2010年1月29日金曜日

はじめに~上村一夫作品における味噌汁~


  ここからはひとりの作家、上村一夫(かみむらかずお)さん(*1)の作品について集中して触れようと思います。(集中と言っても考え考えですからね、時間はかかるでしょうけれど。)


  その前に一言二言説明を加えないといけません。と言うのは、このブログの立ち上げの目的が上村一夫さんの作品に深く関わっているからです。


  初めてそれを目にしたのは、数えてみれば25年も前になるのだから自分でも驚きですが、彼の代表作品(後日紹介いたします)のなかに挿入されていた台詞に対し、僕は“言いようのない不安定さ、釈然としないもの”を抱きながらずっと生きて来たのでした。 おかしいですよね。


  とりあえずその時はコヨリを差し込んで、もやもやした気持ちを棚上げした訳だったのでけど、黒色の背表紙が事あるごとに書棚から僕を睨んでは無言で訴え掛けるようなのでした。(答えは出たの、わかったの、あなたの中で物語は完結したの────)


  疑問をどうにか払拭するために、僕はここで紹介して来た小説や映画、漫画を読み解いてきたのです。随分と古い小説なんかが混じっているのはその為です。胸中に堆積したものをブログの形を借り、拙いながらも文章にしてみたのがミソ・ミソなんですね。(*2)


  これから一通り上村作品について書いてしまえば、“Miso-mythology & Soy sauce‐society”は本来の役割を終えるのです。幕をざっと下ろすか精彩を欠きつつ終息に向かうか、いずれにしてもひとつの山を越えることは間違いがない。ひどく淋しい気もするのですが、でも、不意の事故にでも遭ってしまって肝心の“答え”を書き遺せずに逝ったりしちゃえば、それこそ僕は悔恨にまみれて六道巡りをしかねない。そんな年齢ですからねえ(笑)。





  上村さんは言わずと知れた昭和を代表する劇画界の大家です。こと女性を描かせたら唯一無二の画風で完成度はすこぶる高く、追従をいまだに許していません。


  皮膚の内に収まった骨と筋(すじ)を完全に透視し切っていましたね。例えば背から首にかけての息を呑むカーブや、顎から面(おもて)のあえかな傾き加減、緊張と弛緩の間を行き来するたび微妙に移り変わる重心の在り処、柔らかく煮崩れてエスの字を描いていく腰から太腿の線など、女性経験のそうそう豊かでなかった僕にさえ、生々しい重量を具えたものとして目前に迫るのが常でした。


  選びに選ばれた線と、黒髪に代表されるベタ塗りの多用、記号的とさえ言えそうな描写でハイパーリアリズムからは遙か遠くに立ち居ながら、確かに紙面のそこかしこに生きた“おんな”が息づいていました。薄い胸板で小さな息を繰り返し、きりきりした緊迫を孕んでたたずんでいると信じられたものでした。


  けれど正直に言えば、若い時分の僕は上村さんの洗練された作風と美男美女ぞろいの主人公に対して自己を投影することがいささかむずかしくって、ドラマの表面ばかりを読み流していたところがありました。円熟味の増した「菊坂ホテル」(*3)あたりでの“見開き”には実際息が止まったし、内観的な人物描写にも惹かれて読み続けた作家のひとりだったのだけれど、よくよく咀嚼し血肉とするには至らなかった。


  上村さんのドラマを努めて凝視するようになったのは、ここ十年ほど、最近のことです。そこには僕に起こった二つの転機が絡んでいます。いずれも人との出会いによるもので、ひとつ目は僕が恩師と仰ぐある作家(仮にE先生としましょうか)にコンタクトできたこと。上村先生より少し遅れて世に出たE先生を僕は三十年以上も追い続けていて、言わばE先生の創作世界にすっかり淫した身であるわけですが、その先生から酒場での上村さんとのニアミスの話など聞くに及んで対岸の人ではなくなってしまった。


  そのときの上村さんはたいへん神経質な言動を投げ返したそうです。もともとE先生の劇画人生の出航においては、上村さんの画風が目標のひとつであったことはよく知られるところです。しかし、上村さんが年少のE先生の出現を激しく意識していたという事実は衝撃でした。それによりE作品と上村作品の比較解析が僕の内部で竜巻のように起こり、深層まで掘り込んだ“読み返し”に日々励ませることになったのです。


  そしてもう一つのきっかけはウェブ上で偶然にも知己を得たのでしたが、極めて真摯に上村作品を読み解いている人がいて、その唇から発せられる熱い賛辞や感嘆の溜め息に烈しく揺さぶられたということがありました。こうして僕は上村さんの本を開き直すことが無上の歓びとなりました。



  上村一夫さんの作品の根幹にあるのは“恋情”であり、それが性愛、母子愛、鏡像愛と分岐して複雑に錯綜していきますよね。僕たちの抱える精神の一面とぶるぶる共振し、余韻を残す物語が多いのだけれど、その振幅の程度や残響の期間は読み手の実人生における経験値に比例するように思われます。


  僕の身の上でも丁度それら恋情という“不思議”について深く見詰め直し、熟考する機会が巡って来てもいました。こころの奥に瞳を据えては、ときに闘い、ときに融合するためにも、彼の作品群を己の血肉とする絶対的な必要に迫られてもいた。 そうしてみれば、これまで見過ごされていた機微も意図もゆっくり眼前に浮上して来るのだったし、深く頷かされる箇所も一気呵成に増えていくのでした。


  次々の偶然や人との出逢いが縦糸と横糸となって僕の胸に飛び込み、綾織られながらくっきりと像を結んでいく。ひとつの“答え”が導かれていく。時が満ちて僥倖(ぎょうこう)の訪れたことを感じない訳にはいきません。こんな僕の大人げない行為を人は笑うかもしれませんが、今の”僕ならば、あの25年前に差し入れたコヨリをそっと引き抜いて、わだかまりなく頁を閉じることが出来そうな気がするのです。

  

    味噌と醤油は愛をささやく場面にふさわしいか。



 上村さんの複数の作品をひも解きながら、僕なりのまとめに入っていきたいと思います。



(*1):上村一夫さんのオフィシャル・ホームページがあります。業績や現在入手可能な書籍はこちらをご覧ください。http://www.kamimurakazuo.com/
(*2):直接示唆されるということは無かったのですが、ブログやメールを通じて紹介された書籍や映像をひも解くうちに計らずも味噌、醤油にまつわる表現にぶつかり、めくるめく想いにひたった事も度々でした。

  ウェブの世界は空疎なものとの評価に流れがちですが、僕はそうは思えないですね。個が個であり続ける淋しさはあるけれど、取り巻く河の流れの肌打つ水圧、匂いや温度は素晴らしいものがあります。共に泳ぐ魂の、陽射しや月光に体表をきらめかせる様子を愛しく、有り難く見て取ることが多い。お礼を言わせてください、ありがとうございました。

(*3):「菊坂ホテル」 上村一夫 1983-1984 初出は「小説王」(角川書店)

2010年1月25日月曜日

限りある地獄~日常のこと~

 新聞の紹介記事に背中を押されて、探索がてらのドライブです。連なる峰の白く輝ける稜線の彼方に、雲ひとつない空が拡がっています。澄み渡るその蒼さを仰ぎ見るだけでも、生きている実感を覚えます。

 どこまでも伸びていく雪野を黒く道が貫いており、そこをひた走る爽快感もなかなかのもの。窓から額に吹く風も実に心地よくって、充電するものがありました。


 「天道」「人道」「阿修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」の様相をまとめた六道絵(ろくどうえ)を見に行くところです。なんでも今月末まで公開しているとのことで、奇抜で生々しいものに惹かれてやまない僕には恰好の目標です。FM波で届けられるのはバーブラ・ストライサンドの80年代の名曲。何てミスマッチかと思い、けれどそれも楽しく聴きながら目指す寺院を探していきます。


 出かける前にウェブで検索した地図を頭に叩き込んだつもりでしたが、二度三度曲がるべき道を間違えて、侘しく細い路地をのろのろ行き戻りします。けれど、そういう迷い路もまた愉しいものです。赤くペンキに塗られた半鐘(はんしょう)に突然出会ったり。おとなの背丈ほどで町角のあちこちに佇む彼らが、なにやら森に棲む“物の怪(もののけ)”に見えてきます。せわしい日常からふわりと浮遊して遊ぶ、そんな時間は有り難いですね。


 “寒煙迷離(かんえんめいり)”と書くと苔むした屋根が傾き、朽ち果てる寸前みたいで怒られるでしょうか。立派なお寺で手も行き届いた感じなのですが、ほかに見学者もおらずに異界めいた雰囲気に包まれているのです。霊気に覆われた境内を独り進みますが、何となく身もこころも迷い込んでいくような妖しい感じなのです。


 重い扉をがらがら開いて声掛けしても返事はなく、見通しの利く長い廊下はしんと静まり返っているばかり。線香の煙が希釈されてちりぢりに浮遊するようで、鼻腔の奥をむずかゆく刺激します。淋しさひとしおとなって、怖さも薄っすらと湧いて出ます。


 見つけたインターホンを押してやり取りをすれば、どうぞ自由に入ってくれとのお許しです。廊下を進み、ガタガタようやく押し開いた黒い木戸の向うに広がる本堂は無人であって、例によってしばしの間、地獄絵とひとりで対峙することになりました。以前斉藤茂吉さんゆかりの寺で似たようなものを見ていますが、こちらはずっと大きなものです。寒さと状況の異様さに震えてダウンのコートの襟をきゅっと合わせながら、それでも30分ほど異次元に遊びました。



 山岳宗教とも通じるのですが、西洋のものと比べて日本の仏教の地獄極楽図は階層や境界が曖昧なのが特徴ですね。絵の上端からは罪人が悲鳴をあげて降ってきて、口を開けた大釜へと向かって一直線に墜ちていきます。大きな竜の体表から放出される紅蓮の炎に包まれた黒い大釜には、ぶくぶくと熱湯が煮えている様子です。


 その一方、絵の最下端からは、今度は死者たちが険しい階段や坂をひたすら登り、眉間にしわ寄せ冥府の入口を目指していくのです。僕たちの精神世界における地獄の在り様は明瞭でなく、墜ちるのか、登るのかまるで判然としない訳です。



 それは不合理で未成熟な国民性や文化度の低さを表わしているものかと言えば、僕はそうは思わない。むしろ現実的で人間的だという気がします。


 階層や境界がない黄泉の世界にある魂は、少し姿勢を変えてやることで好転も脱出もたやすいということを示唆しています。階段や坂道をさらに降りていけば光明が見えてくる。ダンテの地獄もありますからよくよく調べれば皆無ではないでしょうけれど、西洋の宗教画にはそんな逃げ道、おいそれとは見出せないものです。また、六道絵の地獄の諸相を境い作っているのは壁でもなければ岩でもない。黒くたなびく霧でしかありません。手探りでも歩いていけば厚みのないその霧はやがて突き抜けてしまい、新しい次元が待っている。極彩色のこの絵は現世の僕たちに地獄とて有限であること、夜の闇の濃さには限度があると説いてくれている。



 底なし沼でもなく、牢獄でもない。上下左右どちらかに動いていけば違った光景にいつかはたどり着く。牛頭馬頭(ごずめず)や悪鬼ばかりがうごめくのではなく、阿弥陀如来もまた同じ階層で待っていてくれる。そんな曖昧模糊な魂の彼岸には“救いの可能性”が歴然として在って、僕は素敵だな、日本的だなと感心する次第なのです。


 帰路は日帰り温泉で熱い茶色いお湯にどっぷり浸かり、浮世のあれこれの一部を少しの間忘れ去り、一部は愛しく鮮明に想い返しながら、のんびりとした時間を過ごしました。


 ささやかではありますが、良い休日となりましたよ。


たかぎなおこ「ひとりぐらしも5年目」(2003)~禁断症状が出る~



基本的には和食が多い。

私はみそしる好きなので

2~3日飲まない日が続くと

禁断症状が出る。

「み~そ~し~る~  ゲホ……」(*1)


  上で紹介したのは、たかぎなおこさんの絵入りエッセイ本(ハウツウ本なのかな)からの一節です。三重の実家からひとり離れてのアパート暮らし。若い女性の暮らしにまつわる諸相があけっぴろげに語られていきます。


  不安と笑いに充ちた花の独身生活を誰もが一度は経験するものですが、たかぎさんの場合、その端緒に“みそしる”を渇愛して床をのたうち回るあられもない姿態が在ったのでした。“禁断症状”という表現が、なかなかウフフないい感じです。末尾の呻き声も意味不明ながらアクセントが利いていますね。


  たかぎさんはだから“みそしる中毒者”、なわけです。真面目に反応しちゃいけないのでしょうが、文字を読む限りではそうなります。“やめられない、助けて!みそしる中毒者の叫び”、“本誌だけが掴んだみそしる常習者裏相関図”、“わたしはこうして罠に堕ちた、みそしる依存の深い闇”、“危険な隣人、魔性のおんなはみそしるに身もこころも溺れ狂った”。


  それにしても“みそしる”に疼いちゃうって、ちょっと珍しい表現ではあります。依存食物(この言葉が正しいかどうか分かりませんが)の代表は言わずと知れたコーヒーでしょう。“コーヒー中毒”という表現はかなり定着して見えます。それからチョコレートなんかも一般的なのかな。しかし“みそしる”はあまり聞きませんよね。検索サイトで文字列指定にて調べてみれば、ずいぶんと奇特な存在だと分かります。(*2)


“チョコレート中毒”  155,000件 
“同 禁断症状”    219件 
“コーヒー中毒”    125,000件   
“同 禁断症状”    285件


  これに対して“味噌汁中毒”は86件、“味噌汁禁断症状”に至っては1件しか見つかりません。味噌汁には人間を依存症に陥れるだけの劇烈な成分は含まれず、僕たちの動作を縛ったり拘引するものでは決してない。味噌汁依存が幻影ということは明々白々です。


  だからこの「み~そ~し~る~ ゲホ……」のコマは受け狙いで滑り込まされたに過ぎない訳ですが、それでは、たかぎさんの眼差しや囁きは何もかも絵空に過ぎないのかどうか。もちろん床を這い廻る動作を真に受ける人は誰ひとりいません。誇張されたあり得ないものとして誰もがエヘヘへ、と口角を上げていく次第なのだけれど、さてさて、僕たちの胸の内にあえかな共振、体感出来ない微震は起きていないものでしょうか。


  たかぎさんご自身のホームページがありますね。http://hokusoem.com/
  上の本以外は読んでいませんし、僕の性別や年齢、環境から言ってもたかぎさんの本に今後触れていくことは予想できませんけれど、この書籍の数や奮闘ぶりを見ると相当な人間観察の達人であられるような気がします。


  2003年に初版が出されたこの冊子ですが、僕がブックオフで見つけたのは2008年の、実に15版のものでした。幼少年時のインプリント(刷込)が希薄になり、徐々に“みそしる”から縁遠くなっていく若い人が増えていく時流にあって、こうした本が版を重ねていくことは極めて面白いことだと思っています。食物に限定して書いたものではないにしろ、呪縛というのか信仰と呼ぶべきかよくわかりませんけれど、“みそしる”の根の深さとずるずるの絡み具合を指先に感じます。作者もその事をよく解かった上で、読者に仕掛けてきているように思えます。


  身体を左右するでもなく、依存症を招くでもないけれど、何かふわふわと漂いまとわり付き振り払えない、“みそしる”の雲が僕たちを包んでいるように思えます。


(*1):「ひとりぐらしも5ねんめ」 たかぎなおこ メディアファクトリー 2003
(*2):ちょっと長い蛇足です。

  食べものって人によって嗜好が千差万別で本当に面白い。医療関係者は危険を訴え、教育者は大いに嘆くわけだけれども、偏食の域に突入しての悲喜劇はほど、はたで見ていて可笑しいものはありません。僕もチョコレートにはハマル性質(たち)で、もう駄目、逃げられなくなります。特に某メーカーの某チョコの前では憐れ虜囚の身に成り果てるのです。


  脳のゼラチン皮質が湿り気をじゅんじゅん増していくような、口腔から喉、胃の腑に至るピンクの粘膜がべったり、ねとねとに蜜に染まっていくような、血が酩酊してぺたぺた粘りを増すような、そんな生理的な充足感やよろめきに浸かりながら過ごす隙間の時間は、やっぱり嬉しく何ものにも代え難かったりするのです。生きていることの実感をふんわり認識させもします。ちまちまと平均的にものを食べ出すと、何か大事なものを置き忘れていくような、穴の開いた靴下を履いているような、変な消沈感が憑いてしまうような気がします。


  自己弁護かもしれないけれど、そういった性癖を持つひとの方が不思議と生き生きとして見える、そんな気もいたします。送られてきた果物なんかを延々食べまくり、あれよあれよと言う間に箱の中身全部を平らげてしまう、そんな偏食、暴食の場景に遭遇すると、人間って実にたくましいしエネルギッシュな生きものだと思うものです。


  聞いた瞬間に耳を疑ってしまうものもマレにありますが、モノは試しと付き合って口に放り込み、舌の上で転がしていると不安や疑問は氷解する、どころか、地平線がするすると広がっていくような爽快感が飛び出しても来ます。音楽もそうですが、味覚や嗅覚も“新たに知る歓び”って、かなり突き抜けたものがありますし、相手と深く結び付いていくような、内側から重なるイメージも心を急速に温めますね。


  食にそんな悦びをそっと見出してしまうのは、僕がそろそろ整理整頓の年齢に入った証拠かもしれません。机の上やベッドの脇は乱雑なままですが、身体とこころが求めるものが、幾らかすっきり背表紙を揃えていき、きれいに書棚のなかに収まってきた感じをこのところ受け止めています。

  歳をとるって、やはり悪くないものです。(う~ん、ちょっとやせ我慢。)

2010年1月15日金曜日

やってしまった~日常のこと~

 とっても寒いですね。
 みなさんのお住まいのところの冷え込みはどうですか?

 足元は凍ったりしていませんか。


 一昨日あたりからの寒気で、いよいよ冷凍庫のような雰囲気の僕の町ですが、
こういう急に冷え込むときって、路面の凍結がどんどん進んでしまうんですね。


 今朝、仕事場に向かう途中の十字路で、滑って止まらずに前のお車と衝突して
しまいました。あ~あ、やってしまった。


 のろのろの渋滞でもあったし、速度も出ていなかったし、交差点で一時停止した
前のお車のお尻が右へ左へ揺れるのを見て、あそこはツルツルだな、気を付けよう、
なんて思っていた僕なのだけれど、その足元が既にしてツルツルだったわけです。


 ブレーキを掛けてABSがガガガガ…と振動したけれど、見事なまでに反応なし。

 慌ててギアをローに入れてみたもののエンジンブレーキも掛かりません。


 体感的には、この映像みたいな感じですね…。(あくまで“感じ”ですよ。)




 相手の方のお身体に何もなく、それは不幸中の幸いではあるけれど、
けれど大切なお車を傷付け、面倒をおかけすることになって ただただ
申し訳ない気持ちでいます。ごめんなさい。


 道路を歩かれているひとも、どうかご注意ください。青になっても直ぐに渡らず、
左右をよく確認してから横断歩道へ足を踏み出してください。もちろん、転倒など
しないように足元に気を付け、どうか怪我のないようにしてくださいね。


 お子さんと歩かれるときは、どうか車道と反対側にお子さんを歩ませ、しっかり
手を握って守ってあげてください。前の車との間に歩行者がいなくて本当に助かり
ました。サンドイッチにしていたら、こんな日記どころじゃないもんなあ。


 ほんとうに足元に気を付け、注意してお過ごしくださいね。

2010年1月12日火曜日

矢作俊彦「スズキさんの休息と遍歴」(1990) ~どれも夢の中~



  何一つ、夢は見なかった。眠りはとても深く、目覚めは唐突にはじまった。

ぱちっと目が開くと、もう手が2CVのドアを開けているといった具合だった。

だから、眠ったのではなく目を一回瞬いただけのようにも思えたし、前後の

出来事はどれも夢の中、たったいま、それから目覚めたようにも思えた。

  スズキさんは海に向かって歩いた。

  映画のスタッフは砂浜の焚火にかけた鍋をめぐって思い思いの格好で

寛いでいた。三脚の上で16ミリカメラがうなだれ、砂の上ではレフ版が朝陽を

いきおいよくはねかえしていた。ギャジット・バッグはどれも、即席の椅子や

卓子に変っていた。

  鍋ではミソ汁がぐつぐつ煮えたぎり、魚やエビやカニが、浮かんだり沈んだり

していた。一人の猟師が、近づいていったスズキさんにお椀一杯のミソ汁を

すすめた。一行の半分ほどは地元の猟師だった。見れば、すぐ近くに網が手際

よく干され、小舟が引きずりあげられていた。(*1)


  スズキさんが息子のケンタを脇に乗せ、北海道の留萌までひたすら愛車を駆るお話です。長時間の運転に疲れたスズキさんは運転席でまどろみ、夢かうつつか判然としないままに海岸を歩き始めます。かたわらにはミソ汁が現れます。 


  フェリーニの白黒映画(*2)のラストシーンを下敷きにしながら、旅の終わりを謳い上げています。政治と哲学をかつて夜通し語り明かしたおんな友だちとここで再会し、鳴り止まぬ波の音を背景として、実に穏やか大人の会話がくっきりとした輪郭で描かれています。往年の仏蘭西映画を髣髴させるものがあり、ちょっと素敵でしたね。漁師から差し出されたミソ汁も、思えばタルコフスキーみたいな詩的な波紋と湯気を具えて見えます。


  鍋では魚やエビやカニがぐつぐつ熱く煮えたぎり、浮かんだり沈んだり
していた。一人の猟師が、近づいていったスズキさんに暖をすすめ、
お椀に盛ってよこしてくれた。


  こんな風にせずにミソ汁、ミソ汁と連呼したことに、僕は矢作さんのこだわりを見出します。夢と現実の境界に、また、過去と現在の境界に矢作さんのミソ汁はあって、僕たちの深層に働きかけ、甘く、温かく捕り込もうとするのです。作為は明らかです。失われたものへの憧憬がミソ汁をアンプと為して増幅されています。


 
  映画の砂浜を参考までに貼っておきましょう。




  週末にでも車を飛ばし、日本海を見に行きたくなりました。冬のはげしい波と轟きを想います。


(*1):「スズキさんの休息と遍歴 または かくも誇らかなるドーシーボーの騎行」新潮社1990 初出は「NAVI」連載1988-1990 大幅加筆とあるから分類は1990年とした。(この本、好みが分かれるのでおすすめはしません。僕も最初からの再読はしていませんが、この浜辺のシーンだけは読み返しました。)
(*2): LA DOLCE VITA 監督フェデリコ・フェリーニ 1959

矢作俊彦「ボウル・ゲーム」(1992)~思い出してみろよ~



「どんなものかなあ」
 
  首をひねって、スペイン語に変え、店員に短く訊ねた。

  相手が答えると、また大真面目に頷き返した。

「ジェリーがシェルになるのにエネルギーを使うんだとさ。

くたくたに疲れて、栄養も旨みもあったもんじゃない」

「ミソ・ナベにするなら、かまやしないよ」

「ミソ・ペースト!」

 ムン・タイが、顔を歪めた。それから、教会の壁に殴り書き

 された四文字言葉を読みあげるように、低くゆっくり繰り返した。

「ミソ・ペースト!───キャロラインがどれほど嫌っていたか思い出してみろよ」

「ジョージは大好物だ」

 彼は、うんと狷介な気分に駆られて言った。

「ジョージがミソ・スープを旨そうに啜るところを彼女に見せたら、

 今夜はちょっとした展開になるような気がしないか」

「彼女は、匂いを嗅いだだけで帰っちまうよ。ドアを開けるだけさ。

 玄関にだって上がりゃあしないよ」(*1)


  暑気払いに鍋大会(ボウルパーティ)をしようということになり、主人公とその友人が買い物にいそしんでいます。ふたりが歩く通りや河、公園の名前がところどころで提示されており、どうやらニューヨークのダウンタウンが舞台なのだと分かります。ちょうど鮮魚店の前に来たところです。鍋にぶちこむワタリ蟹を吟味しながら、さらに会話が弾んで行きます。


  ムン・タイという名の友人と連れ立って歩く“彼”は、お喋りの端々から私たちの同胞なのだと知れます。キャロラインという妙齢の婦人に気があるのだけれど、なかなか格好良いところを見せられずにジタバタしている毎日です。そこにジョージという恋敵の出現も重なって、胸中さすがに穏やかではありません。夜毎に眺めては心ひそかに愛でていた白い月影が、黒い雲に遮られ目の前から消えようとしている、どうしよう、どうしよう。


  ジョージの足を引っ張るためにミソ・スープをパーティに用意し、ミソを毛嫌いするキャロラインの目の前でズルズルと呑ませることに成功するならば、きっと彼女も妄執から覚めるに違いない、そんな奸計をめぐらすのです。本当に恋に狂った男ってやつは救いようのない馬鹿ですね。そのくせミソ味こそが鍋の王道とばかりに固執して、歩道を跳ね回っているのは他ならぬ“彼”な訳ですから、奇怪この上ない展開です。


  こころ寄せる異性はどうやら最初から“彼”など眼中にないのですが、外貌やら文化やらの見劣りを勝手に意識しては頭に血が上り、コントロールをすっかり失っている。ちょっと捨て鉢となっている感じもします。世界と対峙した際に急激に膨張していく自意識は、誇りと自嘲で十文字に裁断されて無惨にも分裂していく。自虐趣味がフルスロットルです。


  この「ボウル・ゲーム」においては舞台をわざわざ国際都市に選んだ上で、孤高に埋没する滑稽な男の姿を矢作俊彦(やはぎとしひこ)さんは描いています。自分たちの世代と子供たちとの間に横たわる裂け目に味噌汁を配置し、それを国境線に例えて戯画化したことが別な小編(*2)にてありましたが、“彼”の自意識過剰な内面を如実に引き立てていくミソ・スープは、ここでも色々な境界上に置かれて見えますね。ねちっこい作為を感じ取らないわけにはいきません。


  さて、矢作さんが味噌汁を意識的に登用しているらしいことは分かりましたが、ここで作品から外れてちょっと考えてみましょう。この小編を笑えるひとは、一体どのくらい今の日本にいるものでしょう。


  僕も読んだ当時(18年も前になります!)は、そのくだらない展開、余裕のない“彼”の漫画じみた言動やミソ・スープへの執念を大いに笑ったものですが、それは年齢的に作者と重なる光景を幾つも抱えていたせいでしょう。同じ記憶なり似た食生活を共通項として持つ者として、共振し、揺さぶられるものがあった訳ですが、はたして現在、そして今後は同じような共鳴へと新たな読者を誘うものでしょうか。なかなか難しいような気が僕にはします。


  赤ん坊の時期に食べたものが人間の嗜好を決定付け、生涯に渡って拘束するということは栄養学者も言っています。インプリント(刷込)と呼んでいますね。その観点から言っても味噌汁を日常とらない人が増加していくことは、この飽食の時代においてはごくごく自然な流れです。ほとほと食べ飽いてしまって、というのではなく、幼い時分の暮らしぶりから無理なく味噌汁をとらない人が僕の知るなかにもおられます。多種多様な食事の前にインプリントの濃度は薄まり、自ずと各人を縛る強さは弱まっていくわけです。


  そのような捕縛を逃れて因習から解き放たれた人が、ジャンクフードに囲まれた不健全な食生活を送っているかと言えばそんなことは全然なくって、実際、僕の友人なんかは栄養面での気配りは平均以上だったりします。食べるときは豪快そのもので、バリバリ野菜を口に放り込んでは実に美味しそうなのです。見ていてこちらにも精気が宿ってくる感じなのだけれど、そんな様子を見ていると味噌汁は世界の片隅の偏狭な地域でしか通用しない、それも膨大なメニューのなかの選択肢の一部に過ぎなくって、既にこの列島に集う住民全般の共通項ではない、そんな印象を実感として持ちます。


  であれば、今後味噌汁は“違ったもの、異質のもの”の象徴としてのみ取り上げられていくのが宿命なのかもしれませんね。異国の地でミソ・スープに拘泥して友人をゲンナリさせる「ボウル・ゲーム」の“彼”を理解できなくなった「味噌汁嫌いの読者たち」は、物語に自分たちを投影させて遊ぶ余裕はきっとないでしょう。



  その時は、別な顔付きの別方向からのお話が編まれていくのかもしれませんね。いや、もうそれは始まっている気もします。僕のやっていることは解散が決まった組織の残務整理みたいなものかもしれません。


  今年の成人式の参加者は遂に全員が“平成生まれ”となった由、時代がどんどん移ろい行くことを感じますね。晴れ着で着飾った娘さんたちを運転席から眺めながら、不安と可笑しさのない交ぜになったものを感じます。いつか彼女たちが此処ミソ・ミソを覗いたとき、日々僕の書き連ねている言葉は魔女の呪文のようなものか、古代文明の象形文字に映るのかもしれない。う~ん、まあ、いいさ、それはそれで仕方がない。


  固定概念に縛られず、いたずらに内省的にならず、時流に乗った判断と動作を心掛けないといけませんね。それは確かに思います。思考は思考、日常は日常です。さあ、仕事に戻らないと!日常はどんどん面白く、ちょっとだけでも素敵な方へと変えていこう。そう思います。


(*1):矢作俊彦「ボウル・ゲーム」 初出不明。「東京カウボーイ」新潮社1992所載につき、執筆年を1992年ととりあえずしておきます。
(*2): 矢作俊彦「スズキさんの生活と意見」 1992
http://miso-mythology.blogspot.com/2009/07/1992.html

2010年1月6日水曜日

近藤ようこ「遠くにありて」(1987)~なにもかも違うのに~



拓「そんな先のことは、わかんないよ。

  それより おれ、腹へったな。」

拓の母「ああ、ごはんにしようね。」

朝生「お手伝いします!」

   湯気をあげる味噌汁の鍋。

拓の母「中山さん、味見してくれる?」

朝生「あ、はい。(味見しながら内心にて)
 
    うちとちょっと味つけが違う──

    やっぱり、ここはよその家なんだなあ。」

朝生「おいしいです。」

拓の母「よかった。これは、あたしがお姑さんから、

     習った味つけなんよ。あたしもこうやって、

     お嫁さんに伝えていくんだねぇ…」

朝生「(内心にて)わたし…この家の「お嫁さん」に

   なっちゃうのかなあ、なれるのかなあ。育った

   環境も、みそ汁の味つけも、なにもかも違うのに…

   ここは、よその家なのに。不安だ。こわい──」(*1)



  年が明けて、やたらと気ぜわしい毎日が続いています。学校や幼稚園など始まったところもあるようですし、世間というものは本当に休み知らずですね。止めようのない大河みたいです。


  こういう始動の時期はぼうっとする瞬間も増えて、ちょっとした事故も起こりがちではないでしょうか。僕も今朝、自宅内の階段をあやうく踏み外しそうになって冷や汗が出ました。どういう拍子にか、左足が二段一気に踏み降りようとしたんです。昨夜寝る前に観たフランス映画が残像となって眼の奥に蘇えり、僕を石畳の街並に立たせたようにも思えます。お馬鹿な左足が日に焼かれた白い石段を駆け降りたようにも思えます。不意を打たれて慌てました。皆さんもどうか気を付けて、時間に余裕を持ってお過ごしください。



  さて、今日取り上げるのは近藤ようこさんの「遠くにありて」です。今から二十年以上も前の作品なんですね。歳月の移ろう速さには驚かされます。


  学校を卒業した中山朝生(あさみ)は、実家にほど近い北陸の町で教師となって働き始めます。東京に残り小さな出版社で働く親友との会話にほだされ、ついつい自身の境遇を恨んでは再度の上京を夢見てしまう、そんな浮き足立った毎日を送っています。いつ辞表を出して職場を去ろうかと煩悶する様子は隠しようがなく、そんな情緒不安定気味の主人公を周囲は心配し、それとなく見守っていきます。


  なまぐさい人間模様を身近に捉え、胸襟を開いて回想や惑いを交感させるうちに心の表層を覆っていたとげとげしさは徐々に治まっていき、いつしか自立した世界を足裏に確信するようになる。少女からおんなへの(群像劇として見れば、さらにおんなから老女への)成長譚が物語の輪郭となっています。


  その中で “調理の味付け”にまつわる気苦労が彫り込まれています。同級生の西崎拓(たく)という青年も主人公を気遣う一人で、上に紹介した場景は酒販店を営む彼とその家族に招かれた際の断片です。味噌汁を巡る会話が突如はじまるのですが、それにしても典型的に過ぎるのじゃないか、いかにも、といった台詞が並んでいました。
 

  ひさしぶりにこの作品を読み返し、正直言えばずいぶんと醒めた思いを抱きます。二十歳過ぎの娘の一見すがすがしい“せせらぎ”に似た日常を目で追いながら、うまく懐柔されちまってお馬鹿さんだなあ、と可哀相な気持ちに今の僕はなってしまう。


  ひとの精神の懊悩は死ぬまで整理のつくものではないし、突如おし寄せる潮津波(しおつなみ)に思考を遮られ、渦に巻かれ砕かれて見るも無残な藻屑になってしまうことだって往々にしてあり、そうともなれば相当に苦しい。


  けれども、そんな感情の濁流ポロロッカこそが“生きている”ということの嬉しさと愛しさの根源なのだ、と、反撥する思いがやはり湧いてきて、悪戯に安定を望んで答えを急ごうとする「遠くにありて」の登場人物たちにしっくりとは寄り添えない自分を見つけてしまうのです。(*2)



  例えば似たような料理の描写が里中満智子さんの作品(*3)にも見出せますので、これを並べてみればいいのです。湯気上がる鍋があって味噌汁がことこと煮られているし、主人公は憂いを含んだ眼差しを整った面立ちに宿していて、ふたつの作品はここだけ切り取れば似た色彩を放って見えるのですが、内に潜むものはまるで正反対となっています。


  旅先で偶然に出会った病身の陶芸家を看護するうちに、予定調和ばかりを追っていた自分自身の人生に疑問を抱いてしまうという内容で、「遠くにありて」とは物語のアウトラインが対照的な作品です。主人公(早苗という名です)──の憂いの中には「遠くにありて」での「よその家」に来ている不安は露いささかも無い。




  僕がここで興味を引かれるのは、里中さんの作品においては“味つけ”への気兼ねが一切生じていないということなんです。気持ちが翻弄されてそのまま卒倒すらしかねない近藤さんの作品との段差はどうしたことだろう。

 
  知り合ったばかりの男の家に上がり込み、一切の気兼ねなく料理を提供する早苗というおんなは気の回らぬ馬鹿でしょうか。違いますよね。恋情の本質を突いているのではないかと、僕はふたつの作品を面白く見比べます。


  一方が一方に“かしづく”ということでなく、異質なるものを取り込み、その混濁をも楽しむ余裕こそが恋情という調理の味付けであることを、里中さんのおんなの体現する怒涛の勢いが僕たちに物語っているように思えます。




  ふたつの物語に描かれた二人のおんなの道程は、どちらも現実といえば現実、理想といえば理想。人生の最大振幅を具現化したものでいずれも実相をよくとらえて見えます。近藤さんのおんなと里中さんのおんな、二極の間を行きつ戻りつする、まるで振り子みたいなものが人生かもしれないですね。ひとの多くはそんな存在、振り子時計ではないのかな。僕だってそう。ほんとうは偉そうなこと、人様に言えやしないのです。


  さながら味噌汁は、振り子時計の上部に付いた機械仕掛けの鳩という訳です。恋情のある局面で急に存在感を露わにし、不思議な調べを奏で始める。ちがう、ちがう、ちがう、と唄い出す。いや、同じ、同じ、同じ、でしょうか。どちらにしても音階は狂っている。恋と愛としがらみの中で出番をひそかに待ち続けて、今夜も味噌汁はどこかの食卓で発声練習に励んでいるのです。


(*1): 「遠くにありて」 近藤ようこ 初出は「ビッグコミック」小学館 1987-1991
(*2): もちろん、近藤ようこさんの作品は読了後に硬いしこりを残すものが多いですし、この作品が描かれた時代は虚飾に踊ったバブルの頃と重なります。よくよく承知の上で逆説的な顛末をあえて描き進めて、浮かれる世間に挑んだというのが本当のところでしょうね。
(*3):「古いお寺にただひとり」 里中満智子 初出は「別冊少女フレンド」講談社 1976

2010年1月3日日曜日

見せたいもの~日常のこと~



  “クウ”という高鳴き。はるか頭上に重い羽音がバサッ、バサッと轟く。月夜を渡っていくオオハクチョウ。これから山脈を越えるつもりか、ずいぶんと高い。真夜中の群青の空を三角形の白い陣を組んで、命がけで羽ばたいていく。




  帰宅のため建物を出て、ドアを閉める。何か異様な気配に圧されて天を仰ぐと、墨を流したような空一面を無数の影が低く低くよぎる。わさわさ言う羽ばたきのみで鳴き声を一切立てないから面食らったのだけれど、目を凝らしてそれがカラスの群れだと解かる。


  今の時期から春先まではカラスにとっては飢餓の季節。危険を承知で山懐の休息地から離れ、人里近い寺社や古い家の庭木を仮眠の場としている。ドーナツ化現象でこの辺りは夜間静かだし、人通りも車の往来も無いから、側の神社をねぐらに決め込んだに違いない。僕の立てたドアの大きな音に慌てたのだろうな。目の利かぬ夜の空を恐怖に怯えて飛び交う彼らは、沈黙を守って必死に見える。墨汁を流したような黒い空に数限りない黒い影の羽ばたき、他には一切音のしない冬の夜。




  知人が怪我で入院した。ハンドルを握り向かうが、峠道より圧雪。遂には高速が封鎖されて側道へと追い落とされる。猛烈な雪に包まれると、生きとし生けるものすべてが耐える者と目に映り、自ずと厳粛な気持ちにさせられる。自然の猛威の前では誰もが自重するしかない。


  いつ頃からだろう、車の防音と空調は目を見張るばかりの向上を見せ、僕がかつて勤め始めた頃と比べたら格段の快適さを備えている。アリアを高らかに響かせながら、そろそろと進む車の列に加わりたくさんの想いを巡らしての、これはこれで至福の時間。


  横殴り、雪混じりの風に圧されて、奥へ手前へ揺れ踊る青竹が美しく愛しい。河原の白い雪のなかに覗く薄(すすき)の密生が毅然として目に映る。思えば植物たちは素肌を晒した裸の身だ。


  半ば凍った黒い路面を、さわさわと白い雪の帯が風で作られうねり狂う。ゴルゴンの妖女の髪が地を這いのたうちまわるようだ。路肩から吹き寄せる風は積もった雪を空中に舞い上げ、車の隊列をばっと覆い包む。何もかも白く見えなくなる。上に重なるおんなの髪が瞼をふさぎ、鼻腔と唇をふさぎ、頬を撫ぜた奥底の記憶の、けれど鋭角な体感と二重写しとなってしばし恍惚となる。


  無尽蔵の白い粉雪が渦巻き、狂い吹雪いて視界を奪い尽くす。唇を奪われ、熱い吐息を吹き込まれたまま抱擁されるような気分となっていき、車中から窺(うかが)う雪嵐以上にエロティックな景色はこの世にそうそう有るまいと思う。僕の瞳が捉え、僕の全身が記憶する(そう多くはなかった)ものが隙間なく連なって、雪女に殺されるとはこういう具合なのだろうと夢想は果てがない。




  陽も落ちて暗さを増せば、吹き寄せる雪はヘッドライトに反射して白く尾を引き飛んで来る。儚く短命の線香花火の、銀の火花に似て見える中を、こちらは終わりなく延々と燃え続けては降り注ぐのを突き進むような感覚があって異様な昂揚がある。真冬に真夏の夜を想う不思議。


  太陽の陽射しのまるで届かぬ深海の、魚や鳥やひとの亡骸がちりぢりばらばらになって、それを食する無数の小さきプランクトンたちと一緒になっての、重き潮流に永遠に漂い続けるマリンスノーのようにも見えて、小さな潜航艇を操ってゆらゆらと進んでいく気分になる。此岸から遠く潜り来て、穏やかな沈黙した世界に身を委ねるようで気持ちいい。


  南に住む僕の友だちに、いつかそんな光景を見せてあげたい。見ること、聞くことの愉楽はとめどなく大きい。病床で闘い始めた友よ、早く帰っておいで。世界は宝物に満ちているよ。そう思うよ。