2009年8月27日木曜日

ちばてつや「みそっかす」(1966-67)~獣みたいな子~

 「あしたのジョー」(*1)、「のたり松太郎」(*2)等で知られる漫画家ちばてつやさんの作品に「みそっかす」(*3)というのがあります。


 お話はふたつの軸で貫かれています。ひとつは家族の集合離散、のたうつ葛藤の様子です。 病弱に産まれて長期療養を必要とされ、親元から四歳のときに引き離されてしまったひとりの少女、茜(あかね)が主人公です。紀伊半島の海辺の寒村で伯父草介(そうすけ)の手により育てられたのですが、放浪画家である草介の自由奔放な性格が茜に野性味を付与し、天性の利発さ、自由闊達さに磨きがかかっていきます。


 烈しさと慈愛、歓びと淋しさを交互に瞳に宿す少女の表情を作者は丹念に描いており、やはり子どもを描かせると上手いな、と感心させられます。いつしかこちらも気持ちがぐんぐん入って目が離せなくなっていく。


 そんな茜が久しぶりに上条家の大きな屋敷に戻ってきます。誰もが嬉しいはずの帰宅なのですが、実に六年間も音信や往来が満足にありませんでしたからね、茜と両親や姉妹とはいつまでも馴染むことが出来ずに衝突を繰り返してしまうのです。


 そうこうする中で上条家の営む商船業は破綻し、自殺を図って父親は海に飛び込みます。助けようとした育ての親たる草介も溺れた挙句に衰弱死して、残された家族は大混乱のなかで経済的苦境に立たされ解体寸前となるのです。茜はひとり悩み苦しみ、育った海辺を目指して家を出ます─────

 もう一つは茜が通うことになった学校での騒動です。折りしもその白樺学園には経営乗っ取りの陰謀があり、偶然にも謀議を耳にしてしまった茜が孤軍奮闘していくこととなります。



 家族やクラスメイトから煙たがられて孤立しつつも、少女は持ち前の気丈さで窮地を切り抜けていきます。手作りの人形や相手にされない老犬を友とし、泥で作った家族に語り掛け、学校ではやはり嘲笑の的となっているパッとしない男の子を援けながら懸命に考え、必死になって生きていく姿には静かな感動を覚えます。


 ところで面白いのは、タイトルに冠された語句が会話にもト書きにも現われて来ないことです。『大辞泉』(小学館)をあけて見ます。そこにはみそっかすということばが次のように載っていました。

みそっかす【味噌×滓】①すった味噌をこしたかす。②子供の遊びなどで、一人前に扱ってもらえない子供。みそっこ。


 母親の口からは「へんくつな子」「おりからはなたれた獣みたいな子」「敵意にみちた獣」と揶揄されるのですが、“みそっかす”とは呼ばれていません。誰もそのように少女のことを言い表さない。

 ひとつの興味深い現象が確認できます。この作品はアニメーション化されてテレビ放映されたのですが、そのタイトルは『あかねちゃん』(*4)と変えられているのですね。



 当時“みそっかす”という言葉が活きた言葉であったことの“証し”となるのか、それとも世間で通じない死語として却下されたものなのか、僕には正確な判断が付きません。でも恐らくは前者でないのかな。アンダーな印象を避けるために改変されたのじゃないかしらん。この作品が描かれた1966年には、十二分にそのタイトルの意が読者に酌まれていたことが推し量れる訳です。読者の身近にも“みそっかす”がいた、いや読み手自身がそもそも“みそっかす”であった。他人と違う自分、劣等意識にさいなまれる自分自身を田舎育ちの孤独な少女に投影して声援を送ったのでしょう


 思えば60年代後半から1970年代にかけて少年少女誌を彩った漫画作品の多くが、何かしらの黒い影を帯びていたように振り返ります。欠陥、不具、倒錯、精神異常、片親、身体的な傷などなど。実に奇態なデフォルメを定着させられ、世間からそれを包み隠そうと苦悩し、時に露わにされて絶叫し暴走していった主人公たちの姿はさながら百鬼夜行図のようで美しくも妖しい光芒が感じられました。

 読者がすんなりそこに自分を投影し得たことは“時代”なのでしょうか、それとも僕たちが真っ黒な影にまみれた鬼のごときものを抱えていたのでしょうか。振り返れば奇妙で懐かしい思いを抱きます。

 とにかくここでの“みそっかす”という題名には相当にウェットなものが潜んでおり、お世辞にも胸を張れるような言い回しではなかったのです。日陰者の宿命が刷り込まれていたことは違いありません。


 さて、目を現在に転じて僕たちの日常を眺めてみましょう。“みそっかす”という言葉はどうなっているのでしょうか。皆さんの周囲に“みそっかす”はおられますでしょうか。

 茜は四人姉妹の三番目でしたが、現在の家族において兄弟姉妹の数はいよいよ少なく、さまざまな年齢の子供たちが一同に会して遊ぶことは稀有な出来事になってもいます。僕の世代より下の人たちには“みそっかす”のイメージを固めること自体が困難で、首をひねってしまう方も多いでしょうね。

 地表にてパタパタパタと羽ばたくも飛び立つ力がなくなっている、そんな夏の終わりの蝉たちのように、“みそっかす”はもはや何処かに姿を消そうとしているものでしょうか。


 もう少しこの事については考えてみようと思います。


(*1):「あしたのジョー」 ちばてつや  原作 高森朝雄  1968-73
(*2):「のたり松太郎」 ちばてつや  1973-98
(*3):「みそっかす」ちばてつや  1966-67
(*4):「あかねちゃん」 東映動画 1968 フジテレビ系列で放映
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%8B%E3%81%AD%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93



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