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何一つ、夢は見なかった。眠りはとても深く、目覚めは唐突にはじまった。 ぱちっと目が開くと、もう手が2CVのドアを開けているといった具合だった。 だから、眠ったのではなく目を一回瞬いただけのようにも思えたし、前後の 出来事はどれも夢の中、たったいま、それから目覚めたようにも思えた。 スズキさんは海に向かって歩いた。 映画のスタッフは砂浜の焚火にかけた鍋をめぐって思い思いの格好で 寛いでいた。三脚の上で16ミリカメラがうなだれ、砂の上ではレフ版が朝陽を いきおいよくはねかえしていた。ギャジット・バッグはどれも、即席の椅子や 卓子に変っていた。 鍋ではミソ汁がぐつぐつ煮えたぎり、魚やエビやカニが、浮かんだり沈んだり していた。一人の猟師が、近づいていったスズキさんにお椀一杯のミソ汁を すすめた。一行の半分ほどは地元の猟師だった。見れば、すぐ近くに網が手際 よく干され、小舟が引きずりあげられていた。(*1) スズキさんが息子のケンタを脇に乗せ、北海道の留萌までひたすら愛車を駆るお話です。長時間の運転に疲れたスズキさんは運転席でまどろみ、夢かうつつか判然としないままに海岸を歩き始めます。かたわらにはミソ汁が現れます。 フェリーニの白黒映画(*2)のラストシーンを下敷きにしながら、旅の終わりを謳い上げています。政治と哲学をかつて夜通し語り明かしたおんな友だちとここで再会し、鳴り止まぬ波の音を背景として、実に穏やか大人の会話がくっきりとした輪郭で描かれています。往年の仏蘭西映画を髣髴させるものがあり、ちょっと素敵でしたね。漁師から差し出されたミソ汁も、思えばタルコフスキーみたいな詩的な波紋と湯気を具えて見えます。 鍋では魚やエビやカニがぐつぐつ熱く煮えたぎり、浮かんだり沈んだり していた。一人の猟師が、近づいていったスズキさんに暖をすすめ、 お椀に盛ってよこしてくれた。 こんな風にせずにミソ汁、ミソ汁と連呼したことに、僕は矢作さんのこだわりを見出します。夢と現実の境界に、また、過去と現在の境界に矢作さんのミソ汁はあって、僕たちの深層に働きかけ、甘く、温かく捕り込もうとするのです。作為は明らかです。失われたものへの憧憬がミソ汁をアンプと為して増幅されています。 映画の砂浜を参考までに貼っておきましょう。 週末にでも車を飛ばし、日本海を見に行きたくなりました。冬のはげしい波と轟きを想います。 (*1):「スズキさんの休息と遍歴 または かくも誇らかなるドーシーボーの騎行」新潮社1990 初出は「NAVI」連載1988-1990 大幅加筆とあるから分類は1990年とした。(この本、好みが分かれるのでおすすめはしません。僕も最初からの再読はしていませんが、この浜辺のシーンだけは読み返しました。) (*2): LA DOLCE VITA 監督フェデリコ・フェリーニ 1959
「どんなものかなあ」 首をひねって、スペイン語に変え、店員に短く訊ねた。 相手が答えると、また大真面目に頷き返した。 「ジェリーがシェルになるのにエネルギーを使うんだとさ。 くたくたに疲れて、栄養も旨みもあったもんじゃない」 「ミソ・ナベにするなら、かまやしないよ」 「ミソ・ペースト!」 ムン・タイが、顔を歪めた。それから、教会の壁に殴り書き された四文字言葉を読みあげるように、低くゆっくり繰り返した。 「ミソ・ペースト!───キャロラインがどれほど嫌っていたか思い出してみろよ」 「ジョージは大好物だ」 彼は、うんと狷介な気分に駆られて言った。 「ジョージがミソ・スープを旨そうに啜るところを彼女に見せたら、 今夜はちょっとした展開になるような気がしないか」 「彼女は、匂いを嗅いだだけで帰っちまうよ。ドアを開けるだけさ。 玄関にだって上がりゃあしないよ」(*1) 暑気払いに鍋大会(ボウルパーティ)をしようということになり、主人公とその友人が買い物にいそしんでいます。ふたりが歩く通りや河、公園の名前がところどころで提示されており、どうやらニューヨークのダウンタウンが舞台なのだと分かります。ちょうど鮮魚店の前に来たところです。鍋にぶちこむワタリ蟹を吟味しながら、さらに会話が弾んで行きます。 ムン・タイという名の友人と連れ立って歩く“彼”は、お喋りの端々から私たちの同胞なのだと知れます。キャロラインという妙齢の婦人に気があるのだけれど、なかなか格好良いところを見せられずにジタバタしている毎日です。そこにジョージという恋敵の出現も重なって、胸中さすがに穏やかではありません。夜毎に眺めては心ひそかに愛でていた白い月影が、黒い雲に遮られ目の前から消えようとしている、どうしよう、どうしよう。 ジョージの足を引っ張るためにミソ・スープをパーティに用意し、ミソを毛嫌いするキャロラインの目の前でズルズルと呑ませることに成功するならば、きっと彼女も妄執から覚めるに違いない、そんな奸計をめぐらすのです。本当に恋に狂った男ってやつは救いようのない馬鹿ですね。そのくせミソ味こそが鍋の王道とばかりに固執して、歩道を跳ね回っているのは他ならぬ“彼”な訳ですから、奇怪この上ない展開です。 こころ寄せる異性はどうやら最初から“彼”など眼中にないのですが、外貌やら文化やらの見劣りを勝手に意識しては頭に血が上り、コントロールをすっかり失っている。ちょっと捨て鉢となっている感じもします。世界と対峙した際に急激に膨張していく自意識は、誇りと自嘲で十文字に裁断されて無惨にも分裂していく。自虐趣味がフルスロットルです。 この「ボウル・ゲーム」においては舞台をわざわざ国際都市に選んだ上で、孤高に埋没する滑稽な男の姿を矢作俊彦(やはぎとしひこ)さんは描いています。自分たちの世代と子供たちとの間に横たわる裂け目に味噌汁を配置し、それを国境線に例えて戯画化したことが別な小編(*2)にてありましたが、“彼”の自意識過剰な内面を如実に引き立てていくミソ・スープは、ここでも色々な境界上に置かれて見えますね。ねちっこい作為を感じ取らないわけにはいきません。 さて、矢作さんが味噌汁を意識的に登用しているらしいことは分かりましたが、ここで作品から外れてちょっと考えてみましょう。この小編を笑えるひとは、一体どのくらい今の日本にいるものでしょう。 僕も読んだ当時(18年も前になります!)は、そのくだらない展開、余裕のない“彼”の漫画じみた言動やミソ・スープへの執念を大いに笑ったものですが、それは年齢的に作者と重なる光景を幾つも抱えていたせいでしょう。同じ記憶なり似た食生活を共通項として持つ者として、共振し、揺さぶられるものがあった訳ですが、はたして現在、そして今後は同じような共鳴へと新たな読者を誘うものでしょうか。なかなか難しいような気が僕にはします。 赤ん坊の時期に食べたものが人間の嗜好を決定付け、生涯に渡って拘束するということは栄養学者も言っています。インプリント(刷込)と呼んでいますね。その観点から言っても味噌汁を日常とらない人が増加していくことは、この飽食の時代においてはごくごく自然な流れです。ほとほと食べ飽いてしまって、というのではなく、幼い時分の暮らしぶりから無理なく味噌汁をとらない人が僕の知るなかにもおられます。多種多様な食事の前にインプリントの濃度は薄まり、自ずと各人を縛る強さは弱まっていくわけです。 そのような捕縛を逃れて因習から解き放たれた人が、ジャンクフードに囲まれた不健全な食生活を送っているかと言えばそんなことは全然なくって、実際、僕の友人なんかは栄養面での気配りは平均以上だったりします。食べるときは豪快そのもので、バリバリ野菜を口に放り込んでは実に美味しそうなのです。見ていてこちらにも精気が宿ってくる感じなのだけれど、そんな様子を見ていると味噌汁は世界の片隅の偏狭な地域でしか通用しない、それも膨大なメニューのなかの選択肢の一部に過ぎなくって、既にこの列島に集う住民全般の共通項ではない、そんな印象を実感として持ちます。 であれば、今後味噌汁は“違ったもの、異質のもの”の象徴としてのみ取り上げられていくのが宿命なのかもしれませんね。異国の地でミソ・スープに拘泥して友人をゲンナリさせる「ボウル・ゲーム」の“彼”を理解できなくなった「味噌汁嫌いの読者たち」は、物語に自分たちを投影させて遊ぶ余裕はきっとないでしょう。 その時は、別な顔付きの別方向からのお話が編まれていくのかもしれませんね。いや、もうそれは始まっている気もします。僕のやっていることは解散が決まった組織の残務整理みたいなものかもしれません。 今年の成人式の参加者は遂に全員が“平成生まれ”となった由、時代がどんどん移ろい行くことを感じますね。晴れ着で着飾った娘さんたちを運転席から眺めながら、不安と可笑しさのない交ぜになったものを感じます。いつか彼女たちが此処ミソ・ミソを覗いたとき、日々僕の書き連ねている言葉は魔女の呪文のようなものか、古代文明の象形文字に映るのかもしれない。う~ん、まあ、いいさ、それはそれで仕方がない。 固定概念に縛られず、いたずらに内省的にならず、時流に乗った判断と動作を心掛けないといけませんね。それは確かに思います。思考は思考、日常は日常です。さあ、仕事に戻らないと!日常はどんどん面白く、ちょっとだけでも素敵な方へと変えていこう。そう思います。 (*1):矢作俊彦「ボウル・ゲーム」 初出不明。「東京カウボーイ」新潮社1992所載につき、執筆年を1992年ととりあえずしておきます。 (*2): 矢作俊彦「スズキさんの生活と意見」 1992http://miso-mythology.blogspot.com/2009/07/1992.html
拓「そんな先のことは、わかんないよ。 それより おれ、腹へったな。」 拓の母「ああ、ごはんにしようね。」 朝生「お手伝いします!」 湯気をあげる味噌汁の鍋。 拓の母「中山さん、味見してくれる?」 朝生「あ、はい。(味見しながら内心にて) うちとちょっと味つけが違う── やっぱり、ここはよその家なんだなあ。」 朝生「おいしいです。」 拓の母「よかった。これは、あたしがお姑さんから、 習った味つけなんよ。あたしもこうやって、 お嫁さんに伝えていくんだねぇ…」 朝生「(内心にて)わたし…この家の「お嫁さん」に なっちゃうのかなあ、なれるのかなあ。育った 環境も、みそ汁の味つけも、なにもかも違うのに… ここは、よその家なのに。不安だ。こわい──」(*1) 年が明けて、やたらと気ぜわしい毎日が続いています。学校や幼稚園など始まったところもあるようですし、世間というものは本当に休み知らずですね。止めようのない大河みたいです。 こういう始動の時期はぼうっとする瞬間も増えて、ちょっとした事故も起こりがちではないでしょうか。僕も今朝、自宅内の階段をあやうく踏み外しそうになって冷や汗が出ました。どういう拍子にか、左足が二段一気に踏み降りようとしたんです。昨夜寝る前に観たフランス映画が残像となって眼の奥に蘇えり、僕を石畳の街並に立たせたようにも思えます。お馬鹿な左足が日に焼かれた白い石段を駆け降りたようにも思えます。不意を打たれて慌てました。皆さんもどうか気を付けて、時間に余裕を持ってお過ごしください。 さて、今日取り上げるのは近藤ようこさんの「遠くにありて」です。今から二十年以上も前の作品なんですね。歳月の移ろう速さには驚かされます。 学校を卒業した中山朝生(あさみ)は、実家にほど近い北陸の町で教師となって働き始めます。東京に残り小さな出版社で働く親友との会話にほだされ、ついつい自身の境遇を恨んでは再度の上京を夢見てしまう、そんな浮き足立った毎日を送っています。いつ辞表を出して職場を去ろうかと煩悶する様子は隠しようがなく、そんな情緒不安定気味の主人公を周囲は心配し、それとなく見守っていきます。 なまぐさい人間模様を身近に捉え、胸襟を開いて回想や惑いを交感させるうちに心の表層を覆っていたとげとげしさは徐々に治まっていき、いつしか自立した世界を足裏に確信するようになる。少女からおんなへの(群像劇として見れば、さらにおんなから老女への)成長譚が物語の輪郭となっています。 その中で “調理の味付け”にまつわる気苦労が彫り込まれています。同級生の西崎拓(たく)という青年も主人公を気遣う一人で、上に紹介した場景は酒販店を営む彼とその家族に招かれた際の断片です。味噌汁を巡る会話が突如はじまるのですが、それにしても典型的に過ぎるのじゃないか、いかにも、といった台詞が並んでいました。 ひさしぶりにこの作品を読み返し、正直言えばずいぶんと醒めた思いを抱きます。二十歳過ぎの娘の一見すがすがしい“せせらぎ”に似た日常を目で追いながら、うまく懐柔されちまってお馬鹿さんだなあ、と可哀相な気持ちに今の僕はなってしまう。 ひとの精神の懊悩は死ぬまで整理のつくものではないし、突如おし寄せる潮津波(しおつなみ)に思考を遮られ、渦に巻かれ砕かれて見るも無残な藻屑になってしまうことだって往々にしてあり、そうともなれば相当に苦しい。 けれども、そんな感情の濁流ポロロッカこそが“生きている”ということの嬉しさと愛しさの根源なのだ、と、反撥する思いがやはり湧いてきて、悪戯に安定を望んで答えを急ごうとする「遠くにありて」の登場人物たちにしっくりとは寄り添えない自分を見つけてしまうのです。(*2)
例えば似たような料理の描写が里中満智子さんの作品(*3)にも見出せますので、これを並べてみればいいのです。湯気上がる鍋があって味噌汁がことこと煮られているし、主人公は憂いを含んだ眼差しを整った面立ちに宿していて、ふたつの作品はここだけ切り取れば似た色彩を放って見えるのですが、内に潜むものはまるで正反対となっています。 旅先で偶然に出会った病身の陶芸家を看護するうちに、予定調和ばかりを追っていた自分自身の人生に疑問を抱いてしまうという内容で、「遠くにありて」とは物語のアウトラインが対照的な作品です。主人公(早苗という名です)──の憂いの中には「遠くにありて」での「よその家」に来ている不安は露いささかも無い。 僕がここで興味を引かれるのは、里中さんの作品においては“味つけ”への気兼ねが一切生じていないということなんです。気持ちが翻弄されてそのまま卒倒すらしかねない近藤さんの作品との段差はどうしたことだろう。 知り合ったばかりの男の家に上がり込み、一切の気兼ねなく料理を提供する早苗というおんなは気の回らぬ馬鹿でしょうか。違いますよね。恋情の本質を突いているのではないかと、僕はふたつの作品を面白く見比べます。 一方が一方に“かしづく”ということでなく、異質なるものを取り込み、その混濁をも楽しむ余裕こそが恋情という調理の味付けであることを、里中さんのおんなの体現する怒涛の勢いが僕たちに物語っているように思えます。 ふたつの物語に描かれた二人のおんなの道程は、どちらも現実といえば現実、理想といえば理想。人生の最大振幅を具現化したものでいずれも実相をよくとらえて見えます。近藤さんのおんなと里中さんのおんな、二極の間を行きつ戻りつする、まるで振り子みたいなものが人生かもしれないですね。ひとの多くはそんな存在、振り子時計ではないのかな。僕だってそう。ほんとうは偉そうなこと、人様に言えやしないのです。 さながら味噌汁は、振り子時計の上部に付いた機械仕掛けの鳩という訳です。恋情のある局面で急に存在感を露わにし、不思議な調べを奏で始める。ちがう、ちがう、ちがう、と唄い出す。いや、同じ、同じ、同じ、でしょうか。どちらにしても音階は狂っている。恋と愛としがらみの中で出番をひそかに待ち続けて、今夜も味噌汁はどこかの食卓で発声練習に励んでいるのです。 (*1): 「遠くにありて」 近藤ようこ 初出は「ビッグコミック」小学館 1987-1991 (*2): もちろん、近藤ようこさんの作品は読了後に硬いしこりを残すものが多いですし、この作品が描かれた時代は虚飾に踊ったバブルの頃と重なります。よくよく承知の上で逆説的な顛末をあえて描き進めて、浮かれる世間に挑んだというのが本当のところでしょうね。 (*3):「古いお寺にただひとり」 里中満智子 初出は「別冊少女フレンド」講談社 1976
☆ “クウ”という高鳴き。はるか頭上に重い羽音がバサッ、バサッと轟く。月夜を渡っていくオオハクチョウ。これから山脈を越えるつもりか、ずいぶんと高い。真夜中の群青の空を三角形の白い陣を組んで、命がけで羽ばたいていく。 ☆ 帰宅のため建物を出て、ドアを閉める。何か異様な気配に圧されて天を仰ぐと、墨を流したような空一面を無数の影が低く低くよぎる。わさわさ言う羽ばたきのみで鳴き声を一切立てないから面食らったのだけれど、目を凝らしてそれがカラスの群れだと解かる。 今の時期から春先まではカラスにとっては飢餓の季節。危険を承知で山懐の休息地から離れ、人里近い寺社や古い家の庭木を仮眠の場としている。ドーナツ化現象でこの辺りは夜間静かだし、人通りも車の往来も無いから、側の神社をねぐらに決め込んだに違いない。僕の立てたドアの大きな音に慌てたのだろうな。目の利かぬ夜の空を恐怖に怯えて飛び交う彼らは、沈黙を守って必死に見える。墨汁を流したような黒い空に数限りない黒い影の羽ばたき、他には一切音のしない冬の夜。 ☆ 知人が怪我で入院した。ハンドルを握り向かうが、峠道より圧雪。遂には高速が封鎖されて側道へと追い落とされる。猛烈な雪に包まれると、生きとし生けるものすべてが耐える者と 目に映り、自ずと厳粛な気持ちにさせられる。自然の猛威の前では誰もが自重するしかない。 いつ頃からだろう、車の防音と空調は目を見張るばかりの向上を見せ、僕がかつて勤め始めた頃と比べたら格段の快適さを備えている。アリアを高らかに響かせながら、そろそろと進む車の列に加わりたくさんの想いを巡らしての、これはこれで至福の時間。 横殴り、雪混じりの風に圧されて、奥へ手前へ揺れ踊る青竹が美しく愛しい。河原の白い雪のなかに覗く薄(すすき)の密生が毅然として目に映る。思えば植物たちは素肌を晒した裸の身だ。 半ば凍った黒い路面を、さわさわと白い雪の帯が風で作られうねり狂う。ゴルゴンの妖女の髪が地を這いのたうちまわるようだ。 路肩から吹き寄せる風は積もった雪を空中に舞い上げ、車の隊列をばっと覆い包む。何もかも白く見えなくなる。上に重なるおんなの髪が瞼をふさぎ、鼻腔と唇をふさぎ、頬を撫ぜた奥底の記憶の、けれど鋭角な体感と二重写しとなってしばし恍惚となる。 無尽蔵の白い粉雪が渦巻き、狂い吹雪いて視界を奪い尽くす。唇を奪われ、熱い吐息を吹き込まれたまま抱擁されるような気分となっていき、車中から窺(うかが)う雪嵐以上にエロティックな景色はこの世にそうそう有るまいと思う。僕の瞳が捉え、僕の全身が記憶する(そう多くはなかった)ものが隙間なく連なって、雪女に殺されるとはこういう具合なのだろうと夢想は果てがない。 ☆ 陽も落ちて暗さを増せば、吹き寄せる雪はヘッドライトに反射して白く尾を引き飛んで来る。儚く短命の線香花火の、銀の火花に似て見える中を、こちらは終わりなく延々と燃え続けては降り注ぐのを突き進むような感覚があって異様な昂揚がある。真冬に真夏の夜を想う不思議。 太陽の陽射しのまるで届かぬ深海の、魚や鳥やひとの亡骸がちりぢりばらばらになって、それを食する無数の小さきプランクトンたちと一緒になっての、重き潮流に永遠に漂い続けるマリンスノーのようにも見えて、小さな潜航艇を操ってゆらゆらと進んでいく気分になる。此岸から遠く潜り来て、穏やかな沈黙した世界に身を委ねるようで気持ちいい。 南に住む僕の友だちに、いつかそんな光景を見せてあげたい。見ること、聞くことの愉楽はとめどなく大きい。病床で闘い始めた友よ、早く帰っておいで。世界は宝物に満ちているよ。そう思うよ。
倒れた醤油瓶から液がとめどなく漏れるように、父はしゃべった。 ミハルちゃんが大学にいきたかったことも結婚したい人がいたこ とも私は知らなかった。知りたくなかった。父はずるい、と思った。 ここにひとりでくる勇気がなくて、私を連れてきて、思い出話を 勝手に私に聞かせて、それで自分は少し気分が楽になるかもしれない。 けれど私はどうしたらいいのだ。(*1) 喪われゆく 光景への哀惜が味噌、または味噌汁をともなって描かれていく。角田光代(かくたみつよ)さんの「夜をゆく飛行機」のそれぞれの味噌描写を書きとめた次第でしたが、実はより興味を惹かれたのは醤油の登用の仕方でした。味噌汁同様、のどかな郷愁を担って描かれている醤油なのですが、そこには明らかな段差が認められるのです。 ひとりの作家によって味噌と醤油が並べ描かれることは、有りそうでいて実はなかなか見当たりません。どちらかに固執するのが普通です。以前このブログで取り上げた中で、両刀遣いに数えられるひとは唯一向田邦子(むこうだくにこ)さんだけです。(*2) 向田さんのエッセイと角田さんのこの小説の共通点は何か、焦点を絞って眺めると面白いものが見えてきます。母親、祖母、姉妹といった“女性の記憶”と味噌汁は連結し、“父親の記憶”とは醤油が連結して見えます。組み合わせがあるのです。 台所で立ち働く女性、卓袱台でふんぞり返っている男性というテリトリーは確かに影響するでしょうけれど、もっと根深く繊細なものが仮託されて見えます。 例えば上に掲げた角田さんの引用は実に見事で、僕たち読み手の気持ちに波紋を起こしますね。醤油から与えられる様々な心象が重層的に次々連結していきます。覚醒(興ざめ)、汚れ、破壊的、染み、トラウマ。それに父親、男性といったものが直結していき、末っ娘の蒼白いこころ模様を瞬時に伝達することに成功しています。 こんな記述も劇中に見つかります。 「ほらほらモトちゃん、ブラウスの裾にお醤油がつくわよ、 あーあーおとうさん、グラスを倒さないで」「リリちゃん、 カンパチ好きでしょ、これひとつあげるわよ」「ちょっと お醤油、お醤油とってったら」「あーもうコトちゃんうるさい、 ガリでも食ってな」「モトちゃん、女の子が食ってなはない でしょう、食ってなは」「りー坊はいくつになったんだ、 おまえいくつになったら酒飲めるんだ」「もうおとうさん、 高校生にお酒つぐのやめて」(*1) 醤油が衣服に接触しそうになる危機的なイメージの立ち上げ以降、喧騒はエスカレートして男言葉が飛び交い、女性らしいしなやかさが瓦解していきます。おんなと味噌、男と醤油というイメージの固着がやはり読み取れるのです。 青息吐息でいる町の酒店の側に巨大なショッピングセンターが遂に開店し、酒店の母親と娘が偵察にいく場面があるのですが、そこでは三千円という法外な値段の醤油とそれに対して嘲弄する会話が取り込まれてもいます。「お尻がむずっとする」と笑うおんなたちは明らかに醤油という存在を軽んじています。(三千円の味噌だったらどうでしょう。案外よくよく手に取り吟味したのじゃないかしら) ここで向田さんに続き、山本文緒さんを思い出してもいいですね。衣服に醤油の染みを鏡で見止めた瞬間にパニックに陥った、情事の後の若い女性を描いた「恋愛中毒」。あの情景の深いところにも醤油=男性という連鎖が潜んでいたのかもしれません。(*3) “母親”の味という永遠の夢を味噌汁に思い描く男たちと、その反対に汚すもの、単純なもの、破壊者、左程の価値を認め得ないものとして“男たち同様に”醤油を見下すおんなの視線が僕たちの日常ではそれとなく交錯しているということでしょうか。 夫婦なり同棲中の男女なりが暮らし始める家屋において、醤油と味噌がやがて買い揃えられて調理の根幹におかれ、混然一体となって使われていくわけですが、各々に託された別々な密やかな眼差しを想うと慄然とするものがあり、また、笑ってしまうものがあります。なるほどよく出来ている、そうも思えます。 僕たちの胸の奥の洞窟は深く、広く、時に真空になり、時に身を切るような風が吹き荒れますよね。持て余すことも間々ありますが、けれど素敵で素晴らしいものだと信じます。すれ違い、反撥、衝突も日常の調味料、匙加減ほどに軽く受け止め、醤油のように舐め干し、味噌のようにしゃかしゃかと“こころの鍋”に溶かしながら暮らしていかないといけませんね。 さてさて、いよいよ重い雪が降り始めました。庭木にもたちまち白いベールがかかって、重そうな、けれどその重さがちょっと嬉しそうな、そんな顔をして見えます。 今年はほんとうにありがとう。 たくさんたくさん助けられた気がしています。 どうかよい年をお迎えください。 (*1):「夜をゆく飛行機」 角田光代 初出は「婦人公論」2004年8月より連載、翌年2005年11月まで。 現在、中公文庫で入手可。 (*2): http://miso-mythology.blogspot.com/2009/06/1981.html (*3): http://miso-mythology.blogspot.com/2009/11/1998.html
お店から戻ってきた母は切れ目なくしゃべりながら食堂を横切り、 台所にいく。素子(もとこ)が人数分の味噌汁を運び、大皿に のった海草サラダを運んでくる。 「おとうさん今日会合でしょ?あんまり飲まないほうがいいよ、 どうせあっちでもお酒出るんだから」(*1) 夜空に月を見上げるのが柄にもなく好きです。見詰めながらあれこれ想いを巡らす、小さな隙間の時間をとても大事にして暮らしています。三々五々同僚が帰ってしまい、独り残された仕事納めの昨日夕刻、外に出て、涼しく澄んだ空気を胸の奥まで吸ってみました。締め括りのこの一瞬に肺腑を満たした夜気はひりひりと凍みて、目尻に熱いものが湧きました。天頂近くに月は丸くあり、その形を、その白さを、その光を僕はただただ嬉しく愛しく感じました。 月齢カレンダー(*2)によれば30日は十五夜、元日の夜が満月とのこと。新しい年が満月に照らされて始まるなんて、ちょっと素敵ですよね。これを読むすべての人にとって、暗き夜道にも月光が指し届く、そんな足元の明るい一年となりますように心から祈っています。 月のわずか下を銀色に雲を引きずりながら、赤い灯火をにじませた米粒のような飛行機が右から左へ飛んでいくのを見送りました。そうそう、二階から屋根に突き出た物干し台から夜毎に空を眺め、飛行機を探し見つめる女の子を主人公にした小説を調度読み終えたばかりです。 角田光代(かくたみつよ)さんのこの「夜をゆく飛行機」ほど、味噌と醤油が意識的に散りばめられた小説は無いように思われます。さりげなく随所随所に味噌と醤油を登用することで物語の湿度や香りを上手く調節していますね。僕はこれまで角田さんの作品を丹念に読み込んだことはなかったのですが、物語を理詰めで構築する人だということを窺わせる緻密なバラマキが為されていて、とても楽しく読了した次第です。 昔ながらの商店街に創業当時からの顔付きのままで収まっていた個人経営の酒店が舞台です。両親と年頃の四姉妹が肩を寄せ合い暮らしていたのですが、近くに巨大なショッピングセンターが建設され開店間際となり、一点にわかに掻き曇り、といった感じの緊迫した大気を冒頭から孕んでいます。これを案ずる父親はもう気が気ではなくなり町内会の会合に毎夜足を運んだりするのですが、そんな事をしたってどうしようもないことは本人も家族も百も承知です。また、子供たちは各々変革の時期に差し掛かりもしていて、出たり入ったりの動きが活発になっていく。末っ子の視線を通じてひとつの家族と家屋の変貌していく様子が紹介されていきます。 2004年から書き始められたこの小説の時空は、1999年から翌年2000年をまたぐ“近過去”に設定されています。その事からも端的に分かるように物語の肝となっているのは、遡及し得ない一度限りの浮世の苦しさです。後戻りの利かない人生の哀しさを見据えた上での、記憶の嬉しさ、温かさを静かに顕現してみせて、僕たち読者ひとりひとりにおのれの過去を“振り返らせる”ことを角田さんは目論んでおられる。 主人公の記憶や感情に味噌や醤油がまとわり付きます。姉のひとりが泣き出した様子を見て「私はなんだか、この廊下がタイムマシンで、十五年前に戻ってしまったような気がした」のですが、その過去と現代を橋渡しする情景として味噌汁がふわりと浮上いたします。 朝の光が廊下に延び、味噌汁のにおいが廊下に漂っていた。(*1) と、こんな具合です。物語の最後のあたりにはこんな記述も見つかります。 谷島酒店で働く、まだおばあちゃんにはなっていない祖母が、 知っている光景みたいに思い浮かんだ。味噌の樽や駄菓子の 入ったガラスケースが並んだちいさなお店、割烹着を着た祖母、 前の道を走る古めかしい自動車と舞い上がる土埃。ちいさい 子どもだった父や祥一おじさんが、あわただしく店から飛び出し てくる様まで、昨日見たように思い浮かんだ。(*1) “味噌の樽”というのはどうです、珍しいでしょう。小道具としてかなり特殊ですよね。映画「赤いハンカチ」では新しい流通システムが根こそぎ古い商業形態を駆逐し、そこに寄り添っていた人情や絆を破断させていくという時代の転換点が舞台になっていました。失われていくものを代表するイメージとして、自転車の豆腐売りと味噌汁がセットになって象徴的に取り上げられていた(*3)のでしたが、あれに似た状況設定と手法が「夜をゆく飛行機」には確かに認められます。取り返しのつかない過去に味噌汁は連結させられていくのです。 劇中天寿を全うする祖母の存在は、懐かしくも喪われていく風景と同じ立ち位置に在るのですが、そんな老女を描く際にも角田さんはこっそり味噌を挿し入れてみせる手堅さを見せています。 「あの子は一番下な上、女の子でみそっかすだったから、 あんたたちを見ると、長女気分になれるんだろ。ねえ、 あんたたち、お願いがあんのさ」祖母は袂に手を突っ込んで、 ごそごそしている。(*1) “みそっかす”という耳にしなくなって久しい形容が突如ここ、2004年の作品で顔を覗かせるのは、僕には到底偶然とは思えません。 このような味噌や醤油から記憶の共有や共感を導く手法は幼少の頃に外国暮らしをした人や海外のひとには通じない、僕たちここに産まれここに住む者の深層にのみ訴える、ある意味偏狭な日本固有の小説技巧だと思われます。海外での翻訳を見据える村上春樹さんや大江健三郎さんは避ける泥臭いやり方なのでしょうけれど、僕たちが僕たちのこころと向き合い、僕たちの社会とは何かを考えるときにはとても有効であるし、実に奥深くて面白い顕現だと思えるのです。 失われるものと寄り添い、共に失われていく宿命を帯びた味噌汁。そんな切実なイメージを作家は投げ掛けてくるのですが、そのような食べ物は他には見当たらないように思えます。これに対して違和感なく眼差しを注ぎ続ける僕たち日本人のこころの傾き具合も、奇妙で不思議なものに思えます。永別を果てしなく意識しながら、大豆や小麦を醗酵させたスープを呑む民族、それが僕たちなんですねえ。可笑しいよねえ。 (*1):「夜をゆく飛行機」 角田光代 初出は「婦人公論」2004年8月より連載、 翌年2005年11月まで。 現在、中公文庫で入手可。 (*2): http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/moonage.htm (*3): http://miso-mythology.blogspot.com/2009/05/1964_30.html
正太「ただいま──! あ~~~腹へった。」 留吉「鍋に味噌汁が残っている。」 (戻ってきた正太に対し、左官で父親の留吉は背を向けたままで 茶碗酒をあおっている。正太、ひとりで黙々と食事をはじめる。) 留吉「また、一葉(いっぱ)とかいう女のところで字書きして きたのかい。」 正太「一葉(いっぱ)じゃなくて一葉(いちよう)だよ ……樋口一葉。」 留吉「どっちでもいいけど 字じゃ飯は食えないぞ。」 正太「おいら字が好きなんだ。例えば風って字を書いていると ほんとに吹く風を感じるんだ。」 留吉「けっ!」 正太「父ちゃん、働いとくれよ。美味(うま)いものを食べたいとは 思わないけど 新しい硯(すずり)が欲しいんだ。」(*1) 終着駅のホームに速度をぐっと落とした新幹線が滑り込みます。痛むお尻を座席からえいっ、と離して立ち上がり、ほかの客と列なしてぞろぞろ通路を進んでいくと、あちらこちらに読み終えた漫画雑誌が捨て置かれているのが目に飛び込みます。連載物ならば二十頁少しのものが多いようですが、そこに費やされた知恵と労力を想うといささか複雑な気持ちになります。けれど、出版業は買われ捨てられてこその商売ですからね、わずか数時間でざっと眺め放られてこそ役割を全うしたとも言えるわけで、ならばそんな雑誌の姿は立派な最期であるわけですね。 短時間で捨てられるためにある漫画は、コマからコマへの軽快な跳躍こそが第一に求められているのであって、何か引っ掛かるものがあってはならない理屈です。だから、僕のような天邪鬼が流れに抗ってする“コマの凝視”は行き過ぎであり、迷惑な行為かもしれません。けれど、やはりねえ、僕は駄目ですねえ。 エドガー・ドガの評伝(*2)に収まったバレエダンサーの絵を眺めていると、同じ姿かたちの娘たちが右へ左へ位置を替えていくのが楽しく感じられます。どこに描くか、どう描くか、何と何を組み合わせるか。たった一枚の絵画にさえ物象のいちいちに画家の恣意が働き及んでいるのです。いわんや大量のコマで成り立つ漫画においてをや。そう思うものですから、どうしても舐めるように描線を追ってしまうし、余白や行間に気持ちが入ってしまう。あれこれ想う気持ちは止められないのです。 読者の視線はコマを追い台詞を読み、上から下、右左と目まぐるしく行き来を繰り返します。作者の筆先に宿っただろうひそやかな思惑を、だから大概は拾い切れてはいないものでしょう。精読されることを送り手はさほど期待していないかもしれませんが、僕はやはり飛ばし読みは無理なんだよね。困った性分です。 さて、つげ義春さんの「隣りの女」に現れた空っぽの味噌汁椀(*3)と似た表現が、他の作家の作品でも認めることが出来ます。1986年に四十半ばで夭折した上村一夫(かみむらかずお)さんの文芸物「一葉裏日記」のなかで味噌汁にお呼びが掛かりました。クローズアップされることもなく淡々と描かれているのですが、天井方向から覗き込む構図の真ん中に見せ置かれた味噌汁椀のその底は、つるりと真っ白で、実に空っぽでありました。 正太は血色のいい育ち盛りの少年です、あっと言う間にきれいに平らげてしまったのでしょうか。そうでないことは上にひも解いた場面に続くコマが教えてくれます。少年はさらに椀を口もとに抱え直して、その中身を懸命に掻き込む姿を僕たちに見せているのです。つまり正太少年は最初から何も入っていない椀を傾げ、何ら箸でつまむことなく、この貧乏長屋での食事の場景を自然に(けれど不自然に)僕たちに提示しているのです。 作者の上村さんはもしかしたら意図して落語風に描いたのかもしれません。手ぬぐいや扇子を巧みに使い分けて観客の目を獲り込み、日常を彩る雑貨や食物を幻視させる。そんな名人芸にならった可能性も多分にあります。妻に先立たれて暮らしの張りを失い、天気も良いのに昼間から酒に浸っていた男が息子の訴えに心揺さぶられていく。失意の淵から脱却し、少しずつ生きること、暮らすことを再開していくという湿度ある人情噺です。この頃の上村さんの作品は形式的で硬い風情を帯びているものが多いですから、落語のスタイルを踏襲したとしても違和感は起きてきません。 けれども、やはりここでの“見えない味噌汁”とは形式美ではなくって、貧窮した父子家庭の実状を描く手段なのでしょう。底辺の暮らし向きに巣食うひもじさを描く上での奥の手が“見えない味噌汁”だったのだと僕は思います。味噌汁しかない食卓の、その味噌汁をも排除することで僕たち読者のこころを静かにいざない傾斜させるものがあります。「鍋に味噌汁が残っている」と告げられた瞬間に巻き起こる連想を逆手に取って、空腹感を増幅させる小さな仕掛けが紙面に仕組まれているのです。 米の一粒、汁の一滴をも素知らぬ顔で残酷にも省いてみせた上村さんの底知れぬ作為と巧妙な手わざに対して、また、そのような仕打ちに対して笑顔で椀を傾け、空気をお腹に呑み下しながら「美味(うま)いものを食べたいとは思わないけど」という台詞を語る少年の気丈な芝居に胸打たれます。フィクションとは何か、創作とはなにかを自問自答し続けた男の、見事なまでの空隙が椀に満たされている。ある種の畏怖すら湧き上がるのを禁じ得ません。 よくよく見直してみれば、同じように驚かされるものが「一葉裏日記 たけくらべの頃」には潜んでもいます。 何ら家具らしきものがない父子の住まいが最初に描かれ、少年が食事する際に食卓代わりにしたものはその大きさと手の行った造りから父親の左官道具の入った木箱に違いなく、愛するおんなを喪った男の茫然自失の有り様をあぶり出しているのです。その後、場面転換を経て再度その部屋が登場すると、いつの間にか妻の位牌を載せた小箱が片隅に産まれ、また、少年の背丈に見合った小さな机も明るい窓辺で見つけることが出来るのです。酔った背中で子供の声を受け止めながら、少しずつ少しずつ回復していった男の変化が一切の身体的な表現を用いることなく、さりげなく顕わされています。筆先の囁きが控えめに耳朶を打ち続ける、そんな抑えに抑えた上村さん晩年の秀作ですね。 見せることと見せないこと、それを読み取れるか読み取れないか、漫画というジャンルを決して侮ってはいけませんね。雨、雲、虹、すすき、あぜ道、砂浜、海風、待宵草──。夜道、屋上、星空、アスファルト、雷鳴、雷光、暗雲、粉雪──。情念を代弁するヒエログリフとして様々な物象が登用されてあります。いわんや味噌汁においてをや。 さてさて、いよいよですね。皆さんも僕もひとつ年を取りますね。 けれどどうでしょう。僕はここに至って年齢を重ねていくことに嬉しさを感じています。もう絶対に若い頃に戻りたいとは思わないな。これを読むひとに哀しいことがないように、辛いことがないように祈る気持ちに嘘はありませんが、けれど、年をとることは哀しいこと、辛いことではなくって素晴らしいことだと信じます。僕にとってもあなたにとっても、なくてはならない大事なことだと信じます。 良き年を迎え、良き年齢を重ねてください。 (*1): 「一葉裏日記 たけくらべの頃」 上村一夫 1984 「上村一夫 晩年傑作短編集1980-1985紅い部屋」 小池書院 2009所載 (*2): 「ドガ・ダンス・デッサン」ポオル・ヴァレリィ著、吉田健一訳 新潮社 1955 (*3): http://miso-mythology.blogspot.com/2009/12/1986.html