2009年7月18日土曜日

村上龍「イン ザ・ミソスープ」(1997)~まるで人間の汗のよう~



封筒をわたしながら、一つやり残したことがある、とフランクは言った。

「一緒にミソスープを飲みたかったんだが、もう会うことはないから無理だ」

 ミソスープ?

「うん、興味があった。昔、一度、コロラド州の小さな寿司バーでオーダー

したことがあるんだが、変なスープだった、匂いとか、変だった、だから

飲まなかったんだが、でも、興味深いスープだと思った、まず色が奇妙な

ブラウンで、まるで人間の汗のような匂いがするだろう?そのくせこう、

見た感じが、どこか妙に洗練されていて上品なんだ、こういうスープを

日常的に飲んでいるのはどんな人々なんだろうと思ってぼくはこの国に来た、

少し残念だ、一緒に飲みたかったのに」(*1)


今は桐野夏生さんの「優しいおとな」(*2)が気になって目を通しているけれど、ごめんなさい、余程波長が合わない限り連載小説は素通りしています。そんな僕が村上龍さんのこの作品は欠かさず読んでいたのでした。なにより題名が良いでしょう? 「イン ザ・ミソスープ」──耳元に妙に甘くささやいて、暖色系の連想、オレンヂやイエローのほのぼのとした灯かりが脳内にぽっと点った覚えがあります。


連載に先立つ告知には、日本を訪れたフランクという名のアメリカ人をケンジという若者が案内して歩くという簡単な説明が付されてもいました。自由闊達な高校生が来日し、ホームステイ先で騒動を起こす、そんな人情喜劇のイメージが湧きました。それとも初老の外国人と日本の好青年の穏当な小旅行かしらん。夕立が引いたばかりのなよやかな風情の古都や嵐山を回遊しながら、男ふたりが熱心に文化論を交わす、そんな涼しげな光景を思い浮かべたりもしました。“ミソ”という言葉がいかにステレオタイプの反応を喚起するか、その典型ですよね。知らず知らずの内にこころを染めていく“ミソ”の色って、存外濃厚でしつこいものです。


実際に村上さんの小説のなかで描き出された場景の、その常軌を逸したシュールさ、凄惨さと酷悪さについては触れないでおきます。けれど、上に書いたようなヌクイものがことごとく裏返っていくのはかえって愉快でもありました。きっとそれも村上さんの狙いだったのだと思います。既存イメージをいささかの疑いもなく受け入れている頑迷な僕たちの頬を、おい、目を覚ましなよ、と、ぴしゃり平手で張ったのでしょう。


最初に紹介した会話は、本当に最後の最後の幕引きになって交されるものです。年末の喧騒に包まれた新宿の街の、暗く奥まったパブの店内で延々とフランクによって為される快楽殺人の後になって唐突に語られます。それまでは“ミソ”のミの字も現れなかったのに、ようやく出たかと思い、えっ、これだけなのかと拍子抜けもしました。続けてフランクが語ります。



「もう飲む必要はない、ぼくは今ミソスープのど真ん中にいる、コロラドの

寿司バーで見たミソスープには何かわけのわからないものが混じっていた、

野菜の切れ端とかそんなものだ、そのときは小さなゴミのようなものにしか

見えなかったけど、今のぼくは、あのときの小さな野菜の切れ端と同じだ。

巨大なミソスープの中に、今ぼくは混じっている、だから、満足だ」(*1)



物語の主題や書かれた目的は読者それぞれが読み解いて胸に抱けばいいのだし、村上さんらしい相応のメッセージが随所に挿入されてもいます。その各々は傾聴に値するものが確かにあって、面白い小説であることに違いはありません。僕も嫌いではない。それにしても、とやはり思います。やっぱりこれ、この“ミソスープ” はいびつで不思議な登用です。


ここでの“ミソスープ”は日本という国とそこに住まう僕たち「内側」のことを明確に指差しています。「外側」からは色も匂いも異様です。汗を連想させて口を付けるのを躊躇させておきながら、上品で洗練されていると続ける(村上さんの)言葉の背景には分裂した自意識が例によって認められるのですが、結局のところ、ぽんと投げ掛けられるばかりで重い唇は閉じられてしまいます。取って付けたようなモノローグになっているのはそのためですね。除夜の鐘が鳴り渡る寸前の、凍てついた川べりに捨て置かれてしまいます。ケンジと一緒に、僕たちも置いてけぼりにされてしまう。


ブラウン色のレンズを通して日本人が日本人を見通そうとするとき、そのレンズ自体が波立ち変形してしまう感じです。そして、大概はこうじの破片や大豆の細かなコロイドがぶわぶわと浮遊、回流して邪魔をして、視界が利かずに観察を放擲するに至る。そんな読後感が味噌汁の登場シーンにはとても多いです。不思議です。はは、そんなこと思うには僕だけかな
(笑)

阿鼻叫喚の地獄絵や猥雑な描写がもたらすカタルシスだけでなく、僕たちが僕たちを見詰めるときの視線、奇妙で妖しい目付きの確認も「イン ザ・ミソスープ」の読みドコロとして、それでも確かにあるように感じています。

「ベルリン・天使の詩」(*3)などで知られるヴィム・ヴェンダースさんが映画化の最中みたいですね。主演はウィレム デフォーだって! ひゃあ、どうなってしまうのだろう、味噌汁がまるで人間の汗どころか血のような匂いがするなんて噂が立たないかな。とっても僕は心配だよ。


うーん、まあ、そんな事言って心配しても始まらないや(笑)。夏も本番、楽しんで過ごしましょう!

どうか良い休日を!  休日でないひと、どうかケガのないように!


(*1):「イン ザ・ミソスープ」 村上龍 幻冬社文庫 
(*2):「優しいおとな」桐野夏生 讀賣新聞 毎週土曜日掲載 
(*3): Der Himmel über Berlin 1987 監督ヴィム・ヴェンダース




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