2009年7月1日水曜日

関川夏央「ゲート前の外人バーにて」(1988)~恐ろしいもの~





わたしは友人に尋ねた。

たまにはフィリピンの女の子と付き合ったりするの。

しないさ、と彼は答えた。エイズ以来だれもしないんじゃない?

外人バーだって日本人はほとんど行かないもの。
 
外人は怖いから、と彼自身も混血なのにそんなふうにいった。

ただし暴力沙汰という点では外人すなわち米兵はちっとも怖くないという。

彼らは日本人相手に絶対(と彼は強調した)トラブルを起こさない。なぜかと

いうと日本の刑務所を、とりわけ刑務所の食事を、さらにとりわけミソ汁を

恐怖しているからだそうだ。兵隊がミソ汁とタクワンを恐れること、

ドラキュラにとってのニンニクと十字架に匹敵する。 (*1)



沖縄中部東岸の町“金武(きん)”の探訪記です。閉じる店が後を絶ちません。かつて兵隊相手に勢いづいていた歓楽街は、“円”の価値が上昇するにともない零落の一途をたどっています。“斜陽、というよりもはや日没”と容赦なく表現するのは関川夏央(せきかわなつお)さん。今から二十年前、当時まだ三十八歳の若さでしたが、怖れ知らずの独特の言いまわしはこの頃から全開でしたね。


寄稿した雑誌の性格と具体的な数字を並べて為替変動を語っていることから、八十年代末に実際に足を運んだものでしょう。わずか5頁と半端の数行といった掌編に過ぎないのだけれど、温かく湿った大気を感じさせます。どこか浮き足立った男たちが闇を往来するのが目に浮かびます。国籍を越え、性差を越えて場を共有するひとの、さまざまな思惑が写し取られた簡潔な文章です。


繰り返しの日常に生きる僕には魅惑的な情景です。一本のビールで懸命に粘る米兵、それを追い出す店のママの叱声。南方から出稼ぎに来た娘は隣りに腰を下ろし、片言の日本語で話し掛けてきます。紫煙に眉をひそめる者は誰もいませんから、店内は甘い霧に包まれていたでしょう。壁の灯かりはむせんで揺れたでしょう。寄り添う影の輪郭はぼうっとにじんで映ったでしょう。


せっかくいい気分でいるのに、やおら“ミソ汁”が登場します。笑いをさらに誘おうと言葉を継いでいくから、ハードボイルドの世界はすっかり瓦解してしまう。“ドラキュラ”と“ニンニク”が先端のとがった杭に化けて止めを刺します。ペーソス溢れるチャップリン喜劇に夜の町は変貌してしまいます。


大いに笑って、ああ、面白かったと終わらせても良いのだけれど、それでいいのかな、と立ち止まってしまう。幾つかの焦点(ポイント)を擁した短文ではありますが、もう一度それをたどり直してみると網目にすくい取れるか取れないかの、小さな“違和感”が見つかります。


沖縄の復帰は1972年でしたから、それから十年以上の月日が経っている。ですが、人の移動は緩慢で劇的な変化は起こり得ない。友人との会話と思案の矛先は、どうしても人種や国に関わるものになってしまうのです。「オキナワとジャパンは別の国」「いっそ独立しちまえばよかったさ」──そのような流れのなかに“ミソ汁”は点描されていました。


留置所や刑務所の食事を懸念してブレーキを外せない“流れ者”の小心を浮き彫りにしていますから、あくまで文面上の主役は兵士=人間です。けれど、ちょっと珍しいのは“ミソ汁”が他国の者にとって“違和感”を抱かせる存在なのだと明示していることです。陰の主役となって“ミソ汁”は何事かを囁いています。


兵隊がミソ汁とタクワンを恐れるらしいぜ、ドラキュラのニンニクや十字架みたいだね、と笑い合った後、いきなり会話は“喧嘩の仕方”に移ってしまいます。「外人同士ではいまでもたまに立派なバイオレント・アクションが見られる。あいつらの喧嘩はすごいね、と彼はいう。」関川さんの反応がすっぽり抜け落ちています。読み流してしまわず、ちょっと想像してみましょう。兵隊がミソ汁を恐れる─(不思議だね、可笑しいね)ということでしょうか。それとも、兵隊がミソ汁を恐れる─(そりゃ当然だね)だったのでしょうか。


漬け物屋さんに難癖をつけているのではありませんが、こうして意図的に“タクワン”を並べ置く関川さんの筆の先には、ミソ汁を毛嫌いする異国の兵士に対して同情や憐憫が匂ってきます。臭いもの、不味いもの、野暮なもの、不衛生なものといったイメージの共有が透けて見えます。


ブルドッグと鉢合わせした猫のトムが目玉と舌をびょ~んと突き出し跳びすさるように、屈強な兵士が小さなミソ汁の椀を目にしておののき後ずさる。そんなコミカルな光景を脳裏に描き、さもありなん、うふふふと笑う僕たちの胸にも同様のミソ汁イメージが僅かなりとある。これは否定できないでしょう。


境界に位置する町“金武”の、さらに混沌とした緩衝地帯である場末のバーを舞台にして語られるミソ汁は、境界のこちら側=“内側”にある特別なものとして強調、記号化されて、いかにも象徴的に取り上げられている。加えて明らかに“負”の意味も担わされています。


ここでの“内側”は“国境の手前”ということに等しいですから、ミソ汁が担う違和感は“日本人”にそのままスライドしそうです。臭い者、野暮な者、不衛生な者といったセルフイメージを喚起することになります。 いや、ちょっと暴想が過ぎましたね。ここまで自虐的にならなくてもいいでしょう。


恋愛の「れ」の字もないのですが、ねじれた自意識が露呈する深層的な内容で、ちょっと惹かれる「味噌エッセイ」なのでした。 時流や微細なことにこだわる関川さんらしい、味のある文章でしたね。


さてさて、いよいよ大雨の季節。渦巻く灰色の雲も、夜半押し来る重い雨脚も、ぴりぴり総毛立つ雷光も、どれもが情緒を宿して嫌いではない、いや、好きです。でも、うっかりするとカビが生えるし食中毒も招きやすい。どうぞ食品の管理は怠りなく。

味噌はこんな高温多湿の風土に冷蔵庫もない昔から根付いたもの。カビなどモノともしません。頼もしいばかりで、決して不衛生でもない。自信を持って、安心してどんどんいただきましょう。“臭い”とも思わないしね。刑務所にいつ入っても僕は平気です。

(*1):「道新Today」(北海道新聞社)1988年8月号初出 「森に降る雨」(双葉社)所載




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