2010年6月8日火曜日

中島丈博「味噌汁と友情」(2006)~どっと笑う~



深井 どういうわけって……別に理由なんて。

中谷 理由もなくて、こんなことをしたって言うの?

深井 先生、冷めちゃいますよ、折角の味噌汁が……
   
   ま、味見してください!

  と、お碗に注いだ味噌汁を中谷に押し付ける。

中谷 ちょっと、待ちなさい……。

深井 きっと美味しいよ……味見して……味見!

  口もとにお碗を押し付けると、拒もうとする中谷。
  
  その拍子にお碗がひっくり返り、味噌汁がモロに
  
  中谷の胸にぶっかかる。

中谷 (悲鳴)ひゃーッ……あちッ……あちちッ!

  と、胸をかきむしり、飛び上がって熱がる。
  
  一同、どっと笑う。(*1)


 中学校の学芸会を念頭にして書かれた脚本です。映画やテレビドラマでの活躍がめざましい中島丈博(なかじまたけひろ)さんが、中学生向けに提供しているのが先ずもって愉快なのだけど、よくよく読み込んでみれば随分と意味深な内容になっていて思わず唸ってしまいました。


 舞台設定が奇妙です。男子生徒だけが教室に集められ、家庭科の調理実習が行なわれます。“味噌汁”を作らせられるのだけど、皆から嫌われている男子がひとり交じっているために班分けからつまづいていく。大人びた背格好の深井少年が仲裁に入り、その若村という名の男子を自分の班に招き入れます。さらに、半端になった子供たちを別な班に次々と振り分けたことから、当初予定されていた班数がひとつ減ってしまうのでした。女性教師の中谷が深井に詰問した、上の“こんなこと”とは、生徒たちが独断で行なった班の再編のことを指しています。


 物語は嫌われ者の若村少年とリーダー的な色彩を放つ深井少年が友情を深めていく流れとなり、静かな余韻を残しながら幕を閉じます。いじめ、差別を批判する道徳的な展開と多くの観客は読み取るでしょうね、きっと。



 調理実習の課題がハンバーグでも粉吹き芋でもなく“味噌汁”で、それをわざわざ題名に冠していることは一体全体どういうことか。劇をゆっくりと振り返ってみるならば、必要な選択だったことが分かってきます。


 これからこの本を買い求めたいと願うひとは、先は読まずにここで閉じてもらいたいのだけど、作者は“味噌汁”を“家庭”の象徴として捉えていて、また、“母親”のイメージをもしかと重ねているのです。それ自体はありきたりの反応で何ら驚きに価しない訳だけど、中島さんのひねり方はさすがにプロなのです。そこから陰鬱な少年期の葛藤と身悶えする渇望をそれとなく露呈して見せるのでした。


 若村が妙に大人びているのは、父親の浮気がきっかけとなって崩壊寸前にある家庭に身を置いているせいであることが後半分かります。また、深井という少年にしても父親が公文書偽造の罪で服役中であり、針のむしろに座るような毎日なのです。世間の目と貧窮に対して闘っている真っ最中なんですね。


 若いおんな教師の中谷は彼らの胸の奥底に宿るものをまるで汲むことなく、実習の前にあろうことか「よい家庭」「円滑な家庭」には調理が不可欠だと朗々と説いてみせます。わだかまりを何ら家庭内に抱えていない他の子供たちは、劇中「おふくろの味、健康になる」と“味噌汁”賛歌を歌い踊って見せもするのです。


 不倫と犯罪という父親たちの不始末によって運命を反転させられ、極端に口数を少なくし、表情をすっかり失い亡霊のように暮らしていく、はたまた生活費の捻出に仕事に追われ過ごしているふたりの少年の“おふくろ”と味噌汁は、現時点では像を重ねることが難しいに違いなく、もちろん「円満な家庭」であろうはずがない。


 教師と同級生により、また、僕たち観客もが無意識に振りまく“味噌汁の、そんなステレオタイプのイメージの渦”から主人公ふたりは気分的にまったく孤立していくのです。中島さんはそれを明確に形づけるために、(騒動の責任を取るかたちにて)ふたりを教室から廊下に締め出しさえするのです。重いこころを体現するように水の入ったバケツまで執拗に両手に持たせて、ふたりの少年は暗い廊下に異分子として佇みます。


 単純な寸劇を装いながら、その実、かなり情念の絡んだ会話を敷き詰めていて、投げ掛けられているテーマは存外に厳しいのです。子供たちを預かる学校とは突き詰めれば家庭の修羅、地獄を預かることではないのか、その覚悟は大人たちに本当にあるのかと問うているようにも読めるし、僕たちがどれだけ単純に事象を見てしまい、呆れるほどステレオタイプな判断や物言いに日常染まっているかを囁き教えてくれているようにも感じます。


 ここでの“味噌汁”とは、ですから偏見や無関心、絵空事、仲間意識といった負のイメージを帯びているのです。少年が利き味を強要し、結果的に口も付けられずに胸元にどばっとかかり茶色に汚していく味噌汁の様子は鮮烈なものがありました。“聖なるもの”から一瞬後には“汚れ”に変転して流れて行く“味噌汁”には、行き場のない怒りや哀しみが色濃く感じ取れる。こんな酷薄な面持ちの“味噌汁”はあまり見たことがありません。


(*1):「味噌汁と友情」 中島丈博 2006 「読んで演じたくなるゲキの本 中学生版」(幻冬舎)所載。

2010年6月7日月曜日

石切り場~日常のこと~



 雲のほとんどない快晴のもと、車を思い切り飛ばして“石切り場”を目指します。職人さんが独り頑張って切り出しを続けており、かろうじて現役を保っている場処です。目覚めて点けた枕もとのテレビに偶然映し出されたその作業風景には、どこか非日常の香りがして何とも蠱惑的。思い立ったら吉日です。ベッドから跳ね起きて、三十分後にはハンドルを握っていました。カーナビゲーションが選んでくれた脇道には信号はほとんどなくって、とてものんびりした峠道。快適なドライヴです。


 道端のところどころに低木が茂り、枝葉の先端にはうす紫の花が鈴なりです。ライラック、リラ──で名前はいいのかな。自信はありません。とても穏やかな顔付きの木です。バルカン地方を原産とし、明治中期に渡来したものと言われています。それが野生化してこんな山奥に健気に生きている。頭が下がります。


 ほどなく到着した“石切り場”は細い脇道より少し奥まったところにあって、ぼうぼうの雑草に取り囲まれていました。なんとなく犯罪の現場、禁断の場処に足を踏み入れているような隠微な気分。驚いたことに先客がいます。黒いワンボックスカーがぽつねんと停まっていて、その奥の石切り場へ入口となっている暗いトンネルの奥からはドンドコドンドコと太鼓の音が轟いて来る。時折かん高い鳥の叫びのようなものが混じります。よくよく聞けばそれはまぎれもなく女の唄声なのです。


 諸星大二郎の描くマッドメンや古代アステカ文明の生け贄の儀式を連想して、おしっこをちびりそうになります。怪しげな新興宗教が悪魔招聘の最中だったらどうしよう。捕まってロープで巻かれ、大きな包丁で手首をボンと切断されたり映画「食人族」みたいに串刺しにされたりしないものか。お尻から丸太棒を刺されて口から尖った先端をびょんと突き立てられている自分を想像して、いつしか腋下は汗でぐっしょり濡れるのです。


 洞窟然とした通路を抜け切った其処は、まるで聖堂のような厳かで且つ温かみのある空間でありました。わあ、素敵。太鼓を叩く三人の男女もいたって陽気なミュージシャンと直ぐに見て取れ、硬直した気持ちはすっかり氷解してて馴染んでいく。


 怖いどころか、むしろ彼らの叩く太鼓の音が四方の壁に反響して霖雨のように降りそそぎ、何かこころが洗われるような嬉しさです。演奏がひと段落した後に声を掛けてみれば、いつかここでコンサートをしたいのだ、という返事。彼らの瞳のひかりにちょっと感動も覚えました。自分が自分の主(あるじ)となって、純粋な歓びと楽しさの為に演奏している。それもこんな素敵過ぎる空間に太鼓を持ち込んで、こんな澄んだ空気を胸いっぱいに吸いながら。人生かくあるべきかな。


 到底フレーム一枚では収まらないその光景を、ぐるり360度独楽のように回転して撮ったのが下の画像です。う~ん、写真じゃ駄目だなあ。写真や映像では持ち帰れない光景ってやはりあります。いや、むしろそんな光景こそが眼福であり、それが生きている醍醐味、なんだけどね。


ぎょうかいがん【凝灰岩】 堆積岩の一。直径四ミリ以下の火山灰が固まってできた岩石。もろいが加工しやすく、建築・土木用石材とする。(「大辞泉」小学館より)


 辞書にはこんな風に書かれています。石切り場の四方の壁は、つまりは火山灰の堆積したなれの果てというわけですね。これだけの厚みで降り積もった火山灰を想像すると、自然の脅威の前では人間などちっぽけで無力だという敬虔な気持ちにさせられます。

 生きている時間は、生かされている時間なのだということが分かります。




 太鼓ミュージシャンのカッコイイ三人とお別れし、その後は近くのお寺に仏像見学。そして人工湖を眺めて帰路に着きました。


 楽しい休日になりましたよ。

 みなさんも素敵な風景を探して、過ごしやすい初夏を楽しんでくださいね。



2010年6月4日金曜日

滝田ゆう「寺島町奇譚 どぜうの命日」(1969)~かえたのか……~


トメ「おや 金坊の命日……………」

フク「利口な子だったよ」

キヨシ「頭がよすぎてもノーマクエンになるんだって」

フク「そんなことだれがいった……」

甚太郎「むう」

カズエ「中耳炎で死んだんでしょ」


甚太郎「味噌かえたのか……」


キヨシ「ごっそうさま」

トメ「ほら いっといで いっといで」

フク「キヨシッ 言ってまいりますは!!」

キヨシ「イッテマイリマス」(*1)(*2)


 ブログに取り上げるのを延延と逃げてきた場景に、“家庭劇と味噌汁”があります。茶の間の真ん中にドンと鎮座した座卓に寄り集って「おはようございます」「ああ、おはよう」、幼子たちは寝ぼけまなこをこすり「いただきます」、父親は無表情で新聞をめくり、エプロン姿の母親が台所とお茶の間をかいがいしく行き来する。味噌汁碗がそこに花を添えます。白い湯気と甘ずっぱい匂いが天井へとくねくね立ち昇って、辺りをオレンヂ色にほんわか染めていく──そんな風景を僕は意固地に避けてきました。


 食事を介した家族団欒はある時期からホームドラマにて活発に再現されていき、笑顔と弾む会話の
つるべ打ち。而して、食卓に並んだ料理の数々は、あってもなくても構わない背景画の役割にことごとく甘んじていったのです。家族会議への出欠に一喜一憂し、遅刻に憤慨し、多数決の結果にへそを曲げ、ヤジや紛糾が上下関係に翳を落とす。そんなところに焦点が当然ながら絞られていって、“食べること”は二の次です。いつしか食べものなんだか蝋細工のオブジェなのか、形骸化して誰も気に止めなくなってしまった。


 ひとの胸中に渦巻く想いや苦渋を体現するものではもちろんなくって、朝なり夕なりの設定をドラマに刻む時計の針の役目しか負わなくなった。“味噌汁”である必要、“醤油”がある必要は全くなくなり、コーンスープでもケチャップでも一切かまわない物語。

“味噌汁”や“醤油”(だけに止まらず、食べもの全般)の顔立ちを“ぼんやりしたもの”に変貌させてしまったのが、一連のホームドラマであったように思われてならなかった。それのいちいちに目を向けて思案する意味はないのではなかろうか、そんな反抗心に僕はとらわれていました。






 平成2年(1990)に58歳で早世された滝田ゆうさんの「寺島町奇譚」は、膨大な幼少時の記憶の集合体でホームドラマの範疇には到底収まり切らない内容です。なれど、背骨となって貫くのはやはり“家族”。ホームドラマの亜種である以上、それにあえて着目する必要はない。僕はそのように勝手に断じていました。手に取り読んだのは、だからつい最近のことです。


 劇中“銘酒屋(めいしや)”と呼び慣わす私娼街があり、これに隣接した小さな住宅兼酒場、それが主人公のキヨシ少年の家です。祖母、両親、姉との暮らしぶりに酔客や娼婦たちの刹那的な動態がさらさらと交差し、小川の流れのようなリズムを紙面に刻んでいます。


 上に取り上げた光景はある朝の場景なのだけど、ここでキヨシの父親が“味噌”について言及していました。時代は太平洋戦争へ突入して、徐々に戦局が劣勢に回っている頃です。具体的な描写は多くないのですが、街の活気は日に日に損なわれており、きっとこの味噌の変化も食糧事情の悪化を反映しての事なのです。


  幼くしてキヨシの兄は病死しており、ちょうどその日は命日に当たっていました。歳月の壁は一家の哀しみをずいぶんと癒していて、交わされる会話に湿ったものはもう含まない。けれど子供のがさつな物言いはエスカレートしてしまい、いくらなんでも酷い内容になっていく。それを遮るようにして父親は“味噌”についてつぶやき、家族の会話を破断させるのでした。


  記憶が無い姉弟と違い、ありありと当時を想い出したに違いありません。おのれの心に蓋をするような性急さがあって、複雑な余韻を残す一瞬になっています。“味噌汁”を故郷の山河や母親と重ねていく“記憶の再生装置”とするのが一般的ですが、ここでは“記憶の密閉”にうまく使われている。たいへん興味深い描写です。


  振り返って自分自身のこころを探ってみても、似たような仕組みは日に幾度となく働いているように思われます。不意に地中深くから噴き上がり、天空を真白く染める間欠泉のようにして抑え込んでいた思慕や慙愧の念が来襲します。仕事や家事が手につかなくなって、どうにも腕に力が入らない。その一方で溢れる想いは眼の奥と心臓付近でどんどん、どんどん密度を増して破裂寸前です。


  いかん、いかん、駄目だよ、そんなことじゃあ、と気を取り直して“日常”へと軌道を修正する。そんな折に僕たちがおもむろに手にしたり始めたりすることは、いずれも“他愛もないもの”だったりします。溜まった紙ゴミをシュレッダーにかけたり、洗濯を始めてみたり。実にありふれてつまらない時間へと回帰していく。


  生きていく時間の堆積は降り積もる枯葉のようです。そのいちいちは軽く儚いものが多いのだけれど、いつしか僕たちを圧殺する程にも肥大する。他愛のない“ぼんやりしたもの”に身もこころも委ねてこれを“やり過ごす”ことは、生きていく為に授かった本能的な知恵なのでしょう。


 「寺島町奇譚」に描かれた人たちは先の見えない時代にあって、さらに先の見えない暮らしを選んだ人たちです。気持ちに陰を落としてわだかまりやすい、酩酊や性愛を手段とした“情念の解放”を生業(なりわい)としているのですから、余計重たい思いをしたはずです。そんな彼らをリセットしたものが、もしかしたら“味噌汁”だった。


  朝食とは、そして、そこで供される“味噌汁”とは、夜の間に膨れ上がった夢や情念、恐怖に一時的に蓋をするスイッチなのかもしれません。記憶を束の間消し去り、今日を明日に繋ぐためのノリシロとしての役目です。負け戦であることは分かっています。忘れられっこないのだけど、とりあえず忘れた振りをするしかない。“味噌汁”かき込んでスイッチオン。


 “あってもなくても構わない”ものなれど、とっても重宝な道具として“味噌汁”が描かれている。魂の誘導員として僕たちの日常を支えている。ホームドラマを全面肯定するつもりは毛頭ないけれど、“記憶の密閉”を担うというのであるならば、これはこれで素晴らしい役割だと思えてきました。家族劇にも時には素敵な演出も見え隠れするということで、広く浅く、そして時折深く観ていこうと考えているところです。


(*1):「寺島町奇譚 どぜうの命日」 滝田ゆう 1969 初出は青林堂「現代漫画の発見 2 滝田ゆう作品集」への書下ろし。ちくま文庫「寺島町奇譚(全)」(筑摩書房)に所載。
(*2):「寺島町奇譚」に描かれる家族については、劇中の会話をいくらたどっても、どうしても名前が分からない人の方が圧倒的に多い。ここでは便宜上、テレビドラマ化された折に脚本家が割り振った名前、甚太郎、フク、トメを借用しています。
NHK土曜ドラマ「寺島町奇譚」~劇画シリーズ~(2) 1976年3月27日放映
「中島丈博(なかじまたけひろ)シナリオ選集 第二巻」 中島丈博 映人社 2003

物語の舞台となる界隈は昭和20年(1945)3月10日の空襲で壊滅します。滝田さんの描く日常には、そして、幾度となく繰り返される朝食の場景と味噌汁には、永久に喪われてしまったものに対する追慕のまなざしが寄り添ってもいますね。

2010年6月2日水曜日

村上春樹「1Q84 BOOK3〈10月-12月〉」(2010)~なぜかいつもうまかった~




 そのようにして海辺の「猫の町」での天吾の日々が始まった。

朝早く起きて海岸を散歩し、漁港で漁船の出入りを眺め、それ

から旅館に戻って朝食をとった。出てくるものは毎日判で押した

ように同じ、鯵の干物と卵焼きと、四つ切りにしたトマト、

味付けのり、シジミの味噌汁とご飯だったが、なぜかいつも

うまかった。朝食のあとで小さな机に向かって原稿を書いた。

久しぶりに万年筆を使って文章を書くのは楽しかった。(*1)


 実を言うなら、読み始めた当初は困惑するものがありました。行を目で追いながらもあれこれ思い返すものがあって、集中するのを妨げてしまうのです。

  僕には若い時分からすこぶる敬愛し、丹念に読み続けていたひとりの作家がありました。けれど“最後の小説”と冠した物語を上梓してしばらく後に、臆面も無く再度執筆活動に入ったことから気持ちがどうにも乖離してしまって、以来新聞紙面に寄稿する小文を眺める程度に興味はとどまっています。また、故郷の蒼い星を守るために捨て身の突撃を為し、無惨に息絶えていく宇宙飛行士を主人公とする漫画がかつて在ったのだけど、これも劇場大ヒットに乗じる形にて数ヵ月後にはブラウン管で“生き返って”しまったものでした。 「1Q84 BOOK3」は一度区切られてしまった想いをなし崩しにして始まる点で、それ等ととても似ているのです。


 小説であれ映画であれ、根幹にあって無視出来ないのは売上げです。ファンの一部を犠牲にしても部数を伸ばし、興収を上げてようやく一人前。器用に、そして逞しく泳いでいく商売上手のそんなしたり顔を、僕ほどにも年齢を経てしまった大人が疎(うと)んじ、ぼやくのは子供じみていることは百も承知なのだけど、当時の苦さ、渋さを口腔に再現してしまって落ち着かなかった。


 けれども、ようよう読み通して静かに頁を閉じてみるならば、顛末は十分納得されるものだったし、提示される情景のいちいちは気高く爽やかなものがあって、決して不快な澱(おり)が胸底に沈み込んではいかない。まあ、好いように作者に弄ばれている気もしないではないけれど、幕引きの直前に融合を目指すふたつの魂の描写には、気持ちを捕らえられて胸踊り、また、素直に胸に来て、随分と嬉しかった。


 僕の人生を左右する決定的な何かを含んでいた──なんていうロマンチックな言いぐさは、年齢的にもはや似合わないけれど、この年齢なればこそ解かるところもあったし、実生活のあれこれのモノの見方に陰影が少し増したような清清しく澄んだ感覚があって、読後感は上々でしたね。 二つ三つ若返ったみたいです。




 さて、以前もこの場にメモした訳だけれど、このBOOK3においても相変わらず“味噌汁”が顔を覗かしてくれるのです。これまではアパート等でこつこつ自炊する際の献立にまぎれていたものが、いずれも戸外で供されていることがちょっと興味深いですね。“境界”に立ち現われるのが“味噌汁”とするならば、天吾という青年の抱える境界線が大いに揺らいでいた証拠かもしれない。



 階段を降りて食堂に行くと、そこには安達クミがいた。田村

看護婦の姿はなかった。天吾は安達クミと大村看護婦と同じ

テーブルで食事をした。天吾はサラダと野菜の煮物を少し食べ、

アサリとねぎの味噌汁を飲んだ。それから熱いほうじ茶を飲んだ。

「火葬はいつになるか?」と安達クミは天吾に尋ねた。(*2)


 実際の僕たちの食卓においては味噌汁の出現回数は徐々に減っている感じが明瞭なのだけれど、若者がこぞって読み進めるこの話題のベストセラー本に、その香りと旨味がしかと送り込まれている。それも否定的にではなく“うまかった”と評され、また、とても意味深く精神的な場面にも座がそっと設けられている。有ってもなくてもどうでもよいモノではなくって、物語の構築に不可欠な情景として明確な意図のもとで味噌汁の椀が顕われている(ように思う)。


 “シャルル・ジョルダンのハイヒール”なんかと一緒にシジミやアサリの味噌汁が組み上げている“1Q84”の作品世界がいじらしくって、素敵なバランスだな、と思うんです。他愛のない事なのでしょうけれど、なんか嬉しいから書き残しておきます。



(*1):「1Q84 BOOK3〈10月-12月〉」村上春樹 新潮社 2010
   第3章(天吾)みんな獣が洋服を着て 57頁
(*2):第21章(天吾)頭の中にあるどこかの場所で 447頁

2010年6月1日火曜日

花めぐり~日常のこと~




 山桜もすっかり散り逝きて、こんどは色とりどりの花が我先にと咲き乱れる、そんな季節になりました。


 隣りに住まう老婦人は生け花の師範です。だから、この時期のお庭は植物園とも見まがうばかりの艶やかさで、僕のような無粋な男でもついつい心奪われて歩みを止めてしまうほどです。先日の訪問の際にもずいぶんと目の保養をさせてもらいました。


 強烈な色彩を矢のように放って寄越す鉄線(てっせんclematis)や都忘れ(China aster)に交じって、奇妙なかたちの花があちらこちらに立ち上がって見えます。これは何という花なのかと問うと、婦人はそんなことも知らないのかと幾らか呆れた顔ながら熱心に説明をして下さいました。日本名では“苧環(オダマキ)”と呼ばれているそうな。


 帰ってから調べてみれば、“苧環(オダマキ)”とは“麻糸を空洞の玉のように巻いたもの。おだま”とあります。機織(はたおり)の道具に糸を巻きつける四角もしくは六角形のものがありますが、その器具の名前でもあるらしい。また学名の方、Aquilegia(読み方はアクイレギア、アクレギアなど)の由来は漏斗(じょうご)や鳥の嘴(くちばし)から来ているようです。そのような多彩な連想を誘うような不可思議なかたちをこの花はまとっている。


 ウェブで見つけた説明文を引用します。──「姿・形  花は5枚の萼(がく)と筒状の花びらからなっており、がくの後ろ側には距(きょ)が角のように突き出ています。」(*1)


 大きな“がく”がぶわっと大きく開き、内側の花とで折り重なって満面の笑みを浮かべている。その笑顔の裏側には“きょ”が吹流しのようにシュルシュルと突き立っているのです。極めて立体的な構造になっていて、そのパーツのいちいちに隙間が生じているために華奢で不確かな感じも受けますし、また、本来バラバラにあるものが何か見えない磁力のようなもので、シュッ、と引き寄せられたような奇妙な錯覚ももたらされます。庭木や花に詳しいひとには何ら珍しいものではないのでしょうが、僕にはひどく新鮮でした。


 正直に書き記してしまえば、(もともと華にはそんな性質があるのだけれど)密やかな男女の房事を障子の隙間から覗いてしまったような、そんな妖しい発光が目の奥に宿りました。二重になった“がく”と“花”が積極的にあるイメージを招き寄せるわけですが、加えて宙空にすらりと伸びた“きょ”が寝台にて入り違いに重なる二対の脚に見えてしまい、気持ちを揺さぶる訳です。きわめてエロティックな形を具えています。


 僕のそんなハシタナイ妄想は、婦人の説明を背中に受けてさらに勢いを得ます。このオダマキは繁殖力が旺盛なのよ。こちらの塀沿いに赤、こちら側に白とこんなにも離して植えておいたのに、ほら、ここに生えているでしょう、赤と白と色を交えたのが。どんどん交雑して増えていくのよ。


 惑ってばかりの僕のような人間は、現実を忘れてふわり浮遊を始めてしまうのでした。白い陽光を全身に浴び、また蒼い月の光に染まりしながら、あの異様な肢体を具えた花が盛んに交雑を繰り返していくことを想うと、素直に驚嘆し、胸打たれるものがあるのです。


 生きるということの根幹にあることは、そんな原初的な勢いなのでしょう。遮二無二生きていく。こころと身体を深く重ねて子孫を産み育てていくことの、オダマキのほとばしるような “生きていく勢い”に圧倒されてしまうのです。


 花の名前とその由来、花言葉、花弁の色かたち、甘ずっぱい匂い──。そんなことにはこれまで一切執着しなかったのに、最近は立ち止まって凝視する時間が増えています。加齢や生活の諸相の変化が、これまでとは違った切り口で世界を捉え直させようとしている。十年周期で細胞は入れ替わると言われますが、僕がもう一人別な僕になろうとしている、そんな感触が少しありますね。

 物言わぬ植物や花に共振し、そこに人生を重ねようとする。動物の時間から植物の時間へと針が進んだのかもしれません。







 例えばこの前の日曜日だったのだけれど、友人の薦める山奥の湖に独り車を駆って遊びに行ったのですが、そこでも植物はこれまで以上に雄弁となって僕に囁くものがありました。頭上に浮かんだ雲が落とした影によって少しずつ変幻する湖面の、静謐で繊細な色合いにうっとりしつつ、また、カーステレオから悠々と流れるエリック・サティに全身を包まれての、誰にも気がねしなくていい小旅行は生きる歓びを強く認識させてくれたのだけれど、ハンドルを操作しながら気になって気になって仕方ない「色」が時折視界に飛び込んでくる。




 劇場の緞帳のように四方を遮る緑色の木立のなかに、ぽつりぽつりと野生の藤(フジ)が咲き誇っているのです。その紫の色がしきりに僕を手招きする。ゆらゆらと車を路肩にとめて、僕は野原を踏み分けて近づくことになります。小川沿いの、幾らか陽射しの強い場処でした。細い枝を左右に広げた藤が一本佇んでいて、数珠繋ぎになった紫の花弁をたくさん頭上から落としている。

 それは森の奥の小川で水浴する美女に出逢った旅人のような塩梅であって、夢のなかをさ迷う心地なのでした。 こういう非日常の一刻は嬉しいですね。








 しかし、それ以上に面白いと感じたのは藤の生き方の別な局面です。杉なのか檜なのか、天を衝いて伸びる巨木に藤が寄り添い、蔦を絡めて一心同体となっている。藤の花びらの紫は雄々しい緑の枝葉をくまなく飾り付け、まるで一本の木がすべて紫に染まったようなものさえ在る。

 まったく異種の、男とおんな以上にも違ったもの同士が絡み合い、風雪を耐え抜き、同じ雨に打たれ、同じ虹を見上げ、同じ鳥のさえずりを聞きながら、大いなる何かに与えられた宿命を懸命に明日へと繋いでいます。






  土底から吸われて上へ上へと駆け上っていく樹液のあえかな流動音を、彼らはひっそりと感じ合っているものだろうか。運命共同体となりながらも自律した仲なのか、それとも依存する依存された間柄なのか。互いを重たく感じるものだろうか。その重みは歓びだろうか、それとも苦しみが伴なうものだろうか。



  人とひとが出逢い、会話し、同じ歳月を過ごしていくことの不思議をその巨木と藤の、肌と肌を重ねる様子に二重写ししながら、感慨深くしばし見上げてまいりました。





  いい休日でしたよ。


  下の写真はトコロ変わって、現在改修中の東京駅です。屋根が完全にスケルトン。鉄骨を組み変えての大仕事ですね。第二東京タワーもいいけれど、これって実は凄いもの、百年に一度の光景を目撃してるのかも。こちらも有意義で忘れられない生きた時間でしたよ。




(*1): http://www.yasashi.info/o_00001.htm

2010年5月19日水曜日

山本むつみ「ゲゲゲの女房」(2010)~なんもないなあ~



「なんもないなあ」

 台所の棚を開いても、食材はおろか、鍋や食器もろくにそろっていない。

いつでも山のように食材が積まれ、鍋が温かさそうな湯気を立ち上げていた

飯田家の台所とは比べるべくもなかった。(中略)

「男の人の一人住まいって、こげなもんなのかなあ」

布美枝が台所で味噌壷を開けて中を確かめていると、玄関戸をノックする音と

ともに、「おーい、おるか」と男の声が聞こえてきた。(*1) 
             


 「ゲゲゲの女房」(*2)の視聴率が悪くないらしい。放送時間が15分間繰り上がったことが功を奏したという意見もあるけれど、多くの出来事の勝因や敗因というのは様々なことが複雑に絡み合ったもの。漫画に関心を寄せる層の取り込みが数字に繋がったのかもしれないし、それより何より、景気の足踏み感がドラマ注目の背景として大きいように感じられます。


 水木しげるさんは誰もが認める漫画界の覇者です。この連続ドラマは彼の半生を主軸にしていますから、僕たちは物語の幕が“勝ち戦”で終わることを既に知ってしまっている。いくら暗雲が行く手を遮ってゴロゴロと雷鳴が轟いても、怖いものは一切ありません。この安定感が、先ずもって視聴率に貢献しているのは違いないのです。


 リアルな成功譚をがっしり据えながらも、祝杯に至るまでの赤貧の諸相をオモシロ可笑しく綴ってみせる懐旧型の構成は、大財閥を築いた男が新聞記者相手に回想談義してみせる日曜夜の大河ドラマとも近似しているし、かつて大ブームを巻き起こした「おしん」(*3)にも通底するものがあります。


 一から十までフィクションで構築されたサクセスストーリーに対しては、ふん、そんな夢みたいなこと起きゃしないよ、寝むたいコト言うんじゃないと嫌悪をもよおし、しかし失敗談はと言えば観ていてどうにも息苦しい、とてもじゃないが居たたまれない。そんな苛立ちと焦りを懐胎した僕たち視聴者がぞろりモニターの前に陣取っている。ちょっとでも反発を覚えたら即座に、容赦なくチャンネルを回さんと決め込んで、リモコンのボタンに載せられた人差し指はピクピクと痙攣すらしている。そんな手厳しい取捨選択の網を「ゲゲゲの女房」は、まんまとすり抜けて見えます。


 また、昭和30年代後半の生活事情をうまく醸し出そうと奮闘する衣裳担当者によって、人物の羽織るセーターやシャツはモノトーンにいずれも染まっていて、これが昨今の安売り衣料量販店の送り出す原色を主体とする服と重なって見えなくもない。


 かくして、僕たち平成のサバイバーたちは主人公夫婦にすんなり気持ちを託していくのです。いつかは脱却されるはずの、爪に火を点すが如き極貧の生活へと舞い戻ることに苦痛を覚えずに済む訳ですね。送り手と受け手のコンビネーションはだから抜群、とてもうまく出来ている。企画の勝利といったところです。


 事実を根底とする以上は、悪戯にお話を拡げる余白はそう残されていない。観ていて驚きはあまりないのだけれど、角か取れて至極まろやかなノド越しなのです。新しいふりして実は古酒並みに熟成している。老いた職人の手わざを横でのんびり見学しているような、くすぐったいような愉しさが何処からともなく湧いてくる。そんな感じの15分間になっています。




 さて、僕が個人的に関心を寄せているのが、脚本家山本むつみさん(単身によるのか、制作者、原作者が総出で知恵を寄せているのか定かでないのだけれど)──が送り出す生活臭の強さと、いくらか誇張気味に描かれる“味噌”なのです。


 上に引いた場面は調布の水木さん(向井理)の家に新妻の布美枝(松下奈緒)が引っ越して来た初日の光景だけれど、ここでは底を突きかけて、内側に黄金色の味噌がぺたぺたとこびり付いた“味噌壷”がクローズアップされていました。


 この場面と対峙する光景が放送初回には描かれていますね。同じく台本をノベライズしたものから書き写してみましょう。まだ幼い時分の布美枝が祖母に命じられて自宅奥の蔵に足を踏み入れる場面です。


 登志から味噌蔵に味噌を取りにいってくるようにいわれて布美枝は肩を落とした。

(中略)漬物樽などが並ぶ味噌蔵はシンとして薄暗く、空気はひんやりと湿っていて

少しばかりカビくさかった。ドズンドスン!不意に天井から音が聞こえ、一瞬にして

布美枝の体がこわばった。続いて……バラバラバラと怪しげな音がした。

何かおるん?薄闇の中を見回した。目には見えない何かが闇の中でふくふくと息づき、

布美枝を見つめている気がした。(*4 )



 谷崎潤一郎の「少年」(*5)と似たシチュエーションがここでは組み立てられています。醤油や味噌の振りまく芳香と物置独特の湿度と暗がりが密接に連なって僕たちに提示され、非日常の空間に手を引き誘(いざな)っていく。それと同時に布美枝の育った家の、金銭的、物質的な充足、生活基盤の安定が重量感を具えた大きな味噌樽によって明確に謳われていました。


 貧富のバロメーターとして味噌の量目が採用されていて、山本むつみさんはそれを露骨に増減して見せるのだけど、味噌自体への眼差しにはフラットなものが感じ取れる。そこがなかなか面白いと僕は思うのです。


 例えば石原裕次郎と浅丘ルリ子の「赤いハンカチ」(*6)は昭和39年(1964)公開の映画であって、「ゲゲゲの女房」と描かれる時代はピタリ重なっているのですが、「赤いハンカチ」での“味噌汁”にはいくらか時代遅れのもの、無垢なもの、困窮のイメージといった複雑な光が賦与されていました。どちらかと言えば負の視線が突き刺さっていたのです。対して「ゲゲゲの女房」の“味噌”は堅実と安息の目盛りとして素直に活かされており、随分と良い席におさまって見えます。


 ひとつの事象でも百人百様の捉えかたがあるのは当然のことですが、僕は単に脚本家の生理がぼんやりと形を成したとは思えないのです。


 物事のいちいちの色彩は、その折々に住まう人間の精神状態に大きく影響され変化し、身に纏う明度はまったく異なってしまう。時にはみすぼらしく、時には晴れがましく描かれ、物語で割り当てられる“意味”がまるで違っていく。東京オリンピック開催を目前とする成長期とリーマンショックの痛手から回復出来ぬままに下降を続ける今では、世界の見え方がこうまで違う、ということではないかしらん。

 “味噌”は大衆の心理に即応して明瞭に担う役割を変えていく、そんな極めて心理的食物であることを山本さんの台本が証し立てている。


 今後、水木家で味噌がどのような役割を果たすものか、しばらく目が離せそうにありません。僕たちが僕たちの今の暮らし向きをどう捉えているか、それが確実に反射して来るでしょう。何気なく流されるドラマもそうして観れば、なかなか奥深いものです。


(*1):「ゲゲゲの女房」(上) 原案 武良布枝 脚本 山本むつみ ノベライズ 五十嵐佳子
NHK出版  第2章 さよなら故郷 
(*2):NHK連続テレビ小説 朝8時より放送中 挿入した画像はホームページから引用
http://www9.nhk.or.jp/gegege/
(*3):「おしん」 NHK 1983-1984
(*4):「ゲゲゲの女房」(上) NHK出版 第1章 ふるさとは安来
(*5):「少年」 谷崎潤一郎 1911
http://miso-mythology.blogspot.com/2009/05/1911_23.html
(*6):「赤いハンカチ」 監督 舛田利雄 1964
http://miso-mythology.blogspot.com/2009/05/1964.html
http://miso-mythology.blogspot.com/2009/05/1964_25.html
http://miso-mythology.blogspot.com/2009/05/1964_30.html

2010年5月3日月曜日

上村一夫「同棲時代」(1972)その3~上村一夫作品における味噌汁(14)~

 このような景気です。仕事のあることは嬉しくありがたい事なのだけれど、やはりこの時期、世に大型連休と呼ばれる期間に入ると気持ちがぷくぷく泡立ちます。解放されないままに半端な仕事に当たる毎日はどうにも悔しい気分。「聞け万国の労働者」でも歌いましょうかね。ショウガナイ、何を馬鹿なことを──。


 「同棲時代」を中心となして広がる上村一夫(かみむらかずお)さんの創造の平野を、これまで13回に渡って歩いてみました。そこには意味ありげに“味噌”が顔を覗かせていて、人物の内面をそっと代弁している様子が認められました。


 “味噌”がぽんっと視野に飛び込んだり、はたまた「みそ」という響きが耳朶を打った際に避け難く生じる微弱な“震え”のようなものを上村さんは畳み掛けるように登用し、独特の震幅を物語に与えることに成功しています。いつまでも後引く余震が見事ですね。


 恋愛劇には不向きと想われた“味噌(汁)” はしっかり男とおんなの魂に流れ込んだ後に、ごつごつした樹根のように固形化して読者を待ち受けている。蹴躓(つまず)かせて足をさらい、来た道を見失わせて僕たちを精神の迷路に誘(いざな)おうと、今でも息を殺して待ち続けているのです。うわべだけを紙芝居のように並べた安直なドラマがずいぶんと幅を利かせていますが、本来人間は複雑で多層な内面を抱えている厄介な生きものです。たくさんの若い人に、こういった奥の深いお話を読んで学んでもらいたい、ほんとうにそう思いますね。


 上村さんについては、今日でひとまずお仕舞いです。最後にもう一箇所だけ、“味噌汁”に関する奇妙な描写を「同棲時代」(*1)に見ることが出来るのですが、それを取り上げて筆を休めましょう。不自然なその物言いには、作者の“文法”がやはり感じ取れるのです。


 今日子の退院によりふたりの暮らしは再開されたのですが、無理を続けている空気にじわじわと侵食されています。当初のみずみずしい会話は何処へやら、いまでは息を潜めるように過ごす毎日なのでした。重苦しい沈黙が続いていきます。

 突然扉を「トントン」とノックする音。隣りの部屋に住まう同世代の娘が“醤油”を借りに来たのでした。(*2)

弓子「ねぇ 今日子さん お醤油貸してくれる?」

今日子「いいわよ」

弓子「うち きらしちゃってるの 気がつかなくて 

   あら!まだお休み?ごめんなさい」

今日子「ええ あの人 ゆうべ遅くまで仕事してたものだから」

弓子「ほんとに大変ね イラストレーターっていうのも

   あ いけない 授業に遅刻しちゃうわ じゃお借りするわね!」


 この娘も目下“青田”という男と同棲中なのです。背格好や容貌にはあざとい造り込みが為されていて、今日子と次郎とはあまりにも対照的です。どうやら前触れなく突然物語に招聘されたこの隣家の男女は、今日子と次郎の内面を浮き彫りにするための補色の役割を担っているようです。夕方にも再度扉はノックされます。「トントン





今日子「はァい」

弓子「今日子さん ごめんなさい お味噌を少し借りたいの」

今日子「いいわよ」

弓子「あの人がね どうしても味噌汁がのみたいっていうもんだから

   あ それからね もし残りものがあったら言ってちょうだい

   うちの猫に食べさしちゃうから (高笑いして)ころころころ」


 なんという天真爛漫さ。行動のいちいちに陽性が溢れています。この後、飼い猫について苦言を呈されたことから大家と激しい口論に至って、田舎に帰って農家をしながら悠々と暮らす、子どもも沢山作って元気に育てるつもりだと啖呵を切って、実際にさっさと引っ越してしまうのでした。リアカーを引いて小さくなっていく彼らの背中に対し、物語は重い沈黙をもって答えています。


 上村さんの作品にて“味噌汁”が境界標として機能することを思い返せば、ここで太々と描かれた境界線の向こう側には疑念や不安、戸惑いといったものが微塵もない“生活”が意図的に描かれています。シンプルで純粋な、笑顔に満ち溢れたそれを今日子と次郎は羨望、侮蔑、悔恨、同情といった綯(な)い交ぜとなった想いで見送るのでした。(*3)




 青田という名の若い男女への輻輳(ふくそう)する上村さんの眼差しは“生活”という区画と“観念”の飛翔する空域とを穿つ境界標たる“味噌汁”にも同等に注がれている感じがします。


 生活を長年こなすうちに生じてくる粘っこい澱(おり)が次第に足首に纏(まと)わり付き、気力体力を徐々に奪い去っていきます。諍(いさか)いを起こしてしまい疑念が鎌首を一度もたげてしまえば、“無私”で居ることには限界が自ずと訪れて、ふたつの心は分裂を始めてしまう。決壊してしまった魂の貯水池はなかなか元に戻せません。透明感のある澄んだ笑いで暮らしを満たし続けることは出来ない相談なのです。


 ぶわぶわと輪郭を崩し始めた空間でもひとは物を食べ続け、生きていかねばならない。今日子と次郎の部屋の夕餉に供される“味噌汁”は、だからとてつもなく哀しい。何のための境界票なのか、一体何から何を守っているつもりなのか。何を外に追いやり、何を内側に創ろうとしているのか。


 
こんなにも淋しく儚げに見える“食(べもの)”は他の創作世界には無いような気がします。そして、僕たちの身近に転がる“味噌汁”をこんなにも哀しく見える“食(べもの)”にしてみせた創り手は、上村さん以外には今のところ見当たらないのです。



(*1):「同棲時代」 上村一夫 1972-1973
(*2): VOL.57「夏のとなり」
 
(*3):ここで繰り広げられた騒動は国境線を主張するために誇示される軍事訓練か挑発行為のようなものに見えてきます。例えはいささか乱暴ではありますが、今日子と次郎が二筋の境界線を持って曖昧に重なり合う多民族国家とするなら、隣家のふたりの快活な笑いに満ちた生活はイデオロギーを隙間なく集束させた独裁制国家の趣きです。境界紛争が脆弱な連邦国家を震撼させ、異分子たる互いを強く意識させてしまった。この後、まっしぐらに今日子と次郎は分裂へと歩を進めて行くのです。