2010年1月3日日曜日

見せたいもの~日常のこと~



  “クウ”という高鳴き。はるか頭上に重い羽音がバサッ、バサッと轟く。月夜を渡っていくオオハクチョウ。これから山脈を越えるつもりか、ずいぶんと高い。真夜中の群青の空を三角形の白い陣を組んで、命がけで羽ばたいていく。




  帰宅のため建物を出て、ドアを閉める。何か異様な気配に圧されて天を仰ぐと、墨を流したような空一面を無数の影が低く低くよぎる。わさわさ言う羽ばたきのみで鳴き声を一切立てないから面食らったのだけれど、目を凝らしてそれがカラスの群れだと解かる。


  今の時期から春先まではカラスにとっては飢餓の季節。危険を承知で山懐の休息地から離れ、人里近い寺社や古い家の庭木を仮眠の場としている。ドーナツ化現象でこの辺りは夜間静かだし、人通りも車の往来も無いから、側の神社をねぐらに決め込んだに違いない。僕の立てたドアの大きな音に慌てたのだろうな。目の利かぬ夜の空を恐怖に怯えて飛び交う彼らは、沈黙を守って必死に見える。墨汁を流したような黒い空に数限りない黒い影の羽ばたき、他には一切音のしない冬の夜。




  知人が怪我で入院した。ハンドルを握り向かうが、峠道より圧雪。遂には高速が封鎖されて側道へと追い落とされる。猛烈な雪に包まれると、生きとし生けるものすべてが耐える者と目に映り、自ずと厳粛な気持ちにさせられる。自然の猛威の前では誰もが自重するしかない。


  いつ頃からだろう、車の防音と空調は目を見張るばかりの向上を見せ、僕がかつて勤め始めた頃と比べたら格段の快適さを備えている。アリアを高らかに響かせながら、そろそろと進む車の列に加わりたくさんの想いを巡らしての、これはこれで至福の時間。


  横殴り、雪混じりの風に圧されて、奥へ手前へ揺れ踊る青竹が美しく愛しい。河原の白い雪のなかに覗く薄(すすき)の密生が毅然として目に映る。思えば植物たちは素肌を晒した裸の身だ。


  半ば凍った黒い路面を、さわさわと白い雪の帯が風で作られうねり狂う。ゴルゴンの妖女の髪が地を這いのたうちまわるようだ。路肩から吹き寄せる風は積もった雪を空中に舞い上げ、車の隊列をばっと覆い包む。何もかも白く見えなくなる。上に重なるおんなの髪が瞼をふさぎ、鼻腔と唇をふさぎ、頬を撫ぜた奥底の記憶の、けれど鋭角な体感と二重写しとなってしばし恍惚となる。


  無尽蔵の白い粉雪が渦巻き、狂い吹雪いて視界を奪い尽くす。唇を奪われ、熱い吐息を吹き込まれたまま抱擁されるような気分となっていき、車中から窺(うかが)う雪嵐以上にエロティックな景色はこの世にそうそう有るまいと思う。僕の瞳が捉え、僕の全身が記憶する(そう多くはなかった)ものが隙間なく連なって、雪女に殺されるとはこういう具合なのだろうと夢想は果てがない。




  陽も落ちて暗さを増せば、吹き寄せる雪はヘッドライトに反射して白く尾を引き飛んで来る。儚く短命の線香花火の、銀の火花に似て見える中を、こちらは終わりなく延々と燃え続けては降り注ぐのを突き進むような感覚があって異様な昂揚がある。真冬に真夏の夜を想う不思議。


  太陽の陽射しのまるで届かぬ深海の、魚や鳥やひとの亡骸がちりぢりばらばらになって、それを食する無数の小さきプランクトンたちと一緒になっての、重き潮流に永遠に漂い続けるマリンスノーのようにも見えて、小さな潜航艇を操ってゆらゆらと進んでいく気分になる。此岸から遠く潜り来て、穏やかな沈黙した世界に身を委ねるようで気持ちいい。


  南に住む僕の友だちに、いつかそんな光景を見せてあげたい。見ること、聞くことの愉楽はとめどなく大きい。病床で闘い始めた友よ、早く帰っておいで。世界は宝物に満ちているよ。そう思うよ。

2 件のコメント:

  1. 新年に冬の情景を美しい文章で見せていただきました。
    永遠の夏をうたう詩人もいれば、冬の清冽さをつねに心に持ち続けている方もいるのだということでしょうか。
    そういうひとは、厳しい寒さに暖をとるための炎を隠しもっているような気がします。

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  2. ひとそれぞれに冬があって、
    それと真摯に静かに真向かい、
    それぞれの方法で暖を取っている風景が目に映る。

    そんな冬にこころ曳かれるところはありますね。

    ふたつの身体、みっつの身体を寄せ合うこと

    枯れ草や枝を積み上げて火をおこすこと

    火をもらい熱い紫煙を肺腑に充たすこと

    胸奥の洞窟でそっと火を抱え立ち尽くすこと


    どれもが素敵な暖のとりかた、生きかただと思います。

    温かくしてお過ごし下さい。

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