜中の薔薇」(講談社文庫)所載
(*3):「阿修羅のごとく」1979-80年 監督 和田勉ほか
(*4)(*5):新潟日報 1979 9月初出「夜中の薔薇」(講談社文庫)所載
(*6):「映画ストーリー」(雄鶏社)1959 7月号編集後記 「向田邦子 映画の手帖」(徳間書店)所載