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2012年3月3日土曜日

芥川龍之介「葱(ねぎ)」(1919)~火取虫の火に集るごとく~



 すべてのものがお君さんの眼には、壮大な恋愛の歓喜をうたいながら、

世界のはてまでも燦(きら)びやかに続いているかと思われる。今夜に

限って天上の星の光も冷たくない。時々吹きつける埃風(ほこりかぜ)も、

コオトの裾(すそ)を巻くかと思うと、たちまち春が返ったような暖い

空気に変ってしまう。幸福、幸福、幸福……

 その内にふとお君さんが気がつくと、二人はいつか横町を曲ったと見えて、

路幅の狭い町を歩いている。(中略)

 その八百屋の前を通った時、お君さんの視線は何かの拍子に、葱(ねぎ)の

山の中に立っている、竹に燭奴(つけぎ)を挟んだ札(ふだ)の上へ落ちた。

札には墨(すみ)黒々と下手な字で、「一束(ひとたば)四銭」と書いてある。

あらゆる物価が暴騰した今日(こんにち)、一束四銭と云う葱は滅多にない。

この至廉(しれん)な札を眺めると共に、今まで恋愛と芸術とに酔っていた、

お君さんの幸福な心の中には、そこに潜んでいた実生活が、突如として

その惰眠から覚めた。間髪を入れずとは正にこの謂(いい)である。薔薇と

指環と夜鶯(ナイチンゲエル)と三越の旗とは、刹那に眼底を払って消えて

しまった。その代り間代(まだい)、米代、電燈代、炭代、肴代(さかなだい)、

醤油代、新聞代、化粧代、電車賃――そのほかありとあらゆる生活費が、

過去の苦しい経験と一しょに、恰(あたか)も火取虫の火に集るごとく、

お君さんの小さな胸の中に、四方八方から群(むらが)って来る。(*1)


 芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)さんが大正八年に書いた「葱(ねぎ)」の一部です。文中にある“至廉(しれん)”とは値段が非常に安い様子を指し、“火取虫(ひとりむし)”は夏の夜に灯火に集まる蛾(が)のことです。


 十代なかばのカフェの女給“お君さん”が色男に目をつけられ、言葉巧みに夕暮れの街に連れ出されます。サーカスを観るという誘いだったのに、いつの間にか裏通りを歩かされている。おんなはいたって無邪気です。男の頭のなかには路地の奥に建つ宿屋の、妖しげな灯りがありありと浮かんでいるというのに、樹皮を割って若芽の生え出るごとき恋情の、いよいよ我が人生に起きるきざしに恥じらい、むず痒さに身をよじらせながら手を引かれ歩くのが至福と思えてなりません。夜空に星のきらめきを追い、背中に喧騒を感じて夢見心地でいるのです。


 ところが、八百屋の店先に葱(ねぎ)の安売りなっているのを見止めた途端、おんなの心はがらりと色彩と様相を変えてしまう。男の手を振りほどくやいなや、店の奥の主人と交渉を始めます。ぷうんと臭う葱(ねぎ)の束を抱えて舞い戻ったおんなはふたたび男と裏通りを歩き始めますが、両者の気持ちはすでに失速し、特に男の方の想いは沈んだままとなって終に起き上がることはありません──


 お陰で怖い思いをせずにおんなは済んだ訳ですが、笑えるような淋しいような、どこか断裂した読後感を読み手にあたえる、そんな小編となっています。


 興味惹かれるのは野菜のプライスカードをきっかけにして突如開始されたおんなの連想のなかに、なんと“醤油”が顔を覗かせていることです。九十年ほど前の日本で電気、新聞、化粧といった花形産業と肩を並べて醤油がいた。面白いですねえ、今では誰もこんな風には思わないでしょう。


 “過去の苦しい経験”とあります。なかなか買い足しがならずに味気ない食生活を悶々と耐え忍んだ、そんな時間もあったに違いない。醤油の味と香りが往時の暮らしのその中でちゃんと座を占め、深く意識に浸透していたことを窺わせる貴重な一節になっていますね。


 それともうひとつ。物語世界への醤油の介入というものは登場人物の高揚する想いに水を挿す役割、いわば“消炎作用”を不思議と帯びるのだけれど、この芥川さんの「葱(ねぎ)」においてもそうで、恋慕の邪魔立てをして、うら寂しい路地裏に若い男女を足止めしている。偶然には違いないけれど、この連結も僕には滅法面白かった。


 さて、本の紹介はこれぐらいにして、ここからは読書中に僕自身が連想してしまったことを少し綴っておこうと思います。芥川さんの文章を今風に直せば、「家賃、お米代、電気代、ガス代、おかず代、(醤油代、)新聞代、化粧品代、交通費――そのほかありとあらゆる生活費」となるのですが、ここで現代人ならば(醤油代)とはきっと書かないと考えるなら、それに替わって選ばれるのはいったい全体何だろうと考えた訳でした。


 通信費とか医療費なんかもよぎりましたが、「油」という字面に導かれたか、寒くて暖房がまだまだ欠かせないという季節的なことも重なってか、僕の頭には“灯油代”という文字が燦然(さんぜん)と浮かんでしまい、いくつかの記憶もまざまざと蘇えって仕方なかった。


 一年前のあの混沌とした時期に、水や食料を運ぶために車を走らせ、また、その車の燃料を得るためにスタンドを取り巻く長々とした行列に幾度も加わりました。あの時、あちらこちらの吹きさらしのスタンドで、国の発表も指導もまるで無いに等しいそのなかで、赤いポリ缶を携えて灰色の寒空の下を震えながら並んでいた人の列の誰もが悄然と押し黙っていた様子が、今、厳しさをともなって鮮明に脳裏に再生されていきます。


 あんな光景は二度とごめんと思い、けれど同時に、きっと再び似た状況になるぞと警鐘をがんがん鳴らす存在が自分の中にいて、とても落ち着けるものではない。


 先日の報道のせいでもあります。当時(僕たちから遠く離れた、どこか重い扉の向う側で)囁かれ、黙殺されたという半径170kmとも250kmとも言われる避難対象区域の、その狂ったとしか言いようのない広さや距離に息を呑みました。大袈裟でも机上のものでもなく、実際そのぐらいの事故であり汚染だったのだろうし、今後も同じような被害が次々と襲い来る可能性がある。


 当然そこに含まれてくるに違いない湾岸施設や鉄路、道路交通網の麻痺や放擲(ほうてき)を想像し、その後即座に押し寄せるだろう“ありとあらゆる生活”に関わる物資の致死的な枯渇を思い、“苦しい経験”の強襲を予想して憂いは深まるばかりです。連想はあたかも火蛾のように四方八方から群(むらが)って来るようで、臆病な僕の胸の中をおびやかし続ける。


 この国土で居住可能な平野は、世界から見ればせいぜい六畳間に等しい場処でしょう。そこから転がるように飛び出し逃げ惑う住人に、天翔(あまか)けてたちまち追いつき、うれし楽しと顔や手足を舌で舐(な)めまわすならまだしも、あろうことか幼子(おさなご)にすら容赦なく牙剥き喰い散らす獰猛な獅子(それも五十頭以上も)をそんな部屋で飼い続けているようなものであって、どう見ても無鉄砲で危険なことと思えます。


 例えば涼しげな鉢に金魚を幾匹か飼うにとどめるべきではないか、それが駄目なら、あら大変、檻から出ちゃったと遠巻きにする住人を尻目にのんびりと草を食(は)み、昼寝を決め込むロバか羊をせめて飼うのが利口じゃなかろうか、いや、常識じゃなかろうか。


 獅子でなければ象だって麒麟だっていいのです。僕たちを襲うことは稀でしょうし、もちろん170kmや250kmなんて逃げる必要もない。掃除は必要でしょうけど、玄関も台所も寝室も玄関も、トイレだってそのまま使えるでしょう。お気に入りの家具も衣装棚も、丹念に育てた鉢植えの花も、棚に背表紙向けて並ぶ思い出のたくさん詰まった本たちも、幼い日に遊んで捨て切れないでいた遊具や楽器なんかも、そのまま人生の道づれとなって時を刻んでくれるに違いない。


 “正しく怖れること”の継続がとても大事な段階に入ったことを、ある識者が訴えていました。その通りだと思います。赤いポリ缶の連なる光景を見てしまった者の務めとして、ずっとこれからも考えていきたい、そう思っているところです。


(*1):「葱」 芥川龍之介 文末に“大正八年十二月十一日”の記述あり。手元にあるのは角川文庫「舞踏会・蜜柑」の26版で、「葱」も所収されています。引用はその175頁。最上段の画像は別な本で、米倉さんの絵がちょっと良かったので借りました。

2011年8月15日月曜日

大塚英志「三ツ目の夢二」(2008)~味気ねぇなぁ…~



  人の手に掴まれ宙に浮いた陶製の醤油差し

  ドボ ドボ ドボ…と黒い液体が注ぎ口から流れ出る

  朝日が射し込むリビングルーム。テーブルを囲む家族

  醤油を注ぐ男(大杉)は傍らの新聞を読むのに忙しい

野枝「あなた かけ過ぎですよ」

大杉「ああ スマン スマン」

野枝「最近 なんでも濃い味にしてしまって…

   お体にさわりますよ…」

  大杉、意に介さずに醤油でべっとりとなった料理、肉か

  刺身か分からぬものを箸でひと切れつまみすると、パク…

  と口に放り込む

大杉「味気ねぇなぁ…」

  パリーンという皿の割れる音!(中略)

  向かい側に座った野枝が投げた皿が大杉の額を直撃

野枝「せっかく作ったお食事を 味気ないなどと!!」(*1)


 いまから90年ほど前、1923年9月に首都圏を襲い、死者、不明者10万人以上を出した“関東大震災”。その惨状をつぶさにスケッチした絵の展示会が、今月末より墨田区横網町公園にある復興記念館で催されます。描き手は抒情作家としてつとに知られた竹下夢二(たけしたゆめじ)さんです。(*2)


 女性の繊細さ、快活さを表現して絶大な人気を得た夢二さんでしたが、震災時には混沌とした街なかに飛び出して現実を活写していたのですね。お近くのひとはどうぞ足をお運びください。僕はなかなか都合が付かずにいますが、ゆったりとそんな夢二さんの絵と向き合えたなら、きっと意味深く濃厚な時間になるでしょう。


 上に引いたのはちょうどその頃、つまり震災前後の夢二さんと彼の周辺を題材に選んだ漫画(*1)の一部です。亡き恋人への想い断ちがたい夢二さんは、ずるずると煩悶を重ねたあげくにおんなの面影を追って黄泉の国まで降り下ってしまいます。紆余曲折を経てなんとか生還するのだけど、以来、おぞましい霊能力をそなえてしまうのです。あまりにも荒唐無稽な幕開けです。


 死んだはずの夢二さんが舞い戻ったため現世は時間の歩みを止めてしまい、やがて暮らしの諸相はあるべき歴史からふわふわと乖離を始めるのでした。僕たちの見知った記憶や知識と微妙に顔付きを異にしていき、大震災の発生がどんどん“先送り”ともなって、大正はそのまま文化の爛熟を極めていく。


 第三の恋人お葉さんや、彼女の胸に抱かれて共に絵のモデルを務めた黒猫といったものにとどまらず、川端康成さんや田川水泡さんといった実在の人物が入れ替わり立ち代りしながら顔を覗かせ、夢うつつの出来事がつづられていく、という、まあ、かなり無茶苦茶なお話なのです。普通なら綺麗さっぱり忘れてしまう類いの絵空事なのですが、最終話に“醤油”を描いた箇所があったものだから急に磁力を増して来ました。


 家族の団欒が描かれていますね。屈強そうな男が朝食の席で醤油を大量に使い、妻らしきおんなに叱責されている。読んでいるのはどうやら英字新聞(いや、巴里から持ち帰った仏字新聞かもしれません)で、手元には味噌汁椀も置かれています。これは大杉栄(おおすぎさかえ)さん、なんですね。


 僕が抱える大杉さんのイメージはもっと線が細くて、叩(はた)かれて舞うおしろいにぼんやり包まれるような、それとも艶めかしい芳香が首筋あたりにゆらめく風であり、かつて映画(*3)の中で細川俊之(ほそかわとしゆき)さんが演じてみせた際の印象が絶対的に強いのだけど、こっちの腕は馬鹿みたいに太いし、胸板も無駄に厚そうで、なんかチャールズ・ブロンソンかミッキー・ロークを彷彿させます。盛り上がった額、張ったアゴ、険しい目つき。攻撃的な男の体臭がぷんぷんして来ます。


 叱られているのが大杉さんなら、テーブルの反対がわで声を張り上げているのは伊藤野枝(いとうのえ)さんとなり、ぐるり囲んでいるのは彼らの子供たちになります。“無政府主義”を唱えて時の権力に監視され続け、大震災のどさくさに紛れて偶然連れ立って歩いていた幼い甥っ子ともども拘禁され、肋骨を何箇所も折る容赦ない拷問に遭い、その果てに絞殺されてしまう大杉さんと伊藤野枝さんなのですが、時空が歪んだしまったこの漫画世界では地震がいつまで経っても起きません。きっかけを失って、彼らはおかしな具合に“生き永らえてしまっている”のです。


 崩壊を免れた浅草十二階が夜空にそびえ、満艦飾に彩られた街路に嬌声が飛び交う。“有り得ない繁栄”は大杉さんたちの生活も底上げしているのであって、実際はこんな風ではなかった。あの有名な日蔭の茶屋(ひかげのちゃや)事件以降、評伝を読む限りにおいては彼らの生活の実態は相当にきびしかった。言論を封じられて元々収入が不安定だったのだけど、事件以来愛想を尽かして仲間が次々と離れていったのが何と言っても響いた。


 瀬戸内晴美(せとうちはるみ)さんは著書のなかで、当時の彼らの日々を丹念につなぎ直して僕たちに提示しています。史実にのっとり整理された資料的価値の高い労作なのだけど、大杉さんたちを襲った窮乏ぶりがどれほどであったかを次のような逸話でもって簡潔に説いている。


 赤ん坊の生れた直後、有楽町の服部浜次の娘の清子が母親に

いいつけられて手伝いに来たことがあった。若いぴちぴちした

娘は、二日もいると、黙って逃げ帰ってしまった。

「まあお清、どうして帰ったの」

「だっておっかさん、あの家ったら、なあんにもないんだもの」

「なあんにもって何が」

「お台所のものよ、お米でしょ、お醤油でしょ、お砂糖でしょ、

なあんにもないの」

 清子は訴えながら笑い出してしまった。

「お米がありませんよ、買って下さいっていっても、だあれもおあしを

くれないんだもの、どうやって料理するのよ、あたし困るわ」

 母親もそこまで徹底した貧乏だったのかと呆れてしまった。(*4)


 ドボ ドボ ドボ…と料理にかける醤油など、どこにも無かったのです。白いテーブルに可愛らしいお揃いの洋服、食べ切れない程の食事、それはすべて夢以外の何ものでもなく、狂って停滞する時間のなかで大杉さん、野枝さんがどれだけリアルな地平から逸脱してしまったかが読者に分かるよう、あえて滑稽と思えるほどの誇張が施されていたのです。何気ない光景で読み流してしまいそうですが、案外に意味深な描写になっている。


 この事、つまり“有り得ない繁栄”にどうやら勘付いてしまった大杉さんは、本来の時間へ飛び去る決意を密かに固めるのでした。命運を共にした野枝さんと甥子さんを虚構の世界に残し(そのまま彼らは生き永らえさせて)、ひとりきりで震災のあった時空、すなわち拷問され、絞殺されると決められている無慈悲で残酷な現実へと旅立っていくのです。


 苦境を回避させ、絶望を緩和し、奇蹟を連続させる。創作とはまるで魔術です。誰もがそれを望むし、僕だって空想にしばしば耽溺します。この漫画は大杉栄という稀代の思想家が透徹した目線でそんな魔術(“夢”)を打ち砕き、創作による救済を踏みにじり、現実世界に堂々と殉じていく、つまり天命に身を投じていくという点で徹底しており、どこまでもある意味醒めている。醒めていながらも生き生きと昂揚するものがあって、余韻が後を引き、やんわりと鼓舞されるところがあるのです。


 フィクションに逃げ込んでいながら、そのフィクションを登場人物が拒絶していく、そんな姿に考えさせれ、勇気付けられもします。切れ味抜群という訳ではないけれど、なかなか考えさせる構造になっておりました。



 一瞬顔を覗かせた醤油は典型的なイメージの分担“男らしさ、父性”とここでは結びついており、そこから内奥にそっと息づく家族への深慮を下支えすると共に、ここでは夢からの「覚醒」のきっかけとなって起動している。作者の大塚英志(おおつかえいじ)さんと作画担当のひらりんさんがどこまで意識して“醤油”を登用したのかは分からないけれど、醤油が醤油らしく存在を主張して、物語を補強する柱のひとつになっていたように僕には思えます。ごちそうさまでした。


 細川さんの演じた大杉さんも最後に貼っておきましょう。う~ん、やっぱりこっちの方が艶があって、僕は惹かれちゃいますねえ。



(*1):「三ツ目の夢二」 原作大塚英志 作画ひらりん 徳間書店 初出「月刊COMICリュウ」2008年10月号-2010年11月号 引用は単行本2巻最終話「第伍絵 パノラマ」175頁及び185頁 紹介した醤油の描写はしたがって厳密には2010年のようですが、連載物の慣例にしたがい表題には2008年をここでは掲げてあります
(*2): http://www.tokyoireikyoukai.or.jp/event/
(*3):「エロス+虐殺」 監督吉田喜重 1970
(*4):「諧調は偽りなり」 瀬戸内晴美 初出「文藝春秋」1981年1月号~1983年8月号 手元にあるのは「瀬戸内寂聴全集 第12巻」新潮社 2002 引用箇所はその359頁。ちなみに「諧調は偽りなり」の前段にあたる「美は乱調にあり」(1965)では伊藤野枝さんが大杉さんと出会う前の様子がやはりつぶさに書かれていますが、そこでは前夫の辻潤(つじじゅん)さんとの生活を支えるため、野枝さんが隣家から味噌や醤油を借りている様子が挿入されています。「この提案にはらいてうも有難がり、早速、野枝の近所の上駒込の妙義神社の近くへ引越してきた。この頃の辻家の裏隣には垣根ひとつへだてて野上彌生子と豊一郎の家もあり、野枝はへかけこんで野上彌生子の家へかけこんで、醤油をかりたり、味噌をかりたりしながら、休速に親しくなっていた。」(同全集12巻193頁)

2011年7月21日木曜日

和田竜「醤油 北条氏康に無茶苦茶怒られる」(2011)~そんな予測もできないで~



 しょっぱいものが大好きで、何でもかんでも醤油をぶっかけては

口に入れるので、一緒に食事をしている人を唖然とさせることも

しばしばである。(中略)従って、刺身を食い終えた後も、醤油は

皿の上にたっぷりと残っている。

「リョウ。昔の侍はな、食べ終わると同時に醤油もなくなるように

考えて注いだもんだ。そんな予測もできないでどうすんだ、お前」

 そんな僕の食癖に怒った父は、こういうイイ話をして、小学生の

僕を叱ったことがある。(*1)


 上に引いたのは和田竜(わだりょう)さんのエッセイの一部です。五ヶ月ほど前の新聞に載っていました。我が子の食卓での所作に目くじらを立てる、頑固っぽい父親が登場しています。小皿に注がれるわずかの醤油が気になって気になって仕方ないのです。同様の風景をどこかで目にした覚えがあるのですが──、そうだ、亡き父親を述懐する向田邦子(むこうだくにこ)さんの文章にもこれとそっくりの場面がありました。


 子供のころ、小皿に醤油を残すとひどく叱られた。

 叱言(こごと)を言うのはたいてい父であったから、父と一緒の食事で

醤油を注ぐときは、子供心にも緊張した。(中略)

「お前は自分の食べる刺し身の分量もわからないのか。そんなにたくさん

醤油をつけて食べるのか」

 早速に父の叱言がとんでくるのである。(中略)

 豊かではなかったが、暮しに事欠く貧しさではなかった。昔の人は

物を大切にしたのであろう。今でも私は客が小皿に残した醤油を捨てる

とき、胸の奥で少し痛むものがある。(*2)


 1969(昭和44)年生まれの和田さんのお父様と、向田さんの厳父とでは世代がまるで違います。育った環境も世相も当然異なっているのですが、顎のしっかりした面貌やらんらんと光って怖い眼(まなこ)が両者共に想像されて、僕にはまるで生き写しみたいに感じられるのです。


 和田さんの見立てによれば、お父様は戦国武将“北条氏康”の逸話に影響を受けていた気配なのだけど、同じことが向田さん側にも起こっていたかどうかは全くもって分からない。(*3) もしかしたら教科書のたぐいに長らく紹介されていて、ある年齢以上の人には耳にタコが出来るぐらい聞かされた説話なのかもしれない。調べれば調べられなくもないけど、正直言えばあまり触手が動かないですね、探る気力はありません。


 追跡不能の領域として謎は謎として残し、手をつけずにそっと箱に小田原北条氏は仕舞うこととして、けれど、およそ三十二年という長い歳月を越えて和田さん、向田さんお二人の“父親の記憶”が輪郭をするり重ねていく現象はとても興味深いことであり、気ままな想いをふわふわと馳せてしまう訳なのです。


 醤油の価格はピンきりです。1リットル換算で500円を越える、そんな高級品を使っている家庭は少ないでしょう。仮にそんな値段の品を使っていたとして、山葵(わさび)や脂(あぶら)にうすく濁って小皿に取り残されるのは多くて20ミリリットルでしょうから、やがて流しに捨てられる宿命の醤油はどんなに高く見積もっても、せいぜい10円程度にしかならない計算です。世の中には桁外れの吝嗇家もいてヒステリックに叫びまくる場面も確かにあるのでしょうが、ここでは単に金銭のことではない、もう少し別の湿った想いが宿っている。


 むらさきの液面の奥に潜んでいる仕事人の苦労──土を耕し、種をまき、雨に濡れ風に吹かれしながら、夏にはぎらぎらした直射日光に肌を焼きつつ穀物を育て上げ、重たい思いをして醸造家にようやっと手渡した後には、今度は蒸気や熱水と闘う汗と涙の仕込み現場に委ねられ、別の者が手塩をかけて醤油作りに励んでいく。一次産業であれ二次産業であれ、ものを創るという行為の蔭には想像を絶する対流や淀みがある。たくさんの人手と時間が費やされていく。


 そんな苦労の堆積を透かし見れずに、茫茫と背丈だけは育っていく子供の将来にいたたまれなくなり、彼らの“想像力の欠如”を補うべくしてついつい口が滑るのでしょう。眉寄せて浪費を叱っているのではない、いずれの日にか我が子が“食べ切ることの美しさ”、“始末のすがすがしさ”を体得してくれることを願っている。


 醤油の使い方をきっかけと為して人生や仕事への洞察力に磨きを掛けていく、その親から子への“直伝の時空間”がとても好ましく目に映ります。その役割がしっくりと男側、父親たちに結像していくのも大変興味引かれるところ。味噌(汁)に母性を思い、醤油に父性を覚える、そんなイメージの住み分けがあって面白いですね。


 紙面から切り取り、手元にずっと保管しながらも取り上げずに来たのは、もちろん大震災のためです。向き合うにはやや風情が硬く窮屈だった。それに、僕の惹かれて止まない艶やかな領域、つまりは恋慕や性愛、霊肉の一致する段階と食物との関わり方とはやや乖離したものにも思えて、どうにも弾みがつかなかった、萎えてしまった。


 ところがここに来て事情が変わりました。“節電の夏”の到来です。ご承知の通り、大口需要家の皆さんの創意工夫により計画停電の実施はこれまでありませんが、家庭に職場に節電に努め、僕たちもまたこの特別な夏に立ち向かっています。そこでふと和田さんのエッセイが思い返された次第なのです。


 余分なものを溝(どぶ)に捨てることのないよう“予測”をしながら物を選び、電気を上手に使い、身の丈に応じた暮らしをする。“昔の侍”のように“美しく使い切る”、そんな暮らしぶりを僕たち3.11以降の列島居住者は求められている。


 「繁栄」という言葉には、無駄や不明瞭さを帯びる「繁雑」にどこか通底する感じがあります。得体の知れぬぐにゃぐにゃの尾ひれが付き纏っていく。そのようなわけの判らないものでなく、努めてシンプルに、所作ひとつひとつに“美しさ”を宿しながら、この不安な時期を乗り越えていけたらいいと願います。

 花を愛で、着実に学び、そうして堅実にこの夏を暮していきたいものです。


(*1):和田竜 「醤油 北条氏康に無茶苦茶怒られる」 朝日新聞 2011年2月19日 持ち回り連載「作家の口福」欄に寄稿されたもの 
(*2):向田邦子 「残った醤油」 初出は「新潟日報」1979 エッセイ集「夜中の薔薇」(講談社1981)所載 僕の手元にあるのは後年出された文庫版 上記画像も
(*3):和田さんのエッセイでは、北条家の食事で問題視されたのはご飯にかけられた“汁”の量であったと紹介されています。家督を譲り隠居の身となった氏康が息子の氏政と食事をしていたところ、汁がけを二度所望した様子を見て目先が利かぬ男と判断、北条家の行く末を深く案じた、という内容です。“汁”と醤油ではずいぶん趣きが違うが、この話をかつてインプットされたお父様が和田さんの癖を正すために引き合いに出したのらしい。蛇足ついでに書けば、この北条家の逸話に関しては本によって細部がまちまちであり、たとえば青木重數(あおきしげかず)さんの著した「北条氏康」(新人物往来社 1994)においては“汁”ですらなく湯漬け用の“湯”となっています。いずれにしても“昔の侍”が醤油の使い方で揉めて場が騒然となった訳ではないみたい。なんだか拍子抜けだなあ。安堵と物足りなさが交ざった気持ちです。

2011年6月3日金曜日

高野文子「二の二の六」(2001)~おショーユは穴蔵で~



まり子「白菜入れますかー おネギ入れますかー

     あっ お肉だ おいしそーっ ほら

     おショーユは穴蔵で」

  ひざまずいて床下収納庫を開けるまり子

まり子「(内心の声)開けるとそこにはおじいさんが」

  そんなまり子を見ている大沢サキ。

  まり子、失礼な妄想をこころで詫びて

まり子「(内心の声)ごめんなさい ごめんなさい」(*1)


 高野文子(たかのふみこ)さんの小編「二の二の六」。この奇妙な題名は住所「二丁目2番6号」を表わしています。訪問介護ヘルパーをつとめる主人公の女性が依頼あって訪ね、半日を過ごした大沢家の番地です。独りでいるおばあちゃんに昼食を作って一緒に食べてもらいたい、という娘さんからの要望。そこに醤油が二度ばかり登場しています。


 支度にはいった主人公が材料を探していく。まずは冷蔵庫の中を見て野菜や肉を確認し、おもむろに床下収納を開いて“おショーユ”の入ったびんを引っ張り出します。妄想癖の強いおんなは、もしやこの半地下の空間におじいさんの死体でも隠されてあったらどうしよう、と不安になり眉を寄せながら扉を開きます。当然ながらそこは梅干の入ってそうな甕(かめ)や不要な道具がきっちり納まっていて、怖いものなど見当たらない。ひどい想像をしてしまって御免なさいね、と拝む手をして失笑し、そっと扉を閉めるのでした。


 最近はあまり見なくなりましたが昔の住居には土間があり、また陽射しの入らぬ納戸がありました。どちらもとても湿った空間で、照明も隅ずみまでは行き渡らないものだから気味の悪いこと甚(はなは)だしく、特段の用事でもない限り子どもは安易に近づかない場所でした。味噌や漬け物の木樽がならび、ぬたっとした臭いが重く漂って足元にしゅるしゅる絡んでくるみたい。今にもお化けが物陰から顔をひっこり覗かせそうで、途轍(とてつ)もなく恐い。


 醤油もまたそんな闇の住処(すみか)の一員であったのです。ハレとケ、という区分けがあるけれど、間違いなく“ケ”に味噌や醤油は所属する。だから味噌や醤油は、どこか死や霊魂、妖怪変化と結線する部分を潜ませていると感じます。谷崎潤一郎さんの小説「少年」にも通じる、淫靡な異界の入口を示しているようにも読めて面白かった。


 次の描写も高野さんらしくなかなか意味深で、興味惹かれるものとなっています。




  トイレの戸を叩く音がする とんとんとん

まり子「なになになに? サキさんおしっこ?」

  サキの曲がった腰を支えるまり子の目が足元に行くと

  サキの靴下は茶色に濡れ、足跡が台所の方から続いている

  その先には、先ほど床下からまり子が取り出した醤油のびんが

  横倒しになって転がっており、茶色い液たまりが出来ている!

まり子「ひえー」

  まり子雑巾で必死に拭き掃除をはじめる(*2)


 味噌はクソとごちゃまぜにされる事がありますが、醤油ではその手の話を聞きません。考えてみると不思議ですね。bug juice(虫の汁)と欧米で当初からかわれたと聞きますが、それもずっとずっと昔の話。けれど高野さんは、明らかに糞尿と醤油をここではごちゃまぜにしている。これは本当に珍しい表現です。お小水、いやいや、この色調からすれば……と介護ヘルパーのありがちな惨事を連想させ、読者を嬉しがらせておいて、即座に醤油びんの転倒へ切り替えて見せて又笑わせる。シャレにならない深刻な話を上手く回避しつつ、けれど主人公の苦境作りに手を抜かない。さすがだな、と感心することしきりです。


 まり子はこの騒動に取り紛れて男との出逢いをふいにします。死人や糞尿を想起させる“おショーユ”は恋情から人を遠ざけ、覚醒を強いる野暮な存在ということでしょうか。それとも日常をはつらつと元気一杯やりくりする為の“道しるべ”でしょうか。いずれにしても高野さんは、醤油ひとつをここまで徹底的に使いこなすのです。才人であることは違いありませんね。これからも発表を楽しみにお待ち申し上げます。


 初夏の陽射しになってきました。女性は紫外線の対策を怠りなく。僕は例によってベランダ読書で素肌に風を感じる、そんな休日を過ごす予定でいます。


 輝く部分を見つめながら、ややこしいこの世を突破していきましょう。


(*1):「二の二の六」 高野文子 「黄色い本 ジャック・チボーという名の友人」 講談社 2002 所収。初出は「アフタヌーン」2001年7月号。引用は125-126頁
(*2):同143頁

2011年5月21日土曜日

岡本かの子「老妓抄(ろうぎしょう)」(1938)~その頃は嫌だった~


柚木にはだんだん老妓のすることが判らなくなった。

むかしの男たちへの罪滅しのために若いものの世話でもして

気を取直すつもりかと思っていたが、そうでもない。近頃この

界隈(かいわい)に噂が立ちかけて来た、老妓の若い燕(つばめ)と

いうそんな気配はもちろん、老妓は自分に対して現わさない。

 何で一人前の男をこんな放胆な飼い方をするのだろう。(中略)

縁側に出て仰向けに寝転ぶ。夏近くなって庭の古木は青葉を一せいにつけ、

池を埋めた渚の残り石から、いちはつやつつじの花が虻(あぶ)を呼んでいる。

空は凝(こご)って青く澄み、大陸のような雲が少し雨気で色を

濁しながらゆるゆる移って行く。隣の乾物の陰に桐の花が咲いている。

 柚木は過去にいろいろの家に仕事のために出入りして、醤油樽の

黴(かび)臭い戸棚の隅に首を突込んで窮屈な仕事をしたことや、

主婦や女中に昼の煮物を分けて貰って弁当を使ったことや、その頃は

嫌(いや)だった事が今ではむしろなつかしく想い出される。(中略)

 彼は自分は発明なんて大それたことより、普通の生活が欲しいのでは

ないかと考え始めたりした。(*1)


 岡本かの子さんの短編集「家霊(かれい)」(*2)に収まっていた別の作品から引用しています。「永年の辛苦で一通りの財産も出来、座敷の勤めも自由な選択が許されるようになった十年ほど前から、何となく健康で常識的な生活を望むようになった」(*2)ひとりの老妓が、大工に連れられ家に来た柚木という若い電気工に住まいと資金を提供しようと申し出ます。「発明をして、専売特許を取って、金を儲け」たいという男の言葉に気持ちが動き、突然に思い立ったのです。


 親子ほども年齢の違うふたりのやりとりに、ちょうど年頃となった老妓のひとり娘が加わって、何とはなしに華やいだ時間が連なります。目立って凄いことが起きるでもなく、陽射しはゆるやかに明暗して夢のごとき時間が過ぎていく。


 しかし、発明で食べていくという夢想がどうやら現実的でないと分かってきた男の、そんな幼い精神はやがて時間を持て余して蒙昧し、徐々に生彩を失っていくのでした。いつしか住居兼仕事場から街中へと出奔する日が目立って増えていく。奇妙でぼうっとした連帯は当然に瓦解していき、朝露のそっと消えなくなるように終わりを告げるのでしたが、それで三人のこころに救いがたい傷痕が残るではありませんでした。なんて静かな幕引き。


 若やいだ気分に包まれたり、上を向いて過ごすことがここ数年に渡って僕には在ったと振り返る訳なのですが、3月11日の午後以降(こころに)降り注ぐ雨に打たれ過ぎたものか、背中は丸まり目線は下がった感じがします。


 岡本さんの描く老境の男女にそんな気分も重なるのでしょう、共振しちゃうところがあって、このお話の抱える淡い影、微かな震え、沈んだ月の残照が浮き立たせる航跡の次第に見えなくなっていく、そんなしっとりと淋しい面持ちが随分胸に来るのでした。


 上に紹介した場面は男の心変わりした瞬間を表わしたところで、そこに“醤油”がほんの僅かに、けれど強烈な薫りをともなって使われていました。老妓の世話になる前の、電線を張ったり電球を交換したりした細々とした仕事を懐かしく思い出していく。「こんなつまらない仕事、パッションが起らない」と散々うそぶいていた癖して、板敷きの湿った床に這いつくばって半身を突っ込み突っ込みした台所の棚の奥での、醤油とカビの匂いが入り混じって重くのたうつのを鼻腔の奥にありありと再現してしまって、若い男は大いに動揺しています。


 僕たちの思い出に巣食い、時に勇気付け、時には哀憫(あいびん)の淵に突き落とすのが嗅覚の記憶です。ここでの“醤油”の臭いは単調な日常、愉楽や欲望の封殺、無私の時間、派手ではなく地道、無視出来ぬ生計といった、硬性ガチガチの言葉を山のように想起させ、ややネガティヴな印象をもたらしています。さらには「覚醒」という文字も明滅しますね。醤油は恋情に陥ったこころを覚醒させるための小道具として小説世界に多用されるのだけど、ここでも男の妄念をすっかり振り払う局面にまざまざと薫って、目覚ましの役割を果たして見えます。


 隷属を嫌って飛び出した農奴が走り疲れて立ち止まり、思い返して暗い林をとぼとぼと農園に引き返していくように、男は“醤油”の香りを追い求めておんな(老妓)の視線の届かぬ場処へと帰っていく。うーむ、どうにも色香のない、くそったれの結末です。


 洒脱な会話、自律した時間、注がれる視線と交わる想い、そういったものから逃げ帰って「生活」の現場に戻っていく男は、果たして目覚めたと言えるのか。やはり逆だったように思えます。真に追い求めるべきものを見失い、本質的な覚醒へ至ることなく男はステレオタイプのしがない現世に戻っていく。これから恋愛をしていく若い人には見習って欲しくない顛末ですね。


 人生の終幕近くにあった岡本さんらしい、諦観と狂おしさに満ちた男女観が花咲いている。語り口の上手下手を越えた、なんとも深いものがテーマに選ばれていて堪能しました。



(*1): 「老妓抄」 岡本かの子 初出は昭和十三年(1938)の「中央公論」十一月号
(*2): ハルキ文庫 2011 引用箇所はその27-28頁

2011年4月11日月曜日

川上弘美「センセイの鞄」(1999)~やっぱり~

 正月の三日、兄一家が年始のあいさつに行った昼に、

母が湯豆腐を作ってくれた。母の作る湯豆腐が、

昔からわたしは好きだった。(中略)

おいしい。わたしは言った。あんたは昔から湯豆腐が

好きだったわね。母も嬉しそうに答えた。どうしても、

自分ではこういうふうに作れないの。そりゃあね、お豆腐が

違うでしょ、こういうお豆腐は月子の住んでいるあっちのほうじゃ

売ってないでしょ。 そのあたりで、母が黙った。わたしも、黙った。

黙ったまま 湯豆腐をくずし、酒で割った醤油にひたし、黙ったまま食べた。

二人とももう、けっして何も言わなかった。話すことが無かったの

だろうか。話すことはあったかもしれない。何を話していいのか、

突然わからなくなった。(*1)


数日前から左目がごろごろしている。瞼はぼんやり熱を帯び、いよいよ薄っすらと赤らんでも来た。強くこすったあの時のせいと思い当たるものがあり、数年前にも似たような事態となって難渋したことを記憶の底から掘り起こす。花粉の舞うこの時期にたまにしくじってしまう。早めに医者に行って抗生物質をもらおうかと思う。


一軒目の入口には“停電につき午前中休診”の貼紙があった。前夜遅くに大きな余震があり、地響きのなか電灯や家電品のモニターの緑や赤い光が数度瞬いてから闇のなかにおもむろに沈んだ。体育の長距離走で軟弱な学生が息切れ眩暈(めまい)しグランドにへたり込む感じにもちょっと似ていて、何となく哀れで淋しかったのだけど、朝の随分遅い時間まで復旧は遅れたから昼近い頃となっても不穏な空気がもわもわ街中に漂っている。


二軒目の受け付けでは“午前11時までで終了”とあしらわれた。なんてこった。そうか、学校の入学式が集中しているせいだ。きっとここの女医さんもお母さんに戻って、今頃は鏡台に向かいお粧(めか)しに懸命なのだろう。


ようやく三軒目の医院で診てもらうことが出来た。待合室で順番を待つ人から発散されるものはいずれも穏やかで、痛みや悪寒に囚われ内に内にときりきり集束していく内科医とは違い、気持ちのベクトルが元気いっぱい外側に向かっている。なんとなく周囲の人に親しげな思いが湧き、下世話な興味が湧いてしまう。妙齢の女性が腰掛けているのが随分と気になったりする。眼科というのは不思議とエロチックな場処だと思う。診察室の妖しげな暗闇に久方ぶりに身を預け、顎を台座に乗せて言われるままに目玉をぐるぐる上下させながら心躍るものが強くあった。


生まれ変わったならばきっと眼科医になりたいものだなどと妄想していると、「おや、何か入っていますね」とホラー映画のドラキュラ役者みたいに髪をぺたりと撫で付けた鷲鼻の医師に高い声で告げられ、平たい器具でぺたりぺたりと眼球を撫でられる。粘膜を弄ばれている感じにちょっとぞくぞくする。照明を点けられ白くまぶしい部屋で見せられたものは1ミリ足らずの細く黒い棘のようなもので、これが炎症の原因であったらしい。


いささかもドラマティックな事など無い半日だけど、充足した気分でそこそこいられるのは丁度読み終えたばかりの川上弘美(かわかみひろみ)さんの「センセイの鞄(かばん)」のせいだ。


七十歳を目前とするかつての老教師との邂逅を通して三十台後半の月子という女性が恋情や人生の意味を問い直していく。足裏や臀部が地面なり座板から片時も離れずにいる感じがあって、恋物語にしては重心がすこぶる低い。それは結局のところ“自分が自分であり続けること”が最も崇高で居心地のよい展開であることを揺るがず騒がず指し示していて、毎日の暮らしを紡ぐ地道な行為から到底免れそうにない、そんな市井に漂う我が身にはなんとも頼もしい声援となって胸に残るのだった。


センセイとの二十年ほど隔てての再会とそこから始まる逢瀬の舞台が、小ぢんまりした居酒屋に設定されていることもあって物語中に料理がめじろ押しなのだけれど、川上さんはかなり意識して筆を尽くし、繊細な官能レベルの構築を試みており面白かった。丹精こめて盛り付けられたいちいちの表現を嗅ぎ、味わい、ゆっくり口腔で反響させた後にゆるゆると嚥下させるうち、大事な“魂のことごと”も共にゆったりと考える時間が生まれ醸成されていく、そんなペース配分が手堅く絶妙である。料理を味蕾(みらい)でとろとろと愉しませるために、醤油や味噌といった脇役もくまなく動員されていくのが心憎い。隙のない差配は見事で申し分なく、素朴な題材を扱いながらも密度は相当に濃く仕上がっている。


冒頭に引いたのは月子と母親との間で交わされる“湯豆腐”の場景なのだけど、豆腐の良し悪しをめぐる会話で親子の距離をそれとなく諭すことが出来るだろうに、川上さんは醤油と酒をそこに投入して鼻腔を貫き天に抜け行く“覚醒される気分”を挿し込んだ。穏やかな午後の母娘の対話はいつしか途絶え、醤油と酒の混じり合うことで生まれる鋭い香気成分が淋しく立ち昇って、娘から母への気持ちをどんと突き放していく。何気に凄い。


下に引いたのは、こんどは味噌の素晴らしい登用場面。センセイの余生と自らの残り少ない開花の時期を重ねることを決意した月子が、馴染みの居酒屋でセンセイをひとり待っている。気の置けない店主はつまみ代わりに麦味噌をひとつまみ皿に盛ると、さっと月子の前に置くのでした。携帯電話での甘く充足した会話を閉じた後、月子は味噌をひと舐めしてみせます。五感と“魂のこと”を連結してみせた極めて官能的な瞬間になっており、作者の恐るべき手並みが伺える描写となっています。指先に盛られて唇に吸われた味噌の舌上で放ったであろう芳香は、ささやかな登攀ながらも頂きに立った者のみが感じ取れる幸福の証しとなって鮮やかに口腔に拡がり、強い印象を刻んでいるのです。


 そのへん、座ってて。三十分くらいしたら店開けるから。

そう言いながらサトルさんは、ビールを一本とコップと栓抜きと

手塩皿にのせた味噌を、わたしの目の前に置いた。(中略)

 ビールが体の中を下りていった。しばらくたつと、下りていった

道すじがほんのりとあたたまる。味噌をひとなめ。麦味噌だ。

 電話使いますね、とことわって、わたしは携帯電話をバッグから出し、

センセイの携帯電話の番号を押した。(中略)

「いらっしゃいますか」

「はい」

「うれしい」

「同じくです」

 ようやく「はい」以外の言葉が出た。サトルさんがにやにやしている。

そのままカウンターから出てきて、サトルさんは暖簾をかけに行った。

わたしは味噌を指ですくって、なめた。おでんを煮返す匂いが、

店の中に満ちていた。(*2)


こんな描写もあります。掛け値なしに幸福な味噌汁です。恋情の境目に味噌汁椀があって、白く儚げな湯気を立てているのでした。ごちそうさまでした、川上さん。


「おいしいですかツキコさん」

 食欲のある孫をいとしむような様子で、センセイは言った。

「おいしいです」

 ぶっきらぼうにわたしは答え、それからもう一度、

「おいしいです」と、さきほどよりも感情をこめて、答えた。

 野菜の煮物とお新香が出てくるころには、わたしもセンセイも

すっかり腹がくちくなっていた。ご飯は断って、味噌汁だけにして

もらった。魚のだしのよくきいた味噌汁を肴に、残った酒を二人で

ゆっくりと飲みほした。

「さてそろそろ行きますか」センセイは部屋の鍵を持って立ち上がった。(*3)


(*1): 「センセイの鞄」 川上弘美 「太陽」(平凡社)に1999年から2000年にかけて連載。手元にあるのは文春文庫 第6刷(2005) ここに引いた湯豆腐のくだりは「お正月」の回87、88頁に記載
(*2):同上「センセイの鞄」256-260頁
(*3):同上「島へ その2」193頁 他にも「キノコ狩 その1」の回(54頁)で醤油が会話に上り、「キノコ狩 その2」では採ったキノコが味噌鍋にされ振舞われ(72頁)、「ラッキーチャンス」ではとび魚がしょうが醤油で食されている(146頁)。月子に好意を寄せる小島という男は彼女を旅行に誘い、その口説き文句はどうだったかと言えば、「近くの畑でつくったものを収穫して、その日のうちに使うんだ。味噌もしょうゆも、やっぱり近くの蔵のものなんだぜ。くいしんぼうの大町にはぴったりだろう」であった。いかにこの物語が“味噌もしょうゆも”意識的に使っていたか判る会話になっていました。

2011年3月3日木曜日

林芙美子「清貧の書」(1931)~美味かった?~

 林芙美子(はやしふみこ)さんのことを書いた評伝(*1)を数年前に読んでいます。激しい気性や貪欲過ぎる姿勢がまわりの人たちを唖然とさせ、辟易させたことが読み取れ、もしも身近にいたら気苦労が絶えないことが容易に想像出来ました。なのに、彼女の小説を僕はいまだに読み進めている訳で、つくづく人間とは勝手な生き物と思います。


きっと、もう私の魂だけは、東方行きの飛行船にでも乗って、

日本へ帰って、楽しそうに襷(たすき)なんぞかけて、

厨(くりや)の片隅に炭火をおこしている私を想う。

白い葱(ねぎ)を刻み、味噌汁をこしらえ、庭の草の芽の伸び

具合を讃めながら、夫と朝食をとるのが私の日課であったのに、

──私は一ヶ月近くも夫へ手紙を書いたことがない。忘れているのだ。

忘れているというよりも、書けないでいるのだ。(*2)


 上の文章は林さんが1931年から翌年にかけて外遊した折の、憂げなパリ滞在時の日常を綴ったものから抜き出しました。虚勢や夢想にまみれた描写の数々を衝(つ)いて、いつしか文通も途絶えてしまった夫の声や姿が“味噌汁”と一緒に浮上しています。湿度の高い郷愁の念が下宿先の屋根裏部屋に立ち昇っていき、視界を徐々に曇らせていく。実に格好が悪いのですが、かえってそこが胸にストンと来るのです。絹の下着を両手に持って一気に引き裂いたような、「忘れているのだ。忘れているというよりも、書けないでいるのだ」という叫びなど、胸に迫って共振することしきりです。


 金銭面の困窮をまるで隠さない。内奥にゆらゆら灯る欲望や執着、止まらぬ猜疑や愛憎といったものを隠そうとしないばかりか、肉親、知己の無様この上ない言動を(打診も了解もなく)ありのままに書き残してしまう。政治や経済など判らないことへの言及を避け、半径2メートル以内の出来事や己の思考だけを黙々と連ねていく。


 ブログみたいですね。それもずいぶんと赤裸々に生活の諸相が書かれてあって、邪まな好奇心を満足させると共に読み終わってずいぶんと心強くも感じられる。暮らしていく上で避けられぬ闇の領域が否定されず肯定もされず、淡々と綴られていくのが面白い。光明が見えない今の世相にも波長が合っているようで、読んでいて勇気付けられる訳です。有り難いです。


 画家である夫の姿に味噌汁の湯気薫る光景をからめて提示してみせた林さんは、漫画家の上村一夫(かみむらかずお)さんに次いで味噌(汁)にこだわった人だと僕は勝手に林さんを思っていて、それは味噌汁を呑むのが単に好きということでは当然なくって、読み手の反応や動揺をよく見定めながら内に秘める言霊(ことだま)を利用している技巧派という意味なのですが、ここでの“夫”は味噌汁が寄り添い連結したことで、温かく、懐かしく、汗のような匂いとしょっぱさを身にまとった具体像を結んでいくように思えるのです。


 心情や官能を直接語るのでなく、周辺に転がる瑣末な事象でもってからめ手でリフトし、輪郭を固めて鮮やかに浮き彫りにしていく。そういう連続技はかけられると気持ちがいい、ヤラレタっと思います。


 林さんの手腕がより明確に顕われて見えるのは「清貧の書」(*3)と題された小編です。はげしく切ない流転の日々にもようよう落ち着きが見え始め、林さんは画家の夫と着実な歩みを踏み出しています。けれど貧窮のさまは思うように改善はならず、林さんは田舎に残した母と義父に対して心ならずも無心の手紙を送ったのでした。苦しい内実は母親とて変わりません。たどたどしい文字を連ねた返事がまもなく送られてきます。


さっち五円おくってくれとあったが、ばばさがしんで、

そうれん(*4)もだされんのを、しってであろう。

あんなひとじゃけに、おとうさんも、ほんのこて、

しんぼうしなはって、このごろは、めしのうえに、

しょうゆかけた、べんとうだけもって、かいへいだんに、

せきたんはこびにいっておんなはる、五円なおくれんけん、

二円ばいれとく、しんぼうしなはい。(中略)はは。

(中略)私は母の手紙の中の、義父が醤油(しょうゆ)をかけた

弁当を持って毎日海兵団へ働きに行っていると云う事が、

一番胸にこたえた。――もう東京に来て四年にもなる。

さして遠い過去ではない。(*3)


 母よりも随分と歳若い義父に対して何か暗い確執があるという訳ではないようですが、ここではおかずも漬物の一切れも添えられぬままの弁当めしに“醤油”がじょろり掛けられていく映像が濃厚に付されて、独特の凄みを世界にもたらしています。重苦しい、黒いものが田舎の生活と義父の面立ちに固着して当の本人の林さんもそうですが、読んでいる僕たちの胸すらも厚い雲ですっかり覆っていく感じがする。


 この醤油、義父、実家、(経済的、心理的)負担といった緊縛は強迫観念的に再三林さんのこころに立ち現れて脅かしていくのでした。

風呂敷の中から地獄壷を出して、与一の耳のへんで振って見せた事が

大きいそぶりであっただけに私は閉口してしまった。なぜならば、遠い旅の空で

醤油飯しか食っていない、義父や母の事を考えると、私は古ハガキで、

地獄壷の中をほじくり、銀貨という銀貨は、母への手紙の中へ札に替えて

送ってやっていたのである。(*3)



気合術診療所から貰って来たトマトの苗が、やっと三ツばかり

黄色い花を咲かせていた。あの花が落ちて、赤い実が熟する頃は

帰って来るのだろう。――私一人で何もしない生活の不安さや、

醤油飯の弁当を持って海兵団へ仕事に行っていた義父が、トロッコで

流されたという故郷からの手紙を見て、妙に暗く私はとらわれて行った。(*3)


 醤油の持つ多層的でえも言われぬ香りが米飯の上で揮発し、四方八方に飛び出していく。五感を刺激する味と匂いの競演する様子がもっとも明瞭になる嬉しい瞬間が“しょうゆかけ”じゃないかと思う僕には、どうしてここまで重い方向に受け止めているのか不思議でならないのですが、林さんのお母さんたちのお金に困ってそれしか食べられない状況は本当であったでしょうから、それじゃ、こう書かれてもいたし方ないですね。いずれにしてもこの「清貧の書」に象徴として醤油飯が使われているのは隠しようがない。

 一方でこんな記述も見つかります。


もう今朝は上野へ行く電車賃もないので、与一は栗色の

自分の靴をさげて例の朴のところへ売りに行った。

「何ほどって?」

「六拾銭で買ってくれたよ」

「そう、朴君はあの靴に四ツも穴が明いているのを知っていたんでしょうか?」

「どうせ屋敷めぐりで、穴埋めさ、味噌汁吸って行けってたから呑んで来た」

「美味(うま)かった?」

「ああとても美味かったよ……弐拾銭置いとくから、何か食べるといい」

私は今朝から弐拾銭を握ったまま呆んやり庭に立っていたのだ。

松の梢では、初めて蝉がしんしんと鳴き出したし、

何もかもが眼に痛いような緑だ。

唾を呑み込もうとすると、舌の上が妙に熱っぽく荒れている。

何か食べたい。(*3)


 生活費を捻出するために夫が靴を売りにいき、先で味噌汁を馳走になったことが語られています。特段のものでもないのに、話す夫も聞く妻もとても嬉々としているようにここでは映る。先の醤油飯と対照的に、味噌汁、夫、我が家、前進という連結を認めることが出来ます。ふたつの力(醤油と味噌汁を目印とする)がせめぎ合って、おんなの思考を両端から引っ張り合っている感じです。


 父親に連なり、覚醒を誘い、重い現実に重なる醤油という典型的な方程式と、内側にあって日常の旗印となる、これも大切な役回りを担った味噌汁がしかと刻まれている。と、ともに、林さんのなかには“愛しい男”と味噌汁とが同一化していく稀有なかたちが読み取れるようで、これはなんとも興味深い日本文学上の切り口ではなかろうかと一人でにんまりしているところなのです。一点集中で物事を見るって、ほんとうに面白いですね。


 さて、いよいよ年度末。突飛な動きがいろいろと起きて慌ただしくなります。何がなにやら分からぬままに毎日が過ぎていき、布団のなかでは乾いた溜息も湧いてくる。

 内食外食を問わず、時にはそっと味噌汁椀をかかげ、真空となっていられる時間を捻出しながら、どうか元気に健康にお過ごしください。


 口角を上げて、微笑んで春を迎えましょう。


(*1):「女流 林芙美子と有吉佐和子」 関川夏央 集英社 2006 
(*2):「屋根裏の椅子」 林芙美子 1933 改造社版に所収 手元にあるのは講談社文芸文庫 2009 

(*3): 「清貧の書」 林芙美子 初出「改造」1931  講談社文芸文庫所収
(*4):そうれん【葬斂】なきがらを棺に納め、ほうむること。また、その儀式。

2010年12月16日木曜日

泉鏡花「歌行燈」(1910)~ぎゃふんと参った~



「……上旅籠(じょうはたご)の湊屋で泊めてくれそうな御人品なら、

御当家へ、一夜の御無心申したいね、どんなもんです、女房(おかみ)さん」

「こんなでよくば、泊めますわ」

と身軽に銚子を運んで寄る。と亭主驚いた眉を動かし、「滅相な」と帳場を

背負(しょ)って、立塞(たちふさ)がる体(てい)に腰を掛けた。

いや、この時まで、紺の鯉口(こいぐち)に手首を縮(すく)めて、

案山子(かかし)の如(ごと)く立ったりける。

「はははは、お言葉には及びません、饂飩(うどん)屋さんで泊めるものは、

醤油(おしたじ)の雨宿りか、鰹節の行者だろう」

呵々(からから)と一人で笑った。(*1)


「高野聖(こうやひじり)」といっしょに本(*2)に収まっていた泉鏡花(いずみきょうか)さんの「歌行燈(うたあんどん)」。その中から序盤の一節です。三味線片手に家々を門付けして歩く男が、宿場町の一角の夫婦ふたりで細々と商っている饂飩屋で暖を取っています。手持ち無沙汰のままに夫婦をからかったりしますが、実は内心穏やかではありません。直前にすれ違った人力車の客にはっと驚き、気持ちは過去へ過去へと溯っている最中。


愁いを帯びた声とどこか陰影を含んだ男の面立ちに店の女房はすっかりのぼせてしまい、冗談を真に受けて一夜の宿を提供しようとする始末。夫は気が気でありません。懸命に断りを入れる慌てた様子に男は笑い、饂飩屋に出入りして雨風をしのぐのは食材の一部である醤油と鰹節が関の山であり、人間の自分は泊まるつもりなど毛頭ないのだと打ち明けている。

ほどなく“醤油”は再登場。次の箇所。


「そないに急に気に成るなら、良人(あんた)、ちゃと行って取って来(き)い」

と下唇の刎調子(はねぢょうし)。亭主ぎゃふんと参った体で、

「二進が一進、二進が一進、二一天作の五、五一三六(ごいちさぶろく)

七八九(ななやあここの)」と、饂飩の帳(ちょう)の伸縮みは、加減

(さしひき)だけで済むものを、醤油(したじ)に水を割三段。(*3)


日もとっぷり暮れて宿場町のあちらこちらでは芸者をあげての宴がたけなわ、呑めや唄えの喧騒のなかで饂飩屋へも出前の注文がぼちぼちと入って来る。色男と女房を二人きりにして店を開けるのが心配で心配でしょうがない夫は、売掛金の確認をそわそわと始めたりして女房の気持ちを離そうと必死です。うるさいわね、と一喝されると、醤油の薄め方は水一に対して幾らだったかしらんと脇でごにょごにょつぶやき、火照るおんなのこころに水を注そうと涙ぐましい振る舞いです。


鏡花さんの文章がなかなかの味、いい調子。それに意地悪でない。愚直な店主を笑い者にしているけれど、人気ある喜劇役者をうまく盛り立てる風で腹黒さが臭って来ない。だから気の利いた小道具然として醤油も明快なままあって、きれいに劇中で踊って見えます。


こころの芯にちろちろ這い出す恋情の焔(ほむら)をパタパタとはたき消していく、そんな役割を醤油は担っているようにも見えます。欲望や観念からの覚醒を押し進める役回りは他の小説にも散見できること。時代を越えて似た趣きは偶然のようでもあり、必然のようでもあり──。少なくとも恋の成就に手を貸す者ではないけれど、ちょっと小粋な客演でした。


物語の顛末はと言うと、これは典型的な運命悲劇。各人各様に背負っている過去が哀しい調べを奏で始めます。飄々とした幕開けでしたがあれは全く違う作品ではなかったかと思わせるほど内容は一変し、急に険しさを増していく。死人が出、凄惨な苦界が眼前に広がり、冷たい風と波が人を弄んで止みません。昏い情景を幾幕か挟んだ後、符号が次々と照らし合い重なって、やがてうねるようにして感涙むせぶ大団円が訪れる。


感謝に打ち震え手に手を託して輪となっていく屋内のまばゆさから、そっと外れて路傍に横臥し生命燃え尽く者もいる。残光がうすく尾を引くような余韻もまた見事で、まるで上質の映画か劇画を目撃しているような読後感がありました。




さてさて、いよいよ歳末となり平成の二十二年も終わろうとしています。代を継ぎ、舞台をかえて、実際の僕たちの暮らしには容易に幕は下りません。生命ある限りはいやおうなしに続いてしまう。小説のような大団円は夢のまた夢。


しみじみと想い馳せれば、僕の周りのあの人もこの人も実に色彩豊かで得難い才能と気性、心根の持ち主だと感心します。そのような人たちと知り合えて本当に良かったと思っています。どうか皆さん、怪我なく元気にこの年末をお過ごしください。


僕は脇役で皆さんは主役、立ち位置や照度は違うかもしれませんけど、同じ舞台で共演し続けられることを心から喜び、願ってもいます。幕下りるまで一緒に過ごしていきましょう。温かくしてお過ごしください。


(*1):「歌行燈」 泉鏡花 1910 (下記文庫)194頁
(*2):「歌行燈・高野聖」 新潮文庫 僕の手元にあるのは2009年の77刷 
(*3):同196頁 
最上段の画像は1960年の映画より。監督 衣笠貞之助 市川雷蔵 山本富士子
観たことはありませんが、人工的で華美な配色に惹かれます。

2010年9月17日金曜日

米林宏昌「借りぐらしのアリエッティ」(2010)~ビスケット~



 この年齢でそれはないよ、と恥らいつつ、時折、劇場に足を運んではのんびりと極彩色のマンガ映画を楽しんでいます。極端な絵空事にはもはや付いていけなくって、現実に深く拮抗しているものか、発達し続けるテクノロジーが社会や家庭をどう変えていくかをシミュレートする、そんな指先が届きそうな“近しい物語”に限られるのですけどね──。この夏は『借りぐらしのアリエッティ』(*1)と『カラフル』(*2)を観ました。(*3)

 いとけない少年少女のお話で、いずれも身近な日本の風景を舞台に選んでいます。あれこれ語るのは年輩者の役割ではないでしょうから、例によって話題を絞ります。『借りぐらしのアリエッティ』は古い西洋風の家屋の床下に小人の家族がこっそり住み着いていて、夜になると忍び出ては食品や雑貨を盗んでいく、そんな一種のおとぎ話、妖精譚です。

 原作はイギリスの児童文学らしく、Youtubeには海外でドラマ化されたものの一部が載せられていますね。上で“妖精”と書いたのは原作の持つイメージがきっとこの映像に近しいと思うからです。赤毛のちんちくりんな頭とずんぐりした体躯、甲高い声とバタバタした動きは人間ばなれして見える。コロボックル、座敷童(わらし)、キジムナー、そんな感じです。




 映画はそんな奇矯なキャラクターをきれいに捨て去って、寡黙で知的な家長を主軸と為して懸命に団結し、生き残りをかけて手堅い日常を送っている“人間たち”が描かれる。“人間”であれば出逢いもあり、胸の奥につかえて鈍痛を覚える悩みの思いがけぬ吐露だって起きてしまうものだし、密やかな感情の交錯もそっと生じていく流れ。

 重い病気をかかえた少年とそわそわして自立を模索する少女が出逢って、雲母のような薄く儚(はかな)い“きらめき”を反射していきます。大胆この上ない換骨奪胎の演出が面白かったですね。


 悪い意味ではなくって“可笑しさ”のひとつとして脳裏を駆け巡ったのは、彼ら床下の小人たちの“食生活”についてでした。階上のテーブルでは茶碗にごはんが盛られ、また、味噌汁椀も見受けられます。箸を使ってのささやかな食事が淡々と描かれている。

 そのような日本的な食事の“おこぼれ”にあずかっているはずの小人たちの栄養補給の仕方は、どう見ても頑固な洋食主体であって、その段差が僕には相当に意図的に見えたのです。彼らはビスケットを台所からくすねると、それを持ち帰っては苦労してゴツゴツと細かく砕き、ようやっと粉にしてから、どうやらそれをさらに加工してパンか何かに仕上げて主食とするらしい。どうしてまた、そんな回りくどいことを!

 海外の原作を採用したことの歪みにも見えますが、それだけでなくって、わたしたちを取り巻く日本食がにちゃにちゃと粘性が高く、扱いにくいという点もあるやもしれません。実際、日本語のなかの食感に関わる形容で、ベタつく感じを表現するものの数は世界でも稀な多さらしい。(*5)


 ごはん粒など拾おうものなら、カーマインの素敵なワンピースは澱粉でごわごわとなってしまうでしょう。床下の多湿な空間に濡れたものを持ち込みたくない、というのも理に適っている。思考の末に小人達はビスケットに狙いを定め、カサカサと袋をまさぐる階上の物音に耳をそばだてていくのでしょう。

  加えて、いや、実はこっちの方がたぶん本筋なんでしょうけど、納豆や味噌臭い風体で少女が徘徊しては百年の恋も覚めるということじゃあないか。恋情と和食文化とのすれ違いが、意図的にか偶然かは知りませんが二重三重に、けれど、実にさりげなく劇中に起こっているようで、僕は少し面白く思ったのでした。僕たちの胸奥に巣食ったこころの化身のようにアリエッティは見えるのです。



(*1):「借りぐらしのアリエッティ」 監督 米林宏昌 2010  原作はメアリー・ノートン「床下の小人たち」The Borrowers 
(*2):「カラフル」 監督 原恵一 2010 
こちらの映画では「丸大豆しょうゆ」の容器が幾度か目に飛び込んできます。家族の再生を描く物語の常套として台所脇の食卓が登場するのだけど、彼らの背後にある流しの上のちょっとしたスペースに「丸大豆しょうゆ」がふんぞり返って僕たちを睨んでいます。演出の意図は何か、各人各様に受け止めるしかありませんが、のびのびとした風景とはなっていませんね。“しょうゆ”というのはなかなかに重苦しいもので、現実世界の覚醒を後押しするような役回りが多いのですが、ここの“しょうゆ”もそんな負の気配を纏(まと)って見えます。

(*3):マンガという世界は、思えば瑣末な背景描写のいちいちにさえも取捨選択を迫られる、言わば無制限に“決断”を迫られる場であって、作り手の意識や認識がべろりとさらけ出されてしまう仕組みです。カメラでもって現実の空間を掠(かす)め取る、いわゆる通常の映画と比べて随分と“批評的”に成らざるを得ない。(*4)

現在作られているマンガ映画であるならば、それは間違いなくこの時代を僕たちと共に生きている人間の、リアルこの上ない個人的な“世界観”がスクリーンにつぶさに塗布されていくわけで、観客の抱える“世界観”と衝突したり交合(まぐ)わったり、実は相当に激しい時間になっていく。もしも嘲り笑われるとしたら、その対象は表現手段にとどまらず、いきなり作り手の観察眼や見識といった真髄、真価に向けられる。逃げの利かない勝負を迫られているように見えますね。そんな独特の緊迫感が僕を捉えている、そんなところはアリマスね。

(*4):劇画出身の石井隆さんのように全方位的に目線がゆきとどいて統一した世界観を構築できる実写の監督さんもおられるけれど、そういう人はごくごく稀であるように思われます。

(*5):最終的に445語から成るテクスチャー用語リストを得ました。(中略)日本語のテクスチャー表現の最大の特徴は、数が多いことです。海外の同じような研究例では、英語で77語、フランス語で227語、中国語で144語、ドイツ語で105語となっています。これらの研究は、それぞれ調査の時期や方法が異なるので、単純に比較することはできませんが、それにしても、日本語に食感表現が多いということは間違いなさそうです。(中略)日本語のテクスチャー表現には粘りの表現が多くみられます。「にちゃにちゃ」、「ねばねば」、「ねっとり」等、「に」や「ね」で始まる粘りの表現、「ぶるん」、「ぷりぷり」、「ぷるぷる」等、「ぶ」「ぷ」で始まる弾力の表現、また、ぬめりを表現する「つるつる」、「ぬるぬる」等、が多くみられました。これらは他の言語ではあまり数多くみられません。ここには、日本で食べられている食材や、日本人のテクスチャー嗜好が背景にあるのではないかと推測されます。古来、日本人は、もちなど粘りのある食品を好んで食べてきました。納豆、里芋、こんにゃく等、粘り、ぬめり、弾力が特徴の食品も日本人の食卓には数多くあります。

早川文代 (独)農研機構 食品総合研究所 食品機能研究領域 主任研究員 博士(学術) 「日本語のテクスチャー表現から見えてくること」 東洋クリエート株式会社発行「創造 №36」平成22年8月1日発行

2009年12月31日木曜日

角田光代「夜をゆく飛行機」(2004)~とめどなく~



倒れた醤油瓶から液がとめどなく漏れるように、父はしゃべった。

ミハルちゃんが大学にいきたかったことも結婚したい人がいたこ

とも私は知らなかった。知りたくなかった。父はずるい、と思った。

ここにひとりでくる勇気がなくて、私を連れてきて、思い出話を

勝手に私に聞かせて、それで自分は少し気分が楽になるかもしれない。

けれど私はどうしたらいいのだ。(*1)


  喪われゆく光景への哀惜が味噌、または味噌汁をともなって描かれていく。角田光代(かくたみつよ)さんの「夜をゆく飛行機」のそれぞれの味噌描写を書きとめた次第でしたが、実はより興味を惹かれたのは醤油の登用の仕方でした。味噌汁同様、のどかな郷愁を担って描かれている醤油なのですが、そこには明らかな段差が認められるのです。


  ひとりの作家によって味噌と醤油が並べ描かれることは、有りそうでいて実はなかなか見当たりません。どちらかに固執するのが普通です。以前このブログで取り上げた中で、両刀遣いに数えられるひとは唯一向田邦子(むこうだくにこ)さんだけです。(*2)


  向田さんのエッセイと角田さんのこの小説の共通点は何か、焦点を絞って眺めると面白いものが見えてきます。母親、祖母、姉妹といった“女性の記憶”と味噌汁は連結し、“父親の記憶”とは醤油が連結して見えます。組み合わせがあるのです。 台所で立ち働く女性、卓袱台でふんぞり返っている男性というテリトリーは確かに影響するでしょうけれど、もっと根深く繊細なものが仮託されて見えます。


  例えば上に掲げた角田さんの引用は実に見事で、僕たち読み手の気持ちに波紋を起こしますね。醤油から与えられる様々な心象が重層的に次々連結していきます。覚醒(興ざめ)、汚れ、破壊的、染み、トラウマ。それに父親、男性といったものが直結していき、末っ娘の蒼白いこころ模様を瞬時に伝達することに成功しています。


  こんな記述も劇中に見つかります。


「ほらほらモトちゃん、ブラウスの裾にお醤油がつくわよ、
あーあーおとうさん、グラスを倒さないで」「リリちゃん、
カンパチ好きでしょ、これひとつあげるわよ」「ちょっと
お醤油、お醤油とってったら」「あーもうコトちゃんうるさい、
ガリでも食ってな」「モトちゃん、女の子が食ってなはない
でしょう、食ってなは」「りー坊はいくつになったんだ、
おまえいくつになったら酒飲めるんだ」「もうおとうさん、
高校生にお酒つぐのやめて」(*1)


  醤油が衣服に接触しそうになる危機的なイメージの立ち上げ以降、喧騒はエスカレートして男言葉が飛び交い、女性らしいしなやかさが瓦解していきます。おんなと味噌、男と醤油というイメージの固着がやはり読み取れるのです。


  青息吐息でいる町の酒店の側に巨大なショッピングセンターが遂に開店し、酒店の母親と娘が偵察にいく場面があるのですが、そこでは三千円という法外な値段の醤油とそれに対して嘲弄する会話が取り込まれてもいます。「お尻がむずっとする」と笑うおんなたちは明らかに醤油という存在を軽んじています。(三千円の味噌だったらどうでしょう。案外よくよく手に取り吟味したのじゃないかしら)


  ここで向田さんに続き、山本文緒さんを思い出してもいいですね。衣服に醤油の染みを鏡で見止めた瞬間にパニックに陥った、情事の後の若い女性を描いた「恋愛中毒」。あの情景の深いところにも醤油=男性という連鎖が潜んでいたのかもしれません。(*3)


  “母親”の味という永遠の夢を味噌汁に思い描く男たちと、その反対に汚すもの、単純なもの、破壊者、左程の価値を認め得ないものとして“男たち同様に”醤油を見下すおんなの視線が僕たちの日常ではそれとなく交錯しているということでしょうか。


  夫婦なり同棲中の男女なりが暮らし始める家屋において、醤油と味噌がやがて買い揃えられて調理の根幹におかれ、混然一体となって使われていくわけですが、各々に託された別々な密やかな眼差しを想うと慄然とするものがあり、また、笑ってしまうものがあります。なるほどよく出来ている、そうも思えます。


 僕たちの胸の奥の洞窟は深く、広く、時に真空になり、時に身を切るような風が吹き荒れますよね。持て余すことも間々ありますが、けれど素敵で素晴らしいものだと信じます。すれ違い、反撥、衝突も日常の調味料、匙加減ほどに軽く受け止め、醤油のように舐め干し、味噌のようにしゃかしゃかと“こころの鍋”に溶かしながら暮らしていかないといけませんね。


 さてさて、いよいよ重い雪が降り始めました。庭木にもたちまち白いベールがかかって、重そうな、けれどその重さがちょっと嬉しそうな、そんな顔をして見えます。


 今年はほんとうにありがとう。
 たくさんたくさん助けられた気がしています。


 どうかよい年をお迎えください。

(*1):「夜をゆく飛行機」 角田光代 初出は「婦人公論」2004年8月より連載、翌年2005年11月まで。 現在、中公文庫で入手可。
(*2): http://miso-mythology.blogspot.com/2009/06/1981.html
(*3): http://miso-mythology.blogspot.com/2009/11/1998.html

2009年11月6日金曜日

山本文緒「恋愛中毒」(1998)~一刻も早く~



水無月(みなづき)さんは、ふいにそこで口を閉じた。

一分待ち二分待ち、おや?と思って彼女の顔を覗き見る。水無月さんは泣いては

いなかった。けれども彼女はサワーのグラスに手をかけたまま、放心したように

テーブルの一点を見つめていた。そこにはただ醤油差しと空になった器がある

だけだった。(*1)


 社員数名の小さな編集部に勤める四十代の水無月さんが、恋情のトラブルを会社に持ち込んだ若い男子社員、井口君をいさめるために居酒屋のテーブルで対座しています。かれこれ十年程も前、三十を少し越えたばかりの時に起きた自分の離婚体験を語るうち、昏く淀んだ記憶の淵に水無月さんはダイブを始めてしまい、異様な放心状態に陥ります。若者は微動だにしないおんなの姿に恐れおののきます。


 一体全体どうして作者は、ここで“醤油差し”を持ち出さなければならなかったのか。読者は禍々しいものの到来を予感しつつ頁をめくっていくことになるのですが、なるほど、そういう事か、僕たちを待ち受けているのは典型的かつ繊細な醤油の記述だったのです。


 水無月さんは離婚による痛手を抱えて独りアパートの自室に蟄居していたのですが、数ヶ月を経てなんとか社会へ復帰し、親戚が探し与えた弁当店でのアルバイト業にいそしむことになります。ある日、カウンターでの応対中、客として訪れたタレント兼文筆家の創路(いつじ)功二郎に見そめられてしまいます。高校生の時分から熱心な読者であったことも背中を押して、教わり知った彼の自宅を散歩がてら訪ねてしまう。寿司を一緒に食おうと強引に誘われ、勢いづくままに男が仕事部屋として常時押えてある高層ホテルの部屋に二人して向かうと、そのまま身体を重ねてしまうという展開です。


 幽かなまどろみを経て目覚めた男がテレビ番組か何かの打ち合わせのためにいそいそと退室してしまい、おんなは独りベッドに取り残されます。予想だにしなかった夢のような半日に戸惑い、どう次に行動していいか思考が停止して判断が付きません。


 私はそれからしばらく服も着ずにぼうっとしていた。カーテンを開けた

ままの大きな窓の向こうがだんだん夜になっていく。やがて私はのろのろと

ベッドを出た。椅子の上に放り投げてあったポロシャツとジーンズを身につけ、

先程彼が使っていた櫛(くし)を取り上げ髪を梳(と)かした。近所にちょっと

散歩に出掛けるつもりで家を出たので、私は何も持っていなかった。化粧直しを

しようにも口紅一本持っていない。鏡に向かっていたら、ポロシャツのおなか

あたりに醤油の染みがついているのを見つけた。

 私は鏡から目をそらし、一刻も早くここを出ようと思った。カードキーは

彼が持って行ってしまった。ということは一度ここを出てしまったら、私は

自力では二度とこの部屋には入れないということだ。だから彼はルームサービスを

取れと言ったのかもしれない。(*1)


 “醤油の染み”や匂いが閃光のような烈しい覚醒作用を登場人物と読者にもたらし、それまでの世界観を瞬時に破壊してしまうことがあると以前書きました。そのお手本のような情景描写です。夢と現実の段差が日常の食卓(ここでは寿司店での男との昼食に際して付着したものでしたが、店は“ごく普通の”と設定されています)──を司る醤油を挿し入れて表現されていく。淡いロマンスをたちまち氷結させ、粉微塵にしていきます。


 醤油はのぼせ上がった気持ちに水を差す宿敵なのでしょうか。おんなは哀れな遁走を開始します。午前零時の鐘の音が耳をつんざき、慌てふためき階段を転がり下りたシンデレラのような感じです。


 醤油の染みのついたポロシャツと何年も穿(は)いているぼろぼろのジーンズ姿

なので、非常階段か何かでこっそり外に出たかったが、それも帰って目立つ気がして

やめた。仕方なく乗ったエレベーターで、外国人のカップルにちらちらとこちらを

見られて死ぬほど恥ずかしかった。エレベーターを下りると、顔を伏せてロビーを

早足で突っ切った。逃げるようにして私はホテルを出た。(*1)


 コーヒーをこぼしたスカートやパンツというものは相当に羞恥を誘い、始末に困ってじたばたと慌てさせられるものです。醤油もまたコーヒーと同類。排泄物に近しい色合いのせいで、本能が警報を鳴らさずにおかないのかもしれません。動揺はずるずると尾を引き、自宅に帰り付き、扉を閉め、その服を脱ぎ捨てるまで鎮まらないものです。悪魔のようなそんな茶色の染みと独特の臭いをまとわり付かせたおんなは“外国人の”二人連れの視線を過剰に意識して、哀れで汚い日本人となって逃げ帰っています。


 恋情からの覚醒と人種をめぐるコンプレックス。一滴の醤油の染みを登用して、僕たちの深い部分に二重に迫り来るものがあります。さらにここでは、甘く苦く、芳ばしく香る愛の記憶を十年もの長い年月を経ても“醤油差し”越しに無言で見つめ続ける視線があります。表舞台からでは触れられない裏側からの世界へのアプローチがそっと示されてもいて、何て素敵な構図だろう、なんて日本的な奥行きのある図柄だろうと感心することしきりです。

 
 さっと読み通してしまえば瑣末な点に過ぎぬものばかりですが、線で結んでたどってみれば鮮やかな魂のシュプールが頁をまたいで描かれていく。山本文緒(やまもとふみお)さんという人が相当な滑り手であり、文学賞の授与も当然だなと頷いた次第です。


 さてさて、再び週末ですね。余暇を満喫できる方は行楽の秋、スポーツの秋を、お仕事柄それに邁進される方はちょっとだけ寄り道しての芸術の秋をお過ごしください。

 その間、もしも万一お醤油が大事なお召し物を汚したなら、ちょっとだけ僕のミソ・ミソでの妄言を思い出し、まあいいさ、たまにはこんな事もあるさ、私たちは誰もがシンデレラの末裔なのさと大きなお口で笑ってください。悪戯にめげずに美しい時間を、大事なひとと重ねていってください。


(*1): 「恋愛中毒」 山本文緒 角川書店 1998 現在は角川文庫で入手可能

2009年8月4日火曜日

桃谷方子「百合祭」(1999)~興奮~


 並木さんが、短くなった煙草を灰皿にねじりつけた。

「三好さんが浮気をするからいけないのよ」

 唐突に大きな声で言い捨てた。三好さんの表情が一瞬消えた。

「三好さんが、いつ浮気をしたって言うの」

 とっさに、毬子の奥さんがからだを乗り出した。斜めへ向けた目は、

いつにも増して眼球が飛び出しているように見えた。ジバンシィの

スカーフの先が小皿の醤油に浸った。

「並木さん、三好さんが浮気をしているってどういう意味なの」

 横田さんが、箸を、箸置きに打ち付けるようにして置いた。

「浮気は、浮気に決まっているでしょ」

 並木さんはそう言うと唇を噛んだ。(*1)



 物語の舞台は賃貸アパートです。平屋の一軒家形式で、肩寄せ合うように棟が並び建っています。高度成長期によくあったカタチですね。この僕も似たような風景から幼児期の記憶をスタートさせていますので、ちょっと懐かしい気分です。


 町なかではあるけれど、近くには河が流れ、いまだに湿った土の匂いのする地所に在ります。住居者のほとんどが女性です。そこに、三好輝治郎という七十後半か、八十の前半くらいの年齢のお洒落な男が引っ越してきます。先住していた、七十を越え、最高齢は九十一才というおんなたちの胸の内に懐かしくも嬉しい恋情の焔(ほむら)がじりじりと再燃していき、春色の騒動が勃発するというちょっと可愛らしい物語です。


 可愛らしいと言っても、精神的にも身体的にも完熟し切った男女です。見詰め合い、抗い、許し合いして抱擁に至っていく行為の一部始終が驚くほど綿密に描かれおり、老いを露わにする残酷な描写も多分に含んでいます。



 男は既に性的な能力を失って久しいのですが、余命を目の当たりにして漠然とした焦燥に駆られています。女性を口説き、膝頭にそっと触れ、重なろうと藻掻く様子は痛々しい程です。受け手となる女性たちも同様です。蠢動して止まぬ不安や怖れを内に秘めて、切実な毎日をやり過ごしているのです。読んでいて随分と考えさせられるものがありました。



 ふと、ここで思い返したのは上野千鶴子さんの言葉です。朝日であったか読売であったか失念しましたが、いずれにしても新聞の人生相談に載っていたのでした。ひとには“性欲”と“性交欲”とがあり、これを同一と捉える単純な御仁も世の中にはいるけれど、ふたつの間には雲泥の開き、天と地の高低差があるという内容でした。独りよがりで自己愛に翻弄される前者と、相手を慈しみ“こころ”を抱き止める後者、といったように上野さんは区別し説かれていたかと思います。なるほどもっともだ、その通りだと感じました。


 身体と精神の双方が同時に充足し得るのであれば、それは確かに天上の歓びに等しくって、刹那しっとりと包み込まれる心地好さは何ものにも替えがたいものです。しかし、愛する仲には往往にして組み違いが起こります。ボタンの掛け違いだって在る。その結果として“こころ”を抱き締める“だけ”の関係だって世間には随分とあるわけです。


それ等が著しく劣ったものかといえば、僕にはまるでそうは思えないのですね。そういうのだってアリ、でしょう。“性交欲”とは確かにどぎつい言葉なのですが、内実は柔らかくって広がりがぐんとあります。とても大事な、人生の、そして世界の捉え方だと思っています。




 想いをこうして連ねて行けば、世に言う老人の域に到達した人たちの恋情、つまりは“こころ”を抱き締めることを根幹とする色模様だって、世に多い掛け違いのそれと同等に、切なく健気なものではなかろうかと思えてくるのです。これまで高齢者に向けて伏し目がちだった眼差しは、幾らか上を見据えて、ゆるやかに静かに昇っていく感じです。歳を経るって僕たちが思っている以上に、実は嬉しく愉しいことかもしれません。


 作者の桃谷方子(ももたにほうこ)さんがこの物語を紡がれたのは、四十四才になられてからです。収穫の年齢、といった感じがします。とても身の詰まった芳醇な果物、美味しかったですよ。ごちそうさまでした。読めて良かったです。



 さて、冒頭に紹介したのは“醤油”の登場する印象的な場面です。三好に各々強く惹かれるおんなたちが熱情の炎に焼き尽くされて、いよいよ平静さを失っていきます。男の歓迎会の席上、遂にひとりの喉元から堰き止められていた想いがほとばしってしまい、微妙な均衡の上に成り立っていたご近所関係が決壊を始める。その瞬間が描かれていました。


 “醤油”の色と臭いがおんなの衣服を穢す際にもたらす破壊的なパワーが、さりげなくワンカットで組み込まれています。興奮に陥ったおんなたちの、ぶくぶく、ぐつぐつと沸騰した心情を読者に伝播していて、見事としか言いようがないですね。


 このように“醤油”を“使える”ひとは少ない。桃谷さんというひとはとっても奥深いひとのようで、僕は強く興味を引かれているところなのです。


(*1):「百合祭(ゆりさい)」 桃谷方子 1999  「百合祭」 講談社 2000 所載



2009年6月18日木曜日

大林宣彦「時をかける少女」(1983)~コンプレックス~


〇堀川醤油工場

大カマドの前で、火加減を見ている吾朗……汗をかき、Tシャツ姿である。

和子、入ってきて、

和子「こんにちは」

吾朗「よっ……」

和子「(辺りを見回し)あったかいのね」

吾朗「ああ……暑いくらいだよ」

和子「(クンクン鼻を鳴らして)わたし、この匂い、好きよ、お醤油の匂いって……

   なんだか優しくって……」

吾朗「(見て)……そういう気楽なことは醤油屋のセガレの前で言ってほしくないね。

   ……なにしろ、こっちは年中なんだから。ちょっと危ないよ」

和子「ごめんなさい……」

吾朗「もう大丈夫?気分悪いの、治ったの?」

和子「うん」

吾朗、醤油樽を持ち上げ、ビンに醤油を注ぐ。真剣な表情。太くたくましい腕。

和子「吾朗ちゃん、わたしね……」

吾朗「(顔を上げず)わりい。黙っててくんないか。

   ……こぼしちゃうといけないから……」

和子「ごめんなさい(とションボリ)」(*1)


お醤油の匂いは大いに食欲をそそります。ですが、例えば仕事の会食でもデートでもよいのだけれど、刺身か寿司のために醤油が注がれた小皿がテーブルにあり、どちらかの酔った指先が悪戯してそれをひっくり返したとします。女性の足元に小皿が跳ねつつ、醤油の飛沫がストッキングを点々と染めていく。これも愛嬌、なかなかエロティックで風流ではないかとそのまま捨て置いて歓談に戻れるものかどうか。まず普通のひとには無理です。血相を変えてタオルで拭き清め、周囲の者も口々に大丈夫かと尋ねるでしょう。


染みになっては大変、乾くと落ちにくいのよ、と慌てふためく訳ですが、濃厚な臭いもそこに関わっているように思われます。安物のストッキングならトイレのゴミ箱にあっさり捨てられてしまうでしょう。お醤油は食べものとして悦ばれながら、かように衣服や素肌との接触を敬遠されてしまう。愛され方がいささかイビツなところがあります。身体にまとわりつくお醤油の匂いを人はどのように捉えているのか。そのこころの動きはどこから来ているのか。普段は深く考えてみたことはありませんが、ちょっと不思議なものがありますね。




醤油の匂いについて踏み込んで描いたものに、1983年の映画「時をかける少女」があります。筒井康隆の原作にはない醤油蔵が登場しますが、その場景を抜き書きしたのが上記の台詞です。恋焦がれる芳山和子(原田知世)の訪問にどきまぎする吾朗(尾美としのり)は、彼女の「優しい匂い」という表現を言下に否定しています。

そればかりではありません。悟朗へのほのかな恋の芽生えを胸に抱いている和子の、懸命で真摯な言葉の手探りに対して再度拒絶の意思を明示していきます。


和子「ゴロちゃん、ありがと、これ、洗っといた」

と、ふいに幼馴染の少女に帰って……。

吾朗、黙って尻で手を拭き、ハンカチをつまむように受け取る。

和子「ほんとに、ありがと……そのハンカチ、お醤油の匂いが、いっぱいしたわ!」

吾朗、思わず、顔をしかめる。


僕たち観客は登場人物と物語を俯瞰し見詰めることで、醤油の存在が和子のタイムリープ(時間旅行)のきっかけとなった妖しい化合物と対峙させられているのが分かる。麗しきラベンダーの香りを放っていた未来の化学技術と衝突していることを感じ取ります。ここにおいても醤油は、大変象徴的に取り上げられているわけですね。

この匂いの対立に眼目を注いで、ラベンダーは“かなわぬ恋”を、醤油は“平凡な幸せ”を各々表していると評するひともいますが、僕には物足りない気がします。幸せの象徴になっていないことは、次に連なる母親との会話の中ではっきりするからです。単に思春期特有の異性に対する照れ隠しの域ではない、かなり根深いコンプレックス、凄まじいマイナスのイメージとして醤油の香りは描かれている。


吾朗「いいんだよ……オレは……これが好きなんだから。

   オヤジの代から体中に醤油の匂いが染みついてるんだから」


日本人ほどお醤油を好んで使いながら、こと“恋情”を強く意識したときにもっとも敬遠、嫌悪する民族もいないのです。カタカナ欧州文化への劣等感や、白人種の容貌や姿態へ際限なく礼賛を行なう、相当に捻じ曲がった美意識が僕たちの根底には潜んでいるのですが、お醤油の体表への付着はこれに気付かせ、慌てさせ、白日に晒す効果があるのかもしれません。だって想像してごらんなさい、日本的な装束、浴衣や着物を着ていたなら、先に上げたような醤油のこぼれも幾らか寛容をもって受け止められそうじゃないですか。祭りの半被を纏っていたらどうでしょう、素肌に付いても笑っていられそうじゃないですか。


吾朗のやるせないつぶやきは、日本人の自意識や恋愛感の一端を露呈して僕には聞こえます。意図せずに仕上がったのかもしれないけれど、「時をかける少女」は甘ったるい子ども向けの作品に止まらず、醤油論、日本人論を裏側で展開してとても興味深いのです。古い街並みや風情ある旧家を舞台にして郷愁を導く練達の演出家ではありますが、大林宣彦という監督の内実は相当の都会人なのかもしれません。だからここまで残酷な分析と構図が描けてしまうのではないでしょうか。


さて、“匂い”ついでにもう少しだけ。単層ではなくって、恐るべき多層を醤油の香りが宿しているのは知る人ぞ知るところです。コーヒーやバナナ、バラや桃の香りまでが検出される。ラベンダーなんか大したことありませんね。こちらはバラが薫り立っている。実にロマンチックじゃないですか、タイムリープ以上の発明ですよ。

こうなれば、浜崎あゆみさんか誰か著名で綺麗な女性タレントに“お醤油風呂”でも愛用してもらい、イメージの復権を図るしかないでしょう。美女の素肌を醤油が染め上げる時、お醤油に秘められたコンプレックスはきっと解消されます。全国のお醤油屋さん、頑張ってください。


(*1):「ワンス・アポン・ア・タイム尾道」大林宣彦 フィルムアート社 1987 所載シナリオより



2009年6月11日木曜日

黒木和雄「竜馬暗殺」(1974)~醤油蔵に逃げ込むおんな~


〇 土蔵の中
      竜馬、苛々して、歩きまわっている。

竜 馬  わしゃこんな所に閉じこもってるなんて気が染んぜよ。

      体中がカビ臭くなってくるような気分だわ。

      (大きなくしゃみ)くそっ!殺したい奴は勝手に殺せ!

      慎太、お前はどうなんじゃ、わしを斬るのか、斬らないのか!

      めしなんて食うちょらんで真面目にやれ!(*1)



 坂本龍馬を題材とした物語は数限りなくあれど、出色はやはり「竜馬暗殺」。幕末の政争をよく知らない歴史音痴の僕ですが、それでもかなり引き込まれました。近江屋への引越しから惨死に至るまでの慌ただしい三日間を虚実織り交ぜて描く群像劇なのですが、悲願の大政奉還も心血を注いだ組閣人事もどこへやら、映画のなかではまるで見当たりません。刺客の影に怯えて土蔵の奥に潜み、外を出歩いても暗い路地や墓場、河原をあくせく逃げ惑うばかりです。竜馬役の原田芳雄の長い髪が妙に色っぽくて、ノンケながらも見惚れてしまいます。


 興味深いのは司馬遼太郎の「竜馬がゆく」(1962-66)以降ずっと定着している“醤油蔵の無視”に組みしていないこと。閉塞感にあえぎ、蔵に生息する多種多様な微生物の匂いにすっかり滅入ってしまって声を荒げます。こんな龍馬は他に見当たりません。


 また、中岡慎太郎(石橋蓮司)と政論を闘わすうちに頭にかっと血が上り、ぎらり抜刀して対峙する緊迫した場面があります。大きな木樽を跨いで橋のように置かれた狭い“渡し板”で、じりじり間合いを詰めていく。これは血を見るしかないと誰もが思うわけですが、やがてなんとなく滑稽に思えてくる。

 国の将来を憂えての大激論を交わしたふたりが、さながら塀の上で鉢合わせしたオス猫同士のように睨み合う姿は脱力を誘います。彼らも内心馬鹿馬鹿しさを覚えたようで、長崎から飛脚が届いたという知らせが聞こえた途端、あっさりと刀を引っ込めてしまう。このように映画「竜馬暗殺」は醤油蔵で繰り広げられるあれこれを通じて、まとわり着く“弛緩”を透かし込もうとします。



 さらに意外な展開もあります。竜馬は土蔵の二階窓越しに外を伺っていて、隣家に住まうおんな(中川梨絵)と視線を交錯させます。彼女は新撰組に囲われた遊女であり、わずかの金銭のために春をひさいで暮らしています。乱暴な隊士のひとりを誤って殺してしまったことから慌てふためき、なんと彼女も醤油蔵に緊急避難してしまう。


 おんなは竜馬にふたりで逃げよう、一緒に暮らそうと迫ります。膨れあがる不安を払拭しようとして竜馬と中岡、そして遊女は酔い騒ぐのですが、ノンフィクションであれ小説であれ、女人禁制の場としてずっと描かれてきた“近江屋の醤油蔵”に成熟した「若草の萌えるがごとき臭い」をぷんぷんさせるおんなが闖入して乱痴気騒ぎを起こしたことは、相当に意図的な演出です。もちろん時代背景も当然あるでしょう。政治活動に女性が目立ってきたことのメタファーかもしれませんが、あの時、確かに“醤油蔵”は、ほんのりと恋慕に染まった。徒花で実を結びはしませんでしたが、咲いたことは咲いた。


 「弛緩、脱力、家庭」の象徴として“醤油蔵”が建っています。ここではどちらかと言えばマイナスイメージではありますが、無視されるよりはずっとマシです。決別して政事に猛進するべきかどうか、いや、本来守るべきはここでないか、人生の本質とはどちらなのか。醤油蔵から出ることに二重三重の意味付けが為されて、竜馬の内部で極めて記号的な衝突が発生する。結局、竜馬は脱出(逃避)を目論むのですが、刺客の襲撃により全てを絶たれてしまう。


 “逃亡者”の側面のみを拡大視していて史実からはかけ離れていますが、その分ひとりの人間の生への渇望や執着、自己欺瞞や諦念がまざまざと浮き彫りにされて胸を打ちます。人は何と闘うのか、何から逃げるのか、何を求めるのか、あれこれと自分に反射するものがあって考えさせられましたね。






 さて、現実に戻って──。クライスラーとセネラルモーターズの破綻、驚きました。門外漢でしかない僕にはどこか夢の中の出来事に感じられてしまいますが、自動車産業に従事する人は苦労の連続でしょう。


 ふと「2001年宇宙の旅」(*2)を思い出しました。ヨハン・シュトラウスの優雅なワルツに乗って漆黒の大宇宙を滑空するスペースシャトルの船体に、蒼く燦然と掲げられていたパンナムのマークが網膜に焼き付いています。1991年、そのパンアメリカン航空が突然に破綻したのでしたね。あの時も僕は狐につままれたようで、いつまでも実感が湧きませんでした。


 企業の命脈はひとの人生と同じで突然に始まり、そしていつか、今度は突然に事切れる。いかに足掻き、知恵やお金を投じても力尽きるときは尽きる。先日取り上げた近松門左衛門の「曽根崎心中」(1703)で主人公が勤めていた醤油屋が、現時点でも商いを継続しているとは聞いたことがありません。「竜馬暗殺」の舞台となった近江屋にしても藩の御用達として隆盛を誇った模様ですが、今でも業界のオピニオンリーダーとして活躍しているかと言えば、どうもそうではなさそう。


 醤油や味噌を生業とする企業は老舗が多いのですが、だからと言って彼らが安泰な訳では決してないし限界はあるのですね。長い目で見ればどうしようもなく巡って来る。開き直ってなに糞、コンチクショウと越えていくしかありません。


 「竜馬暗殺」のラストシーンは政事とは無縁の群衆で締め括られました。幕府が倒れて世界が転覆しても、ひとは粘り強く再生し日常を築いていく。僕たちのひとりひとりが彼らサバイバーの血を受け継ぐ末裔といまは信じて、悠々と深呼吸して過ごしたいものですねえ。なかなかムズカシイけどねえ。


(*1):アートシアター111号掲載シナリオより
(*2): 2001: A Space Odyssey 1968 監督スタンリー・キューブリック


2009年6月7日日曜日

司馬遼太郎「竜馬がゆく」(1962-66)~目の前にあるのに!~


 こんどの上洛で、竜馬の宿がかわった。ずっと使っている車道(くるま

みち)の材木屋を幕府の偵吏が嗅ぎまわっているというので、薩摩藩や

土佐陸援隊の連中があらたに見つけておいてくれた。場所は、やはり

河原町通に面し、土佐藩邸にも近い。四条上ル西側、といってもよく、

河原町通蛸薬師南、といってもよい。


 稼業は、大きな醤油屋である。屋号を、近江屋(おうみや)といい、

主人の名は新助であった。もともと土佐藩邸の御用をつとめている店だが、

京の町人は勤王志士に対して俠気をもつ者が多く、「左様なお人ならば、

命にかえてもお宿をさせていただきます」と新助も言い、わざわざ裏庭の

土蔵に密室をこしらえ、万一のときには梯子(はしご)伝いに裏の誓願寺へ

脱(のが)れられるようにしてくれた。


 「曽根崎心中」に負けない“醤油”事件がもうひとつ。慶応3年(1867)の11月15日、京都河原町の近江屋で坂本龍馬と盟友中岡慎太郎が襲撃されました。事件に関して小説がたくさん書かれていますが、近江屋の描写はこの「竜馬がゆく」をなぞるような按排で、“醤油蔵”を特別な空間とは捉えていません。津本陽「龍馬」(1993 角川書店)、早乙女貢「龍馬暗殺」(1978 第三文明社レグレス文庫所載)などをひも解いても、いずれもあっさりとした物腰に留まっています。次に書き写すのは若干ながら踏み込んだ内容となっていて、かえって浮き上がって見えもします。

 目ざす近江屋の近くまで来ると、見世(みせ)先の灯りが

やけに明かるく見えた。(中略)夕餉(ゆうげ)の支度で醤油を

買い忘れた客が一人でも二人でも来るのを希(ねが)っている

のだろう。(中略)近江屋の見世先は土間になっていて、

醤油樽がでんと据えられている。客の需(もと)めに応じて

枡(ます)で計って売るのである。

早乙女貢「龍馬を斬る-佐々木只三郎」(2008 原書房「新剣豪伝」所載)

 資料の読み解きと整理にいそがしく、また、天下国家の危急を追うこの際には一介の町家の顔付きなど些細なことと捉えたのかもしれないし、単純に江戸の時代に生きた者、龍馬という男が如何なる感慨を“醤油”に抱いていたかまで想像する余力がないのかもしれません。作家たちは言及を避けているように思えます。

 小説ならば行間の余白に舞台背景をすっかり溶け込ませ、知らぬ顔の半兵衛を決め込むのは造作もないのですが、漫画ともなるとその手は通じませんよね。「お~い!竜馬」(1986-96 原作武田鉄矢 作画小山ゆう)では近江屋の仕込み蔵が何枚か描写され、木樽が左右に立ち並ぶその通路では(後の暗殺の際に居所を刺客に知らせてしまう中岡慎太郎の「吠たえな!(騒ぐな)」という叱声の伏線となる)騒々しい相撲遊びをドダドダと演じさせてもいます。


 それでもやはり舞台装置としては無味乾燥に近く、何ら感情的なものを担っていません。そこが“醤油蔵”である必然はないのです。(史実に必然も何もありませんが、それにしても素っ気ない。)樽木一枚を隔てて確かに満々とたたえて在ったはずの“醤油”は一滴も無きがごとしで、自己主張を一切しません。息を殺してじっと潜んでいるかのようで、三人の男(龍馬と中岡、そして弟子の藤吉)がなます斬りにされるのを為すすべもなく見守っていく。


 いやな醤油の臭い、べたべたした湿り、見通しの利かぬ暗闇、喧騒から隔絶した淋しさ──ひとたび足を踏み入れたなら五感のうち“味”以外の四つに強い印象を刻むであろう“醤油蔵”に関して、一切触れようとしない作家たちの頭のなかを僭越ながらも透かし見るならば、そこには“醤油ふぜい”にまみれて最期の日々を送った英雄に対して、幾ばくかの憐憫が宿っているように僕は感じるのですがいかがでしょう。


 しかし、津本陽は「龍馬」の中で当時の醤油商全般がどのような位置に置かれていたかを、珍しく記しています。これまで抱いていたイメージの色調が、ちょっと変わっていく言葉です。

 『海援隊遺文』によれば、龍馬の身辺は暗殺の危険が満ちていると

いうような状態ではなかったようである。(中略)土佐藩重役たちは諸事

窮屈な藩邸暮らしをきらい、近所の民家に下宿していた。後藤象二郎は

河原町三条上ル東入ル“醤油屋”壷屋(つぼや)にいたが、龍馬が暗殺

されてのち藩邸に入った。(中略)彼らの住居は木屋町、先斗町、祇園の

繁華街に近く、(中略)他藩重役をもまじえ遊興していた。歌舞音曲、芝居、

浄瑠璃も自由に楽しめる。いくつかの危険を冒しても、藩邸外で気儘な

生活をしたいのである。 (“ ”は僕がマーキングしたものです)



 司馬も竜馬には藩邸暮らしを「窮屈」と言わせているですが、堅苦しさや重苦しさ以上に彼らは遊興の灯火から逃れ難いものを感じていた。そのような“快適さ”の追求にあって、醤油蔵が放つ芳香、しっとりとした湿度、こころ安らぐほの暗さ、思索や密談に適当な静謐は当時の彼らに心地良いものであった可能性があります。


 いつか醤油樽を面前とした坂本龍馬に、こそこそとで構いませんから何か語ってもらいたいと思います。“醤油ふぜい”は激烈な政争とは相容れないものかもしれないけれど、そこには日本人の味覚と嗅覚をしっかと捕らえ、庶民の日常の歓びと快楽を下支えする力が秘められている。

2010年のNHK大河ドラマは「龍馬伝」とのこと。裏表の無いキャラクターで人気の福山雅治さんが演じる龍馬なら、何かを感じて話すのではなかろうか、話さなければ嘘じゃなかろうかと淡い期待を僕は今から抱いているのです。