2010年2月28日日曜日

上村一夫「怨霊十三夜」(1976)~上村一夫作品における味噌汁(8)~

 劇中、上村一夫(かみむらかずお)さんが“こころ”に彫りこみを入れ、襞(ひだ)をこまかく加えていくとき、僕たちの目の前にこつぜんと“食”が佇立します。そして、奇妙な存在感を保ちながら男なり女なりに擦り寄っていく。想いがふたつ真向いせめぎ合うところ、恋慕の情のひどく迷走するところ、信念の露呈してまなじりを決するところ──。“観念”と“食”との重奏が始まり作品世界を華やかに彩っていきます。


 召呼された“食べもの”たちは日陰に置かれたかの如く目立たず、さっと読み流されるのが大概なのだけれど、上村さんが遺した頁(ページ)は膨大ですからね。まばゆい光軸となってお話を射し貫き、えも言われぬ残像を脳裏に残していく、そんな“食べること”に主体が置かれたお話も探すことが出来ちゃう。


 「怨霊十三夜(おんりょうじゅうさんや)」(*1)と冠する時代劇の連作がそれです。なかの二篇、短編「春の雪」と五回に分けて載った「津軽惨絃歌(つがるざんげんか)」で“食べること”が異彩を放っています。(*2)「月産400枚の原稿を手掛ける多忙さを極めた」(*3)のは、もしかしたらこの頃だったのでしょうか、発表された時期を年譜で俯瞰すると当時の密度の濃さに唖然とさせられます。先述した「関東平野」(*4)から一ヶ月先行しての連載開始ですね。上村さんの“決めごと”は、はたして其処でも活きていたものでしょうか。


 “食道楽”の父親に手塩に掛けられ、さらに若い“板前”と駆け落ちを果たした少女が「春の雪」(*5)の主人公です。手に職を持った者の強みです。行く先々で男は稼ぎを得て、若い夫婦は仲睦まじく暮らしていくのでした。可愛いおんなを愉しませるために、男は手を変え品を変えして美食を与え続けます。“食べること”に揺蕩(たゆた)い、半ば淫して過ごすうちにふたりは歯止めがいよいよ利かなくなっていきます。流感をこじらせ男があっけない最期を迎えてからも、ひとり残されたおんなは食べることをどうしても止められないのです。


 いよいよ彼女が口にした“もの”は、調理らしきことをほとんど施さずに包丁でとんとん、と切り分け、ぼてりと真白い碗に盛っただけの“もの”であって、それは“上村さんの食べもの”と呼ぶにふさわしい趣きです。舌根にとろり纏(まと)わり転がって、やがて咽喉をつるつる駆け下る頃にはおんなの官能をねっとりととろかしていき、深い法悦の表情が面貌(おもて)には刻まれるのだけれど、作者はそこに性技を極めた際に訪れる高い恍惚と瓜二つのものを意識的に刷り込んで僕たちに呈示してきます。いやはや、なんとも凄まじい。このときおんなの口に含んだ“もの”とは死者の脳味噌だったのです。


 上村作品の劇中人物が“食”を「愉しむ」さまは探せば見つからないことはありません。コクンと頷き目を細め、にこやかに舌鼓を打つ“遠目の姿”があちこちに挿入されてもいます。でも、そういうのは味覚と嗅覚の実直な反応で、いわば常人レベルです。「春の雪」ほどの昂ぶりを見せることは稀で、こんな極端な「美味しい!」を顕わすクローズアップは他の上村作品には見当たりません。一体全体、何なのでしょう。いくら上村さんが情念の画家とはいえ、咀嚼や嚥下の瞬間にここまで白熱した絶頂感が襲いかかって来るのはいかにも不自然で、随分とあからさまな表現に目に映ります。


 “決めごと”「情念の高潮や心境の錯綜が“食事”を遠ざけて、かぼそくする」──が起動していると仮定すれば、どんな想いがどれほどの強さで寄り添っていたのでしょう。所作や台詞を細かく見ていくなら、夫を喪ったばかりの成熟したこのおんなが仏門に入り、尼僧の姿になっていることがまずもって興味を惹かれます。そして「父と夫の供養のために」「この料理を作るのです」と呟くモノローグ中に、同じおんなである「母」が洩れ落ちているのもかなりの作為を感じさせます。


 奇天烈な食を極めた果てに禁断の“味”に溺れていくという“だけ”の話なら、かえって流れ的には分かりやすいのです。いたいけな赤子や無防備な娘をかどわかして無人の廃屋なり地下室なり、はたまた屋根裏に連れ込んでしまう。駆けつけた追っ手に見つかって振り向いた顔の、その唇には鮮血がべったり黒く付着しているといった結末は恐怖漫画や悪魔映画にありがちな荒唐無稽な展開なのですが、「春の雪」よりは余程自然に思われます。


 きっと上村さんの作品世界にあっては、味覚に耽溺する余りに自分を見失うという狂熱を選択肢に最初から持たないのでしょう。登場人物は最後までひととして全うしていき、どこまでも内観的です。“切れた精神”が世界をつんざくといった表現は成り立たない。(*9)“観念”と“食”は左右の車輪になりながら物語を確実に引っ張っていき、脱輪や暴走へはそうそう至らない。


 恋慕の最終形にして意識を隷属し尽くす「死に別れ」、“日常”から一番遠く離れた「出家」、“食事”の意義から完全にかけ離れた「人肉食」を三方に組み込んで、ようよう平衡を保った曲芸だったのだと僕は読んでいます。「情念の高潮や心境の錯綜が“食事”を遠ざけて、かぼそくする」という図式に当てはめて再度眺め直してみれば、おんなの内部に宿ったものの哀しみやゆらめきが輪郭を露わにして胸に迫ります。どれほどの思念が細い身体に燈(とも)っていたことか。上村さんにとっての極北の愛が描かれているやもしれません。




 「春の雪」の直前に描かれた「津軽惨絃歌」(*10)でも、“食べること”はひとの情念に強く通じていきます。海岸線と峰々に閉ざされ、世間から孤絶した漁村が物語の舞台です。そこに住まう彼らは魚を生きる糧とし、もたらす海原を拝むようにして暮らしています。とある冬、網元の息子である真介と瞽女(ごぜ)のお波(なみ)が相思相愛の仲となるのですが、真介は気持ちをくじいてふたりの暮らしを諦めてしまうのでした。真実に背を向け日常に埋没し、男は茫々と日々を越えればいいかもしれない。しかし、掟を破ったお波に対して旅仲間は容赦ない制裁を加え、右手と両耳を奪って雪野に放逐してしまうのです。


 真介との子どもを身ごもっていたお波は生きることを決意し、我が身から切り落とされて“もの”と転じた肉を喰らい、木の根を齧り、蛇を噛み裂きながら季節をまたいで臨月を待ちます。わが子を産むと同時にお波は息を絶えますが、赤子はやがて美しく成長して寒村に舞い戻ってくるのでした。


 もともと狭い海岸端に張り付いているようなさびれた場処です。余分な金子(きんす)など誰も持っていない、ぎりぎりの毎日なのです。そこで娘は、村の男たちに自分の身体を抱く代償として漁の獲物を要望します。色香に狂った浜の男たちは獲れたばかりの魚を抱えては列をなして群がり、貧窮に喘ぐ我が家に“食べもの”をもたらす動きを一切止めてしまう。たちまち村は炎天下にしおれる朝顔のごとくで、誰も彼もが飢餓寸前にまで追い込まれるのです。娘には母親お波のたどった“食べること”の苦難を、彼女らを放擲した漁民に強いる目的がひとつにはあったようですね。


 集めた魚はどうなったものか。娘だけがひとり艶然としてかぶり付き、滋養を大いに摂ったものでしょうか。いえいえ、籠ごと波打ち際にこっそり運ぶと、一尾ずつ海へと還しては微笑むのです。親の後を継いで村の長になった真介が娘の元を訪れて、どうして貴重な“食べもの”をみすみす逃がすのか、何故そのような理不尽を行なうかと詰問し懇願するうち、男とおんな、ふたつの魂は時空を超えてようやく再会を果たして影をひとつにしていく、そんな結末でした。身近な場処から“食を遠ざける”行為がここでも印象的です。


 母親の魂を宿した娘の真の願いは“情念の再燃”であったようです。「情念の高潮や心境の錯綜が“食事”を遠ざけて、かぼそくする」、「かぼそき“食”が情念の高潮を惹き起こし、胸の奥の洞窟に潜むものを覚醒させていく」。上村さんの“決めごと”は確かにひっそりと、けれど確実に息づき、僕たち読者を魂の荒波でざぶざぶと洗っていくのです。






(*1):「怨霊十三夜」 上村一夫 1976-1977 「週刊漫画TIMES」(芳文社)連載 現在複数の単行本に分けられ所載されている。 
(*2):留意すべき点が実は潜んでいます。「怨霊十三夜」開始の一月前には久世光彦さん原作の「螢子」(*5)が、その逆に「関東平野」から一月遅れで(後日この場で触れる予定なのですが)、「すみれ白書」(*6)という作品の連載もこれに加わっています。同時に生まれ落ちた双子ならぬ四つ子たちなのだけれども、それにしても、たったひとりの作者から並立して描かれたにしてはどれもこれもがボリュームが有り過ぎるのです。

 この驚きはなかなか口で言っても伝わらないかもしれません。四つ子たちを間髪いれずに総覧して初めて、その不思議に気付き誰もが愕然として言葉を無くすのでしょう。天才という形容がどうしても浮かんでしまいますが、上村さんとの仕事が長かった元劇画雑誌の編集長は、この「怨霊十三夜」に上村さん以外の何者かの体臭を嗅いでいるのです。(*7) 確かに筋肉の付きかたに弾力がなく、ぎこちない感じが素人目にもします。原作者がいた、その推論は間違いないものでしょう。つまり留意すべきこと、というのは、この「怨霊十三夜」にて発光する“食べる行為”を“上村一夫の世界観”であると認め、あっさり連結して構わないかものかどうか一抹の不安が残るということなのです。作者以外の人物の嗜好かもしれないのです。

 連作中には「東海道四谷怪談」を下敷きにした逸話(*8)も含んでいますから、民話や伝説が下敷きにあるかもしれない。そうなれば上村さんが構想をめぐらして“食”と“観念”を組み込む余白は最初から無かったかもしれない。何とも言えませんね。ですから、不確かなここでの言動が上村作品に誤った印象を与える、そんな懸念が大きく膨らんだ際には、この頁をそっくり直ぐに消去するつもりでおります。
(*3): 上村一夫オフィシャルサイト プロフィールhttp://www.kamimurakazuo.com/profile/index.html
(*4):「関東平野」 上村一夫 1976-1978 双葉社 初出は「ヤングコミック」
(*5):「春の雪」 上村一夫 「週刊漫画TIMES」(芳文社)1977年3月4日号 初出
(*6):「螢子(ほたるこ)」 上村一夫 1976-1977 ブッキングで入手可
(*7): 「上村さん、という人」 元「ヤングコミック」編集長 筧悟(かけひさとる)
そこで気になるのは、この作品の原作もしくはシナリオブレーンは誰なのかという疑問だ。週刊連載だからどなたかいたはずである。(中略)担当者の万袋さんなどの名前が挙がったが、現時点では不明である。真相を知りたいのだが、上村さんも万袋さんも土に還ってしまっている。」(「津軽惨弦歌~怨霊十三夜~」チクマ秀版社 巻末解説)
(*8):「子年のお岩」 上村一夫 「週刊漫画TIMES」1976年9月から10月掲載 現在愛育社より上梓されている「上村一夫珠玉作品集1 子年のお岩」で読むことが出来る。
(*9):切れるのではなく“狂う”という表現はよく使われています。そこに至れば“決めごと”も届かず、“食べもの”も明確な役割を果たしていないように見受けられますので、この場(ミソ・ミソ)では深入りしていません。昨今の娯楽媒体においては諸事情により狂気を画材に用いることが難しくなっていますが、恋慕や思念の臨界を描くにはどうしても欠かせないものですよね。
(*10):「津軽惨絃歌」 上村一夫 「週刊漫画TIMES」1976年12月から翌年1月掲載 現在チクマ秀版社より上梓された同名単行本で読むことが出来ます。


3 件のコメント:

  1. なんちゅう画だ!!!こんな劇画があったのか・・。

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  2. 1968年あたりから70年代のこの頃の作品は、とても中身が
    詰まった感じがして僕は好きですね。

    テレビドラマの中にも執筆者が格闘している風のものがあり、
    その息継ぎが伝わって来るような、そんなのが多かったよう
    に思うのは、う~ん、年をとったせいなのかな。

    リアルタイムで読まないからこそ、見えるものもあります。
    いつか機会あれば手にとって一読くださいな。
    コメント、ありがとうございました。

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  3. 別に立ち上げて書き留めておこうかと思ったのだけれど、上に書いたような事情でもあり、思い立ったときに一気に消せるよう、ここに続けちゃおうと思います。なんて臆病な(笑)

    「春の雪」の発表の3ヶ月ぐらい前に描かれた「すみれ白書」のエピソードのなかに、何やら連鎖する箇所があるのです。町の書店に現れた少年が店の複写機で、趣味で描いている漫画の一頁をコピーするくだりなのだけれど、その題材が「春の雪」と通じているんですね。(VOL.4「契約」)

    そこで少年は「単なる残酷モノで終わらせないために ストォリィが大切になってくる」としたり顔で主人公に説いている。ものごとのひとつひとつの描写に層を重ね塗るようにして“意味”を託していく、そんな上村さんのこだわりが透けて見える場景でした。“食べること”にだって、きっとたくさんの想いが含ませてあるに違いないのです。

    こうして作品を次々に連結して思案することは、もしかしたら間違った読み方なのかもしれないのですが、僕はどうしてもこの時期の上村さんの描かれた物語たちに“こだま”を聞いてしまいます。もう少し耳をすませてみるつもり。

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