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2012年1月21日土曜日

楳図かずお「井戸」(1974)~長い髪の毛~



  食卓についている男と妻
  椀をかかげて味噌汁をすすっていた男が、不意に大声をあげる

男「あっ!?」

妻「どうなさいました……!?」

男「みそしるの中から長い髪の毛が!?」

妻「まあ!?」

  場面一転、街なかの公園
  背広姿の男がその中を歩きながら、怪異を思い返している 

男「も、もしやあれは20年前に突然おれにだまって
  どこかへ行ってしまった浮気なカナ子の髪の毛では………?」(*1)


 上に引いたのは楳図(うめず)かずおさんが70年代に発表した、わずか8頁(1コマ1頁構成、ですから計8コマ)の実験的な短編「井戸」の冒頭部分です。初老の夫婦がテーブルで食事をしていると、なんと“みそしる”の中から髪の毛が見つかります。頭はともに年齢相応の色になっていますから、黒々としたこの闖入者は妻のものでもなければ夫のものでもないのです。その長さからいって、どうやら女性のものらしい。二人暮らしの古い住居です。最近は訪ね来るひともそういませんから、なんとなく変です。

 面白いお話なので、ざっと紹介してしまいましょう。(結末に触れます)

 男はまだ会社勤めの身です。天気は快晴。鞄を下げて公園を横切りながら、不意に昔の記憶が蘇ってきました。訳も言わずに自分のもとを立ち去って、以来ぱったりと連絡が途絶えてしまった相手がいたけれど、もしかしたらそのおんなのものじゃないかしら。たった一本の髪の毛が隠栖(いんせい)するに似て乾燥気味だった男の日常を縛りはじめ、過去へと盛んにこころを誘(いざな)うのでした。

 怪異は続きます──洗面台に男が向かっていたところ、蛇口から流水といっしょに指輪がひとつ、カタンと軽い音をたてて転がり出たのです。屋敷にはいまだ枯れずに水を湧かせる井戸があり、今は簡単な覆いがされ、据え付けられた小型ポンプが自働運転をしています。汲(く)まれた水は配管を通じて建物の方々へと行き渡り、炊事や洗面といった家事全般に使われている。謎を解く鍵はその井戸の奥にあるようです。

 電灯の光もよく届かない深さと暗さです。こうなると意を決して臨むしか道はありません。単身ロープを伝い降り至った男の目に、ついに“何か”が映りました。「ま、まさか…そ、そんなバカなことが…………」男の叫び声がわんわんと反響します。場面替わって、井戸端会議の様子です。妻の言葉とさりげない描写から僕たちは、男が二度と井戸から這い出ることがなかったことを知ります。塀向こうのご近所の人に夫の失踪を伝える妻の顔は、不思議と穏やかで屈託がありません。妻は近日中に井戸を御役御免とし、土を入れて固める決意を合わせて報告するのでした───

 楳図さんの「蝶の墓」や「アゲイン」なんかは読んでいましたが、気の弱い僕はいかにも怖そうなものは避けていたところがあります。小学生の時分には表紙を見ただけでごめんなさい、という感じだったのでしたが、年始の休みを利用してそんな“こわい本”ばかりを一気に読み進めてみました。

 好奇心旺盛な少女たち、男たちが“見よう”とする衝動にどうしても抗し切れず、禁忌(きんき)を破って廊下の奥の部屋や朽ちかけた屋敷に足を踏み入れます。気付いた時にはもう遅く、ろくでもない事態に陥っているという流れですね。外貌が“怪物化してしまった人間”と目と鼻の先で向き合わなくてはならない。うろこで埋まったり、血と膿みでぐちゃぐちゃの顔に「ギャ~~ッ、うわーッ」と叫び、出口を求めて駆け出します。焦点のあわぬ目をぐわりと剥いて、かん高く笑いながらその背中に突進してくる楳図さんの化け物たちは不気味ですが、この齢になってみれば笑えるところもあります。

 むしろ今回、つくづくと感心させられたのは、劇空間を貫いている心理描写の細やかさでした。見えない部分にこそ本当は楳図さんの真髄が宿っている。嫉妬と怨念、破壊願望、ささやかで切実なのだけど決して実現し得ない、それゆえに破裂するまで膨張が止まらなかったりする夢や希望といった“人間の見えざる内面”が主役になっている。震央となって胸を揺さぶり、噴泉となって降りそそぎます。

 人と人とが接近し、交流と交感を果たしていくことは簡単そうで存外難しい。解らない相手に対する惑いや焦りはやがて“不安”を育ててしまい、荒々しい排除なり逃避へと雪崩打つことも間々あります。人間のこころとこころが結局は“恐怖”を醸成していく。黒い影のべったりと塗り込められた画面やノイズ雑じりの描線の奥で、そっと息づき、気配となってゆらめくものが実際は怖いのです。この「井戸」だってそうです。「黒猫」の亜流と笑うのも良いでしょうが、あれこれ思いを凝らすことで違った物語が見えてくる。露呈し切れない豊かな多層を秘めている。

 小泉八雲(こいずみやくも)さんの本で知ったのですが、明治期あたりまでの井戸は、定期的な清掃の後に神事を執り行なって水神の怒りを抑えたそうです。その後に、一匹か二匹の鯉(こい)をわざわざ底に放して住まわせたらしい。“安全な飲み水”に対しての概念が今とは随分と違っていることに驚かされると同時に、生活の道具という域を遥かに超えた底知れぬ精神性に唸りました。

 一方の味噌汁というのも随分と精神的な食べ物です。託されるものは当然違いますが、ほの暗い“見えざるもの”をしっかりと具(そな)えている。“母性”や“家庭”を誰もが連想するそんな味噌汁に、境界外に住まうおんなの髪の毛がにゅるにゅると侵入する構図も、だからきっと偶然ではない。

 異界の入口となっている井戸と、コロイドの雲の背後にさまざまな想いを隠す味噌汁、そんな両者間を行き来するおんなの髪の毛──なんとも絶妙な取り合わせで、もの凄いかたちです。楳図さんを信奉するひとが出てくるのも宜(うべ)なるかな、納得がいくのです。
 
(*1):「闇のアルバム その7 井戸」 楳図かずお 「ビックコミックオリジナル」1974
年8月20日号掲載 手元にあるのは朝日ソノラマ「楳図かずお恐怖文庫・4 楳図かずお こわい本《闇》」1996 53-55頁 

2011年9月26日月曜日

桐野夏生「玉蘭」(2001)~そこに何かを見出したのか~



「お食事持ってきましたよ」

 谷川が窓際にある小さなテーブルの上に盆を載せた。白飯に炒め

物のおかず、小皿に梅干しが添えてある。塗り椀があるのを見ると、

味噌汁が付いているのだろう。(中略)

 浪子(なみこ)は谷川が出て行った後、部屋にひとつしかない中国

風の椅子に腰掛けて、光代の手料理を食べた。すっかり冷めていたが、

小さな角切りの豆腐の入った味噌汁は懐かしく、旨かった。梅干しも

日本の白米も、物質のすっかりなくなった広東では手に入れることの

できないものばかりだ。

(中略)

「いいよ、それより飯食ったか」

 質(ただし)は浪子の方を見ずに尋ねた。浪子は谷川が運んで

くれた冷たい夕食のことを告げようかどうしようかと迷ったが、

結局黙っていた。(中略)

「食べてないの?ここの奥さんのご飯は日本食だからね。旨いよ」

空腹ではないかと気遣ってくれないのか、あなたの妻になったのに。

気の回らない質に苛立ち、とうとう浪子は言い放った。

「あなたが帰って来ないから、あなたの分食べちゃったわ。久しぶり

にお味噌汁飲んで感激したわよ。おいしゅうございました!」

 質はやっと返答を返した浪子の顔を見た。そこに何かを見出した

のか、急に痛ましそうな表情をした。自分の顔に何が現れているのだ。

旅の疲れか惨めさか、病の徴(しるし)か。鏡が見たい。浪子は不安

になり、思わず両手に顔を埋めた。(*1)


 “食べもの”を登場人物のこころと連結させて、物語の色彩と濃淡をコントロールしていく。ときには“色気”と“食い気”を強引にない交ぜにし、個としての人間の輪郭を多角的に照射して浮き上がらせる。それによって読者の感情をも変幻自在に操ってみせる。稀にではありますが、そんな舌を巻く描写にぶち当たるときがあります。凄腕の書き手が日本にはいて、桐野夏生(きりのなつお)さんはそのひとりだと僕は思っています。


 十年も前に書かれたものですが「玉蘭(ぎょくらん)」という作品があって、恥ずかしながら今ごろになって手にして読んだのだけど、実に濃厚な味わいで胸に応える読書、硬い芯のある週末となりました。

 冒頭から末尾まで貫いている清澄な趣き、真摯な世界観もさることながら、使えるものは何だろうと動員して舞台をくまなく飾ろうとする作者の貪欲なまなじり、狂気にも似た緻密さにすっかり惚れてしまいました。当然“食べもの”も豪奢に、けれど無駄なく配置されている。


 たとえば物語の前半、航海の間、極度の緊張を強いられて魂をすり減らした船乗りがようやく陸にあがり、次の出航までに揺らいでしまった自分をどうにかこうにか立て直すために酒に溺れ、破壊的な面持ちで猟色していく夜が描かれるのだけれど、その際に男が歩んでいく場処は“食品市場”なのでした。異国のマーケットですから、甕(かめ)や篭(かご)に入れられた蛇やら犬やら蛙やら、おどろおどろした“食べもの”が列をなして視覚と嗅覚をいたく刺激します。それらは男がこれから挑もうとする官能の闇を、黒々と補強して塗り固めている。(*2)


 また、回復不能な喪失感を抱えた初老の男が人生に疲れ、自死することをいよいよ望んで、季節外れの雪に染まる別荘地をひとり放浪する場面が後半に訪れるのですが、奇抜な風体の老女が唐突に現われて男に救いの手を差し伸べます。おごそかな幽棲へと男を導いていくこのおんなには、異国帰りの破天荒な性格が割り当てられており、食事の場面では白飯に臆することなく砂糖をまぶし、さらにミルクを注いで食べて見せるのでした。男は唖然として声を失うのですが、その“普通とは違う食べもの”とおんなの堂々たる食べっぷりを好ましく思い、いつしか死の誘惑を断ち切っていくのです。(*3)


 “食べもの”と情感が編みこまれていて、どちらも実にうつくしい。
 

 僕たちの日常を覆う“食べもの”とこれに寄り添い萌芽していく人情の機微を、桐野さんは透徹した目線ですくい上げていく。そうして、両者の関係を再構築して自らの劇世界に植え替えて行き、リアルな色調で虚構世界を彩って見せるのです。咀嚼と血肉化の連携が見事ですね。


 上に引いたのは物語の中段にあって、先の二例にあるような感情の湧昇、凝縮とは真逆の動きが見られる場面です。


 不幸な生い立ちのおんなと男が出会い、おんなは未来を託して身ひとつで男のもとに走ります。転がり込んだ住まいは賄いつきの下宿の三階であり、疲れて空腹のおんなに冷めた夕食がひと揃え届けられるのでした。これが“普通の食べもの”それも異国(上海)にあって場違いな感じの「日本食」であるのが興味惹かれるところです。


 帰宅した男はどこかで酒をあおってきた様子であり、おんなの同居にどう反応していいのか戸惑いを隠せないでいます。おんなはおんなで疑心暗鬼にとらわれ男に食ってかかるのでしたが、その台詞には“味噌汁”が取り込まれており、きわめて強いスポットライトが浴びせ掛けられている。


 虚ろな逡巡やどうしようもない感情の交錯が誘爆して次々と蒼黒く燃え立ち、気持ちをどんどん落ち込ませていく。情愛のあかあかとした焔が鎮火しかけて危機的な状況にあります。「日本食」と“味噌汁”があわせ選ばれ、そのかたわらを占めていく。それは作家の生理というのではなく、長い時間かけて僕たちに刷り込まれた“食べもの”と魂の相関について、桐野さんなりに手づかみし辿り着いた風景、逃れようのない、まさに目前で展開される“僕たちの場景”であるように感じます。


 冷めた味噌汁のすっと鼻孔を透きあがる、潮風のような尖った気体の奥で夢の残滓がどこか香るようであり、なんとも切ない微動を引き起こす。味噌汁とは哀しい“食べもの”なのかもしれませんね。


(*1):「玉蘭」 桐野夏生 2001 朝日新聞社 引用は186-192頁 初出「小説トリッパー」1999-2000
(*2):同136-137
(*3):同365頁

2011年8月6日土曜日

式貴士「カンタン刑」(1975)~ゴクリと飲み下した~



「のども涸(かわ)いたな……」

 その声を待っていたかのように、床の壁の一隅が四角く切り抜い

たように動き、独房の中に箱型の形になってせり出してきた。 

蓋(ふた)を開くと、中に五目飯と湯気の立った味噌汁が入っている。

(中略)

 味噌汁をゴクリと飲み下した八朗は、再び、

「ゲエーッ!」

 と吐瀉(としゃ)した。これまたゴキブリ汁だった。味噌と一緒に

ゴキブリを摩り潰したものを湯にとかし、同じく摩り潰したゴキブリを

ウドン粉で固めてスイトン状にして、味噌汁に浮かしたものであった。

 ゲエゲエ吐き出し、汚物を手の甲で拭いつつ、おっかなびっくりふり

向くと、もう丼の上にはゴキブリが小さな蟻塚(ありづか)のように群が

り、床にぶちまけられた味噌汁にもゴキブリたちがひしめいていた。(*1)



 この春、法務省より出された公告のなかに興味深いものが見つかりました。抜き書きするとこんな感じです。

法務省入札公告 次のとおり一般競争入札に付します。 平成23年5月10日 支出負担行為担当官  法務省大臣官房会計課長  
  
1 調達内容 
(1)品目分類番号 1 
(2)購入等件名及び数量 米味噌460,558kg(単価契約) 
(3)調達案件の仕様等 入札説明書及び仕様書による。 
(4)契約期間 契約締結の日から平成24年3月31日まで     
(5)納入場所 法務省大臣官房会計課長が指定する場所       
 

 受刑者の食膳用でしょうが、もの凄い量です。ダンプカーで40台以上もの味噌を求められて、はい了解、わかりましたと即納可能な蔵元は限られるでしょうね。


 平成22年の犯罪白書(*2)を読むと、「刑事施設の年末収容人員は,(中略)21年末現在は,7万5,250人(労役場留置者1,132人を含む)」とあります。それだけの人間が仮に一日2杯の味噌汁を飲み、その1杯あたり14g程度の味噌を用いると推定するならば、毎日消費されるのはざっと計算して2トン量です。飽きの来ない献立が工夫されて年間200日程度に限って出されるとしても、のど奥に消える生味噌の総量は400トンに膨れ上がる。刑務官や事務職の人へ振舞われる分も合わせれば、460トン量の調達目標はいささかも不自然ではないのです。


 もちろん多種多彩な食べ物が同様の流れで集められ、丹念に調理をほどこされてから振舞われる訳だから、味噌汁だけに特別な光が注がれているのではない。僕の偏った目線がちょっとだけ輪郭を浮き出させているにすぎない。


 それにしても、こうやって“味噌求む、全部で460トン”とやられると唸らざるを得ない。家庭や職場の枠を軽々と越え、高い塀をもあっさりと味噌が飛び越えていくようです。460トンもの茶色いかたまりが宇宙から来たアメーバ怪獣みたいにもぞもぞコンクリート塀に押し寄せ、がばりと鎌首をもたげて塀の向うにどろどろと侵入する、そんな様子を僕は想い描いて息を呑んでしまいます。


 “刑務所”と味噌汁をきゅっと繋げた文章がそういえばありましたね。そうそう、関川夏央(せきかわなつお)さんでした。(*3)日本に居住して間もない外国の兵士がおのれの行動をよく自制し、借りてきた猫みたいに大人しくしている。その理由は「日本の刑務所を、とりわけ刑務所の食事を、さらにとりわけミソ汁を恐怖しているから」という実に嘘っぽい冗談まじりの記述だったけれど、僕たちの意識の中にはどうも刑務所の光景と味噌汁椀がきっちり二重写しになってるところがある。それは間違いないところです。


 大正時代の活動家、大杉栄(おおすぎさかえ)さんもその著述(*4)の中で、かつて収監された千葉の刑務所(当時は監獄)に触れ、次のような一文を残しています。


第一に期待していた例の鰯が、夕飯には菜っ葉の味噌汁、

翌日の朝飯が同じく菜っ葉の味噌汁、昼飯が沢庵二た切と

胡麻塩、と来たのだからますます堪(たま)らない。(*4)


 海の近くと聞いていたから食事はきっと鰯(いわし)尽くしに違いないと想像していたのに、イワシのイの字もない粗末な献立にひどく落胆したことを懐旧しています。勝手に期待した方が悪いのですが、ここで味噌汁は二度続けて引き合いに出されて完全に仇役に回っています。こん畜生!味噌汁め、菜っ葉の味噌汁め、もううんざりだ味噌汁、って感じですね。


 怨みがわしいったらありませんが、そのとき僕たちの目に浮かんでくる光景、つまり鉄格子のはまった窓や何もない部屋、粗末な着物、腹に響く号令といったものに味噌汁がまったくもってお似合いだから困っちゃう。あるか無しかの野菜の切れ端を漂わせ、ことさら椀の中で薄くたなびく味噌汁が受刑者の暗い面差しを見上げている様子がありありと浮かんで来ます。


 最上段に引いたのは式貴士(しきたかし)さんの短編の冒頭に近い部分で、これも刑務所が舞台です。架空の刑罰“カンタン刑”の初端を描いた場面で、連続殺人を犯した男に死刑より重い、けれど実に“簡単”にして効果絶大な“ゴキブリ責め”が淡々と為されていくのでした。思わず顔をしかめてしまう壮絶な場面なのですが、描写はこれに止まる事なくどこまでもその後エスカレートしていくのでした。


 (特別仕立ての)寿司や団子、シチュー、ケーキといったものがひっきりなしに供せられます。だから、それら豊富な料理の中の一品に過ぎない訳なのだけど、独房に放り込まれた男が最初に目にし口にしたものとして他とは違う、なにか強烈な光彩に味噌汁が染まっているのは明らかです。


 よく言われる“臭い飯”とは旨味や粘りの少ない安価な“米飯”を差すのでしょうけれど、これとしっかりと寄り添うかたちで“味噌汁”がセットになって控えている。家庭の味、母親の味、惚れたおんなの味として僕たちの魂に君臨する一方で、寒々とした作用を受刑者のこころに及ぼし、異なる酷薄な印象を刻んでいる。


 様々な理由から重たい門を叩いてしまい、社会から弧絶した塀の奥へと身を投じていく者に対して、味噌汁は妙に淋しい、どうにもやるせない顔つきを作って出迎えて、上目遣いで見つめ返してくる。豊かさと団欒、これに背反する貧しさと孤立。不思議ですね、これほど両極端な象徴を担った食べ物は、世の中にそうそう無いのではなかろうか。




 さて、話かわって、収穫をにらんで稲の放射能測定が始まりましたね。一体全体この先どうなるのか、戦々恐々して結果を待つひとが僕の周りにはとても多いです。どう転んでも計測値を巡って意見や憶測が飛び交い、不安に駆られた僕たちは食べ物の取捨選択をぐんぐん加速させることになるでしょう。


 思えばこの時期、塀の内側で暮らさねばならない七万からなる人たちにとっては、“食べ物の取捨選択”は夢のまた夢であり、十中八九は適えられない“ささやかにして遥か遠くにある自由”です。与えられたものを与えられるまま文句を言わずに口にせねばならない。かくも環境破壊が拡がり、食べ物、飲み物への信頼が根こそぎ損なわれていく事態は誰も想像し得なかったわけだけど、こうなってみると服役、拘留といった“食べ物、飲み物の取捨選択を禁ずる刑罰”は怖さをずんずん増してきますね。


 愛憎や色欲、物欲に虚栄といったものは生きて暮らす人間にはかならず付いてまわる自然な感情であり、その振幅が歓喜の瞬間に連なり、また、犯罪にも直結します。根っこは一緒で、勢いが過ぎれば誰でも、それこそ明日にでも罪人となり罰せられもする。


 このたびの入札に参加し食品を納めるひとには、しっかりした安全なものを選んでもらいたい。ありがとよ味噌汁、菜っ葉の味噌汁、頼むぜ、俺の身体を守ってくれよ味噌汁、そう言わせるような460トンをどうか納めてもらいたい。そんなことを本気で思っているところです。


 とうとう八月。暑さもきびしさを増しています。どうか健康に留意して、元気に爽やかにお過ごしください。むせるような熱気に思考を惑わせ、差配を誤り、つまらぬ勾留などされませんよう。団扇あおいで冷気を送り、ゆめゆめ油断することなくお暮らしください。



(*1): 「カンタン刑」 式貴士 1975 初出は「奇想天外」同年9月号 手元にあるのは2008年の光文社文庫「式貴士 怪奇コレクション カンタン刑」で、冒頭に所収されている。ちなみにカンタン刑の“カンタン”とは中国の故事“邯鄲(かんたん)の夢”“邯鄲の枕”から来ています。
(*2): http://www.moj.go.jp/content/000057052.pdf 
(*3):「ゲート前の外人バーで」 関川夏央 1988
http://miso-mythology.blogspot.com/2009/07/1988.html
(*4): 「獄中記」 大杉栄 1919 「青空文庫」に収まっています。衒いのない、噛み砕いた表現で読みやすい。百年近く前の文章とは到底思えません。http://www.aozora.gr.jp/cards/000169/files/2583_20614.html

2011年6月10日金曜日

上村一夫「ゆーとぴあ」(1982)~“あれ”をやろうかね~



綾「三人揃ったことだし、“あれ”をやろうかね。」

登喜「“あれ”でございますね。はい、只今──」

三人「(口々に)あれって…… なにかしら。百人一首、──いや、麻雀か。」

登喜「絨毯の上でなさいますか?」

綾「そうね。」

 スルスルと開かれる大きな三枚の紙に、顔のない女の顔が描かれている。

三人「福笑い!? わ、わたしたちの顔の──」

綾「思いついて銀座の似顔絵描きに頼み、写真を基につくってもらったんだよ。

  自分で自分の顔に取り組むところが味噌ってわけ。

  さあ、はじめたッ。」

千賀子「なんか厭あねえ。」

スージー「おかちめんこになったらどうしよう……」

遥「巧く仕上がりますように──」(*1)


 飲んだり食べたりする行為と、人がひそかに荷(にな)う恋慕や愛惜といった情感とは“綾取り”のような間柄であって、よくよく解き明かしてみれば一つの丸い輪のように連なっている。“接吻”にまつわる本(*2)をいま読んでいる最中なのだけど、まさにそれ、つまり“くちづけ”なんかは典型的ですね。食と魂とが縦糸、横糸となって綾織られたまばゆい景色のなかに僕たちは日々暮らしています。


 上村一夫(かみむらかずお)さんの「ゆーとぴあ」という漫画には気になるフレーズが何度か繰り返されていて、それは“食い足りない”という言葉なのですが、これなども食と思念が複雑に絡み合っている気がいたします。もちろんほめ言葉ではありません。


 綾というおんなが営む銀座のバーを舞台に、そこに夜毎集う男女の内奥を描いた「ゆーとぴあ」は上村さん最晩年の作品であり、最終の九巻では急死した作者の意を酌んで“小説形式”の回を二編収録しています。突如絵筆が絶たれ活字だけとなった世界は、まるで森森とした夜気に包まれた歩道を歩くような気分で、おごそかなその幕引きは上村さんの作品群を読み進めてきた身には淋しさひとしおです。原作は真樹日左夫(まきひさお)さんとなっているのだけれど、精緻で湿度のしっとりとある描写が溢れており、上村さんのまなざしをそのたびに僕は観止めてしまう。作画の領域を越えてのめり込んでいる気配が濃厚なんですね。


 回想録など読ませていただくとスタッフに仕事を任せて飲みに行ってしまう、そんな浮き足立った雰囲気の、上村さんらしい逸話が顔をいくつも覗かせますが、こうして「ゆーとぴあ」という長編を腰据えて読んでみれば上村さんなりに世界を突き詰めようとした流れがあって、夜毎の外出へとつながったようにも思えてくる。淡々とした構図、遊びの少ないコマ構成、台詞のやや過剰なところなど、往年の上村作品の儚く、妖艶であった独特の詩情性は陰をひそめているのだけれど、その分現実世界の虚実皮膜に真っ向から切り結んで見えます。真摯で重たい感じが悪くないのです。唯一無二の天才の足跡を知る上で、決して欠くことの出来ない作品だと感じます。



 さて、“食い足りない”とは劇中のおんなが交際中の男を称して言う言葉であり、男の資質や反応と自らの指針や覚悟なんかを天秤にかけているうちに、胸の扉の鍵をこじ開けて飛び出してくるのでした。“もの足りない”と同意語であって、口にしたおんなにしてもそれ以上の想いは抱いていないはずなのだけど、ほんの少し滞空して字面を眺めればなかなか強烈な眼つきをしている。蟷螂(かまきり)や女郎蜘蛛のオスの悲しい末路を想ったりします。


 女性に対して男が“食い足りない”を使うとやや肉感を帯びた面持ちとなる。内面よりも外面(そとづら)にこだわるようで、そんなに腹に響かない。言われた方はきっと鼻で笑うのではなかろうか。上っ面だけで判断して、言う方がよほど馬鹿なんだよ、おまえなんか犬にでも喰われて死んじゃえ、という感じ。けれどおんなが男を称して“食い足りない”と言えば、これはもう存在そのものが否定されて聞こえる。細胞レベル、ミトコンドリアの色つやから問われてしまう、そんな切実さが寄り添っていて相当に怖い。


 知識やマナーは言うに及ばず、物腰や表情、趣味や日用品、体臭や口臭、財力と差配能力、潮目の読み方、さらには夜の生活といったあらゆる事に目線が達しているようで、それに対して駄目出しされてしまった感じがする。言われた方は二度と立ち上がれない、決定的なジャッジが下されてしまった感があります。


 “食い足りる”そんな相手がこの世にいるのかどうか。私はいると信じていますが、一生のうちに出逢えるかどうかは分からない。恋路は人がひとを食べる行為にほかならず、“食い足りる”その時まで僕たちは食べ進むしか道はない、という事なんでしょうね。



 話が変な方向に行ってしまいました。「ゆーとぴあ」の中に“ここが味噌”という表現がありました。正月の喧騒から浮いていく独り身がどうにも遣る瀬なく、ついに耐え切れなくなったホステスたちがママの自宅へと足を延ばします。そこで繰り広げられる福笑いの余興が一滴の涙をともない繰り広げられます。


 水商売の内実を描いて徹底して“非日常”を演出していく「ゆーとぴあ」に味噌汁の影は終ぞ見当たらないのですが、ほんの一瞬だけ“味噌”という響きが部屋を満たしていく。彼女たちが棄てた日常が閃光のようにきらめき、疲れた身体とこころを慰撫しているのです。


(*1):「ゆーとぴあ」 真樹日左夫作、上村一夫画 全6巻 小学館。引用は第39話「長い午後」からで、第4巻に所収。初出は「ビッグコミック」1982年6月10日号〜1985年11月25日号
(*2):「なぜ人はキスをするのか?」シェリル・カーシェンバウム 沼尻由起子訳 河出書房新社 2011

2011年5月18日水曜日

岡本かの子「家霊(かれい)」(1939)~ふらりふらり~



 くめ子は、われとしもなく帳場を立上った。妙なものに酔わされた気持で

ふらりふらり料理場に向った。料理人は引上げて誰もいなかった。

生洲(いけす)に落ちる水の滴りだけが聴える。(中略)

握った指の中で小魚はたまさか蠢(うご)めく。すると、その顫動(せんどう)が

電波のように心に伝わって刹那に不思議な意味が仄かに囁(ささや)かれる

――いのちの呼応。

 くめ子は柄鍋に出汁と味噌汁とを注いで、ささがし牛蒡を抓(つま)み入れる。

瓦斯(ガス)こんろで掻き立てた。くめ子は小魚が白い腹を浮かして熱く

出来上った汁を朱塗の大椀に盛った。山椒一つまみ蓋の把手(とって)に乗せて、

飯櫃(めしびつ)と一緒に窓から差し出した。

「御飯はいくらか冷たいかも知れないわよ」

 老人は見栄も外聞もない悦び方で、コールテンの足袋の裏を弾ね上げて受取り、

仕出しの岡持(おかもち)を借りて大事に中へ入れると、潜り戸を開けて盗人の

ように姿を消した。(*1)


怪しげな表紙画と題名が目に止まり、書店の通路で足が停まります。しばし迷った末に買うことにしました。小説や映画といったフィクションに気持ちが少し傾くようになって来たのは、“いつもの日常”が戻ってきている証拠でしょうか。いえいえ、事態はまるで収束していないのだし、耳に飛び入る情報は胃袋をぎゅうっと収縮させるに十分な怖い話ばかりです。


異常な状況や恐怖に慣れていくに従い、快感や弛緩に再び手が伸びていってしまう、弱くていい加減なところがすっかり露呈していくようで、書くのが少し恥しい。のだけれど、向かう視線や飛び交う妄念を自分なりにつぶさに解析すれば、幽霊だの死者だの、冥界や狂気、失踪や殺人といった日頃は覗く気になかなかならない分野になびいているところがあって、何かしらの余震が心の奥で起きているのは間違いない。“いつもの日常”とはどこか違っているようです。


「家霊」は“かれい”と呼ばせるのですが、題名通りの中身であるなら屋敷に潜む霊的なるものが題材になっている。怨霊や化け物、狂人がひょいと顔を覗かせ跋扈する楳図かずおさんや諸星大二郎さん、伊藤潤二さんなんかのおどろおどろした漫画を想像してしまいます。唖然として背筋が凍り付く瞬間を待ち望んだ訳でしたが、あにはからんや読み終えてみれば実にしっとりと湿り寄る、巧緻な人情噺になっていて驚かされた次第です。所収された他の短編のどれもこれもが愛らしく、レイモンド・カーヴァーさんの作品をふと思い出したりもしたのです。
 

岡本かの子さんがその短い人生(享年49)で小説に打ち込んだのは大変遅く、“晩節”と呼んでも可笑しくない時期です。秀作ばかりを選んだせいもあるでしょうが、作品に独特の厚みの感じるのはその為かもしれませんね。ボートを漕ぐといったような激しい動作をともなう場面ですら愁いある影と澄んだ風が付き添い、磨き抜かれた光沢のある風情に世界のすみずみまでが染まっているようであって、まるで良質の映画をゆったりと眺めている気分になる。


夫婦生活の破綻、貧窮、相次ぐ幼子の死といった凄絶な苦闘や、欧州遊学、歌作、仏教による魂の救済といったあえかな、しかし着実な仕合わせを、幾重にも我が身とこころに堆積させて遂に完成の域に至った女性ならではの、密度ある多層が秘められている。言葉の数々が結晶体となって、きらめき溢れて見える。いや、本当の話、頷かされるところが随分と多かったのです。


 代表作のひとつがこの「家霊(かれい)」であって、“いのち”と名付けられた店が舞台となっています。「どじょう、鯰(なまず)、鼈(すっぽん)、河豚(ふぐ)、夏はさらし鯨――この種の食品は身体の精分になるということから、昔この店の創始者が素晴らしい思い付きの積りで店名を「いのち」とつけた」(*2)のでしたが、七八ヶ月ほど前から「いのち」に帰って来て、病気の母親に代って帳場に坐りはじめた娘のくめ子はくすぶりの日々に囚われていました。「女学校へ通っているうちから、この洞窟のような家は嫌で嫌で仕方がなかった」(*3)ために、存在感のまるで希薄なままに、毎日を只ぼんやりとやり過ごしているのでした。


 気乗りしない理由は母親の面立ちにもあります。遊蕩癖のあった夫に去られた後、ひとりで店を支え、娘を育て、今は病床にある母親なのでしたが、娘の目から見るとその人生と風貌にまるで魅力を感じなかった。「自分は一人娘である以上、いずれは平凡な婿を取って、一生この餓鬼窟の女番人にならなければなるまい。それを忠実に勤めて来た母親の、家職のためにあの無性格にまで晒されてしまった便(たよ)りない様子、能の小面(こおもて)のように白さと鼠色の陰影だけの顔。やがて自分もそうなるのかと思うと」、くめ子は思わず身慄いしてしまうのでした。(*4)


 仕事や暮らしといったものに人生を捧げる意味を見失って茫然とする、そんな曇天(どんてん)の時間が誰の胸にもあります。これからの時間や生活がひどくみすぼらしく感じられ、もはや“余生”ではなかろうか、と、どうにもやるせなくなって独り嘆いてしまう、そんな苦しくつらい魔の刻(とき)。僕たちの抱えるそんな惑いや不安に対し、最終コーナーに佇んだ在りし日の岡本さんから明確なメッセージが送信されて来る。具体的な言葉の数々をここで開陳するのはルール違反なので止めておきますが、どれもこれもが胸によく響きました。


 上に引いた箇所はこころがくすんでいた娘が開眼する瞬間です。物乞いのように店に日参しては“どじょう汁”を無心する年老いた彫金職人がおり、その話を一対一で聞くうちに仕事の本質や人生の機微の何たるかを娘は悟っていくのでした。


 あくまでも小道具に登用されたのは“どじょう汁”なのですが、出汁(だし)のよく利いた「味噌汁」が絶対に欠かせぬ土台となっていて、優しい湯気と香気を立ち昇らせています。神々しいと言えばやや言い過ぎですが、幽幽とした調理場にほのかに暖かい、目には見えぬ何ものかのそっと息づいているのが感じ取れて、確かに「家霊」というのはいるよな、そんな事ってあるよな、と、題名がすとんとお腹に納まったのでした。


 入手したのは280円の文庫版です。お釣りが山ほど来る、そんな素敵な本でした。

(*1):「家霊」 岡本かの子 初出は「新潮」昭和14年1月号 手元にあるのはハルキ文庫 2011 引用は87‐88頁
(*2):同72頁 
(*3):同74頁
(*4):同75頁

2011年3月25日金曜日

手塚治虫「ワンサくん」(1971)~託されていること~

「──というわけでわしは会社をやめさせられたんだ…」

「いいのよ そのかわりこんなかわいいイヌをひろったんだから」

「こいつワンサって名にしようよ」(*1)

 生後まもなく母親から引き離され、わずか10円で売られてしまった子犬が主人公です。母恋しさから逃げ出して、煤煙と汚水を撒き散らす大きな工場の脇の川っぷちで暮らしを始めるのでした。


 ところが強欲な工場の主(あるじ)は施設の建て増しを計画して、純朴な老社員に邪魔な子犬の殺処分を命じるのです。情が移ってしまった老人はどうしても子犬に手を下すことが出来ず、とうとう会社に馘(くびき)られてしまうのでした。子犬は老人の家に引き取られて“ワンサ”と名付けられます。


 ワンサは夢にうなされ夜通し吼えて転げまわるものですから、その騒々しさに心優しい一家も耐え切れず、ワンサを捨てる決心をするのでした。ワンサは二度捨てられ二度とも舞い戻りますが、その口には何処からか掘り当てて来た10円玉が咥(くわ)えられていたのです。縁側にチャリンと乾いた音をたてて置かれたそれを見て、一家はワンサを家族として受け入れることを了承するのでした。もちろん10円に釣られたのではなくって、その子犬の必死な様子にこころ打たれ、哀しい彼の境遇を共有するに至ったためでした。


 ワンサが最初に連れてこられた時、そして何とか帰還なった際のいずれもが夕食の時分に設定されていました。茶の間の中央には座卓が置かれて老人と孫娘、その弟が仲良く取り囲んでいます。傍らにはお櫃(ひつ)と鍋が置かれていて、そこでご飯と味噌汁が一杯ずつよそわれていく日本らしい光景が描かれています。

 

手塚治虫(てづかおさむ)さんの漫画作品というのは数多(あまた)ある訳なのですが、僕の見る限りにおいてはこういう場面、実はほんとうに珍しいのです。海外でアニメーション作品が次々販売されたことも要因としてあるのかもしれないけれど、日本的な食の風景がほとんど見当たらない。


と言うよりも“食べる”という日常の行為を通じて人生の機微に触れていくというドラマ作りをもともと手塚さんはしなかった。飢餓、牢籠(ろうろう)、不死願望といった突飛な状況下で突飛なものを口に入れたりむさぼるという展開は多いのだけれど、ご飯に味噌汁を並べていただきます、という感じの絵はびっくりするぐらい少ない。


この「ワンサくん」で描かれるものにしたって、作者の興味は卓上の料理には向かっていない。日常空間を突き破って夕闇の奥から遠慮しいしい顔をひょっこり覗かす闖入者=ワンサの、その健気さと一本気な調子を強調するのが目的でありましょう。小さな身体で数時間も歩き通してようやっと一家の自宅を探し当てたワンサの見えざる闘いぶりを、決まった時刻に大概は訪れる夕餉の光景を挿し込むことでそれとなく読者に示す作劇上のテクニックなんです、きっと。


 だから、特別の光彩をここでの味噌汁は帯びていない訳です。登場人物の内奥にシンクロして声援を送ったり内省を促す、そんな充足感をそなえた味噌汁や醤油を探して紹介するこのブログの目的からすれば逸脱したものになっていますね。


 正直に言ってしまえば、僕は手塚さんについてちょっと触れたかったのです。そのために「ワンサくん」と食卓の場景を無理やり駆り出したところがあります。


 手塚さんがこの世を去ったのは1989年ですから、もう二十年以上も前のことです。生きている僕たちが僕たちの内にある工夫と知恵で越えていかなければならない苦境ではありますが、あえて僕は亡き手塚さんに問い掛けたい気持ちでいます。この事態を先生ならどのように思うものだろう。先生、本当におそろしい事が起こってしまいました。


 この度の大混乱を乗り切っていくための、とある場所のとある会合の様子が先日テレビに映されました。神妙な面持ちで並ぶ老紳士たちの直ぐ横にあるサイドテーブルか何かに「彼」が立っていました。短いパンツと長靴を履いただけであとは素肌をすっかり晒して見える“アトム”が片手を天に高々と伸ばし、すっくと立っていたのでした。僕はその姿に心臓を射抜かれたようになってしまい、しばし身動きできなくなりました。今も重い痛みを引きずっているような辛い気分でいるのです。


 “アトム”とその兄弟たちは技術の粋(すい)を集めた夢と希望の結晶体のような存在でありながら、際限無く膨らむ人間の欲望のために暴走させられていく“科学”に毎回のように翻弄され、無理な闘いを強いられた挙句に心身ともに傷ついていく、その繰り返しの日々でしたね。しょげ返った彼らの背中や哀しげな面影を鮮やかに思い返しています。わたしたちはあの時のアトムそのままにうな垂れ、まぶたを伏せ、とても苦しい毎日を過ごしています。


 手塚先生、私たちはどうあるべきでしょうか。これからどうすべきでしょう。そっと声もなく立っていた“アトム”の横顔はいつも通りに笑っていたけれど、僕にはなんだかとても悲しそうに見えました。泣いているようにも、虚ろなようにも見えました。“アトム”は何を言いたいのでしょう。先生は何を僕たちに伝えたいですか、何をさせたいと思いますか。先生の声を聞きたいです。


 公害、環境破壊、戦火の止まることない拡大。医術の独走とモラル崩壊、最新技術と“こころ”の乖離。復活が適わぬ徹底的な破壊と流れ落ちる涙。先生と同胞の方々から私たちの世代は数多くのことを学んだつもりでいます。  けれど、いつの間にか私たちは語り部の皆さんを失い、なのに自らは語り部の役回りを継がずに口をつぐみ、託されたはずの課題から調子よく逃げ、忘却を恥と思わず、ただただ快楽だけを追い求めてしまいました。その心の隙に慢心だけを醜く大きく育ててしまったような気がします。こうした事態を自ら招き寄せてしまったように思います。


 愛しい家族や友人、恋する相手だっているかもしれない若い人たちが自らのささやかな、本当にささやか過ぎる幸せの消失なるのを切実に怖れながら、そして己の生命と健康を大きく損なうのを顧みずに事態の収拾に当たってくれています。


 わたしたちの国の誇りであった大地や河は汚染され、食べものや飲み水までも害あるものに化してしまいました。


 ワンサを迎い入れたあの一家にきっと似ていただろう微笑ましい日常、住居と団欒、温かい味噌汁や湯気を昇らせるご飯といったものを根こそぎ奪われ、着の身着のままで運ばれて来た人たちがいます。夢を粉微塵に砕かれ、いまは手と手とを握り合い、歯を食いしばって恐怖をこらえている沢山の人たちがいます。



 今は無用な電気を消して心から祈り、恐れおののくばかりの無力極まる私ではありますが、もしも天より許されて事態が終息なった暁にはひとりで、いや皆でよく考え、先生の想像し警告してくれていた事態の数々を回避するべく、小さな小さな、けれど確実でもう二度と絶対に忘れない、そんなささやかな行動をしたいと思案しています。


(*1):「ワンサくん」 手塚治虫 初出「てづかマガジン れお」1971-1972(未完) 手元にあるのは秋田文庫版「ふしぎなメルモ」(2004)に所収なったもの。

2011年1月14日金曜日

江戸川乱歩「孤島の鬼」(1929)~小屋の中に隠れて~


 昼間はじっと徳さんの小屋の中に隠れて、夜になると外気を呼吸したり、

縮んでいた手足を伸ばすために、コソコソと小屋を這い出すのであった。

 食物は、まずいのさえ我慢すれば、当分しのぐだけのものはあった。

不便な島のことだから、徳さんの小屋には、米も麦も味噌も薪も、

たっぷり買いためてあったのだ。私はそれから数日のあいだ、

えたいの知れぬ干し魚をかじり、味噌をなめて暮らした。

 私は当時の経験から、どんな冒険でも、苦難でも、

実際ぶつかってみると、そんなでもない、想像している方が

ずっと恐ろしいのだ、ということを悟った。(中略)

 私の心臓はいつも通りしっかりと脈うっていたし、私の頭は

狂ったようにも思われぬ。人間は、どんな恐ろしい事柄でも、

いざぶつかってみると、思ったほどでもなく平気で堪えて行ける

ものである。兵士が鉄砲玉に向かって突貫できるのも、これだな

と思って、私は陰気な境遇にもかかわらず、妙に晴ればれした気持に

さえなるのであった。(*1)


 上に引いたのは江戸川乱歩(えどがわらんぽ)さんの「孤島の鬼」の一節で、題名にある島での様子です。



 密室と衆人環視のなか、むごたらしい殺人事件が相次いで起こります。謎解明につながるとみられる小さな島を、主人公蓑浦金之助(みのうらきんのすけ)と年長の友人にして蓑浦を内心恋い慕う同性愛者の諸戸道雄(もろとみちお)がふたりして訪れますが、諸戸は悪魔のような島の住人によって土蔵に監禁されてしまうのでした。蓑浦は心細い思いを抱きながら友人奪還をひとり画策していきます。“当時の経験から”うんぬんというのは、この話が最初から最後まで主人公の回想形式を取っているからです。


 愛する者を殺され、知人を救えず見殺しにし、忌わしい殺人をさらに幾度も目の当たりにしたあげくに、見ず知らずの土地で孤独な逃亡生活を余儀なくされる。誰が味方で誰が敵やらわからぬ中で、手ぬぐいで顔を隠し、夜陰に乗じて悪鬼の館に潜入せねばならぬ。危機また危機の連続です。やや女性的な気質を内に秘めた都会育ちの男なのですが、しかしそのうち、肝がどんどん据わってきて大胆な動作が板に付いてくる、成長していく、それが自分でも分かってくる、そんな踊り場めいた描写なのでした。そこに“味噌”が登場しています。


 旧家の土蔵に座敷牢、ぐるりと囲む高い塀に屋根瓦、湿って冷たいコンクリの壁、地下室、抜け道、変装道具、気球に野獣それから血みどろの刃(やいば)、黒く光る拳銃……、乱歩さんの世界はたくさんの小道具で構成されていますが、よもやその中に“味噌”が顔を覗かせるとは想像もしませんでした。


 作者も読者も展開を追って走るの精一杯であって、食事の仔細に目を細めたりそれを談じたりはしないもの。まして調味料にまで気持ちを注ぐ余裕はない、味噌や醤油とは無縁の世界と思っていたのです。 恋する人と思いがけず街角で出くわしたみたいで、ちょっとドキドキしました。


 以前読んだ小冊子によれば、味噌のなかには血管の収縮をブロックして高血圧を防止する成分が入っているらしい。干し魚のカルシウムと味噌の成分がうまく作用して男のパニックを沈静化させている、と解釈するのは飛躍が過ぎるでしょうか。


 医学的にどのような役割を果たしたかはさて置き、ここでの味噌は一皮剥けて逞しくなった男の心持ちとは確かに連動していて“妙に晴ればれした”ところがあります。情念の噴出や決壊をそっと抑制して内観をうながし、静かでさらさらした時間を醸成していく。どうやら味噌にはそのような効用が物語のうえで期待されている。実際どうでしょう、“えたいの知れぬ干し魚”だけでは男の精神はすさむばかりで支え切れなかったに違いない。悪くない味噌の登用だったと思うのです。


 ごちそうさまでした、乱歩さん、面白かったですよ。

 
 往時の無頓着な世相を反映して乱暴この上ない題材が選ばれ、遠慮の微塵もない黒い笑いにまみれた場面が連綿と続いていく、そんな猟奇小説です。昨今の過剰な表現規制などを思うと、いつか絶版になるような気が致します。

 原初的で毒々しい恐怖と笑いを、けしからん、配慮が足らないと切除するなりフタなりをしてしまえば、創作の世界の地平はなるほどすっきりするかもしれない。けれど、意見を交わすことが出来る“開かれた闘技場”が失われていき、結果的にこれから育っていく若者のこころを未成熟にしないか、硬直させないかと僕はすこし心配しています。


 こういう本は何とか生き残ってもらいたい。人間の本質を鋭く突いた内容ともなっていて、興味深い、嬉しい時間となりました。



(*1):「孤島の鬼」 江戸川乱歩 初出は大衆雑誌「朝日」で一年間に渡る連載。表題にはいつも通り連載開始の1929(昭和4)年を入れた。手元にあるのは東京創元社の推理文庫 2010年の30版。引用はそれの283頁。最上段の画像もその中からで、連載当時の扉絵。同182頁より。竹中栄太郎さんの筆による。 

2011年1月8日土曜日

楊逸「獅子頭(シーズトウ)」(2010)~むやみに箸でかき混ぜた~



「ママと、あの、あの田所さんと、食事するのか?」(中略)

「するよ。よく一緒に食べに行こうよって誘われるけど。

僕も祖母(ばあ)ちゃんも断ってるの」

「へえ、すると、ママと田所さん、二人で食事?」

「そうだな。二人で行ってるんじゃない?」

鶏肉を頬張っている口から、若干曖昧になった言葉を出した。

 二順は顔を強張らせた。味噌汁のお椀を持ち上げ、むやみに

箸でかき混ぜた。白い豆腐が幾つも、平たく漂うわかめをかき分け、

わきあがった。それを唇も舌も経由させず、まっすぐ喉に注ぎこんだ。(*1)


楊逸(ヤンイー)さんの「獅子頭(シーズトウ)」からの一節です。2010年の2月より朝日新聞で連載されている小説ですが、ごめんなさい、僕はあまり熱心な読者ではありませんでした。ですから、この物語がどのような輪郭を持っているか、語る資格を全く持ちません。話せるのはこの回、それだけです。


中央にぽんと置かれた挿画に朱塗りの椀があり、白と深いみどり色の平行四辺形が薄茶の汁に浮いています。幕を下ろした後の舞台に落ちたまま捨て置かれた紙製の雪みたいに見えて、やや淋しげな風情です。ああ、豆腐の味噌汁だ。磁石に引き寄せられる砂鉄のようになって文字を追いました。実に細やかな描写がそこにあって、思わず溜め息が出ました。


二順(アーシュンと読むようです)という名の父親が、泊まりに来た息子の涼太のために夕食をこしらえます。めったに作らない純和風の献立です。涼太は喜んで箸を伸ばしていく。まだまだ子どもなのです。父親は息子の母親、どうやら別れた妻のことが気になり、口にしづらい質問をおずおずと切り出していくのでした。上ずる声の感じから父親の気持ちを酌み、息子は曖昧ながらも返答していく、そんな情景です。


焦り、震える胸中を代弁するように味噌汁の椀のなかで小型の嵐が突如発生し、具材がぐるぐる逆巻いています。味わい噛み締める余裕をもはや失くし、ぬるい液体がむなしく喉を駆け下っていく。その感じを僕たちはすっかり幻視、幻覚して、一瞬でこの男のやるせなさ、寂しさ、いくらかの嫉妬を自分のものとして深く共振するに至ります。


「やきもちを焼いているんでしょう?」

「やきもち?」

 慌てた二順は、手元にあった雑巾で鼻を拭いた。

「祖母ちゃんが言ってたよ。田所の話をしたら、

パパがやきもちを焼くかもよ、ってさ」

 涼太は得意げな表情で、両手で味噌汁のお椀を持ち上げ

ながらも、食べる素振りもなく、目をじっと二順の顔に据える。

 全くワンパクで賢くて困った子だ。二順は味噌汁のお椀で

顔を隠し、息子の視線から逃げた。(*1)


顔の前まで掲げ持たれる味噌汁の椀。具材を箸で口腔内へ導く間、口もとから鼻、目元までの表情を覆い、向き合う家族、恋人からの視線を避けて、魂の個室を一瞬だけ創出していく。その特質を見事にとらえ切った描写です。これは素敵過ぎます、唸るしかない。楊逸さん、おそれいりました。


ものを食べるという行為のいちいちでここまで踏み込んだものがあっては、きっと疲労困憊しちゃって料理の半分も喉を通らないでしょう。


けど、ときにはこういう時間、魂と料理が肌寄せ合うような得難い時間が人生にはめぐって来てもらいたい、そう心から願います。



どうか素晴らしい夕食を、そして、幸せな朝食を。

いい一日を、やさしい一瞬を。


(*1): 「獅子頭(シーズトウ)」 楊逸 2010 第254回より 私が読んだのは2010年12月29日の朝刊18面でしたが、大都市圏では夕刊に載っているようです。もしかしたら掲載日もずれている可能性があります。イラストは挿画を担当しておられる佐々木悟郎さんのもので、この回を飾っていたものです。旨味の利いた、美味しい絵ですね。ごちそうさまでした!

2010年12月27日月曜日

吉行淳之介「怖ろしい場所」(1975)~いいことがあるの~




 朝飯は茶の間に用意されていた。味噌汁のほかに、生卵が

一個と焼海苔が添えてあるというような、当たり前の食事である。
 
最初の日は、女が傍にいて飯のおかわりをよそってくれた。

薄い白い膜のかかっているようにみえる眼で、黙ってじっと

羽山を見ている。(中略) 十日ほど経った朝、茶の間に降りてゆくと、

卓袱台(ちゃぶだい)に茶碗が二つと吸物椀が二つずつ置いてあった。

箸を見ると、一つは羽山の使いつけのものである。

「今朝は、あたしもご一緒しますわ」

と、女が言った。(中略) 不美人とはいえない。むしろ目鼻立ちは

整っているといってよい。ただ、全体が澱んでいる。

「よろしいでしょう」

念を押すように、女は言って、卓袱台の前に座った。吸物椀をとり

上げて、ゆっくりと味噌汁をよそった。
 
薄く切った四、五片の胡瓜(きゅうり)が、味噌汁の上に浮かんで

いる。胡瓜の味噌汁を食べるのは、はじめてのことではない。

冬瓜(とうがん)のようなはかない味がする。

「夏のあいだに、一度はこれを食べておかなくてはいけないわ」
 
椀を口の高さに持ち上げ、湯気のむこうで細く眼を光らせて、女は言う。

「なぜです」

「こうしておけば、いいことがあるの」

初耳のことだったが、どこかの地方での習慣かもしれない。

「いいことって、どういう」

「…………」

「つまり、夏負けしない、とかいうようなことでしょう」

「それもあるけど、いいことが……。だから、今朝は

ご一緒させていただいたのよ」

厭な予感がしてくる。(*1)


ちょうど厄年といいますから、42歳になったのらしい“羽山”という小説家が主人公です。夜の銀座をそぞろ歩き、面貌、性格の異なる女性たちを花に見立てて蝶みたいに翔んで回る。吉行さんらしい元気なお話ですね。「やっぱり、女とのつき合いは、ほどの良いのが結局のところは楽だ」(*6)と考え、「稀に、両方の心に相手にたいする興味が動くことがある。そういうとき、その女にかかわり合いを持つとどうなるか、だいたい見当が付く」(*7)。
 

情が移っていくことを警戒して「ニヒルを決め込む」(*4)ことに決め、「女の部屋に入ったことがない」(*3) 。「これまでは、おおむね無難に過ごしてきた」(*7)──そんな男が羽山です。「部屋には、台所があるし、その女の生活している日常的な気配が漂っている。そういうものは沢山だ」(*3)そうです。末尾の解説によれば、わが国を代表する経済紙を飾った連載小説だとか。時代だな、と思います。


物語自体は巧妙な造りをしていて楽しく読み終えました。上記に引いたのは羽山が小説家に転進するずっと前の若い時分、民家の二階に下宿していた折の回想です。大家は羽山と同年輩のおんなで、一階に独りで寝起きしています。それが女郎蜘蛛のようにして初心(うぶ)な羽山にずり寄っていく。ぼわぼわと妖しげな光を放つ“食べもの”が続々と給仕されていき、笑えるけども実に怖い描写になっている。


恋情や欲情に付随して“食べもの”が面持ちを変えていくことは往々にしてあり、卑近な例をあげれば手作りのケーキやチョコレート菓子、弁当が極端な変幻を遂げることがありますが、これをもっとエスカレートさせた展開が羽山を襲撃して大いに笑わせてくれる。最後まで僕は物語世界に踏み込めず、男たちや彼らと関係を持つおんなたちに気持ちを預けることはならなかったけれど、“食べもの”の、さらには“味噌汁”の描かれ方はなかなかの味があり感心することしきりでした。 “こころ”と直結していて堂々たる面立ちです。


こんな場面もあります。こちらは現代(七十年代)の東京。


「とにかく、めしを食いながら話を聞くことにしよう」

二人は、銀座にある馴染みの関西料理店に入っていった。

日本料理のコースは、つき出し、刺身、吸物、焼物……、

とすすんでゆく。刺身を食べおわったとき、川田が註文した。

「赤だしをください」

「それは最後でいいんじゃないか。白子の白みそ椀くらいが

いいとおもうがなあ」

羽山がそう言うと、川田は首を横に振って、

「でも、赤だし」

「料理の順序はどうでもいいようなものだけどね、

なぜ赤だしを急ぐんだ」

羽山はふしぎな気がして、たずねた。

「はやくまともな味噌汁が飲みたいんだ」

「なぜ」

川田は言い淀んだが、

「今朝、ひどい味噌汁を飲まされてねえ」

「どんな」

「どんなって、まるで塩水を生ぬるくしたみたいな……」(*2)


経理一切を任している会計士にして親友である川田が、会食の席で羽山に対しこっそり打ち明けています。薄気味の悪い味噌汁を毎朝飲まされ続けている事実。浮気を疑う川田の妻がじめじめと変調していき、日ごと夜毎の料理がグロテスクさを増していくのです。とても怖くて忘れられない味噌汁がざぶりと盛られ、ゆらゆらの湯気の向こうでおんなの瞳がじっと男を見据えている。


「不機嫌な気分で料理したものは不味い」(*5)ものと羽山は論理的に解析してみせるのだけど、僕ら読者とすればもう理屈で納得出来るものじゃありません。口腔や鼻孔に気色の悪い違和感がむにゅむにゅと広がって、ひいっ、げえっ、と悲鳴も洩れる瞬間です。なんとも凄絶な味噌汁があったものです。




人が人を愛することは尊いことですが、時に盲動が加速して止めようがなくなります。その逆もしかり。人が人を疑いはじめると五感が狂っておかしなことが続発する。確かにそうかもしれませんね。いわんや殺気立ち、忙殺される年末においてをや。お互い気を付けましょう。


これが今年の締め括りかしらん。皆さん、どうか善い年をお迎えください。こころ穏やかに、新しい真白い蝋燭のぼうっと灯るみたいにしゃんと立って、キンと冷え込む夜気のなかを元気にしっかりお歩きください。滑って転ばないように。


来年も楽しく語り合えることを、心から願っております。



(*1):「怖ろしい場所」 吉行淳之介 初出は「日本経済新聞」(夕刊)の連載小説 1975(昭和50年)1~8月 手元にあるのは新潮文庫版 6刷 1979のもの。以下の頁数はこれによる。70-72頁
(*2):96-97頁
(*3):208頁
(*4):222頁
(*5):307頁
(*6):315頁
(*7):214頁

2010年11月26日金曜日

アンジェラ・カーター「花火 九つの冒瀆的な物語」(1987)~やりこなした~ 



わたしが帰化した街、トウキョウ。四年前はじめて訪れたわたしは、

二年間を新宿にある木と紙でできた家で暮らした。(中略)

わたしは米屋から米を買い、銭湯に通って、三十人もの女たちが

異国の裸身をつつましやかに見てみぬふりをするなかで、体を洗った。

お金があるときは刺身を、ないときは豆腐を食べ、いつも味噌汁を

のんだ。つまりわたしは、すべてをやりこなした。(*1)


 新聞の書評欄を見て以来、気にかかって仕方がなかった本を旅先の書店で見つけました。1992年に51歳で世を去ったイギリスの作家アンジェラ・カーター Angela Carterさんの短編集(*2)で、収められた九つの作品中三つが日本を舞台にしています。前述のリシャール・コラスさんの本がすこぶる面白かったものだから、ちょっと図に乗っているところもあるのです。海外文学での醤油、味噌の役割が気になりそわそわして頁をめくった訳なのでした。

 結論から言えば、印象深い記述は見当たらない。官能レベルでも文化レベルでも意味ありげに発信されているものは特段なくって、恋人とふたりして花火大会見物のため東京の郊外におもむいた際、道脇の屋台で焼かれていたイカを立ち食いする。その時塗られて匂った醤油の香味について、至極あっさりと述べられているだけなのです。


 小道に沿って屋台が出ていて、シャツを脱いで、顔に汗よけの

鉢巻きを巻いた料理人たちが、炭火の上でトウモロコシやイカを

焼いていた。私たちは串に刺したイカを買い、歩きながら食べた。

醤油をつけて焼いたもので、とても美味しかった。(*4)          


 ちょっと拍子抜けもしたのだけれど、巻末の翻訳者榎本義子さんによる解説を読んで得心するものがありました。カーターさんは1969年の秋以来、通算2年に渡って日本に滞在しているのですが、榎本さんは当時彼女が雑誌等に寄稿した小文などを丁寧にひもときながら、徐々に人間として、大人として、なにより作家として覚醒していく様子をしめしていくのです。とっても興味深い内容でした。


 冒頭取り上げた文章もそこで紹介された“エッセイ”の一部です。思いつくまま書かれたような言葉はハミングするようにゆったりして、目で追っていて本当に気持ちがいいのだけれど、ご覧の通り可愛らしい達成感とともに味噌汁がちょこんと顔を覗かせている。


 日本という不思議な国、カーターさんの表現を借りれば「まったく、完全に違うのです。すべてが同じですが、すべてが異なる」そんな世界に“最初に”踏み入れた際にそれなりの圧迫があったことがこの一節からだけでも読み取れますし、一種の関門として味噌汁は役割を果たしていたことは明白です。「いつも味噌汁をのんで」いくことが心理的に「帰化」する上で欠かせないものであり、日本で生きる印象を相手に説く上で口にするに値する存在なのだとよくよく認識してもいる。


 小説世界からそんな味噌や醤油が消失した経緯については勝手に類推するしかないのですが、二年間の滞在中、小説に登場したようなお相手も実際いたらしい。もはや彼女が目を凝らして覗き込む対象は日本という国全般ではなかったようなのです。数ミリ先の至近距離にあった。舞台上の立ち位置を示す“バミリ”となるのは直接的に恋人の皮膚や表情であり、彼の言動や物腰しであり、捕縛し続ける厄介な因習であったりするのであって躊躇する間はもうどこにもなく、血と涙を流し、唾や体液にまみれる肉弾戦の局面が訪れていた。


 耳奥にきりりきりりと弦の残響がのたうつような胸苦しい余韻に襲われる幕引きが彼女の小説にはしばしばなのだけど、同時に奇妙な安堵感も備わっているのはナゼなんだろうと考えてみると、それは、彼女が曖昧模糊たる魂の緩衝地帯を相当前に“横断し終えていた”からでしょうね。異邦人として外周に追いやられるのではなく、自分を世界の中心にしかと据えて、すべてを再構築していく。そんな悠々たる気概が伝わってきて気持ちがいいし、勇気付けられもするのです。地に下ろされた両足がぶれないことで、境界はすっかり消失されて見える。



 世界を分断して見える“境界杭”(醤油や味噌によって表されがちな)は、もうずっと遥か後方にあって意味のないものだった。隠喩に頼って言葉尻を合わせる段階はとうに過ぎていた。味噌汁椀の挟み置かれる隙間はどこにも残されていなかったし、醤油にしたって今さら取り上げるに値しないのでした。それはそれで気持ちのよい、いっそ清々しい(表現上の)訣別に思えて否定のしようがない、自律した素晴らしい世界としか言いようがない。


 お金のある無しに関わらず彼女の身近にあった味噌汁を思い描くとき、そしてそれを日々飲み干し血肉と化して世界と拮抗し、姿勢を整えながら勇猛果敢に躍進を続けたひとりの女性の一生に想いを馳せるとき、嬉しくって微笑みを禁じえません。魂に通じる素敵な味噌汁がここにはちゃんと記され、そして足音も立てずにそっと降壇している。気負いのない、分別のあるものが寄り添い見守っている。

 
 訳者の榎本さんが紹介してくれているカーターさんのエッセイは一部分に過ぎません。ウェブで蔵書検索をかけたら幸運にも見つかりましたので、今度のお休みにはひさしぶりに図書館まで足を運ぼうかと考えているところです。きっと元気がもらえそう。


(*1):「わたしの新宿」 アンジェラ・カーター 「文芸春秋」1974年5月号所載とのこと。うーん、全文を通して読むのが楽しみ。
(*2):「花火 九つの冒瀆的な物語」 アンジェラ・カーター 榎本義子訳 アイシーメディックス 2010 原著は1987年に出版されている。表題の年数はこれに由る。

購入してから気付いたのだけど、彼女の本は以前読んだことがありました。“青ひげ”などのおとぎ話を骨格にして描いたもの(*3)で、相当面食らったところがありました。現実と空想が波状になって仕掛けて来て、なんて自由な作風だろうと驚くと共に、木偶(でく)の坊で融通の利かない僕は途方に暮れて指が凍り付いた。ファンの方にはごめんなさい、それが本当のところです。その分今度の本で彼女がより現実の世界、それも日本と深く切り結んでいるらしいのが強く惹かれたし、考えさせられました。途方もなく奥行きのある人だったんですね。

決して読みやすい文章ではないのだけれど、その分、こころの奥の奥をまんま差し出されているような、それとも皮膚の内側に隠した温かい闇夜にすっぽり取り込まれているような居心地の良さが感じられて大そう面白かったし、有り難い感じを持ちました。肝胆(かんたん)相照らす類縁の友と、しっぽりお茶してるみたいな嬉しさがずっと僕のなかに有り続けました。彼女(等身大の自画像と思われる)の眼差しや見解に幾度も頷かされ、周囲の明度や冴度がすっかり上がったような真新しい気分になっていく。魅了されるひとが存外多いのも頷かされるところがあります。見事です、素敵すぎますね。カッコいい!
(*3):「血染めの部屋」 アンジェラ・カーター 富士川義之訳 筑摩書房  1999
(*4):「日本の思い出」 9頁

2010年11月22日月曜日

リシャール・コラス「遥かなる航跡 La Trance」(2006)~美しいと思った~



 ぼくは蓋を取ろうとした。蓋は、椀から離れようとしなかった。

片手で椀を持って、少し強く引っ張った。それでもダメだった。

A夫人が箸を置き、ぼくに何か言おうとして口を開けたまさに

そのとき、椀の中身──茶色の液体に、豆腐が漂っていた──が

テーブルにこぼれ、ぼくのズボンにしたたり落ち、ぼくの足は

火傷したように熱く、何かわからぬ緑の食材の小片がぼくの

ご飯茶碗に飛び込んだ。A夫人が急いで片づけているあいだ、

ぼくはただ茫然と恥じ入っていた。(*1)


 小学校と道路挟んで斜向いに、ちいさな駄菓子屋がありました。幅深さ共に1メートル程の小川が流れており、それを跨いで建っている。古い木材を寄せ集めたさびれた風情で、ちょっと壁も傾(かし)いでいたように記憶しています。


 窓のない内部は洞窟のようで終日薄暗く、ぶらさがった電灯の光に赤だの黄色だのに着色された菓子類、独楽(こま)やらゴム動力の玩具類やらがぼうっと浮かび上がる様はなんとも怪しげで胸躍らせるものがありました。休日ともなれば数枚の10円硬貨をポケットに入れて訪ねるのが僕と兄弟、友人の過ごし方の定番でした。


 腰の曲ったおじいさんにヨイショと突き出された“ところてん”が、曇ったガラス器に涼しげにしなを作ります。酢醤油をかけ一本箸でチュルチュルすすりながら、店奥の土間に置かれた粗末なテーブルを小さな頭が囲んでいく。表紙がよれ裏表紙は剥がれして、なんとなく悪徳と禁断の薫りを放って手招きするような「少年マガジン」を回し見するためです。裸女と怪物が絡み合う海外のSFパルプ雑誌のきわどい表紙画をぞろり並べたカラー口絵や、凄惨な飢餓状態を背景にした「アシュラ」が目に焼きついて今でもはっきり思い出されます。


 そこで“ビニール風船”と呼ばれる玩具も売られていました。なにやら刺激臭がプンと鼻を突くセメダイン状の半固体が詰まった金属製のチューブと、爪楊枝(つまようじ)ほどにも短く硬いストローが組みになったものです。ストローの先に樹脂を丸め付けて反対側から息を送ると風船となって膨らんでいく。陽の光に透かし見るそれは七色に妖しく輝き、また、しゃぼん玉と違っていつまでも割れないでいてくれるのが楽しくて子供心に魅了されたものです。でも、最後はつぶれていく。ゆったりといびつな形で萎んでいく様子は妙に淋しかった。


 リシャール・コラスさんの小説「遥かなる航跡 La Trance」を読み終えて余韻にひたる中で、急に記憶の底からビニール風船の壊れる様が浮上してきました。フランス生まれで五十をとうに過ぎた初老の男が、十八歳の時に訪れた“1972年の日本の夏”を記憶の淵からすくい上げて反芻していく。そんな物語の構成に由来しているのです。過去をたぐり寄せるベクトルが読み手の僕に影響を及ぼしている。


 銀座の一等地に店舗兼事務所を構える化粧品会社の社長職を担う、そんな風格ある男の脳裏に無垢でまぶしい風景が次から次に灯影されていくのだけど、やがて甘く切ないスライドショーに破壊と悲哀をともなう情景が合流していく。「どこにでもあるような、成就せずに終わった恋愛の、陳腐な物語なのではないか」という男の呑気な総括に対して、記憶は牙をむいて襲いかかって主人公を血だらけにしていく。


 あの時、1972年当時、排気ガスのいがらっぽい空気に覆われた町も、扇風機と団扇と麦茶だけしかないささやかな涼も、陽炎が渦巻き蝉の声が鳴り響くばかりで悪夢そのままの路地も確かにありました。小説にある通りです。カメラ片手に各地を転々とする金髪の若者と同じ時分、同じ真夏日に照射された僕自身の光景が甦って止まらない。それも、どちらと言えば破壊と悲哀をともなうものとして。


 トラックの荷台に山と積んで売りに来るのを追いかけ、渡されたものを両手で懸命に抱えて家に戻る途中、つい手を滑らせてしまう。一瞬後には路上に赤々と砕け散った西瓜の、水っぽい臭いや指先に残されたつるつるの感触なんかも映画のワンシーンみたいに思い出してしまう。彼の夏は、僕の夏でもありました。


 子どもは、若者は破壊者です。思えばずいぶん沢山のものを驚きや感動と共に見つめ、そしてずいぶんと壊したり飼い殺したりして過ごして来ました。ささやかで可愛らしい“惨劇の連鎖”がナベ底にできた焦げみたいとなって記憶に留まり、生きていくのに必要な力を育ててくれた感じもします。ものの哀れや、生命のはかなさにやがて気付かせてくれた。語弊があるかもしれないけど、成長に破壊は不可避なんでしょうね。


 読書であれ観劇であれ送り手と受け手との組み合わせが違えば、巻き起こされる感動の質や量は千変万化します。“万人向け”のものなど一つとて無い訳ですが、僕にはなかなかの化学反応がこの本にはありました。しっくりきて良い物語でしたね。ある程度の年齢以降の男には、多少なりとも共振して胸に来るものがあるのじゃないかな。


 日本通の筆者ならではの細かな日常描写が秀抜で見事なのだけど、いちいちの食事に関しての記述もまたなんともリアルで目の前に料理が浮かび上がります。過去と現在とが映画で言うところのカットバック手法で交互に描かれていきますが、そのふたつの時空間にそれはそれはたくさんの“みそ汁”が並んで壮観でした。これは小説の表現上、とてもめずらしいことで特筆すべきです。


 過去(1972年)においては渡航中に知り合ったフライトアテンダントの芦屋の実家を訪ね「野菜の天ぷらとみそ汁」を馳走になり、長距離バスで隣り合わせになったアメリカ帰りの男の実家がある瀬戸内の島では、海に潜って伊勢エビを捕り、「頭はみそ汁」のだしに使われます。連絡船に乗りそびれて夜明けを待った神社では、親切な神主に「じゃがいもと細切れ肉の浮かぶみそ汁」を振る舞われもします。

 現代のパートにおいても同様です。ガストで和食定を注文し、「塩鮭に温泉卵、不可欠の納豆、みそ汁」が並ぶのを淡々と食していくのだったし、函館の妻の実家に同行すれば「カニを殻ごとハサミで切って投げ入れたみそ鍋」が振舞われる。鎌倉にある自宅の描写はたとえばこんな具合で、実にしっとりと湿りを帯びている。


 食堂(ダイニング)に入ると、みそ汁の匂いが漂っていた。

妻は、食卓に和風の朝食の準備をしてあった。皿のなかの

新鮮な卵の殻が和紙の照明の光で輝き、海苔が小皿に載せられ、

食堂のランプは醤油の水たまりに映り、ご飯の入った茶碗から

グルテンのちょっとむっとする匂いが立ち上っていた。小鉢には

納豆、別の皿にはタクアンが数切れ、きゅうりの緑と対照をなして

いた。美しいと思った。(中略)決まって同じようにした。

儀式みたいなものなのだ。朝早いのに、妻がわざわざ和風の

朝食を準備してくれたことに心打たれていた。(*2)


 冒頭の場面は羽田空港に降り立って直ぐの、ホームステイ先の家で最初に出された和食の描写です。料理も器も何がなんだか皆目わからず動転し、みそ汁椀をぶちまけてしまった恥ずかしい場面なのですが、頁を繰るにつれて異邦人としての目線がしとしとと溶け落ちていき、立ち居振る舞いがすっかり板に付いていくのが感じ取れる。儀式を忠実にこなし、日本人以上にらしく振る舞っていく。主人公がこの地にどれだけ馴染み、どれだけ日常化させているかが食事の光景を通じて語られていくのです。


 そのようにして世界を認識し無理なく触れ合っているはずの男に、世界は、いや日本は冷徹な現実を突きつけ足払いを喰らわせる。みそ汁は往々にして“境界杭”として文学上現れるものですが、それをまたいで内に入り、十分過ぎるほど世界に馴染んで機能しているという男の自負がみるみる足元から崩壊していくのでした。舞台中央にいた主人公を奈落に落としこむ暗い穴が、がっと開く仕掛けが潜んでいる。その位置を指し示すとても怖い“バミリ”としてみそ汁が登用されて見えます。


 これは何も異国で暮らす上で感じる恐怖に限らない。生きつづける者の大概の足元には板の継ぎ目がたくさんあり、ぎしぎしと鳴り続けている。恋情、家庭、仕事、日常の舞台で生き生きと活動していた矢先に、ぽかりと穴が穿たれ呑み込まれていく予兆が僕たちを慄(おのの)かせます。多面体に、はたまた多層的に生きている現代人の誰をも襲う乖離感、虚脱感、疎外感といったものを描いていて、しみじみと考えさせられるものがありました。(そういうのがあればこそ、人生は味わい深いのだけどね)


 結果的にはなんとも切ないみそ汁になってしまいましたが、“こころ”が深く寄り添って悪くない風合であったように思います。


 ごちそうさまでした、コラスさん。

 ありがとう、いいお味でした。


(*1):「遥かなる航跡 La Trance」リシャール・コラス Richard Collasse 堀内ゆかり訳 集英社インターナショナル 2006 131頁 
(*2):102頁

2010年10月14日木曜日

みやわき心太郎「白い日日」(1972)~三十四(みそし)る~


  狭い電話交換室でひとり機械に向かっている章子

  その肩をポンと叩く者あり。三歳年長の同僚が箱を差し出して

同僚「おそまきながら お誕生日おめでとうござんす」

章子「(包みを受け取り)まあ ありがとう」

同僚「そうスンナリ喜ばないでよ 恐怖の三十(サント)リーオールドよォ~~」

章子「あ~~っ ひど~~いん」

同僚「ウイヒヒヒヒ」

章子「いいわ 来年三十四(みそし)るプレゼントしてやるから」

同僚「(笑顔で部屋を出ていく)なんのなんの」

章子「ありがとう……………」

  ドアが音をたてて閉まる。背を向けて押しだまる章子

章子「……… ……… ………」(*1)


 人生には思いがけない出会いがあります。その出会いを通じて未知の本や映画、音楽、風景と見(まみ)えることは実に嬉しく愉しいこと。人からひとへと敬愛するものが伝播していく、そこには生きていることの手応えがあります。

 偶然なのか必然なのか知り合えたひとがいて、彼はある著名な“作り手”のアシスタントとして活躍された方なのでしたが(前にも書きましたね)、思い切ってお家に遊びに行かせてもらった時に教わったのが“みやわき心太郎(しんたろう)”さんでした。

 僕のこれまでの道のりに、みやわきさんは居ないに等しかった。失礼とは思うけど本当のことです。書棚から出していただいた単行本、「花嫁」(*2)だったか「あたたかい朝」(*3)だったかの表紙や最初の数カットを見ただけで、繊細な息づきや天才肌の筆づかいがにわかに感じられて強い焦りを覚えました。この年齢まで知らずにいた、読まずにいたことに対する焦りです。

 駅前や繁華街を流れる雑踏や、絵画教室に集い素描に励む若者たち。背景描写に過ぎないそんなひとりひとりに生命が吹き込まれて見えます。また、カメラに相当する目線が俯瞰気味に主人公を眺めたり、背後にぐるり回ってみたり、足元に降りて地面から見上げるなど自在にコマが展開していながら、いささかも絵に狂いが生じていない。さりげなさを装いながら人物の心象をそうっと託した深慮あふれた構図が続きます。上手だな、凄いな。唖然として見惚れてしまいました。

 原作者を別に置いて作画のみを担当された(扇情的なタイトルの)作品がみやわきさんの代表作にあり、それをもって頑迷に彼の全作品を遠ざけていた自分を恥じました。帰宅後すぐに古書店やオークションを通じ、入手可能なだけの単行本を探し求めた次第です。


 「白い日日」と題された28頁の小編は三十歳になったばかりの独身女性の話です。故郷を強引に飛び出して今はアパート住まい。仕事は会社の電話交換手で、騒音を避けるために重い扉に閉ざされた小部屋に朝から晩までこもって過ごしています。外からの電話を取り次ぐだけで飛ぶように時間が過ぎていく。

 通勤中の彼女を見初める男が現れます。堰き止めていたこころが決壊して寄り添う仲となり、やがて結婚に至ります。空しい時間からようやく解放されるのです。ところが、雑誌編集に携わる働き盛りの夫の帰宅は真夜中になったり泊り込みが常であり、ぽつねんと捨て置かれた章子の状況は形を変えはしても実質は同じだった。

 ある日、風邪をこじらせ早帰りした夫に対して章子は医者を呼び、自身もかいがいしく介抱に努めます。髭(ひげ)を剃るのを手伝い、果物の皮を剥いて食べさせる毎日。診断によれば初期段階の肺炎で数日もすれば快復するはず、なのに、不思議と夫の症状は足踏みを繰り返します。

 処方された薬を章子が隠したのです。空白の日日を埋め戻すために。重篤な状態になるまで二ヶ月間も放置され、遂に夫は絶命します。


 三十歳を過ぎた辺りで肉体的にも精神的にもいよいよ円熟し、花弁を思い切り開くようにして僕たち男を外貌、内実ともに圧倒しまくる現代女性と比べると、章子というおんなはずいぶんと弱々しく自律していない感じがします。隔世の感につくづく襲われる物語なわけですが、男とおんなという枠を外せばどうでしょう。“草食系男子”を擁する当世にも十分に通じる気配があります。このような孤絶感や虚しさは誰の胸にも幾度か去来するものだし、喉を掻きむしられるような“白い日日”は僕の記憶の底に潜んでいる。都会に住まう地方出身者の懊悩や内省ぶりが、実にたよやかに等身大にて描かれていて、あっさり気持ちを持っていかれました。軽々と時代を超えて胸に迫りくる、その普遍性がすばらしい。

 上に掲げた場面は年齢を重ねていくことの不安、疎外感を的確に描いてみせた幕開け直ぐの描写です。“三十四(みそし)る”と発した瞬間に章子というおんなの脳裏に何が瞬(またた)いたのか、その響きはプラスマイナスどちらに針を振ったのか、見た限りにおいては分かりません。三十路(みそじ)と“みそしる”とを重ねる単純な言葉遊びです。気の置けないおんな同士の洒落の応酬であり、特段の意味は含んでいないかもしれない。

 ただ、帰宅後ひとりで呷るしかない酒を贈り贈られ、祝いの品に到底ふさわしくない“みそしる”を(たとえ冗談であったにせよ)口にする独身同士なのです。その乾燥した笑いを交えた応酬は硬直して型にはまってしまった章子の日常を裏打ちしていて、大いに憐れみを誘って見える。実際、押し寄せる無言の波に章子はひとり溺れ沈んでいくようであり、直前に為された会話がなんとも言い難い寂々たる音調となって、交換室の狭い空間でわんわんと残響していくようなコマが連なっていく。

 ですから、ここでの“みそしる”にはややマイナスのイメージが付されている。嘆いているのではありません。うまく魂に喰い込んでいる、役どころとして決して悪くないと思うのです。哀しくて存在感のある“みそしる”が刻まれているのであって、こんな登用は誰でもが出来るものではない。みやわきさんらしい発想だと唸るのです。

 人生の機微を見つめ続け、丁寧に、とても大事にひとコマ、ひとコマを描いていかれた。奇抜さやはったりが無く、仰天させる見開きや突き抜けたものは見当たらないのだけど、上質の和菓子か冷酒をいただいたような充ち足りた読後感がありました。“三十四(みそし)る”に代表される日常の光景の、幸福と不幸せが混濁して同居するような一瞬をさらさらと紙面に残していった行為は、一見のどかに見えながら、自律した大人のきびしいまなざしに貫かれていました。諭されるものがとても多い、骨の通った作風でした。

 同時代的に追いかけることはありませんでしたが、不思議な縁で紹介されてこの時期に深く読み進められたことを感謝しつつ、到底届かない言葉ながら贈らせてもらいます。



みやわきさん、素敵な物語をたくさん有り難うございました。今度は僕が紹介する番ですね。「良い本があるよ、もう君は読んだかな」、そうやって若いひとに薦めていこう。どうぞゆっくりとお休みください。


(*1):「白い日日」 みやわき心太郎 1972 初出「トップコミック」
  「潮風のルフラン」道出版 2004 所載  下段のコマも同作から
(*2):「花嫁」 みやわき心太郎 朝日ソノラマ 1976
(*3):「あたたかい朝」 みやわき心太郎 朝日ソノラマ 1977

2010年9月21日火曜日

山本むつみ「ゲゲゲの女房」(2010)~ごちそうさまでした!~



 翌日の昼、布美枝は味噌汁を用意した。歓声をあげたアシスタント三人に、

いずみが笑顔でいった。

「姉がお昼はみなさんお弁当持参だけん、味噌汁くらい出そうかって」

 しかし、倉田は不意に笑顔を閉じた。そして食後に鍋や食器を下げに

布美枝の元へ来た。

「思い過ごしやったら、すまんのですけど。先生にもさっき仕送りのこと

聞かれたんで。もしボクに気ぃつこて味噌汁作ってくれてはるんやったら、

そんなん、もうええですから。生意気いうようですけど、人の好意に甘え

とった、あかん思てるんです」

 布美枝は首を横に振った。

「気に障ったのならすいません。けど、ちょっと違うんですよ。

私、うちの人のためにやっとるんです。今はアシスタントさんが三人も

おられて、私の出番はないでしょう。何かできることないかなあって考えて、

思いついたのが味噌汁なんです。倉田さんたちが健康で元気でがんばって

くれることが、何よりもうちの人の助けになりますから」
 
 倉田はじっと布美枝を見つめた。それから「ごちそうさまでした!」と、

頭を下げた。

 その数日後、うれしい知らせを豊川と船山が持ってきた。

「悪魔くん」のテレビ放送が決まったのだ。(*1)



 連続ドラマの「ゲゲゲの女房」が幕を降ろします。“生き甲斐”とまで書くと言い過ぎだろうけど、毎日たのしく拝見させてもらいました。


 昨年の今頃になるのですが、このドラマのモデルとなった実際の漫画製作現場に当時おられた方と縁あってお話しする機会に恵まれました。随分可笑しなエピソードを伺ったものでした。そんなことも重なって、個人的に当初から関心がたいへん高かったのです。現実とフィクションを混同してはいけないでしょうが、気軽に見ることは根本的に難しかった。


 独りの闘いがやがてふたりの闘いとなり、耐え切れずに他人を雇い入れてしまって転回を余儀なくされる、空気が変質する。僕たち受け手の目には決して見せないそんな“作り手たち”の苦労の数々を幻視するような得難い会話であったから、悪戯に懐旧するだけの中途半端な描写はきっと哀しいと思って警戒もしていました。自然と目線は厳しくなったと思うのですが、険しい感情は終ぞ起きることなく今日まで至っています。良かった、良かった。




 上の描写は少し前にあった“味噌汁”の情景です。実に象徴的で興味深い登用でしたね。

 家庭のなかに仕事場を持ち込むことで、境界線が失われて表裏(おもてうら)が判然としなくなる。日本のほとんどの会社が、そんな曖昧さを多かれ少なかれ抱いています。厳しさと受容の振り子が絶えず行きつ戻りつして、使う立場の者も使われる身も疲弊させることがしばしばです。“境界の食べもの”であり、「ゲゲゲの女房」においては貧富のバロメーターとして機能もしていた“味噌汁”が、ここに至って大量に作られ振舞われました。内なる結束を促し、気合いを入れていく。唐突ながらも筋のピンと通った“味噌汁”の使われ方はなかなか味わい深いものがありました。


 仕事であれ何であれ特効薬は見当たらない。ささやかな行ないではあるけれども、何もしないよりは良い──そんな地道な“やれる範囲の毎日”を無駄とは思わず、無意味と決め付けず、しかと重ねていくしかない。たかが“味噌汁”、されど“味噌汁”。実際のプロダクションでの慣習であったのか、それとも脚本家の山本むつみさんの創造なのかは分かりませんが、なかなか嬉しい味噌汁の起用でありました。「ごちそうさまでした!」(と、深く頭を下げる)



 書き留めておきたいことがもうひとつ。素晴らしい照明でしたね。スタッフの皆さんのクレジットをいちいち確認はしないでゆるりと過ごす毎日でしたが、時にハッとさせられるような“陽射し”が在りました。久慈和好さんとか竹内信博さん、といったお名前が検索すると出てきました。なんと鮮烈でさわやかな夏の光と影であったか! 生きた木立の影が色濃く人物に落ちて、とても屋内とは思えない光景が幾度もありました。職人技とはこういう一瞬を指すんですねえ。堪能しました。


(*1):「NHK連続テレビ小説 ゲゲゲの女房 下」 第18章 悪魔くん復活 121-122頁原案 武良布枝 脚本 山本むつみ ノベライズ 五十嵐佳子 発行 日本放送出版協会(NHK出版) 写真はNHKのホームページからお借りしました。

2010年9月17日金曜日

米林宏昌「借りぐらしのアリエッティ」(2010)~ビスケット~



 この年齢でそれはないよ、と恥らいつつ、時折、劇場に足を運んではのんびりと極彩色のマンガ映画を楽しんでいます。極端な絵空事にはもはや付いていけなくって、現実に深く拮抗しているものか、発達し続けるテクノロジーが社会や家庭をどう変えていくかをシミュレートする、そんな指先が届きそうな“近しい物語”に限られるのですけどね──。この夏は『借りぐらしのアリエッティ』(*1)と『カラフル』(*2)を観ました。(*3)

 いとけない少年少女のお話で、いずれも身近な日本の風景を舞台に選んでいます。あれこれ語るのは年輩者の役割ではないでしょうから、例によって話題を絞ります。『借りぐらしのアリエッティ』は古い西洋風の家屋の床下に小人の家族がこっそり住み着いていて、夜になると忍び出ては食品や雑貨を盗んでいく、そんな一種のおとぎ話、妖精譚です。

 原作はイギリスの児童文学らしく、Youtubeには海外でドラマ化されたものの一部が載せられていますね。上で“妖精”と書いたのは原作の持つイメージがきっとこの映像に近しいと思うからです。赤毛のちんちくりんな頭とずんぐりした体躯、甲高い声とバタバタした動きは人間ばなれして見える。コロボックル、座敷童(わらし)、キジムナー、そんな感じです。




 映画はそんな奇矯なキャラクターをきれいに捨て去って、寡黙で知的な家長を主軸と為して懸命に団結し、生き残りをかけて手堅い日常を送っている“人間たち”が描かれる。“人間”であれば出逢いもあり、胸の奥につかえて鈍痛を覚える悩みの思いがけぬ吐露だって起きてしまうものだし、密やかな感情の交錯もそっと生じていく流れ。

 重い病気をかかえた少年とそわそわして自立を模索する少女が出逢って、雲母のような薄く儚(はかな)い“きらめき”を反射していきます。大胆この上ない換骨奪胎の演出が面白かったですね。


 悪い意味ではなくって“可笑しさ”のひとつとして脳裏を駆け巡ったのは、彼ら床下の小人たちの“食生活”についてでした。階上のテーブルでは茶碗にごはんが盛られ、また、味噌汁椀も見受けられます。箸を使ってのささやかな食事が淡々と描かれている。

 そのような日本的な食事の“おこぼれ”にあずかっているはずの小人たちの栄養補給の仕方は、どう見ても頑固な洋食主体であって、その段差が僕には相当に意図的に見えたのです。彼らはビスケットを台所からくすねると、それを持ち帰っては苦労してゴツゴツと細かく砕き、ようやっと粉にしてから、どうやらそれをさらに加工してパンか何かに仕上げて主食とするらしい。どうしてまた、そんな回りくどいことを!

 海外の原作を採用したことの歪みにも見えますが、それだけでなくって、わたしたちを取り巻く日本食がにちゃにちゃと粘性が高く、扱いにくいという点もあるやもしれません。実際、日本語のなかの食感に関わる形容で、ベタつく感じを表現するものの数は世界でも稀な多さらしい。(*5)


 ごはん粒など拾おうものなら、カーマインの素敵なワンピースは澱粉でごわごわとなってしまうでしょう。床下の多湿な空間に濡れたものを持ち込みたくない、というのも理に適っている。思考の末に小人達はビスケットに狙いを定め、カサカサと袋をまさぐる階上の物音に耳をそばだてていくのでしょう。

  加えて、いや、実はこっちの方がたぶん本筋なんでしょうけど、納豆や味噌臭い風体で少女が徘徊しては百年の恋も覚めるということじゃあないか。恋情と和食文化とのすれ違いが、意図的にか偶然かは知りませんが二重三重に、けれど、実にさりげなく劇中に起こっているようで、僕は少し面白く思ったのでした。僕たちの胸奥に巣食ったこころの化身のようにアリエッティは見えるのです。



(*1):「借りぐらしのアリエッティ」 監督 米林宏昌 2010  原作はメアリー・ノートン「床下の小人たち」The Borrowers 
(*2):「カラフル」 監督 原恵一 2010 
こちらの映画では「丸大豆しょうゆ」の容器が幾度か目に飛び込んできます。家族の再生を描く物語の常套として台所脇の食卓が登場するのだけど、彼らの背後にある流しの上のちょっとしたスペースに「丸大豆しょうゆ」がふんぞり返って僕たちを睨んでいます。演出の意図は何か、各人各様に受け止めるしかありませんが、のびのびとした風景とはなっていませんね。“しょうゆ”というのはなかなかに重苦しいもので、現実世界の覚醒を後押しするような役回りが多いのですが、ここの“しょうゆ”もそんな負の気配を纏(まと)って見えます。

(*3):マンガという世界は、思えば瑣末な背景描写のいちいちにさえも取捨選択を迫られる、言わば無制限に“決断”を迫られる場であって、作り手の意識や認識がべろりとさらけ出されてしまう仕組みです。カメラでもって現実の空間を掠(かす)め取る、いわゆる通常の映画と比べて随分と“批評的”に成らざるを得ない。(*4)

現在作られているマンガ映画であるならば、それは間違いなくこの時代を僕たちと共に生きている人間の、リアルこの上ない個人的な“世界観”がスクリーンにつぶさに塗布されていくわけで、観客の抱える“世界観”と衝突したり交合(まぐ)わったり、実は相当に激しい時間になっていく。もしも嘲り笑われるとしたら、その対象は表現手段にとどまらず、いきなり作り手の観察眼や見識といった真髄、真価に向けられる。逃げの利かない勝負を迫られているように見えますね。そんな独特の緊迫感が僕を捉えている、そんなところはアリマスね。

(*4):劇画出身の石井隆さんのように全方位的に目線がゆきとどいて統一した世界観を構築できる実写の監督さんもおられるけれど、そういう人はごくごく稀であるように思われます。

(*5):最終的に445語から成るテクスチャー用語リストを得ました。(中略)日本語のテクスチャー表現の最大の特徴は、数が多いことです。海外の同じような研究例では、英語で77語、フランス語で227語、中国語で144語、ドイツ語で105語となっています。これらの研究は、それぞれ調査の時期や方法が異なるので、単純に比較することはできませんが、それにしても、日本語に食感表現が多いということは間違いなさそうです。(中略)日本語のテクスチャー表現には粘りの表現が多くみられます。「にちゃにちゃ」、「ねばねば」、「ねっとり」等、「に」や「ね」で始まる粘りの表現、「ぶるん」、「ぷりぷり」、「ぷるぷる」等、「ぶ」「ぷ」で始まる弾力の表現、また、ぬめりを表現する「つるつる」、「ぬるぬる」等、が多くみられました。これらは他の言語ではあまり数多くみられません。ここには、日本で食べられている食材や、日本人のテクスチャー嗜好が背景にあるのではないかと推測されます。古来、日本人は、もちなど粘りのある食品を好んで食べてきました。納豆、里芋、こんにゃく等、粘り、ぬめり、弾力が特徴の食品も日本人の食卓には数多くあります。

早川文代 (独)農研機構 食品総合研究所 食品機能研究領域 主任研究員 博士(学術) 「日本語のテクスチャー表現から見えてくること」 東洋クリエート株式会社発行「創造 №36」平成22年8月1日発行

2010年7月8日木曜日

奥浩哉「GANTZ(ガンツ)」(2000)~ありきたりの~



 人気グループ“嵐”のメンバーを起用して、大掛りなアクション映画が撮影中と知りました。道端の石塊(いしくれ)をつい連想しちゃう題名なのだけど、もう十年も前から連載中の漫画(*1)を原作としているそうで、海外でも翻訳されて愛読者を増やしているとか──。にわかに興味が湧いて来ました。


 不景気が追い風になってもいるのでしょう、新しいタイプの貸し本業“レンタルショップ”が花盛り。書店経営の方には本当にお気の毒ですが、一冊五十円で貸してくれるのだから助かりますね。職場の帰りにお店に立ち寄って、初巻から27巻までを順次借り受け就寝前に読み耽(ふけ)りました。


 “ガンツ”(*2)とは黒い球形をした謎の機械を指します。そのガンツに選ばれた老若男女が、それこそ有無を言わせぬ勢いで戦場に送り込まれてしまうのです。身体のラインがむっちりと露わとなる黒い戦闘服を纏(まと)い、不恰好な銃を撃ちまくります。街なかに潜伏している凶暴な異星人を探し出して、皆と力を合わせて殲滅しなければ逆に命はありません。繰り広げられる死闘と紙面の隅ずみまで埋め尽くされた精緻な描き込みは、僕の育った頃の作品で言えば池上遼一さんの「男組(おとこぐみ)」(*3)の血筋のようだし、楳図かずおさんの「漂流教室」(*4)にも大胆さ、奇抜さが重なって見えます。


 玄野計(くろの けい)と加藤勝(まさる)というふたりの高校生を軸に物語は進行します。心身両面で成長の真っ盛りですから、男同士のせめぎ合いがあり、恋愛を廻る鞘(さや)当てや煩悶がでろでろと咲き乱れて、さまざまな濃淡にて場景を染めていく。


 死の淵に沈んで何ヶ月間も帰宅が許されなかったり、記憶をすっかり喪失して苦悩するといった不条理な展開もしばしばです。多くの場面にて登場人物は感極まり、涙は滂沱して頬をびっしょり濡らしていくのでした。興味深いのはそのように寄せては返す魂の波濤(はとう)に交じって、月光に照らされて切なく瞬く金波銀波(きんぱぎんぱ)のようにして、“食卓の光景”が彼ら登場人物の脳裏にさっと蘇えっていくことです。“食べもの”が慕情をより鮮烈に盛り立てて行き、そこに“味噌汁”がしかと描かれているのです。


 加藤勝は数ヶ月間冥府をさ迷い、ようやくにして愛する弟の元へ帰ることが出来ました。兄弟は両の親を交通事故で失っており、陰険な親戚の家にて忍従を強いられながら生きて来たのです。この数ヶ月間、戻らぬ兄をひたすら想いながら幼い弟はどれ程の寂寥と苦難を味わったことか。息せき切って夜道を急ぐ兄、勝(まさる)の心中に去来するのは幼い笑顔であり、食卓に並ぶ“ありきたりの献立”に目を細めて喜んでいる弟の、いかにも華奢な体躯であったのだけど、そこには明瞭に像を結んで“味噌汁”が置かれていた。(*5)




 同じ現象が回を置かずに再度出現しています。玄野計(くろの けい)の恋人である小島多恵という少女がいるのですが、ガンツによって同時期にともども記憶を奪われてしまいます。視線を交わすたびに胸掻きむしる熱いものが若いふたりを襲うのだけど、それが何に由来するのか理解出来ないので混乱します。


 多恵はある時、自宅の机のなかに見知らぬ鍵を見つけます。もしかしたらと計(けい)の住まうアパートと関係があるのじゃないかと思いを巡らし、勇気を出して部屋を訪ねます。案の定カチャンッと扉は開錠してしまって、少女は狭い室内へと足を踏み入れたのでした。ああ…この風景を自分は知っている。確信が突如浮上して来ます。遂にはこれまでその部屋で、自らの瞳に刻んで来たものであろう映像の数々が堰を切って再生されて、小さな胸の奥でわっと駆け回るのです。その中には食卓に並んだ“ありきたりの献立”に両手を合わせて感謝する少年の姿があるのだったし、きちんと“味噌汁”も添えられていた。(*6)


 僕たち読者の共振を目論んで、あえて“ありきたりの献立”が起用されているのは間違いなくって、それに不可欠な要素として“味噌汁”が脇を固めている。たくさんの懐かしい情景の堆積に埋もれるようにしてある一コマなのだけど、それで何かしらの感情の起伏が僕たちの胸に生じたのであるならば、そして、その一端が“味噌汁”からも発しているのであるならば、なんて精神的な、なんて奥深い食べものなのだろう、そう感嘆しない訳にいかないのです。地味ながらも雄弁な描写になっている。その地味さこそが実は凄いことなのではないか。


 さながら研究室の動物のようにして、僕たちは一瞬で“ありきたりの献立”と“味噌汁”の像に反射しています。平穏なる日々の暮らしや愛する人との静かな語らいを即座に想起してしまう。得難い、思えば奇蹟にも近い真情の交換や魂の交歓をゆるやかに回顧して、ああ、あの人は自分にとって、いかに“大切なひと”であったかと再認識していく。


 映画フィルムのなかに秘密裏に埋め込まれたほんの数コマの画像が、観客の潜在する意識を煽り次々と欲望を誘爆してしまう“サブリミナル効果”というのがあるけれど、あれを僕は思い出します。作者の奥浩哉(おくひろや)さんは、人間のこころと日常を取り巻く事象の相関をよくよく知り抜いた練達の士だと感心しているところなのです。


(*1):「GANTZ(ガンツ)」奥浩哉 2000年~ 「週刊ヤングジャンプ」(集英社)連載
ムンクEdvard Munchの“The Sin (Nude)”なんかを雛形にして宇宙人の親玉を描いたりする作者の性向も、僕の波長にちょっとシンクロしちゃうんだよね。
(*2): 石森章太郎さん原作のテレビ番組に「がんばれ!! ロボコン」(1974─1977)というのがありましたが、あそこからこの題名が来てる(笑)。そこを察することの出来る世代には、二重に楽しめるかもしれません。
(*3):「男組」 原作 雁屋哲 作画 池上遼一 1974-1979
(*4):「漂流教室」 楳図かずお 1972‐1974
(*5):0222「兄と弟」19巻所載 奥付によれば雑誌掲載されたのは2006年
(*6):0225「カギ」 19巻所載         同



2010年7月1日木曜日

小泉徳宏「Flowers フラワーズ」(2010)~懐かしい看板~


 
 知人宅を訪ねた折りに、外国製のチョコレートをご馳走になりました。ほどほどの甘さとあえかなバニラの匂いが口腔にふわりと拡がります。少し儚(はかな)げな印象を刻む上品な香味に仕上がっている。何でも旅行のお土産だということで、その折に撮られた写真を何葉か見せていただきました。


 場所は北米の太平洋岸の街、シアトルです。穏やかな笑顔をカメラレンズに向ける老夫婦の姿やマリナーズの本拠地である野球場などを微笑ましく眺めながら、徐々に成長して手堅いものとなる想いがあります。しっとりした落ち着きが街のあちこちから滲み出ている、これはなんだろう──。


 山の上なのか高層ビルの最上階なのか分かりませんが、広々とした眺望が眼下に広がっています。海へ向けて傾斜を強めていく大地に、悠然と街並みが連なっていく。微妙な違和感を抱えながら再度しげしげと見返すならば、それら林立する建物が実にしっくりと地面の傾斜と足並みを揃えているのです。つまり、背丈を合わせて綺麗に列をなしており、眺望を邪魔する“でっぱり”が一切ないんですね。真新しい外壁のビルディングばかりなのに、そのどこにも看板が見当たらないことにもやがて気付きます。何かしらの強固な規制が働いていることは明らかです。


 独裁政権を敷く首長のもと、大胆なグランドデザインが実行に移されたかのような、実に力強いものを透かし見ることが出来る。きらめく欧州の古都ならばまだしも、歴史的にまだ浅い北米の都市がここまで美しく展開している。凄いな、これは。


 ウェブ(*1)で検索して調べてみると、景観規制が市民レベルで根付いていることが分かります。市民の意見に折れた末にスケールダウンしてオープンした海岸沿いのホテルなども見れますが、日本じゃとても考えられない“落としどころ”です。人生の舞台となる自分たちの街を本気で愛している人たちがいるのでしょうね。


 “街並み”“景観”“看板”といったものに気持ちが傾いているのは、先日劇場で観た日本映画(*2)のせいでもあります。昭和初期から今日に至る七十五年の長く重い歳月を、三世代の女性群像を巧みに組み合わせて提示していく意欲作でした。そこにはシアトルとは対照的な風景がありました。



 大手化粧品会社と共闘してのイメージ戦略が生い立ちである以上、女性の装いや美しさを過剰に描いていくことは素人目にも回避出来そうにない。それは観る前からわかり切ったことで、案の定、人生の機微たる“老い”“戦禍”“格差”という翳(かげ)の部分をすっかり削ぎ落としてしまい、立体感の乏しい単調な顛末になっているのですが、それはまあ、仕方のないこと。前の席に座っていたご婦人は終始すすり泣きでしたし、ひとときの娯楽を求める気持ちには十分応えている。浮世離れの数々も“ご愛嬌”と笑って許してあげるべきでしょう。


 興味深かったのは、それぞれの年代のコントラストを思想の変転や流行り言葉をもって表わすのではなく、その時時に作られた映画の色調を徹底して再現して提示しているところで、その情熱と言うか固執の様子は呆れるほどでありました。(*3) 服装や髪型、小道具を駆使して年代に肉迫することは当然ながら、照明やカット割り、音質までも丸ごと動員してタイムスリップを目論んでいる。地味を装いながらも大胆不敵な演出です。その実験的な作業は観ていて気持ちの良いものでした。


 そのようにしてスクリーンに映じられた“過去”の街並みには看板がひしめいており、中でも随分と目立つ位置に“醤油”のイメージが刻まれていたのです。竹内結子さんと大沢たかおさんが演じる若い夫婦が旅行で訪れる海辺の町。その駅舎の前に置かれたベンチには、ありありと醤油メーカー(群馬に拠点を置く)の亀甲型のマークと名前がホーロー看板に描かれ貼られていたのだったし、また、東京の出版社で孤軍奮闘する田中麗奈さんを描くパートでは、上司より呼び出されて説教を受けた屋上から望むビル群のなかに、排気ガスに曇ってやや輪郭がほどけているにしても随分と巨大な(こちらは千葉本社の)、やはり亀甲型の目に馴染んだマークと社名とが赤々と浮かんで目に飛び込んで来るのです。


 物語の進行とはまったく無関係の登用であるのだけれど、この作品の“時代再現”への凄まじい粘着を想うとき、果たして意図なき偶然の産物であったか疑問が湧いてきます。1964年、1969年という過去のランドマークとして亀甲の印が選び取られたというのが正しい読み解きでしょう。


 もちろん醤油の看板だけでなく、余白の隅々を埋めるものが実に懐かしい光彩を放っていて、例えば壁にかかった東郷青児さんの女性画であるとか、紫煙にまみれ果て黄色い脂(やに)でベタついた柱の時計とか、ウィスキーのロゴの刻まれた平たい灰皿とか、谷崎潤一郎さんの著作の背表紙とか、美術スタッフの熱意が結晶化したものが点在して目を愉しませるのですが、そうやって僕たちを過去に誘(いざな)うイメージの一端に亀甲型のマークが含まれていたことに、わずかながらも衝撃があったのでした。


 “醤油”もまた“昔のもの”となりつつあり、今や忘却とのせめぎ合いの域に軸足を踏み込んだのかな、少なくともこの映画の送り手の幾人かはそのように“醤油”という存在を解析しているに違いなかろう。“懐かしいもの、過去のもの”に直結するものとして、ここでは“醤油”が使われている───。




 僕たちの住まう街はシアトルとは違い、乱雑で節操のない広告に埋まっている。美しい眺望なんて、だから望むべくもなく、破壊と再生を細かく繰り返しながら無秩序な街並みと看板の乱立が果てしなく続いていくでしょう。毎日が清々しい気分だろうと想像を巡らせる、そんな場所で暮らすことは僕にはやはり難しそうだ。


 それでも意識的に街路を見直す機会にこうして恵まれてみれば、看板であれ何であれ構成するそのひとつひとつが短命であることが分かります。それらが懐かしい人、懐かしい家族の記憶といずれ直結するのかもしれず、そんな回想の仕掛け作りを僕たちは日々しつらえているのかな、なんて考えたりもするのです。混沌とした儚い風景であればこそ、その時々の変転する人の気持ちや、逆にいつまでも変わらぬ想いなんかを寄り添わせることが可能なのじゃないか。


 日常にくたびれ、懐かしさに抗い切れずに足を止めて振り返ったときには、次々と入れ替わっていった看板たちや消え去った商品たちがその想いを受け止めて手を振り、きっと助けてくれるはず。僕たちの住まうこの街は時間旅行を可能たらしめる場処なんですね。ちょっと見苦しくても“ご愛嬌”と笑って許してあげるべきなのかもしれません。




(*1):「斜面都市における眺望景観保全政策の特性評価とview corridor施策の適用に関する研究」 栗山尚子 平成18年9月
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/thesis/d2/D2002896.pdf
(*2):「Flowers フラワーズ」 企画・製作総指揮 大貫卓也 監督 小泉徳宏 2010

(*3): ウッディ・アレンさんの監督、主演による「カメレオンマン」(Zelig 1983)という映画も過去のフィルムの特性を丁寧に再現したものでしたね。合成技術の跳躍が最近めざましく、いよいよこの手の描写は精緻さを増して来ています。やがて古い映像が自由自在に編集され、まるで違った意味合いを持たされたりしちゃうのでしょうね。ちょっと怖い気もします。

 そうそう、「Flowers フラワーズ」には味噌汁が登場しています。劇中、食事の風景は実に少なく、“老い”“戦禍”“格差”といったものと並んで“調理”もまたさりげなく排除されて見えました。唯一の“味噌汁”は冒頭近くに描かれています。昭和十一年(1936)前後を描く蒼井優さんのパートで、嫁ぐ前日の蒼井さんを囲んでのちょっともの哀しい食事の場面です。家族揃っては最後となるだろう予感が小さな食卓を重く覆っている。

 ここでの“味噌汁”には旧来の隷属的で柔順な女性のイメージが幾らか投影されていたように感じ取れます。蒼井さんは父親が決めた婚礼に対して不服であり、翌日には白無垢姿で家から逃走するのだけど、それは“味噌汁”に象徴される束縛からの緊急避難でありました。映画ではそれ以降、実に75年に渡って“味噌汁”は影を潜めて消失してしまう。現在を生きる女性へ向けて作られた「Flowers フラワーズ」において、これもまた意図的な“空白の描写”であるように僕には思えました。何を足して何を引くのか、その結果導かれる物語を化粧品会社が支援していることは、考えてみると奥深いものがありますね。



 知人宅をおいとまする時、お庭の可愛らしい花が目に止まりました。初夏の陽射しに照らし出された白く薄い花びらに、細いまっすぐな筋が幾本も走っています。刺繍を施された肌着のような繊細で柔らかな印象なのですが、驚いたことに、これがハエトリソウVenus Flytrapの花なんですね。僕の宇宙はまだまだ未開拓です。 とげとげの葉っぱで虫を捕らえる怖い一面と、清楚な花びらが同居している。なんて逞しい生きものだろう。僕の身近に咲く「Flowers フラワーズ」、彼女たちも一所懸命に生きています──。

2010年5月3日月曜日

上村一夫「同棲時代」(1972)その3~上村一夫作品における味噌汁(14)~

 このような景気です。仕事のあることは嬉しくありがたい事なのだけれど、やはりこの時期、世に大型連休と呼ばれる期間に入ると気持ちがぷくぷく泡立ちます。解放されないままに半端な仕事に当たる毎日はどうにも悔しい気分。「聞け万国の労働者」でも歌いましょうかね。ショウガナイ、何を馬鹿なことを──。


 「同棲時代」を中心となして広がる上村一夫(かみむらかずお)さんの創造の平野を、これまで13回に渡って歩いてみました。そこには意味ありげに“味噌”が顔を覗かせていて、人物の内面をそっと代弁している様子が認められました。


 “味噌”がぽんっと視野に飛び込んだり、はたまた「みそ」という響きが耳朶を打った際に避け難く生じる微弱な“震え”のようなものを上村さんは畳み掛けるように登用し、独特の震幅を物語に与えることに成功しています。いつまでも後引く余震が見事ですね。


 恋愛劇には不向きと想われた“味噌(汁)” はしっかり男とおんなの魂に流れ込んだ後に、ごつごつした樹根のように固形化して読者を待ち受けている。蹴躓(つまず)かせて足をさらい、来た道を見失わせて僕たちを精神の迷路に誘(いざな)おうと、今でも息を殺して待ち続けているのです。うわべだけを紙芝居のように並べた安直なドラマがずいぶんと幅を利かせていますが、本来人間は複雑で多層な内面を抱えている厄介な生きものです。たくさんの若い人に、こういった奥の深いお話を読んで学んでもらいたい、ほんとうにそう思いますね。


 上村さんについては、今日でひとまずお仕舞いです。最後にもう一箇所だけ、“味噌汁”に関する奇妙な描写を「同棲時代」(*1)に見ることが出来るのですが、それを取り上げて筆を休めましょう。不自然なその物言いには、作者の“文法”がやはり感じ取れるのです。


 今日子の退院によりふたりの暮らしは再開されたのですが、無理を続けている空気にじわじわと侵食されています。当初のみずみずしい会話は何処へやら、いまでは息を潜めるように過ごす毎日なのでした。重苦しい沈黙が続いていきます。

 突然扉を「トントン」とノックする音。隣りの部屋に住まう同世代の娘が“醤油”を借りに来たのでした。(*2)

弓子「ねぇ 今日子さん お醤油貸してくれる?」

今日子「いいわよ」

弓子「うち きらしちゃってるの 気がつかなくて 

   あら!まだお休み?ごめんなさい」

今日子「ええ あの人 ゆうべ遅くまで仕事してたものだから」

弓子「ほんとに大変ね イラストレーターっていうのも

   あ いけない 授業に遅刻しちゃうわ じゃお借りするわね!」


 この娘も目下“青田”という男と同棲中なのです。背格好や容貌にはあざとい造り込みが為されていて、今日子と次郎とはあまりにも対照的です。どうやら前触れなく突然物語に招聘されたこの隣家の男女は、今日子と次郎の内面を浮き彫りにするための補色の役割を担っているようです。夕方にも再度扉はノックされます。「トントン





今日子「はァい」

弓子「今日子さん ごめんなさい お味噌を少し借りたいの」

今日子「いいわよ」

弓子「あの人がね どうしても味噌汁がのみたいっていうもんだから

   あ それからね もし残りものがあったら言ってちょうだい

   うちの猫に食べさしちゃうから (高笑いして)ころころころ」


 なんという天真爛漫さ。行動のいちいちに陽性が溢れています。この後、飼い猫について苦言を呈されたことから大家と激しい口論に至って、田舎に帰って農家をしながら悠々と暮らす、子どもも沢山作って元気に育てるつもりだと啖呵を切って、実際にさっさと引っ越してしまうのでした。リアカーを引いて小さくなっていく彼らの背中に対し、物語は重い沈黙をもって答えています。


 上村さんの作品にて“味噌汁”が境界標として機能することを思い返せば、ここで太々と描かれた境界線の向こう側には疑念や不安、戸惑いといったものが微塵もない“生活”が意図的に描かれています。シンプルで純粋な、笑顔に満ち溢れたそれを今日子と次郎は羨望、侮蔑、悔恨、同情といった綯(な)い交ぜとなった想いで見送るのでした。(*3)




 青田という名の若い男女への輻輳(ふくそう)する上村さんの眼差しは“生活”という区画と“観念”の飛翔する空域とを穿つ境界標たる“味噌汁”にも同等に注がれている感じがします。


 生活を長年こなすうちに生じてくる粘っこい澱(おり)が次第に足首に纏(まと)わり付き、気力体力を徐々に奪い去っていきます。諍(いさか)いを起こしてしまい疑念が鎌首を一度もたげてしまえば、“無私”で居ることには限界が自ずと訪れて、ふたつの心は分裂を始めてしまう。決壊してしまった魂の貯水池はなかなか元に戻せません。透明感のある澄んだ笑いで暮らしを満たし続けることは出来ない相談なのです。


 ぶわぶわと輪郭を崩し始めた空間でもひとは物を食べ続け、生きていかねばならない。今日子と次郎の部屋の夕餉に供される“味噌汁”は、だからとてつもなく哀しい。何のための境界票なのか、一体何から何を守っているつもりなのか。何を外に追いやり、何を内側に創ろうとしているのか。


 
こんなにも淋しく儚げに見える“食(べもの)”は他の創作世界には無いような気がします。そして、僕たちの身近に転がる“味噌汁”をこんなにも哀しく見える“食(べもの)”にしてみせた創り手は、上村さん以外には今のところ見当たらないのです。



(*1):「同棲時代」 上村一夫 1972-1973
(*2): VOL.57「夏のとなり」
 
(*3):ここで繰り広げられた騒動は国境線を主張するために誇示される軍事訓練か挑発行為のようなものに見えてきます。例えはいささか乱暴ではありますが、今日子と次郎が二筋の境界線を持って曖昧に重なり合う多民族国家とするなら、隣家のふたりの快活な笑いに満ちた生活はイデオロギーを隙間なく集束させた独裁制国家の趣きです。境界紛争が脆弱な連邦国家を震撼させ、異分子たる互いを強く意識させてしまった。この後、まっしぐらに今日子と次郎は分裂へと歩を進めて行くのです。

2010年2月23日火曜日

上村一夫「関東平野」(1975)その2~上村一夫作品における味噌汁(7)~


卑弥呼「いい男だねぇ……先生は……

     だんだんああいう日本人がいなくなっちまうんだろうねぇ……

     あんたもいいひとに引きとられたよ……」

金太「………」

卑弥呼「たべる?」

金太「いいえ 結構です………」

卑弥呼「先生なら黙って食べてくれるよ」

金太「………(味噌汁のかかったご飯をザッザッと掻き込む)

  (ゴクッと呑み込んで)ごちそうさま」

卑弥呼「どう?……あたしの味噌汁の味は?」

金太「はあ……まあまあだと思います」

卑弥呼「やっぱり駄目かなあ……子供を産まないと味噌汁らしい

    味噌汁はつくれないのかなァ……  あんたのお母さんに

    なれば上手につくれるかしら?」

金太「え!?」

卑弥呼「先生の奥さんになればってことよ……」

金太「…………」

卑弥呼「誘われてるのさ……いまの商売をやめて家へ来ないかって…!

    だけど だめだよ…柄にもなく照れちまって……」(*1)



 結婚式に招ばれた帰りに、式場近くにある美術館に足を向けました。この日は企画展示がなく常設だけだったのですが、それは二の次、たいした事ではありません。なんとなく独特の空気を胸に吸い込みたい、そんなときってあるものです。まだ冬から抜ききらない小さな町の、瀟洒な2階建ての白い建物には例によってお客さんはいませんでしたから、悠々と空間を独り占めして絵と対峙することが出来ました。嬉しい時間です。


 荒々しい山稜ばかりを巨大な画布に叩きつけるようなタッチで描く画家の作品が、二十点ほどいかめしく並んでいました。麓の雑木林や白い湖面を小さく底辺付近に配しています。そこから目を上方へと転じていくとやがて森林限界線を越えてしまい、黒い岩肌がごつごつと現れてきます。


 上限ぎりぎり、額縁にぶつかりそうな場処に屋根(おね)が描かれ、奥に鈍い洋赤色(カーマイン)に染まった空が垣間見えるのだけれど、視線がたどり付くまでには延々岩ばかりを這い登らなければなりません。狂ったようにうねり連なる筆の痕(あと)を追ううちに、(お酒のせいもあるでしょうけれど──)頭の奥の方からくぐもった音が響いてきました。老いた魔女の口にする呪詛のつぶやきか、それともあやかしの啼き声かは分からないけれど、ぐつぐつ、ぐわんぐわんと幻聴されるようなのでした。


 静かな誰もいないはずの空間ながら、とても騒々しい気配を受け止めました。耳を澄ませる気概があれば絵というものは大いに多弁となる時があり、沈黙を解き、何倍もお喋りを始めるものなのでしょう。


 “食”という視点から振り返れば、上村一夫(かみむらかずお)さんの「関東平野」も絵画と対峙するような案配で饒舌になります。なるほどしっとりと焦点が合わさって情念の明滅する様がうまく結像していく。今、そんな感じを独り味わっては酩酊に遊んでいるところです。


 上に引いた箇所は味噌汁にかかわる記述です。元子爵令嬢で今は二丁目に身を墜とした綾小路卑弥呼という名のおんなが、編集者の目に止まって画家柳川大雲の家に紹介されて来ます。絵のモデルとして選ばれたのです。金太は大雲から封筒に包まれたモデル代を託され、教わった住所を頼りにひとり二丁目まで足を運んだのでしたが、調度仕事の前の食事時であったのでしょう、卑弥呼は店先に七輪を出して味噌汁を作っている最中なのでした。


 ここで交わされる台詞は味噌汁を巡っての典型的な顔立ちをしています。家庭という内側へ外側から飛び込むに当たり生じる困難、違和感、妥協、そういった段差を象徴する小道具として登用されています。けれど、どうでしょう、指し示されているのはそれだけでしょうか。


 次は終幕間際に現れたものです。こちらは味噌汁ではなく生味噌の状態ながら、たいへん似た「心境の錯綜」を呼び寄せています。絶食の末に自ら命を絶った大雲が荼毘に付され、金太と銀子が故人の願いに副(そ)うべくゆかりの地、椿村に頭骨の一部を埋めようと足を運びます。田んぼの中の一本道で農家の家族に出会うのですが、それが幼少の折にあれこれあった同級生の石松だったのです。石松とその妻、そして彼らの赤ん坊は並んで道にござを敷き座ると、そこで農作業の合間の食事を始めます。



金太「石松……幸せそうだな」

銀子「憎いほど羨ましい………」

金太「やつのムスビ……見たかい?」

銀子「うん」

金太「味噌がたっぷり塗ってあって…恐ろしいほど大きかったな」

銀子「お味噌……奥さんが作ったんだって」

金太「……!」

銀子「うう……」

金太「なんだよ…ベソなんかかいて」

銀子「だって……だって あたしのような人間はああいう暮しを

   望んでも無理なんだもの」(*2)
 

 ここで再び民俗学者の神埼宣武(かんざきのりたけ)さんの本を引きます。


 テレビドラマにおける食事シーンに注目したことがおありだろうか。気をつけてご覧になれば、そのシーンの多さに気づかれることであろう。(中略) 海外では、およそこうした例はない。そこで、知人の某テレビマンにたずねたところ、視聴者が潜在的にそれを要求しているからだ、というのである。食事のシーンがないと自分たちの生活と縁遠いようで不安である、という視聴者の意見が多いらしい。(*3)

 もう一冊、今度は雑誌編集者から劇画原作者となり、上村さんと数多くの共著を送り出してきた岡崎英生(おかざきひでお)さんの本を書き写します。


 上村は、当時の劇画が決して主人公にしなかったような人物を主人公にすえる。彼ら、あるいは彼女たちは自分ではコントロールできない謎を抱えている。だから、その行動はつねに非合理的で、わかりにくいといえばわかりにくい。上村はそういう登場人物の言葉ではとてもいい表せない心情にまで深入りする。そして物語の中では、苦しませ、悶えさせ、時には(中略)破滅させる。(*4)


 最初の卑弥呼は春をひさぐ女として、また、金太の幼なじみの銀子は男の身体を持ったおんなとして造形された“決して主人公にしなかったような人物”であり、多くの読者とは“縁遠い”存在です。彼らは味噌汁、味噌を引き金とする思念の奔流に叩き落され苦しんでいるのであって、ホームドラマを見入る僕たちとは真逆に「食事のシーンがある」と大いに「不安」をもよおして動揺するのです。


 「やっぱり駄目かなあ……、だけど だめだよ…」「だって……だって あたしのような人間はああいう暮しを望んでも無理なんだもの」と煩悶する際の駄目や無理とは味噌汁の味付け、おむすびに付された味噌の自家製法である訳は当然なく、味噌(汁)をレンズとして広がる「日常、生活、家庭」という“異界”への転進が駄目であったり、無理難題となって立ち塞がろうとしている。


 上村さんの劇画においての“食”や“食べもの”とは、だから「ある家庭から別な家庭」「ある生活から別な生活」へ平行的に移動することの象徴といった生やさしいものではなく、森林限界線に似た険しい斜面に引かれたものであって、扱いを誤れば「時には破滅させられる」類いのものだと分かるのです。植生も違えば、環境も驚くほど異なっている世界の両者が“食”や“食べもの”を間に置いて睨み合っている図式なんですね。そして、中でも味噌が極めて先鋭的に境界上に置かれてある、そういうことなんですね。


(*1):「関東平野」 上村一夫 1976-1978 双葉社 初出は「ヤングコミック」
   VOL.22 赤線、青線、灯る街角
(*2):VOL.44 埋骨
(*3):「「クセ」の日本文化」 神埼宣武 日本経済新聞社 1988
(*4):「劇画狂時代「ヤングコミック」の神話」 岡崎英生 飛鳥新社 2002

2010年2月16日火曜日

上村一夫「サチコの幸」(1975)~上村一夫作品における味噌汁(5)~



 “食事”が日常の通過点として明滅するだけでなく、人間のこころの奥底に眠る羨望や懊悩といったものを代弁する目的から“かたちづくられる”。そんな上村一夫(かみむらかずお)さんのこだわりの技法がある訳だけれど、思いが強過ぎることからでしょう、時に物語の構造を破綻させる事すらありました。「サチコの幸」(*1)がそれです。


 舞台となっているのは太平洋戦争が終結して五年後、まだまだ食糧事情が良くない時分の新宿二丁目です。大陸より孤児となって戻って以来、サチコは“生活”のために春をひさぐ女として暮らしています。彼女のほか数人を遊妓として抱える小さな店で、見知らぬ客に素肌をさらす日々なのですが、ついぞ堕落した風情は読み取れない。持ち前の天真爛漫さで難事を切り抜けていく様子は、青春小説めいたすがすがしい息吹を僕たちに伝えます。読んでいてとても伸び伸びとする作品です。


 サチコたちの“生活”のあらましが活写されていく中で、冒頭より“食事”の光景が目白押しとなっていきます。おんなたちは互いを鼓舞し、持ちつ持たれつ支え合って生きているのです。商いの始まる前の明るい陽射しのなか、賄いの当番にあたった者は倹約のために七輪(しちりん)を店先に持ち出しては、魚を焼いたり、煮物を作ったりするのが常です。(*2) 上村さんの劇画に慣れ親しまない人はのんびりした場景と見て取るのでしょうけれど、虹のごとく層をなす光がこっそり“食事”に宿っていることは先に見てきた通りです。


 調理に励む姿、食卓に並んだ皿、盛り付けられた料理の数々によって、廓(くるわ)のおんなたちが“家庭的な”時間を繰り返す身であり、「情念の高潮」といったものを上手く受け流して暮らしていることを読者は理解する必要があるのでしょう。


 例えば、次の箇所なんかはとっても象徴的です。その日の朝食の当番はサチコです。例によって道路端で七輪の火をおこして、一人でのんびり“みそ汁”を作っています。(*3) 


サチコはみそ汁が好きである

その香を嗅いで はじめて今日一日の始まりを知る


 店から少し離れたところに婦人の立ち姿があって、サチコはそれが先ほどから気になって気になって仕方ありません。猥雑な大気を孕んだこの界隈にはすっきりと和服に身を包んだ清楚ないでたちが、どうにも不釣合いに見えるのです。うつむいて思案に耽る婦人の横顔は不穏なものをそろり引き寄せて見えます。


何の用だろう? 先刻から街の入口にたたずんでいる女は……

どこから見ても この街にはふさわしくない女だ………



 みそ汁は好い具合に仕上がり、サチコは鍋を両手に抱えると店のなかに運び込もうと立ち上がります。その背中に先の婦人が声を掛けてくるのだけれど、その用件というのは「ここで働いてみたいの……」という突飛なものでした。びっくり仰天したサチコは鍋を取り落としてしまうのです。「勿体ないことを……」と転がる鍋を地べたから拾う女は、さらに意味深な発言を重ねます。「ご自分でおみおつけを作れるなんて偉いのね……」


 ふたつの呼称、サチコの発した“みそ汁”と女の“おみおつけ”を並列して、和服姿の女の生活環境がサチコたちとの間にかなりの段差あることを示唆しているだけではない。この女がみそ汁を自ら作らない、すなわち今この瞬間、「情念の高潮や心境の錯綜」の只中にあって「“食事”を遠ざけている」ことがありありと浮かんで来るのです。



 強欲な店の主人は女の願いをあっさり聞き入れ雇ってしまいます。懐中に潜ませていた情念を解放された女は、凄まじい勢いで客に対し、狭い店に対し、爛熟した妖気を発し始めます。これにすっかり当てられたサチコたちは調子を乱して消沈し、蒲団にくるまってふて寝してしまうのでした。地面に転がった“みそ汁”のように“生活”をひっくり返されたわけなのです。


 なるほど、ここまでならいつもの通りです。みそ汁は“生活”と寄り添い、“内なる閉じた空間”を代弁しています。バァン!と地面に転がったことで世界がひび割れるぞと警鐘を発してもいる。“決めごと”に沿った無理のない、そしてあくまで緻密な展開となっている上村さんらしい筆遣いです。


 破綻は忘れた頃に訪れています。終幕間際の第45話にて物狂おしい矛盾が生じてしまいます。小題はずばり「味噌汁の味」でした。(*4) サチコは広沢という羽振りの良い男に見そめられ、無事身請けもされて長年住み慣れた街を後にします。連れて行かれたのは野なかの一軒家です。男の包容力に惹かれてすべてを預ける覚悟でしたが、みすぼらしいしもた屋を前にしたサチコはどうしても其処を終の住み処と思い定めることが出来ないのです。



 思い乱れて夕闇のなか逃亡を図るのですが、途中立ち寄った駐在所の人当たりのよい巡査に諭されて動転する気持ちを落ち着かせると夫の待つ家に戻っていくのでした。そして翌朝、サチコは床を飛び出すやいなや「生まれてはじめて」味噌汁を作るのです。心機一転生まれ変わって、という言葉の綾かと思えば、どうもそうとは言い切れない。妙に塩辛く、顔を歪めてしまう程にもお粗末な味付けなのでした。


 上村さんの“決めごと”が頑として野中の一軒家を支配しています。家事をこれまでやったことのない商売女が“家庭”の主婦となり“調理”に挑戦し、“朝食”を食卓に並べようと奮戦しています。ここでの広沢は「情念の高潮や心境の錯綜」を捨てて、“生活”を支えるために生きてくれとサチコに強いているのです。(男にありがちな幻想ですね。)それに則って“決めごと”が活発化している。



 サチコの劇的な環境変化に物語がまるで分断された印象です。二丁目の店先で作られ続けたみそ汁はどこかに消えてしまいました。サチコの半生を強引に捻じ曲げて変質させているのです。 (*5) これが上村一夫さんの“食事”の凄まじさなんですね。ヒエログリフとして起用された“味噌汁”の面白さ、劇画の面白さなのです。魂の表現を豊かに彩るためならば時空を強引に変えてしまうことも厭わない、そういう一途な作者の目線を感じさせます。


 また、サチコという主人公がこれまでの“生活”から新たな“生活”に乗り変わっていて、遂に謳歌すべき魂の自由を手中に出来なかったという哀しみ、戸惑いを上手く顕現して見せたようにも思います。そこまで上村さんが考え、仕込んでいたのであれば、これはこれで味わい深くも塩辛い二杯のみそしるだった、と深い溜め息を漏らさざるをえないのです。



(*1):「サチコの幸」 上村一夫 1975-1976 双葉社 初出は「漫画アクション」
(*2): 「あたしたちの食事はどんぶりの盛り切りごはんに お新香と味噌汁 これにあと一品何かつけばいい方でひどく粗末なものです これでは栄養にならないと思って魚を買ってきて焼いているとお母さんがすっと寄ってきて 「ガス代がもったいない」と云ってガス栓をひねってしまうのです」Vol.11 お月さまを食べた話
(*3): Vol.7 娼婦志向
(*4): Vol.45 味噌汁の味 
(*5):これは僕の見当違いで、単に味噌が変わっただけ、それゆえに入れる分量の微調整を誤ったということかもしれませんね。住まう環境を変えれば、そういう事は往々にして起きるものです。けれども、もしもそうだとしても、それはそれでひとりのおんなの身に起きてしまった人生の転針が“味噌汁”ひとつで見事に語られている訳です。そんな奥ゆかしくも豊潤な描写、ほかの漫画や小説であったものでしょうか。


 余談になるのだけれど、この逸話の後に展開される48話の会話や描写は上村劇画の真骨頂で唸らせられました。上村さんのおんなは濡れた黒髪を重いベタで表現することを特徴とするのですが、雑誌掲載の際の粗い紙質や不均衡なインクの盛りから必ずしもその黒さは綺麗に上がらないことがあります。白い点々がベタのなかにノイズとして現れるのは経済上、技術上、仕方のないことです。それを上村さんは逆手にとって、サチコの髪のなかに宇宙を表現し、男とおんなの間に広がる真空や感情の瞬きを顕現しています。柳田国男さんは地方のお蔵の奥に潜む暗闇を大宇宙と対比してみせたらしいですが、上村さんはおんなの黒髪に宇宙を灯影したのです。恐るべき洞察力、表現力です。やはり天才だったとまたまた溜め息が漏れ出てしまう訳なのです。 

2009年12月20日日曜日

つげ義春「探石行」(1986)~みっともない~


五時に早々と夕食だ

これじゃ寝る頃までに腹が空いてしまう

女房は貧しい食事の原価を計算したりしている

妻「ナスのおしんこにナスの味噌汁に

  それから ナスの煮ものに………

  ぜんぜん金かけてないじゃない」

助川「さわぐなみっともない」(*1)


 つげ義春作品の朴訥(ぼくとつ)な面持ちの裏側には、綿密な計算や驚くほどたくさんの思惑が込められているのであって、その一端が “味噌汁の不在”という摩訶不思議な現象となってどうやら現われている───。

本当にそうなのかな、ちょっと不安になってきました。自分で言っておいてなんですが、僕は何事につけ思い込みがはげしくって、あとで赤面するはめに陥ることが多いのです。もう少しじっくり眺めてみましょうか。具体的につげさんの作品から食べ物の描写だけを拾ってみましょう。


「西瓜酒」(1965)は時代劇です。貧窮に喘いで希望を見失った若い夫婦が、最後に腹いっぱい空き腹を満たしてから死のうと夕食の支度をしています。鍋をぐつぐつ鳴らして作られるのは何やら“煮物”のようですね。そこに漬けものとごはんが寄り添っていました。


「アルバイト」(1977)はつげさんが睡眠中に見た夢の場景を絵に起こしたものですが、お椀を立ったまま抱えて中の汁物を箸で掻き込んでいる男が描かれています。かたわらの男が物欲しげにその様子を伺っているのだけれど、これは戦後のヤミ市を俯瞰気味に撮ったニュース映画の中にありましたね。恐らく“すいとん”です。


「必殺するめ固め」(1979)もエロティックな夢の景色でした。乱暴者に必殺技をかけられ腰骨をやられた若い男が、半身不随の身となって寝たきりになります。今や身もこころも乱暴者に支配された妻が、お情けで男の枕元まで煮物(もしくは焼き物)にごはんを運んでくれるのだけど、それには“お茶”が付いておりました。


「日の戯れ」(1980)は競輪場の窓口係に勤める妻の代わりに、掃除や調理といった家事をこなす男が描かれ、「うん合格」と誉められたのはカレーライスでした。コップの水が添えられていました。


  ちょっとしつこいですね、駆け足で行きましょう。「近所の景色」(1981)には折り詰めの鮨(すし)。「散歩の日々」(1984)では屋台の焼きそば、「池袋百点会」(1984)─すき焼き、ごはん、目玉焼き、漬け物、煮豆らしきもの。「無能の人」(1985)─ただの弁当(予算五百円まで)、お茶。「探石行」(1986)─もりそば。「蒸発」(1986)─焼き魚、炒め物らしきもの、ごはん、お茶。「やもり」(1986)─漬け物のようなものを肴に晩酌。「海へ」(1987)─漬け物、煮物、ごはん、お茶、といった具合で味噌汁のお椀にはなかなか行き当たらない。


 ようやく探し当てたのは「懐かしいひと」(1973)、「会津の釣り宿」(1980)、「隣りの女」(1984)の三作品なのですが、これらにしたって面妖なものとなっているのです。




















 温泉街をセンチメンタルに再訪する「懐かしいひと」で、宿の色っぽい仲居さんに用意された夕食時のお椀は次のコマでは手品のごとく消滅しています。これは何なのだろう。「会津の釣り宿」でのお椀のフタは、いつまでもいつまでも閉じられたままです。夕食の時間は終わりを告げて、遂にそのままに片付けられて見えます。


「隣りの女」の朝食の光景には、煮物、炒め物らしきもの、漬け物、ごはんと共に味噌汁椀らしきものが並ぶのですが、その椀の中身は空っぽの状態に描かれています。

  つげ義春さんは味噌の匂いや味が嫌いなのでしょうか。いやいや、そうじゃないことは旅行記の次の一節からも読み取れます。

正午頃調布を出発。川越を通り桶川(おけがわ)へ出る。
立石さんは以前から、深沢七郎さんの味噌を食べてみたいと
言っていたので寄ってみる。(中略)

石岡へ出る途中で、「味噌あります」と貼紙のある農家があり、
立石さんは味噌を買った。深沢さんの味噌とは比べものに
ならない味。(*2)


  味噌や味噌汁には一般の人以上に一家言持っておられる、そんな感じがいたします。意識すればこその隠蔽が働いていると捉えて差し支えないでしょう。


 最上段の引用は「無能の人」に代表される80年代の連作の、その中の一篇にぽつねんと現れた味噌汁です。珍妙な顔付きの石が高く売れるという儲け話に色めきたった男が、妻子を連れて石探しの小旅行を行ないます。竹中直人さんの映画(*3)でも描かれていましたね。(一場面と原作者を紹介する動画がyoutubeにありますから、これを参考までに貼っておきましょう。冒頭から6分34秒以降に映されています。)




 味噌汁に言及した妻に男が腹を立てます。日常へと思考を引き戻そうとする言動をいさめて、非日常へのたゆたいに没頭しようとする一途な姿に、つげ義春さんの漫画世界の立ち位置と味噌汁に対してのかたくなな思いが浮かび上がります。

 旅行記にはこんなくだりもあります。群馬県の温泉に六年ぶりに再訪した際の話です。詩人のSさんを同行したのですが、その反応は思わしくありません。食事の内容が粗末だったのが原因です。

 旅は日常から少しだけ遊離している処に良さがある。
非日常というと大袈裟だが、生活から離れた気分になれるのが
楽しくもある。旅館の食事にしても普段と違うから旅心を
満たされるのだ。(*4)


 日常の象徴、“内側”の旗印となって作者の胸中に味噌汁は居座り、ゆえに非日常に遊ぶ際には障害と見なされ排除されていく。座卓の上の空隙には特異で物狂おしい、言わば“透きとおった味噌汁椀”が上の例のごとくずらり並んでしまう。つげ義春さんはおのれの創作活動のルールとしてこれを貫いた訳ですが、その味噌汁排除の視点は彼のみならず、日本における他のクリエイターの多くを操って見えます。

  僕たち市井(しせい)の者にしたってこれは根強く心に及んでいて、日々の行動を縛っていたり煽っていたりするのです。記憶の書棚から味噌汁のある光景とない光景を脳裏にカットバックさせていくと、その折々の気持ちの面持ちや色彩、寒暖の差が露わになってきて驚かされます。 こと恋情の舞台における味噌汁の不在は決定的ではないでしょうか。



  僕らの胸の奥の洞窟で、味噌汁は素裸のこころと隣り合わせとなって延々と明滅し続ける。 まるでピノキオを見守るコオロギのようにして、時に囁き、時に沈黙して僕たちをいざなうのです。
 
(*1):「探石行」 つげ義春 「COMICばく」(日本文芸社)初出 1986 
(*2):「関東平野をゆく」 つげ義春 昭和五十年十月と末尾に記載されている。
「新版つげ義春とぼく」(新潮文庫)所載
(*3):「無能の人」 監督 竹中直人 1991
(*4):「上州湯宿温泉の旅」 つげ義春 1982 「苦節十年記/旅籠の思い出」(ちくま文庫)所載