2011年3月25日金曜日

手塚治虫「ワンサくん」(1971)~託されていること~

「──というわけでわしは会社をやめさせられたんだ…」

「いいのよ そのかわりこんなかわいいイヌをひろったんだから」

「こいつワンサって名にしようよ」(*1)

 生後まもなく母親から引き離され、わずか10円で売られてしまった子犬が主人公です。母恋しさから逃げ出して、煤煙と汚水を撒き散らす大きな工場の脇の川っぷちで暮らしを始めるのでした。


 ところが強欲な工場の主(あるじ)は施設の建て増しを計画して、純朴な老社員に邪魔な子犬の殺処分を命じるのです。情が移ってしまった老人はどうしても子犬に手を下すことが出来ず、とうとう会社に馘(くびき)られてしまうのでした。子犬は老人の家に引き取られて“ワンサ”と名付けられます。


 ワンサは夢にうなされ夜通し吼えて転げまわるものですから、その騒々しさに心優しい一家も耐え切れず、ワンサを捨てる決心をするのでした。ワンサは二度捨てられ二度とも舞い戻りますが、その口には何処からか掘り当てて来た10円玉が咥(くわ)えられていたのです。縁側にチャリンと乾いた音をたてて置かれたそれを見て、一家はワンサを家族として受け入れることを了承するのでした。もちろん10円に釣られたのではなくって、その子犬の必死な様子にこころ打たれ、哀しい彼の境遇を共有するに至ったためでした。


 ワンサが最初に連れてこられた時、そして何とか帰還なった際のいずれもが夕食の時分に設定されていました。茶の間の中央には座卓が置かれて老人と孫娘、その弟が仲良く取り囲んでいます。傍らにはお櫃(ひつ)と鍋が置かれていて、そこでご飯と味噌汁が一杯ずつよそわれていく日本らしい光景が描かれています。

 

手塚治虫(てづかおさむ)さんの漫画作品というのは数多(あまた)ある訳なのですが、僕の見る限りにおいてはこういう場面、実はほんとうに珍しいのです。海外でアニメーション作品が次々販売されたことも要因としてあるのかもしれないけれど、日本的な食の風景がほとんど見当たらない。


と言うよりも“食べる”という日常の行為を通じて人生の機微に触れていくというドラマ作りをもともと手塚さんはしなかった。飢餓、牢籠(ろうろう)、不死願望といった突飛な状況下で突飛なものを口に入れたりむさぼるという展開は多いのだけれど、ご飯に味噌汁を並べていただきます、という感じの絵はびっくりするぐらい少ない。


この「ワンサくん」で描かれるものにしたって、作者の興味は卓上の料理には向かっていない。日常空間を突き破って夕闇の奥から遠慮しいしい顔をひょっこり覗かす闖入者=ワンサの、その健気さと一本気な調子を強調するのが目的でありましょう。小さな身体で数時間も歩き通してようやっと一家の自宅を探し当てたワンサの見えざる闘いぶりを、決まった時刻に大概は訪れる夕餉の光景を挿し込むことでそれとなく読者に示す作劇上のテクニックなんです、きっと。


 だから、特別の光彩をここでの味噌汁は帯びていない訳です。登場人物の内奥にシンクロして声援を送ったり内省を促す、そんな充足感をそなえた味噌汁や醤油を探して紹介するこのブログの目的からすれば逸脱したものになっていますね。


 正直に言ってしまえば、僕は手塚さんについてちょっと触れたかったのです。そのために「ワンサくん」と食卓の場景を無理やり駆り出したところがあります。


 手塚さんがこの世を去ったのは1989年ですから、もう二十年以上も前のことです。生きている僕たちが僕たちの内にある工夫と知恵で越えていかなければならない苦境ではありますが、あえて僕は亡き手塚さんに問い掛けたい気持ちでいます。この事態を先生ならどのように思うものだろう。先生、本当におそろしい事が起こってしまいました。


 この度の大混乱を乗り切っていくための、とある場所のとある会合の様子が先日テレビに映されました。神妙な面持ちで並ぶ老紳士たちの直ぐ横にあるサイドテーブルか何かに「彼」が立っていました。短いパンツと長靴を履いただけであとは素肌をすっかり晒して見える“アトム”が片手を天に高々と伸ばし、すっくと立っていたのでした。僕はその姿に心臓を射抜かれたようになってしまい、しばし身動きできなくなりました。今も重い痛みを引きずっているような辛い気分でいるのです。


 “アトム”とその兄弟たちは技術の粋(すい)を集めた夢と希望の結晶体のような存在でありながら、際限無く膨らむ人間の欲望のために暴走させられていく“科学”に毎回のように翻弄され、無理な闘いを強いられた挙句に心身ともに傷ついていく、その繰り返しの日々でしたね。しょげ返った彼らの背中や哀しげな面影を鮮やかに思い返しています。わたしたちはあの時のアトムそのままにうな垂れ、まぶたを伏せ、とても苦しい毎日を過ごしています。


 手塚先生、私たちはどうあるべきでしょうか。これからどうすべきでしょう。そっと声もなく立っていた“アトム”の横顔はいつも通りに笑っていたけれど、僕にはなんだかとても悲しそうに見えました。泣いているようにも、虚ろなようにも見えました。“アトム”は何を言いたいのでしょう。先生は何を僕たちに伝えたいですか、何をさせたいと思いますか。先生の声を聞きたいです。


 公害、環境破壊、戦火の止まることない拡大。医術の独走とモラル崩壊、最新技術と“こころ”の乖離。復活が適わぬ徹底的な破壊と流れ落ちる涙。先生と同胞の方々から私たちの世代は数多くのことを学んだつもりでいます。  けれど、いつの間にか私たちは語り部の皆さんを失い、なのに自らは語り部の役回りを継がずに口をつぐみ、託されたはずの課題から調子よく逃げ、忘却を恥と思わず、ただただ快楽だけを追い求めてしまいました。その心の隙に慢心だけを醜く大きく育ててしまったような気がします。こうした事態を自ら招き寄せてしまったように思います。


 愛しい家族や友人、恋する相手だっているかもしれない若い人たちが自らのささやかな、本当にささやか過ぎる幸せの消失なるのを切実に怖れながら、そして己の生命と健康を大きく損なうのを顧みずに事態の収拾に当たってくれています。


 わたしたちの国の誇りであった大地や河は汚染され、食べものや飲み水までも害あるものに化してしまいました。


 ワンサを迎い入れたあの一家にきっと似ていただろう微笑ましい日常、住居と団欒、温かい味噌汁や湯気を昇らせるご飯といったものを根こそぎ奪われ、着の身着のままで運ばれて来た人たちがいます。夢を粉微塵に砕かれ、いまは手と手とを握り合い、歯を食いしばって恐怖をこらえている沢山の人たちがいます。



 今は無用な電気を消して心から祈り、恐れおののくばかりの無力極まる私ではありますが、もしも天より許されて事態が終息なった暁にはひとりで、いや皆でよく考え、先生の想像し警告してくれていた事態の数々を回避するべく、小さな小さな、けれど確実でもう二度と絶対に忘れない、そんなささやかな行動をしたいと思案しています。


(*1):「ワンサくん」 手塚治虫 初出「てづかマガジン れお」1971-1972(未完) 手元にあるのは秋田文庫版「ふしぎなメルモ」(2004)に所収なったもの。

2011年3月4日金曜日

村上龍「村上龍料理小説集 Subject 22」(1988)~舌を刺した~



その年のクリスマスが終わった日、十二社の店で、もう会えない、

と彼女は言った。何か言おうとしたが声が出なかった。彼女も

理由を一切喋らなかった。二人とも無言のまま、小海老の前菜と、

鯖の入った椀と、蒸し鮑を食べ、ギヤマンのアンティーク器で

濁り酒を飲んだ。

「冬だけど、あれを作って貰えないかしら」

彼女がそう言うと女将は頷き、しばらくして見たことのない料理が

運ばれてきた。しゃもじの上に、表面が焦げた味噌が乗っている、

ただそれだけのものだ。味噌は薄く貼り付いていて、香ばしい匂いが

している。削り取って口に入れると、強い味が舌を刺した。(中略)

山椒の実を混ぜた焙(あぶ)り味噌の匂いは、ずっと私のどこかに

残っていたあの煙草の火が毛を焼く匂いをいつの間にか消してしまった。(*1)


  表紙が臙脂に染めた文庫本を久方ぶりに書棚から引き出し、奥付を見てみると“1991年10月”とありました。頁に挟まった新刊紹介のリーフレットにも同じ年の記載が見つかるので、やはりその時期に書店で買い求めたのでしょう。ほぼ二十年も前に一読して、その後はすっかり忘れていました。


 読んだ当時を思い返せば、淡々と日々を過ごしている市井の人間たちとはまるで無縁の空気が全篇を覆って感じられたものでした。自分のいる世界や意識とはひどく乖離した場処に思えて、面食らった覚えがあります。「料理小説集」と銘打った掌編が三十余り並んでおり、いずれも人生の機微や恋情、性愛といったものと料理の香味を融合することで官能の極みを演出しようと目論んでいるのだけど、なにか、その両輪が共に借りもののように感じられてしまい、嘘っぽいな、と勝手に断じて書棚に仕舞った訳なのでした。


 一度しか開かなかった頁は硬く締まった感があり、めくった際に鳥の羽ばたきのようなやや高い音を立てました。


 あれから二十年の歳月のなかで人様の何十分の一、いや、もしかしたら何百分の一かもしれないにしても、僕として経験するものがあったからでしょう、隅の部分を小さく三角形に折っていた味噌の登場する頁をこうして読み返してみれば、胸を圧すものが在ったのです。ちょっと驚きました。日記(このブログのこと)に記すまでのものではないだろうと長年無視を決め込んでいたのでしたが、こうして動揺するものが確かにある以上はいつも通りに書き写しておこうと思います。


 二十四歳の広告業界で働く男が九つ上のおんなと出逢い、一年と少しの間だけ交際します。出逢った際におんなに連れていかれた思い出の店で、おもむろにおんなの方から別れを切り出されてしまいます。そこに山椒を加えた味噌を直火で焙ったものが登場して、若い男の感傷を峻烈なものへ補強していくのでした。


 生きていることの実感を摑む寄す処(よすが)
に飽かず繰り返していた性戯の諸相や、その際に認め合った互いの身体が放つ薫りや味といったものが、食のもたらす圧倒的な刺激で儚く霧散していく様子はなんとも過酷で切ない一瞬となっていました。さらに、戸外に場所を移したふたりの最後の時間は、何をどうやっても新たに積み上げることは出来なくなっていたのです。口腔、鼻腔をいたく刺激する飲食、接吻、嘔吐を延々と連ねていっても、その度に山椒と味噌の交じり合った強い記憶の残渣が山のように立ちはだかって、先に過ごした小料理屋へとずるずると引き戻されてしまうのでした。


誰もいない山下公園で、私達は寒さに震えながらシャンパンを飲み、

売れ残りのケーキを食べた。

二人共、何も言わず、夜が明けるまで舌を吸い合った。シャンパンを

飲んでも、ケーキを食べても、キスを繰り返しても、涙があふれてきても、

嘔吐しても、あの、焙った味噌に混じった山椒の実の香りと舌を刺す

強い味は消えることはなかった。(*1)


 こうしてこの物語の男女は別れ別れになってしまいました。幻想の色合いが強くて力に満ち溢れた秀作ではないのだけれど、魂と食物が相互干渉していく展開は数限りなく人間ににじり寄った末に作者が克ち得た洞察力の賜物でしょう。技量なり経験値を認めないわけにはいかない。


 文末で別れたおんなのことを男はほんの少しだけ思い返しています。あの山椒の交じった焙り味噌を口にしなかったならば、そのように思い切れなかったのじゃなかろうか。忘却を約束するそんな焼き味噌がもしも作られ店頭に並んだならば、需要はさぞ多かろうと想います。


(*1):「村上龍料理小説集」 村上龍 集英社 1988 手元にあるのは集英社文庫  連作集に収まった各掌編には決まった題名が付されていません。こうして一話のみを独立したものとして取り上げることは作者の意に反するかもしれないですね。尚ここ以外には味噌、醤油は見当たらなかったと記憶しています。

2011年3月3日木曜日

林芙美子「清貧の書」(1931)~美味かった?~

 林芙美子(はやしふみこ)さんのことを書いた評伝(*1)を数年前に読んでいます。激しい気性や貪欲過ぎる姿勢がまわりの人たちを唖然とさせ、辟易させたことが読み取れ、もしも身近にいたら気苦労が絶えないことが容易に想像出来ました。なのに、彼女の小説を僕はいまだに読み進めている訳で、つくづく人間とは勝手な生き物と思います。


きっと、もう私の魂だけは、東方行きの飛行船にでも乗って、

日本へ帰って、楽しそうに襷(たすき)なんぞかけて、

厨(くりや)の片隅に炭火をおこしている私を想う。

白い葱(ねぎ)を刻み、味噌汁をこしらえ、庭の草の芽の伸び

具合を讃めながら、夫と朝食をとるのが私の日課であったのに、

──私は一ヶ月近くも夫へ手紙を書いたことがない。忘れているのだ。

忘れているというよりも、書けないでいるのだ。(*2)


 上の文章は林さんが1931年から翌年にかけて外遊した折の、憂げなパリ滞在時の日常を綴ったものから抜き出しました。虚勢や夢想にまみれた描写の数々を衝(つ)いて、いつしか文通も途絶えてしまった夫の声や姿が“味噌汁”と一緒に浮上しています。湿度の高い郷愁の念が下宿先の屋根裏部屋に立ち昇っていき、視界を徐々に曇らせていく。実に格好が悪いのですが、かえってそこが胸にストンと来るのです。絹の下着を両手に持って一気に引き裂いたような、「忘れているのだ。忘れているというよりも、書けないでいるのだ」という叫びなど、胸に迫って共振することしきりです。


 金銭面の困窮をまるで隠さない。内奥にゆらゆら灯る欲望や執着、止まらぬ猜疑や愛憎といったものを隠そうとしないばかりか、肉親、知己の無様この上ない言動を(打診も了解もなく)ありのままに書き残してしまう。政治や経済など判らないことへの言及を避け、半径2メートル以内の出来事や己の思考だけを黙々と連ねていく。


 ブログみたいですね。それもずいぶんと赤裸々に生活の諸相が書かれてあって、邪まな好奇心を満足させると共に読み終わってずいぶんと心強くも感じられる。暮らしていく上で避けられぬ闇の領域が否定されず肯定もされず、淡々と綴られていくのが面白い。光明が見えない今の世相にも波長が合っているようで、読んでいて勇気付けられる訳です。有り難いです。


 画家である夫の姿に味噌汁の湯気薫る光景をからめて提示してみせた林さんは、漫画家の上村一夫(かみむらかずお)さんに次いで味噌(汁)にこだわった人だと僕は勝手に林さんを思っていて、それは味噌汁を呑むのが単に好きということでは当然なくって、読み手の反応や動揺をよく見定めながら内に秘める言霊(ことだま)を利用している技巧派という意味なのですが、ここでの“夫”は味噌汁が寄り添い連結したことで、温かく、懐かしく、汗のような匂いとしょっぱさを身にまとった具体像を結んでいくように思えるのです。


 心情や官能を直接語るのでなく、周辺に転がる瑣末な事象でもってからめ手でリフトし、輪郭を固めて鮮やかに浮き彫りにしていく。そういう連続技はかけられると気持ちがいい、ヤラレタっと思います。


 林さんの手腕がより明確に顕われて見えるのは「清貧の書」(*3)と題された小編です。はげしく切ない流転の日々にもようよう落ち着きが見え始め、林さんは画家の夫と着実な歩みを踏み出しています。けれど貧窮のさまは思うように改善はならず、林さんは田舎に残した母と義父に対して心ならずも無心の手紙を送ったのでした。苦しい内実は母親とて変わりません。たどたどしい文字を連ねた返事がまもなく送られてきます。


さっち五円おくってくれとあったが、ばばさがしんで、

そうれん(*4)もだされんのを、しってであろう。

あんなひとじゃけに、おとうさんも、ほんのこて、

しんぼうしなはって、このごろは、めしのうえに、

しょうゆかけた、べんとうだけもって、かいへいだんに、

せきたんはこびにいっておんなはる、五円なおくれんけん、

二円ばいれとく、しんぼうしなはい。(中略)はは。

(中略)私は母の手紙の中の、義父が醤油(しょうゆ)をかけた

弁当を持って毎日海兵団へ働きに行っていると云う事が、

一番胸にこたえた。――もう東京に来て四年にもなる。

さして遠い過去ではない。(*3)


 母よりも随分と歳若い義父に対して何か暗い確執があるという訳ではないようですが、ここではおかずも漬物の一切れも添えられぬままの弁当めしに“醤油”がじょろり掛けられていく映像が濃厚に付されて、独特の凄みを世界にもたらしています。重苦しい、黒いものが田舎の生活と義父の面立ちに固着して当の本人の林さんもそうですが、読んでいる僕たちの胸すらも厚い雲ですっかり覆っていく感じがする。


 この醤油、義父、実家、(経済的、心理的)負担といった緊縛は強迫観念的に再三林さんのこころに立ち現れて脅かしていくのでした。

風呂敷の中から地獄壷を出して、与一の耳のへんで振って見せた事が

大きいそぶりであっただけに私は閉口してしまった。なぜならば、遠い旅の空で

醤油飯しか食っていない、義父や母の事を考えると、私は古ハガキで、

地獄壷の中をほじくり、銀貨という銀貨は、母への手紙の中へ札に替えて

送ってやっていたのである。(*3)



気合術診療所から貰って来たトマトの苗が、やっと三ツばかり

黄色い花を咲かせていた。あの花が落ちて、赤い実が熟する頃は

帰って来るのだろう。――私一人で何もしない生活の不安さや、

醤油飯の弁当を持って海兵団へ仕事に行っていた義父が、トロッコで

流されたという故郷からの手紙を見て、妙に暗く私はとらわれて行った。(*3)


 醤油の持つ多層的でえも言われぬ香りが米飯の上で揮発し、四方八方に飛び出していく。五感を刺激する味と匂いの競演する様子がもっとも明瞭になる嬉しい瞬間が“しょうゆかけ”じゃないかと思う僕には、どうしてここまで重い方向に受け止めているのか不思議でならないのですが、林さんのお母さんたちのお金に困ってそれしか食べられない状況は本当であったでしょうから、それじゃ、こう書かれてもいたし方ないですね。いずれにしてもこの「清貧の書」に象徴として醤油飯が使われているのは隠しようがない。

 一方でこんな記述も見つかります。


もう今朝は上野へ行く電車賃もないので、与一は栗色の

自分の靴をさげて例の朴のところへ売りに行った。

「何ほどって?」

「六拾銭で買ってくれたよ」

「そう、朴君はあの靴に四ツも穴が明いているのを知っていたんでしょうか?」

「どうせ屋敷めぐりで、穴埋めさ、味噌汁吸って行けってたから呑んで来た」

「美味(うま)かった?」

「ああとても美味かったよ……弐拾銭置いとくから、何か食べるといい」

私は今朝から弐拾銭を握ったまま呆んやり庭に立っていたのだ。

松の梢では、初めて蝉がしんしんと鳴き出したし、

何もかもが眼に痛いような緑だ。

唾を呑み込もうとすると、舌の上が妙に熱っぽく荒れている。

何か食べたい。(*3)


 生活費を捻出するために夫が靴を売りにいき、先で味噌汁を馳走になったことが語られています。特段のものでもないのに、話す夫も聞く妻もとても嬉々としているようにここでは映る。先の醤油飯と対照的に、味噌汁、夫、我が家、前進という連結を認めることが出来ます。ふたつの力(醤油と味噌汁を目印とする)がせめぎ合って、おんなの思考を両端から引っ張り合っている感じです。


 父親に連なり、覚醒を誘い、重い現実に重なる醤油という典型的な方程式と、内側にあって日常の旗印となる、これも大切な役回りを担った味噌汁がしかと刻まれている。と、ともに、林さんのなかには“愛しい男”と味噌汁とが同一化していく稀有なかたちが読み取れるようで、これはなんとも興味深い日本文学上の切り口ではなかろうかと一人でにんまりしているところなのです。一点集中で物事を見るって、ほんとうに面白いですね。


 さて、いよいよ年度末。突飛な動きがいろいろと起きて慌ただしくなります。何がなにやら分からぬままに毎日が過ぎていき、布団のなかでは乾いた溜息も湧いてくる。

 内食外食を問わず、時にはそっと味噌汁椀をかかげ、真空となっていられる時間を捻出しながら、どうか元気に健康にお過ごしください。


 口角を上げて、微笑んで春を迎えましょう。


(*1):「女流 林芙美子と有吉佐和子」 関川夏央 集英社 2006 
(*2):「屋根裏の椅子」 林芙美子 1933 改造社版に所収 手元にあるのは講談社文芸文庫 2009 

(*3): 「清貧の書」 林芙美子 初出「改造」1931  講談社文芸文庫所収
(*4):そうれん【葬斂】なきがらを棺に納め、ほうむること。また、その儀式。

2011年2月21日月曜日

桐野夏生「ポリティコン」(2007)~何となく箸を付けるのが~


「東一、朝ご飯かねの?」

ヤイ子が東一を認めて顔を上げた。手拭いを姉さん被りにして、

モンペズボンにゴム長靴。厚着で膨れ上がった体に割烹着を

着けている様は、どう見ても農家の主婦だ。(中略)

「いや、食った」

東一は、二匹の犬の頭を交互に撫でながら、嘘を吐いた。

味噌汁と飯と干し魚と漬け物。東一が生まれてから一度も、

朝食の献立が変わったことがない。今朝は何となく箸を

付けるのが嫌になって食べなかったのだ。(*1)


“文化度”の低いところには住めそうもない、そう明言するひとがいます。文化に対する尺度は人それぞれ違うでしょうが、言わんとする所はよく分かる。一度味を占めてしまうと、人は快適さや刺激を手放せない。音楽や芸術、読者やスポーツ、その他に付随する“心地好さ”を綺麗に捨て去ることは相当に困難であるし、風が吹き抜けずに淀んだままの世界では息が詰ってしまって享楽は存分に得られない。ひとは魂にも身体同様、美味しい食事を与え続けなければなりませんが、そのためには環境はとても大事。


桐野夏生(きりのなつお)さんの新作「ポリティコン」を読みました。都会に生まれ育った高校一年生の娘“真矢”の周辺環境が激変します。大人たちのトラブルに巻き込まれて緊急避難を余儀なくされ、東北の寒村に引きずられるようにして連れてこられるところから物語の幕が開くのです。村は大正の時期に先鋭的な“文化人”たちが理想郷を夢見てスタートさせた“実験農場”であり、食べることと芸術活動に没入出来る環境を築かんとこれまで苦闘を重ねてきたのでした。有形無形の“食事”にまつわる物語です。


もはや時代からも地勢的にも隔絶してしまい、住民の多くは高齢にもなって、村は見た目にも精神的にもひどく疲弊しているのでした。淀んでのっぺりした大気に侵されているのみならず、さらに間が悪いことには直情的な若い男が暴君と化して手が付けられなくなっていく。“文化度”が低いなんてもんじゃなく、壊滅寸前なんですね。 少女の飢餓感が切々と伝わってきます。


“文化”という衣服を剥かれて裸となった老若男女が村のあちこちで衝突を重ねていく様は、単純であるだけに生臭さは激烈です。混沌とした状況に、さらに地べたをのたうつが如き方言が重く纏わり付いていく具合は、ただもう悲しくって悲しくって誰でも逃げ出したくなる程です。口あんぐりの滑稽な展開がこれでもかと続いていき、モデルに選ばれた実在の地域に住まう読者などは憤然として声を荒げるか、ぐったりと打ちひしがれて高熱を発し、もしかしたら二、三日寝込んじゃうかもしれない。


けれど、時世によく寄り添ってナルホドと頷かされる警句が時おり弾けて爽快だったし、切れ味よく、新たなみずみずしい断面を呈してみせる世界観はやはり桐野さん独自のもので大いに呻らせられるのでした。勇気付けられる箇所もたくさん在ります。


物語を貫くのは荒ぶる一組の男女の十年間に渡る魂の軌跡です。農村に連れてこられた薄幸の少女“真矢”は忍従を強いられながら、やがて一気に芽吹くようにして峻烈さを増していき、困難な事態を猛然と生き抜いていく。ひとつの人格の巣立ちや成長を申し分なく描いていて、随分と胸に迫るものがありました。


登場人物をハハハ、とあざけるつもりが即座に照り返って、己の内奥に潜んでいる欺瞞や臆病さを白く浮き上がらせる瞬間も多々あり、クリアな幻視を誘う舞台描写もいつにも増して巧みで刺激が強く、どうにも止められずに一気に読み終えてしまいました。桐野さんが主導される理想郷(実験農場)に入村し(放し飼いされ)、短い期間ながらも学ばせてもらった、そんな気分ですね。充実した読後感がありました。

上に引いたのは村の描写が始まって間もない部分です。自給自足を目指すこの村は米と鶏(にわとり)、それにほんの少しの野菜ぐらいしか作っていませんから、どうしても食生活が単調になりがちです。味噌だって自家製のものを仕込んでいると書かれていますから、毎日の食卓に味噌汁は避けがたく並んでしまうものなのでしょう。


これまで迷いも疑問もなく親を始めとする年長者を手伝ってきた“東一(といち)”という若者が、生まれてから一度も変わったことがないこの朝食を拒絶しています。味噌汁は若者を呪縛するものとしてここでは登用されて、そっと僕たちと思いを共振させていく。情欲を持て余し、支配欲に目覚め、ほかの男たちと己の腕力や胆力を絶えず天秤にかけては戸惑い、呻き悶えている若者の尖った感じがよく伝わってきます。


真矢と、彼女とともに逃亡してきた異国のおんなの入村を機に東一のタガはとうとう外れてしまい、かろうじて守られてきた村の均衡ががらがらと崩壊していくのでした。猫の目のごとく変わっていく状況に合わせて、食卓の光景もまた様々に変幻していく辺り、桐野さんらしい繊細且つダイナミックな綾織りです。ついつい五感は踊らされてしまい、ざわつく臨場感に最後まで包まれてしまいました。(*2)



(*1):「ポリティコン」(上下) 桐野夏生 文芸春秋 2011 
奥付によれば初出は(第一部)2007年8月~11月 週刊文春、(第二部) 2009年1月~2010年11月 別冊文藝春秋にいずれも連載 引用は上巻54頁より
(*2):例えば村内でサボタージュが起きると、たちまち味噌汁は陰を潜めて「真っ黒な醤油の汁を張った肉うどん」なんかが登場するのです。世界をここまで細かく構築出来る人はなかなかいないですよね。見事だなあ。

2011年2月17日木曜日

Gravy~何もかもが、その一分一秒にいたるまでが~


No other word will do. For that's what it was.Gravy.

Gravy, these past ten years.

Alive, sober, working, loving, and

being loved by a good woman. Eleven years

ago he was told he had six months to live

at the rate he was going. And he was going

nowhere but down. So he changed his ways

somehow. He quit drinking! And the rest?

After that it was all gravy, every minute

of it, up to and including when he was told about,

well, some things that were breaking down and

building up inside his head. "Don't weep for me,"

he said to his friends. "I'm a lucky man.

I've had ten years longer than I or anyone

expected. Pure Gravy. And don't forget it."(*1)


友人に薦められて以来(眠りに就くまでのほんのわずかな時間ではあるのだけれど、)読み進めている村上春樹さん訳のレイモンド・カーヴァー作品群。その中に「GRAVY」という題名の詩を見つけました。


訳者の解説にもありますが、この“GRAVY”というのは「肉を煮焼きするときに出る汁」のことです。「多くは漉して塩・胡椒で調味し、小麦粉や澱粉で濃度をつけて肉料理のソースとして用いる」ものなのだけど、これが本来の“美味い汁”から転じて怪しげな気配を発する「甘い汁」になり、「あぶく銭」「思いがけない利得物」を表わす隠語になりました。


口腔に渦巻くように広がっていく旨味や甘味。肉だの香辛料だのといったちりちりの砕片が丸みを帯びて感じ取れる油脂の隙間から不意を衝いて跳び出し、口蓋をれろれろ撫で回し、舌を弄(もてあそ)び、唇を赤く火照らせ、いつしか随喜の涙まで溢れて視界がおぼろに曇っていく。複雑に絡み合う味覚と嗅覚の饗宴は原初的な喜びへとイメージを連ねてしまい、このGravy、「欧米では“快楽”の象徴」という大それた役目さえ担っている。強烈で奥深い単語ですね。(*2)


アルコールに深く依存し、家族を破壊と離散へ追い込んでしまった長く苦しく時期を、そう遠くない過去にカーヴァーさんは抱え込んでいます。辛くもその地獄から脱却して、最大の理解者にしてまがいなき同伴者たるテス・ギャラガーというひとりの女性と出会い、まさに生まれ変わるようになって、穏やかで、けれど精力的な時間を共に過ごしていく。彼の軌跡を追うようにして
全集を読み進めてきた僕の中にも、なんとなく一皮剥けた感じが宿っています。


大病を抱えて死を意識することが多くなった晩年に書かれ、終には墓碑銘ともなったこの“GRAVY”には、そんな彼個人の人生観、世界観が示されると同時に僕たちに向けても烈しく照射されるものがあります。日ごろ漫然と凝視めるだけの身近な風景を明るく鮮やかに活き返らせる力を含んでいる。そのように読みました。


人生は“GRAVY(肉汁)”だよな、と心でつぶやくだけで、世界は(もしかしたらそれは汚れていても、崩れていても、錯綜していても)ふっと明度を上げていくのです。そうだよ素敵だろ、奇蹟の連続だろ、生きているって良いだろ、これからもきっと楽しいぜ、と微笑んで肩を叩いてくれる。


「人生は“味噌汁”だ」と言われたって、なかなかそこまで気持ちは和まない。計算され尽くした和食の世界観はごった煮の寛容、清濁合わせ呑む余裕を秘めていない。受け皿がとっても小さくって、笑顔を返してくれそうにないなあ。悔しいけど、それは正直な実感だよ。


実は先日、二十数年ぶりにスノーモービルにまたがり雪野を走りました。勘を取り戻すまでちょっと時間がかかりましたが、冷気を貫き、瘤に跳び、思い切り煙をたなびかせて白い地平を切り拓いていく感じは嬉しく有り難いものがありました。 無駄以外のなんでもないけど、でも、こころから笑える瞬間。


確かに人生は苦味も塩味も当然に含んだ“GRAVY(肉汁)”だなあ。
多層なこころは整頓ならぬそのままに、けれど萎縮することなく、活発に、様ざまに彩られても一向に構わない、ごった煮であっても善いんだ。 そんな風に、自分自身に言い聞かせているところです。



考えてみれば、これ以上に相応しい言葉はどこにもない。この

十年の歳月、それはまさにGRAVYそのものだった。

生きていて、しらふで、働いて、愛して、そして

素敵な女に愛されること。十一年

前に彼はこう言われた。この調子で進んだら

せいぜいあと半年の命ですよと。進む先には

破滅あるのみ。それで彼はなんとか

生き方を変えた。酒を断ったのだ!そしてどうなったか?

そのあとは何もかもが、その一分一秒にいたるまでが、GRAVY

だった。彼のからだのどこかがまずくなって、頭の中に何かが

生じていると告げられたその瞬間をも、そう、それも

含めてだ。「僕のために泣いたりしないでくれよ」

と彼は友人たちに言った。「僕は幸運な男だ。

まわりのみんなが、あるいは自分が予想してたよりも十年も長く

生きたんだもの。実にGRAVYじゃないか。そのこと、覚えておいてくれよな」(*3)




(*1): Gravy  Raymond Carver 引用は下記の頁より
http://agenbiteofinwit.com/gravy.html
(*2): http://dic.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=GRAVY
(*3): 「THE COMPLETE WORKS OF RAYMOND CARVER 6 象/滝への新しい小路」 レイモンド・カーヴァー 村上春樹訳 中央公論新社 1994
GRAVY は1989年の「滝への新しい小路」A New Path To The Waterfallに所収されたもの。直接味噌とは交錯しないので、目次には載せません。

2011年2月10日木曜日

与謝蕪村「新五子稿」(1770)~秘めた願いがあるのか~



味噌汁を食わぬ女の夏着哉   (*1)


「身近な存在で私たちの食生活に欠かせない“みそ”の、再認識のために」編まれた一冊の本(*1)があります。六百頁近くある労作です。その中に「みそを詠んだ俳句・川柳・狂歌」という章がありましたので、先日つらつらと眺めていました。


たとえば正岡子規(まさおかしき)さんの「八重桜咲きけり芋に蜆汁」とか小林一茶(こばやししっさ)さんの「汁鍋にむしり込んだり菊の花」といった句が整然と並んでいます。生活や四季折々の風景をスケッチして爽やかなのだけど、ここで僕が掘り下げている平野とはちょっと違う訳です。



桜や菊の花に代わって恋情や親愛を傾ける対象があり、その横に置かれる一瞬だってきっとあるはずで、その刹那に生じるだろう化学変化を想像しては愉しんでいる。ずいぶんと蒐集出来たものだと感心するものの、手を叩いて身を乗り出すまでには至らない。


ただひとつ、どうにも
曖昧なものが目に留まり、それが上に掲げた与謝蕪村(よさぶそん)さんの句なのでした。“味噌汁”に対置しているのが実に“女”ではありませんか。たちどころに僕の琴線に触れて来て、血が逆流を始めます。でも、これは一体全体どんなものでしょう、いまひとつ蕪村さんの想いが透き通ってきません。


季節は夏の盛り、なのでしょうか、強い陽射しに全世界が発光しています。炎暑を避けて出歩くひともほとんどなく、真綿のような静寂があたりを包み込んでいるのでした。アントニオーニの映画でこんな場面を見たことがある、そう男は思うのです。風が時おり駆け抜けていき、街路樹の緑の葉をさわさわと鳴らしていく。歩道に面した喫茶店のテラスに木陰がやわらかく落ちて、そこだけ雨に濡れたような落ち着きを生んでいる。


他に客はいません。たった一組の男女が世界から隔絶されてテーブルに向き合っているだけです。日焼けて赤らんだ男の腕や太い首筋に、汗の粒が生まれ並んでいく。おんなの纏(まと)う優しいフレアラインのワンピースには部分的に透け感があって、V開きから覗く素肌はそっと乾いて涼しげに見えるのでした。どうして男と女では汗腺の配置がこうも違うのだろう。ハンカチで押さえるようにして額の汗を拭いながら、男はしげしげと相手の様子を窺っているのでした。


だいじょうぶ、ブソンさん、ずいぶんとつらそうじゃない。瞳がサングラス越しに薄っすらと笑っています。カフェラテのカップを細い指先でつまむとふわり口元に持っていく様子は口惜しいかな実に優雅で、ただただ美しく、広がる街のまばゆさを背に受けもして、もはやこの世のものとは思えない。ありのままの今がとっても嬉しい、愛しい。味噌汁を食わぬ女の夏着哉。



馬っ鹿じゃないの、何が“ブソン”よ、どっかで頭でも打ったんじゃない。


情景ににじり寄れないもどかしさをこのまま放置するのは精神衛生上きっと良くありませんから、思い切って図書館に足を運びました。何か糸口がつかめるかもしれない。地下の書庫から出して来てもらったのは蕪村さんの全句集で、生涯を通じて産み落とされた2,870以上の句を総覧するものでした。(*2)


ようやく合点がいったのです。最初に先ず、上に紹介した句自体に間違いがあったのが判りました。蕪村さんの句は正しくは──


味噌汁を喰(くわ)ぬ娘の夏書(げがき)哉


というのが本当。“夏書”は「げがき」と読むのだそうです。そのような言葉を知る人はほとんでいないので、味噌の句や歌を懸命に探した編集者さんか、請け負った印刷所がつい“夏書(げがき)”を“夏着(なつぎ)”と写し違えたわけね。同時に“娘”が“女”に変化しているのが面妖でなんとも艶っぽいのですが、まあ、いろいろあるのでしょう。


なんだよ、それ。いや、きっと僕みたいな阿呆が暴想したんだよ。武士の情けで見逃してあげなよ。──全句集より添えられていた解説を書き写します。


〈夏書(げがき)・夏百日(げひゃくにち)〉

通常四月十六日から九十日間、僧侶が寺院に籠もって、座禅・読経などの

修行する夏安居のこと。その期間に写経するのを夏書という。在家の人も

これに習って行に入ることもある。

秘めた願いがあるのか、若い娘が味噌汁も断って一途に写経に打ち込む気高い姿。

味噌汁の生活臭と夏書の落差が眼目。落日庵269(新選・新五子稿)明和七年か



これはこれで素敵ではないですか。少女のこころに宿るのは何か分かりませんが、蕪村さんが眼を留めたぐらいですから余程真剣な面持ちだったのでしょう。そんな魂の突出した空間に味噌汁が絡んでくるなんて、嬉しく愉しい話です。明和七年頃と書かれていますから、享保元年(1716年)生まれの蕪村さんは54歳あたりですね。写経にいそしむ娘に対して、温かで丸みを帯びたまなざしが感じ取れます。


断食して、というのではないのですが、贅沢や好物を断ち切って御仏にすがらねばならない深い事情があったのです。ここでの味噌汁はですから、「日常」の代名詞であり、「安息」の代名詞となっているのであって、句のなかで姿を消失はしているけれど揺るがぬ存在感を湛え続けて独特の空隙を世界に穿っている。見事なバイプレーヤーとなって少女の静かな孤闘を支えています。




願うだけで叶うことはそう多くはありません。昔日に暮らした人たちだって、内心どこまで本気だったものか分からない。それでも人は、懸命に、心をこめて日々祈りを重ねていくのですね。


これを読むひとの健康と、人生の充実をこころから祈ります。

怪我のないように、大病などを決して背負わぬように。



(*1):「みそ文化誌」 2001
(*2):「蕪村全句集」 藤田真一 清登典子編 おうふう 2000 215頁
解説にあったように書かれた時期は正確には分からないようです。ここではとりあえず明和七年の句として表題に掲げておきます。45歳ころに結婚されて娘を得たとも言いますから、もしかしたら実の娘さんをスケッチしたものかもしれないですね。
最上段の写真は、L'ECLISSE  監督ミケランジェロ・アントニオーニ 1962

2011年2月1日火曜日

“醸造家の運”



あるとき、ある人が、

「フランス人にとってのワインは、日本人の味噌汁のようなものだそうですね」

と、私に言った。

 チーズ(フロマージュ)は、漬物に相当するとかねて考えていたので、

その言葉を聞いて、「なるほど」とおもった。(*1)


欧米の“ワイン”に拮抗し得るものが仮に日本にあるとすれば、それは“味噌汁”ではなかろうか。そう書いていたのは吉行淳之介(よしゆきじゅんのすけ)さんでした。


なかなか嬉しい発想。けれどあらためて読んでみると途中から靄(もや)がかかったような面持ちになっていき、結論は持ち越されて実にあじきない。カウンターで軽妙な会話が始まったと耳を澄ませていると、あれよあれよと言う間に呂律が回らなくなっていく、そんな感じ。


しかし、それを解説しようとすると、難しいことになってきて

十分に説得力をもたらすことができない。(中略)パリへ行ったとき、

その都市で六年暮らしてフランスの女性と結婚した日本人青年に

質問してみたが、十分納得できる答は返ってこなかった。(*1)


精神世界に占める位置や役割を例証していくことは難儀な話です。そもそも魂なんてものは主観に踊らされて違って見えるのは当然だし、特に相手が“ワイン”ともなれば背景にあるものが大き過ぎて知識も時間も到底追いつかない。決着は一生かけても付かない。吉行さんが途中からもにゃもにゃとはぐらかすのも仕方ないのです。


僕とて同じ。味噌なり醤油なりの淡い残り香をそっと後追いするに留めて、努めてのんびりした気持ちで歩みたいと考えています。


もっともこんな弱気は先日観た映画(*2)のせいもあるのです。直訳すれば「ワイン醸造家の運」という原題のニュージーランドとフランス合作による小品だったのだけど、ワインをめぐる文化の深々とした淵を垣間見た思いです。


ナポレオン帝政の頃のフランスが舞台です。貧しい小作農の家に生まれた主人公が熱意と才覚から老地主に見込まれ、ワイン造りの頭領に抜擢されます。葡萄の品種を選び、土を改良し、製法にも独自の工夫を凝らしていくうちに香味は徐々に深まって首都でも名の知られた存在になっていくのでした。もちろん苦労も生半可なものではありません。台風や寒波が容赦なく襲い、家族や仲間を次々に病魔が襲います。葡萄畑にも病害虫が忍び寄りして、主人公と彼を取り巻く人たちは幾度となく奈落の底に突き落とされていくのでした。


それだけでは通常の劇の展開に過ぎません。しかし、途中からこりゃ変だぞと気付くのです。未開の荒野で奮闘する(ありがちな)大河ドラマのつもりで眺めに行ったのでしたが、いやいやどうして気安い映画じゃありません。認識を新たにしてシートに座り直しましたね。


後半部分では醸造家のてっきり想像、こころの友と思っていた“天使”が実体化し、あろうことか両の翼をむしり取って領主、農民たちと共に畑作に精を出し始めるのです。驚いたなあ。この物語が歴史をなぞる絵巻物でも紅涙しぼる目的の苦労譚でもなく、生きて現世に惑う者へ指針を示そうとする心理劇だったとようやく分かってきました。


その事をより端的に表すのが一瞬だけ目を射抜く本の存在です。調べてみればウイリアム・ブレイクの詩篇なのです。(*3) これまで何がしかの答えを暗中模索する風だった物語は、ブレイク出現を機に雰囲気を一変します。混迷と煩悶を在るがままに甘受していく覚悟を決め、諦観の重たい想いを湛えながら美しい幕引きへと奔り出すのでした。


生きる限りにおいて情念の肥大し、爆発的な瞬間の訪れるのは自然なことと潔く肯定して見せる。その上で、酒造場内の混乱や衝突といった清濁入り乱れる背景すべてを含めての“もの造り”と、其処で産み出されていく“雑味のあるワイン”に心からの賛辞を惜しまない。貼り付く聖なるレッテルを一気呵成に引き剥がして、 人もワインもときに迷っていいのだ、狂っていいのだと断じている。



ワインひとつでここまで風呂敷を広げていく作り手にも驚くけど、人と葡萄酒の間で延々と続く交歓の様子が羨ましい。血となり肉となり、とろとろに溶け合っているようで、我らが味噌汁とは幅も奥行きもけた違いという感じがするのです。


こんなゾクゾクする、そして慰撫される映画をデートの一環で観ている欧米諸国の日常って、つくづく大人のものなんだと思います。それこそ“熟成なった”文化を覗いた気分。僕たちの何十年も先を歩いている余裕が感じ取れる。


この列島に住まう者としては、とりあえず足許をせっせと掘り進めるしかないですね。掘り進んだ先の先、いつかブルゴーニュの大地まで突き抜けたときには吉行さんの言葉を僭越ながら接いで“味噌汁”と“ワイン”の共通点でも話そうかと思います。


予告編を貼っておきましょう。ちょっと眠くなる箇所もあるけれど、良い時間でしたよ。



皆さんのところのお天気はどうですか。

こちらは蒼い空がとってもとっても胸に沁みる感じです。
少しずつ春に向かっている感じがします。

寒風に負けず、口角あげてお過ごしください。





(*1):「葡萄酒とみそ汁」 吉行淳之介 1975 初出「ザ・ワイン」(読売新聞社) 単行本「石膏色と赤」(講談社 1976)、「吉行淳之介全集 第13巻」(新潮社 1998)他所載
(*2): The Vinters Luck 監督ニキ・カーロ 2009
(*3): The Marriage of Heaven and Hell  William Blake 1793 
以下のページで読むことが出来ます。(挿画はなし)劇中、朗々と声高に自己主張するのではなかったけれど、本の中身に目を通してみれば物語の主題に重なっているのが解かります。 http://www.longtail.co.jp/mhh/