2011年1月14日金曜日

江戸川乱歩「孤島の鬼」(1929)~小屋の中に隠れて~


 昼間はじっと徳さんの小屋の中に隠れて、夜になると外気を呼吸したり、

縮んでいた手足を伸ばすために、コソコソと小屋を這い出すのであった。

 食物は、まずいのさえ我慢すれば、当分しのぐだけのものはあった。

不便な島のことだから、徳さんの小屋には、米も麦も味噌も薪も、

たっぷり買いためてあったのだ。私はそれから数日のあいだ、

えたいの知れぬ干し魚をかじり、味噌をなめて暮らした。

 私は当時の経験から、どんな冒険でも、苦難でも、

実際ぶつかってみると、そんなでもない、想像している方が

ずっと恐ろしいのだ、ということを悟った。(中略)

 私の心臓はいつも通りしっかりと脈うっていたし、私の頭は

狂ったようにも思われぬ。人間は、どんな恐ろしい事柄でも、

いざぶつかってみると、思ったほどでもなく平気で堪えて行ける

ものである。兵士が鉄砲玉に向かって突貫できるのも、これだな

と思って、私は陰気な境遇にもかかわらず、妙に晴ればれした気持に

さえなるのであった。(*1)


 上に引いたのは江戸川乱歩(えどがわらんぽ)さんの「孤島の鬼」の一節で、題名にある島での様子です。



 密室と衆人環視のなか、むごたらしい殺人事件が相次いで起こります。謎解明につながるとみられる小さな島を、主人公蓑浦金之助(みのうらきんのすけ)と年長の友人にして蓑浦を内心恋い慕う同性愛者の諸戸道雄(もろとみちお)がふたりして訪れますが、諸戸は悪魔のような島の住人によって土蔵に監禁されてしまうのでした。蓑浦は心細い思いを抱きながら友人奪還をひとり画策していきます。“当時の経験から”うんぬんというのは、この話が最初から最後まで主人公の回想形式を取っているからです。


 愛する者を殺され、知人を救えず見殺しにし、忌わしい殺人をさらに幾度も目の当たりにしたあげくに、見ず知らずの土地で孤独な逃亡生活を余儀なくされる。誰が味方で誰が敵やらわからぬ中で、手ぬぐいで顔を隠し、夜陰に乗じて悪鬼の館に潜入せねばならぬ。危機また危機の連続です。やや女性的な気質を内に秘めた都会育ちの男なのですが、しかしそのうち、肝がどんどん据わってきて大胆な動作が板に付いてくる、成長していく、それが自分でも分かってくる、そんな踊り場めいた描写なのでした。そこに“味噌”が登場しています。


 旧家の土蔵に座敷牢、ぐるりと囲む高い塀に屋根瓦、湿って冷たいコンクリの壁、地下室、抜け道、変装道具、気球に野獣それから血みどろの刃(やいば)、黒く光る拳銃……、乱歩さんの世界はたくさんの小道具で構成されていますが、よもやその中に“味噌”が顔を覗かせるとは想像もしませんでした。


 作者も読者も展開を追って走るの精一杯であって、食事の仔細に目を細めたりそれを談じたりはしないもの。まして調味料にまで気持ちを注ぐ余裕はない、味噌や醤油とは無縁の世界と思っていたのです。 恋する人と思いがけず街角で出くわしたみたいで、ちょっとドキドキしました。


 以前読んだ小冊子によれば、味噌のなかには血管の収縮をブロックして高血圧を防止する成分が入っているらしい。干し魚のカルシウムと味噌の成分がうまく作用して男のパニックを沈静化させている、と解釈するのは飛躍が過ぎるでしょうか。


 医学的にどのような役割を果たしたかはさて置き、ここでの味噌は一皮剥けて逞しくなった男の心持ちとは確かに連動していて“妙に晴ればれした”ところがあります。情念の噴出や決壊をそっと抑制して内観をうながし、静かでさらさらした時間を醸成していく。どうやら味噌にはそのような効用が物語のうえで期待されている。実際どうでしょう、“えたいの知れぬ干し魚”だけでは男の精神はすさむばかりで支え切れなかったに違いない。悪くない味噌の登用だったと思うのです。


 ごちそうさまでした、乱歩さん、面白かったですよ。

 
 往時の無頓着な世相を反映して乱暴この上ない題材が選ばれ、遠慮の微塵もない黒い笑いにまみれた場面が連綿と続いていく、そんな猟奇小説です。昨今の過剰な表現規制などを思うと、いつか絶版になるような気が致します。

 原初的で毒々しい恐怖と笑いを、けしからん、配慮が足らないと切除するなりフタなりをしてしまえば、創作の世界の地平はなるほどすっきりするかもしれない。けれど、意見を交わすことが出来る“開かれた闘技場”が失われていき、結果的にこれから育っていく若者のこころを未成熟にしないか、硬直させないかと僕はすこし心配しています。


 こういう本は何とか生き残ってもらいたい。人間の本質を鋭く突いた内容ともなっていて、興味深い、嬉しい時間となりました。



(*1):「孤島の鬼」 江戸川乱歩 初出は大衆雑誌「朝日」で一年間に渡る連載。表題にはいつも通り連載開始の1929(昭和4)年を入れた。手元にあるのは東京創元社の推理文庫 2010年の30版。引用はそれの283頁。最上段の画像もその中からで、連載当時の扉絵。同182頁より。竹中栄太郎さんの筆による。 

2011年1月12日水曜日

林芙美子「放浪記 第三部」(1947)~何処からか味噌汁の匂いが~



(七月×日)(中略)
 台所で一人で食事。来る日も来る日も、なまぬるい味噌汁と御飯。
ぬか漬の胡瓜を一本出してそっと食べる。ああ、たまにはジャムつきの
パンが食べたい。
 奥さんが、小さい声で叱っている声がする。恩を仇で返されたような
ものよと云う声がする。学者の家と云えどもいろいろな事あり。(中略)
女の泣き声が美しいのに心が波立つ。やぶれかぶれで、またぬか漬けの
茄子を出して食べる。
 酸っぱい汁が舌にあふれる。(*17)


 林芙美子(はやしふみこ)さんが1947(昭和22)年に「日本小説」という雑誌に連載を始めた「放浪記 第三部」は、やはり若かった折りに書き綴ってきた五年分の日記が土台になっています。二十年も前の文章を開陳しなければならないのは、いくら文筆家といえども大変な話です。林さんは当然のこととして加筆をされている。僕みたいな素人目にも随分と手が加えられているのが分かって、それが読んでいて興味惹かれるところでした。

 
 たとえば上に引いたところなどは直往邁進(ちょくおうまいしん)だった一部、二部の気ままな記述と比べてすこぶる技巧的で読みやすく、また楽しい感じに演出されています。林さんが女中として住み込んだ学者さんの家での情景です。台所で朝食を取っていると壁越しに館の主とその夫人との修羅場が演じられる。林さんは男女の悲鳴や囁きを漬け物をもそもそ食べる行為でサンドイッチして見せて、交互して読者の眼前に広がる光景がまるで映画のカットバックです。


さらに味覚や嗅覚を味方につけて、女の泣き声、涙、胃の腑から苦しく込み上げるものと「舌にあふれる酸っぱい汁」を上手く交じり合わせてもいる。哀しさを倍化することに成功しています。ここには明らかに文筆家としての成長が認められますし、既にこれは日記ではなく練り上げられた小説の域に突入してもいる。


 「みんな本当の、はらわたをつかみ出しそうな事を書いている」(*15)と言う林さんの言に嘘はないのですが、“本当”を伝える術の巧みさがぐっと増している。読む方もそれだけ共振していき、他人事として静観することがいよいよ難しい。ふと我が身を振り返って内省を迫られるような部分とも多く出会ってしまう。驚くほど震幅が増しているのです。

 
「いったい、どこに行ったら平和に飯が食えるのだ。飢えていては何を愛する気にもなれない」(*12)と叫ぶ林さんの、けれど誰かを一心に愛さずにはいられない魂が「飢餓感」とみるみる結合して、実に稀有な協和音を奏でていく。愛憎と食べものが連結して魂を謳い、而して“味噌汁”もまた見事な光を放っていくのでした。


以下は熱情のおもむくまま後先無しに同棲をはじめてみたものの、結局は袋小路に行き果てた林さんと若い詩人との間に立て続けに現われ、強い印象を刻んでいく味噌汁の記述を抜き書きしたものです。このような哀しい味噌汁は他であまり見られないような気がします。


(十二月×日)(中略)

 どうにも空腹にたえられないので、私はまた冷い着物に手を通して、

七輪に火を熾(おこ)す。湯をわかして、竹の皮についたひとなめの

味噌を湯にといて飲む。シナそばが食べたくて仕方ない。十銭の金も

ないと云う事は奈落の底につきおちたも同じことだ。

トントン葺きの屋根の上を、小石のようなものがぱらぱらと降っている。

ここは丘の上の一軒家。変化(へんげ)が出ようともかまわぬ。

鏡花もどきに池の鯉がさかんにはねている。味噌湯をすする私の頭には、

さだめし大きな耳でも生えていよう……。狂人になりそうだ。

どうにもならぬと思いながら、夜更けの道を、あのひとがあんぱんを

いっぱいかかえてかえりそうな気がして来る。かすかにあしおとが

するので、私ははだしで外へ出て見る。

雪かと思うほど、四囲は月の光りで明るい。関節が痛いほど寒い。

ばったりと戸口で二人で逢えばどんなに嬉しかろう……。(*13)


(十二月×日)(中略)

 さて、私もいよいよ昇天しなければならぬ。駅の近くの荒物屋へ行って、

米を一升買う。雨戸がまだ一枚しか開いていない。暗い土間にはいって行くと、

台所の方で賑やかな子供達のさわぐ声がして、味噌汁の香りが匂う。人々の

だんらんとはかくも温く愉しそうなものかと羨ましい気持ちなり。

男の為にバットを二箱買う。(*14)


(二月×日)

 朝、まだ雨が降っている。みぞれのような雨。酒でも飲みたい日だ。

寝床のなかで、いつまでもあれこれ考えている。野村さんは紅い唇をして

眠っている。肺病やみの唇だ。(中略)
 
もう、これが最後で、本当にお別れだと思う。

何処からか味噌汁の匂いがする。むらさきのさむるも夢のゆくえかな。

誰かの句をふっと思い出した。(*16)



 恋情の終着点でふと何処からか匂ってくる味噌汁。化け物の吐息でしょうか、それとも粉微塵になった淡い団欒の夢の残り香でしょうか。人がひとを愛した果てに訪れる真空の朝に、幻の味噌汁が湯気をそっと放っています。 


 関節が痛いほど寒い、そんな凍える日々に僕たちも入りましたね。

 元気に温かくしてお過しください。


(*12):第三部 421頁
(*13):第三部 438頁
(*14):第三部 448頁
(*15):第三部 450頁
(*16):第三部 470頁
(*17):第三部 498頁

「放浪記 第三部」は上に書いた通り、その原型を1922(大正11)年まで遡ります。けれどここでは加筆され完成されて雑誌に連載なされた時期、1947年を以って一応の区分けとしました。
最上段の写真は映画「放浪記」監督 成瀬巳喜男 1962 

林芙美子「放浪記 第一部・第二部」(1928)~米味噌の気づかい~



(二月×日)(中略)

 だが、私はやっぱり食べたいのです。ああ私が生きてゆくには、

カフエーの女給とか女中だなんて!十本の指から血がほとばしって

出そうなこの肌寒さ……。さあカクメイでも何でも持って来い。

ジャンダークなんて吹っ飛ばしてしまおう。だが、とにかく、何もかも

からっぽなのだ。階下の人達が風呂に行ってる隙に味噌汁を盗んで飲む。

神よ嗤(わら)い給え。あざけり給えかし。

 あああさましや芙美子消えてしまえである。(*9)


 大学の入試試験だかの問題が新聞に載っていて、それをぼうっと眺めていたら林芙美子(はやしふみこ)さんの「放浪記」の一節が目に飛び込みました。昨年のことだったか、もしかしたら一昨年だったかもしれません。随分艶かしい中身と想っていたものだから驚いてしまって、その分記憶に刻まれました。今どきの高校生は誰もがこれを読んでいるものでしょうか。なんかとっても羨ましいというか、まぶしい感じがいたします。


 堕胎、私娼窟、複雑な家庭、貧困、言い寄る男、餓え、眠れぬ夜……。実際、生々しいお話です。手元にあるのは新潮文庫の第42刷、2002年のもので、年末に亡くなられた高峰秀子さんの映画を観たくなり、その前に原作にも目を通そうと買い求めたものです。おやおやと笑われてしまうでしょうが、この年になって始めて読み通しました。


巻末の小田切秀雄さんの解説によれば、1922(大正11)年から五年にわたって林さんが書きためたものが土台になっているとか。林さんが生をうけたのは1903年の暮れですから、十九歳から二十四歳頃の本来ならいちばん女性として華やかな時期の記録です。


 書くことで記憶を整頓し、思考を深め、気持ちを沈静させて明日へと繋げていく。そういう人は世の中にたくさんいて、僕が時折こうして向かってもいるブログの世界的流行が物語ってもいます。なんら不思議なことではない。けれども、五年分の“日記”を風呂敷に包んで木賃宿、下宿、場末の旅館、住み込みの狭苦しい部屋、同棲始めた一軒家と後生大事に持ち歩き、事あるごとにつぶさに書き綴ってきた林さんの執着には鬼気迫るものがあって、読んでいて圧倒されるものがあるのでした。書くことで救われるものがあったのでしょう、きっと。


 二十年後に発表された「第三部」は若干雰囲気が違いますが、1928(昭和3)年10月に雑誌に連載され、1930(昭和5)年に改造社より相次いで上梓なった一部と二部の方は混沌する彼女の日常と剥き出しの思いを実直に写し取ったところがあります。加筆や装飾、訂正の気配があまりない。赤裸々な食欲そして性欲、夢と希望が咆哮し荒れ狂う様は読むこちら側にじわじわ伝染するようであり、加えて挫折や打撃、絶望、猜疑や嫌悪という黒い部分も不意を討って胸底に跳び込む調子で相当に重いものとなっています。


若さゆえに文末ごと「ナニクソ」と奮起し、調子を直ぐに取り戻すのが救いといえば救いであって、これが三十や四十を越えてからの五年分の日記であれば相当違っていたろうと思われます。おかげで勇気を貰えたように感じています。


 生活の諸相を丹念に書きとめていくことで“味噌汁”の記述も面白いほど多い。さらに言えば独特の傾斜のそこに見止められそうに思えます。

(十二月×日)(中略)
「姉さん!十銭で何か食わしてくんないかな、十銭玉一つきりしかないんだ。」
 大声で云って正直に立っている。すると、十五六の小娘が、
「御飯に肉豆腐でいいですか。」と云った。
 労働者は急にニコニコしてバンコへ腰かけた。
 大きな飯丼(めしどんぶり)。葱と小間切れの肉豆腐。濁った味噌汁。これだけが十銭玉一つの栄養食だ。労働者は天真に大口あけて飯を頬ばっている。涙ぐましい風景だった。(*1)

(十二月×日)(中略)
二寸ばかりのキュウピーを一つごまかして来て、茶碗の棚の上にのせて見る。私の描いた眼、私の描いた羽根、私が生んだキュウピーさん、冷飯に味噌汁をザクザクかけてかき込む淋しい夜食です。(*2)

(十月×日)(中略)
朝の掃除がすんで、じっと鏡を見ていると、蒼くむくんだ顔は、生活に疲れ荒(す)さんで、私はああと長い溜息をついた。壁の中にでもはいってしまいたかった。今朝も泥のような味噌汁と残り飯かと思うと、支那そばでも食べたいなあと思う。私は何も塗らないぼんやりした自分の顔を見ていると、急に焦々(いらいら)してきて、唇に紅々(あかあか)とべにを引いてみた。(*3)

(十二月×日)(中略)
誰もいない夜明けのデッキの上に、ささけた私の空想はやっぱり古里へ背いて都に走っている。旅の古里ゆえ、別に錦を飾って帰る必要もないのだけれど、なぜか侘しい気持ちがいっぱいだった。穴倉のように暗い三等船室に帰って、自分の毛布の上に坐っていると丹塗(にぬ)りはげた膳の上にはヒジキの煮たのや味噌汁があじきなく並んでいた。(*4)

(一月×日)
 暗い雪空だった。朝の膳の上には白い味噌汁に高野豆腐に黒豆がならんでいる。何もかも水っぽい舌ざわりだ。東京は悲しい思い出ばかりなり。いっそ京都か大阪で暮してみようかと思う……。(*5)

(一月×日)
 毎朝の芋がゆにも私は慣れてしまった。
 東京で吸う赤い味噌汁はなつかしい。里芋のコロコロしたのを薄く切って、小松菜を一緒にたいた味噌汁はいいものだ。新巻き鮭の一片一片を身をはがして食べるのも甘味(うま)い。(*6)

(九月×日)
 もう五時頃であろうか、様々な人達の物凄い寝息と、蚊にせめられて、夜中私は眠れなった。(中略)午前八時半、味噌汁と御飯と香の物で朝食が終る。お茶を呑んでいると、船員達が甲板を叫びながら走っていった。
「ビスケットが焼けましたから、いらっして下さい!」
 上甲板に出ると、焼きたてのビスケットを私は両の袂(たもと)にいっぱいもらった。お嬢さん達は貧民にでもやるように眺めて笑っている。あの人達は私が女である事を知らないでいるらしい。(*7)



 濁った、泥のような、あじきない、水っぽい──負の飾りにふちどられた味噌汁がずらり並んで怖い感じです。東京を離れてみて大豆臭の強い赤味ある味噌を懐かしく思い返す、そういう可愛らしい記述も一部あるけれど、全般的に宿る蔭はかなり暗めになっている。貧苦に喘ぎ、食費を削り、それでようやく口にするのが“味噌汁”ということで、ここでは明らかに貧窮の象徴として機能して見えます。


 朝起きて、小さな女中を相手に食膳をととのえ、昼は昼、夜は夜の食事から、米味噌の気づかい、自分の部屋の掃除、洗濯、来客、仲々私の生活も忙がしい。その間に自分のものを書いて行かなければならないのです。自分の作品の批評についても、私は仲々気にかかるし、反省もし、勉強も続けてはいるけれども、時々空虚なものが私を噛みます。(*10)


 第二部の終わりに林さんは“米味噌の気づかい”という言葉を挿し入れました。ヘンテコな言葉です。「放浪記」がヒットして文筆家の仲間入りを果たし、一軒家を構え、老いた親を養っていく。当時のまだまだ不安定な近況を語る中での“米味噌の気づかい”とは一体全体何か、僕は最初書き損じた箇所がそのまま残されたものかと訝りました。時折世話を要する“ぬかみそ”への気づかいならば分かるのです。“米味噌の気づかい”──なんでしょうか、この不思議な言葉。


実は林さんが味噌汁に固執していたからなんですね。朝食のほとんどを女中さんに任せていながら“味噌汁”だけは自分で作らないと気が済まなかった、そんな彼女の慣習に関わるものなのでした。生理的なものか精神的なものか僕には分からないけど、林さんは味噌汁を特別視している人だった。やや別格のものとして扱われている気がします。


 “味噌についての気づかい”を基点にして上に引いた苦しかった時分を再度振り返ってみれば、どの味噌汁も液面をきらきらと照り返らせ、ひとりの少女の受難をじっと見守っている、唇を噛み、涙を呑んで向かっていく真剣勝負の人間の、真摯な面(おもて)を見上げているようです。林さんだけではなかった。あの当時多くの日本人が味噌汁と共に喜怒哀楽を懸命に生きていた。希望と呪詛にまみれた味噌汁椀が家庭で、食堂で次々に傾けられていた、誰もがぎらぎらしていたそんな光景を脳裏に描き、襟を正さなきゃと真面目に思うのでした。

 
(*1):第一部 26頁(頁数はいずれも手持ちの新潮文庫のもの)
(*2):第一部 52頁
(*3):第一部 116頁
(*4):第一部 130頁
(*5):第一部 135頁
(*6):第一部 142頁
(*7):第二部 219頁
(*8):第二部 229頁
(*9):第二部 326頁
(*10):第二部 347頁
(*11):第三部 400頁

表題の年数1928は単行本化の前、雑誌に掲載され世間に公表された時点を選んだ。
ちなみに「放浪記」における醤油の記述は次の二箇所に絞られる。「味噌汁」というものがいかに魂に直結し、愛憎の対象となるか、この段差が静かに物語るように思える。

(三月×日)(中略)
 女達は、あはあは笑いながら何か私のことに就いて話しあっていた。昼の膳の上は玉葱のいためたのに醤油をかけたのが出る。そのほかには、京菜の漬物に薄い味噌汁、八人の女が、猿のように小さな卓子を囲んで、箸を動かせる。
「子供だ子供だと言って、一日延ばしに私から金を取る事ばかり考えているのよ、そして、栄養食ヴィタミンBが必要ですとさ、淫売奴のくせに!」(*8)

(九月×日)(中略)
 八重垣町の八百屋で唐もろこしを二本買って下宿に帰る。ダットのいきおいで部屋へ行き、唐もろこしの皮をむく。しめった唐もろこしの茶色のひげの中から、ぞうげ色の粒々が行列して出て来る。焼きたいな。こつこつ焼いて醤油をつけて食べたい。
 下宿の箱火鉢に紙屑を燃やして根気よく唐もろこしを焼く。(*11)

2011年1月8日土曜日

楊逸「獅子頭(シーズトウ)」(2010)~むやみに箸でかき混ぜた~



「ママと、あの、あの田所さんと、食事するのか?」(中略)

「するよ。よく一緒に食べに行こうよって誘われるけど。

僕も祖母(ばあ)ちゃんも断ってるの」

「へえ、すると、ママと田所さん、二人で食事?」

「そうだな。二人で行ってるんじゃない?」

鶏肉を頬張っている口から、若干曖昧になった言葉を出した。

 二順は顔を強張らせた。味噌汁のお椀を持ち上げ、むやみに

箸でかき混ぜた。白い豆腐が幾つも、平たく漂うわかめをかき分け、

わきあがった。それを唇も舌も経由させず、まっすぐ喉に注ぎこんだ。(*1)


楊逸(ヤンイー)さんの「獅子頭(シーズトウ)」からの一節です。2010年の2月より朝日新聞で連載されている小説ですが、ごめんなさい、僕はあまり熱心な読者ではありませんでした。ですから、この物語がどのような輪郭を持っているか、語る資格を全く持ちません。話せるのはこの回、それだけです。


中央にぽんと置かれた挿画に朱塗りの椀があり、白と深いみどり色の平行四辺形が薄茶の汁に浮いています。幕を下ろした後の舞台に落ちたまま捨て置かれた紙製の雪みたいに見えて、やや淋しげな風情です。ああ、豆腐の味噌汁だ。磁石に引き寄せられる砂鉄のようになって文字を追いました。実に細やかな描写がそこにあって、思わず溜め息が出ました。


二順(アーシュンと読むようです)という名の父親が、泊まりに来た息子の涼太のために夕食をこしらえます。めったに作らない純和風の献立です。涼太は喜んで箸を伸ばしていく。まだまだ子どもなのです。父親は息子の母親、どうやら別れた妻のことが気になり、口にしづらい質問をおずおずと切り出していくのでした。上ずる声の感じから父親の気持ちを酌み、息子は曖昧ながらも返答していく、そんな情景です。


焦り、震える胸中を代弁するように味噌汁の椀のなかで小型の嵐が突如発生し、具材がぐるぐる逆巻いています。味わい噛み締める余裕をもはや失くし、ぬるい液体がむなしく喉を駆け下っていく。その感じを僕たちはすっかり幻視、幻覚して、一瞬でこの男のやるせなさ、寂しさ、いくらかの嫉妬を自分のものとして深く共振するに至ります。


「やきもちを焼いているんでしょう?」

「やきもち?」

 慌てた二順は、手元にあった雑巾で鼻を拭いた。

「祖母ちゃんが言ってたよ。田所の話をしたら、

パパがやきもちを焼くかもよ、ってさ」

 涼太は得意げな表情で、両手で味噌汁のお椀を持ち上げ

ながらも、食べる素振りもなく、目をじっと二順の顔に据える。

 全くワンパクで賢くて困った子だ。二順は味噌汁のお椀で

顔を隠し、息子の視線から逃げた。(*1)


顔の前まで掲げ持たれる味噌汁の椀。具材を箸で口腔内へ導く間、口もとから鼻、目元までの表情を覆い、向き合う家族、恋人からの視線を避けて、魂の個室を一瞬だけ創出していく。その特質を見事にとらえ切った描写です。これは素敵過ぎます、唸るしかない。楊逸さん、おそれいりました。


ものを食べるという行為のいちいちでここまで踏み込んだものがあっては、きっと疲労困憊しちゃって料理の半分も喉を通らないでしょう。


けど、ときにはこういう時間、魂と料理が肌寄せ合うような得難い時間が人生にはめぐって来てもらいたい、そう心から願います。



どうか素晴らしい夕食を、そして、幸せな朝食を。

いい一日を、やさしい一瞬を。


(*1): 「獅子頭(シーズトウ)」 楊逸 2010 第254回より 私が読んだのは2010年12月29日の朝刊18面でしたが、大都市圏では夕刊に載っているようです。もしかしたら掲載日もずれている可能性があります。イラストは挿画を担当しておられる佐々木悟郎さんのもので、この回を飾っていたものです。旨味の利いた、美味しい絵ですね。ごちそうさまでした!

2011年1月4日火曜日

宇仁田ゆみ「うさぎドロップ」(2005)~びみょうなきもち~




りん「ダイキチー ごはんできたー」

────茶の間に布団を敷き寝ている大吉を、りんがゆさゆさと揺さぶる

大吉「うう~… うう~…」

りん「もうムリ 遅刻するって ダイキチ!!」

大吉「う~ん…」

りん「もう 大人のくせにちゃんとしてよ」

大吉「……… お前はアレだなー」

りん「何?」

大吉「ナリはアレだけど 中身はおばあちゃんみたいだなー

  朝っぱらからシャンとしやがって」

りん「もうっ ダイキチ ひとり暮らしの時 どーしてたの──!?」

大吉「それを言うなぁ──!! つーか先…食えばいーのに」

りん「やだ ひとりで食べるのキライ」

大吉「…… はいはい」

────ズルズルと座卓にいざり寄る大吉。りん、両手を合わせて拝んだりしている。

大吉、味噌汁椀を口に運んで

大吉「み…味噌汁がどんどんかーちゃんの味になっているような…」

りん「だってお料理 おばさんに教わってもらってるから」

────りん、大吉の手元に目を止めて

りん「ずぼら箸だめでしょー」(*1)


昨晩、人生で三度目の“お一人様映画”を体験しました。他に観客がおらずにたった一人でスクリーンを独占することです。一度目は子どもの頃に観た日本のアクション映画、二度目は昨年のことでイタリア貴族の末裔を題材にした家族劇、昨夜はロシアの文豪の晩年を描いた小品(*2)でした。


興行というのはなかなかに難しいものです。作品の質は決して悪くないのにこういう事が起きてしまう。けれど、劇場スタッフの方には申し訳ありませんが、150席ほどの中型のスクリーンとはいえ悠々と真ん中に陣取って遠慮なしに笑ったり呻いたりしながら音と光を満喫出来たのは、すこぶる贅沢な気分であって実に嬉しいお正月になりました。


これからの急激な人口減に対応するには思い切った工夫も必要かもしれないなと想像廻らせたりもして。どうせなら座席数を間引いて距離を置くとか、人工芝を敷いて寝転がらせるとか、大きなベッドをでんと設えるとか。恋人とふたりで手足絡めての映画鑑賞、わあ、なんて素敵。バカじゃねえ、正月から妄想全開かよ。


家族間の葛藤が物語の主軸となっています。壮絶で、けれど笑ってしまう夫婦喧嘩がこれでもかとばかりに延々描かれていく。食卓の皿が粉微塵に叩き割られ、銃声が鳴り響き、フォークが背中に刺さったりします。食わぬどころか怖がって犬もどこかに隠れそうな程もけたたましいのです。子供たちも互いに意見が衝突し、家族は空中分解寸前に追い込まれています。


考えさせられる内容で有意義な時間になりました。リアルな家族や親族というのは程度の大小はあれ、なるほどこういったモノでしょう。外貌、内実ともに複雑であり、錯綜する局面を折り挟んでいく。ほとんどの人は“しこり”を抱えて悶え歩むしかなく、丸い輪に閉じられた長谷川町子さんの漫画のように安穏と笑顔でばかりは暮らせません。


上に引いたのは宇仁田(うにた)ゆみさんの描く「うさぎドロップ」の一場面です。間違いなく長谷川さんとは違った様相の家族が息づいています。描線は手塚治虫さんの系譜のようで甘ったるい印象をやや受けますが、構成が七十年代の劇画を想わせて巧みだし、現実の捉え方にちょっと気合いが入って見えて僕は大いに注目しているところです。


頑固一徹な性格から子どもたちと距離を置き、ひとりで暮らしていたはずの祖父に隠し子があったことが死後になって発覚します。まだ6才の女の子なのですが、実母は育児を一切拒否してしまい拠り所を失ってしまうのでした。外孫で独身男のダイキチが見るに見兼ねて彼女を引き取ることになります。


血族ではありながら微妙な立ち位置にいる“りん”という娘は、僕たちの文化に根を張った平坦で軋轢のない家族像に投じられた一石です。波紋は円弧を為して広がり、周辺の人々を確かに揺らしていくのでした。男は慣れない子育てに取り組むうちに、これまで意識に及ぶことがなかった事柄に真向かうことになっていく。もともとしっかりした性格でしたが、より深慮のある男に育っていく。そんなお話です。


家庭の基盤を家族ひとりひとりの幸福にまず求め、全体よりも個人の自立や満足に主軸を置いて脱皮を繰り返すようにして世界をリライトしてみせる逞しい欧米文化と比べてしまえば、まだまだ湿度が高く飛躍に乏しい日本的な展開です。けれど、これまで茶の間を覆ってきた単層な世界観と比べるとかなりの成熟を感じるところです。


おにぎり、カレーライス、コロッケ、焼きそば、と、劇中に食べものがめまぐるしく登用されていますが、味噌汁はこれらと一線を画してコントラストのある意味付けが加えられていました。ややステレオタイプの使われ方(母の味)がされていますが、家族とは何か、暮らしとは何か、血族とは何かを問い詰めていく過程において、作者の宇仁田さんはあえて意識的にこれを描き込んでいる。


十年という歳月を一気に跳躍させて、六歳の幼女はすっかり大人びた身体つきに育っています。第二部の開幕なのでした。おばあちゃんみたいにシャンとして、母親の味付けを踏襲して見せた“りん”という娘は、傍目にはすっかり家族に融け込んで見える。


そう見えるけれど、そう単純ではないんだと宇仁田さんは言いたいのでしょう。


物語とは僕たちに代わって僕たちの内部に巣食っている対立したり矛盾する価値観を引き出し、ぶつけ合い、考えさせる実験装置です。宇仁田さんは味噌汁でもって寄せる波を送り、その後では世界が氷結するような引き潮の場面を挿入してみせます。ふたつの抗う波の狭間に立つ登場人物の行き着く先が、はたしてどのような場処であるのか僕には想像出来ませんしハラハラしながら見守るしかありません。ダイキチと“りん”の間に置かれた味噌汁は波間に置かれた浮き標となって、境界はここだよ、君はあちら側、それともこちら側、どっちに来るつもりなのと尋ね続けているように見えて、確かに“びみょう”な顔付きなのです。


(*1):「うさぎドロップ」 宇仁田ゆみ 2005年より『FEEL YOUNG』(祥伝社)に連載。
上に引いたのは25話の冒頭部分で単行本第5巻に所載。奥付によれば2008年6月号に掲載されたものらしいが、ここでは連載開始時の2005年にて紹介しています。
(*2): The Last Station 監督 マイケル・ホフマン 2009

2010年12月30日木曜日

石井隆「ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う」(2010)~層が交互に重なって~


今秋10月に公開された石井隆(いしいたかし)さんの映画(*1)のなかに、巨大な石切り場が登場していました。僕たちの五感はなんとなく大きな建築物に対し麻痺したようなところがありますよね。高層ビルディングが身近にそびえ、日々テレビジョンを通じて雲を突き破らんばかりの鉄塔を見せつけられる世の中です。しかし、この映画で映し出される場処(劇中“ドゥオーモ”と呼ばれる)は、つい身を乗り出させる強烈なものがみなぎっていました。奇観にして壮麗、空虚にして厳粛、またずいぶんと不思議なところを見つけたものです。


天井までの高さが30メートルにも達するこの狂気じみた空洞は、当然ながらどこもかしこも同質の岩で成り立っています。さまざまな要求(効率性、防燃性、見栄え、そしてもちろん経済性)に応える余り、複合素材が骨やら肉やら血管のように絡み合う現代建築に慣れ切った僕の目には、もうそれだけで衝撃がありました。


加えて陶然としてしまうのは、広い天井を支えて見えるいくつもの柱です。いや、柱という概念を超えた厚みと大きさであって、けれど“壁”とも言い難く、独特の存在感を主張してあちらこちらに佇立しています。禍々(まがまが)しいというか霊的なものを想起させる面体(めんてい)をしている。石井さんは神や仏を前面に据えた劇を作らない人なのだけど、作り手の深意はどうあれ宗教的空間としての起動はもはや避けがたく、柱の手前で繰り広げられる陰惨な行為の数々が否応なく祭祀的な光彩を帯びていくのです。一見の価値ある迫力の映像です。


映画のなかでは味噌も醤油も見当たりません。いや、台所に確かPET容器に入った醤油が置かれていたような──まあ、いいでしょう。特別な思いは託されてはいません。ここで取り上げた理由は石切り場の生い立ちが“ミソ”と関わりがあるからです。以前訪れた砕石に関する道具や資料を展示する場所で、次のような展示プレートが飾られていて吃驚しました。ちなみにその資料館はかつて採石場だった場処を改装した作りになっています。


ミソの層 

この坑内は、下図のようにまず垣根掘りで山に横穴を掘り、そこから

平場掘りで柱を残しながら地下を掘り進めました。(中略) 

きれいな石の層と、「ミソ」と呼ばれる茶色の塊を含む層が交互に重なって

います。上記の採掘法をとることにより、ミソの層を残し、きれいな

石の層だけを採掘できるようになりました。現在地はきれいな石の層の

採掘跡で、天井にはミソが確認できます。


斜面の腹にまず穴を穿ち、そこから採掘を開始します。横に横にと掘っていくと見た目に良くない石の層(ミソと呼ばれる部分)にぶつかります。その部分は商品価値が低いので掘らずに残して迂回し、きれいな石の層だけを掘り進めていく。横に掘り切ったら、今度は下へ下へと掘り下げるのですが、ミソを含んだ部分は層となって集中していますから、先に迂回した箇所のその下にも同じようにミソが大量に眠っていると考えられるわけです。結果的にまたもや迂回して残されていく。


だから、この洞窟空間の成り立ちは徹底して上から下であって、地上から地下へ延々と掘られ続けた結果なのです。大きな柱と見えたのはミソを避けた部分の集積である訳ですね。一層二層と掘り下げるに従い、同じ箇所のみ放っておかれた結果、そこが柱のように見えていく。通常柱は下から上へ伸び上がって天井を支える役割を果たすのだけど、ここでは氷柱(つらら)のように下へと伸びたのが実際のところ。日ごろ見慣れた建築技法とは真逆の進みようで、想像すると眩暈を起こしてクラクラします。もちろん天井を支える役割を担ってもいるのだろうけれど、迷路のような回廊の生い立ちにミソが関わっていた、というのはちょっと愉しいですね。


映画のスチールに目を凝らせば、竹中直人さんや佐藤寛子さんの駆け回る背後の白い壁に、手の平でずりずりとなすり付けられたような赤い帯が走っているのが確認出来ます。血痕のようなあの印象的な筋こそが“ミソ”だったのです。


明治期から黙々と過酷な労働にいそしんできた職人たちが“ミソ”をどのような思いで見てきたものか。金にならない無駄なものとして苦々しく見ていたのか、それとも“クソ”と呼ばないだけ愛着があったものか。それはよく分かりません。きっと良い思いを抱きはしなかったことでしょうね。


彼らは芸術を意識した訳でもなく、祝祭空間を神に献じた訳でもありません。家族を養い、日々の糧を得るためにヘトヘトになって働いていただけです。しかし、その結果としてこのような壮大な空間が後に遺されていき、訪れた今日(こんにち)の人の目を釘付けにしていく。機械化が十分でなかった頃から毎日数十センチメートルずつ掘り進められていき、ここまでに至った空間には畏怖を、そして先人たちへの尊敬の念を深く抱くばかりです。


仕事であれ、家庭であれ、それに愛情であれ、総じて人の営みとは似たり寄ったりの成り立ちのような気がしています。何かを為し遂げようと遠大な計画を胸に抱いてみても、毎日のそれは大概地味でほんのちょっとの採掘に過ぎない。ミソにぶつかれば悔しいかな無理な迂回も余儀なくされて、汗のみ流れるばかりで実入りはない。


下に下に掘り進めば、切り出したものを上に運ぶ手間も増えるばかりだし、いよいよ地中に潜っていって濃い闇に包まれるばかり。崩落の恐怖もふつふつ沸いても来る。けれども、ふと振り返って見て、ようやくそこで自分の道程がなし得た結果に驚く。


振り返った場処に広がる空洞を虚しいと見るか、それとも充実と見るか。もはや価値のない廃坑と見るか、それとも魂のことを語るカテドラルと見るのか。僕は後者であると信じたいですね。


間もなく新しい年の幕開けです。さらに洞窟を素晴らしい息吹で充たしていきましょう。

どうか良い年をお迎えください。


(*1):「ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う」 監督 石井隆 2010 

2010年12月29日水曜日

宮迫千鶴「味噌とジェーン・バーキン」(1995)~お前のことが思い出される~



「祖母の家の、地下の物置の奥に、味噌が入った甕(かめ)が

いくつもあった」という電話が、田舎に住む従姉妹から入ったのは、

祖母が亡くなって数年後のことだった。(中略)

祖母はそういう死の準備のあいまにも、いつものように味噌を

仕込んでいたのだろうか。死にゆくことと、明日の食べ物とを

同じように思いわずらっていたのだろうか。(*1)


天候が崩れるその前に挨拶回りを終えておかなきゃと思い、背広を羽織ると車を駆って外に出ました。ドアホン越しの笑顔と口上、玄関での世間話と如才ない健康談義が続いていきます。出掛けには腰がずしりと重たかったものだけど、ひとかどの人たちとこうして直に顔を合わせて生の声を聞けることは嬉しいし、やはり有り難いものです。人間は群れなして生きるものであり、挨拶というのは本源的な歓びに結び付いているのでしょうね。じんわり勇気付けられるところがありました。


それにしても一年が早いです。昨年の今ごろに踵(かかと)揃えて同じ玄関の三和土(たたき)を同じように踏みしめ、似た笑顔と会話を交わしたときの映像がありありと脳裏に蘇えってきて、目の前の光景とぶわぶわの二重写しになるみたいでした。濃厚なデジャ・ビュに魂が持って行かれる、あの感じです。つい先日のような既視感があって、ちょっと薄気味悪いというか奇妙な具合です。歳を取るってこういう事でしょうか。


ぼちぼち官公庁や工場は仕事納めとなり、なんとなく街は緊張がほどけた雰囲気です。渋滞もかなり減ってきたし、前後左右の窓越しに覗く表情どれもが柔和に見えます。白い陶器に盛られた半熟玉子みたいに崩れ霞んでぼんやりした風情。疲れもそろそろ出て来たせいでしょう。皆さん、おつかれさまでした。


これからも休みなく働かれる人もおられるでしょう。こころから「ごくろうさま」。僕も元日以外はあれこれと有りそうで、仕事場への日参を余儀なくされます。着飾った人に混じっての年末年始の勤務というのは決まって侘しいもので、塩味の効いて切ないものが胸にどっとたぎりますが、ひと息ぐいと呑み込み、もうちょっとだけ励んでまいりましょう。


さて、上に紹介したのは宮迫千鶴(みやさこちづる)さんのエッセイ「味噌とジェーン・バーキン」の冒頭とやや中盤寄りのところからの抜粋です。目次にも奥付にも何も見当たらないところからすれば、当時単行本のために書き下ろされたものでしょう。

新聞や雑誌で絵画展や新作映画に対する評論、新刊書をめぐる書評などを読むといかにも宣伝っぽい内容のものが目に止まって鼻白むことがありますが、同様のものがこの本からはわずかに薫って来ます。味噌に光を当てて礼賛しまくる主旨の本みたい。著名なひとがぞろり寄稿しているのは壮観この上ないけれど、ちょっと呈味(ていみ)が単層で乏しいと言うか、メリハリがないというか、行間に寄せ返すものが見当たらずにずっと凪(な)いだままの印象が気になります。ぽってりと曖昧な感覚が読後に残ってしまうのです。


その中にあって宮迫さんの文章と、もう一篇、久世光彦(くぜてるひこ)さんの書かれたもの (*2) は異彩を放って面白かった。両者とも“味噌”と“糠床(ぬかどこ)”を混同しておられるのがご愛嬌ですが、褒め言葉と責め言葉が入り混じって一方的に持ち上げることはない。バランスがいいんですね。味噌(久世さんは明らかに糠味噌)を主軸に据えながらも、家族や恋人との愛執や別離を怖じることなく赤裸々に語っています。割り切れないひとの想いがそっと(糠)味噌に投影されていて、味わい深い短編映画を見るようです。


「同封のジェーンはお前と同じ年である。

お前のことが思い出される」

そのページには、いつものように野性的で飾り気のない

表情をしたジェーン・バーキンの写真と、彼女の言葉が載っていた。

そしてその言葉に、父が引いたと思われる赤いボールペンの

サイドラインがいくつかあった。

「子供とは一生のつき合い」

「娘たちが自由に生きている姿を見るのは私の夢。

死ぬことさえなければ何をしてもいいと思ってる」

「心も外見も“偽装”するのが嫌いな彼女」

 病床で引いたその赤い線はどことなく力がなかったが、

それらはバーキンの言葉を借りた父からのメッセージだった。(*1)


宮迫さんの回想は味噌の入った甕(かめ)の発見から始まって祖母の思い出、祖父の思い出に連結していき、ガンに侵されて病床に伏せる父へと移動し、さらに病院の彼から届けられた郵便封書に跳躍していき、手紙に添えられていた雑誌の切り抜きにやがて焦点が絞られていきます。

切り抜きは女優にして歌手でもあるジェーン・バーキン(*3)さんの記事であって、彼女の言葉が最後にいくつか引かれていく。すると、連綿と続く生命のバトンを受け継ぎ、今まさに人生の潮流で懸命に泳いでいる最中の宮迫さん自身をその言葉たちが優しく照らし出していくのでした。回想に次ぐ回想を経て繋がるのは脈絡のないフラッシュバックでなく、実は血族の在り様なのです。


僕にとってバーキンさんの決定像はアントニオーニの映画(*4)でもなく、オサレなバッグでもなく、パートナーであるゲンズブールさんとの有名なデュエットでもなく、音楽の素養に乏しい僕でありますから数々の唄でも残念ながらなくって、画家とモデルのせめぎあいと確執を徹底的に描いた二十年程前の映画(*5)に集約されています。人生の年輪をそっと刻んで、繊細さと胆力を内に極めた画家の妻役を、バーキンさんは見事に体現しておられました。明日を今日に繋げて生きていくことの酷さと素晴らしさが細い身体に凝縮して感じ取れて、モデル役を務めた女優さんの若い肢体と互角に張り合っており息を呑んだのです。


タイトルだけを見ると、まるでバーキンさんが味噌汁椀に対峙して大きなお口をへの字にしたり、はたまたこれはしたりと艶然と笑顔を向ける、そんな場面が浮かんで来ます。なんか宮迫さんに上手く騙されたような感じだけど、幾度か読み返してみると多層な味と香りが口腔に拡がっていくようで、僕はこれはこれで興味深い“味噌エッセイ”だと受け止めているのです。グラビア越しに送られるバーキンさんの、それは僕にはあの映画の彼女なのだけど、重く成熟した目線も含めて祝福されているように感じるのです。


深い回想へと導き、ひとから人へ寄せられていく想いを丁寧に掘り起こした上で、咀嚼し消化するのを手助け、生きる糧と成していく。二代三代と世代を跨いで食べられていく味噌なればこそ、その引き鉄(がね)となって悠々と機能し得ているのであって、他にどんな食べ物が代われるとも思えない。味噌が具えている特異で幸福な立ち位置を、よくよく酌みとってみせた佳品であったと思います。


(*1): 「味噌とジェーン・バーキン」 宮迫千鶴 「みその言い分」 マガジンハウス 1995 所載 
(*2):「過ちでもなく、悔いでもなく」 久世光彦 上記単行本に所載 “糠味噌”じゃなかったら別に紹介するんだけどなあ。 
(*3): Jane Birkin OBE 
(*4): Blowup  監督 ミケランジェロ・アントニオーニ 1966
(*5): La Belle noiseuse. Divertimento 監督 ジャック・リヴェット 1991 最上段の写真も