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2011年3月29日火曜日

中沢啓治「はだしのゲン」(1973)~たのむけえ~

ゲン「ほら おかあちゃん 口をあけえや ほらほら

   しっかり食ってはよう元気になってくれよ……」

君江「ハアハア 元(げん)いま食べたくないけえ あとで…」

ゲン「だめじゃ 無理しても食べるんじゃ 食べないと体が弱る

   ばっかりじゃないか  わしが買い出しで手に入れてきた米じゃ

   たのむけえ食べてくれや ほらうまいミソもあるぞ」

君江「ハアハア」

ゲン「……………………おかあちゃんのばかたれ~~ どうして

   食べんのじゃ バカバカバカ  ううう おかあちゃん

   たのむけえ食べてくれよ~~ うううう」(*1)



一進一退で、むしろ深刻さを増して見える福島第一原子力発電所。冷静沈着、大胆奔放、そんな相反する意思なり行動を取っ替え引っ替え求められる複雑な状況にあり、渦中で闘う人の苦労は並大抵のものではないでしょう。為すすべなく見守るしかない僕のような者は、呑気に構えて日常を楽しめばいいのでしょうけれど、気持ちは毎日泡立ち波打って、随分と苦しい時間になっています。


 錯綜する情報に思考は千千(ちぢ)乱れるばかりだけど、そんな中で放射能汚染に対し“味噌”が効くとの噂が飛び交っていると耳にしました。原子爆弾で自ら被爆しながら治療に全力を投じた長崎の臨床医師の貴重な手記や伝記に依っているのですが、このような状況下ですから誰しもが気になる内容です。 噂をどう捉えどう動くのが正しいのでしょう。信ずるべきかどうか僕自身のなかで激しくせめぎ合うものがあるのですが、幸いにして味噌についてあれこれ友人から教えてもらえる環境です。少し情報を整理して僕なりに思案を深めようと思います。


 最初に確認しておかなければいけないのは、仮に“何らかの力”が味噌にあったとしても深甚且つ急襲されての放射能被害の前ではそれは“微力”に過ぎない、ということですね。もしかしたら微力どころか“無力”かもしれない。


 上に引いたのは中沢啓治(なかざわけんじ)さんの「はだしのゲン」の一場面です。映画化されたものを学校の授業か何かで見せられて、凄惨極まる家族の永別の場面にひどくおののき、暗い館内で嗚咽(おえつ)してしまった記憶があります。あの時のスクリーンの映像が生々しく脳裏に蘇えるのを嫌って、じっくりと腰据えて原作を読んだことはこれまで一度もありませんでした。


 節電のために照明が落とされ、暖房も控えめになった寒々しい市立図書館に足を運び、職員の女性により倉庫の奥から出してもらった全十巻を一気に読み進めました。快適とはとても言い難く風邪をひいてしまいそうな中での読書であったのですが、あの時あの瞬間の光景を実際に瞳に焼き付けた中沢さんの筆には終生冷めることはないだろう熱く湿ったものが宿っているようで、時間や気温や周囲の人の行き来をすっかり忘れて僕は物語の中に引き込まれたのです。


 1945年の夏、広島は“飢餓状態”にあったと本の冒頭に書かれています。原子爆弾が炸裂して多くの人の髪と肌を焼き、衣服と手足を吹き飛ばし、肉と希望を引き裂いていくのを生々しく哀切を込めて中沢さんは描かれているのですが、主人公ゲンとその家族を物語の当初から一貫して圧迫し続けたものが“空腹”だったのです。原子爆弾の悲惨さと共に、戦争末期に僕たちの世界を覆っていく“飢え”の克服について多くの頁が割かれている。


 からくも生き残ったゲンと母親君江でありましたが、容赦なく彼らに原爆症と栄養失調のふたつが襲い掛かります。ゲンの髪の毛は全て抜け落ち、君江は嘔吐して起きる気力を失ってしまうのでした。ゲンは母親の快復を願って、田舎の村々を巡っての買出しに身を投じます。


 なんとか入手できた米でお粥(かゆ)を作り、スプーンにすくい、横臥した母親の口元に運んでやるゲンであったのですが、君江はひと口含んだだけで激しく嘔吐してしまいまるで受け付けません。紆余曲折があってこの母親は多発性の癌に内臓を蝕まれて死んでいくのです。このような広島や長崎の地で星の数ほども繰り広げられた必死の努力と、その末に星の数ほども林立していった墓標の「現実の在り様」を垣間見せられてしまうと、放射能汚染に味噌がたいへん有効であり、それは長崎の体験に基づくものだ、と口にする気力は到底起きてこないのです。


 足裏に肉刺(まめ)を作り、罵声や嘲弄に甘んじ涙しながらゲンが入手した野菜や米に混じって味噌がある。それを笑顔で「ほらうまいミソもあるぞ」と母親に差し出す漫画のひとコマをわざわざ証しとするまでもなく、飢餓状態に置かれた彼の地の人たちにとって味噌はご馳走であり、目に入ったならばこぞって口に放り込む大事な栄養源でありました。


 今ほど多彩になっていなかった当時の単調で緊迫した食糧事情から察すれば、広島や長崎で被爆した人たちのほとんどが味噌を常用するなり好んで口にしていた人たちであった訳であり、そんな彼ら膨大な数の人間、広島市で約14万人、長崎市では約14万9千人ものひとが苦闘の末に亡くなっている事実は重たいものを含んでいる。


 味噌にそれ程までも馴染んだ生命を、味噌に含まれる成分が幾らも助けられなかった現実を厳粛に受け止めた上で、僕たちは今流れる噂話にそっと耳を傾けなければいけない。 傾聴するべきは無責任な流言でなく、責任ある人のしっかりした言葉と、それから、今から六十五年前の夏の日、火傷を負った喉奥からやっとのことで絞り出した怨嗟の声であるべきでしょう。その上でどう捉え、どう動くかが問われている。





 突然にスピーカーから音楽が流れ出して退館をうながされました。いつもは夕方遅くまで開いている図書館ですが、特別の状況ですから四時に閉めたいのだそうです。必要な箇所を慌ててコピーして後にしましたが、少し気懸かりなのは読ませてもらった中沢さんの本が全て真新しい感じのままであり、奥付を見れば購入して一年足らずであるにもかかわらず既にして暗い倉庫の奥に仕舞われていることですね。


 七十年代初めに連載された作品ですから差別用語も確かに点在し、歴史的事実とは違った部分も混在しているのは読んでいてよく解ります。けれど頁が開かれた形跡がまるで無いままに事実上の閲覧制限をするなんて、そんな事で本当にいいのかなと心配になります。この度の大混乱ともこうした事はどこか根茎を繋いでいるように思えるのです。


(*1):「はだしのゲン」 中沢啓治 1973年に「週間ジャンプ」に連載開始。その後発表の場所を替えながら1985年まで断続的に連載。上記に引いたのは汐文社の単行本(2009年第51刷)全10巻中の第6巻中盤56-57頁より。

2010年10月14日木曜日

みやわき心太郎「白い日日」(1972)~三十四(みそし)る~


  狭い電話交換室でひとり機械に向かっている章子

  その肩をポンと叩く者あり。三歳年長の同僚が箱を差し出して

同僚「おそまきながら お誕生日おめでとうござんす」

章子「(包みを受け取り)まあ ありがとう」

同僚「そうスンナリ喜ばないでよ 恐怖の三十(サント)リーオールドよォ~~」

章子「あ~~っ ひど~~いん」

同僚「ウイヒヒヒヒ」

章子「いいわ 来年三十四(みそし)るプレゼントしてやるから」

同僚「(笑顔で部屋を出ていく)なんのなんの」

章子「ありがとう……………」

  ドアが音をたてて閉まる。背を向けて押しだまる章子

章子「……… ……… ………」(*1)


 人生には思いがけない出会いがあります。その出会いを通じて未知の本や映画、音楽、風景と見(まみ)えることは実に嬉しく愉しいこと。人からひとへと敬愛するものが伝播していく、そこには生きていることの手応えがあります。

 偶然なのか必然なのか知り合えたひとがいて、彼はある著名な“作り手”のアシスタントとして活躍された方なのでしたが(前にも書きましたね)、思い切ってお家に遊びに行かせてもらった時に教わったのが“みやわき心太郎(しんたろう)”さんでした。

 僕のこれまでの道のりに、みやわきさんは居ないに等しかった。失礼とは思うけど本当のことです。書棚から出していただいた単行本、「花嫁」(*2)だったか「あたたかい朝」(*3)だったかの表紙や最初の数カットを見ただけで、繊細な息づきや天才肌の筆づかいがにわかに感じられて強い焦りを覚えました。この年齢まで知らずにいた、読まずにいたことに対する焦りです。

 駅前や繁華街を流れる雑踏や、絵画教室に集い素描に励む若者たち。背景描写に過ぎないそんなひとりひとりに生命が吹き込まれて見えます。また、カメラに相当する目線が俯瞰気味に主人公を眺めたり、背後にぐるり回ってみたり、足元に降りて地面から見上げるなど自在にコマが展開していながら、いささかも絵に狂いが生じていない。さりげなさを装いながら人物の心象をそうっと託した深慮あふれた構図が続きます。上手だな、凄いな。唖然として見惚れてしまいました。

 原作者を別に置いて作画のみを担当された(扇情的なタイトルの)作品がみやわきさんの代表作にあり、それをもって頑迷に彼の全作品を遠ざけていた自分を恥じました。帰宅後すぐに古書店やオークションを通じ、入手可能なだけの単行本を探し求めた次第です。


 「白い日日」と題された28頁の小編は三十歳になったばかりの独身女性の話です。故郷を強引に飛び出して今はアパート住まい。仕事は会社の電話交換手で、騒音を避けるために重い扉に閉ざされた小部屋に朝から晩までこもって過ごしています。外からの電話を取り次ぐだけで飛ぶように時間が過ぎていく。

 通勤中の彼女を見初める男が現れます。堰き止めていたこころが決壊して寄り添う仲となり、やがて結婚に至ります。空しい時間からようやく解放されるのです。ところが、雑誌編集に携わる働き盛りの夫の帰宅は真夜中になったり泊り込みが常であり、ぽつねんと捨て置かれた章子の状況は形を変えはしても実質は同じだった。

 ある日、風邪をこじらせ早帰りした夫に対して章子は医者を呼び、自身もかいがいしく介抱に努めます。髭(ひげ)を剃るのを手伝い、果物の皮を剥いて食べさせる毎日。診断によれば初期段階の肺炎で数日もすれば快復するはず、なのに、不思議と夫の症状は足踏みを繰り返します。

 処方された薬を章子が隠したのです。空白の日日を埋め戻すために。重篤な状態になるまで二ヶ月間も放置され、遂に夫は絶命します。


 三十歳を過ぎた辺りで肉体的にも精神的にもいよいよ円熟し、花弁を思い切り開くようにして僕たち男を外貌、内実ともに圧倒しまくる現代女性と比べると、章子というおんなはずいぶんと弱々しく自律していない感じがします。隔世の感につくづく襲われる物語なわけですが、男とおんなという枠を外せばどうでしょう。“草食系男子”を擁する当世にも十分に通じる気配があります。このような孤絶感や虚しさは誰の胸にも幾度か去来するものだし、喉を掻きむしられるような“白い日日”は僕の記憶の底に潜んでいる。都会に住まう地方出身者の懊悩や内省ぶりが、実にたよやかに等身大にて描かれていて、あっさり気持ちを持っていかれました。軽々と時代を超えて胸に迫りくる、その普遍性がすばらしい。

 上に掲げた場面は年齢を重ねていくことの不安、疎外感を的確に描いてみせた幕開け直ぐの描写です。“三十四(みそし)る”と発した瞬間に章子というおんなの脳裏に何が瞬(またた)いたのか、その響きはプラスマイナスどちらに針を振ったのか、見た限りにおいては分かりません。三十路(みそじ)と“みそしる”とを重ねる単純な言葉遊びです。気の置けないおんな同士の洒落の応酬であり、特段の意味は含んでいないかもしれない。

 ただ、帰宅後ひとりで呷るしかない酒を贈り贈られ、祝いの品に到底ふさわしくない“みそしる”を(たとえ冗談であったにせよ)口にする独身同士なのです。その乾燥した笑いを交えた応酬は硬直して型にはまってしまった章子の日常を裏打ちしていて、大いに憐れみを誘って見える。実際、押し寄せる無言の波に章子はひとり溺れ沈んでいくようであり、直前に為された会話がなんとも言い難い寂々たる音調となって、交換室の狭い空間でわんわんと残響していくようなコマが連なっていく。

 ですから、ここでの“みそしる”にはややマイナスのイメージが付されている。嘆いているのではありません。うまく魂に喰い込んでいる、役どころとして決して悪くないと思うのです。哀しくて存在感のある“みそしる”が刻まれているのであって、こんな登用は誰でもが出来るものではない。みやわきさんらしい発想だと唸るのです。

 人生の機微を見つめ続け、丁寧に、とても大事にひとコマ、ひとコマを描いていかれた。奇抜さやはったりが無く、仰天させる見開きや突き抜けたものは見当たらないのだけど、上質の和菓子か冷酒をいただいたような充ち足りた読後感がありました。“三十四(みそし)る”に代表される日常の光景の、幸福と不幸せが混濁して同居するような一瞬をさらさらと紙面に残していった行為は、一見のどかに見えながら、自律した大人のきびしいまなざしに貫かれていました。諭されるものがとても多い、骨の通った作風でした。

 同時代的に追いかけることはありませんでしたが、不思議な縁で紹介されてこの時期に深く読み進められたことを感謝しつつ、到底届かない言葉ながら贈らせてもらいます。



みやわきさん、素敵な物語をたくさん有り難うございました。今度は僕が紹介する番ですね。「良い本があるよ、もう君は読んだかな」、そうやって若いひとに薦めていこう。どうぞゆっくりとお休みください。


(*1):「白い日日」 みやわき心太郎 1972 初出「トップコミック」
  「潮風のルフラン」道出版 2004 所載  下段のコマも同作から
(*2):「花嫁」 みやわき心太郎 朝日ソノラマ 1976
(*3):「あたたかい朝」 みやわき心太郎 朝日ソノラマ 1977

2010年5月3日月曜日

上村一夫「同棲時代」(1972)その3~上村一夫作品における味噌汁(14)~

 このような景気です。仕事のあることは嬉しくありがたい事なのだけれど、やはりこの時期、世に大型連休と呼ばれる期間に入ると気持ちがぷくぷく泡立ちます。解放されないままに半端な仕事に当たる毎日はどうにも悔しい気分。「聞け万国の労働者」でも歌いましょうかね。ショウガナイ、何を馬鹿なことを──。


 「同棲時代」を中心となして広がる上村一夫(かみむらかずお)さんの創造の平野を、これまで13回に渡って歩いてみました。そこには意味ありげに“味噌”が顔を覗かせていて、人物の内面をそっと代弁している様子が認められました。


 “味噌”がぽんっと視野に飛び込んだり、はたまた「みそ」という響きが耳朶を打った際に避け難く生じる微弱な“震え”のようなものを上村さんは畳み掛けるように登用し、独特の震幅を物語に与えることに成功しています。いつまでも後引く余震が見事ですね。


 恋愛劇には不向きと想われた“味噌(汁)” はしっかり男とおんなの魂に流れ込んだ後に、ごつごつした樹根のように固形化して読者を待ち受けている。蹴躓(つまず)かせて足をさらい、来た道を見失わせて僕たちを精神の迷路に誘(いざな)おうと、今でも息を殺して待ち続けているのです。うわべだけを紙芝居のように並べた安直なドラマがずいぶんと幅を利かせていますが、本来人間は複雑で多層な内面を抱えている厄介な生きものです。たくさんの若い人に、こういった奥の深いお話を読んで学んでもらいたい、ほんとうにそう思いますね。


 上村さんについては、今日でひとまずお仕舞いです。最後にもう一箇所だけ、“味噌汁”に関する奇妙な描写を「同棲時代」(*1)に見ることが出来るのですが、それを取り上げて筆を休めましょう。不自然なその物言いには、作者の“文法”がやはり感じ取れるのです。


 今日子の退院によりふたりの暮らしは再開されたのですが、無理を続けている空気にじわじわと侵食されています。当初のみずみずしい会話は何処へやら、いまでは息を潜めるように過ごす毎日なのでした。重苦しい沈黙が続いていきます。

 突然扉を「トントン」とノックする音。隣りの部屋に住まう同世代の娘が“醤油”を借りに来たのでした。(*2)

弓子「ねぇ 今日子さん お醤油貸してくれる?」

今日子「いいわよ」

弓子「うち きらしちゃってるの 気がつかなくて 

   あら!まだお休み?ごめんなさい」

今日子「ええ あの人 ゆうべ遅くまで仕事してたものだから」

弓子「ほんとに大変ね イラストレーターっていうのも

   あ いけない 授業に遅刻しちゃうわ じゃお借りするわね!」


 この娘も目下“青田”という男と同棲中なのです。背格好や容貌にはあざとい造り込みが為されていて、今日子と次郎とはあまりにも対照的です。どうやら前触れなく突然物語に招聘されたこの隣家の男女は、今日子と次郎の内面を浮き彫りにするための補色の役割を担っているようです。夕方にも再度扉はノックされます。「トントン





今日子「はァい」

弓子「今日子さん ごめんなさい お味噌を少し借りたいの」

今日子「いいわよ」

弓子「あの人がね どうしても味噌汁がのみたいっていうもんだから

   あ それからね もし残りものがあったら言ってちょうだい

   うちの猫に食べさしちゃうから (高笑いして)ころころころ」


 なんという天真爛漫さ。行動のいちいちに陽性が溢れています。この後、飼い猫について苦言を呈されたことから大家と激しい口論に至って、田舎に帰って農家をしながら悠々と暮らす、子どもも沢山作って元気に育てるつもりだと啖呵を切って、実際にさっさと引っ越してしまうのでした。リアカーを引いて小さくなっていく彼らの背中に対し、物語は重い沈黙をもって答えています。


 上村さんの作品にて“味噌汁”が境界標として機能することを思い返せば、ここで太々と描かれた境界線の向こう側には疑念や不安、戸惑いといったものが微塵もない“生活”が意図的に描かれています。シンプルで純粋な、笑顔に満ち溢れたそれを今日子と次郎は羨望、侮蔑、悔恨、同情といった綯(な)い交ぜとなった想いで見送るのでした。(*3)




 青田という名の若い男女への輻輳(ふくそう)する上村さんの眼差しは“生活”という区画と“観念”の飛翔する空域とを穿つ境界標たる“味噌汁”にも同等に注がれている感じがします。


 生活を長年こなすうちに生じてくる粘っこい澱(おり)が次第に足首に纏(まと)わり付き、気力体力を徐々に奪い去っていきます。諍(いさか)いを起こしてしまい疑念が鎌首を一度もたげてしまえば、“無私”で居ることには限界が自ずと訪れて、ふたつの心は分裂を始めてしまう。決壊してしまった魂の貯水池はなかなか元に戻せません。透明感のある澄んだ笑いで暮らしを満たし続けることは出来ない相談なのです。


 ぶわぶわと輪郭を崩し始めた空間でもひとは物を食べ続け、生きていかねばならない。今日子と次郎の部屋の夕餉に供される“味噌汁”は、だからとてつもなく哀しい。何のための境界票なのか、一体何から何を守っているつもりなのか。何を外に追いやり、何を内側に創ろうとしているのか。


 
こんなにも淋しく儚げに見える“食(べもの)”は他の創作世界には無いような気がします。そして、僕たちの身近に転がる“味噌汁”をこんなにも哀しく見える“食(べもの)”にしてみせた創り手は、上村さん以外には今のところ見当たらないのです。



(*1):「同棲時代」 上村一夫 1972-1973
(*2): VOL.57「夏のとなり」
 
(*3):ここで繰り広げられた騒動は国境線を主張するために誇示される軍事訓練か挑発行為のようなものに見えてきます。例えはいささか乱暴ではありますが、今日子と次郎が二筋の境界線を持って曖昧に重なり合う多民族国家とするなら、隣家のふたりの快活な笑いに満ちた生活はイデオロギーを隙間なく集束させた独裁制国家の趣きです。境界紛争が脆弱な連邦国家を震撼させ、異分子たる互いを強く意識させてしまった。この後、まっしぐらに今日子と次郎は分裂へと歩を進めて行くのです。

2010年4月22日木曜日

上村一夫「同棲時代」(1972)その2~上村一夫作品における味噌汁(13)~



今日子「ねぇ 次郎 熱い味噌汁が飲みたくない?」

次郎 「熱い味噌汁か… そうだな 身体が暖まるだろうな」

今日子「ねぇ うちへ来ない?ごちそうするわよ」

次郎 「きみんちへ?どうして?そんなことできるわけないだろう」

今日子「いいえ かまわないわ 行きましょうよ」

次郎 「しかし………」

今日子「父と母のことなら心配しないで あたしの覚悟はできているの」

次郎 「熱いみそ汁…… 」


 上村一夫(かみむらかずお)さんの「同棲時代」(*1)に話を戻します。


“同棲”は暮らし振りの一形態です。その顛末を描く上で、“食事”の場面はどうしたって避けようがありません。実際、朝食、夕食、外食とずいぶん沢山の料理が劇中には挿入されておりました。当然のことながら、そのいちいちに作者は“木霊(こだま)するもの”を組み込んではいない。そんなことをしたらお話はたちまち渋滞を来たして、やがてボロボロに壊れてしまいます。僕たちの日常そのままに、特別の感慨のないものとして水か空気のように過ぎていく、それが「同棲時代」の“食事の光景”でした。


 でも、今日子と次郎、ふたりの岐路を描く重大な局面においてはどうでしょう。“食(べもの)”はこれまでの無表情を一転し、じんわりと発光を開始するのです。俄然色彩を増していき、登場人物の秘めた内面を代弁していく。そんな重要な役割を果たして見えるのです。



 例えば茫洋として連なるふたりの日々に対し、天空を裂いて降る雹(ひょう)のごとく突如もたらされて暗い影を落としたのは、ひと山の“花梨(かりん)”でした。



郷里の母親から送られてきたものですが、ふるさとの匂いを帯びたあれこれ、例えば菓子、米、缶詰、ちょっとした衣類といった雑多な詰め合わせではなくって、単体の“食(べもの)”である花梨がごそり山となって届けられる辺りが、いかにも上村さんらしい表現です。今日子の神経はこれを境に変調し、狂気との壮絶な闘いに入っていきます。(*2) 





 また、行き詰まったふたりが食事どきに激しく言い争い、せっかくのぶ厚いステーキ肉をゴミ箱にぼとぼと捨ててしまうくだり(*3)や、精神を病んで長く入院をしている今日子から現世への帰還を宣言する手紙を送られた次郎が、読み終えた刹那に思い立って台所に向かうや黙々とソーセージと野菜の炒めものを作って食していく場面などは、静謐でありながらも輻湊(ふくそう)する情念に満ち溢れていて、読んでたじたじとなったものでした。



深く記憶に刻まれて留まり続ける、ほんとうに素晴らしい“食べもの”の情景です。(*4)





 このように観念と“食”との阿吽(あうん)の呼吸は、「同棲時代」においても健在なのです。


 上村さんの“食(べもの)”は胃の腑の空隙を単に埋めるものではなく、むしろ胃やら肺やら心臓といった身体の内側がべろりと裏返されて露出し、そこに巣食う情念が大気に剥き出しにされた挙句に変幻したもの、と言える気がします。“食(べもの)”という形貌(なりかたち)をしていても、ひとの魂そのものなのでしょう。「同棲時代」には空気のように取り巻いて無味乾燥の体で列を為す“日常の食事”に挟まって、そんな思慮に溢れた“食(べもの)”が素知らぬ顔で割り込んでは読者のこころをワッと揺さぶらんと待ち構えている。


 さて、物語の終焉において今日子と次郎とで交わされた会話に“味噌汁”うんぬんがあり、年数をいくら経てもうまく嚥下(えんげ)することが僕は出来ず、悶々として今に至った事は以前この場に書いた通りです。違和感をつよく抱き、ずっと気になっていたのは“きみ”という表現でした。「きみが作ってくれる味噌汁のことを思うと」という蛇のずるずる這い回るような言い振りには作者の執着がべったり張り付いて聞こえます。なぜ単に「朝ごはん」を今日子は誘わないのか。どうして「きみが作ってくれる」という不自然な言い回しになるのか、だいたいナゼ急に「味噌汁」がここで口から飛び出したのか。




次郎 「きみが作ってくれる味噌汁のことを思うと ぼくはたまらない……

    それを飲んだら ぼくはどんなにか身体も心も暖まるだろう……

    だけど こいつをよく覚えとこう この感じを……」

今日子「……」

次郎 「この寒さをよく覚えとこう…… 今 この寒さとひもじさに

    耐えられたら このさき何にだって耐えられるかもしれない……

    そんな気がするんだ」

今日子「次郎……」



 先に引いた野菜炒めの手際の良さが語るように、次郎という男は料理をとても得意としています。ある時など酒場で酔って意気投合したシルバーマンという名の外人をアパートに連れ帰り、翌朝、今日子が仕事に出てしまってから幾皿かの料理を自分一人でしつらえ、手際よく供して大いに驚かれてもいます。その中には味噌汁も含まれておりました。


つまり次郎は“僕の味噌汁”を朝飯前に作る男なのです。(*5)“きみの味噌汁”という言い回しは“僕の味噌汁”があればこそ成り立つ表現だった、というのが分かります。


 ここで上村さんの“味噌汁”が、観念の飛翔を存分に許す空域と日常という内界との間に穿(うが)たれた“境界標”として立ち現れることを思い返すなら、たちまちにして物語の構図が見えてくる。「同棲時代」の幕を降ろすにあたって、今日子と次郎の人生の有りようをすっかり俯瞰して見せようと作者はしている、そのための不自然な台詞であったに違いありません。


 きみのものと僕のもの、ふたつの味噌汁椀が男女間にふわり浮かんで見える劇の状況は、二本の明確な境界線を露わにします。ふたつの精神が一切重なることなく対峙したままの姿となって提示されるのです。完全に孤絶し切って並び置かれたふたつの魂の、凝っと向き合い見つめ合う様子は、自律してしまった者同士だけが発する厳しくもすがすがしい大気にすっかり洗われて見える。読者のあらゆる視線をもはや受け止めてはくれない。干渉を、そして感傷をも拒絶するのです。それ程にも決定的、最終的な構図が呈示されている。







 もちろん“味噌汁”以外の言葉や風景、朝焼け、朝露、金木犀の薫り、砂丘、陽炎(かげろう)、足跡──を上村さんは次々と紙面に投じて、吐息に満ちた今日子と次郎の暮らしの終幕とこれからの門出を演出しています。“味噌汁”はそんな風景のほんの一部分に過ぎませんが、その“一部分”を他のどんな作家が気付き登用出来たものか。僕の知る限りにおいてはここまで演出が及ぶ作家はそう見当たらない。(*6)天才という言葉を強く想います。



 愛憎で綾織られた短いような長いようなふたりの旅路を眩しく振り返りながら、描かれた男とおんなはずいぶんと幸せであったな、生命を吹き込まれて存分に生きたよな、と深々と頷いていく、そんな厳かな気持ちに今、ゆったりと包まれているところです。




(*1): 「同棲時代」 上村一夫 1972-1973 最上段および中段に引いた頁は VOL.69「終章」より
(*2): VOL.30「花梨怨歌」
(*3): VOL.60「土曜の夜から土曜の夜まで」
(*4): VOL.48「手紙」  この(*3)と(*4)のコマ割りが似ていますが、これは偶然ではないと僕は想っています。“食事”を作って“生活”を目指そうとする次郎に対して、“食を遠ざけること”で情念の持続を図る今日子のすれ違いが時をまたいで対照的に描かれています。上村さんの作為がいかに持続する性質であるかを、いかに計算に基づいたものかをこの二つのコマが教えてくれます。
(*5): VOL.15「小さな指輪」
(*6):ここで言う演出とは、世に溢れる事象、天候、水、雨、階段、花の色、花言葉、靴の色、傘の色、寝具、書棚に並ぶ本の背表紙、そんなすべてを味方にして人物の造型に傾注する才能のことです。映画監督では石井隆さんもそうです。アンドレイ・タルコフスキーさんにも近しいものを感じますね。

2010年3月23日火曜日

上村一夫「60センチの女」(1977)~上村一夫作品における味噌汁(10)~



健二「おばさん………」

大家「(テレビに釘付け)クキキキッ!」

健二「おばさん!」

大家「何か用かい?」

健二「お味噌いりませんか?」

大家「いるいる さっきあんたのところへ送られてきたやつだね」

健二「全部あげます……俺は味噌は使いませんから……」

大家「そうかい そうかい じゃあ遠慮なくちょうだいしますよ」

健二「あの……そのかわり………」

大家「かわり!?」

健二「今月の家賃…少し 待ってもらえないでしょうか?」(*1)


 世間では上村一夫(かみむらかずお)さんを、首尾一貫した単色の作家と捉えがちです。四十代半ばでの夭逝が理由としてまず大きいですし、歳月は記憶の枝葉を伐(き)り揃えていき、いつしか故人の印象を整理してしまいます。亡くなったのが1986年でしたから、もう24年も経っている。どうしてもイメージを括(くく)りたくなる気持ちもよく分かるのです。


 けれども、最近出された単行本には、当時の連載に携わった原作者や編集者の親情溢れる文章が寄せられていて、そこでは世相や時流を敏感に察知する能力に上村さんが長けており、技法なり題材なりを難なく替えていくありし日の姿が懐旧されているのです。首尾一貫どころか、どんどん変わっていったということですね。実際一歩、二歩と作品に顔を寄せて観るならば、幹を伸ばす方角を訪れる節目ごとにぐいぐいっと曲げていったのがなるほど分かります。


 例えば──1974年にユリ・ゲラー Uri Gellerさんが来日しました。ブラウン管の前で親も子もスプーンの柄(え)をしきりに撫ぜてみたり、壊れた時計が今にも動き出しやしないかドキドキと見守ったりと大騒ぎでしたね。南山宏(みなみやまひろし)さんの空飛ぶ円盤、中岡俊哉(なかおかとしや)さんの幽霊をテーマとするミステリー本が売れに売れた頃でもあります。上村さんはそんな奇怪な流行りものを果敢に取り込んで、ぐいぐいっと方向を曲げた作品をこの頃に編んでいるのです。「60センチの女」(*1)と「星をまちがった女」(*2)と題された連作です。



 どちらの主人公も宇宙から来訪したおんなで、はた目には人間とあまり変わりません。「60センチの女」が移り住んだ金星荘は今ではあまり見られなくなった古い木造のアパートで、隣接した貸家には漫画家志望の健二が暮らしていました。ふたりの部屋はそろって二階にあって隙間は60センチメートル程度しかなく、双方の窓を開くと伸ばした手と手が届く、いや、それどころか部屋から部屋への往来すら可能という舞台設定でした。奇妙なタイトルはこの舞台設定に由来しています。(*3) 


 自然に言葉を交わし始めた男女は、やがて生活物資の貸し借りや散歩などの日常行動を共にしていきます。高橋留美子さんの「うる星やつら」(*4)とちょっと似た感じだけれど、それより先行していた点からは上村さんの器用さ、商業デザイナーとしての攻めの姿勢や職人らしいさらさらした血流が窺えます。


 “根暗”とか“ネアカ”という形容が娯楽媒体を席巻し始めた時期とも、調度その頃は重なっていますね。どおくまんさんの「嗚呼!!花の応援団」(1975)、江口寿史さんの「すすめパイレーツ」(1977)、鳥山明さんの「Drスランプ」(1980)といった作品に宿る、乾いた描線と明るいお話が読者に好まれました。上村さんはそんな世情もよく汲んで、絵柄はいつにも増して淡々としたものになっていく。



  胸底にゆらゆら灯(とも)る情炎と葛藤をひたすら内観する時間が影を潜めています。これまでの定石だった、立ち止まって手探りするような余白や間合いがずいぶんと減じられているのです。弾みが付いて転がるボールみたいです。幼く甲高い嬌声をきゃあきゃあ上げながら、ポンポンころころと転がっていく感じ。


 “奇怪な流行りもの”にひたすらおもねった“ネアカ”の“乾いた”作品として二作は見えなくもなく、ファンの間でも熱心には語られることがない半ば忘れられた作品となっている訳です。けれど、僕の観方は逆なんですね。上村さんらしい内実を満々と湛(たた)えていて、むしろ集大成に近しい重要な位置にこの連作は在る。




 「うる星やつら」や「Drスランプ」の根幹とは起承転結を区切らずに延々と繰り返されるドタバタ、なんて書くとファンの方から謗(そし)りを免れないだろうけれど、あの時代をあまねく覆い尽くしたスラップスティック‐コメディ群の、それこそ何でもありのハチャメチャな状況が上村さんと「60センチの女」に跳躍の自在を与えたのは違いなく、結果としてそれが作者の抱く哲学、人生観を最短距離でかたちに成すことに繋がっている。


 つまり、リアルでありたい、映画的でありたい、息継ぎやまなざしを生きた人間に重ねたいと腐心した“劇画”の自縄自縛から脱しているのです。天空より舞い降りたふたりの別世界のおんなは思うがままに行動し、歯に衣着せぬ言葉を周囲に投じて一歩も引かぬ構えです。そんな彼女たちの言動からは、上村さんの生々しくも毅然とした想いが透けて見えてくる。



 “食(べもの)”の不自然な登用とさりげない胸中の吐露、その独特の手法も「60センチの女」ではより突き抜けたものになりました。皆に“ムー”とあだ名されたおんなは、ラーメンだろうとフランス料理だろうと何でもござれの消化機能を持っているのですが、原則的には異世界から持ち込んだキャベツ(によく似た植物)を裏の空き地で育ててはこっそり収穫し、その葉をぴりぴりと千切っては口に運んで暮らしている。「かぼそき“食”」もいよいよ此処に極まれり、といったところです。



 これに対しておんなに懸想する青年健二に、どんな“食(べもの)”が寄り添ったものか。身体ひとつで越して来ては炊事も何もないだろうと朝食を勧めると、ムーは臆することなく健二の部屋にやって来ます
。「パンとコーヒーとミルクか──日本では 朝食にお味噌汁がつくんじゃないの?」 そんな質問をムーは(意味ありげに)投げ掛けるのでした。健二は答えを濁しています。


 礼を述べて去ったおんなと入れ替わるようにして男のもとに郵便小包が届くのですが、それは故郷の母親が送って来たもので、がさごそ包装を解いてみれば中身はでんと箱に詰まった“味噌”の固まりなのでした。「
味噌か……こんなものより 金が先だってのに…」健二はそれを階下の大家へ献上して、代わりに家賃の延滞を申し出るのです。



 外宇宙から来たおんながキャベツの葉ばかりをがりがり齧るのも、田舎から上京した漫画青年が母親の差し入れを煙たがるのもありふれた話に見えます、が、はたして易々(やすやす)と受け流して構わないものかどうか。どう考えたって可笑しいですよね、かなり作為的で不自然な事象です。このようにして上村さんは「かぼそき“食”」、「遠ざけられる“食事”」という作劇上の“決めごと”をより極端な顔付きで、これまで以上に断固たる風貌にて物語に挿し込んでいる。


 いつもの流れならおんなと男の気持ちは共振を始める道理ですが、これまでのルーティンは起動しない。「情念の高潮を惹き起こし、胸の奥の洞窟に潜むものを覚醒」させることはない。まるで回路が破断したかのような感じで、一向に熱情がたぎって来ない。これは一体全体どういう事なのか。


 先に引いた「すみれ白書」において、“家庭的でない時空”においてのみ、そして、“生活の場を遠く離れた”そのような場処においてのみ愛というものが極限まで開花し、本当の意味での“食”の充足もあると明言してみせた上村さんでしたが、その流れを踏まえての“愛の不在”を真正面から訴えて僕には見えます。


 “愛の不在”は、これまでも遠回しに述べられてきた上村恋愛劇の“結論”であったのだけれど、それを直球勝負で具象化する舞台やキャストに恵まれて来なかった。家庭を知らず、生活を憎む“すみれ”という突飛な造形が先にあったことは有ったけれど、それを遥かに上回る強い存在を創出しなければ想うところを描き切れない。そこで、はたと上村さんは気付いたのではないか、そうか“宇宙人”という手が今なら許される、そんな時代じゃないかと。まあ、僕なりの推論に過ぎないのだけれど、そのように考えると潮目は明瞭になって滔々(とうとう)と眼前を流れ始めるのです。


 「日本では 朝食にお味噌汁がつくんじゃないの?」と問われた矢先に土着的で生活臭の沁み付いた山盛りの“味噌”が郷里から届けられたことも象徴的だったのだけど、その後で金策に走り回ったものの成果まるでなく、空腹で舞い戻った健二が「(大家に味噌を)やるんじゃなかった……パンに味噌塗れば……味噌パンか………」と天を仰いで嘆息するのも、思えば異様にしつこい台詞の畳み掛けでした。青年健二には“味噌”が寄り添っていて、こってり包み込むようにしてここで描かれているのは「家庭」「日常」「生活」にまみれ、郷里を引きずり翻弄されるままの不甲斐ない男の姿です。“食事”を決然と「遠ざける」ことの出来ぬ、生活者の本音です。


 男自らの手で味噌をどっち付かずの場処に葬(ほう)むってしまったことで、当然おんなは味噌汁を口にすることはなかった、と共にキャベツをふたりして食(は)んで暮らしていくでもない。実に意味深な“すれちがい”が描かれ、上村さんらしい“食”の光景になっています。(*5)


 男(生活者)のおんなへの必死の懇願や愛の囁きに対して上村さんは、「非家庭、非日常」の化身たる“ムー”という宇宙人という絵柄のカードを切って断固「拒絶」している。そして、かえし返しおんなの口を借りるかたちで、男やその家族に向けて「愛はいけない」誤った現象なのだ、男女間の狭苦しい“愛”は人類皆が自覚すべき病魔だと説き続けるのです。


 喜劇のふりをしているけれど、もはや笑っているどころの騒ぎではなくなった。延々とおんなと男の宿命的なすれ違い、違和感、そして孤独が謳われるばかりです。くちづけを交わし、音楽を奏でて共有し、時に声がけして励まして笑顔を贈り合った仲のおんなと男でしたが、わずか空隙を遂に埋めることが出来ません。それが「60センチの女」と「星をまちがった女」に託された作者の宣言であり、上村さんが描き続けた数々の恋愛劇の頂(いただき)なのです。


「情念の高潮や心境の錯綜が“食事”を遠ざけて、かぼそくする」(マリア)

「かぼそき“食”が情念の高潮を惹き起こし、胸の奥の洞窟に潜むものを
覚醒させていく」(狂人関係、関東平野)

「家庭的でない時空においてのみ、情念の高潮や心境の錯綜は手を携えて
新たな次元に踏み出すことが可能となり、その時“食事”もまた喜悦に
加担する」(すみれ白書)
 
「しかし、おんなと男の関係の帰結は家庭である以上、情念の持続は終息
へ向かう。そこでは“食”の効力はまるで薄れて、埋没するか孤絶する
ばかりで記号としてもはや共振することはない。与えるべきものが奪い
合うものへと変質し、互いを憎しみと哀しみに染めていく。男女間の
“愛”は過ちに満ちたもので、忌避すべきか乗り越えていくべきものだ。」
(60センチの女)


 ──上村さんの道程をじっくり辿って来るならば、このような“決めごと”が綺麗に順序良く並んでいく。マリア、捨八、お七、金太、大雲、すみれ、ムー……。姿かたちや性別を変えながら与えられた試練に立ち向かい、その都度生まれ出る“句読点”にて少しずつ少しずつ岩肌を穿(うが)って彫り進めたその末に、上村世界の核心たるものの輪郭が露わになっていく。あくまでひとりの作家の創造し得た虚構を土台として成り立ってはいるのだけれど、幾度となく入念にシミュレートを重ねて到達したものだけに相応の説得力に満ちていて、今の僕をしずかに頷かせるものがあります。




(*1): 「60センチの女」上村一夫 1977-1978 連載は漫画アクション 最上段で紹介したのは「VOL.2盗人の種子(たね)は…?」より
(*2):「星をまちがえた女」上村一夫 1978-1979
(*3): そうそう、僕の青春時代は確かにこんな貸し家が当たり前のように有りました。なんか懐かしいですね。窓越しに恋愛劇が巻き起こるスタイルは、みやわき心太郎さんの作品にもあります。1975年春に「平凡パンチ増刊号」に掲載なった「窓」を起点とする「捜愛記」という連作です。翌年76年にかけて4回に渡って描かれ、朝日ソノラマから出された単行本「あたたかい朝」に所載されています。「60センチの女」の発想と関わりがあるのかどうかは不明だけど、みやわきさんの「窓」の方が発表時期は先行していますね。けれど状況の相似は認められても、内容の段差がすこぶる大きい。竹取物語や鶴女房のバリエーションとはいえ、ずいぶんと淋しくきびしいお話です。
(*4): 「うる星やつら」 高橋留美子 1978-1987 宇宙人の娘が現代社会に降り立つ話自体にはそんなに奇抜さはありません。「コメットさん」(1967-1968)もありますしね。



(*5):「星をまちがった女」では“隠喩”を盛り込む手法は世相に馴染まないと判断されたものでしょうか、“食(べもの)”は光を放つこともなくなり、生活の断片としてすっかり埋没しています。空飛ぶ円盤から連れてこられた卵形の万能ロボットが洗濯や掃除を行ない、味噌汁も器用に作って皆に振る舞う始末です。(VOL.25生活の意味) ひとの気持ちとは乖離した、ありきたりのものに“食(べもの)”は堕して見えます。続けて1979年に発表された「やっちゃれトマト」では、“隠喩”の回避はさらに顕著に行なわれました。



 「星をまちがった女」は「60センチの女」と設定そのものが似ています。漫画家のところに異星人が飛び込んで来るという状況もそっくり受け継がれていて、セルフリメイクの様相を呈している。けれど、それゆえに興味深いのは、「60センチの女」では健二という男のもとを訪れたものが、「星をまちがった女」でのコンマというおんなは女流作家の松井スマ子を急襲していることですね。おんなと男の間にだけ恋が萌え起つとは思いませんが、異性を実質的に排除して生活喜劇に努めようとしています。“愛の不在”の徹底振りに拍車がかかっており、“終着駅”に降り立って以降の上村さんの作劇に対する決定的な姿勢が窺えるわけです。

 上村さんにとっても、日本の「劇画界」にとっても、ひとつの時代が終息したことが如実に示されているように思いますね。線路の終わりでレールがぐにゃっと曲げられ立ち上がり、空を虚しく切り裂いているのがありますよね。あれと感じはどこか似ています。ちょっとさびしい、ぼんやりしたそんな感慨に囚われているところです。

2010年3月6日土曜日

上村一夫「すみれ白書」(1976)~上村一夫作品における味噌汁(9)~


 どうです、この笑顔。上村一夫(かみむらかずお)さんの「すみれ白書」(*1)の主人公で、タイトルにも冠されている“林すみれ”という二十歳の娘です。


 媚びず浮かれず、典雅で真っ直ぐな表情が僕たちの胸に飛び込んできます。この瞬間、すみれと相手とは“食事”の只中にありました。もっとも食卓における破顔や歓声は付きものです。微笑んでいる女性”が“食事”の場景に描き込まれることは至極自然な話で、取り立てて語るまでもない風景と言えます。


 だけど、ここまで順を追って読み進んでくれば、読み手の皮膚内へとじわり滲(にじ)んで迫るかのようなこの“笑顔”こそが上村世界ではたいへん奇異な現象であり、いかに非日常の光彩を放っているかが分かってしまう。


 「狂人関係」(*2)のお七と捨八、「離婚倶楽部」(*3)の夕子と真田に見られたように、“食事どき”の堅苦しさ、緊張や不自由さこそが上村さんの劇の基本でした。表情はどうにも冴えず、麻痺しているような、乾いたような面持ちになっていく。口元は横一文字に閉じられ、ごくごく浅いながらも眉根あたりに縦皺がぼんやり浮かんで見えてしまう、それが常でした。(*4)


 
 仏頂面から微笑みへ。すみれという娘に与えられた面貌(おもて)の変化は、目を留めてしばし対峙するに値する珍しいものなのです。どのような経緯でこの微笑みが生まれたのか、どんな“食事”をどんな相手と為したのかを見取る価値があります。(*5) 


 私生児として生まれ「家庭」を知らずにすみれは育ちました。母は精神を病んで長く入院もしています。デパートの店員としてたくましく働き、客や同僚といった外側へ向けての快活さが点描されていくのだけれど、その裏地には深く暗い、言いようのない色調の布が縫い付けられている、そんな風合のお話です。


 いくつもの大事な局面を経て自律の道へと至る展開なのですが、お話の真正面に山となって聳(そび)えていたのは津軽三味線奏者の高田松山(“しょうざん”と読むのかな──)との出逢いと別れでした。一方的に恋焦がれて付きまとう青年に誘われ、あまり気乗りしないまま演奏会に足を向けたすみれだったのだけれど、そこで松山のばち捌(さば)きにすっかり魅せられてしまいます。


 親と子供ほども年齢の違う初老の男の朴訥(ぼくとつ)で衒(てら)いのない空気にさっそく共振を開始した娘は、ある日の午後に夜汽車に飛び乗るや、一路雪深い北の地、松山の生まれ故郷の青森を目指すのでした。特にそれ以上に明確な行き先も目的も持たない感傷旅行に過ぎなかったのだけど、宿と決めた旅館の大浴場にて湯に当たって意識を失い、唸り倒れたそんな娘を見つけ快方したのが偶然にも同宿していた松山だったのです。


 「偶然すぎる偶然は 偶然じゃない 互いの心の糸がたぐり寄せられた 宿命なのかもしれない──」(*6)とおんなは信じ、男の胸に飛び込んでいきます。部屋にこもってそうして二人は果てのない魂の交感を続けていくことになります。つまり、おんなの面(おもて)に宿った微笑みはこの松山という男との邂逅の直後に発せられたものなのです。何がすみれをして“食事どき”に微笑ませたものか、“食”と“観念”の連携を例によって丹念に追ってみます。劇中に潜む“不自然”を探る作業でもそれはありますね。


 ゆらり浴場で記憶を途切らせて後、娘は自室に敷かれた布団のなかで目を覚まします。窓を開けると青い月が天空に浮かんでいます。面前に広がった湖にその光が落ちてきらきらと反射してとても美しい。どれくらい気を失っていたものか、あたりを静寂が真綿のように包み込んでいますから夜も相当に更けたに違いありません。


 湖面に突き出すように組まれた幅の狭い桟橋があり、その先にはこちらに背を向けてしゃがむ人の姿が見とめられます。目を凝らせば宿の仲居で、バケツに両の腕を差し込んでは熱心に何か洗っている。ザッザッザッと、大量のしじみを洗っていたのでした。迷惑をかけたのじゃなかったかとすみれが詫びますと、それは何のことか、宿の者は何も知らないと返します
。可笑しいのは、唐突に連なる次の言葉です。


仲居「この湖でとれるしじみはとても美味しいんですよ

    明日の朝はしじみのお味噌汁をお出ししますから…」(*6)


 実に“不自然”です。気絶した娘の身体を運んだのは誰なのかを順序立てて探っていく、確かにその筋道に沿ってはいるけれど、かなり強引に挿入された感が否めません。廊下での立ち話でも良かったし、様子を見に来た仲居とお茶でも飲みながら交わす言葉でも良かったのに、作者はざっと見て10メートル程も離れた場所に背を向ける仲居と娘に無理矢理に会話を強いています。“しじみ”の“お味噌汁”をどうあっても僕たち読者に想起させ、何事かを喚起させようとする企みがここにははっきりと読み取れます。


 その後再会をはたしたおんなと男は共に夜をまたいで朝を迎えるのでしたが、ふたりは仲居の運ぶ朝食の膳、昼食の膳を廊下に留め置き、一切の飲食をせぬまま続けざまに愛し合うのでした。どうやら前夜もお茶漬け程度しか口にしていないらしいのです。「堰がきれたよう」に、また、「飼育されつづけ」の「猛獣」になって互いを貪るふたりには、上村さんの“決めごと”である「情念の高潮や心境の錯綜が“食事”を遠ざけて、かぼそくする」という方程式がしっくりと絡み合っています。


 ふたつ身に隔てられていた魂が寄り添い、熱く溶解し、ひとつにじんじんと融合していく烈しい姿態の数々は、僕たちに「狂人関係」でのお七と捨八をたちまち思い返させます。たった三本の人参をモグモグカリと噛み砕いて咀嚼する時間を時折挿入しながら、いつまでも果てなく求め合った恋人たちの姿です。すみれと松山も夕飯どきから深夜、早朝、真昼を経て次の夕食時に至るまでの丸々一日を繰り返し抱擁して過ごしています。


 「すみれ白書」はここから「狂人関係」より分岐して、新たな様相を呈していくのです。不可思議な偶然の起点となった大浴場にて身体を清めるうちに、おんなの腹は空腹に耐えかねて大きな音をグ~ゴロゴロと立て始める。男の部屋に戻ったおんなの前に二人分の夕食が並びます。焼き魚をメインに煮物、漬け物、味噌汁にご飯も詳細に大きくコマに描かれて差し示される。このような“食事”の描写は上村さんのお話では極めて珍しい。ふたりはそれを実に美味しそうに、幸せに満ち満ちた風情で残らず食していくのでした。


 締め括りには急須からお茶を碗に注ぎ入れ、箸で摘んだ漬け物のひと切れで内側を丁寧にさらって、男はそれをすっかり飲み干してしまいます。老いて十分に仕上がった男の、米の一粒すら食べ散らさない繊細で堂々たる食べっぷりにおんなは感嘆し、じわり滲(にじ)んで来るような笑顔とまなざしを面(おもて)に湛えたのです。(*6)


 畳の上に大の字になって横臥するほどにも胃を充たしたおんなだったのですが、男に微笑み向ける瞳にはしっとりと愛が宿っていました。「情念の高潮や心境の錯綜が“食事”を遠ざけて、かぼそくする」、「かぼそき“食”が情念の高潮を惹き起こし、胸の奥の洞窟に潜むものを覚醒させていく」。この“決めごと”は瓦解して露と消えたものでしょうか。何だなんだ、屁理屈を並べてみても実際は雰囲気作りにすべてが過ぎない、いい加減で出鱈目なメロドラマじゃないか。人気漫画家のやっつけ仕事だったんじゃないの。そんな意見が出ても可笑しくない徹底した“食事”への転進でありました。



 上村さんの“決めごと”は原則的に変わらず「すみれ白書」でも適用なっていると僕は考えています。



 そこが“旅館”の一室であり、すみれの“住まう”都会でもなければ松山の“自宅”でもないこと。最初の情交のあとにふたりで為された会話を着火点として一気に燃焼が拡大していること。この二点と従来の“決めごと”を結び付けることにより、上村さんのドラマで為された次の歩みが見えてくる。創作世界の基軸となるふたつの力の対立がより一層浮き彫りになるのです。




松山「世帯をもつか……」

すみれ「え?」

松山「ふたりして世帯をもとうか……」

すみれ「世帯か……「家庭」よりいいかもしれないね」(*7)


 「家庭」的でない時空においてのみ、“食事”は「情念の高潮や心境の錯綜」と手を携えて新たな次元に踏み出すのだという上村さんの恋愛哲学が透けて見えます。「生活」の場を遠く離れたそのような場処においては“しじみのお味噌汁”も内観の鏡とならず、愛を祝福して一向に邪魔立てしようとしないのです。


 日々の“食事”や“生活”、“日常”といった事々のいかに大切で得難いものであるかを戦後の貧窮を通じて上村さんはひと一倍実感してもいた。一方で「情念の高潮や心境の錯綜が“食事”を遠ざけて、かぼそくする」、「かぼそき“食”が情念の高潮を惹き起こし、胸の奥の洞窟に潜むものを覚醒させていく」というアンビバレントな想いも明解なリズムとして内部に培われたことでしょう。


 そのような狭間にあって、いよいよ上村さんが至った結論が「すみれ白書」の“食事”であったのです。「家庭」という枠に翻弄され続けたすみれというおんなを突破口と為し、徹底して「家庭」を否定し「世帯」という曖昧な境界に佇むとき、ようやく初めて“食べる”場処に笑顔がぽっと灯る。上げ膳据え膳の旅館に逗留したという単純な理由ではなくって、もっともっと怖ろしい突き詰めたものがおんなの笑顔という形を借りて世界を覆い尽くそうとしています。上村さんの想い描く幸福の在り処、愛の景色というのは、極めて厳しい瀬戸際に立っているように思われますね。


 高度成長を遂げ、さらに飽食の時代を越え、バブル崩壊に大不況。社会の諸相は変転を重ねましたが、上村さんの佇んでいたあの瀬戸際はそんな時代を超えて今、この時を生きる僕たちにも時折見えてしまう断崖絶壁でしょう。そこに立ち、身動きできずに白い波を見下ろしている人というのは存外多いのではないのかな。そんな想像を廻らしながら、僕なりのあれこれを静かに思い返しているところです。


(*1):「すみれ白書」 上村一夫 1976-1977 初出は「漫画アクション」(双葉社)
(*2): http://miso-mythology.blogspot.com/2010/02/19733.html
(*3): http://miso-mythology.blogspot.com/2010/02/19744.html
(*4):もちろん内実は違います。「情念の高潮や心境の錯綜」するあまり整理が付かなくなり、混沌した状態に置かれているのです。折々の懐に歓びが内在するのか当惑が同居するのかはバラバラなれど、いずれの気持ちも活発に波飛沫(しぶき)をあげていました。そんな胸中の温度や照度はさておくにして、ただ外観上のみを追うならば、おんなであれ男であれ手放しの幸福に浸っているようには決して見えないのが上村さんの“食事どき”でありました。
(*5):先述の「春の雪」の恍惚は“食事”における“笑顔”と呼べるものかどうか、これは悩むところです。“すみれ”の笑顔の落ち着きと比べたら実に不安定な喘ぎの域であって、なんとも得体の知れない表現ですよね。心(しん)からの幸せという感じじゃないです。狂った“食(べもの)”がおんなの狂気を演出していた、あれは普通の笑顔じゃないと受け取っていいんでしょう。ほっぺが落ちそう、と瞬時に頬に寄せられた両の手のひらはどうもムンクの絵みたいだし(笑)上村先生の描くところの“食事”にしても“食(べもの)”にしても、すべからく心象風景の一部なのだと理解すべきでしょうから、脳味噌を喰っちゃったおんなのそれは“悲鳴”に近いと解釈していいのかな、なんちゃって。しばし反芻してみよう、締め切りがある訳でもないしね。
(*6): VOL.20 闇三味線
(*7): VOL.21 部屋の中

2010年2月23日火曜日

上村一夫「関東平野」(1975)その2~上村一夫作品における味噌汁(7)~


卑弥呼「いい男だねぇ……先生は……

     だんだんああいう日本人がいなくなっちまうんだろうねぇ……

     あんたもいいひとに引きとられたよ……」

金太「………」

卑弥呼「たべる?」

金太「いいえ 結構です………」

卑弥呼「先生なら黙って食べてくれるよ」

金太「………(味噌汁のかかったご飯をザッザッと掻き込む)

  (ゴクッと呑み込んで)ごちそうさま」

卑弥呼「どう?……あたしの味噌汁の味は?」

金太「はあ……まあまあだと思います」

卑弥呼「やっぱり駄目かなあ……子供を産まないと味噌汁らしい

    味噌汁はつくれないのかなァ……  あんたのお母さんに

    なれば上手につくれるかしら?」

金太「え!?」

卑弥呼「先生の奥さんになればってことよ……」

金太「…………」

卑弥呼「誘われてるのさ……いまの商売をやめて家へ来ないかって…!

    だけど だめだよ…柄にもなく照れちまって……」(*1)



 結婚式に招ばれた帰りに、式場近くにある美術館に足を向けました。この日は企画展示がなく常設だけだったのですが、それは二の次、たいした事ではありません。なんとなく独特の空気を胸に吸い込みたい、そんなときってあるものです。まだ冬から抜ききらない小さな町の、瀟洒な2階建ての白い建物には例によってお客さんはいませんでしたから、悠々と空間を独り占めして絵と対峙することが出来ました。嬉しい時間です。


 荒々しい山稜ばかりを巨大な画布に叩きつけるようなタッチで描く画家の作品が、二十点ほどいかめしく並んでいました。麓の雑木林や白い湖面を小さく底辺付近に配しています。そこから目を上方へと転じていくとやがて森林限界線を越えてしまい、黒い岩肌がごつごつと現れてきます。


 上限ぎりぎり、額縁にぶつかりそうな場処に屋根(おね)が描かれ、奥に鈍い洋赤色(カーマイン)に染まった空が垣間見えるのだけれど、視線がたどり付くまでには延々岩ばかりを這い登らなければなりません。狂ったようにうねり連なる筆の痕(あと)を追ううちに、(お酒のせいもあるでしょうけれど──)頭の奥の方からくぐもった音が響いてきました。老いた魔女の口にする呪詛のつぶやきか、それともあやかしの啼き声かは分からないけれど、ぐつぐつ、ぐわんぐわんと幻聴されるようなのでした。


 静かな誰もいないはずの空間ながら、とても騒々しい気配を受け止めました。耳を澄ませる気概があれば絵というものは大いに多弁となる時があり、沈黙を解き、何倍もお喋りを始めるものなのでしょう。


 “食”という視点から振り返れば、上村一夫(かみむらかずお)さんの「関東平野」も絵画と対峙するような案配で饒舌になります。なるほどしっとりと焦点が合わさって情念の明滅する様がうまく結像していく。今、そんな感じを独り味わっては酩酊に遊んでいるところです。


 上に引いた箇所は味噌汁にかかわる記述です。元子爵令嬢で今は二丁目に身を墜とした綾小路卑弥呼という名のおんなが、編集者の目に止まって画家柳川大雲の家に紹介されて来ます。絵のモデルとして選ばれたのです。金太は大雲から封筒に包まれたモデル代を託され、教わった住所を頼りにひとり二丁目まで足を運んだのでしたが、調度仕事の前の食事時であったのでしょう、卑弥呼は店先に七輪を出して味噌汁を作っている最中なのでした。


 ここで交わされる台詞は味噌汁を巡っての典型的な顔立ちをしています。家庭という内側へ外側から飛び込むに当たり生じる困難、違和感、妥協、そういった段差を象徴する小道具として登用されています。けれど、どうでしょう、指し示されているのはそれだけでしょうか。


 次は終幕間際に現れたものです。こちらは味噌汁ではなく生味噌の状態ながら、たいへん似た「心境の錯綜」を呼び寄せています。絶食の末に自ら命を絶った大雲が荼毘に付され、金太と銀子が故人の願いに副(そ)うべくゆかりの地、椿村に頭骨の一部を埋めようと足を運びます。田んぼの中の一本道で農家の家族に出会うのですが、それが幼少の折にあれこれあった同級生の石松だったのです。石松とその妻、そして彼らの赤ん坊は並んで道にござを敷き座ると、そこで農作業の合間の食事を始めます。



金太「石松……幸せそうだな」

銀子「憎いほど羨ましい………」

金太「やつのムスビ……見たかい?」

銀子「うん」

金太「味噌がたっぷり塗ってあって…恐ろしいほど大きかったな」

銀子「お味噌……奥さんが作ったんだって」

金太「……!」

銀子「うう……」

金太「なんだよ…ベソなんかかいて」

銀子「だって……だって あたしのような人間はああいう暮しを

   望んでも無理なんだもの」(*2)
 

 ここで再び民俗学者の神埼宣武(かんざきのりたけ)さんの本を引きます。


 テレビドラマにおける食事シーンに注目したことがおありだろうか。気をつけてご覧になれば、そのシーンの多さに気づかれることであろう。(中略) 海外では、およそこうした例はない。そこで、知人の某テレビマンにたずねたところ、視聴者が潜在的にそれを要求しているからだ、というのである。食事のシーンがないと自分たちの生活と縁遠いようで不安である、という視聴者の意見が多いらしい。(*3)

 もう一冊、今度は雑誌編集者から劇画原作者となり、上村さんと数多くの共著を送り出してきた岡崎英生(おかざきひでお)さんの本を書き写します。


 上村は、当時の劇画が決して主人公にしなかったような人物を主人公にすえる。彼ら、あるいは彼女たちは自分ではコントロールできない謎を抱えている。だから、その行動はつねに非合理的で、わかりにくいといえばわかりにくい。上村はそういう登場人物の言葉ではとてもいい表せない心情にまで深入りする。そして物語の中では、苦しませ、悶えさせ、時には(中略)破滅させる。(*4)


 最初の卑弥呼は春をひさぐ女として、また、金太の幼なじみの銀子は男の身体を持ったおんなとして造形された“決して主人公にしなかったような人物”であり、多くの読者とは“縁遠い”存在です。彼らは味噌汁、味噌を引き金とする思念の奔流に叩き落され苦しんでいるのであって、ホームドラマを見入る僕たちとは真逆に「食事のシーンがある」と大いに「不安」をもよおして動揺するのです。


 「やっぱり駄目かなあ……、だけど だめだよ…」「だって……だって あたしのような人間はああいう暮しを望んでも無理なんだもの」と煩悶する際の駄目や無理とは味噌汁の味付け、おむすびに付された味噌の自家製法である訳は当然なく、味噌(汁)をレンズとして広がる「日常、生活、家庭」という“異界”への転進が駄目であったり、無理難題となって立ち塞がろうとしている。


 上村さんの劇画においての“食”や“食べもの”とは、だから「ある家庭から別な家庭」「ある生活から別な生活」へ平行的に移動することの象徴といった生やさしいものではなく、森林限界線に似た険しい斜面に引かれたものであって、扱いを誤れば「時には破滅させられる」類いのものだと分かるのです。植生も違えば、環境も驚くほど異なっている世界の両者が“食”や“食べもの”を間に置いて睨み合っている図式なんですね。そして、中でも味噌が極めて先鋭的に境界上に置かれてある、そういうことなんですね。


(*1):「関東平野」 上村一夫 1976-1978 双葉社 初出は「ヤングコミック」
   VOL.22 赤線、青線、灯る街角
(*2):VOL.44 埋骨
(*3):「「クセ」の日本文化」 神埼宣武 日本経済新聞社 1988
(*4):「劇画狂時代「ヤングコミック」の神話」 岡崎英生 飛鳥新社 2002

2010年2月16日火曜日

上村一夫「サチコの幸」(1975)~上村一夫作品における味噌汁(5)~



 “食事”が日常の通過点として明滅するだけでなく、人間のこころの奥底に眠る羨望や懊悩といったものを代弁する目的から“かたちづくられる”。そんな上村一夫(かみむらかずお)さんのこだわりの技法がある訳だけれど、思いが強過ぎることからでしょう、時に物語の構造を破綻させる事すらありました。「サチコの幸」(*1)がそれです。


 舞台となっているのは太平洋戦争が終結して五年後、まだまだ食糧事情が良くない時分の新宿二丁目です。大陸より孤児となって戻って以来、サチコは“生活”のために春をひさぐ女として暮らしています。彼女のほか数人を遊妓として抱える小さな店で、見知らぬ客に素肌をさらす日々なのですが、ついぞ堕落した風情は読み取れない。持ち前の天真爛漫さで難事を切り抜けていく様子は、青春小説めいたすがすがしい息吹を僕たちに伝えます。読んでいてとても伸び伸びとする作品です。


 サチコたちの“生活”のあらましが活写されていく中で、冒頭より“食事”の光景が目白押しとなっていきます。おんなたちは互いを鼓舞し、持ちつ持たれつ支え合って生きているのです。商いの始まる前の明るい陽射しのなか、賄いの当番にあたった者は倹約のために七輪(しちりん)を店先に持ち出しては、魚を焼いたり、煮物を作ったりするのが常です。(*2) 上村さんの劇画に慣れ親しまない人はのんびりした場景と見て取るのでしょうけれど、虹のごとく層をなす光がこっそり“食事”に宿っていることは先に見てきた通りです。


 調理に励む姿、食卓に並んだ皿、盛り付けられた料理の数々によって、廓(くるわ)のおんなたちが“家庭的な”時間を繰り返す身であり、「情念の高潮」といったものを上手く受け流して暮らしていることを読者は理解する必要があるのでしょう。


 例えば、次の箇所なんかはとっても象徴的です。その日の朝食の当番はサチコです。例によって道路端で七輪の火をおこして、一人でのんびり“みそ汁”を作っています。(*3) 


サチコはみそ汁が好きである

その香を嗅いで はじめて今日一日の始まりを知る


 店から少し離れたところに婦人の立ち姿があって、サチコはそれが先ほどから気になって気になって仕方ありません。猥雑な大気を孕んだこの界隈にはすっきりと和服に身を包んだ清楚ないでたちが、どうにも不釣合いに見えるのです。うつむいて思案に耽る婦人の横顔は不穏なものをそろり引き寄せて見えます。


何の用だろう? 先刻から街の入口にたたずんでいる女は……

どこから見ても この街にはふさわしくない女だ………



 みそ汁は好い具合に仕上がり、サチコは鍋を両手に抱えると店のなかに運び込もうと立ち上がります。その背中に先の婦人が声を掛けてくるのだけれど、その用件というのは「ここで働いてみたいの……」という突飛なものでした。びっくり仰天したサチコは鍋を取り落としてしまうのです。「勿体ないことを……」と転がる鍋を地べたから拾う女は、さらに意味深な発言を重ねます。「ご自分でおみおつけを作れるなんて偉いのね……」


 ふたつの呼称、サチコの発した“みそ汁”と女の“おみおつけ”を並列して、和服姿の女の生活環境がサチコたちとの間にかなりの段差あることを示唆しているだけではない。この女がみそ汁を自ら作らない、すなわち今この瞬間、「情念の高潮や心境の錯綜」の只中にあって「“食事”を遠ざけている」ことがありありと浮かんで来るのです。



 強欲な店の主人は女の願いをあっさり聞き入れ雇ってしまいます。懐中に潜ませていた情念を解放された女は、凄まじい勢いで客に対し、狭い店に対し、爛熟した妖気を発し始めます。これにすっかり当てられたサチコたちは調子を乱して消沈し、蒲団にくるまってふて寝してしまうのでした。地面に転がった“みそ汁”のように“生活”をひっくり返されたわけなのです。


 なるほど、ここまでならいつもの通りです。みそ汁は“生活”と寄り添い、“内なる閉じた空間”を代弁しています。バァン!と地面に転がったことで世界がひび割れるぞと警鐘を発してもいる。“決めごと”に沿った無理のない、そしてあくまで緻密な展開となっている上村さんらしい筆遣いです。


 破綻は忘れた頃に訪れています。終幕間際の第45話にて物狂おしい矛盾が生じてしまいます。小題はずばり「味噌汁の味」でした。(*4) サチコは広沢という羽振りの良い男に見そめられ、無事身請けもされて長年住み慣れた街を後にします。連れて行かれたのは野なかの一軒家です。男の包容力に惹かれてすべてを預ける覚悟でしたが、みすぼらしいしもた屋を前にしたサチコはどうしても其処を終の住み処と思い定めることが出来ないのです。



 思い乱れて夕闇のなか逃亡を図るのですが、途中立ち寄った駐在所の人当たりのよい巡査に諭されて動転する気持ちを落ち着かせると夫の待つ家に戻っていくのでした。そして翌朝、サチコは床を飛び出すやいなや「生まれてはじめて」味噌汁を作るのです。心機一転生まれ変わって、という言葉の綾かと思えば、どうもそうとは言い切れない。妙に塩辛く、顔を歪めてしまう程にもお粗末な味付けなのでした。


 上村さんの“決めごと”が頑として野中の一軒家を支配しています。家事をこれまでやったことのない商売女が“家庭”の主婦となり“調理”に挑戦し、“朝食”を食卓に並べようと奮戦しています。ここでの広沢は「情念の高潮や心境の錯綜」を捨てて、“生活”を支えるために生きてくれとサチコに強いているのです。(男にありがちな幻想ですね。)それに則って“決めごと”が活発化している。



 サチコの劇的な環境変化に物語がまるで分断された印象です。二丁目の店先で作られ続けたみそ汁はどこかに消えてしまいました。サチコの半生を強引に捻じ曲げて変質させているのです。 (*5) これが上村一夫さんの“食事”の凄まじさなんですね。ヒエログリフとして起用された“味噌汁”の面白さ、劇画の面白さなのです。魂の表現を豊かに彩るためならば時空を強引に変えてしまうことも厭わない、そういう一途な作者の目線を感じさせます。


 また、サチコという主人公がこれまでの“生活”から新たな“生活”に乗り変わっていて、遂に謳歌すべき魂の自由を手中に出来なかったという哀しみ、戸惑いを上手く顕現して見せたようにも思います。そこまで上村さんが考え、仕込んでいたのであれば、これはこれで味わい深くも塩辛い二杯のみそしるだった、と深い溜め息を漏らさざるをえないのです。



(*1):「サチコの幸」 上村一夫 1975-1976 双葉社 初出は「漫画アクション」
(*2): 「あたしたちの食事はどんぶりの盛り切りごはんに お新香と味噌汁 これにあと一品何かつけばいい方でひどく粗末なものです これでは栄養にならないと思って魚を買ってきて焼いているとお母さんがすっと寄ってきて 「ガス代がもったいない」と云ってガス栓をひねってしまうのです」Vol.11 お月さまを食べた話
(*3): Vol.7 娼婦志向
(*4): Vol.45 味噌汁の味 
(*5):これは僕の見当違いで、単に味噌が変わっただけ、それゆえに入れる分量の微調整を誤ったということかもしれませんね。住まう環境を変えれば、そういう事は往々にして起きるものです。けれども、もしもそうだとしても、それはそれでひとりのおんなの身に起きてしまった人生の転針が“味噌汁”ひとつで見事に語られている訳です。そんな奥ゆかしくも豊潤な描写、ほかの漫画や小説であったものでしょうか。


 余談になるのだけれど、この逸話の後に展開される48話の会話や描写は上村劇画の真骨頂で唸らせられました。上村さんのおんなは濡れた黒髪を重いベタで表現することを特徴とするのですが、雑誌掲載の際の粗い紙質や不均衡なインクの盛りから必ずしもその黒さは綺麗に上がらないことがあります。白い点々がベタのなかにノイズとして現れるのは経済上、技術上、仕方のないことです。それを上村さんは逆手にとって、サチコの髪のなかに宇宙を表現し、男とおんなの間に広がる真空や感情の瞬きを顕現しています。柳田国男さんは地方のお蔵の奥に潜む暗闇を大宇宙と対比してみせたらしいですが、上村さんはおんなの黒髪に宇宙を灯影したのです。恐るべき洞察力、表現力です。やはり天才だったとまたまた溜め息が漏れ出てしまう訳なのです。 

2010年2月8日月曜日

上村一夫「狂人関係」(1973)~上村一夫作品における味噌汁(3)~




  再び上村一夫(かみむらかずお)さんについて。彼の“決めごと”に「情念の高潮や心境の錯綜が“食事”を遠ざけて、かぼそくする」というのがあるのですが、これから紹介する「狂人関係」(*1)はその好例です。


   おどろおどろしい題名ですが、中身は文芸もの、人情ものです。江戸の画家葛飾北斎(かつしかほくさい)の晩年の暮らしと死を縦軸とし、愛弟子である“捨八(すてはち)”という青年と北斎の娘“お栄”との純愛、そして、同じく捨八と彼の分身のようなおんな“お七”との狂恋と死別を横軸に構成されています。北斎は上村さんが信奉して止まない画家のひとりでしたから、頁のそこかしこからはぼうぼうと熱気が噴きこぼれてくる感じです。


 溜め息誘う繊細な絵がちりばめられた中篇なのだけれど、白眉なのは劇の中頃で捨八とお七とが繰り広げる愛の景色です。夜を徹して抱擁し、急き立て、受け止め、慈しみ、昇り詰める時間を延々と重ねていく。「四度目……五度目よ」と数えてから、さらに強く抱き寄せ、流れる汗に洗われながら幾度となく交わっていくのでした。(*2)

  
  密室にて昼夜を隔てることなく延延と抱擁を重ねる若いふたりの有り様は、まさに“寝食を忘れて”という形容そのままです。でも、それ自体には不思議はないですよね。頂きに達する瞬間は誰の身にも起きます。記憶をたどれば過去に一度か二度、情熱的なひとならいくつも、そんな波濤の一刻を思い出すものじゃないでしょうか。感情という素敵な、なお且つ厄介なものを抱えた僕らの宿痾として純度の高い時間はいつかは訪れてしまうもの。


 ですから、上村さんにより描かれた男女の睦みの濃密で果てしない様子に対し、作者の創造性が飛び抜けているとは見ません。人間の喜怒哀楽を表現する古今東西のドラマにおいては、“寝食を忘れて”過ごす密室性の高い情景は、恋愛劇のハイライトとして定型でもあって、あれもそう、これもそうと指を折って数えることが出来ますからね。


 でも、そう言えばと思い直すのです。上村さんの情景には独特の色彩が加わっている。例えば映画(*3)であれ劇画であれが愛の情景を描く大概の場合には、文字通り“食を忘れて”没頭する、食べる行為を二の次、三の次にしての睦(むつ)み合う時間を描くものです。


 一方、そのような密室での僕たちの現実としての時間はどうでしょう。ルームサービスであれ、コンビニエンスストアでの調達であれ、それは百人百様で別々であるけれども“食事”はきちっと為され、共に食べるそのことにも、その時間にも大きな歓びが寄り添うものです。“食事”は愛の行為と不協和音を奏でることなく共に得がたい記憶として連なっていく。


 眠れぬままに朝を迎えた「狂人関係」でのふたつの肉体に対して、上村さんはどんな給仕をしたものでしょう。一切の食事の要素を劇的に排除したものでしょうか。それとも現実的なしっとりとした団欒を組み込んだものでしょうか。有るのは竹篭にのった、貧相な三本の人参だけなのです。おそらく一昨日かそこらのだいぶ時間が経過したらしい、残渣がべとべと付いて汚れたままの食器や鍋をひとコマを続けて作者は提示しています。この愛の棲み家にろくな食べものが見当たらない状況をひねり出し、恋人たちに課しているのです。


お七「だってお銭(あし)がないもの」

捨八「ふん しゃあねえ がまんするか

   しかし それにしてもなんだな この人参 ゆでるとか煮るとか

   したらどうだい」

お七「だって めんどうなんだもの」

捨八「チェッ しゃあねえ 塩でもつけて食うか!」


  生の人参にがりがりと齧りつき、黙々と咀嚼していくのだけれど、その“食事”とは到底呼べぬ“食”の光景と、これと交互して六度目、七度目、八度目の房事が挿し込まれて、なんとも形容しがたい鬼気迫る時空が展開されていく。



 

 こうして見れば「狂人関係」の人参は変わっています。「情念の高潮や心境の錯綜が“食事”を遠ざけて、かぼそく」していき、生の野菜だけになる。それに旺盛に噛り付いていく恋愛劇は、おいそれとは見当たらない妖異極まるものです。素材の意外な組み合わせの妙は上村さんの十八番(おはこ)ですが、表層的なものに限らず物語中にもそっと、けれど見事に開花している。飛び抜けた才能をこういう処に感じます。


  書き加えるべき事がいまひとつ。捨八とお七のめくるめく時間の、その間際に連結している挿話の存在です。狂恋の焔(ほむら)がふたりの身体へめちめちと燃え移り、止めようのない類焼へ移行していくその少しだけ前にさかのぼって眺めれば、彼らふたりは春の河原を散歩していたのでした。捨八は幼少の頃の記憶を鮮明にさせ、それを熱心に再現しようとしていたのです。(*4)




   蕗の薹(ふきのとう)を摘み、砂糖、みりんで甘くしつらえた味噌と和(あ)えて作る蕗味噌(ふきみそ)を捨八はお七に教えようとします。「母がよく作った」家庭料理を自分のおんなに伝授しようと企てた訳でしたが、男のこの思惑は完遂なりませんでした。家庭の味ということで言えば“味噌汁”とここでは同根の蕗味噌が、おんなに拒絶され、生の人参に敗北したかたちです。


 “食事”が否定され、“食”だけが男とおんなの間を隙間なく充たして密着させています。貧窮した経済状況を表わすのでなく、もちろん場当たり的なものでもなくって、上村さんが練りに練って若い恋仲のふたりにそっと手渡した主菜だったのだと解ってきます。人参をひたすら食(は)みながら寝る間を惜しんで官能に集中していく「狂人関係」のふたりには、上村さんの内側に宿った恋愛哲学が明確に託されている、そのように見取っているところです。




(*1):「狂人関係」 上村一夫 1973-1974 初出は「漫画アクション」
(*2):其の十九 はるかぜ地獄篇[前編]
(*3):映画と言えばね、昨晩午後6時過ぎの回でイタリア映画を観に行ったのですけれど、そこで生涯二度目の独占鑑賞を体験しちゃいました。100席に満たない小さなスクリーンではあったにしても、たった一人で2時間悠々と過ごしちゃって、なんか申し訳ないような嬉しいような、不思議な時間でしたね。武士の情けで題名は控えますが、あれこれ考えさせられる良い映画ではありましたよ。前回は三十年ほど前になります。あの時は途中でフィルムが止まり、掃除のおじさんが箒もって入って来たという思い出があります。おじさんが僕に気付いて「あ、いたんだ!」と叫んだ大声と慌てて映写室に飛び込む音が耳に刻まれていますね。映画館ってそういう驚きがたまにあるから面白いですよね。 
(*4): 其の十七 蕗味噌 ふきみそ

2010年1月6日水曜日

近藤ようこ「遠くにありて」(1987)~なにもかも違うのに~



拓「そんな先のことは、わかんないよ。

  それより おれ、腹へったな。」

拓の母「ああ、ごはんにしようね。」

朝生「お手伝いします!」

   湯気をあげる味噌汁の鍋。

拓の母「中山さん、味見してくれる?」

朝生「あ、はい。(味見しながら内心にて)
 
    うちとちょっと味つけが違う──

    やっぱり、ここはよその家なんだなあ。」

朝生「おいしいです。」

拓の母「よかった。これは、あたしがお姑さんから、

     習った味つけなんよ。あたしもこうやって、

     お嫁さんに伝えていくんだねぇ…」

朝生「(内心にて)わたし…この家の「お嫁さん」に

   なっちゃうのかなあ、なれるのかなあ。育った

   環境も、みそ汁の味つけも、なにもかも違うのに…

   ここは、よその家なのに。不安だ。こわい──」(*1)



  年が明けて、やたらと気ぜわしい毎日が続いています。学校や幼稚園など始まったところもあるようですし、世間というものは本当に休み知らずですね。止めようのない大河みたいです。


  こういう始動の時期はぼうっとする瞬間も増えて、ちょっとした事故も起こりがちではないでしょうか。僕も今朝、自宅内の階段をあやうく踏み外しそうになって冷や汗が出ました。どういう拍子にか、左足が二段一気に踏み降りようとしたんです。昨夜寝る前に観たフランス映画が残像となって眼の奥に蘇えり、僕を石畳の街並に立たせたようにも思えます。お馬鹿な左足が日に焼かれた白い石段を駆け降りたようにも思えます。不意を打たれて慌てました。皆さんもどうか気を付けて、時間に余裕を持ってお過ごしください。



  さて、今日取り上げるのは近藤ようこさんの「遠くにありて」です。今から二十年以上も前の作品なんですね。歳月の移ろう速さには驚かされます。


  学校を卒業した中山朝生(あさみ)は、実家にほど近い北陸の町で教師となって働き始めます。東京に残り小さな出版社で働く親友との会話にほだされ、ついつい自身の境遇を恨んでは再度の上京を夢見てしまう、そんな浮き足立った毎日を送っています。いつ辞表を出して職場を去ろうかと煩悶する様子は隠しようがなく、そんな情緒不安定気味の主人公を周囲は心配し、それとなく見守っていきます。


  なまぐさい人間模様を身近に捉え、胸襟を開いて回想や惑いを交感させるうちに心の表層を覆っていたとげとげしさは徐々に治まっていき、いつしか自立した世界を足裏に確信するようになる。少女からおんなへの(群像劇として見れば、さらにおんなから老女への)成長譚が物語の輪郭となっています。


  その中で “調理の味付け”にまつわる気苦労が彫り込まれています。同級生の西崎拓(たく)という青年も主人公を気遣う一人で、上に紹介した場景は酒販店を営む彼とその家族に招かれた際の断片です。味噌汁を巡る会話が突如はじまるのですが、それにしても典型的に過ぎるのじゃないか、いかにも、といった台詞が並んでいました。
 

  ひさしぶりにこの作品を読み返し、正直言えばずいぶんと醒めた思いを抱きます。二十歳過ぎの娘の一見すがすがしい“せせらぎ”に似た日常を目で追いながら、うまく懐柔されちまってお馬鹿さんだなあ、と可哀相な気持ちに今の僕はなってしまう。


  ひとの精神の懊悩は死ぬまで整理のつくものではないし、突如おし寄せる潮津波(しおつなみ)に思考を遮られ、渦に巻かれ砕かれて見るも無残な藻屑になってしまうことだって往々にしてあり、そうともなれば相当に苦しい。


  けれども、そんな感情の濁流ポロロッカこそが“生きている”ということの嬉しさと愛しさの根源なのだ、と、反撥する思いがやはり湧いてきて、悪戯に安定を望んで答えを急ごうとする「遠くにありて」の登場人物たちにしっくりとは寄り添えない自分を見つけてしまうのです。(*2)



  例えば似たような料理の描写が里中満智子さんの作品(*3)にも見出せますので、これを並べてみればいいのです。湯気上がる鍋があって味噌汁がことこと煮られているし、主人公は憂いを含んだ眼差しを整った面立ちに宿していて、ふたつの作品はここだけ切り取れば似た色彩を放って見えるのですが、内に潜むものはまるで正反対となっています。


  旅先で偶然に出会った病身の陶芸家を看護するうちに、予定調和ばかりを追っていた自分自身の人生に疑問を抱いてしまうという内容で、「遠くにありて」とは物語のアウトラインが対照的な作品です。主人公(早苗という名です)──の憂いの中には「遠くにありて」での「よその家」に来ている不安は露いささかも無い。




  僕がここで興味を引かれるのは、里中さんの作品においては“味つけ”への気兼ねが一切生じていないということなんです。気持ちが翻弄されてそのまま卒倒すらしかねない近藤さんの作品との段差はどうしたことだろう。

 
  知り合ったばかりの男の家に上がり込み、一切の気兼ねなく料理を提供する早苗というおんなは気の回らぬ馬鹿でしょうか。違いますよね。恋情の本質を突いているのではないかと、僕はふたつの作品を面白く見比べます。


  一方が一方に“かしづく”ということでなく、異質なるものを取り込み、その混濁をも楽しむ余裕こそが恋情という調理の味付けであることを、里中さんのおんなの体現する怒涛の勢いが僕たちに物語っているように思えます。




  ふたつの物語に描かれた二人のおんなの道程は、どちらも現実といえば現実、理想といえば理想。人生の最大振幅を具現化したものでいずれも実相をよくとらえて見えます。近藤さんのおんなと里中さんのおんな、二極の間を行きつ戻りつする、まるで振り子みたいなものが人生かもしれないですね。ひとの多くはそんな存在、振り子時計ではないのかな。僕だってそう。ほんとうは偉そうなこと、人様に言えやしないのです。


  さながら味噌汁は、振り子時計の上部に付いた機械仕掛けの鳩という訳です。恋情のある局面で急に存在感を露わにし、不思議な調べを奏で始める。ちがう、ちがう、ちがう、と唄い出す。いや、同じ、同じ、同じ、でしょうか。どちらにしても音階は狂っている。恋と愛としがらみの中で出番をひそかに待ち続けて、今夜も味噌汁はどこかの食卓で発声練習に励んでいるのです。


(*1): 「遠くにありて」 近藤ようこ 初出は「ビッグコミック」小学館 1987-1991
(*2): もちろん、近藤ようこさんの作品は読了後に硬いしこりを残すものが多いですし、この作品が描かれた時代は虚飾に踊ったバブルの頃と重なります。よくよく承知の上で逆説的な顛末をあえて描き進めて、浮かれる世間に挑んだというのが本当のところでしょうね。
(*3):「古いお寺にただひとり」 里中満智子 初出は「別冊少女フレンド」講談社 1976

2009年12月9日水曜日

つげ義春「リアリズムの宿」(1973)~やりきれんなア もう~



夕食はイカの刺身を中心にしたものだった

野菜の煮物が少々と卵焼は皿にペタンと一枚

はりついているだけで

刺身は薄くすけてみえそうなものだった


それらを少年が一ツ一ツ無言で運んできた


☆ ☆ ガチャン ☆ カラカラ


味噌汁は鍋ごと運んできた

私「きみ シャモジを落としたみたいだね

 洗ってこなかったみたいだね そうだろ!


 やりきれんなア もう  

 風呂にでも入って寝ちまおう」(*1)


 最近、漫画家のつげ義春(つげよしはる)さんに対する認識をすっかり改めさせられました。「ねじ式」(*2)、「紅い花」(*3)、「沼」(*4)といった幻想的な作品群と、等身大の日常を淡々と描いた「義男の青春」(*5)、「懐かしいひと」(*6)などでつとに知られたつげさんなのですが、迷走する世相とは隔絶して見える素朴な描線と柔和な語り口、多くても年に数本しか発表しないという寡作の人ということもあって、僕は“産みの苦しみ”を感じ取れずにいたのです。


 評論家との間で、実に半年を費やしてのロング・インタビュが為されました。それが分厚い上下巻の単行本(*7)に収まっていて、就寝前や出張の移動時間に読み進めていたのです。ようやくにしてつげさんの作品が苦闘の産物だったことを知りました。まったくもって迂闊、創造することの道程に例外はなかったのです。


 じりじりと緊迫する行程を記憶とメモから丹念に掘り返して吐露していくのですが、言葉は説得力に満ち満ちているし、何よりも驚かされたのは氏の多弁さです。のほほんとした作風から想像し得ない饒舌に息を呑みます。どんなに穏やかな風合のものに仕立てていても、“作り手”というのは火花のような激しいものを抱え込んだ存在なのですね。驚きがあればこそ読書は愉しいわけですが、それにしてもこれだけ予想を裏切られると嬉しさを遥かに越えて何やら恥ずかしくなってしまいます。


 さて、そのインタビュのなかで自作「リアリズムの宿」に触れて、つげさんは味噌汁(正確には付随する道具なのですが)に少し言及しています。物語のあらましはこうです。商人宿のわびしさに憧れる主人公がたどり着いたのは哀しいまでに貧窮し切った場末の民宿でした。こりゃいかん、と逃げ出そうとする主人公はおかみの必死の懇願に負けて一夜を過ごすのだけれど、予想以上にあれこれ散々な目に遭ってしまうのです。宿の少年の手伝う配膳はお世辞にも誉められたものではありません。部屋の手前の廊下で騒々しい音がいたします。何か床に落としたに違いない。

 Youtubeに断片を写し取ったものがありますね。合わせて貼っておきましょう。未読のひとも感じは掴めるのじゃないかしら。




 こういう宿屋に事実泊まってしまったけれど、

こんな悲惨な父親がいたわけじゃないです。

でも、男の子が味噌汁のしゃもじを洗わなかったのは

事実です(笑)(*7)


 えっ、重箱の隅を楊枝でほじるのもいい加減にしろ、あなたはそう仰る。同じように僕だって思っていましたよ、落としたしゃもじを素知らぬ顔で届けた少年に焦点は合っているのであって、特段記憶に値する味噌汁はこの「リアリズムの宿」には描かれていない。そう読み取っていればこそ僕はものの見事に失念してしまい、これまで何ら取り上げずにいました。


 しかし、上に掲げたインタビュ本を読み終えてみると、「リアリズムの宿」には確実に味噌汁が描かれているし、それもかなりの作為を秘めたものだと言い切れる。


 試しに少し大きな書店に足を運んで文庫版の全集をめくってご覧なさい。紀行であれ下宿生活であれ、はたまた同棲の顛末であれ、日常を淡々と描く物語内の食生活に目を凝らして見るならば、そこには味噌汁が不自然なぐらい見当たらない。そうか、なるほど
作者は味噌汁を“描きたくない”のだと解かるのです。畳の敷かれた小部屋、汗を吸って重くなる下着、太陽光を弾く白い路面、薄い影をしっとり落とすパラソル、おんなの流し目、男の凝視──日常風景をとことん描写しながらも味噌汁の登場を徹底して回避していく。その瞬間の作者の意図に想いを馳せるとき、つげ義春さんの創造する世界とはすべからく“非日常”だったのだと気が付きます。


 実際の商人宿となりますと、いい宿屋ってないんですよね。

実際はかなり生活臭さが漂っているんです。本当は、そういう

生活臭さが漂っているというのは自分としては好きなんですがね。(*7)


 本当は、好きなのだけれど、“生活臭”の排除こそが己の漫画作術の原則、あえかな情感の生育に繋がるのだと信じ、普段あるべき味噌汁が巧妙に排除されていくのですね。もわもわと“生活臭”を湯気立てる味噌汁を描くことで世上からの遊離感や旅情が破壊されるとすごく警戒している。


 ならば「リアリズムの宿」の唐突な味噌汁の登場は何だったかと言えば、これは僕の推測以外の何ものでもないのだけれど、事実を足掛かりとして物語がぐんぐん立ち上がってしまった、普段は排除に努めていた味噌汁なのだけれど、もう元に戻せない、こうなったら、ええい、ままよ、“生活臭”をどんどん詰め込んでしまおう、ぎゅうぎゅうの“生活臭”が飽和状態を越えてしまえばリアリズムは急速に損なわれるのが道理だろう。その先には“非日常”が再度頭をもたげてくるにきっと違いない──。そんな感じの裏技だったのじゃないのかな。



 つげ義春さんは味噌汁を原則的に描かない、それは味噌汁を強く意識することの裏返しなんですね。生活の場において味噌汁が濃厚な存在感を勝ち得て、ひとりの天才の活動を左右していたことを証し立てています。



 形になっていないからといって、存在しないということではない。人の世の諸相や精神の深い淵にはよくある話です。意識し続けていればこそ、かえって結晶化ならぬことってまま在りますよね。まあ、きっとそういう事です。



 さて、いよいよあと半月程で2009年も終わりです。


 気持ちにトゲを残したままで年を跨ぐのは、なんとも息苦しいものです。もちろん深く根を張り抜けないトゲは有るのだけれど、そっと引き抜けるものは外して身軽になりましょうか。心をアーティキュレイションしないと!


 来週以降はほんとうに身動きが取れそうもないから、欲張った気持ちになります。せかせか動くとろくな事はない訳ですが、まあ頑張ってみましょう。僕も転ばないように気を付けますが、どうか皆さんも足元に十分注意してください。階段なんかで蹴躓いて宙を飛んだりしないようにどうかお願いいたしますね。



(*1):「リアリズムの宿」 つげ義春 「漫画ストーリー」(双葉社)初出 1973
(*2):「ねじ式」 つげ義春 「ガロ増刊号・つげ義春特集」(青林堂)初出 1968
(*3):「紅い花」 つげ義春 「ガロ」(青林堂)1967 10月号初出
(*4):「沼」 つげ義春 「ガロ」(青林堂)1966 2月号初出
(*5):「義男の青春」 つげ義春 「漫画サンデー」(実業之日本社)初出 1974 
(*6):「懐かしいひと」 つげ義春 「終末から」(筑摩書房)初出 1973
(*7): 「つげ義春漫画術(上・下)」 つげ義春/権藤晋 ワイズ出版 1993