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2012年2月2日木曜日

吉村龍一「焔火(ほむらび)」(2012)~ふんだんにあるものの~



 翌日からおれは台所をあずかることとなった。

 牛殺しは毎朝六時にでかけていく。それまでに飯を炊き、

弁当をこしらえる。一度に腹におさめるのは、一合の飯。

朝は味噌汁、梅干し、高野豆腐の煮付け。弁当に握りこぶし

ふたつ分の握り飯と、味噌漬け。夕食は芋と大根の炊き合わせが

主な副食だった。一週間がすぎたころその献立に首をひねった。

肉や魚がまるでない。味噌や醤油はふんだんにあるものの、

干し椎茸や山菜などが食材のほとんどだ。獣をしとめてくる

こともなく、いつも山のものを調達して帰ってくる。

山賊にそぐわない、精進料理のような献立におれは謎を

ふかめた。(*1)


 吉村龍一(よしむらりゅういち)さんの小説「焔火(ほむらび)」からの一節です。


 どちらを本業と思っておいでか分かりませんが、吉村さんは“調理”に携わる仕事に就いておられる。いやいや、本業とか副業といった発想はもう古いですね。僕たちの内実は多層化、多角化が進んでいて、たったひとつの“かたち”では充足を見出しにくくなっている。それが本当ですよね。僕みたいな不器用な者ほど、正だの副だの順列を付けて安心したがる訳ですよ、どうしようもないですね。


 兎も角、吉村さんは調理に日々取り組んでいる。そこで生じた隙間のような時間を縫って、取材や構想といった文筆業に同時に当たっていく。そんなことが影響していると見えて、作者の“食べもの”への眼差しには独特の執着が見られます。


 味噌や醤油(および調理光景、料理といったもの)の具体的な描写はそう多くは並ばないのですが、上の記述はちょっと面白かった。流浪する主人公が山中で初老の男に出逢います。精神的な部分を浮き彫りにする役割として、味噌と醤油が“ふんだんに”備えられた台所が登場していました。その“ふんだんにある”味噌と醤油を使って、“精進料理のような”料理が坦々と作られていくのです。


 僕たちが“精進料理”を口にする機会は稀にめぐってきますが、いずれも精神的な営みと深くかかわっていますよね。思えばあれって不思議な取り合わせになっている。食べてよいものと悪いものの取捨選択の基準はもちろん「肉」であり、代用品の意味合いもこめて大豆料理が幅をきかせている。それ以上に突き詰めて考えたことはなかったのだけど、もうちょっと踏み込んで思案しても罰は当たらないかもしれません。


 肉や魚といった美味しくてヨダレがこぼれるような贅沢品が排除されていく一方の、どうしようもない“残り滓(かす)”でそれらはあるのか、それとも魂を研ぎ澄ますために積極的に選ばれたものなのか。どう捉えるかで、器を彩る食材の見え方はまるで違っていきます。


 それ自体に聖性が付されている訳ではないけれど、仏への祈りや故人との交信に寄り添う“許しを与えられたもの”として味噌や醤油はあるのかもしれない、そんな連想が奔って面白く読んだところです。


 あれこれ「焔火(ほむらび)」については書き留めたいことはあるのだけれど、連日の寒波と積雪に疲労困憊しているところがあり、今日はこれで筆を置きますね。この雪が大気を洗い、清らかな飲み水を僕らにもたらしてくれる。そう思えばどこまでも美しい光景であるのだけれど、さすがに疲れちゃいました。


 皆さんもどうぞ気を付けて、転ばぬように、滑らぬようにお過しください。

 颯爽と風切って、けれど一歩一歩を大切にしながら、街をお歩きください。


(*1):「焔火(ほむらび)」 吉村龍一 講談社 2012 引用は134頁

2011年10月13日木曜日

リシャール・コラス「紗綾 SAYA」(2011)~あれば十分です~



 リシャール・コラスさんの新刊「紗綾 SAYA」(*1)を読みました。湿り気をうしなって砂交じりの仲になった夫婦が登場します。寝室も別にしてしまい、実のある会話も成立せず、もはや難しい局面に入りつつある。寝たきりとなった家族も抱え、青息吐息の毎日です。そのような膠着した局面で男は運命的な出会いをしてしまうのでした。ぼんやりした雨雲がすべてを覆っていく、そんな筋立てです。


 夫婦の危機や嫁姑の確執は物語の題材として真新しいものではなく、むしろ陳腐なものです。わざわざ抜き書きして記録するに値する文章、作品とは誰も思わないかもしれないですね。人によっては途中で放り投げてしまうかもしれない。 


 けれど、この物語をつらぬく視座が、実は前作「遙かなる航跡」(*4)に引き続いて登場したある人物に置かれたものであり、新旧ふたつの物語がこの人物を間に挟んで秘かに連結し、最終的に螺旋を描き天空に向かって飛翔を開始しているのだと巻末で知れると、僕の胸には言いようのないおごそかな想いが湧きました。一見ステレオタイプの不倫劇に見えるけれども、かなり緻密にふたつの物語は構築されて世に送り届けられている。


 ウェブを検索すると作者のインタビュウ(*5)が見つかります。震災と発電所事故という巨大な壁がたくさんのひとの行く手を阻(はば)んで、航路を揺るがし、ひどく狂わしてしまった。このような時に求められるのは人とひとの心を繋ぐ“絆(きずな)”であり、その確認が大切と思う。そんな啓発の念をこめて上梓したことが静かな口調で語られています。


 物語のなかの男女とそこに関わる若い娘は、最後散り散りとなって自壊していくのでしたが、作者は前作の主人公だった人物(作者の分身)の視線を“絆”と為して離散を食い止め、忘却の淵に追い払われるところを寸でのところで回避しているように見えます。救われない話に見えて、ぎりぎりのところで救われているのですね。


 誰もが同じようなものを抱えて人生という演目をこなしている。“ばみり”が見当たらずに途方に暮れたときには自分の物語を隣人に預けてみてはどうか。そうして気持ちを整理し、呼吸を整えてみてはどうか。家族の絆だけでは何ともならぬ凄惨な現状にたじろぎ、自棄的な行動に走らず、思い切って“他人との絆”に賭けてみてはどうか───そのようにコラスさんは言いたいのでしょうね。


 本国フランスで二年も前に出版され、こんどは作者自身の翻訳で世に送り出された日本語版「紗綾 SAYA」は、作者の言う通り“震災後の物語”として記憶に刻まれていい、こころざしのともなった一冊のように受け止めています。


 さて、味噌汁の記述を並べてみましょう。

 夫との関係は、すっかり冷えてしまいました。毎日夕食まで

帰るかどうかもわかりませんから、夫のためにわざわざ食事を

用意しません。炊いたご飯と残り物のおかず、それに味噌汁が

あれば十分です。

 ビールを冷やし、簡単なつまみを用意するだけのこともあります。

夫はきちんとした食事がなくても、冷えたビールとつまみがあれば、

それで満足なのです。(*1)

 “習慣化”したり“義務”を感じ始めると、どのような崇高な行為であっても生彩をたちまち喪っていく。先日読んだ本(*2) にそんな記述がありました。そうですね、たしかにそういう時期って在るもの、起こるものです。仕事だってそうだし、遊びだってそう。食事はその典型です。“日常のかなめ”となるのはリズムの持続であったり程度の保持であったりする訳で、どうしてもループを作って“習慣化”させていく流れです。


 祭事であったり記念日だったり、それは人それぞれではあるけれど、特別な日に特別なものを存分に食べて“習慣”を押し崩す。難しい言葉を持ち出せば“蕩尽(とうじん)”して疲れたこころを洗濯する。そんな工夫を僕たちはします。けれど、それすらも“義務”的な色彩を帯びてくると気持ちはやや乖離してしまうし、解放感どころか窮屈を覚えたりもします。シンプルなのだけど、シンプルでいられない。歯痒い“難しさ”があります。


 上に引いたのは「紗綾 SAYA」の最初の方に登場する場面です。習慣として義務として食事は作られ列をなしていく。“炊いたご飯、残り物、簡単なつまみ”といった表情に乏しい字面(じづら)が蛇のようにとぐろを巻くばかりで、そこには共振を誘うものはありません。


 “それに味噌汁があれば十分”という言い回しはそれにしても強烈です。願いや祈り、気づかいは微塵もこめられていないし、健康にも寄与しない、具のほとんど入っていない生しょっぱい液体が目に浮かんできます。肘鉄を喰らったような気分です。


 “味噌汁”はさらに続いて次のような、どんよりと曇った風情で再度振る舞われています。


 朝、夫と子どもたちの食事はトーストにヨーグルトと簡単に済む

のですが、義母だけはそうはいかないのです。彼女にはきちんとした

和食を出さなければなりません。味噌汁に魚沼産の炊きたてのごはん、

旬の魚、お新香と梅干。それらをきちんと用意させる上に、毎朝違った

食事でないと許してはくれません。私にとって義母の要求は、大きな

負担です。

 それでも毎朝きちんと準備をし、今日もお盆にお絞りと箸をのせ、

味噌汁にごはん、お新香と梅干、のりが入った箱をきれいにセット

しました。お皿にほんの少し醤油をかけた大根おろしを置いて、焼き

たての鮭をつけて、お膳は整います。

 小さなお盆にティーポットと茶碗、茶筒を揃え、台所に誰も入って

こないことを確認してから、私はエプロンのポケットからスポイトを

出しました。(*3)


 年老いていよいよ介護の手を要するようになった姑なのですが、プライドが高く、意地だけは堅牢を保ち、他者への高圧的な態度を崩そうとしません。世話するおんなの内面では堆積するものがいっぱい一杯になっていく。極限に至った憤懣は“スポイト”から零れる水滴という形でついに顕現し、ちょろちょろと洩れ始めてしまいます。


 ここで食事はまさに“義務”となり“習慣化”しています。弱い立場のおんなにとって、それがどれ程ひどく内面を荒廃させるかを、写実的に、けれど、やや誇張して作者は書いていく。漬け物と共に味噌汁が執拗に、印象深く顔を覗かせていますね。


 コラスさんは前作で外から見た日本を描き、“非凡なもの、例外的なもの、普通でないもの”の一翼に和食を置きました。味噌汁も驚きと憧憬の視線をまとって陸続と登場し、読み手の僕を大いに悦ばせたのでしたが、今作では一転して暗い様相を呈して並んでいる。コントラストが鮮烈です。


 絆によって結ばれていく人生という名の永久螺旋──。その両側面、日なたと日かげのいずれにも“味噌汁”があって僕たちをそっと見守っている。“習慣”の中で埋没してウヤムヤに見えるけれど、思えばなかなかの存在感ある脇役だったりする。境界線にたたずむ仏蘭西生まれのひとりの男が注ぐまなざしの、堅さ、純度を感じます。


(*1):「紗綾 SAYA」 リシャール・コラス 2011 ポプラ社 引用は14頁
(*2):EMMANUELLE,New Version エマニエル・アルサン 安倍達文訳 1988 二見書房 「もしそれが習慣的なよろこびであるとすれば、そのよろこびは、芸術的な性質を持つことをやめてしまう。非凡なもの、例外的なもの、普通でないものだけが価値を持つのです。つまり『決して二度と見ることができないもの』にこそ、価値があるのです。」(237頁)
(*3):引用は16-17頁
(*4):「遥かなる航跡 La Trance」 リシャール・コラス 堀内ゆかり訳 集英社インターナショナル 2006  
http://miso-mythology.blogspot.com/2010/11/la-trance2006.html
(*5): http://www.sankeibiz.jp/econome/news/110917/ecf1109170501000-n2.htm

2011年7月30日土曜日

山田太一「舌の始末」(1975)②~味ごときでごたごた言っている~



 微妙な味覚というものに、私は長いこと反感があった。

 味についてごたごたうるさい事をいう男を見ていると、目の前で

刺身にケチャップをつけて食べたくなるというようなところが

あった。それは、あきらかに戦争中の初等教育、戦中戦後の食糧

難がはぐくんだもので、今でも教科書にのっていた西郷隆盛(さい

ごうたかもり)・従道(つぐみち)兄弟のエピソードなどが、心理

的圧迫としてはたらいていることに気づいたりするのである。(中略)

 老女中が箱膳(はこぜん)のようなものに朝飯をのせて持って

来る。その“おみおつけ”がうまくないと従道さんが文句をいうの

である。薄すぎるというような事だったと思う。(中略)

従道さんが文句をつけると、老女中はあやまるのである。今なら

「やめさせてもらうわ」という所であろうが、明治だからあやまる。

しかし、老女中の練達とでもいうか、ただではあやまらない。一言

つけ加えるのである。「お兄さまがなにもおっしゃらなかったので」と。

 そこで従道さんは、パタリと箸をおとし「さすが兄上」男子たる

ものがおみおつけの味ごときでごたごた言っているようでは出世し

ないと奮起したというような話なのである。(中略)以後二十数年、

食べ物に文句は言わないぞ、(中略)という気持ちで戦後を生きて来た。


 山田太一(やまだたいち)さんが70年代に書いたエッセイから、もう一箇所“おみおつけ”に言及しているところを抜き書きしました。食べることがそのまま生きることに直結し、とりあえず食悦を封じて懸命に腹を埋めることに注力しなければならなかった山田さんたち世代にとって、手の込んだ料理や微妙な匙加減といったものはあくまで人生の二次的な、瑣末な事象であり、男子たるものが軸足を置いて良い場所ではなかった。まずは言葉を尽くした人間同士の交流なり交歓があり、誰もが社会で躍進することを関心の上位に置いていた、いや、そうあるべきだと叩き込まれたのです。


 僕はこれまで食べ物と創作世界との関わりについて、ずいぶん意識を傾斜させた時間を過ごしてきました。元々山田さんが描くホームドラマは刺激的に目に映り、気懸かりな作家のひとりとして追跡をしてきたつもりだったのですが、気付いてみれば山田さんの描く世界に味噌なり醤油なりの影はとても薄いのでした。それはご自身が上に引いたような教育を受け、そんな暮らしを実践してきた結果だったのかもしれないですね。


 本当を言えば山田さんの言葉はこの後もつづき、“心理的圧迫”に左右される身の上に疑問を抱き、このままで良いのだろうかと押し問答した末に尻切れ蜻蛉のあいまいなかたちで筆を置いておられる。整理しきれぬ在りのままの心を綴っていて、とても人間くさい文章です。


 作品世界での味噌、醤油の記述はほとんど見受けられない山田さんですが、内奥には明暗を雑居させた“おみおつけ”が見つかってしまうのは興味深いですね。また、子供たちのその後の暮らしぶりを硬い枠にはめていき、極端に節制することを強い、不満は噛んで呑み下すことを賞賛する戦前、戦中の教育の現場に“薄味のおみおつけ”があったことも、味噌汁と日本人の魂とが癒着する広さ、根深さを思わせて面白い。


 ひるがえって僕たちの今をかえりみれば、国中に汚染された肉があふれ、不明瞭で後ろ向きの基準値に即した作物がどんどん流通して食卓へ、学校給食へと販売されていきます。海外のメディアが疑問視する国民のおだやかな沈黙、異様とも言える従順さというものが、山田さんたち世代から、いや、さらにずっと以前からの教育訓練の結果なのかな、なんて想像も働いてしまうのです。


 事態は“味が薄すぎる”というようなレベルではないのですから、ひとりひとりが言いなりにならず、“食べ物に文句を言うべき”なのです。疑問や希望を告げるべきときは告げて、日々の“食”をことさら大切にしていかねばならない。


 行政や経済のトップに座るのは似たような訓練を経て“出世”した人たちでしょう。数値についてごたごたうるさい事をいう奴を見ていると、目の前で刺身にケチャップをつけて食べたくなるというようなところがあるでしょうが、意に介さず勝手に食べさせておけばよいのです。


 毅然として僕たちは食べない、そういう時間がこれから大事になると思いますね。


(*1): 「舌の始末」 山田太一 1975 「路上のボールペン」冬樹社 1984 所載。手元にあるのは 新潮文庫 1987 

山田太一「舌の始末」(1975)①~そもそも汁という言葉が~



 味噌汁(みそしる)という言葉が、私はどうも気にくわない。

朝のさわやかさがない。実も蓋もないという気がする。鼻汁を連想

するといえばいいがかりをつけているようだが、そもそも汁という

言葉が嫌いなのである。「おみおつけ」といいたい。しかしいま、

会話ならともかく文章の中で「おみおつけ」と書くと、やや普通で

ない印象をあたえるような気がする。味噌汁が大勢を占めている。

「おみおつけ」にこだわると、偏屈という感じになる。(*1)


 仕事から帰ってテレビを点けると、ちょうど衛星放送で映画(*2)が始まったばかりでした。山田太一(やまだたいち)さんの幽霊譚を原作としていて、これは封切りの際に確か観ています。


 はてさて、どこで観たのだったか──。調べてみれば二十三年も前に作られている。当時働いていた郊外の町の古びた映画館だったか、それとも電車をわざわざ乗り継いで出かけた街の大きな劇場だったものか。人の多く行き交う気配をおぼろに感じはするけれど、詳細はもう蘇えっては来ません。人間の記憶なんてあやふやで儚いものですね。人生の転機となった瞬間や既成概念をぶち壊してまばゆい覚醒をともなうものでもなければ、どんどんと霞んで消えてしまう。


 その頃の僕は経験値がまるで低かったものだから、映写幕からばあっと反射してくるものは当然少なくって、特段の感慨をこの現代の怪談噺に抱くことはなかった。二十数年を経て再度こうして向き合ってみると、今度はあろうことか食い足りなさを覚えてしまう始末。映画や小説の色艶(いろつや)、膨らみというやつは、送り手と受け手の“噛み合わせ”次第だとつくづく感じます。


 もっとも興味深く、面白くは観たのです。なにより大震災を経たばかりだし、弔いは身近に連なっています。生命を奪われる瞬間であるとか人生の意義とか、人がひとを葬送する意味なんかをあれこれ考えながら観れましたから、相応に密度ある時間だったのだけど、このところ“しがらみ”の茂り具合がぐんと増してきた我が身には、劇中の風間杜夫さん演ずる四十男の無責任感、浮遊感がやや鼻に付き集中を妨げるものがありました。


 いつの時代にも心労の種、苦しみの河は日常に潜みます。誰ひとり得心しない、矛盾や不満を抱えながら死んでいく、それが世界の内実じゃないかとも思います。この映画の作られた頃にしたって悩みや哀しみが世間に渦巻き、むなしさは人のこころに巣食っていたはず。僕にしたって例外でなく、鬱々として苦しい毎日でした。だから、僕たちのいま住まう環境をいたずらに特別視するのは、傲慢なことにきっと違いない。


 しかし、それにしたって、ここまで閉塞感に包まれた現況、半端でなく未来を覆う“しがらみ”の大量発生というのは強大なものがあって、人間の視線ってやつをすっかり変質させてしまうように感じます。こころの奥底に広がるが池はさわさわと波立ち、昏い光に染まってしまう、水面(みなも)を寄せ渡る風はどこか微妙に焦げ臭い気がしてならない。


 過去に林立する創作劇の根幹を揺さぶり、場合によっては鋸(のこぎり)引きして蹴倒しかねない、そのぐらいの心境の変化が訪れている。赤々と目をつらぬく落ち日と、蒼白き雷光にでろでろと照らされながら黄泉の境を越えていく、哀れないくつかの魂を映画の奥に看取りながら、世界が新たな局面へ足を踏み入れた実感を想わないではいられませんでした。


 話が余計な方へと流れました。そうそう、山田太一さんのことでしたね。若い頃に綴られたエッセイのなかで「おみおつけ」に言及しているくだりがあります。上に引いた箇所で山田さんは、「おみおつけ」が僕たちの深層に不潔感や貧乏臭さ、不味さといった負の印象を刻みがちな理由のひとつは“味噌汁(みそしる)”という響きにあるのではないか、と指摘しています。


 味噌汁を人間の“汗(あせ)”と絡めて書いたもの(*3)はありましたが、ずるぺちゃとした“鼻汁”を臆することなく並列してみせるのだから、さすがに山田さんです。なるほど「汁(しる、じる)」という響きはあまり僕たちのなかで“さわやか”なイメージを結ばない。郷土料理にはナントカ汁と呼ばれる鍋が多いから、それこそいいがかりをつけるなと叱られそうだけど実際そうなんだから仕方がない。


 顔から同じように流れ出る粘液でも、唾液(だえき)と鼻汁(はなじる)では雲泥の差があります。長く情熱的に接吻を交わした果てに唾液まみれになるのはうっとりとして良いばかりですが、鼻汁まみれになるのは厭です。不思議ですね、鼻くそでなく鼻汁ならば、成分だって唾液とそんなに違わないでしょうに。うまい“つゆ”に舌鼓を打ってもそりゃ良かったねで済むけど、うまい汁(しる)を吸うと軽蔑されて後ろ指を差されたりもしますね。


 味噌汁に仮託される人情の機微は実に多彩であり、複雑です。これに対して醤油をベースとする“お吸い物”はドラマのなかでなかなか活きて来ない。もわもわとした濁りや排泄物に近似した色、汗のような匂いが人間の混沌とした内奥ときつく線を結ぶのかもしれません。


 山田さんに刃向かうつもりは毛頭ありませんが、こと創作の世界においては「おみおつけ」でなく「みそしる」の方がずっと良いように僕は感じています。




(*1):「舌の始末」 山田太一 1975 「路上のボールペン」冬樹社 1984 所載。手元にあるのは 新潮文庫 1987  
(*2):「異人たちとの夏」 監督 大林宣彦 1988。最上段の絵は劇中登場する前田青邨(まえだせいそん)の「 腑分け」
(*3):「イン ザ・ミソスープ」 村上龍 1997 
http://miso-mythology.blogspot.com/2009/07/1997.html

2011年2月21日月曜日

桐野夏生「ポリティコン」(2007)~何となく箸を付けるのが~


「東一、朝ご飯かねの?」

ヤイ子が東一を認めて顔を上げた。手拭いを姉さん被りにして、

モンペズボンにゴム長靴。厚着で膨れ上がった体に割烹着を

着けている様は、どう見ても農家の主婦だ。(中略)

「いや、食った」

東一は、二匹の犬の頭を交互に撫でながら、嘘を吐いた。

味噌汁と飯と干し魚と漬け物。東一が生まれてから一度も、

朝食の献立が変わったことがない。今朝は何となく箸を

付けるのが嫌になって食べなかったのだ。(*1)


“文化度”の低いところには住めそうもない、そう明言するひとがいます。文化に対する尺度は人それぞれ違うでしょうが、言わんとする所はよく分かる。一度味を占めてしまうと、人は快適さや刺激を手放せない。音楽や芸術、読者やスポーツ、その他に付随する“心地好さ”を綺麗に捨て去ることは相当に困難であるし、風が吹き抜けずに淀んだままの世界では息が詰ってしまって享楽は存分に得られない。ひとは魂にも身体同様、美味しい食事を与え続けなければなりませんが、そのためには環境はとても大事。


桐野夏生(きりのなつお)さんの新作「ポリティコン」を読みました。都会に生まれ育った高校一年生の娘“真矢”の周辺環境が激変します。大人たちのトラブルに巻き込まれて緊急避難を余儀なくされ、東北の寒村に引きずられるようにして連れてこられるところから物語の幕が開くのです。村は大正の時期に先鋭的な“文化人”たちが理想郷を夢見てスタートさせた“実験農場”であり、食べることと芸術活動に没入出来る環境を築かんとこれまで苦闘を重ねてきたのでした。有形無形の“食事”にまつわる物語です。


もはや時代からも地勢的にも隔絶してしまい、住民の多くは高齢にもなって、村は見た目にも精神的にもひどく疲弊しているのでした。淀んでのっぺりした大気に侵されているのみならず、さらに間が悪いことには直情的な若い男が暴君と化して手が付けられなくなっていく。“文化度”が低いなんてもんじゃなく、壊滅寸前なんですね。 少女の飢餓感が切々と伝わってきます。


“文化”という衣服を剥かれて裸となった老若男女が村のあちこちで衝突を重ねていく様は、単純であるだけに生臭さは激烈です。混沌とした状況に、さらに地べたをのたうつが如き方言が重く纏わり付いていく具合は、ただもう悲しくって悲しくって誰でも逃げ出したくなる程です。口あんぐりの滑稽な展開がこれでもかと続いていき、モデルに選ばれた実在の地域に住まう読者などは憤然として声を荒げるか、ぐったりと打ちひしがれて高熱を発し、もしかしたら二、三日寝込んじゃうかもしれない。


けれど、時世によく寄り添ってナルホドと頷かされる警句が時おり弾けて爽快だったし、切れ味よく、新たなみずみずしい断面を呈してみせる世界観はやはり桐野さん独自のもので大いに呻らせられるのでした。勇気付けられる箇所もたくさん在ります。


物語を貫くのは荒ぶる一組の男女の十年間に渡る魂の軌跡です。農村に連れてこられた薄幸の少女“真矢”は忍従を強いられながら、やがて一気に芽吹くようにして峻烈さを増していき、困難な事態を猛然と生き抜いていく。ひとつの人格の巣立ちや成長を申し分なく描いていて、随分と胸に迫るものがありました。


登場人物をハハハ、とあざけるつもりが即座に照り返って、己の内奥に潜んでいる欺瞞や臆病さを白く浮き上がらせる瞬間も多々あり、クリアな幻視を誘う舞台描写もいつにも増して巧みで刺激が強く、どうにも止められずに一気に読み終えてしまいました。桐野さんが主導される理想郷(実験農場)に入村し(放し飼いされ)、短い期間ながらも学ばせてもらった、そんな気分ですね。充実した読後感がありました。

上に引いたのは村の描写が始まって間もない部分です。自給自足を目指すこの村は米と鶏(にわとり)、それにほんの少しの野菜ぐらいしか作っていませんから、どうしても食生活が単調になりがちです。味噌だって自家製のものを仕込んでいると書かれていますから、毎日の食卓に味噌汁は避けがたく並んでしまうものなのでしょう。


これまで迷いも疑問もなく親を始めとする年長者を手伝ってきた“東一(といち)”という若者が、生まれてから一度も変わったことがないこの朝食を拒絶しています。味噌汁は若者を呪縛するものとしてここでは登用されて、そっと僕たちと思いを共振させていく。情欲を持て余し、支配欲に目覚め、ほかの男たちと己の腕力や胆力を絶えず天秤にかけては戸惑い、呻き悶えている若者の尖った感じがよく伝わってきます。


真矢と、彼女とともに逃亡してきた異国のおんなの入村を機に東一のタガはとうとう外れてしまい、かろうじて守られてきた村の均衡ががらがらと崩壊していくのでした。猫の目のごとく変わっていく状況に合わせて、食卓の光景もまた様々に変幻していく辺り、桐野さんらしい繊細且つダイナミックな綾織りです。ついつい五感は踊らされてしまい、ざわつく臨場感に最後まで包まれてしまいました。(*2)



(*1):「ポリティコン」(上下) 桐野夏生 文芸春秋 2011 
奥付によれば初出は(第一部)2007年8月~11月 週刊文春、(第二部) 2009年1月~2010年11月 別冊文藝春秋にいずれも連載 引用は上巻54頁より
(*2):例えば村内でサボタージュが起きると、たちまち味噌汁は陰を潜めて「真っ黒な醤油の汁を張った肉うどん」なんかが登場するのです。世界をここまで細かく構築出来る人はなかなかいないですよね。見事だなあ。

2010年12月27日月曜日

吉行淳之介「怖ろしい場所」(1975)~いいことがあるの~




 朝飯は茶の間に用意されていた。味噌汁のほかに、生卵が

一個と焼海苔が添えてあるというような、当たり前の食事である。
 
最初の日は、女が傍にいて飯のおかわりをよそってくれた。

薄い白い膜のかかっているようにみえる眼で、黙ってじっと

羽山を見ている。(中略) 十日ほど経った朝、茶の間に降りてゆくと、

卓袱台(ちゃぶだい)に茶碗が二つと吸物椀が二つずつ置いてあった。

箸を見ると、一つは羽山の使いつけのものである。

「今朝は、あたしもご一緒しますわ」

と、女が言った。(中略) 不美人とはいえない。むしろ目鼻立ちは

整っているといってよい。ただ、全体が澱んでいる。

「よろしいでしょう」

念を押すように、女は言って、卓袱台の前に座った。吸物椀をとり

上げて、ゆっくりと味噌汁をよそった。
 
薄く切った四、五片の胡瓜(きゅうり)が、味噌汁の上に浮かんで

いる。胡瓜の味噌汁を食べるのは、はじめてのことではない。

冬瓜(とうがん)のようなはかない味がする。

「夏のあいだに、一度はこれを食べておかなくてはいけないわ」
 
椀を口の高さに持ち上げ、湯気のむこうで細く眼を光らせて、女は言う。

「なぜです」

「こうしておけば、いいことがあるの」

初耳のことだったが、どこかの地方での習慣かもしれない。

「いいことって、どういう」

「…………」

「つまり、夏負けしない、とかいうようなことでしょう」

「それもあるけど、いいことが……。だから、今朝は

ご一緒させていただいたのよ」

厭な予感がしてくる。(*1)


ちょうど厄年といいますから、42歳になったのらしい“羽山”という小説家が主人公です。夜の銀座をそぞろ歩き、面貌、性格の異なる女性たちを花に見立てて蝶みたいに翔んで回る。吉行さんらしい元気なお話ですね。「やっぱり、女とのつき合いは、ほどの良いのが結局のところは楽だ」(*6)と考え、「稀に、両方の心に相手にたいする興味が動くことがある。そういうとき、その女にかかわり合いを持つとどうなるか、だいたい見当が付く」(*7)。
 

情が移っていくことを警戒して「ニヒルを決め込む」(*4)ことに決め、「女の部屋に入ったことがない」(*3) 。「これまでは、おおむね無難に過ごしてきた」(*7)──そんな男が羽山です。「部屋には、台所があるし、その女の生活している日常的な気配が漂っている。そういうものは沢山だ」(*3)そうです。末尾の解説によれば、わが国を代表する経済紙を飾った連載小説だとか。時代だな、と思います。


物語自体は巧妙な造りをしていて楽しく読み終えました。上記に引いたのは羽山が小説家に転進するずっと前の若い時分、民家の二階に下宿していた折の回想です。大家は羽山と同年輩のおんなで、一階に独りで寝起きしています。それが女郎蜘蛛のようにして初心(うぶ)な羽山にずり寄っていく。ぼわぼわと妖しげな光を放つ“食べもの”が続々と給仕されていき、笑えるけども実に怖い描写になっている。


恋情や欲情に付随して“食べもの”が面持ちを変えていくことは往々にしてあり、卑近な例をあげれば手作りのケーキやチョコレート菓子、弁当が極端な変幻を遂げることがありますが、これをもっとエスカレートさせた展開が羽山を襲撃して大いに笑わせてくれる。最後まで僕は物語世界に踏み込めず、男たちや彼らと関係を持つおんなたちに気持ちを預けることはならなかったけれど、“食べもの”の、さらには“味噌汁”の描かれ方はなかなかの味があり感心することしきりでした。 “こころ”と直結していて堂々たる面立ちです。


こんな場面もあります。こちらは現代(七十年代)の東京。


「とにかく、めしを食いながら話を聞くことにしよう」

二人は、銀座にある馴染みの関西料理店に入っていった。

日本料理のコースは、つき出し、刺身、吸物、焼物……、

とすすんでゆく。刺身を食べおわったとき、川田が註文した。

「赤だしをください」

「それは最後でいいんじゃないか。白子の白みそ椀くらいが

いいとおもうがなあ」

羽山がそう言うと、川田は首を横に振って、

「でも、赤だし」

「料理の順序はどうでもいいようなものだけどね、

なぜ赤だしを急ぐんだ」

羽山はふしぎな気がして、たずねた。

「はやくまともな味噌汁が飲みたいんだ」

「なぜ」

川田は言い淀んだが、

「今朝、ひどい味噌汁を飲まされてねえ」

「どんな」

「どんなって、まるで塩水を生ぬるくしたみたいな……」(*2)


経理一切を任している会計士にして親友である川田が、会食の席で羽山に対しこっそり打ち明けています。薄気味の悪い味噌汁を毎朝飲まされ続けている事実。浮気を疑う川田の妻がじめじめと変調していき、日ごと夜毎の料理がグロテスクさを増していくのです。とても怖くて忘れられない味噌汁がざぶりと盛られ、ゆらゆらの湯気の向こうでおんなの瞳がじっと男を見据えている。


「不機嫌な気分で料理したものは不味い」(*5)ものと羽山は論理的に解析してみせるのだけど、僕ら読者とすればもう理屈で納得出来るものじゃありません。口腔や鼻孔に気色の悪い違和感がむにゅむにゅと広がって、ひいっ、げえっ、と悲鳴も洩れる瞬間です。なんとも凄絶な味噌汁があったものです。




人が人を愛することは尊いことですが、時に盲動が加速して止めようがなくなります。その逆もしかり。人が人を疑いはじめると五感が狂っておかしなことが続発する。確かにそうかもしれませんね。いわんや殺気立ち、忙殺される年末においてをや。お互い気を付けましょう。


これが今年の締め括りかしらん。皆さん、どうか善い年をお迎えください。こころ穏やかに、新しい真白い蝋燭のぼうっと灯るみたいにしゃんと立って、キンと冷え込む夜気のなかを元気にしっかりお歩きください。滑って転ばないように。


来年も楽しく語り合えることを、心から願っております。



(*1):「怖ろしい場所」 吉行淳之介 初出は「日本経済新聞」(夕刊)の連載小説 1975(昭和50年)1~8月 手元にあるのは新潮文庫版 6刷 1979のもの。以下の頁数はこれによる。70-72頁
(*2):96-97頁
(*3):208頁
(*4):222頁
(*5):307頁
(*6):315頁
(*7):214頁

2010年12月1日水曜日

平岩弓枝「女と味噌汁」(1965)~忘れられなくってね~



「そんなに亭主をとられるのが怖かったら、とられないように

ダンボール箱にでも入れてしまっといたらいいんだわ。

妻だ、妻だって、えらそうにいうけれど、妻なんてなによ、

ご亭主からしぼれるだけ金をしぼり取って、女であることを

売り物にしてるんなら芸者とどこが違うのよ……。

自分の亭主が他の女のアパートに泊まって、熱い味噌汁を食べて……

こんなうまい味噌汁食ったことがないなんて言わせておいてさ……。

あんた、恥ずかしくないの……。同じ値段のお茶を、熱湯で煮出し

ちまって……うまいものをまずくして飲んでるような、むだだらけの

暮らしをしてさ、それで、なにが主婦よ……なにが妻よ……

馬鹿馬鹿しい……妻なんて女の屑じゃないの……」(*1)


 いやはや……。文庫本の奥付を見ると昭和61年2月の第11刷とありますから、買い求めてから二十年もの間放っておいたことになります。先日劇場で目にした映画(*2)で先入観をすっかり洗われたこともあり、とうとう読了いたしました。


 若かりし日、数頁読んだところで本棚に仕舞ってしまったのはひとえに僕の経験値の低さ(花柳界も男女の秘め事も、夫婦の倦怠も老いに対する不安も、そして仕事に関する鬱積も実感していなかった。まあ今でも知らないことは多いけど──)が原因なのですが、そこかしこに過剰に作り込まれた感じがあって鼻白むというか、何か論点をはぐらかしているような妙な乖離感がぬぐえずに物語に没入出来なかったせいもある。今回はそれを面白がる余裕も育っていました。なんせ二十年、それなりに堆積するものはあった訳だね。


 酒席で接客する女性がいて惚れる男がいる。互いに夢を描くようになりますが、周囲がそれをかたくなに許さない。ありがちな状況の中に作者の平岩弓枝(ひらいわゆみえ)さんは味噌、日本茶、漬物といった“伝統食”や下駄といった“職人文化”へのまなざしを導入するのでした。


 いざなぎ景気で街の様相がどんどん変わっていく。次々と洋風化する中で見捨てられつつあるそれ等を懸命に言葉尽くして擁護する訳なのだけど、もちろん此処での“古き良きもの”は意図的に登用されているのであって、主人公の “芸者”という職業と二重写しになるよう寄り添っている。そのたくらみは分からないでもないし面白いけど、やや空転気味というか、強引な感じを受けます。破綻まではいかないけど、空中分解気味の顛末が多い。


 こんな場景があります。“てまり”こと室戸千佳子が自宅のアパートにいると、茶色のスーツに身を固めたおんなが一人訪ねて来ます。先日泊めてやった男、桐谷の妻なのでした。睨み合いと言葉の応酬(最上段はその一部)の末にどうなったかと言えば、千佳子が苦労人であることが分かり、味噌汁や日本茶をうまく出すコツを伝授されると「あなた、えらいわ」「奥さんていい人ね」と「二人は顔を見合わせ、眼の奥で笑った」後ですっきりとお別れするのでした。う~む、とっても不思議。


 対する男たちも奇妙な言動を繰り返します。「こんなうまい味噌汁ははじめてだ」(*3) 、「死んだ女房も味噌汁のうまい女でね……」(*4)、「姉さんの作った味噌汁の味が忘れられなくってね……」(*5)。無理やりに男とおんなを味噌汁で接着して見えます。探せば世の中にはそういう輩もいるのかもしれないけど、なんかやだなあ、そんな言葉普通は出ないよ。僕個人の目からすればかなり異常な事態です。人間の魅力はさまざまであるから、もしかしたら味噌汁一杯でめろめろに酩酊させ、足元にひれ伏させる魔術を体得したおんなもいうかもしれないけど、ちょっと苦しい展開だよね。


 祖母に教わった「お茶のおいしい入れ方……味噌汁のおいしい作り方」が自身の肌に合い、朝も夜も「おいしいんですもん」と味噌汁を作り続ける千佳子なのだけど、泊めてやる男たちに思いのほか好評なのを自覚していくにつれて勢いづいて行きます。「この男も、やっぱり同じことを言った」(*6)と内心してやったりと思うにとどまれば自然なのだけど、「どこの家でもパン食みたいな簡単な食事するらしくって、男の人、みんな味噌汁やおいしい御飯に飢えてるって感じよ」(*7)と解析を深め、ライトバンを改造した味噌汁屋を遂には始めます。「味噌汁は私のとっときの技術ですもの、生きる砦ですからね」、なんて啖呵も切ってしまう。


 実行力はひたすら眩しいし、このような不景気であれば大いに見習うべき迫力。でも、「私、いま味噌汁屋をやっているんですけど、結構お客さんあるのよ、日本人はやっぱり日本の味が忘れられないんじゃないかしら……」(*9)と、そこまで風呂敷を大きく広げられてしまうと何か薄気味悪くさえなるのです。おんなひとりの外貌以上の大きなものを平岩さんは見極めようとしている。


 足掛け十五年に渡って回を築いた池内淳子さん主演の同名テレビドラマが物語るように、僕たちはこの芸者“てまり”を中心とする人情劇がどうやら大好きです。特定の年齢性別に支持されての結果でなく、家庭全体として好ましく思って次の展開を待ち望んでいた。誰も拒絶しようとは思わない。誰も不思議と思わない。


 その背景に何があるのかを“味噌汁”を軸にして捉え直してみれば、なんとなく輪郭が定まるものがあります。たとえば、家庭という日常を離れてめくるめく情事を夢見ながら、その相手には家庭(母親、祖母)の味をいつか求めてしまう男たち。そういう乳児さながらの思考ゆえに簡単に手玉に取れる存在と男を見取っていくおんなたち。そのように不甲斐無い自らの様子を呆れ顔で受容するおんなたちを、さらに利用しようと増長する男たち。


 たとえば、時代の流れのなかで劣勢に陥ったものを無条件に愛してしまう日本人の判官贔屓の凄まじさとおんなたちの血から血へ滔々と流れ続ける慈愛の能力。味噌汁、日本茶、漬物といった伝統食を愛する人間を単純に好ましい相手と感じる排他的で籠もりがちな思考回路。


 たとえば、外界と家庭との境界杭である味噌汁に飽きてしまった者と夢を抱く者とで綱引きが起こり、結果的にぼやけていく境界線。恋情の根が世界を跨いであちこちに拡がることを断罪できずに受忍に走っていく曖昧な国民性。


 日本人特有のエロスが味噌汁椀のなかでコロイド状となって上になり下になりしながら舞っているような、そんなイメージが湧きます。そんな意味では奇妙で知的、刺激的な官能小説だったと思うのです。


(*1):「女と味噌汁」 平岩弓枝 1965 初出は「別冊小説新潮」 手元にあるのは集英社文庫 1979(第11刷) 最上段の千佳子の言葉は33頁にある。
(*2):「女と味噌汁」 監督 五所平之助 1968 映画版は原作のエピソードをうまく組み上げているだけでなく、交わされる会話もほぼそのままだったことが分かります。上段のスチールも。
(*3):集英社文庫 6頁 以下すべて同じ文庫本より
(*4):96頁
(*5):115頁
(*6):6頁
(*7):37頁
(*8):41頁
(*9):168頁


2010年4月22日木曜日

上村一夫「同棲時代」(1972)その2~上村一夫作品における味噌汁(13)~



今日子「ねぇ 次郎 熱い味噌汁が飲みたくない?」

次郎 「熱い味噌汁か… そうだな 身体が暖まるだろうな」

今日子「ねぇ うちへ来ない?ごちそうするわよ」

次郎 「きみんちへ?どうして?そんなことできるわけないだろう」

今日子「いいえ かまわないわ 行きましょうよ」

次郎 「しかし………」

今日子「父と母のことなら心配しないで あたしの覚悟はできているの」

次郎 「熱いみそ汁…… 」


 上村一夫(かみむらかずお)さんの「同棲時代」(*1)に話を戻します。


“同棲”は暮らし振りの一形態です。その顛末を描く上で、“食事”の場面はどうしたって避けようがありません。実際、朝食、夕食、外食とずいぶん沢山の料理が劇中には挿入されておりました。当然のことながら、そのいちいちに作者は“木霊(こだま)するもの”を組み込んではいない。そんなことをしたらお話はたちまち渋滞を来たして、やがてボロボロに壊れてしまいます。僕たちの日常そのままに、特別の感慨のないものとして水か空気のように過ぎていく、それが「同棲時代」の“食事の光景”でした。


 でも、今日子と次郎、ふたりの岐路を描く重大な局面においてはどうでしょう。“食(べもの)”はこれまでの無表情を一転し、じんわりと発光を開始するのです。俄然色彩を増していき、登場人物の秘めた内面を代弁していく。そんな重要な役割を果たして見えるのです。



 例えば茫洋として連なるふたりの日々に対し、天空を裂いて降る雹(ひょう)のごとく突如もたらされて暗い影を落としたのは、ひと山の“花梨(かりん)”でした。



郷里の母親から送られてきたものですが、ふるさとの匂いを帯びたあれこれ、例えば菓子、米、缶詰、ちょっとした衣類といった雑多な詰め合わせではなくって、単体の“食(べもの)”である花梨がごそり山となって届けられる辺りが、いかにも上村さんらしい表現です。今日子の神経はこれを境に変調し、狂気との壮絶な闘いに入っていきます。(*2) 





 また、行き詰まったふたりが食事どきに激しく言い争い、せっかくのぶ厚いステーキ肉をゴミ箱にぼとぼと捨ててしまうくだり(*3)や、精神を病んで長く入院をしている今日子から現世への帰還を宣言する手紙を送られた次郎が、読み終えた刹那に思い立って台所に向かうや黙々とソーセージと野菜の炒めものを作って食していく場面などは、静謐でありながらも輻湊(ふくそう)する情念に満ち溢れていて、読んでたじたじとなったものでした。



深く記憶に刻まれて留まり続ける、ほんとうに素晴らしい“食べもの”の情景です。(*4)





 このように観念と“食”との阿吽(あうん)の呼吸は、「同棲時代」においても健在なのです。


 上村さんの“食(べもの)”は胃の腑の空隙を単に埋めるものではなく、むしろ胃やら肺やら心臓といった身体の内側がべろりと裏返されて露出し、そこに巣食う情念が大気に剥き出しにされた挙句に変幻したもの、と言える気がします。“食(べもの)”という形貌(なりかたち)をしていても、ひとの魂そのものなのでしょう。「同棲時代」には空気のように取り巻いて無味乾燥の体で列を為す“日常の食事”に挟まって、そんな思慮に溢れた“食(べもの)”が素知らぬ顔で割り込んでは読者のこころをワッと揺さぶらんと待ち構えている。


 さて、物語の終焉において今日子と次郎とで交わされた会話に“味噌汁”うんぬんがあり、年数をいくら経てもうまく嚥下(えんげ)することが僕は出来ず、悶々として今に至った事は以前この場に書いた通りです。違和感をつよく抱き、ずっと気になっていたのは“きみ”という表現でした。「きみが作ってくれる味噌汁のことを思うと」という蛇のずるずる這い回るような言い振りには作者の執着がべったり張り付いて聞こえます。なぜ単に「朝ごはん」を今日子は誘わないのか。どうして「きみが作ってくれる」という不自然な言い回しになるのか、だいたいナゼ急に「味噌汁」がここで口から飛び出したのか。




次郎 「きみが作ってくれる味噌汁のことを思うと ぼくはたまらない……

    それを飲んだら ぼくはどんなにか身体も心も暖まるだろう……

    だけど こいつをよく覚えとこう この感じを……」

今日子「……」

次郎 「この寒さをよく覚えとこう…… 今 この寒さとひもじさに

    耐えられたら このさき何にだって耐えられるかもしれない……

    そんな気がするんだ」

今日子「次郎……」



 先に引いた野菜炒めの手際の良さが語るように、次郎という男は料理をとても得意としています。ある時など酒場で酔って意気投合したシルバーマンという名の外人をアパートに連れ帰り、翌朝、今日子が仕事に出てしまってから幾皿かの料理を自分一人でしつらえ、手際よく供して大いに驚かれてもいます。その中には味噌汁も含まれておりました。


つまり次郎は“僕の味噌汁”を朝飯前に作る男なのです。(*5)“きみの味噌汁”という言い回しは“僕の味噌汁”があればこそ成り立つ表現だった、というのが分かります。


 ここで上村さんの“味噌汁”が、観念の飛翔を存分に許す空域と日常という内界との間に穿(うが)たれた“境界標”として立ち現れることを思い返すなら、たちまちにして物語の構図が見えてくる。「同棲時代」の幕を降ろすにあたって、今日子と次郎の人生の有りようをすっかり俯瞰して見せようと作者はしている、そのための不自然な台詞であったに違いありません。


 きみのものと僕のもの、ふたつの味噌汁椀が男女間にふわり浮かんで見える劇の状況は、二本の明確な境界線を露わにします。ふたつの精神が一切重なることなく対峙したままの姿となって提示されるのです。完全に孤絶し切って並び置かれたふたつの魂の、凝っと向き合い見つめ合う様子は、自律してしまった者同士だけが発する厳しくもすがすがしい大気にすっかり洗われて見える。読者のあらゆる視線をもはや受け止めてはくれない。干渉を、そして感傷をも拒絶するのです。それ程にも決定的、最終的な構図が呈示されている。







 もちろん“味噌汁”以外の言葉や風景、朝焼け、朝露、金木犀の薫り、砂丘、陽炎(かげろう)、足跡──を上村さんは次々と紙面に投じて、吐息に満ちた今日子と次郎の暮らしの終幕とこれからの門出を演出しています。“味噌汁”はそんな風景のほんの一部分に過ぎませんが、その“一部分”を他のどんな作家が気付き登用出来たものか。僕の知る限りにおいてはここまで演出が及ぶ作家はそう見当たらない。(*6)天才という言葉を強く想います。



 愛憎で綾織られた短いような長いようなふたりの旅路を眩しく振り返りながら、描かれた男とおんなはずいぶんと幸せであったな、生命を吹き込まれて存分に生きたよな、と深々と頷いていく、そんな厳かな気持ちに今、ゆったりと包まれているところです。




(*1): 「同棲時代」 上村一夫 1972-1973 最上段および中段に引いた頁は VOL.69「終章」より
(*2): VOL.30「花梨怨歌」
(*3): VOL.60「土曜の夜から土曜の夜まで」
(*4): VOL.48「手紙」  この(*3)と(*4)のコマ割りが似ていますが、これは偶然ではないと僕は想っています。“食事”を作って“生活”を目指そうとする次郎に対して、“食を遠ざけること”で情念の持続を図る今日子のすれ違いが時をまたいで対照的に描かれています。上村さんの作為がいかに持続する性質であるかを、いかに計算に基づいたものかをこの二つのコマが教えてくれます。
(*5): VOL.15「小さな指輪」
(*6):ここで言う演出とは、世に溢れる事象、天候、水、雨、階段、花の色、花言葉、靴の色、傘の色、寝具、書棚に並ぶ本の背表紙、そんなすべてを味方にして人物の造型に傾注する才能のことです。映画監督では石井隆さんもそうです。アンドレイ・タルコフスキーさんにも近しいものを感じますね。

2010年2月16日火曜日

上村一夫「サチコの幸」(1975)~上村一夫作品における味噌汁(5)~



 “食事”が日常の通過点として明滅するだけでなく、人間のこころの奥底に眠る羨望や懊悩といったものを代弁する目的から“かたちづくられる”。そんな上村一夫(かみむらかずお)さんのこだわりの技法がある訳だけれど、思いが強過ぎることからでしょう、時に物語の構造を破綻させる事すらありました。「サチコの幸」(*1)がそれです。


 舞台となっているのは太平洋戦争が終結して五年後、まだまだ食糧事情が良くない時分の新宿二丁目です。大陸より孤児となって戻って以来、サチコは“生活”のために春をひさぐ女として暮らしています。彼女のほか数人を遊妓として抱える小さな店で、見知らぬ客に素肌をさらす日々なのですが、ついぞ堕落した風情は読み取れない。持ち前の天真爛漫さで難事を切り抜けていく様子は、青春小説めいたすがすがしい息吹を僕たちに伝えます。読んでいてとても伸び伸びとする作品です。


 サチコたちの“生活”のあらましが活写されていく中で、冒頭より“食事”の光景が目白押しとなっていきます。おんなたちは互いを鼓舞し、持ちつ持たれつ支え合って生きているのです。商いの始まる前の明るい陽射しのなか、賄いの当番にあたった者は倹約のために七輪(しちりん)を店先に持ち出しては、魚を焼いたり、煮物を作ったりするのが常です。(*2) 上村さんの劇画に慣れ親しまない人はのんびりした場景と見て取るのでしょうけれど、虹のごとく層をなす光がこっそり“食事”に宿っていることは先に見てきた通りです。


 調理に励む姿、食卓に並んだ皿、盛り付けられた料理の数々によって、廓(くるわ)のおんなたちが“家庭的な”時間を繰り返す身であり、「情念の高潮」といったものを上手く受け流して暮らしていることを読者は理解する必要があるのでしょう。


 例えば、次の箇所なんかはとっても象徴的です。その日の朝食の当番はサチコです。例によって道路端で七輪の火をおこして、一人でのんびり“みそ汁”を作っています。(*3) 


サチコはみそ汁が好きである

その香を嗅いで はじめて今日一日の始まりを知る


 店から少し離れたところに婦人の立ち姿があって、サチコはそれが先ほどから気になって気になって仕方ありません。猥雑な大気を孕んだこの界隈にはすっきりと和服に身を包んだ清楚ないでたちが、どうにも不釣合いに見えるのです。うつむいて思案に耽る婦人の横顔は不穏なものをそろり引き寄せて見えます。


何の用だろう? 先刻から街の入口にたたずんでいる女は……

どこから見ても この街にはふさわしくない女だ………



 みそ汁は好い具合に仕上がり、サチコは鍋を両手に抱えると店のなかに運び込もうと立ち上がります。その背中に先の婦人が声を掛けてくるのだけれど、その用件というのは「ここで働いてみたいの……」という突飛なものでした。びっくり仰天したサチコは鍋を取り落としてしまうのです。「勿体ないことを……」と転がる鍋を地べたから拾う女は、さらに意味深な発言を重ねます。「ご自分でおみおつけを作れるなんて偉いのね……」


 ふたつの呼称、サチコの発した“みそ汁”と女の“おみおつけ”を並列して、和服姿の女の生活環境がサチコたちとの間にかなりの段差あることを示唆しているだけではない。この女がみそ汁を自ら作らない、すなわち今この瞬間、「情念の高潮や心境の錯綜」の只中にあって「“食事”を遠ざけている」ことがありありと浮かんで来るのです。



 強欲な店の主人は女の願いをあっさり聞き入れ雇ってしまいます。懐中に潜ませていた情念を解放された女は、凄まじい勢いで客に対し、狭い店に対し、爛熟した妖気を発し始めます。これにすっかり当てられたサチコたちは調子を乱して消沈し、蒲団にくるまってふて寝してしまうのでした。地面に転がった“みそ汁”のように“生活”をひっくり返されたわけなのです。


 なるほど、ここまでならいつもの通りです。みそ汁は“生活”と寄り添い、“内なる閉じた空間”を代弁しています。バァン!と地面に転がったことで世界がひび割れるぞと警鐘を発してもいる。“決めごと”に沿った無理のない、そしてあくまで緻密な展開となっている上村さんらしい筆遣いです。


 破綻は忘れた頃に訪れています。終幕間際の第45話にて物狂おしい矛盾が生じてしまいます。小題はずばり「味噌汁の味」でした。(*4) サチコは広沢という羽振りの良い男に見そめられ、無事身請けもされて長年住み慣れた街を後にします。連れて行かれたのは野なかの一軒家です。男の包容力に惹かれてすべてを預ける覚悟でしたが、みすぼらしいしもた屋を前にしたサチコはどうしても其処を終の住み処と思い定めることが出来ないのです。



 思い乱れて夕闇のなか逃亡を図るのですが、途中立ち寄った駐在所の人当たりのよい巡査に諭されて動転する気持ちを落ち着かせると夫の待つ家に戻っていくのでした。そして翌朝、サチコは床を飛び出すやいなや「生まれてはじめて」味噌汁を作るのです。心機一転生まれ変わって、という言葉の綾かと思えば、どうもそうとは言い切れない。妙に塩辛く、顔を歪めてしまう程にもお粗末な味付けなのでした。


 上村さんの“決めごと”が頑として野中の一軒家を支配しています。家事をこれまでやったことのない商売女が“家庭”の主婦となり“調理”に挑戦し、“朝食”を食卓に並べようと奮戦しています。ここでの広沢は「情念の高潮や心境の錯綜」を捨てて、“生活”を支えるために生きてくれとサチコに強いているのです。(男にありがちな幻想ですね。)それに則って“決めごと”が活発化している。



 サチコの劇的な環境変化に物語がまるで分断された印象です。二丁目の店先で作られ続けたみそ汁はどこかに消えてしまいました。サチコの半生を強引に捻じ曲げて変質させているのです。 (*5) これが上村一夫さんの“食事”の凄まじさなんですね。ヒエログリフとして起用された“味噌汁”の面白さ、劇画の面白さなのです。魂の表現を豊かに彩るためならば時空を強引に変えてしまうことも厭わない、そういう一途な作者の目線を感じさせます。


 また、サチコという主人公がこれまでの“生活”から新たな“生活”に乗り変わっていて、遂に謳歌すべき魂の自由を手中に出来なかったという哀しみ、戸惑いを上手く顕現して見せたようにも思います。そこまで上村さんが考え、仕込んでいたのであれば、これはこれで味わい深くも塩辛い二杯のみそしるだった、と深い溜め息を漏らさざるをえないのです。



(*1):「サチコの幸」 上村一夫 1975-1976 双葉社 初出は「漫画アクション」
(*2): 「あたしたちの食事はどんぶりの盛り切りごはんに お新香と味噌汁 これにあと一品何かつけばいい方でひどく粗末なものです これでは栄養にならないと思って魚を買ってきて焼いているとお母さんがすっと寄ってきて 「ガス代がもったいない」と云ってガス栓をひねってしまうのです」Vol.11 お月さまを食べた話
(*3): Vol.7 娼婦志向
(*4): Vol.45 味噌汁の味 
(*5):これは僕の見当違いで、単に味噌が変わっただけ、それゆえに入れる分量の微調整を誤ったということかもしれませんね。住まう環境を変えれば、そういう事は往々にして起きるものです。けれども、もしもそうだとしても、それはそれでひとりのおんなの身に起きてしまった人生の転針が“味噌汁”ひとつで見事に語られている訳です。そんな奥ゆかしくも豊潤な描写、ほかの漫画や小説であったものでしょうか。


 余談になるのだけれど、この逸話の後に展開される48話の会話や描写は上村劇画の真骨頂で唸らせられました。上村さんのおんなは濡れた黒髪を重いベタで表現することを特徴とするのですが、雑誌掲載の際の粗い紙質や不均衡なインクの盛りから必ずしもその黒さは綺麗に上がらないことがあります。白い点々がベタのなかにノイズとして現れるのは経済上、技術上、仕方のないことです。それを上村さんは逆手にとって、サチコの髪のなかに宇宙を表現し、男とおんなの間に広がる真空や感情の瞬きを顕現しています。柳田国男さんは地方のお蔵の奥に潜む暗闇を大宇宙と対比してみせたらしいですが、上村さんはおんなの黒髪に宇宙を灯影したのです。恐るべき洞察力、表現力です。やはり天才だったとまたまた溜め息が漏れ出てしまう訳なのです。 

2010年1月25日月曜日

たかぎなおこ「ひとりぐらしも5年目」(2003)~禁断症状が出る~



基本的には和食が多い。

私はみそしる好きなので

2~3日飲まない日が続くと

禁断症状が出る。

「み~そ~し~る~  ゲホ……」(*1)


  上で紹介したのは、たかぎなおこさんの絵入りエッセイ本(ハウツウ本なのかな)からの一節です。三重の実家からひとり離れてのアパート暮らし。若い女性の暮らしにまつわる諸相があけっぴろげに語られていきます。


  不安と笑いに充ちた花の独身生活を誰もが一度は経験するものですが、たかぎさんの場合、その端緒に“みそしる”を渇愛して床をのたうち回るあられもない姿態が在ったのでした。“禁断症状”という表現が、なかなかウフフないい感じです。末尾の呻き声も意味不明ながらアクセントが利いていますね。


  たかぎさんはだから“みそしる中毒者”、なわけです。真面目に反応しちゃいけないのでしょうが、文字を読む限りではそうなります。“やめられない、助けて!みそしる中毒者の叫び”、“本誌だけが掴んだみそしる常習者裏相関図”、“わたしはこうして罠に堕ちた、みそしる依存の深い闇”、“危険な隣人、魔性のおんなはみそしるに身もこころも溺れ狂った”。


  それにしても“みそしる”に疼いちゃうって、ちょっと珍しい表現ではあります。依存食物(この言葉が正しいかどうか分かりませんが)の代表は言わずと知れたコーヒーでしょう。“コーヒー中毒”という表現はかなり定着して見えます。それからチョコレートなんかも一般的なのかな。しかし“みそしる”はあまり聞きませんよね。検索サイトで文字列指定にて調べてみれば、ずいぶんと奇特な存在だと分かります。(*2)


“チョコレート中毒”  155,000件 
“同 禁断症状”    219件 
“コーヒー中毒”    125,000件   
“同 禁断症状”    285件


  これに対して“味噌汁中毒”は86件、“味噌汁禁断症状”に至っては1件しか見つかりません。味噌汁には人間を依存症に陥れるだけの劇烈な成分は含まれず、僕たちの動作を縛ったり拘引するものでは決してない。味噌汁依存が幻影ということは明々白々です。


  だからこの「み~そ~し~る~ ゲホ……」のコマは受け狙いで滑り込まされたに過ぎない訳ですが、それでは、たかぎさんの眼差しや囁きは何もかも絵空に過ぎないのかどうか。もちろん床を這い廻る動作を真に受ける人は誰ひとりいません。誇張されたあり得ないものとして誰もがエヘヘへ、と口角を上げていく次第なのだけれど、さてさて、僕たちの胸の内にあえかな共振、体感出来ない微震は起きていないものでしょうか。


  たかぎさんご自身のホームページがありますね。http://hokusoem.com/
  上の本以外は読んでいませんし、僕の性別や年齢、環境から言ってもたかぎさんの本に今後触れていくことは予想できませんけれど、この書籍の数や奮闘ぶりを見ると相当な人間観察の達人であられるような気がします。


  2003年に初版が出されたこの冊子ですが、僕がブックオフで見つけたのは2008年の、実に15版のものでした。幼少年時のインプリント(刷込)が希薄になり、徐々に“みそしる”から縁遠くなっていく若い人が増えていく時流にあって、こうした本が版を重ねていくことは極めて面白いことだと思っています。食物に限定して書いたものではないにしろ、呪縛というのか信仰と呼ぶべきかよくわかりませんけれど、“みそしる”の根の深さとずるずるの絡み具合を指先に感じます。作者もその事をよく解かった上で、読者に仕掛けてきているように思えます。


  身体を左右するでもなく、依存症を招くでもないけれど、何かふわふわと漂いまとわり付き振り払えない、“みそしる”の雲が僕たちを包んでいるように思えます。


(*1):「ひとりぐらしも5ねんめ」 たかぎなおこ メディアファクトリー 2003
(*2):ちょっと長い蛇足です。

  食べものって人によって嗜好が千差万別で本当に面白い。医療関係者は危険を訴え、教育者は大いに嘆くわけだけれども、偏食の域に突入しての悲喜劇はほど、はたで見ていて可笑しいものはありません。僕もチョコレートにはハマル性質(たち)で、もう駄目、逃げられなくなります。特に某メーカーの某チョコの前では憐れ虜囚の身に成り果てるのです。


  脳のゼラチン皮質が湿り気をじゅんじゅん増していくような、口腔から喉、胃の腑に至るピンクの粘膜がべったり、ねとねとに蜜に染まっていくような、血が酩酊してぺたぺた粘りを増すような、そんな生理的な充足感やよろめきに浸かりながら過ごす隙間の時間は、やっぱり嬉しく何ものにも代え難かったりするのです。生きていることの実感をふんわり認識させもします。ちまちまと平均的にものを食べ出すと、何か大事なものを置き忘れていくような、穴の開いた靴下を履いているような、変な消沈感が憑いてしまうような気がします。


  自己弁護かもしれないけれど、そういった性癖を持つひとの方が不思議と生き生きとして見える、そんな気もいたします。送られてきた果物なんかを延々食べまくり、あれよあれよと言う間に箱の中身全部を平らげてしまう、そんな偏食、暴食の場景に遭遇すると、人間って実にたくましいしエネルギッシュな生きものだと思うものです。


  聞いた瞬間に耳を疑ってしまうものもマレにありますが、モノは試しと付き合って口に放り込み、舌の上で転がしていると不安や疑問は氷解する、どころか、地平線がするすると広がっていくような爽快感が飛び出しても来ます。音楽もそうですが、味覚や嗅覚も“新たに知る歓び”って、かなり突き抜けたものがありますし、相手と深く結び付いていくような、内側から重なるイメージも心を急速に温めますね。


  食にそんな悦びをそっと見出してしまうのは、僕がそろそろ整理整頓の年齢に入った証拠かもしれません。机の上やベッドの脇は乱雑なままですが、身体とこころが求めるものが、幾らかすっきり背表紙を揃えていき、きれいに書棚のなかに収まってきた感じをこのところ受け止めています。

  歳をとるって、やはり悪くないものです。(う~ん、ちょっとやせ我慢。)

2010年1月6日水曜日

近藤ようこ「遠くにありて」(1987)~なにもかも違うのに~



拓「そんな先のことは、わかんないよ。

  それより おれ、腹へったな。」

拓の母「ああ、ごはんにしようね。」

朝生「お手伝いします!」

   湯気をあげる味噌汁の鍋。

拓の母「中山さん、味見してくれる?」

朝生「あ、はい。(味見しながら内心にて)
 
    うちとちょっと味つけが違う──

    やっぱり、ここはよその家なんだなあ。」

朝生「おいしいです。」

拓の母「よかった。これは、あたしがお姑さんから、

     習った味つけなんよ。あたしもこうやって、

     お嫁さんに伝えていくんだねぇ…」

朝生「(内心にて)わたし…この家の「お嫁さん」に

   なっちゃうのかなあ、なれるのかなあ。育った

   環境も、みそ汁の味つけも、なにもかも違うのに…

   ここは、よその家なのに。不安だ。こわい──」(*1)



  年が明けて、やたらと気ぜわしい毎日が続いています。学校や幼稚園など始まったところもあるようですし、世間というものは本当に休み知らずですね。止めようのない大河みたいです。


  こういう始動の時期はぼうっとする瞬間も増えて、ちょっとした事故も起こりがちではないでしょうか。僕も今朝、自宅内の階段をあやうく踏み外しそうになって冷や汗が出ました。どういう拍子にか、左足が二段一気に踏み降りようとしたんです。昨夜寝る前に観たフランス映画が残像となって眼の奥に蘇えり、僕を石畳の街並に立たせたようにも思えます。お馬鹿な左足が日に焼かれた白い石段を駆け降りたようにも思えます。不意を打たれて慌てました。皆さんもどうか気を付けて、時間に余裕を持ってお過ごしください。



  さて、今日取り上げるのは近藤ようこさんの「遠くにありて」です。今から二十年以上も前の作品なんですね。歳月の移ろう速さには驚かされます。


  学校を卒業した中山朝生(あさみ)は、実家にほど近い北陸の町で教師となって働き始めます。東京に残り小さな出版社で働く親友との会話にほだされ、ついつい自身の境遇を恨んでは再度の上京を夢見てしまう、そんな浮き足立った毎日を送っています。いつ辞表を出して職場を去ろうかと煩悶する様子は隠しようがなく、そんな情緒不安定気味の主人公を周囲は心配し、それとなく見守っていきます。


  なまぐさい人間模様を身近に捉え、胸襟を開いて回想や惑いを交感させるうちに心の表層を覆っていたとげとげしさは徐々に治まっていき、いつしか自立した世界を足裏に確信するようになる。少女からおんなへの(群像劇として見れば、さらにおんなから老女への)成長譚が物語の輪郭となっています。


  その中で “調理の味付け”にまつわる気苦労が彫り込まれています。同級生の西崎拓(たく)という青年も主人公を気遣う一人で、上に紹介した場景は酒販店を営む彼とその家族に招かれた際の断片です。味噌汁を巡る会話が突如はじまるのですが、それにしても典型的に過ぎるのじゃないか、いかにも、といった台詞が並んでいました。
 

  ひさしぶりにこの作品を読み返し、正直言えばずいぶんと醒めた思いを抱きます。二十歳過ぎの娘の一見すがすがしい“せせらぎ”に似た日常を目で追いながら、うまく懐柔されちまってお馬鹿さんだなあ、と可哀相な気持ちに今の僕はなってしまう。


  ひとの精神の懊悩は死ぬまで整理のつくものではないし、突如おし寄せる潮津波(しおつなみ)に思考を遮られ、渦に巻かれ砕かれて見るも無残な藻屑になってしまうことだって往々にしてあり、そうともなれば相当に苦しい。


  けれども、そんな感情の濁流ポロロッカこそが“生きている”ということの嬉しさと愛しさの根源なのだ、と、反撥する思いがやはり湧いてきて、悪戯に安定を望んで答えを急ごうとする「遠くにありて」の登場人物たちにしっくりとは寄り添えない自分を見つけてしまうのです。(*2)



  例えば似たような料理の描写が里中満智子さんの作品(*3)にも見出せますので、これを並べてみればいいのです。湯気上がる鍋があって味噌汁がことこと煮られているし、主人公は憂いを含んだ眼差しを整った面立ちに宿していて、ふたつの作品はここだけ切り取れば似た色彩を放って見えるのですが、内に潜むものはまるで正反対となっています。


  旅先で偶然に出会った病身の陶芸家を看護するうちに、予定調和ばかりを追っていた自分自身の人生に疑問を抱いてしまうという内容で、「遠くにありて」とは物語のアウトラインが対照的な作品です。主人公(早苗という名です)──の憂いの中には「遠くにありて」での「よその家」に来ている不安は露いささかも無い。




  僕がここで興味を引かれるのは、里中さんの作品においては“味つけ”への気兼ねが一切生じていないということなんです。気持ちが翻弄されてそのまま卒倒すらしかねない近藤さんの作品との段差はどうしたことだろう。

 
  知り合ったばかりの男の家に上がり込み、一切の気兼ねなく料理を提供する早苗というおんなは気の回らぬ馬鹿でしょうか。違いますよね。恋情の本質を突いているのではないかと、僕はふたつの作品を面白く見比べます。


  一方が一方に“かしづく”ということでなく、異質なるものを取り込み、その混濁をも楽しむ余裕こそが恋情という調理の味付けであることを、里中さんのおんなの体現する怒涛の勢いが僕たちに物語っているように思えます。




  ふたつの物語に描かれた二人のおんなの道程は、どちらも現実といえば現実、理想といえば理想。人生の最大振幅を具現化したものでいずれも実相をよくとらえて見えます。近藤さんのおんなと里中さんのおんな、二極の間を行きつ戻りつする、まるで振り子みたいなものが人生かもしれないですね。ひとの多くはそんな存在、振り子時計ではないのかな。僕だってそう。ほんとうは偉そうなこと、人様に言えやしないのです。


  さながら味噌汁は、振り子時計の上部に付いた機械仕掛けの鳩という訳です。恋情のある局面で急に存在感を露わにし、不思議な調べを奏で始める。ちがう、ちがう、ちがう、と唄い出す。いや、同じ、同じ、同じ、でしょうか。どちらにしても音階は狂っている。恋と愛としがらみの中で出番をひそかに待ち続けて、今夜も味噌汁はどこかの食卓で発声練習に励んでいるのです。


(*1): 「遠くにありて」 近藤ようこ 初出は「ビッグコミック」小学館 1987-1991
(*2): もちろん、近藤ようこさんの作品は読了後に硬いしこりを残すものが多いですし、この作品が描かれた時代は虚飾に踊ったバブルの頃と重なります。よくよく承知の上で逆説的な顛末をあえて描き進めて、浮かれる世間に挑んだというのが本当のところでしょうね。
(*3):「古いお寺にただひとり」 里中満智子 初出は「別冊少女フレンド」講談社 1976

2009年7月31日金曜日

さくらももこ「えいえんなるじんせい(永遠成人生)」(1989)~人生の意味~


タエコ「あっ、おはようございます。あなた、ハイ おみそ汁。」

私「あ……ああ。(またか……)うまいっ、タエコはえらいね。
 
 (はっ、こんな呑気なことを言ってる場合じゃないぞ。)
 
 
 (いったいどうなっているんだ……

  なぜ こんなに何回もみそ汁を飲んでいるんだ、オレは。)


 (はっ、メビウスか!!オレの一生は、今朝の夢で朝食の時間

  だけが裏表なしの永遠になってしまったにちがいない。)」


私「じゃ、行ってくるよ。」

タエコ「行ってらっしゃいませ。」(*1)


 汗だくで山中を探索している男“私”がいます。“人生の意味”を捜し求めているのです。“私”は思います、人生の意味とは何だろう。きっと“永遠なるもの”にめぐり合うことに違いない。“深遠なる顔をもち、刻々と脈打ち、熱く燃えて永遠に連なっていくもの”を死ぬまでに手に入れたい。


 岩山を登り詰め、奥へ奥へと“私”は突き進みます。いい加減飽きて来たところで、何ということでしょう、生い茂る草むらのなかに異様な外観の生きものを見つけてしまいます。カァァ、カァァと奇声を発しながらドクン、ドクンと脈動する妖しげな蛇のような生きものです。まるでクローネンバーグ(*2)の映画に登場するような奇態なのですが、これが突如襲いかかって“私”の脳髄にドボドボドボと侵入してしまうのです。「うわぁ。」絶叫した“私”は意識を失ってしまいます。


 目が覚めたとき“私”は、出勤前の小一時間を繰り返す永遠のループに捕えられている。朝食の“みそ汁”を何度となく呑み続けなければならないのです。“私”はこうして“永遠なるもの”を手に入れた──という結末でした。


 絵柄は代表作「ちびまる子ちゃん」(*3)と同様で、僕たちの緊張を解きほぐし、暖色系のほのぼのとした気分を誘い込みます。独特の描線からにじみ出る甘露のようなものが、白昼夢の後のまどろみに似た分厚くへヴィな錯綜感をもたらすのですが、そんなぼやけて見える物語の輪郭をたどり直してみるとなかなかどうして、その奇抜さと怖さは並大抵ではありません。これを楳図かずおさんや諸星大二郎さんが綿密なタッチで描いたのならば、相当に尾を引く異色の恐怖譚になったに違いありません。


 幾度となく繰り返されるこの手の時間跳躍(タイムリープ)は、映画や漫画の作劇上さして珍しいものではありませんよね。でも、朝食の光景、それも“みそ汁”に特化していく発想はおかしく稀有なものでしょう。僕たちのこころの奥に潜む気持ちをうまく反映させて見えます。つまりは“マンネリだな、もう食べ飽きたよ。こりゃ食欲とは無縁のもの、空気みたいなもんだね”といった“みそ汁”への満腹感、飽和感がここで透かし込まれているのですね。


 盛岡名物“わんこそば”のようにして何百、何千の“みそ汁”に対峙させられる。そうすることで僕たちの生きる特異な環境、食生活がまざまざと意識させられます。言われてみれば確かに、僕たちは“みそ汁”まみれで暮らし、生き続けていますね。ダンテの描いた天刑のごとき“みそ汁地獄”とも言うべきものが、この現世に横たわって在ることに気付かされます。



 一方、こんな見方も出来ます。


 この物語の欠くべからざる脇役として“みそ汁”はありますが、“私”にまとわりつくモノとして、もうひとつタエコの存在が認められます。冒頭の山中で永遠なるものを探しあぐねる“私”は腹をすかせて小休止し、タエコの作った愛妻弁当を広げて立腹するのでした。「いい年をして こんな 浮ついたマネをっ!」弁当のご飯には桜でんぶか何かでハートが描かれていたのです。つまり開幕から終幕までタエコが空気のように“私”にまとわり付いている。


 その“私”が妖しげな生きものとの出逢いを経て、タエコの作る朝食を取り、彼女に玄関まで送り出される一刹那を永遠に繰り返していくのです。さくらももこさんは“みそ汁”に宿る“マンネリだな。空気みたいなもんだね”という感慨をタエコというおんなへの目線にそっくり重ねている。“永遠なるもの”の答えのひとつとして、みそ汁と長年添え続けたパートナーをペアで提示しているんですね。単に“みそ汁”のお話ではなかったのです。


 さくらさんは日常をありのまま受容し、それを供にして歩み続けよと言っているようでもあり、そんな“本質”を見失った状態をせせら笑っているようでもあります。天国であるのか、それとも無間地獄なのか、さくらさんは絶妙なバランス感覚を最後まで駆使して、明瞭に刻印することなく物語を閉じてしまいます。判断は読み手次第で変わる、人それぞれということでしょうか。


 
えっ、僕はどうかって? どうでしょうね。“みそ汁”を出したり出されたりといった事に集束なるだけの日常が“永遠なるもの”であり、それだけのループを“人生の意味”だと捉えるのは、いまの僕には難しい。僕がこの物語の“私”であったなら、やはり、天国に来たとは思わないのじゃないか。


 ひとにとって“永遠なるもの”とは何か。いずれあらゆる物象も思念も朽ち果て、片鱗のかけらもなくどこかに霧散し消えるものだと思う斜め目線の自分がいます。その一方では、確かなものを信じて生きていきたい気持ちがそうそう消え去ってくれない。つくづく身勝手で不思議な、奇妙この上ない生きもの、だと思います。 こんな年齢になっても、悟りの境地には至らない。


 
 いずれにしても、さくらももこ「えいえんなるじんせい(永遠成人生)」は、日本人の“みそ汁”観の断面をすっかり露呈している、実に興味深い作品だと言えそうです。


(*1):「えいえんなるじんせい(永遠成人生)」さくらももこ 連作「神のちから」の一篇として
   「週刊ビッグコミックスピリッツ」に掲載。「神のちから」小学館 1992 所載
(*2): デヴィッド・クローネンバーグ  David Paul Cronenberg 
    代表作「ヴィデオドローム」(1982)、「クラッシュ」(1996)
(*3): 「ちびまる子ちゃん」 さくらももこ 1986~

2009年6月1日月曜日

片岡義男「味噌汁は朝のブルース」(1980)~非日常の食事~


「起きよう」
ひざで、恵子の尻を押した。
「いま起きる」
「朝めしをつくってくれ」
「なにがいいの?」
「こういうときの朝めし」
「味噌汁と目玉焼きとか?」
「うん」
「まさかあ」
 


今日新聞をめくっていたら、綺麗なおんなの脚を捉えた写真と“片岡義男”の名前を見つけた。硬質の皮とひとの皮膚の柔らかさが同居したハイヒールの爪先からぞくぞくする色香が漂ってきて、ちょっと素敵だった。6月8日まで新宿センタービルで写真展をやっているらしい。覗いてみたくなる。
http://dc.watch.impress.co.jp/docs/culture/exib/20090529_170385.html


 片岡義男の名をひとたび耳にすれば、「スローなブギにしてくれ」(*1)のメロディラインと映像があざやかに再生なってしまう。これはもう、どうしようもない。焼きごての痕みたいなものだ。(BGM代わりに南佳孝をここで流しましょうか。)角川書店は映画「犬神家の一族」(1976)「人間の証明」(1977)(*2)の公開を皮切りにテレビ、ラジオ、雑誌といった媒体を連動させた広告戦術“メディアミックス”を打ち出しました。僕はそれに煽られすっかり操られてしまった世代ですから、死ぬまで“片岡=スロー…”に縛られるでしょうね。





 久しぶり「味噌汁は朝のブルース」を読み返しながら、若かったころの懐かしく、まぶしい情景が脳裏に蘇って来ました。けれど実際のところ片岡の作品群は羨望のみならず、反発の対象にもなっていたように思い返します。丸井で買い求めた粗悪なベッドや安物のカラーボックスに囲まれ、歩いて10分の銭湯に数日ごとに通っていた僕には、片岡義男の世界を実現し得る“潮流のようなもの”を身の回りのどこにも見出せなかった。洒落た白いマンションやファッション、車や酒、芝居がかった会話や柔らかい肌をした異性は遠く遥かにいつも霞んでいた。いぎたない眠りの後の“夢の煮こごり”のようにも時には見えて、ひどく鬱陶しく、あえて暗澹たる文学青年を気取って拒絶したところがありました。


 あんな世界、そうそう転がってやしないさ、“非日常”の世界だ、と僕はそう思っていました。(今はずいぶんと損をしたような気分でいます。もう少し利口であれば、存外、手が届いた世界だったのかもしれません。) ところが、この年齢になって(ディーテルこそ違えども)片岡が創った“非日常”の点描をほとんど実現してしまっていることにはたと気が付きました。


 風呂付の部屋に悠々と住まい、高速道路を好きな音楽を鳴らして突っ走る“足”があり、山の息吹、潮風を造作なく肺腑に満たすことも出来る。好みの色調のシャツを買い求めて袖を通すことも、好きな酒を飲むこともたやすい。もはや「味噌汁は朝のブルース」の男に羨望をいささかも覚えないばかりか、劇中の若い娘に対しても“異性”という記号が完全に剥離して、落ち着いた眼差しを照射することも無理なく出来ます。ようやくにして僕はこの小説に“なじんだ”のだと思い至りました。今ならこの、当時はずいぶんと気取っていると思えた与太話についてあれこれ語っても、そう間違ったことを言わずにいられそうです。


 水谷浩朗と鈴木恵子の出逢いは高校時代にさかのぼります。互いのワンルームマンションに行き来して朝を共に迎え、部屋にはパジャマの用意もなっているすっかり“なじんだ”仲です。知り合って十年。そんな歳月は大概のカップルを倦怠や足踏み、ときには転機に押しやるに充分な重みを持つのだけれど、彼らが相応に“なじんだ”ままでいられるのは男が27歳、おんなが25歳という若き肉体ゆえでしょう。


 このまま共棲を続けていくべきか、新しい相手を探して活路を拓くべきであるのか、もどかしい逡巡を繰り返すなかでふたりは大小さまざまな衝突を繰り返します。恵子を会社の先輩に紹介して一夜を共にさせるなど、ずいぶんと危うい橋も渡ります。はた目には既にふたりの関係は“死に体”です。やがて強い酒を呷る夜が重なっていき、終幕、恵子の部屋での何十回目かの朝が、まるで何事もなかったようにかに訪れる。そんな顛末でした。


 おんなが「味噌汁と目玉焼きとか?」とさらりと投げ掛け、男が「うん」と肯定した“味噌汁”には衝突する想いが宿っていたことが今ごろにして分かりもします。翻訳すれば、もう十年目よね、この辺りで節目を越えて結婚なり入籍なりしちゃおうか、とおんなは誘い、男は頷き、おんなは「まさかあ」冗談だよと応えている。おんなは結局“味噌汁”を作らずに、片岡の世界に再び埋没していきます。境界で揺れ続けていたふたりだったのですね。


「え?」
「BLT。ベーコン、レタス、アンド、トマト」
「そうか」
ふたりは、食べはじめた。
「うまい」
と、水谷は言った。
「味噌汁のほうがよかった?」
恵子が、きいた。
水谷は、首を振った。
「うまい。こっちのほうがいい」


 ここでも「赤いハンカチ」(1964)(*3)と似た象徴性を“味噌汁”は託されているわけです。この会話に先立って、会社の先輩に誘われ初めて足を運んだ田舎料理の店で水谷はご馳走にあずかりますが、ご丁寧にもわざわざ感想がト書きされている。「キンピラゴボウ、ナットウ、高野豆腐など、水谷には久しぶりでうれしかった」と書かれています。裏返しとして、水谷と恵子の食生活が洋食で覆い尽くされていることが分かります。それが彼らの“日常”なんですね。


 サラダ、マカロニグラタン、エスプレッソ、パン・プディング……。水谷と恵子の間の危うい均衡を保つためには、それら洋食を調理し食することが不可欠となっている。“味噌汁”に口を付けたら最後、均衡が崩れてドラマが変質し、彼らにとって別な次元がスタートしてしまう。「うまい。こっちのほうがいい」とふたりは元の堂々巡りを選択していく。


恵子は、もう一度、コーヒーを吹いた。
そして、なにを思ったか、くっきりときれいに微笑し、
「味噌汁は朝のブルース」
と、普通の声で言った。


 つまりは恵子、ひいては水谷にとっても“味噌汁”とは節目を越えて発生するもので、彼らから見れば“非日常”の象徴なのです。先に待ち構えるものは呪縛、宿命、足かせ、転回不能、諦観といった言葉が連なる重く苦しい世界です。だから“ブルース”なんですね。その“新たなる日常”の、毎朝をつんざく点呼や号砲のようなものとして“味噌汁”を片岡は位置付けている。彼にとって“味噌汁”は、いわば“呪われた料理”ということなんでしょうか。いささか淋しい、そんな役回りです。


 「赤いハンカチ」の折に意味付けられた「過去、労働、倹約」といったイメージに似て非なるものが託されていて、ここにも恋情との大きな乖離が見受けられます。始末に困るのはこの1980年代の男女の意識に段差はなく、同じ価値観の元で“味噌汁”を捉えていることであって、だから片思いのメタファーとしても全然機能していないことですね。決定的にネガティヴなものとして描かれています。


 小説の発表から29年。水谷は56歳、恵子は54歳になっているわけですね。今も元気に大都会の片隅で生きているのでしょうか。彼らが“味噌汁”をどのような面持ちで飲んでいるものか、少し興味が湧きます。ブルースを歌っているものか、それとも未だにBLTにコーヒーなのかなぁ。僕はこのふたり、一緒には暮らしていないように想像を廻らしてもいます。


 新型インフルエンザの騒動は完全に沈静して、まるで悪夢から覚めたような感じです。ひとの気持ちはなんて不確かで流動的なのか、つくづく可笑しな生き物だと思います。“味噌汁”一杯にこだわる可笑しさも生きた人間ならではのこと。不思議で面白い“こだわり”を持つものです。


(*1):「スローなブギにしてくれ」1981年 監督 藤田敏八 
(*2):「犬神家の一族」1976年 監督 市川 崑
   「人間の照明」1977年 監督 佐藤 純彌
(*3):「赤いハンカチ」1964年 監督 舛田利雄




2009年5月24日日曜日

浅丘ルリ子「赤いハンカチ」(1964)①~わたしの“おみおつけ”~


玲子「そうだ、寒いから一杯召し上がりません。私のおみおつけ(*1)、
    とってもおいしいんですよ」
三上「いただきます」
玲子「あーよかった」
三上「うまい」
玲子「ほんと!」
三上「へそまであったまる」

 昭和39年1月に公開されたこの映画を、僕はリアルタイムで観ていない。“お味噌をめぐる対話”が綴じ込まれていると知ったのは二十年程前だったけれど、正直言えばそれまでは軽んじて、無視すらもしていた。拳銃だとか、麻薬だとか、美男美女の出逢いと別れなんて“絵空事”の極みであり、軽薄過ぎて観るに価しないと勝手に思っていた。

 
 今日久しぶりに観直してみたら、まるっきり印象が違った。年齢相応の修練をささやかなりとも積んだためだろう、一言一句が耳朶を打って痛い。ふらふらになった。





「遊侠無頼」の小川英、山崎巌と「狼の王子」を監督した舛田利雄が

共同でオリジナル・シナリオを執筆、舛田利雄が監督した歌謡ドラマ。

撮影もコンビの間宮義雄。



三上(石原裕次郎)、石塚(二谷英明)の両刑事は、兇悪な麻薬ルートを

追っていた。容疑者一味の内、唯一人の生存者である屋台の親爺、

平岡が現場で犯人に接したことから、平岡は警察にひかれた。

が三上らの峻烈な調べに対しても口を開こうとしなかった。護送中に

にげようとした平岡と激突した三上らは、誤って拳銃を平岡の胸に

発射した。過失とはいえ世論は三上らにきびしかった。

それから三年、三上は北海道のダム工場で働いていた。

一方神奈川県警の土屋警部補の訪問を受けた三上は、石塚が

平岡の遺児玲子(浅丘ルリ子)と結婚し、今は大実業家になっている

と知らされた。そしてその裏には三年前のあの事件がからまっている

というのだ。決心した三上はその謎を解くため、再び横浜に帰って来た。

(キネマ旬報データベースより)(*2)


 上記にある“三年”は“四年”の誤りだ。こう着状態で進展しない取調べの打開に向けて、早朝、平岡の住まう長屋を目指した裕次郎はそこで娘の玲子(浅丘ルリ子)と鉢合わせする。豆腐屋の自転車を呼び止める「おトウフ屋さぁん!」という涼しげな声と、これに続いての「私のおみおつけ」、不意に目に飛び込んだゴミか羽虫をハンカチで取ってくれた気遣いにすっかり魅せられ、強く惹かれる。その時の会話が最初に紹介したものだ。


 四年の歳月を経て再会したとき、裕次郎は自分を虜にした「おトウフ屋さぁん!」「私のおみおつけ」といった素朴な面影を見い出すことができずにショックを受けてしまい、悪戯に街の与太者たちと喧嘩を起こす。四年前の彼女との出逢いの場所を訪ね歩いては、独り懐旧に耽り続ける。




 おんなは成長していく、ということか。 「ティファニーで朝食を」(*3) 、「シャレード」(*4)なんかでオードリー・ヘップバーンが艶やかに装ったファッションを踏襲し、負けず見事に着こなしている浅丘ルリ子はほんとうに美しく成長してみせた。


 「赤いハンカチ」の二年前に公開されている「憎いあンちくしょう」(*5)が、“装わない”時期のいちばんハツラツとした浅丘が定着なったフィルムだと僕は思い、そんな彼女にも秘かにぞっこんなのだけれど、ここでの“装い”、陰影を深めた彼女の成熟はやはり素晴らしい。

 なのに裕次郎は自分勝手な妄念に固着し続けて「違う、違う」とかぶりを振って、記憶とのずれに悶えていく。振り返らないおんなと振り返り続けてしまう男……。男は救われない馬鹿な生きものだ、と思い知らされる。


 さて、ここで男の愚かさを象徴するかのごとき「私のおみおつけ」のイメージなのだけれど、単なる懐旧や純朴さの現われと割り切っていいものだろうか。


(*1) :おみ‐おつけ【御味御汁】「おみ」は味噌の意の、「おつけ」は

吸い物の汁の意の女性語。味噌汁をいう丁寧語。(Yahoo!辞書より)

(*2):「赤いハンカチ」キネマ旬報DBhttp://www.walkerplus.com/movie/kinejun/index.cgi?ctl=each&id=21282

(*3): Breakfast at Tiffany's 1961 監督ブレイク・エドワーズ

(*4): Charade 1963 監督スタンリー・ドーネン

(*5):憎いあンちくしょう1962 監督蔵原惟繕

憎いあンちくしょう キネマ旬報DBhttp://www.walkerplus.com/movie/kinejun/index.cgi?ctl=each&id=20787 

youtubeで観ることが出来る「憎いあンちくしょう」の浅丘ルリ子http://www.youtube.com/watch?v=iwyuhZhLG3U