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2012年3月20日火曜日

三浦友和「相性」(2011)~そうやって徐々に~



 家事全般の比率からしたら、もちろん妻が9割以上です。

でも残りの1割で、自分ができることならするよ、というだけです。

料理を手伝うのだって、自分が好きだから。約束や決まり事もあり

ません。遊びの計画でもなんでも。だから、家族サービスじゃあり

ません。

 感想は言いますよ。例えば、妻の料理を口にして、「今日はちょっと

塩が強かったね」とか。「あら、そう?」と、妻が次からちょっと工夫を

してくれる。こういうことはお互い様で、味噌汁の好みが中間点に落ち

着いていくように、そうやって徐々に、二人の関係もいい具合になって

いくんだと思います。(*1)

(*1):「相性」 三浦友和 2011 小学館 181-182頁

2011年7月21日木曜日

和田竜「醤油 北条氏康に無茶苦茶怒られる」(2011)~そんな予測もできないで~



 しょっぱいものが大好きで、何でもかんでも醤油をぶっかけては

口に入れるので、一緒に食事をしている人を唖然とさせることも

しばしばである。(中略)従って、刺身を食い終えた後も、醤油は

皿の上にたっぷりと残っている。

「リョウ。昔の侍はな、食べ終わると同時に醤油もなくなるように

考えて注いだもんだ。そんな予測もできないでどうすんだ、お前」

 そんな僕の食癖に怒った父は、こういうイイ話をして、小学生の

僕を叱ったことがある。(*1)


 上に引いたのは和田竜(わだりょう)さんのエッセイの一部です。五ヶ月ほど前の新聞に載っていました。我が子の食卓での所作に目くじらを立てる、頑固っぽい父親が登場しています。小皿に注がれるわずかの醤油が気になって気になって仕方ないのです。同様の風景をどこかで目にした覚えがあるのですが──、そうだ、亡き父親を述懐する向田邦子(むこうだくにこ)さんの文章にもこれとそっくりの場面がありました。


 子供のころ、小皿に醤油を残すとひどく叱られた。

 叱言(こごと)を言うのはたいてい父であったから、父と一緒の食事で

醤油を注ぐときは、子供心にも緊張した。(中略)

「お前は自分の食べる刺し身の分量もわからないのか。そんなにたくさん

醤油をつけて食べるのか」

 早速に父の叱言がとんでくるのである。(中略)

 豊かではなかったが、暮しに事欠く貧しさではなかった。昔の人は

物を大切にしたのであろう。今でも私は客が小皿に残した醤油を捨てる

とき、胸の奥で少し痛むものがある。(*2)


 1969(昭和44)年生まれの和田さんのお父様と、向田さんの厳父とでは世代がまるで違います。育った環境も世相も当然異なっているのですが、顎のしっかりした面貌やらんらんと光って怖い眼(まなこ)が両者共に想像されて、僕にはまるで生き写しみたいに感じられるのです。


 和田さんの見立てによれば、お父様は戦国武将“北条氏康”の逸話に影響を受けていた気配なのだけど、同じことが向田さん側にも起こっていたかどうかは全くもって分からない。(*3) もしかしたら教科書のたぐいに長らく紹介されていて、ある年齢以上の人には耳にタコが出来るぐらい聞かされた説話なのかもしれない。調べれば調べられなくもないけど、正直言えばあまり触手が動かないですね、探る気力はありません。


 追跡不能の領域として謎は謎として残し、手をつけずにそっと箱に小田原北条氏は仕舞うこととして、けれど、およそ三十二年という長い歳月を越えて和田さん、向田さんお二人の“父親の記憶”が輪郭をするり重ねていく現象はとても興味深いことであり、気ままな想いをふわふわと馳せてしまう訳なのです。


 醤油の価格はピンきりです。1リットル換算で500円を越える、そんな高級品を使っている家庭は少ないでしょう。仮にそんな値段の品を使っていたとして、山葵(わさび)や脂(あぶら)にうすく濁って小皿に取り残されるのは多くて20ミリリットルでしょうから、やがて流しに捨てられる宿命の醤油はどんなに高く見積もっても、せいぜい10円程度にしかならない計算です。世の中には桁外れの吝嗇家もいてヒステリックに叫びまくる場面も確かにあるのでしょうが、ここでは単に金銭のことではない、もう少し別の湿った想いが宿っている。


 むらさきの液面の奥に潜んでいる仕事人の苦労──土を耕し、種をまき、雨に濡れ風に吹かれしながら、夏にはぎらぎらした直射日光に肌を焼きつつ穀物を育て上げ、重たい思いをして醸造家にようやっと手渡した後には、今度は蒸気や熱水と闘う汗と涙の仕込み現場に委ねられ、別の者が手塩をかけて醤油作りに励んでいく。一次産業であれ二次産業であれ、ものを創るという行為の蔭には想像を絶する対流や淀みがある。たくさんの人手と時間が費やされていく。


 そんな苦労の堆積を透かし見れずに、茫茫と背丈だけは育っていく子供の将来にいたたまれなくなり、彼らの“想像力の欠如”を補うべくしてついつい口が滑るのでしょう。眉寄せて浪費を叱っているのではない、いずれの日にか我が子が“食べ切ることの美しさ”、“始末のすがすがしさ”を体得してくれることを願っている。


 醤油の使い方をきっかけと為して人生や仕事への洞察力に磨きを掛けていく、その親から子への“直伝の時空間”がとても好ましく目に映ります。その役割がしっくりと男側、父親たちに結像していくのも大変興味引かれるところ。味噌(汁)に母性を思い、醤油に父性を覚える、そんなイメージの住み分けがあって面白いですね。


 紙面から切り取り、手元にずっと保管しながらも取り上げずに来たのは、もちろん大震災のためです。向き合うにはやや風情が硬く窮屈だった。それに、僕の惹かれて止まない艶やかな領域、つまりは恋慕や性愛、霊肉の一致する段階と食物との関わり方とはやや乖離したものにも思えて、どうにも弾みがつかなかった、萎えてしまった。


 ところがここに来て事情が変わりました。“節電の夏”の到来です。ご承知の通り、大口需要家の皆さんの創意工夫により計画停電の実施はこれまでありませんが、家庭に職場に節電に努め、僕たちもまたこの特別な夏に立ち向かっています。そこでふと和田さんのエッセイが思い返された次第なのです。


 余分なものを溝(どぶ)に捨てることのないよう“予測”をしながら物を選び、電気を上手に使い、身の丈に応じた暮らしをする。“昔の侍”のように“美しく使い切る”、そんな暮らしぶりを僕たち3.11以降の列島居住者は求められている。


 「繁栄」という言葉には、無駄や不明瞭さを帯びる「繁雑」にどこか通底する感じがあります。得体の知れぬぐにゃぐにゃの尾ひれが付き纏っていく。そのようなわけの判らないものでなく、努めてシンプルに、所作ひとつひとつに“美しさ”を宿しながら、この不安な時期を乗り越えていけたらいいと願います。

 花を愛で、着実に学び、そうして堅実にこの夏を暮していきたいものです。


(*1):和田竜 「醤油 北条氏康に無茶苦茶怒られる」 朝日新聞 2011年2月19日 持ち回り連載「作家の口福」欄に寄稿されたもの 
(*2):向田邦子 「残った醤油」 初出は「新潟日報」1979 エッセイ集「夜中の薔薇」(講談社1981)所載 僕の手元にあるのは後年出された文庫版 上記画像も
(*3):和田さんのエッセイでは、北条家の食事で問題視されたのはご飯にかけられた“汁”の量であったと紹介されています。家督を譲り隠居の身となった氏康が息子の氏政と食事をしていたところ、汁がけを二度所望した様子を見て目先が利かぬ男と判断、北条家の行く末を深く案じた、という内容です。“汁”と醤油ではずいぶん趣きが違うが、この話をかつてインプットされたお父様が和田さんの癖を正すために引き合いに出したのらしい。蛇足ついでに書けば、この北条家の逸話に関しては本によって細部がまちまちであり、たとえば青木重數(あおきしげかず)さんの著した「北条氏康」(新人物往来社 1994)においては“汁”ですらなく湯漬け用の“湯”となっています。いずれにしても“昔の侍”が醤油の使い方で揉めて場が騒然となった訳ではないみたい。なんだか拍子抜けだなあ。安堵と物足りなさが交ざった気持ちです。

2011年5月27日金曜日

江國香織「「おみそ」の矜持」(2010)~じっと、ちゃんと、~


 「おみそ」でいることは、私の性に合っていた。それはおそらく、

私にとって、周囲となんとか折り合いをつける術だった。

以来、いまに至るまでずっと「おみそ」だ。(中略)

 こうなったら「おみそ」の矜持を持ち、それを貫くほかにない。

「おみそ」の矜持とは何かといえば、それは「最後まで観察者たること」

だと私は思う。ときどき参加させてもらえるとしても、それはほんとうの

ことじゃない(子供の遊びで言うところのノー・カウント)。「おみそ」は

そこにいるのにいない者であり、その本分は、あくまでも世界の観察に

あるのだ。じっと、ちゃんと、観察し続けることに。

 小説家は、だから「おみそ」向きの職業である。(*1)


 会合が7時過ぎに終わり、予定していた映画のレイトショーまでちょっと時間が出来ました。幹線道路沿いの書店に飛び込み、ふわふわ回遊して過ごします。新刊コーナーで後ろ髪引かれる題名の本を手に取って覗いているうちに、江國香織(えくにかおり)さんのエッセイ集と出会いました。食べものをめぐっての小文を一冊にまとめたものです。


 料理レシピ本や食べ歩きのリポートを否定するのではありません。写真にときめき、涎(よだれ)を誘い、胃袋を刺激して楽しいのだけれど、こっそりと下意識に左右したり、魂を官能から情動へと橋渡しする、そんなやや奥まった食物(味噌、醤油)の役割を僕は追い求めてしまっている。だから、この手の食べもの系エッセイは自然と避けているのだったし、普段は買い求めてまで読むことはありません。


 目次のなかに「おみそ」とあって、そんな訳であまり期待せずに頁を開くとなかなかどうして悪くない内容だったのです。味噌を引き合いに出しながら江國さん自身の記憶や哲学が述べられていて、これは名文ではないかと思いました。


 「注文したお味噌がきょう届いた」。江國さんはこんな言葉で口火を切ったのでした。気に入りの味噌が無くなると困るから、時折取り寄せなければならないが、この取り寄せがなかなか難しい。そんな不器用な自分を振り返り、「子供同士で遊ぶとき、年下で、みんなと完全におなじことができず、いろいろと大目にみてやる必要のある子のことを、「おみそ」と呼んだ」ことを唐突に思い出します。支離滅裂なんて書くと叱られそうですが、イメージが横すべりして次々と発光していく感じがちょっと可笑しい。


 どんどん連想は膨らみます。「おみそ」が「みそっかす」の短縮形と知らぬうちは意味がまるで分からなかったと振り返り、いつしか当時の味噌屋の店頭風景が頭に浮かび、「おみそ」という言葉が身近にあったがゆえに味噌自体が好きで、なにかしら親近感を抱いていたと懐旧します。


 そうして江國さんは今の自分は「おみそ」ではないか、友人知人より許されて共に居させてもらう、そんな一歩半程度距離を置いた自分の性分は「おみそ」になっていると考え、けれど、それを爽やかに肯定してみせるのでした。引用したのは締めの部分ですが、「おみそ」を語ってここまで凛とし、誇らしげなものを僕はこれまで読んだ記憶がない。


 もちろん、ここでの「おみそ」は味噌でも味噌汁ではない。「みそっかす」という愛称と蔑称の中間にある愛らしく、妙にこころに響く呼び名なのだけど、僕にはそれ以上のイメージが湧いて止まらないのです。“味噌”という地味で目立たない存在が、料理においても、さらには日本という国にあっても確かに「そこにいるのにいない者であり」、その本分は、「最後まで観察者たること」ではないか。世界を食卓や台所からそっと観察して、尽きぬ想いを見えない言葉に綴って届けている「小説家」ではなかろうか。


 辞書で“矜持(きょうじ)”を引くと「自負、プライド」とあります。まなざしに強さと厚みをもたらす素晴らしいタイトルですね。元気をもらえた気がします。


(*1):「「おみそ」の矜持」」 江國香織 初出は「週刊文春」号数は把握していません 「やわらかなレシピ」 文藝春秋 2011所収 引用は115-116頁