2009年6月28日日曜日

浦沢直樹「PLUTO」(2003-09)~忘れられない~



二ヵ月後・東京国際空港──

お茶の水「ようこそ。久しぶりだね、ホフマン博士。」

ホフマン「調査団以来ですね、お茶の水博士。あ……紹介します。」

ヘレナ「ゲジヒトの妻のヘレナです。」

お茶の水「この度は……何と申し上げればよいか……

      何かお力になれることがあれば……」

ヘレナ「いえ……お招きいただいて本当に感謝しています。ゲジヒトは、

     私とまたゆっくり日本に来ることを楽しみにしていました。

     あの日ももう日本行きの予約を入れていて……」

お茶の水「………」

職員「長官、マスコミにかぎつけられる前に早く……」

お茶の水「あ……ああ、そうだな。」

(ヘレナ、職員に先導されてお茶の水とホフマンから離れる)

ホフマン「彼女、ずっと気丈に……」

お茶の水「やはりゲジヒトは一連のロボット破壊事件の犠牲者では……」

ホフマン「はあ……ユーロポールも結論を出しかねています。

      我々の命も、まだ狙われているかも……」

(ヘレナ振り返る)

ヘレナ「お茶の水博士。」

お茶の水「ん?」

ヘレナ「ゲジヒトの言った通りです。」

お茶の水「何がだい?」

ヘレナ「日本の空気には、ほんの少しお醤油の成分が含まれているって……」(*1)


イラン政府が改革派の抗議デモを弾圧し、その渦中で若い女性が亡くなる様子がYouTubeで配信されています。胸元を撃たれて路上に倒れ、周囲の人の懸命な止血の甲斐なく死に呑まれていく。衝撃的で痛ましい映像です。別の投稿ではデモの様子を遠目に見ながら歩いている生前の様子もあり、やや幼さが残るその後姿との段差が哀しくって遣り切れなくなります。真夜中に何度か繰り返して観守りながら、胸の奥でわんわんと反響するものがありました。生はもろく、とてつもなく儚いものだと感じます。


もっとも、いくら観たところで中東の情勢が変わるものではありません。何ひとつ現地の政治の構造や歴史を知らない身ですから、憤然とここで抗議の言葉を書き殴ったところで感情論にしかならない。改革派という政治集団が勢力を強めていくことが市民に恒久的な平穏をもたらす保証はどこにもない。逆に悪化しないとも限らない。何が善で何が悪かの判断基準を持たぬ僕は、彼女のきょとんと当惑するような表情と、その刹那にたちまち輝きを失っていく美しい両の黒い瞳と、とめどもなく唇と鼻腔から溢れ出る鮮血を脳裏で繰り返し再生していくしかない。黙って胸に沸き上がるものを解析し、己の生活に反映させていくしかありません。


目、鼻、耳、舌、その他もろもろの器官を僕たちは総動員して、日々膨大な情報を現実から受け取っています。加えて上の映像のようにして他者からもたらされる通信や紙面が、そのボリュームは倍化していきます。送られて来るものは精度をぐんぐん増し、生々しいバーチャルのそれは五感による体験と近似したインパクトをもたらし始めてもいます。僕たちのメモリーには限界があって、何もせずにいればいずれ壊れてしまうでしょう。取捨選択の仕組みがなければ成り立たない。“捨てる”または“忘れる”というプロセスなくしては到底常軌を保てそうにない時代が来つつあります。


でも、往往にして“捨てるべき”ものを捨てられず、“忘れるべき”ものを忘れられない不器用な存在が人間ってやつです。何を捨てるべきか、何を忘れるべきかでこころの中は堂々巡りを繰り返すばかりで、踏ん切りは早々には付きません。“記憶”そして“記録”というものは素晴らしいものであると同時にこの上なく厄介なものです。



今回取り上げる浦沢直樹さんの「PLUTO」(プルートウ)は、巨匠手塚治虫の「鉄腕アトム」を骨格として、多発する猟奇殺人とロボット同士の死闘を中核に据えた連載漫画です。ドイツ製の刑事ロボットであるゲジヒトがその謎を解くお話がメインストーリーであるのですが、巻を重ねるにつれてそんな事はあまり重要視出来なくなる。それよりも挿話ごとに生れ落ちる突然の“別れ”や“喪失”が、遺された者の感情を烈しく揺さぶっていく様が僕たちの視線とこころを強固に捕らえていきます。“記憶”の取捨選択の問題に直結し、テクノロジーのもたらすソフト面、つまり、こころの問題に警鐘を発すると共に、僕たち生身の人間が常に抱える撞着や依存心を振り返りして人生の意味を問い詰めるところにまで切り込んで来ます。


パソコンの恩恵に預かるようになって分るように、機械は人間が“削除”の指示を出さぬ限り、能力の続く限り記憶し続ける仕組みです。「PLUTO」の舞台となる未来世界では、僕たちと外観上寸分違わぬ骨格や皮膚を持ち、格段に向上した人工知能を持ったロボットが人間と共存しています。膨大な生活情報を統合することで感情すら起伏するに至ったロボットたちは、その世界で延々と“記憶”に翻弄されていくのです。人間でさえ制御不可能な“記憶”の問題が、“忘れられない”“捨てられない”ことで拡大、暴走していきます。


夫であるゲジヒトを破壊されたヘレナが始めて日本の地を踏みます。それが上の場面です。「PLUTO」の挿話のなかで“醤油”が登場する唯一のシーンですが、僕が最も好きな回でもあります。

へレナはゲジヒトにまつわる膨大な(鮮明で磨耗することない)記憶を抱え、必死で気持ちの統制を図ろうとします。“忘れようとして、楽しそうに振る舞い”ますが、その一方では真逆の意思も湧き上がっている。心労を気遣うホフマン博士からデータの一部消去の申し出があるのにそれを断って“あの人の思い出を消さないで”もらいたいと返答しています。ヘレナというおんなの中で、僕たち同様の逡巡が渦巻いているのが分かる。データが膨大で磨耗しない分だけ想像を絶する衝突があるのでしょう。


そうして、ついに「処理しきれない」状態になって破綻しかけます。「悲しみの量」が膨大になり、さらに「どんどん どんどん鮮明に……私……どうしたらいいか……」と顔をしかめ、身を縮ませるおんなの姿に僕はこころを打たれました。“忘却”こそ神が与えた恩恵であるのではないか。その“忘却”を軽視し、“記憶”と“記録”が価値在るものと断じて悪戯に強化する技術をどこまでも積み上げ、社会に浸透させることに誰もが躍起になっていますが、それって危険ではないかと浦沢さんは訴えている。


決して遙か未来のロボットの話ではない。誰もがポケットやバッグに録画装置を持ち歩き、声と姿を際限なく残しています。子供たちは生まれる前から記録されて成長の都度に撮られていく、そんな時代になりました。遺された者のダメージは、その映像と音声で癒されるとは限らない。


イランで殺された若い娘を襲った暴力は、次に遺族を、恋人を襲うことになります。憤激にかられ、それともイラン政府かYouTubeの管理運営者による削除を怖れてなのか、彼女の映像は次々と複製され増殖しています。こうなると延々と残ってしまい、消え去ることはなさそうです。つまりは“忘れられない”“捨てられない”状態に陥ってしまったのです。彼女の近親の人たちに今後どれほどの苦痛を与えるかを想像すると、何とも言い難い重たいものが胸を覆ってしまいます。


だから、「PLUTO」は極めて“現実的”なのです。あなどれない物語、僕たち自身がまな板に乗っている物語なのだと捉えています。


話が変な方向に行ってしまいましたね、ごめんなさい。さて、我が国に“醤油”の香りが満ちているのかどうか、海外のひとがそれを意識するものかどうか僕はよく分からないし、また、ここでそのような会話を挿し入れる浦沢さんの意図が読み切れずにいます。醤油と味噌が日本独自のものとするイメージはいくらか狭い感じもしますし、読者におもねった感じがしなくもありません。


ヘレナという存在が、人間が感知し得ないレベルで物事を記録していく繊細さを持ち合わせている、ということを訴えたかったのかもしれませんが、もう少し考えないと分りませんね。月末には最終巻が店頭に並びます。まずはそれを読み終えてから再度考えたいと思っています。


(*1):Act.47「本物の涙の巻」 第6巻174頁 ( )のト書きは僕の勝手に補ったもの



2009年6月27日土曜日

村上春樹「1Q84」(2009)~長いあいだ慣れたもの~



「いまなにをしてた」とふかえりは天吾の質問を無視して尋ねた。

「夕ご飯を作ってた」

「どんなもの」

「一人だから、たいしたものは作らない。かますの干物を焼いて、

大根おろしをする。ねぎとアサリの味噌汁を作って、豆腐と一緒に

食べる。きゅうりとわかめの酢の物を作る。あとはご飯と白菜の

漬け物。それだけだよ」

「おいしそう」(*1)


さて、BGM代わりにバッハをかけましょう。マイケルはかけません。いいの、それは誰か別のたくさんの人がしてくれます。「1Q84」の主人公の天吾が「天上の音楽」と讃える「平均律クラヴィーア曲集」からBMV891。 




土曜日の昼前にベランダでBOOK1を読み始めて、BOOK2を読了したのは日曜日の明け方になってしまいました。半年という長い時間軸が「1Q84」を貫いています。天吾、青豆(あおまめ)という名前の男女ふたりが、交互に章を分かち合っていく。時おり記憶が二十年前へとさかのぼったりもするから、ボリュームはぐんと膨らんで当然ですね。


まとまった頁数の結果、食事の光景が何度も何度も繰り返されていく。Post-itを貼り付けてから数え直してみると、少なくともBOOK1で6箇所、BOOK2では9箇所、ものを食べる描写があります。そんな訳でほんとうに珍しいことに“醤油”や“味噌”があちらこちらに見受けられるんですね。 “味噌汁”が登場する部分を並べてみましょう。上の天吾に続いての、青豆(あおまめ)による日常の食事です。


「ねえ、今ちょっと炒め物をしているんだ」と青豆は言った。「手がはなせないの。

あと三十分くらいしてから、もう一度電話をかけなおしてもらえるかな」

「いいよ、あと三十分してからまた電話するね」

青豆は電話を切り、炒め物を作り終えた。それからもやしの味噌汁をつくり、玄米と

一緒に食べた。缶ビールを半分だけ飲み、残りは流しに捨てた。食器を洗い、ソファに

座って一息ついたところで、またあゆみから電話がかかってきた。(*2)


次は再び天吾です。


天吾は米を洗い、炊飯器のスイッチを入れ、炊きあがるまでのあいだに

わかめとネギの味噌汁を作り、鯵の干物を焼き、豆腐を冷蔵庫から出し、

ショウガを薬味にした。大根をおろした。残っていた野菜の煮物を鍋で

温めなおした。かぶの漬け物と、梅干しを添えた。大柄な天吾が動き回ると、

小さな狭い台所は余計に狭く小さく見えた。しかし天吾自身はとくに不便を

感じなかった。そこにあるもので間に合わせるという生活に、長いあいだ慣れていた。

「こういう簡単なものしか作れなくて悪いけど」と天吾は言った。(*3)


そして最後も天吾。


天吾は『マザーズ・リトル・ヘルパー』や『レディ・ジェーン』を聴きながら、

ハムときのことブラウン・ライスを使ってピラフを作り、豆腐とわかめの味噌汁を

作った。カリフラワーを茹で、作り置きのカレー・ソースをかけた。いんげんと

タマネギの野菜サラダを作った。料理を作ることは天吾には苦痛ではない。彼は

料理を作りながら考えることを習慣にしていた。(*4)


上から“ねぎとアサリの味噌汁”、“もやしの味噌汁”、“わかめとネギの味噌汁”、“豆腐とわかめの味噌汁”です。単なる味噌汁ではなく、具が毎回きちんと違っていることに注目したいですね。村上さんのこだわりが透けて見えます。また、幾ら長尺の作品だからといって四度も味噌汁が調理されるというのは、これは不思議を越えて何だろうと唸ってしまいます。二巻にするための単なる行稼ぎではないですよね。喫茶店でのカレーライス、休憩エリアでのクリームパンといったものは至極あっさりした描写で済まされているのに、アパートやマンションでの自炊の描写となるとえらく執拗な印象を残します。


もちろん「1Q84」には様々な切り口があります。誇張された脇役の容姿、波のように寄せては返す性欲、突如断絶してしまう逢瀬、さらにはアクション映画顔負けの小道具など盛り沢山です。感想といったものを数行にまとめてしまうのは土台無理を感じます。また、受け手の人生観、哲学、体験、記憶によってまるで違った作品になるでしょう。

ですから、これは僕個人がこの2009年の初夏に感じ取ったものでしかないし、例によって酷い思い込みなのかもしれませんが、このような孤高を保った日常の自炊風景をもって訴えるもの、問い掛けるものが在るように感じます。“無意識のうちに、まるで飛行機の操縦モードを「自動」に切り替えたみたいに、ほとんど考えもしない”(*5)毎日の料理。その一方で“作りながら考えることを習慣にして”もいる。調理という作業ひとつをとっても捉え方がすっかり分裂し、まとまりを欠いてしまっている。とても安定して見えて、とても不安定。自分が何なのか分かった気持ちでいるけれど、まるで分かっていない。そんな僕たちの“長いあいだ慣れて不便を感じない生活”がとても丁寧に、静かに提示されています。


一見奇天烈で無鉄砲に見える漫画を託されたように見えますが、単なる絵空ではどうやらない。何気なく過ごしている日常が描きたかった。しつこく繰り返される調理の光景は、そして丁寧な味噌汁の描写は「1Q84」の構成上欠くべからざるものだった。 作者が意識したかどうか分らないけれど、“内”を強調する記号として“味噌汁”は大いに機能して見えます。


しかし、天悟であれ青豆であれ、自炊作業や味噌汁に一切の苛立ちや疑問、その逆の陶酔といった昂ぶる感情が派生して来ません。物語が境界を発見し、ようやく一歩を越えたばかりで未成熟である証しでしょう。その辺りが個人的には物足りなく感じはしました。文体に気持ちよく酔い、展開にすっかり夢中にはなりましたが、幾らか僕は齢を取り過ぎた読者だったかもしれませんね。越えること、越えられないこと、その間に潜む段差や亀裂のことを相応に学んでしまったせいでしょう。


“醤油”の方は料理で一箇所、そして赤ワインとペアになって台詞のなかに登場するので計二度認められますが、味噌汁の執拗さと比べると影が薄い。ここで台詞を含む前後を引用してもいいけれど、いささかエロティックに過ぎるので割愛します。へっ、ナニ気取ってやがる、ほんとうは一番そこを書き写したかったくせに。うふふ、そうなの。なかなか趣きのある場面なんだよ。いい感じの“醤油”なんだよ、悪者あつかいだけどさ。(*6)


最後に「華麗なる賭け」(*7)の予告編を貼っておこう。やはり劇中で触れられていますね。青豆のイメージはこれなのか。フェイ・ダナウェイが最高です、当時まだ27歳ですよ。




乾いた感じは「1Q84」と重なって見えます。村上さんの思い描く世界はこんな風だったんだね。「ノルウェイの森」が映画化進行中ですが、湿度に気を付けて仕上げてもらいたいですね。

(*1): BOOK1 第6章 139頁
(*2): BOOK1 第15章 332頁
(*3): BOOK2 第12章 261頁
(*4): BOOK2 第18章 381頁
(*5): BOOK2 第4章 95頁
(*6): BOOK1 第14章 312頁
(*7): Thomas Crown Affair 1968 監督ノーマン・ジェイスン



2009年6月25日木曜日

桐野夏生「IN(イン)」(2009)~そんなこと~


だって、あたしは朝から晩まで家事と育児ばかり。夜明けに起きて、

ストーブ点けて部屋を暖めて、お湯を沸かし、薪でご飯を炊いて、

味噌汁作って、七輪熾(おこ)して干物を焼いて、子供を起こして、

顔を洗って着替えさせて、ご飯を食べさせて、食器を洗って、

部屋を掃除して、洗濯板でおしめを洗って干して、表に出て掃き掃除。

それから、子供を連れてお使いよ。牛乳屋に行って牛乳買って、パン買って、

うどん玉買って、お野菜買って、今度は昼ご飯の用意、それが終われば

夕飯の準備。それが延々と続くのよ。だけど、あの人だけは、そんなことを

ひとつも手伝わないで、女の人たちと合評会ばかり。


巷を賑わせる小説二篇について、感じたままを書こうと思います。つまりは、桐野夏生さんの「IN(イン)」と村上春樹さんの「1Q84」について。ちょっと怖いですね、すごく読まれていますから。

僕は桐野さんにしても村上さんにしてもその著作を断片的にしか読んでいない不良読者に過ぎないし、このブログ自体には土俵が仕切ってある。取り上げる箇所も感想も“いびつ”にならざるを得ない。きっと生粋のファンから叱られてしまうでしょうね。最初に謝っておきましょう、ごめんなさい。


緻密で眩惑的な構造体を為していて、どちらも大変な労作です。代価に見合う(いや、お釣りがたくさん来るような)充足した読後感があります。そして、何だかとても似ていると思いました。断章取義(だんしょうしゅぎ)のそしりを免れないでしょうが、小説家が作品を紡いでいく際の内面世界をどちらも主題にしていますし、容赦なく襲う“すれ違い”に臨んで、彼方に放たれる視線にも何やら符合めいたものを感じます。何より魂の決着を求めて繰り返される“抹殺”や“よその世界に送る”という台詞が、ざわざわとした共振を誘いもします。2009年という「今」をちょっと考えさせられました。


桐野さんの「IN(イン)」は、複数の恋情の記憶を断層的に組み込んでいきます。ご自身をモデルとした小説家タマキに往年の作家緑川が書いた私小説“無垢人(むくびと)”の創作過程を調査させるのですが、架空のこの小説“無垢人”は「死の棘(とげ)」(*1)を土台にしていますから、本好きには堪らない構造になっています。映画(*2)を通じて体験している人もきっと愉しめるはず。引用文やインタビュウが入れ子式に挿入されるのですが、そのたびに文体や言い回しが随分変わる。谷崎潤一郎を彷彿とさせるところもありますね。巧みな手わざを駆使した臨場感はさすが“時代のひと”です。


それより何より僕が唸らされたのは恋愛関係の崩壊する様を物理的な勢いやかたち、小道具に置き換える上手さです。確かに恋慕という名の車は往々にしてブレーキが故障します。穏やかな終息は望むべくもありません。速度が増してハンドル操作が間に合わない。高速道路の下り坂に点在する緊急避難用の砂山に上手く突入出来たとしても、ボンネットは大破してガラスは粉微塵に吹き飛びます。

また、拮抗してようやくバランスが取れていたふたつの恋火が同時に、瞬時に鎮火するのは困難で、空しく火柱を噴き出し続ける者(大概は男)が醜さを露呈し、既に冷えた側(いつもおんな)から嘲笑を浴びるのが世の常です。時には勢いの止まらぬ者(大概は男)が相手(いつもおんな)の腕を無理につかんで偏った勢いに巻き込み、ぐるぐると狂ったように回転してはガードレールや地表なりにもろとも激突する、そんな破滅への秒読みを始めたりします。恋愛とは“動き”であり“圧力”であり“衝突”、そして本当に危険なもの。


最初に書き写した言葉もその一端です。小説家タマキによるインタビュウに呼応し噴出したこの濁流が一体誰の口から、どのような経緯で生じたかはここで説明出来ませんが壮絶この上ない。句読点で区切ってはありますが、息つく暇がまるでありません。延々とこういった感じが続くのです。さらりとこういうのを交ぜ混んでくる、やはり桐野さんは凄いひとです。

家事の諸相が怨みつらみとなって爆発的に噴き出しています。“外で働く者”が同じような立場に陥ったとして、こんな濁流が生じるでしょうか。だって、僕は朝から晩まで通勤と仕事ばかり。夜明けに起きて、痛い思いして髭をあたって、駅まで歩いて、電車に揺られて、朝礼聞いて、得意先にアポイントとって、仕入先に行って商談して、帰って日報書いたら会議。それが延々と続くんだよ。当たり前だ、馬鹿。そんな事は普通口には出ない。


家事が慈愛や加護の眼差しの延長にあって、“生殺与奪”の力を秘めているからですね。守ろうとする気持ちと破壊しようとする気持ちが寄り添うはずがありません。内部で激しい震えが生じ、異常な勢いで膨れ上がる力が行き場を失い、耐え切れずに圧壊していく。

薪、七輪、洗濯板といった道具が加わっているのは昭和20年代の情景を振り返っての言葉だから。だけど、作家タマキは、そして僕を含む読者はそこに時空を超えた普遍的な男女の魂のせめぎ合い、“殺し合い”をありありと読み取り、自らの胸中に反響させてしまうことになる。



さてさて、ここで現れた“味噌汁”は失われた古き記憶の断片として薪や七輪と並べられたのではなさそうです。現代を彩るものとして、僕たちに生々しく作用していく。


“そんなこと”の外にあるのは“女の人”つまりは異性との接触だと言い切っています。内側には恋情を開花させるものがない、外にこそ花は開くのだという境界の意識付けが背景にあります。桐野夏生さんの作品を読むと、境界線をまたぎ、岐路に立ち、そこから一歩踏み出す女性像が浮上しますが、この「IN(イン)」においての“味噌汁”は内側に属しており、歩み始めるにあたって“振り向くに価しないないもの”、として“抹殺”されかかって見えなくもありません。2009年のおんなの心情を代弁するひとつとして桐野作品に採用されたことは名誉なことですが、いささか複雑な気持ちになりますね。


(*1): 「死の棘」島尾敏雄 1960-76
(*2):「死の棘」1990 監督 小栗康平


2009年6月23日火曜日

向田邦子「アマゾン」(1981)~ゆずらずまじらず~


(*1)

アマゾン河は濃いおみおつけ色である。仙台味噌の色である。

そこへ、八丁味噌のリオ・ネグロとよばれる黒い川が流れ込む。

人はアモーレ(愛)があれば、一夜で混血するが、ふたつの河は、

たがいにゆずらずまじらず、数十キロにわたって、河の中央に

二色の帯をつくってせめぎ合う。結局は、仙台味噌のアマゾン河に

合流するわけだが、ボートで二色の流れのまん中に身を置くと、

自然の不思議に息をのむ。

折から夕焼け。血を流したような陽がゆっくりとジャングルの向うに

落ち、抜けるほどの青い空が薄墨に染まっていく。これを見るだけでも、

日本から二十時間の空の旅は惜しくない。(*2)


台湾で飛行機事故に遭い向田邦子さんが亡くなったのは1981年の八月だから、既に27年が経ってしまっている。あれから27年、信じられない。

追いかけた作家のひとりでした。講演を収録したテープを買い求めて“声”を繰り返し聞いたりもしたけれど、今にして振り向けば、淡い恋こころを僕は抱えていたみたいです。向田さんは遙かに年長の当時四十代後半ということもあり、また僕は、田舎に住む単なるガキでしかなく、クラスで一、二を争うオクテでもありましたから“恋”とか“愛”とかいう語句はついぞ意識することはなくって、あくまで劇作家として敬愛、畏怖するばかりでした。けれど、そう自分では思いつつ来たけれど、やっぱりあれは恋。NHKの「阿修羅のごとく」(*3)が代表作として印象深いけれど、彼女自身が何より素敵なドラマで目が離せなかった。





落ち着いた物腰には随分と惹かれるものがあって、週刊朝日のグラビアに載った愛猫を膝に抱き床に座った白黒の写真などは、製本用のステープルを外してそっと抜き取り、左右の頁を丹念に狂いなく糊付けしてから額に入れて飾っていました。あれはどこに仕舞ったものだろう、こちらに投げられた穏やかな微笑みをとても懐かしく思い返します。

俳優や番組制作者、編集者が披露するエピソードのひとつひとつが洒落ていた。例えばこれは有名な話だけれど、彼女が先客になっているカウンターバーでのこと。扉を開けて見知った男が入ってくる。自慢気に真新しいコートをまとっている。それ貸してみなさいよ、と男が脱いだものに手を伸ばして受け取ると、たちまち乱暴に畳んで自分の尻の下にぎゅっと敷いてしまう。唖然として見守るなか、ばらっと広げ、ほら、これで良くなったでしょ、と皺の左右に踊るのをさらりと返して寄越す、そんな内容でした。

衣服に限らない話です。主役である貴方が引き立つようなものを身に付けなさい、本末転倒の滑稽なものを付けなさんな、という平常心に満ちた揺るぎない美学が伺えます。うむむ、絶対に惚れちゃいますね、そんなことされた日にゃ。


さて、向田さんは「残った醤油」という小文において、叱言(こごと)を聞かされ続けた父親を追慕するにあたり“醤油”に焦点を絞って語っています。ご飯のおかずは刺し身です。コワイ父親を前にして緊張のあまり、醤油注ぎから小皿に垂らす量が思わず多くなってしまった。それを見咎めた父親が少女時代の向田さんを早速叱りつけ、母親が間に入ってなだめます。


豊かではなかったが、暮しに事欠く貧しさではなかった。

昔の人は物を大切にしたのであろう。

今でも私は客が小皿に残した醤油を捨てるとき、

胸の奥で少し痛むものがある。(*4)


「刻む音」と題されたものでは、今度は母親を懐旧しています。“音”とは朝食の支度にかかわる包丁の響きです。こちらは“味噌”が選ばれています。


顔を洗っていると、かつお節の匂いがした。

おみおつけのだしを取っているのである。

少したって、プーンと味噌の香りが流れてきた。

このごろの朝の匂いといえば、コーヒー、ベーコン、トーストだが、

私に一番なつかしいのは、あの音とあの匂いなのである。(*5)


こんな文章もあります。


朝起きると、まず歯磨き粉の匂い、新聞のインクの香り──

その次がパンを焼き、或は味噌汁をたてる香ばしい匂い。

思えば、朝起きるから日がな一日、私たちの生活は嗅覚とつながっています。(*6)



書かれた時期に隔たりはありますが、そこに流れる思念にいささかも段差はありません。住まいの中に息づく食事の光景への全面的な肯定が伺えます。醤油や味噌に対しての反撥が感じられず、実にのびのびとして爽やかな眼差しが照射されています。

最初に紹介した「アマゾン」は彼女の死後も南米大陸の紀行文に添えられたりして、時おり目の前に立ち現れたのでしたが、その度に感嘆し唸らざるを得ませんでした。味噌はこれまでの日記に書き連ねたように古き因習めいたもの、もはや存在し得ない遠い記憶のようなもの、といった“負”の扱いを受けることが多く、家庭や住宅、居間や台所の引力に捕らわれ、そこから離脱して描かれることは稀です。

向田邦子さんは地球の反対側のアマゾンまで味噌を連れ出しています。さらに“アモーレ(愛)”や“一夜で混血する”といった連射を行なって、味噌の大河をより濃厚で比重のある官能的なものへと高めています。

ここでもあい変わらず全肯定が為されています。どうしてここまでニュートラル、いや、むしろ肩入れするようにして味噌を捉えられるのか、かえって不思議を覚えてしまいますが、それは向田さんの描く住宅、家族の有り様と通底していそうです。


「阿修羅のごとく」を例に引けば、家族のなかに当初から恋情をめぐり諍いがあります。引き出しの奥には春画が隠されてもいます。それらが暴かれても拒絶されることはなく、混乱は混乱のままに穏やかに収束へ向かっていく。恋も性も自然体で受け止められていて、父親や母親も神格化もされず、聖人君子の夫も、お人形めいた貞淑な妻もおらず、それこそ“たがいにゆずらずまじらず、せめぎ合う”ようにして流れていきます。

近年になって向田さん御本人の秘められた恋がおずおずと紹介され始めていますが、彼女は結婚と家庭という道筋をとらずに作家人生を終えています。実生活上、内と外という分断された世界観が醸成ならず、それゆえに象徴的な負の味噌汁を産み落とさずに済んだのではないでしょうか。世界が分断されなかったからこそ、アマゾンの大河までも同一の視点、価値観で染め上げることが可能だったのではないでしょうか。

より綿密な掘り下げは数多の熱心な向田ファンに任せますが、極めて特殊な味噌の描写が為されている、それは確かなことなのです。


(*1):Amazon River Cruise on the Seven Seas Mariner Cruising on the World's Largest River From Linda Garrison , About.com
http://cruises.about.com/od/southamericacruises/ig/Amazon-River/amazon075.htm
(*2):「ミセス」 1981 10月号初出 「夜中の薔薇」(講談社文庫)所載
(*3):「阿修羅のごとく」1979-80年 監督 和田勉ほか
(*4)(*5):新潟日報 1979 9月初出「夜中の薔薇」(講談社文庫)所載
(*6):「映画ストーリー」(雄鶏社)1959 7月号編集後記 「向田邦子 映画の手帖」(徳間書店)所載




2009年6月21日日曜日

「持参金のない娘」(1984)~浮世離れしたジャム~


ふわっと照明が点り、エンドロールを映し終えたスクリーンが浮かび上がる。瞳に残影がありありと宿って感情の昂ぶりが取れない。そんなほろ酔い気分のときに、大学で教鞭をとる専門家が解説をしてくれる洒落た映画観賞会があります。地元の劇場での月に一度の夜会です。バーテンダーに由来や製法を教えてもらい、香りと味がさらに豊饒さを増すカクテル、そんな感じでしょうか。


フェリーニなどもまな板に乗りますが、大概はロシアの映画です。陰影に富み、湿度もずっと高い。いくらか枯れ草の匂いも混じって感じられる作風もしっとり肌に馴染んで嬉しいですが、上映後の解説の時間が刺激的でそれに惹かれて足を運んでいます。


観客の数は三十から五十といったところで、落ち着いた風情の年輩女性が席を多く占めます。御下げ髪の若かりし頃はトルストイとかチェーホフに憧れたのかしら、さぞ可愛かったのだろうな、なんて妄想したりして…。政治的な固い話は抜きにした文学作品が主ですから常に柔らかい空気に包まれ、なかなか良い会合だと僕は感じています。今後も続いていってもらいたいな。


先日の作品は「持参金のない娘」(*1)。没落した貴族の娘ラリーサが主人公。器量の良さと才気によって地元の男たち(資産家、商人、企業家、公務員、はては詐欺師)の視線を集めるのですが、彼らの間で繰り広げられる権力闘争と自己本位な欲望にはげしく翻弄され生命を落とすという悲劇です。

検索をかけていくと、Youtubeにファンがアップしていますね。あらら、冒頭から終幕まで観ることが出来てしまう。便利というか困ったというか、不思議な時代になったものです。予告篇代わりに貼っておきましょう。あえてラストの部分を!どうして彼女はこのような目に遭ったのか、どんな男女のこころ模様が描かれてきたものか。紹介するこの結末を観て興がすっかり削がれるということはないと信じます。観るひとは観る、そういう類いの映画ですね。


ラリーサを追い詰め死に追いやる男たちの誰もが、どうしようない最低の輩です。しかし、カットや台詞の積み上げによって各々の出自、責務、宿命が浮き彫りになり、それらにがんじがらめとなっている様が丁寧に活写されてもいます。おんなへの執心は純真そのものと読めるところもあり、かえって始末が悪いです。ラリーサの胸にも僕たちの胸にも憎み切れない中途半端な想いが残されて、何ともやるせない終幕ですね。

男たちと今わの際のおんなとが、大きなガラス窓越しに交錯させる最期の視線が凄まじい。恋慕の念が凝縮なった素晴らしい情景です。僕の内部にこれまで堆積なってきた様々な映像記憶が重なって明滅します、言葉を失います。





さて、上映後のN准教授の話ですが、当時のロシアの社会情勢をひも解きながらの解説はいつもながら見事で分りやすく何度も何度も頷かされました。こと感心したのは登場人物の名前に込められた“象徴性”です。その辺りまで突き詰めて解読するのは、さすがですね! ラリーサが愛していた貴族で船主のパラートフ(ニキータ・ミハルコフ!本当に悪い男を演じさせたら最高ですね!)の名前は、「犬や狼が獲物を追って走る」という意味合いがあるそうです。“遊猟”とか“玩弄”といった感じになるのかな。そういった響きを備えた男だとすれば、観方も当然違って複雑さが増していく。うーむ。

ラリーサを執拗に追い回す狭量で風采の上がらぬ官吏で、最後は嫉妬に狂って銃を向けてしまうカランディシェフは「鉛筆」とほぼ同じ響きだといいます。名が体を明確に表わして、運命や未来を暗示していく。物語の生い立ちが戯曲であることにも由来するようですが、極めて記号的な使命を担って人物が闊歩しています。


そのような目線を与えられて再度物語を振り返るならば、“食”に関してもまた象徴的に配置され、劇空間を支えて見えます。ラリーサは自宅で行なわれたパーティで、(猟犬)パラートフと親密になります。

台所に“ジャム”を取りに行かされ、そこで男と鉢合わせしたラリーサはとても緊張し、笑顔がひきつれてしまう。慌てふためいて頓珍漢なジャムの味見を男に勧めます。男は滑稽だと思いながらも、その世間ずれした幼いリアクションを静かに受け止める。

ガラスのボウルからスプーンですくわれた真っ赤なジャムのひと匙が男の口に消えていく。ラリーサの左手の甲にほんの少しジャムの付着が認められ、男はその手にそっと口づけし舐め取ります。


口をそろえて男たちから美貌を褒め称えられると共に、男のエゴや弱さをまるで推し量ることが出来ずに歌や踊りに夢中になっている純朴さを“浮世離れしている”と陰で揶揄される娘。無垢な子供らしさの象徴として真っ赤な“ジャム”が忽然と現われており、その登用の見事さ、美しさ、色っぽさ、哀しさに息を呑みました。


(*1):Жестокий Романс 1984 監督エリダル・リャザーノフ

2009年6月18日木曜日

大林宣彦「時をかける少女」(1983)~コンプレックス~


〇堀川醤油工場

大カマドの前で、火加減を見ている吾朗……汗をかき、Tシャツ姿である。

和子、入ってきて、

和子「こんにちは」

吾朗「よっ……」

和子「(辺りを見回し)あったかいのね」

吾朗「ああ……暑いくらいだよ」

和子「(クンクン鼻を鳴らして)わたし、この匂い、好きよ、お醤油の匂いって……

   なんだか優しくって……」

吾朗「(見て)……そういう気楽なことは醤油屋のセガレの前で言ってほしくないね。

   ……なにしろ、こっちは年中なんだから。ちょっと危ないよ」

和子「ごめんなさい……」

吾朗「もう大丈夫?気分悪いの、治ったの?」

和子「うん」

吾朗、醤油樽を持ち上げ、ビンに醤油を注ぐ。真剣な表情。太くたくましい腕。

和子「吾朗ちゃん、わたしね……」

吾朗「(顔を上げず)わりい。黙っててくんないか。

   ……こぼしちゃうといけないから……」

和子「ごめんなさい(とションボリ)」(*1)


お醤油の匂いは大いに食欲をそそります。ですが、例えば仕事の会食でもデートでもよいのだけれど、刺身か寿司のために醤油が注がれた小皿がテーブルにあり、どちらかの酔った指先が悪戯してそれをひっくり返したとします。女性の足元に小皿が跳ねつつ、醤油の飛沫がストッキングを点々と染めていく。これも愛嬌、なかなかエロティックで風流ではないかとそのまま捨て置いて歓談に戻れるものかどうか。まず普通のひとには無理です。血相を変えてタオルで拭き清め、周囲の者も口々に大丈夫かと尋ねるでしょう。


染みになっては大変、乾くと落ちにくいのよ、と慌てふためく訳ですが、濃厚な臭いもそこに関わっているように思われます。安物のストッキングならトイレのゴミ箱にあっさり捨てられてしまうでしょう。お醤油は食べものとして悦ばれながら、かように衣服や素肌との接触を敬遠されてしまう。愛され方がいささかイビツなところがあります。身体にまとわりつくお醤油の匂いを人はどのように捉えているのか。そのこころの動きはどこから来ているのか。普段は深く考えてみたことはありませんが、ちょっと不思議なものがありますね。




醤油の匂いについて踏み込んで描いたものに、1983年の映画「時をかける少女」があります。筒井康隆の原作にはない醤油蔵が登場しますが、その場景を抜き書きしたのが上記の台詞です。恋焦がれる芳山和子(原田知世)の訪問にどきまぎする吾朗(尾美としのり)は、彼女の「優しい匂い」という表現を言下に否定しています。

そればかりではありません。悟朗へのほのかな恋の芽生えを胸に抱いている和子の、懸命で真摯な言葉の手探りに対して再度拒絶の意思を明示していきます。


和子「ゴロちゃん、ありがと、これ、洗っといた」

と、ふいに幼馴染の少女に帰って……。

吾朗、黙って尻で手を拭き、ハンカチをつまむように受け取る。

和子「ほんとに、ありがと……そのハンカチ、お醤油の匂いが、いっぱいしたわ!」

吾朗、思わず、顔をしかめる。


僕たち観客は登場人物と物語を俯瞰し見詰めることで、醤油の存在が和子のタイムリープ(時間旅行)のきっかけとなった妖しい化合物と対峙させられているのが分かる。麗しきラベンダーの香りを放っていた未来の化学技術と衝突していることを感じ取ります。ここにおいても醤油は、大変象徴的に取り上げられているわけですね。

この匂いの対立に眼目を注いで、ラベンダーは“かなわぬ恋”を、醤油は“平凡な幸せ”を各々表していると評するひともいますが、僕には物足りない気がします。幸せの象徴になっていないことは、次に連なる母親との会話の中ではっきりするからです。単に思春期特有の異性に対する照れ隠しの域ではない、かなり根深いコンプレックス、凄まじいマイナスのイメージとして醤油の香りは描かれている。


吾朗「いいんだよ……オレは……これが好きなんだから。

   オヤジの代から体中に醤油の匂いが染みついてるんだから」


日本人ほどお醤油を好んで使いながら、こと“恋情”を強く意識したときにもっとも敬遠、嫌悪する民族もいないのです。カタカナ欧州文化への劣等感や、白人種の容貌や姿態へ際限なく礼賛を行なう、相当に捻じ曲がった美意識が僕たちの根底には潜んでいるのですが、お醤油の体表への付着はこれに気付かせ、慌てさせ、白日に晒す効果があるのかもしれません。だって想像してごらんなさい、日本的な装束、浴衣や着物を着ていたなら、先に上げたような醤油のこぼれも幾らか寛容をもって受け止められそうじゃないですか。祭りの半被を纏っていたらどうでしょう、素肌に付いても笑っていられそうじゃないですか。


吾朗のやるせないつぶやきは、日本人の自意識や恋愛感の一端を露呈して僕には聞こえます。意図せずに仕上がったのかもしれないけれど、「時をかける少女」は甘ったるい子ども向けの作品に止まらず、醤油論、日本人論を裏側で展開してとても興味深いのです。古い街並みや風情ある旧家を舞台にして郷愁を導く練達の演出家ではありますが、大林宣彦という監督の内実は相当の都会人なのかもしれません。だからここまで残酷な分析と構図が描けてしまうのではないでしょうか。


さて、“匂い”ついでにもう少しだけ。単層ではなくって、恐るべき多層を醤油の香りが宿しているのは知る人ぞ知るところです。コーヒーやバナナ、バラや桃の香りまでが検出される。ラベンダーなんか大したことありませんね。こちらはバラが薫り立っている。実にロマンチックじゃないですか、タイムリープ以上の発明ですよ。

こうなれば、浜崎あゆみさんか誰か著名で綺麗な女性タレントに“お醤油風呂”でも愛用してもらい、イメージの復権を図るしかないでしょう。美女の素肌を醤油が染め上げる時、お醤油に秘められたコンプレックスはきっと解消されます。全国のお醤油屋さん、頑張ってください。


(*1):「ワンス・アポン・ア・タイム尾道」大林宣彦 フィルムアート社 1987 所載シナリオより



2009年6月17日水曜日

「ゼラチンシルバーLOVE」(2009)~塩すらも余分なもの~



雲が厚みと密度を増してきましたね。夕暮れに「ゼラチンシルバーLOVE」(*1)を観に行きましたが、途中フロントガラス越しに見える夕陽を背後にしての浮き雲の陰翳、コントラストが絵画のようで絶妙でした。うっとりと眺めながら、季節の移ろいの早さを感じました。最近は月と雲も良い具合です。


観客は僕を入れて五名だけでしたが、奥さんに付き合って来たらしい年輩の男性客が早々にイビキをかき始めた、と言えばどんな手触りの作品か分かるでしょう。否定的に書いているのでは決してなく、文法が一般の娯楽作と違っているせいです。こういった自由奔放な作風は嫌いではありません、むしろ僕は好きかもしれない。

ただ、その少し前に見たばかりの映像がちらちら頭をよぎってしまって困りました。頚椎を傷めてマットに沈み、大勢の観客から名前をコールされ続ける三沢光晴さんの様子です。ひとの一生など予測不能のことばかりだと、本当にそう思い知らされます。肉付き、容貌、衣服といった外観からは推し量れない運命の川がやっぱり僕たちの周りをとうとうと流れていて、時おり波しぶきを上げては足元をさらっていくみたい。(当人が誰よりもいちばん驚いたでしょうね。ご冥福をお祈り申し上げます。)


映画や小説は給食の献立のように人の死を膳に盛り込み、僕たちも当然のように愉しんで見てしまうけれど、今回の三沢選手みたいな“不意打ち”が本物ですよね。大概望み通りにはいかない。「ゼラチン」はそういった意味からも非現実的で自由気ままでしたね。恋する女(宮沢りえ)の秘密を知ってしまった男(永瀬正敏)が彼女を助けるために自分の死を手招きしてしまう、死を予測し受け入れる、そんな甘い結末でした。

もとより非現実的であるのを躊躇わず、オーバーな演技や奇抜な小道具を徹底して愉しもうという“たくらみ”が一から十まで占めている映画ですから、甘い結末も何でもアリの次元。宮沢りえのウィッグやコケティッシュな服、彼女の瞳の虹彩や唇、写真やフィルムの燃える様子、街路を彩る看板などなどから発せられる光と影を執拗にカメラは捉えていきます。ドラマ然とした男たちの死は、もしかしたらどうでも良かったのかもしれません。





これは写真展なんですね。そう思えば納得がいくし素晴らしかった。いや、皮肉じゃなくって本当に。演出家(写真家)の意を酌んだ観客にとっては、五感を鷲づかみにされる時間にはなります。


さて、例によって僕の視線は食べものに注がれます。「ゼラチン」では、宮沢りえが“ゆで卵”を食べます。ことこと小鍋で茹でては食べ、また翌日、同じ時間に茹でては食べます。彼女の大写しになった唇と舌に揉まれ砕かれ、何個も何個もぐっちゅり圧し潰されては呑み込まれる。

ソフトクリームもべろべろ舐め溶かされていきますが、それはオマケみたいなものです。兎にも角にもゆで卵。塩も使わずに食べまくる。僕みたいな年齢のひとはポール・ニューマンの映画(*2)を思い出すでしょうね。一方の永瀬正敏はスパゲッティを茹で、トーストにバターを几帳面に塗ったりしておりますがこちらも真っ当な食事の光景とは到底言い難くって、どこまでも観念的。

物語を削ぎ落とした写真展みたいな内容では確かにあるけれど、一応は“恋愛”を描いていることに絡んでくる。ゆで卵で宮沢りえと永瀬は繋がっていくのですが、多種多様な食べものから発するノイズを根こそぎ排して、ゆで卵のみを際立たせていく仕組みです。

“恋愛”と食事描写の量は映画や小説においては、反比例です。これは不思議だけれど実際その通りで、もしも取り上げられても収斂されて、ぎゅうと凝縮なっていく。「タンポポ」(*3)での役所広司と黒田福美なんかは別格です。飢餓感を“食”と“色”で同時に満たそうと彼らは試行して見事なのですが、大方の恋愛劇では激しい選り好みが食物に対して生じるのが普通。フルコースを背景にして満腹感が溢れる恋情は、なかなか描かれることはありませんね。(現実は違うけど。楽しく食べるよね、普通はさ)





考えてみれば当たり前ですよね。眩暈を起こすほどの空腹感を圧し殺してまでは恋愛映画なんか観ないのだし、本当に食うにも困るような切羽詰まった状態では、さすがに恋慕の情も起動しない。空腹と恋愛は現実でも空想でも本来寄り添わないから、恋愛劇では自ずと食べものは消えていくのでしょう。邪魔な存在なんですね。そして、選ばれた食べものは、至極象徴的なものとなっていきます。

谷崎潤一郎の「春琴抄」(*4)にも関連しそうな箇所があります。八歳で視力を失いながらも天賦の才能を授けられ三味線弾きで世間をあっと言わせた春琴と、彼女に身もこころも殉じていく佐助の物語です。才能に加えて圧倒的な美貌をも具えた春琴ですが、彼女は人前では絶対に食事をしません。食が細いというのではなく「当時の婦人としては驚くべき美食家であり」、「飯は軽く二杯たべおかずも一と箸ずついろいろの皿に手をつけるので品数が多くなり給仕に手数のかかることは大抵ではなかった」。けれど、「客に招かれた時なぞはほんの形式に箸を取るのみであったから至ってお上品のように思われた」。

そのようにして佐助以外の男の前で“食”の選り好みをした結果、「別嬪(ぺっぴん)の女師匠の顔を見たがる手合」だらけとなり、春琴の現われる先には男どもの視線が次々に揺らめき渦巻いていく。食べものが排された場処に色目が錯綜し、欲望が膨張するのですね。恋情と食べ物が共存しにくい文化的側面がここにも透けて見えます。

ぼんやりとした半熟のゆで卵を、延々と無心に食することは狙い目、計算でありました。ちょっと法則に囚われた気味はありますが、気分として分からないでもないです。

けれど、ときには塩を振っても良かったと思うし、お醤油だって使って欲しかったなあ。小皿に注いだ醤油にちょっと先っぽの方を濡らして、ひと筋の褐色の滴を垂らした卵をそっと唇に運んでも、かえってそれはそれで十分にエロティックで永瀬正敏と僕たちの芯を熱くしたようにも思えたのですが、えっ、やっぱり醤油じゃダメですか、気分が出ません?うむむ……やはり醤油は、恋愛向きじゃないのかなあ。


(*1): 「ゼラチンシルバーLOVE」2009年 監督 繰上和美
(*2): 「暴力脱獄」COOL HAND LUKE  1967 監督 スチュアート・ローゼンバーグ
(*3):「タンポポ」1985年 監督 伊丹十三
(*4): 谷崎潤一郎「春琴抄」1933年

2009年6月13日土曜日

「シェルブールの雨傘」(1964)~俺の香水~


デジタルリマスターされた「シェルブールの雨傘」(*1)と「ロシュフォールの恋人たち」(*2)を観て来ました。その不器用なところが気性に合うのか、60年代から70年代後半までの恋愛映画は僕のお気に入りです。

もっとも「ロシュフォール」の方は、年若い男女(カーニバルを彩るイベント屋)が群舞するオープニングシーンで冷や汗をかいてしまったのでした。はちきれんばかりの若さを競うような感じで、僕みたいな年がいった男がここにいるのが場違いの気が……。けれど、あにはからんや物語を追うに従い、スクリーンの中に分身が続々と現われました。あれこれ思案を廻らす有意義な時間になりました。好い映画でしたよ。

さて、「シェルブール」です。自動車整備工のギイと傘屋の娘であるジュヌヴィエーヴ(カトリーヌ・ドヌーヴ)が恋に落ちます。若者の出兵を境にしてふたりの間の音信がぎこちなくなり、やがて途絶えて破綻する話です。

7月にはDVDも発売されますね。レンタルもなるのかな。未見の方はどうぞご覧ください。Youtubeから予告編代わりにちょっと触りだけ貼っておきましょう。リストアされて鮮やかに蘇った画面は、これよりさらに優雅で素敵です。




粋な会話がありました。工場帰りのギイに身体をすり寄せてドヌーヴが囁きます。「ギイ、なんかへんな匂いがするわ、あなたから」「ああ、これはガソリンの匂いだよ。俺の香水さ」

モータリゼーションの波の最中にあったとはいえ、なんとも洒落た応答です。軽く微笑み、さらに身を寄せるおんなも見事です。こんな会話が他の仕事で成り立つかどうか、あれこれ想像して遊んでしまいました。ペンキの匂い、林檎の匂い、紙幣の匂い……。

「ギイ、なんかへんな匂いがするわ、あなたから」
「ああ、これは醤油の匂いだよ。俺の香水さ」

「ギイ、なんかへんな匂いがするわ、あなたから」
「ああ、これは味噌の匂いだよ。俺のローションさ」

これはどうだろう、成立するものでしょうか。女性は軽く微笑み、さらに身を寄せてくれるものでしょうか。うむむ、そんな展開はありえませんね。けれど、考えてみれば、ちょっと不思議です。ナゼなんでしょうね。ガソリンと醤油、ガソリンと味噌……。うむむむう。

(*1): Les Parapluies de Cherbourg 1964 監督ジャック・ドゥミ
(*2):Les Demoiselles de Rochefort 1967 監督ジャック・ドゥミ



2009年6月11日木曜日

黒木和雄「竜馬暗殺」(1974)~醤油蔵に逃げ込むおんな~


〇 土蔵の中
      竜馬、苛々して、歩きまわっている。

竜 馬  わしゃこんな所に閉じこもってるなんて気が染んぜよ。

      体中がカビ臭くなってくるような気分だわ。

      (大きなくしゃみ)くそっ!殺したい奴は勝手に殺せ!

      慎太、お前はどうなんじゃ、わしを斬るのか、斬らないのか!

      めしなんて食うちょらんで真面目にやれ!(*1)



 坂本龍馬を題材とした物語は数限りなくあれど、出色はやはり「竜馬暗殺」。幕末の政争をよく知らない歴史音痴の僕ですが、それでもかなり引き込まれました。近江屋への引越しから惨死に至るまでの慌ただしい三日間を虚実織り交ぜて描く群像劇なのですが、悲願の大政奉還も心血を注いだ組閣人事もどこへやら、映画のなかではまるで見当たりません。刺客の影に怯えて土蔵の奥に潜み、外を出歩いても暗い路地や墓場、河原をあくせく逃げ惑うばかりです。竜馬役の原田芳雄の長い髪が妙に色っぽくて、ノンケながらも見惚れてしまいます。


 興味深いのは司馬遼太郎の「竜馬がゆく」(1962-66)以降ずっと定着している“醤油蔵の無視”に組みしていないこと。閉塞感にあえぎ、蔵に生息する多種多様な微生物の匂いにすっかり滅入ってしまって声を荒げます。こんな龍馬は他に見当たりません。


 また、中岡慎太郎(石橋蓮司)と政論を闘わすうちに頭にかっと血が上り、ぎらり抜刀して対峙する緊迫した場面があります。大きな木樽を跨いで橋のように置かれた狭い“渡し板”で、じりじり間合いを詰めていく。これは血を見るしかないと誰もが思うわけですが、やがてなんとなく滑稽に思えてくる。

 国の将来を憂えての大激論を交わしたふたりが、さながら塀の上で鉢合わせしたオス猫同士のように睨み合う姿は脱力を誘います。彼らも内心馬鹿馬鹿しさを覚えたようで、長崎から飛脚が届いたという知らせが聞こえた途端、あっさりと刀を引っ込めてしまう。このように映画「竜馬暗殺」は醤油蔵で繰り広げられるあれこれを通じて、まとわり着く“弛緩”を透かし込もうとします。



 さらに意外な展開もあります。竜馬は土蔵の二階窓越しに外を伺っていて、隣家に住まうおんな(中川梨絵)と視線を交錯させます。彼女は新撰組に囲われた遊女であり、わずかの金銭のために春をひさいで暮らしています。乱暴な隊士のひとりを誤って殺してしまったことから慌てふためき、なんと彼女も醤油蔵に緊急避難してしまう。


 おんなは竜馬にふたりで逃げよう、一緒に暮らそうと迫ります。膨れあがる不安を払拭しようとして竜馬と中岡、そして遊女は酔い騒ぐのですが、ノンフィクションであれ小説であれ、女人禁制の場としてずっと描かれてきた“近江屋の醤油蔵”に成熟した「若草の萌えるがごとき臭い」をぷんぷんさせるおんなが闖入して乱痴気騒ぎを起こしたことは、相当に意図的な演出です。もちろん時代背景も当然あるでしょう。政治活動に女性が目立ってきたことのメタファーかもしれませんが、あの時、確かに“醤油蔵”は、ほんのりと恋慕に染まった。徒花で実を結びはしませんでしたが、咲いたことは咲いた。


 「弛緩、脱力、家庭」の象徴として“醤油蔵”が建っています。ここではどちらかと言えばマイナスイメージではありますが、無視されるよりはずっとマシです。決別して政事に猛進するべきかどうか、いや、本来守るべきはここでないか、人生の本質とはどちらなのか。醤油蔵から出ることに二重三重の意味付けが為されて、竜馬の内部で極めて記号的な衝突が発生する。結局、竜馬は脱出(逃避)を目論むのですが、刺客の襲撃により全てを絶たれてしまう。


 “逃亡者”の側面のみを拡大視していて史実からはかけ離れていますが、その分ひとりの人間の生への渇望や執着、自己欺瞞や諦念がまざまざと浮き彫りにされて胸を打ちます。人は何と闘うのか、何から逃げるのか、何を求めるのか、あれこれと自分に反射するものがあって考えさせられましたね。






 さて、現実に戻って──。クライスラーとセネラルモーターズの破綻、驚きました。門外漢でしかない僕にはどこか夢の中の出来事に感じられてしまいますが、自動車産業に従事する人は苦労の連続でしょう。


 ふと「2001年宇宙の旅」(*2)を思い出しました。ヨハン・シュトラウスの優雅なワルツに乗って漆黒の大宇宙を滑空するスペースシャトルの船体に、蒼く燦然と掲げられていたパンナムのマークが網膜に焼き付いています。1991年、そのパンアメリカン航空が突然に破綻したのでしたね。あの時も僕は狐につままれたようで、いつまでも実感が湧きませんでした。


 企業の命脈はひとの人生と同じで突然に始まり、そしていつか、今度は突然に事切れる。いかに足掻き、知恵やお金を投じても力尽きるときは尽きる。先日取り上げた近松門左衛門の「曽根崎心中」(1703)で主人公が勤めていた醤油屋が、現時点でも商いを継続しているとは聞いたことがありません。「竜馬暗殺」の舞台となった近江屋にしても藩の御用達として隆盛を誇った模様ですが、今でも業界のオピニオンリーダーとして活躍しているかと言えば、どうもそうではなさそう。


 醤油や味噌を生業とする企業は老舗が多いのですが、だからと言って彼らが安泰な訳では決してないし限界はあるのですね。長い目で見ればどうしようもなく巡って来る。開き直ってなに糞、コンチクショウと越えていくしかありません。


 「竜馬暗殺」のラストシーンは政事とは無縁の群衆で締め括られました。幕府が倒れて世界が転覆しても、ひとは粘り強く再生し日常を築いていく。僕たちのひとりひとりが彼らサバイバーの血を受け継ぐ末裔といまは信じて、悠々と深呼吸して過ごしたいものですねえ。なかなかムズカシイけどねえ。


(*1):アートシアター111号掲載シナリオより
(*2): 2001: A Space Odyssey 1968 監督スタンリー・キューブリック


2009年6月7日日曜日

司馬遼太郎「竜馬がゆく」(1962-66)~目の前にあるのに!~


 こんどの上洛で、竜馬の宿がかわった。ずっと使っている車道(くるま

みち)の材木屋を幕府の偵吏が嗅ぎまわっているというので、薩摩藩や

土佐陸援隊の連中があらたに見つけておいてくれた。場所は、やはり

河原町通に面し、土佐藩邸にも近い。四条上ル西側、といってもよく、

河原町通蛸薬師南、といってもよい。


 稼業は、大きな醤油屋である。屋号を、近江屋(おうみや)といい、

主人の名は新助であった。もともと土佐藩邸の御用をつとめている店だが、

京の町人は勤王志士に対して俠気をもつ者が多く、「左様なお人ならば、

命にかえてもお宿をさせていただきます」と新助も言い、わざわざ裏庭の

土蔵に密室をこしらえ、万一のときには梯子(はしご)伝いに裏の誓願寺へ

脱(のが)れられるようにしてくれた。


 「曽根崎心中」に負けない“醤油”事件がもうひとつ。慶応3年(1867)の11月15日、京都河原町の近江屋で坂本龍馬と盟友中岡慎太郎が襲撃されました。事件に関して小説がたくさん書かれていますが、近江屋の描写はこの「竜馬がゆく」をなぞるような按排で、“醤油蔵”を特別な空間とは捉えていません。津本陽「龍馬」(1993 角川書店)、早乙女貢「龍馬暗殺」(1978 第三文明社レグレス文庫所載)などをひも解いても、いずれもあっさりとした物腰に留まっています。次に書き写すのは若干ながら踏み込んだ内容となっていて、かえって浮き上がって見えもします。

 目ざす近江屋の近くまで来ると、見世(みせ)先の灯りが

やけに明かるく見えた。(中略)夕餉(ゆうげ)の支度で醤油を

買い忘れた客が一人でも二人でも来るのを希(ねが)っている

のだろう。(中略)近江屋の見世先は土間になっていて、

醤油樽がでんと据えられている。客の需(もと)めに応じて

枡(ます)で計って売るのである。

早乙女貢「龍馬を斬る-佐々木只三郎」(2008 原書房「新剣豪伝」所載)

 資料の読み解きと整理にいそがしく、また、天下国家の危急を追うこの際には一介の町家の顔付きなど些細なことと捉えたのかもしれないし、単純に江戸の時代に生きた者、龍馬という男が如何なる感慨を“醤油”に抱いていたかまで想像する余力がないのかもしれません。作家たちは言及を避けているように思えます。

 小説ならば行間の余白に舞台背景をすっかり溶け込ませ、知らぬ顔の半兵衛を決め込むのは造作もないのですが、漫画ともなるとその手は通じませんよね。「お~い!竜馬」(1986-96 原作武田鉄矢 作画小山ゆう)では近江屋の仕込み蔵が何枚か描写され、木樽が左右に立ち並ぶその通路では(後の暗殺の際に居所を刺客に知らせてしまう中岡慎太郎の「吠たえな!(騒ぐな)」という叱声の伏線となる)騒々しい相撲遊びをドダドダと演じさせてもいます。


 それでもやはり舞台装置としては無味乾燥に近く、何ら感情的なものを担っていません。そこが“醤油蔵”である必然はないのです。(史実に必然も何もありませんが、それにしても素っ気ない。)樽木一枚を隔てて確かに満々とたたえて在ったはずの“醤油”は一滴も無きがごとしで、自己主張を一切しません。息を殺してじっと潜んでいるかのようで、三人の男(龍馬と中岡、そして弟子の藤吉)がなます斬りにされるのを為すすべもなく見守っていく。


 いやな醤油の臭い、べたべたした湿り、見通しの利かぬ暗闇、喧騒から隔絶した淋しさ──ひとたび足を踏み入れたなら五感のうち“味”以外の四つに強い印象を刻むであろう“醤油蔵”に関して、一切触れようとしない作家たちの頭のなかを僭越ながらも透かし見るならば、そこには“醤油ふぜい”にまみれて最期の日々を送った英雄に対して、幾ばくかの憐憫が宿っているように僕は感じるのですがいかがでしょう。


 しかし、津本陽は「龍馬」の中で当時の醤油商全般がどのような位置に置かれていたかを、珍しく記しています。これまで抱いていたイメージの色調が、ちょっと変わっていく言葉です。

 『海援隊遺文』によれば、龍馬の身辺は暗殺の危険が満ちていると

いうような状態ではなかったようである。(中略)土佐藩重役たちは諸事

窮屈な藩邸暮らしをきらい、近所の民家に下宿していた。後藤象二郎は

河原町三条上ル東入ル“醤油屋”壷屋(つぼや)にいたが、龍馬が暗殺

されてのち藩邸に入った。(中略)彼らの住居は木屋町、先斗町、祇園の

繁華街に近く、(中略)他藩重役をもまじえ遊興していた。歌舞音曲、芝居、

浄瑠璃も自由に楽しめる。いくつかの危険を冒しても、藩邸外で気儘な

生活をしたいのである。 (“ ”は僕がマーキングしたものです)



 司馬も竜馬には藩邸暮らしを「窮屈」と言わせているですが、堅苦しさや重苦しさ以上に彼らは遊興の灯火から逃れ難いものを感じていた。そのような“快適さ”の追求にあって、醤油蔵が放つ芳香、しっとりとした湿度、こころ安らぐほの暗さ、思索や密談に適当な静謐は当時の彼らに心地良いものであった可能性があります。


 いつか醤油樽を面前とした坂本龍馬に、こそこそとで構いませんから何か語ってもらいたいと思います。“醤油ふぜい”は激烈な政争とは相容れないものかもしれないけれど、そこには日本人の味覚と嗅覚をしっかと捕らえ、庶民の日常の歓びと快楽を下支えする力が秘められている。

2010年のNHK大河ドラマは「龍馬伝」とのこと。裏表の無いキャラクターで人気の福山雅治さんが演じる龍馬なら、何かを感じて話すのではなかろうか、話さなければ嘘じゃなかろうかと淡い期待を僕は今から抱いているのです。





2009年6月3日水曜日

近松門左衛門「曾根崎心中」(1703)~未来成仏疑いなき恋~


白髪町とよ黒髪は、戀(こい)に亂(みだ)るる妄執の、夢を覺さんばくらうの、

此處も稻荷の神社。佛神水波のしるしとて、甍(いらか)竝(なら)べし新御靈に、

拜みおさまるさしもぐさ。草のはす花世にまじり、三十三に御身をかえ、

色で導き情で教へ、戀を菩提の橋となし、渡して救ふ觀世音。

誓ひは妙に三重有難し。立迷ふ浮名を餘所に漏さじと、包む心の内本町。

焦るる胸の平野屋に、春を重ねし雛男。一ツなる口(くち)桃の酒、

柳の髪もとく/\と、呼れて粹(すえ)の名取川。今は手代と埋木(うもれぎ)の、

生醤油(きじょうゆ)の袖したたるき、戀の奴(やっこ)に荷はせて、

得意を廻り生玉(いくだま)の、社にこそは著(つき)にけれ。

出茶屋の床より女の聲(こえ)、

「ありや徳さまではないかいの。コレ徳樣々々」(*1)



 「曽根崎心中」の冒頭の語りの部分です。当時の名所旧蹟や町名と、主人公の思い悩むこころ模様を語呂合わせさせながら小気味よく紹介しています。僕は「色で導き情で教へ、戀を菩提の橋となし、渡して救ふ觀世音」のくだりがとても好きです。まあ、そんなことはどうでもよろしい。大坂の内本町にある平野屋は“生醤油の袖したたる”と語りにあるように醤油商であり、そこの手代の徳兵衛が商談の帰り道に神社の前を通ります。門前の茶屋より馴染んだ声が掛かる。「あれ、徳さまではないかいの、これ徳さま、徳さま」──ここから物語は、一気に谷底に駆け下るようにして一組の男女を“死”へと引き込んでいきます。


 ひとりの遊女と商家の手代が大阪、曽根崎の神社がある森で情死を遂げるまでの物語です。有名な戯曲ではありますが、何より映画(*2)の印象が強く残っています。徳兵衛(宇崎竜童)がためらいながら突き立てる日本剃刀(かみそり)に急所を次々に外され、ゆえに死に切れずに首から胸から血だらけになってあえぐお初(はつ)の様があまりに不憫で、その後、唐突に訪れた彼女の死がさらに寂しく、どうにもうら哀しくってなりませんでした。増村保造の演出は空転する箇所もあったけれど、お初役の梶芽衣子の迫真の演技に支えられて、小品ながらも時代を越える普遍性を内包していました。
 
 よく知られていることではありますが、この舞台劇は実際に起きた事件を題材にしています。近松門左衛門の創意が幾らか介在しているにせよ、徳兵衛という男の面影の一端、年齢や職業といったことはおそらく“事実”なのでしょう。他人の目には突飛に映るかもしれないけれど、彼が“醤油屋”に勤めていたことを知って僕は心底驚いてしまいました。


 「我幼少にて誠の父母に離れ、叔父といひ親方の苦勞となりて人となり」生真面目に働いてきた徳兵衛という男が、初という娘に出逢い変調を来たしていく。主人でもある伯父の言葉によれば「彼の正直な徳兵衞め」は「今日此頃は平生の魂が入替り、錢金を湯水の樣に、夜々(お初のもとに)通ふ」始末です。いかにも恋は曲者、いにしえよりひとを盲目にして狂わしむる危険な麻薬であります。
 
 恋情に捕らえられるに貴賎の区別はなく、もちろん職業の違いも関係はありません。絡まった蜘蛛の糸にもがき暴れていくにつれてより強く手足を縛っていくように、どのような生まれや育ちであろうと恋に落ちるときは落ち、狂うときは狂ってしまう。到底逃れられるものではありません。だから徳兵衛の陥った恋愛に不自然は感じません。

 けれども、「錢金を湯水の樣に、夜々通ふ」ことに無理や破綻がまるでないことはどうでしょう。店の金を横領した訳でもなく、無計画な借金をしたわけでもない。むしろ徳兵衛は金銭に関しては無頓着で借金の経験すらない。可愛い姪っ子との婚礼話を徳兵衛から断られて怒り心頭の主人から、おまえの義母が先日受け取った金を直ぐに返済せよと迫られて大いに動揺し右往左往する訳ですが、「京の五條の醤油問屋、常々金の取遣すれば、これを頼みに上つて見ても、折りしも惡う銀もなし。(顔馴染みであることを頼りにして、京の五条の醤油問屋に借用出来ないものかと尋ねてみたが、折悪しく手持ちの金が少なくって駄目だった)」とあるように、どうやら方策が掴めず闇雲に奔走しているように見えます。個人的に金に困ったことが無いのです。
 
 なんとか義母から取り返した大切な金を主人に返却しに帰る道すがら、かねてからの友人の九平次に出逢い平身低頭で頼まれて貸してしまい、そのことを発端として心中を余儀なくされている。借金の怖さを知らぬ無防備な生い立ち、生真面目で純粋な性格が読み取れます。

 
 数年前に日本経済新聞に連載され後に映画化もされた渡辺淳一の「失楽園」(1995-96)は平成の“心中もの”だったけれど、男の職業は“編集者”であって、僕たち市井の人間の世界とは隔絶した気配を当初から匂わせていました。少なくともわずかな日銭を追って生きていく者ではありませんでしたね。女性を夢に酔わせ、幸福に舞わすにはお金が掛かります。淡い恋の諸相がやがてじりじりと灼熱を帯び始め、どろどろと男女ふたりが溶け混じって精神的、肉体的に一塊の融合を果たすほどにも上昇を極めて行くには、そこにそれ相当の資金が投入されることとなるのは、(なんとなく腑に落ちないけれども)確たる事実ではないでしょうか。

 そのような男女間の揺るぎない鉄則もあって、徳兵衛という“醤油屋ふぜい”がお初という(一流ではなかったかもしれませんが)遊女の慈愛や仏性を呼び覚まし、道行き=死すらを決意させるに至る流れが不思議でならなかったのです。ですが、彼が多額の手当てを日々支給されていたのであれば話は違ってくる。



 江戸の初期から中期にかけて醤油というものがどれだけ贅沢品であり、高価であったかが透けて見えてくるのです。量販店の棚に押し合いしてひしめき、数を売ってようやく利益を確保する商売と伝え聞く現代の醤油屋さんですが、昔は誰もが一目置く収益性の高い職業だったわけですね。(*3) だから徳兵衛は金に困ったことがなかったのです。「錢金を湯水の樣に、夜々通ふ」ことが出来て、お初との会話と空間が濃密となって相思相愛の深い仲となれた。

 
お初にしても平野屋の主人との会話の中で「再々見えはしますれど、よしない金は遣はせませぬ」、つまり、徳兵衛には良くない出処の金は遣わせないから恨んでくれるなと反論していて、無理な背伸びをした関係を強いたのではなかったことがうかがい知れます。この辺りに関して先に紹介した映画(脚本白坂依志夫、増村保造共同執筆)では、初が徳兵衛恋しさの余りに揚代を立て替えていたと改変しているのですが、実態は遊ぶ金には困らぬ身分だったのですね。





初「何時まで言ふて詮もなし。はや/\殺して/\」

と、最後を急げば

徳「心得たり」

と、脇差するりと拔放し、

徳「サア只今ぞ。南無阿彌陀々々々々々」

と、いへども有繋此年月、愛し可愛と締て寢し、肌に刃あてられふかと、

眼も暗み手も顫(ふる)ひ、弱る心を引直し、取直しても猶顫ひ、

突くとはすれど切先は、彼方へ外れ此方へ反れ、二三度閃(ひらめ)く劍の刃、

「あつ」とばかりに喉笛に、ぐつと通るか、

徳「南無阿彌陀、南無阿彌陀、南無阿彌陀佛」

とくり通し、繰通す腕先も、弱るを見れば兩手を伸べ、斷末魔の四苦八苦、

哀れといふも餘りあり。

徳「我とても後れうか。息は一度に引取らん」

と、剃刀取つて喉咽に突立、柄も折れよ刃も碎けと、

えぐりくり/\目も眩(くる)めき、

苦しむ息も曉(あかつき)の、知死期(ちしご)につれて絶果たり。

誰が告ぐるとは曽根崎の森の下風音に聞え、取傳(とりつた)へ、

貴賤群集の回向(えこう)の種、未來成佛疑ひなき戀の、手本となりにけり。


 現実はどうなのか僕は分かりません。ロマンチックで裕福な業界人が何処かにおられるかもしれませんが、読み進めてきた小説や映画といった現代劇において女性への一途な恋に疾走し、大金を持って、はたまたなけなしの金を工面して懸命に甘い舞台を用意する“醤油屋”の男という設定を観たことがありません。だいたいにして恋愛劇の舞台上に端役として立つことすら稀(まれ)です。“未来成仏疑いなき恋、手本”とまで謳われた「曽根崎心中」を振り返ると、その段差に眩暈のようなものを覚えるのです。

 徳兵衛の恋が“事実”としてあり、“日本人の恋愛観”の代表のひとつとして広く世界中に伝えられて行くことに対し、そこに“醤油”が担っているイメージの変遷を重ね合わせて、どうしても奇蹟と言うか奇怪を感じて唸ってしまうのです。


(*1): 岩切良信氏【ほろびゆく日本語を憂ひて】に分かりやすい解説があります。   
http://www.melma.com/backnumber_111318_2371147/

(*2):「曽根崎心中」1978年 監督 増村保造

(*3): 長崎東高在京同窓会/長崎学の部屋/「料理を変えた醤油」─長崎出島との関わり 井上早苗氏 http://www19.big.or.jp/~higashi/nagasaki/inoue/exprice.html





2009年6月1日月曜日

片岡義男「味噌汁は朝のブルース」(1980)~非日常の食事~


「起きよう」
ひざで、恵子の尻を押した。
「いま起きる」
「朝めしをつくってくれ」
「なにがいいの?」
「こういうときの朝めし」
「味噌汁と目玉焼きとか?」
「うん」
「まさかあ」
 


今日新聞をめくっていたら、綺麗なおんなの脚を捉えた写真と“片岡義男”の名前を見つけた。硬質の皮とひとの皮膚の柔らかさが同居したハイヒールの爪先からぞくぞくする色香が漂ってきて、ちょっと素敵だった。6月8日まで新宿センタービルで写真展をやっているらしい。覗いてみたくなる。
http://dc.watch.impress.co.jp/docs/culture/exib/20090529_170385.html


 片岡義男の名をひとたび耳にすれば、「スローなブギにしてくれ」(*1)のメロディラインと映像があざやかに再生なってしまう。これはもう、どうしようもない。焼きごての痕みたいなものだ。(BGM代わりに南佳孝をここで流しましょうか。)角川書店は映画「犬神家の一族」(1976)「人間の証明」(1977)(*2)の公開を皮切りにテレビ、ラジオ、雑誌といった媒体を連動させた広告戦術“メディアミックス”を打ち出しました。僕はそれに煽られすっかり操られてしまった世代ですから、死ぬまで“片岡=スロー…”に縛られるでしょうね。





 久しぶり「味噌汁は朝のブルース」を読み返しながら、若かったころの懐かしく、まぶしい情景が脳裏に蘇って来ました。けれど実際のところ片岡の作品群は羨望のみならず、反発の対象にもなっていたように思い返します。丸井で買い求めた粗悪なベッドや安物のカラーボックスに囲まれ、歩いて10分の銭湯に数日ごとに通っていた僕には、片岡義男の世界を実現し得る“潮流のようなもの”を身の回りのどこにも見出せなかった。洒落た白いマンションやファッション、車や酒、芝居がかった会話や柔らかい肌をした異性は遠く遥かにいつも霞んでいた。いぎたない眠りの後の“夢の煮こごり”のようにも時には見えて、ひどく鬱陶しく、あえて暗澹たる文学青年を気取って拒絶したところがありました。


 あんな世界、そうそう転がってやしないさ、“非日常”の世界だ、と僕はそう思っていました。(今はずいぶんと損をしたような気分でいます。もう少し利口であれば、存外、手が届いた世界だったのかもしれません。) ところが、この年齢になって(ディーテルこそ違えども)片岡が創った“非日常”の点描をほとんど実現してしまっていることにはたと気が付きました。


 風呂付の部屋に悠々と住まい、高速道路を好きな音楽を鳴らして突っ走る“足”があり、山の息吹、潮風を造作なく肺腑に満たすことも出来る。好みの色調のシャツを買い求めて袖を通すことも、好きな酒を飲むこともたやすい。もはや「味噌汁は朝のブルース」の男に羨望をいささかも覚えないばかりか、劇中の若い娘に対しても“異性”という記号が完全に剥離して、落ち着いた眼差しを照射することも無理なく出来ます。ようやくにして僕はこの小説に“なじんだ”のだと思い至りました。今ならこの、当時はずいぶんと気取っていると思えた与太話についてあれこれ語っても、そう間違ったことを言わずにいられそうです。


 水谷浩朗と鈴木恵子の出逢いは高校時代にさかのぼります。互いのワンルームマンションに行き来して朝を共に迎え、部屋にはパジャマの用意もなっているすっかり“なじんだ”仲です。知り合って十年。そんな歳月は大概のカップルを倦怠や足踏み、ときには転機に押しやるに充分な重みを持つのだけれど、彼らが相応に“なじんだ”ままでいられるのは男が27歳、おんなが25歳という若き肉体ゆえでしょう。


 このまま共棲を続けていくべきか、新しい相手を探して活路を拓くべきであるのか、もどかしい逡巡を繰り返すなかでふたりは大小さまざまな衝突を繰り返します。恵子を会社の先輩に紹介して一夜を共にさせるなど、ずいぶんと危うい橋も渡ります。はた目には既にふたりの関係は“死に体”です。やがて強い酒を呷る夜が重なっていき、終幕、恵子の部屋での何十回目かの朝が、まるで何事もなかったようにかに訪れる。そんな顛末でした。


 おんなが「味噌汁と目玉焼きとか?」とさらりと投げ掛け、男が「うん」と肯定した“味噌汁”には衝突する想いが宿っていたことが今ごろにして分かりもします。翻訳すれば、もう十年目よね、この辺りで節目を越えて結婚なり入籍なりしちゃおうか、とおんなは誘い、男は頷き、おんなは「まさかあ」冗談だよと応えている。おんなは結局“味噌汁”を作らずに、片岡の世界に再び埋没していきます。境界で揺れ続けていたふたりだったのですね。


「え?」
「BLT。ベーコン、レタス、アンド、トマト」
「そうか」
ふたりは、食べはじめた。
「うまい」
と、水谷は言った。
「味噌汁のほうがよかった?」
恵子が、きいた。
水谷は、首を振った。
「うまい。こっちのほうがいい」


 ここでも「赤いハンカチ」(1964)(*3)と似た象徴性を“味噌汁”は託されているわけです。この会話に先立って、会社の先輩に誘われ初めて足を運んだ田舎料理の店で水谷はご馳走にあずかりますが、ご丁寧にもわざわざ感想がト書きされている。「キンピラゴボウ、ナットウ、高野豆腐など、水谷には久しぶりでうれしかった」と書かれています。裏返しとして、水谷と恵子の食生活が洋食で覆い尽くされていることが分かります。それが彼らの“日常”なんですね。


 サラダ、マカロニグラタン、エスプレッソ、パン・プディング……。水谷と恵子の間の危うい均衡を保つためには、それら洋食を調理し食することが不可欠となっている。“味噌汁”に口を付けたら最後、均衡が崩れてドラマが変質し、彼らにとって別な次元がスタートしてしまう。「うまい。こっちのほうがいい」とふたりは元の堂々巡りを選択していく。


恵子は、もう一度、コーヒーを吹いた。
そして、なにを思ったか、くっきりときれいに微笑し、
「味噌汁は朝のブルース」
と、普通の声で言った。


 つまりは恵子、ひいては水谷にとっても“味噌汁”とは節目を越えて発生するもので、彼らから見れば“非日常”の象徴なのです。先に待ち構えるものは呪縛、宿命、足かせ、転回不能、諦観といった言葉が連なる重く苦しい世界です。だから“ブルース”なんですね。その“新たなる日常”の、毎朝をつんざく点呼や号砲のようなものとして“味噌汁”を片岡は位置付けている。彼にとって“味噌汁”は、いわば“呪われた料理”ということなんでしょうか。いささか淋しい、そんな役回りです。


 「赤いハンカチ」の折に意味付けられた「過去、労働、倹約」といったイメージに似て非なるものが託されていて、ここにも恋情との大きな乖離が見受けられます。始末に困るのはこの1980年代の男女の意識に段差はなく、同じ価値観の元で“味噌汁”を捉えていることであって、だから片思いのメタファーとしても全然機能していないことですね。決定的にネガティヴなものとして描かれています。


 小説の発表から29年。水谷は56歳、恵子は54歳になっているわけですね。今も元気に大都会の片隅で生きているのでしょうか。彼らが“味噌汁”をどのような面持ちで飲んでいるものか、少し興味が湧きます。ブルースを歌っているものか、それとも未だにBLTにコーヒーなのかなぁ。僕はこのふたり、一緒には暮らしていないように想像を廻らしてもいます。


 新型インフルエンザの騒動は完全に沈静して、まるで悪夢から覚めたような感じです。ひとの気持ちはなんて不確かで流動的なのか、つくづく可笑しな生き物だと思います。“味噌汁”一杯にこだわる可笑しさも生きた人間ならではのこと。不思議で面白い“こだわり”を持つものです。


(*1):「スローなブギにしてくれ」1981年 監督 藤田敏八 
(*2):「犬神家の一族」1976年 監督 市川 崑
   「人間の照明」1977年 監督 佐藤 純彌
(*3):「赤いハンカチ」1964年 監督 舛田利雄