2009年8月31日月曜日

谷崎潤一郎「少将滋幹(しげもと)の母」(1949-50)~泣きみそ詩人~



 従来藤原時平と云うと、あの車曳(くるまびき)の舞台に

出る公卿悪(くげあく)の標本のような青隈(あおくま)の顔を

想い浮かべがちで、何となく奸佞(かんねい)邪智な人物の

ように考えられて来たけれども、それは世人が道真に同情する

余りそうなったので、多分実際はそれ程の悪党ではなかったで

あろう。嘗て高山樗牛(ちょぎゅう)は菅公論を著わして、

道真が彼を登用して藤原氏の専横を抑えようとし給うた

宇多上皇の優握(ゆうあく)な寄託に背いたのを批難し、

菅公の如きは意気地なしの泣きみそ詩人で、政治家でも何でも

ないと云ったことがあるが、そう云う点では時平の方が

却(かえ)って政治的実行力に富んでいたかも知れない。(*1)


 これまで漠然と避けていた谷崎潤一郎さんの作品を、思うところがあって今更ながら読んでいます。こんな齢になるまで放っておいたのは明らかに間違い。いや、それともこれでいいのかな。本との出逢い、昔観た映画との再会、不意討ちを喰らわせ胸に飛び込む音楽──まみえるべき時期を何故か知るようにして突如彼らは立ち現われます。この世にはそんな不思議って、確かにあるみたい。


 絶世の美女と噂される“北の方”をめぐって、複数の男たちの想いと行ないが衝突していきます。いくらかお伽話じみた箇所もありますが史実に基づくお話しで、悲喜こもごもが絡み合う様子は祭事空間の狂熱を想起させるものがあります。人がひとに激しく惹かれていく、そして別れていくことのどうしようもない顛末が描かれており、随分と考えさせられるものがありました。


 こころを奪われ、その後、手の届かぬ場処へと背を向けて去っていった愛しいおんなの面影をなんとか振り切ろうと煩悩にまみれた男どもが模索します。仏法の“不浄観”を支えとして記憶からの脱出を試みたりするのですが、結果的には上手くいきません。じたばたと奔走しまくる後半部分は、読んでいる此方の気持ちもざわざわと泡立ち狂ってしまうぐらいに凄絶です。



 無理だよ、そんなことしたってさ、出来ないものはできないものだよ、と谷崎は僕たちにつぶやいてみせます。そうかもしれませんね。ひとの心とは相当に我がままで不器用なものです。


 最初に引いたのは冒頭近くの一部です。物語で重要な役回りを担う、時の左大臣藤原時平を紹介するにあたって、好敵手であった右大臣の菅原道真を引き合いに出して評しています。“泣きみそ”という表現が使われていました。


 高山樗牛(たかやま ちょぎゅう *2)さんの「菅公伝」は「樗牛全集」の3巻にも収められており、どちらも現在国会図書館のウェブ上のアーカイブで見ることが出来ます。読みにくい字を辿ってみたのですが、僕の目が節穴であり見逃した可能性も皆無ではないけれども、“泣きみそ詩人”という言い回しは見つかりません。似たような文章はあります。例えばこんなくだりです。


 公や静に往時を懐慕し、現況を思料し、咏嘆によりて其の哀情を遣るべき也。天は公に授くるに詩人の天分を以てし、而して先ず公に與ふるに政治家の境遇を以てせりき。公の政治家たりしや煩悩内に公を苦め、●奸外に公を陥れ、遂に公をして無告の流人たらしめき。然れども悲し哉是の如くするに非ざれば公は遂に詩人たる能はざりし也。而かも公は死に至るまで是の天分の地に居るを悲み、静に春秋の榮楽を観じて何時かは昔日の榮華に踊る有らむ事を望みたりき。(*3 ●読めません!)


 どうも谷崎さんが独自に登用した表現ということらしい。東京の日本橋に生まれ、関東大震災後に神戸に移り済んだ谷崎さんの口から“泣きみそ”という言葉が出ていることからするならば、どうやら絞りこまれた地方、区域でしか通用しない特殊な蔑称ではなさそうです。“泣きみそ”と言い著わす情景は昭和二十年代の日本の津々浦々で普通に展開されていた、と捉えて良いのでしょう。


 あえて別項で取り上げるほどにも感じない内容なのでこの場に連記してしまえば、池波正太郎さんの「鬼平犯科帳」には「泣き味噌屋」(*4)という題名の一篇があります。鬼平こと長谷川平蔵のフィールドはご承知の通り江戸八百八町であり、地方出身者の坩堝であります。今ではほとんど耳にしない“泣きみそ”はやはり全国区の蔑称であった可能性が高い。



 ここで例によって辞引きを手元に寄せてみましょうか。なき-みそ【泣(き)味噌】「泣き虫」に同じえっ、これだけなんだ。おやおや。では、次に「泣き虫」を開いてみましょう。なき-むし【泣(き)虫】ちょっとしたことにもすぐ泣くこと。また、その人。泣き味噌。泣きべそ。(小学館「大辞泉」)


 “泣きみそ”は“泣き虫”と同意語ということになり、垣根はまるで無いようです。けれど、どうでしょう。“泣きみそ”は“泣き虫”なんでしょうか。



 かつて幼少のころ、僕は随分と涙をこぼす子どもでした。泣いてヒクヒクとしゃくりあげることを烈しく恥じて、こうなった事態に赤面してさらに泣くという悪循環にいつも悩んだものです。そのようにして咽喉をウクウクといつまでも引きつらせる情けない僕を、級友たちは困り顔で取り囲むばかりで小馬鹿にすることなく見守ってくれたのですが、その優しさがまた身に堪え、目にひりひりと沁みて更なる涙を誘うのでした。可愛らしい同級生の女の子もどうしたものかと遠巻きにして見ている。ああ、恥ずかしい、泣けてくる、ウクウク…


 僕はその時、自分のことを“泣き虫”であると定めていた気がします。そんな己自身をとことん嫌悪し、この世界から消してしまいたいと深く願ったものでした。泣き虫、毛虫、はさんで捨てろ、という訳です。ムカデ、ゴキブリ、ダンゴムシ、泣き虫、毛虫、はさんで捨てろ、おまえはクラスメイトの末席に座る価値ない敗北者だ。


 そのような自意識過剰の実体験を踏まえて言うならば、“泣きみそ”という響きは随分とやさしく耳朶を打ち、いい言葉だなと思うのです。“泣きみそ”とは、すなわち“泣いてばかりいるみそっかす”です。言葉の構成、骨格を見据えれば、この泣きじゃくる子どもの現時点は成長の過程の大事なひとつなのだと判ります。いつかこの児もいっぱしの味噌汁になる、自分たちの仲間になるのだと誰もが思い、ゆったりと受忍していく雰囲気が自ずと生まれてくる。


 泣いている当人はとことん情けなく悔しさに身悶えするのは変わりませんが、どんなに恥ずかしくても決して“虫”ではない。少なくとも“半人前”として“人”の地位を保つことが出来ます。なにくそ、負けるものかという気持ちが湧く、そんな余裕が生まれてくる。


 いつ頃から“泣き虫”が“泣きみそ”と入れ替わってしまったものか。湿度の高い、薫り立つミストのような趣きが対人関係から喪われて、その分、僕たちを取り巻く世界は騒々しくって乾いた、とても厭な空気が流入し、きつきつに充満した感じを受けます。


 “みそっかす”を受け入れ、“泣きみそ”を見守る大らかさを保っていきたいものだ、と、かつて間違いなく“みそっかす”だった僕は、谷崎本を一冊また読み終えて密やかに思っているところなのです。



(*1):「少将滋幹(しげもと)の母」 谷崎潤一郎 1949-50
(*2): 高山樗牛 1871~1902 「菅公伝」は1900年上梓
http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/285.html(国会図書館)
(*3): 第九章 詩人菅公 より
(*4):「泣き味噌屋」 池波正太郎  初出「オール読物」1974年2月号
  「鬼平犯科帳(十一)」文春文庫 所載 なお抜粋したものがこちらにあります。
   http://www.asahi-net.or.jp/~an4s-okd/private/bungaku/buo14.htm
※最上段の写真は坂東玉三郎さん演じる北の方 玉三郎さんのファンの方の頁から拝借しました。http://chikotyan.blog84.fc2.com/blog-entry-41.html さすがに綺麗ですね。


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